『弥永 家子 プロローグSSのプロローグSS』


「竹を割ったような性格だ」と氷堂 萌華は昔から言われてきた。

小さい頃から男の子達に混じってチャンバラごっこに興じ、通っていた近所の剣道場では同年代の相手に負け知らず。
魔人への覚醒も小学校の中学年頃と比較的早い時期だったが、持ち前の明るさゆえか困ることも特になかった。
魔人になった自分を迫害してきた連中は自分の手で黙らせたし、魔人になってからも元から仲の良い友達とは特に変わることなく仲が良かった。

そんな男勝りの彼女であったから、恋、というものも特に知ること無く中学に上がった。
運命の出会いはそこで訪れた。

「ハアッ……ハアッ……、まだ間に合うかな……?」

4月、春風の舞う頃。
多くの学生にとっては記念すべき入学の日、新たな希望へ胸躍らせる日――だが、今の萌華にその余裕は無かった。

「お婆さんが無事なのは良かったけど、私の入学式も無事じゃないとーー!」

氷堂 萌華は割とまめな性格である。当然、入学式の日などに遅刻するような事などないよう、充分に余裕をもって家を出た。
しかし通学途中、足を挫いて倒れたお婆さんに出会い、病院に連れて行ってから学校に向かったため、すっかり遅刻ギリギリになってしまった。

「このペースなら、2~3分早く……うわっ!」

魔人の脚力を持ってそれなりの速さで走れば何とか間に合うだろうという算段であったが、萌華の目の前にはまだ大きな障害があった。
校舎へと続く非常に長い坂道。萌華が通うことになる学校の名物である。
坂道沿いの公園にはこの季節桜が咲き誇っており、ゆっくり歩く分には退屈のしない名スポットであったが、今の萌華にそれを眺める余裕はない。

「これはギリギリ……かな?」

遅刻を防ぐにはこの坂を全力で駆け登るしかない。
そうなれば息も絶え絶え、汗びっしょりの状態で新しいクラスメイト達と初対面を迎えることになるが、転校初日からの遅刻とどちらが良いかを天秤にかけた場合、前者の方がマシなように思えた。

「諦めてたまるかーーっ!!」

萌華は基本的に真面目な性格である。如何な理由があろうとやはり遅刻は良くない。
意を決し、駆け出そうとした時――。

「ちょっと……そこの君……!」

不意に後ろから声がかかった。

「……っ!??」

思わぬ不意打ちに、萌華の身体が反動で固まる。
突如、巨大な白い影が、風の様に萌華の隣に現れた。

「その制服、同じ学校でしょ? 待って、まだ走らないで!」

車道の上に立つ巨大な白い影を見上げる萌華。その白い姿は萌華より一回りも大きい。
見るとその白い体はふさふさとした体毛であった。体毛の節々からは茶色い鋼鉄の素肌が覗く。それは――。

(イエティ……だよね、これ)

これまでの十数年で得られた知識を総動員した結果、主にTVとか漫画とかで見聞きした情報から、萌華はその姿に対する言葉を捻り出した。
要はそれ程はっきりとその生物はイエティでしかなかったのである。
萌華自身もまた、魔人という異能の存在ではあったが、それでもその時はただ驚きしかなかった。

「違う、こっちこっち……、よっ、と」

ふと、萌華は声のした方を向く。
さっきから萌華に呼び掛けていた声は、しかしそのイエティから発せられたものでは無かった。
良く見ればイエティはその巨体に似合う大きな自転車に乗っていた。声の主はイエティの後ろのサドルに跨っていたのだ。

「君、今ここを走って登ろうとしてたんでしょ? 駄目だよ、せっかくの制服が汚れちゃう」

少年の年は萌華と同じぐらいか。まだあどけなさの残る、とても温和で優し気な少年であった。

「後ろに乗ってよ。僕たちもギリギリで……でもこのイェーガー号なら、まだ間に合うからさ。あと一人ぐらいなら乗せられるし……、ねっ、家子ちゃん」

少年の声にイエティ……家子と呼ばれたその巨体が頷いた。

「さっ、急ごう。早く乗って」

少年が差し出した手を取り、萌華は言われるがままイェーガー号……イエティが駆る巨大な自転車のサドルに少年と一緒に跨った。
少年がイエティにしがみ付き、萌華はその少年にしがみ付く。こんな風に男の子と密着した経験はこれまで萌華にはなかった。

「いこう、家子ちゃん」

イエティの白い巨大な二つの足が車輪を勢いよく回しだす。
イェーガー号はまるで突風のようにあっという間に坂道を登っていった。
桜吹雪が舞い散る中、その風が萌華にはとても心地よく感じられていた――。

その少年、白田まさしとイエティ――否、少女、弥永家子が、萌華と同じ魔人であることはそのすぐ後に分かった。
萌華の中学は魔人の受け入れに対して積極的な学校であり、彼らは萌華の新しいクラスメイトであった。
新しいクラスでの自己紹介時……萌華も含め、魔人が数人いた中でも家子はやはり注目の的となったが、不思議と萌華には彼女に対して異質な印象を持たなかった。
初対面があのような状況だったからか、それとも――。


「えっと……家子ちゃんだっけ……? 何をしてるの?」

入学式の翌日。
萌華は魔人剣道部への入部届を提出し、さらに初日から早速道場で一汗流したところであった。
既に日も暮れかけていた頃、練習場の裏手にて、その白い影を見つけた。

「ハ……ナ……カレ……ル……」
「え?」

見れば家子が見下ろす先には、小さな白い花があった。
しかし校舎の物陰に隠れたその花は、陽が当たらない中、弱々しく下を向いていた。

「そっか、移してあげようとしてるんだね」
「…………」

家子は大きなスコップを持って、その花が生えている土を掘り起こそうとしていた。
しかし彼女の大きな手で、小さな花のみを丁寧に摘まむのは難しい。更にイエティの低い体温の問題もある。彼女には可憐な花を優しく扱うことすら難しいのだ。

「まったまった、そんな乱暴なやり方じゃ駄目だよ。ちょっと待って、私が移してあげるわ」

萌華は見かねて自分の手で花を掘り起こし、陽の当たる場所へと移した。

「これで良しっと……ここなら大丈夫でしょ」
「ア……アリーーガーートーー……」

萌華の頭上で、家子が大きく首を垂れる。
その様が、萌華にはなんだか無性に可笑しかった。

「どういたしまして……、ところで、こんな遅くまでここで何してたの?」

胸を張って家子のお礼に応えながら、萌華は疑問を口にする。

「ヨーーゴーーレーー」
「……ん?」

萌華が目をやると、家子の周りには彼女が握っているスコップ以外にも箒やちり取り、その他諸々の掃除用具があった。

「そっか、掃除、してたんだ」

コクコク……と家子が大きな首を上下する。

「優しいんだね」
「ア……」

家子が照れるような仕草を見せる。
この時萌華は彼女が自分と同じ普通の子……いや、自分よりもずっと素直な女の子なのだな、と分かった。

「手伝うよ。二人なら早く終わるでしょ」

夕暮れの中、二人の少女の影が緩やかに交差するのだった――。


萌華と家子はそれからいつの間にか仲良く行動するようになっていた。
家子の幼馴染である白田まさしも多くの場合、彼女達と一緒にいた。


~~ 中学一年の秋、林間学校にて ~~

「グオゴゴゴ……ウラメシ……死ね!!」

「ゾンビ!? お化け!? キョンシー!!? 何この見境の無さ!」
「ジョーーブツーーシテーー」

襲い掛かる死霊軍団を家子の冷気と萌華の炎で薙ぎ払う。
彼らの狙いは白田くんが現地で知り合った少女だったらしい。なんか良い雰囲気になる前に別れたが。


~~ 中学二年の夏、臨海学校にて ~~

「ウジュル……ウジュル……タコタコ~~」
「チョキチョキ……チョキチョキ……カニカニ~~」

「蟹の化け物に、大蛸の怪物!!? って、何この触手! きゃあっ!」
「シーーメーーツーーケ――ラ――レーールゥーー!!」

迫りくる蛸の足と蟹の鋏の前に、あれやこれやいやんなことになる萌華と家子! あとクラスメイトに海で知り合った女の子達!
何とか家子の剛力で触手を引きちぎって深海へお帰り願うも、その後場に居あわせていた白田君が出血多量になったことは言うまでもない!


~~ 中学三年の夏、修学旅行にて ~~

「わしは奈良、京都、あと神戸ぐらいまでを修める予定の神仏番長、大々金銀銅々角寺様じゃーーーい! わての街でわいの女に手え出そうとしてただで済むとは思ってないじゃけんのう!!」

「突っ込む気も無いっ! 雑魚は任せて家子っ! 私が許す! 遠慮なくぶちのめして!」
「……ウ、ウン……」

家子や萌華達が現地にて助けた少女と白田君が仲良くしていた時、突如現れ因縁をつけてきた現地の番長とその舎弟数十匹!!
そろそろ慣れてきた二人のコンビネーションに、哀れ時代劇の殺陣の時間ぐらいで番長たちは瞬殺された!
瞬殺に巻き込まれて白田君は気絶し、現地の少女との諸々はうやむやになった!

家子達と一緒に過ごす内、萌華は流石にこれらのトラブルは白田君の持つ魔人能力が影響しているのだろう、と気づいていた。

「ま、良いけどね。退屈しないから」

萌華にとって家子、そして白田君といる日常は既にすっかり当たり前のものとなっていた。
そんなわけだから、高校も二人と共に魔人学園である希望崎学園へと進む、と決めたのも自然な流れであった。


「――でもやっぱり僕は不安もあるかな……。希望崎学園は魔人の数がもっと多いらしいし。これまでのようにいかないこともあるかもしれない」

冬の夕暮れ。
希望崎学園への進学も決まり、中学の卒業が近づいたある日。
萌華はこの日、珍しく白田まさしと二人だけで一緒に下校していた。
家子は今日はアルバイトである。家子はボランティアだけでなく、様々なアルバイトにも日々精を出していた。
何でもイエティである自分は生活費も諸々かさむため、少しでも足しになれば、と家族のために働いているらしい。つくづく家子らしい話だと萌華は思う。

「うん、それは私もね。でも希望崎学園にはもっと変わった人……言い方は悪いけど、人間じゃないみたいな魔人も珍しくないみたいだし。家子も今よりもっと自分の事を気にしないですみそうだよ」

「うーん、僕はそこはそんなにあまり心配していない、かな」

「どうして?」

「ん? だって僕は別に家子ちゃんの姿がどうとかは気にしていないから」

「え?」

「萌華ちゃんだって、そうでしょ?」

「そ、そうね……」

「僕にとって家子ちゃんは昔から変わらない、可愛い女の子だよ」

「うん……そうだね」

「だから嬉しかったんだ。中学に入って萌華ちゃんと会えて。僕と同じように家子ちゃんのことを見てくれる子がいて」

「白田くん……?」

「ありがとう、萌華ちゃん」

「う、うん……」

「高校に入っても、よろしくね」

白田は笑顔で萌華に話しかける。
萌華はその笑顔をぼおっ、とした表情で見つめていた――。

そうして高校に入った萌華達三人。
しばらくは中学の時と変わらない日々が流れた。
だが――。

「ひっ、化け物っ……」

少女が家子の差し伸べた手を払って逃げていく。

「家子……」

希望崎学園に入ってからの何度目かのトラブル時。
暴れる不良魔人に巻き込まれた幼い少女を助けたのだが……その少女は家子の姿に驚き、走り去って行ってしまった。

こうしたことはもちろん今回が初めてではない。
だが家子にも、そして萌華にも、こうした出来事の方が、これまで何度出くわしたか分からない不可思議なトラブルより未だに慣れないものであった。

「気にすることないよ、家子」
「うん……」

萌華は家子の背に顔を埋め、彼女を慰める。
こんな時の家子の背中は、とても小さく感じられるものだった――。


「う……大分きつくなってきたな……」

萌華は自室にて下着を着け、一人ごちる。
萌華の魔人能力は、使うと自分の衣服が燃えて溶けて無くなってしまうという女の子として大変困った問題がある。
今日もトラブルを解決するため服を消費したので、部屋のクローゼットから古い下着を出して身に着けてみたのだが……。

「サイズがもう合わないのかしない……新しいのを買ってくるか」

家子は自分の全身を鏡で見つめる。
「最近は随分、身体つきが女らしくなったね」と中学からの知り合いにも言われたりする。男子学生の目線を感じることもある。希望崎学園には正直、下劣な魔人も多い。
だが、中学から一緒にいる白田君にはそういう言葉はかけられたことがない……。

「白田君はそういう目では、見ないのかな」

鏡の前でポーズなど取ってみる。
悪くないのではないか、とも思う。これでも普段から部活で鍛えていて、それなりのプロポーションだと思う。別に自慢する気は無いけど。

(白田君の目には誰が……あっ)

鏡の前に、白い姿がふと浮かぶ。
萌華は首をぶんぶんと振って、その姿を振り払う。

(今、何を考えた? 私!?)

鏡の前の幻は消え、ただ自分の姿だけが再び映る。
その顔は青ざめ、生気が消えている。
それは先程映った巨大な姿よりもとても――。

「おお、萌華殿。これは奇遇」

希望崎学園に入ってから一年が過ぎ、学内の一大イベントの一つである文化祭が近づいたある日。
萌華は部活帰りの放課後、同学年の調達部の女子、三条 鷹美と校庭で出くわした。

「鷹美……どうしたの、それ」

見れば鷹美は大きな滑車を引き、大量の食材を校舎に運び込もうとしているところだった。
萌華には見慣れぬ食材が多かったが、いずれも物珍しそうな冷凍食材である。家子が好みそうだろう、と思ったところ。

「おや、異なことを。これは萌華殿のクラスの要望で某が仕入れたものというのに」
「……うちのクラスが?」
「うむ、何でも今度の文化祭のイベント用に、とのこと。特に家子殿が好む食材を大量にとのことであったでな。某を含め、家子殿や萌華殿には調達部も色々お世話になったこともある候、こうして気合を入れて大量に調達したというわけでござる」
「……へえ。私は聞いていなかったな」
「おや、もしやサプライズ要素であったかな……。これは拙者、失敗したかもしれぬ……。萌華殿、この事はぐれぐれもご内密に……」
「うん、黙っとくよ」
「かたじけない! この礼はいずれ……。この食材は楽しみにして下され。いずれも、腕によりをかけて調達したもの。家子殿は勿論、萌華殿が食べてもほっぺたを落とす程でござろう! ふはーーっはっはっは!」

鷹美はそう言って哄笑しながら場を後にし、楽し気に滑車を校舎まで運び入れていった。
だがそんな鷹美とは対照的に。

(ふうん……家子が好む食材、か)

萌華の表情は、暗い。
単純で間抜けたところの多い(そこが良いところでもあるが)鷹美は全く気付いていないようだったが、萌華はこの依頼が単純に家子を喜ばすためではないということに勘付いていた。
萌華と家子のクラスの出し物は、シンプルなコスプレ喫茶的なものを行うことが既に決まっているが、おそらくそれでは足りないと考えた誰かが、家子を使ったショーを考えたのだろう。
人が良い家子は、頼まれれば断らないだろうが、家子をそんな見世物的に使うことが企てられていることに、萌華は実に不愉快なものを感じた。

(家子は……今日はまだ学園にいるかな)

萌華は家子の姿を探し、夕暮れの中を歩き出した。

「やっぱり、ここにいたか」

家子は校舎裏の広場にいた。
出会った頃のあの日と同じように、掃除用具一式を持って。

<<うん、文化祭も近いし、校舎周りの掃除を丁寧にしようと>>

家子は道具を置き、タブレットに素早く文字を打ち込んで萌華に答える。
四年前に比べ、世の中どんどんと便利になっている。今では普通のコミュニケーションで家子と困ることはあまり無い。

「文化祭……か。家子はクラスの手伝いをするんだよね」

<<うん、出来るだけ。邪魔で目立つようだったら引っ込んでるけど>>

「そんなことは無い、と思うよ。クラスの皆もそこは考えてくれているんじゃないかな」

<<そうだと、嬉しい>>

「……まあ、でももしクラスから抜けられるタイミングがあったら……」

「白田君と一緒に文化祭、回ってきたら?」

萌華は意を決して、その言葉を口に出してみる。
家子はしばらく、沈黙する。
やがて、再度文字を打ち込み始める。

<<萌華も一緒なら>>

「ううん、家子と白田君の二人が良いよ」

<<二人抜けちゃのは難しいと思う>>

「それなら、私がその時間は二人の分も手伝うようにするよ。 剣道部の方もあるけど。なんとか時間作れるよう聞いてみる!」

<<ううん、そんな悪い>>

「気にすること無いって、今更。白田君も喜ぶんじゃないかな~」

<<本当に、そう思う?>>

「勿論、当たり前じゃん!」

「…………」

再び、沈黙。
萌華も次第に訝しがる。
やがて、家子の指がゆっくり文字を打ち込み始める。

<<私は、そうは思わない>>

「……なんで?」

<<私と二人で一緒に周ったら、やっぱり白田君に悪い。萌華も、一緒じゃないと>>

「……どうして?」

<<目立つもの。白田君が変な目で見られちゃう>>

「…………」

「萌華も本当は、そう思うでしょ」

夕陽は深く沈み始め、辺りは薄暗くなっていく。
今度は萌華が沈黙し、家子の指だけがカタカタと文字を打つ。


<<最近、良く夢を見るの>>

「夢……?」

<<白田君と一緒にいる夢。私は今のこの姿じゃない。人間の女の子の姿になっている夢>>

「…………」

<<でも、それは夢。叶うことは無いの。もし叶ってもそれはほんの少しの時間>>

「そんなことはない……よ。家子は白田君と一緒にいられるよ」

<<ありがとう、萌華。でもいいの>>

<<私は、萌香と白田君が友達でいてくれるだけで嬉しい>>

「家……子」

いつの間にか、日はすっかり沈んでいた。
夜の闇が辺りを支配し始め、その事に気づいた家子が、家へと帰るよう萌華に促す。
校舎からの明かりが、家子の影を大きく伸ばす。
その背中を見つめ、萌華は一人ごちた――。

「夢じゃない……よ、家子。そんなの私が許さない。」


「私が、夢で終わらせない」


<<弥永 家子 プロローグSSへ続く >>
最終更新:2016年03月06日 21:42