※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

「峰岸さんのこと、諦めるって言ったけどさ」
 続く言葉は、すぐに想像できた。
「俺、やっぱり無理っぽい」
「…はあ。さいですか」
 疲れた頭ではどう返していいかわからず、こなたは間の抜けた声を出した。
「さっきのは、撤回。俺、峰岸さんにちゃんと伝えるよ」
「う、うん。そっか。頑張れ…でいいのかな?」
「こなたさんには、言っておこうと思ってさ。今日は相談に乗ってくれたし」

 相談というより、警告のつもりだった。しかし、結局は意味が無かったようだ。
電話越しにまことと話しながら、こなたはいささか面食らっていた。呆れたというほうが、近いかもしれない。
 まことが峰岸、つまりあやのを好きらしいというのは、仲間内では公然の事実になっていたが、その話には常に微妙な空気が付き纏っていた。
あやのには既に彼氏がいて、つまるところ、まことの横恋慕だったのだ。文化祭の後でこなたからそれを伝えられ、まことは実に男らしく、諦めると言い切った。
 それが、ほんの8時間前のことである。
「…まこと君、よっぽど好きなんだね」
「うん。自分でも不思議なくらいだよ。知り合ってから、一週間くらいなのにね」
「それもあるけど。あんだけ格好良く諦めたのに、ぶっちゃけ台無し」
「…面目ない」
「まあ、別にいいんじゃん。もっかい諦めるほうに転んだら、さすがに空気嫁って感じだけど」
 呆れはしたが、こなたにとってまことの言うことは不快でもなかった。
率直に言えば峰岸とはさして親しくないし、彼氏の方は顔も知らない。自然に、ここ数日話す機会の多かったまことを応援するような気持ちになる。
 気付けば、話に食いついていた。
「それよりさ、具体的にどうなのよ」
「なにが?」
「だから、最大の山場イベントに対して。攻略法、確立してる?」
「彼氏、いるってこと?」
「そうそう。私も、リアルの恋愛にゃ疎いけど、やっぱりそこがキモだよね。奪い取る覚悟は出来た?海賊らしく、いただいて行くっ、てさ」
「そう、それなんだけどさ」
「wktk」
「いただかなくて、いいかなって」
 全身が脱力した。ベッドに座っていなければ、本当に転んでいたかもしれない。

「なにそれ」
「いや、だってさぁ。結局選ぶのは峰岸さんなわけだし、俺が奪うとかそういう話じゃないでしょ?」
「まあ、そりゃそうだけど」
 押しが弱い、と思ったが、余計なことは言わない方がいいだろう。
「とにかく明日、その、告白してさ。その上で今の彼氏がいいってんなら、もう俺の出る幕じゃないよ」
「…それも、潔さなのかもね」
「ただでさえ困らせようとしてるんだし、粘着しちゃ悪いって思う」
「峰岸さんのため?」
「そんなところかな。何はともあれ、明日だね。草葉の陰から見守っててよ」
「ちょ、勝手に殺すな」
「冗談、冗談」
「まあ、せいぜいnice boat.にならないように気を付けてね、ってそりゃ性別が逆か。若者の奮闘に期待するよ」
「ありがとう」
「今日は疲れたし、この辺でいい?おやすミルク」
「えっと、なんだっけそれ。たしかコミックボンボン…」
「ぶー、はずれ。また明日ね」
「う、うん。おやすみ…」

少し、強引に会話を終えた。猛烈に、眠くなっている。つい先ほどまで、疲労の極みにあったのだ。
 最高の文化祭だった。今になって、本当にそう思う。仲間と一体になり、多くの人を感動させた。
かがみの怪我だけが心残りだが、さすがに本人は気丈だった。ただ、こなたには彼女の隠す悔しさが透けて見えた。
そこに寄り添うのは、友達としての自分の役目だと思っている。
 とにかく、劇そのものは素晴らしい出来だったのだ。中でもまことなどは、舞台の上ではほとんど別人だった。
みせかけのキスシーンでも、こなたは真剣に息を呑んだ。今思えば、自分はときめいていたのかも知れない。
 それは同時に、舞台を降りればこんなものか、という思いも抱かせる。
「出る幕、ねえ」
 声に出して呟いた。やはり、押しが弱い。告白された経験は無いが、自分なら心は揺れないだろう、としか思えなかった。
 そこまで考え、面倒くさくなった。睡魔に身を任せるのが、ひどく気持ちいい。
まどろみの中、みんなの顔が浮かんできた。今日は、いい夢がみられそうだ。

なんとか、残りの片付けを午前中に終えた。文化祭の翌日だから、疲れはピークに達している。そして、午後の授業は平常どおりだ。
 購買から教室に戻りつつ、みさおは早くも辟易していた。歩きながらぼんやりと、こんな日は休みにしてほしい、などと考えている。
そのせいか、始めは呼ばれたことにも気付かなかった。

「おうい、みさきち?」
「ん、なんだちびっ子か」
「ちょ、みさきち、3回も呼ばせておいてその反応とは」
 こなただった。小さいから、ちびっ子と呼んでいる。
「わりい、ぼっとしてた。疲れちまってさ。今日ぐらい、休みにしたってバチ当たんねえよな」
「いやあ、みんな考えることは一緒だね。さっき、つかさも同じこと言ってたし」
「つか、お前がだろ。で、なんか用?」
「あ、うん。用って程でもないんだけどさ。昨日の花火の話って、聞いた?」
「そういや、中止になったんだってな。なんかあったのか」
「そうそう。これちょっと物騒な話なんだけどさ。噂じゃ、脅迫メールがあったんだって」
「はあ?なんだそりゃ」
「脅迫とは、脅して仲良くしないことだ。そんなことも知らんのか」
 こなたの表情は、得意げだ。冗談を言っているようだが、みさおにはよくわからなかった。
「いや、そこじゃなくて」
「むむむ。ネタが渋すぎたか」
「で、メールがなんだって?」
「げえっ、スルー」
「…もういいってヴぁ」
「…うん、ちょっと悪乗りしたかも」
「いや、まあいいんだけどよ」
 冗談は通じないことが多いが、こなたとは随分よく話すようになった。始めは、少し屈託を抱いていたのだ。
自分より、かがみに好かれている。それが、みさおには不快でならなかった。
悩むのは、嫌いだ。かといって、胸にある切ないような感じは、自分では消しようがなかった。
しかし、すぐにこなたとも仲良くなった。話していて、ただ楽しい。意外と、良い奴じゃないか。それだけで、みさおの屈託はあっさりと消えてしまった。
そんなことも、今はことさら思い返したりはしない。つまり、それがみさおの性格だった。 
「そんなことより、メールはどうしたんだよ」
「いや、ごめんごめん。結局、学園側はいわゆる悪質な悪戯だって判断したみたい。
でも物騒だから、念のため火薬を使うイベントを中止にしたんだって。ちなみに送り主は、白の騎士団、とか名乗ってたらしいよ」
「やたら詳しい噂だな。信用できんのか?」
「意外と本当かもよ?丸一日も経ってないのに、かなり出回ってるし」
「なるほどなあ。迷惑な話だ」
「全くだよ…って、やばい、購買混んじゃうよ。んじゃね、みさきち」
「おー。潰されんなよ」
「そんなに小さかないもん」
 言いながら、こなたは駆けていた。みさおも踵を返したが、目の端にこなたが引き返すのが見えた。
「なんだ、忘れ物か?」
「いや、ちょっと、大事な話を思い出した」
「んあ、なんだよ」
「みさきちって、峰岸さんと仲良いんだよね?」
「おう、そりゃぁな」

 仲が良いという響きにも、違和感がある。まだ小さい頃から、あやのとはずっと一緒だった。
親友というより、姉妹の方がまだ近いかもしれない。あやのは、あやの。それだけで、みさおは安心できるのだ。
 大事な話。それがあやのに関するのなら、自分の事より重要だった。
「あやのが、どうかしたのか?」
「うん。あのさ、まこと君、いるじゃん?」
 あやのと、まこと。頭の中で、すぐに繋がった。なにか、あったのか。あやのの様子は変わりなかったが、もしかして。

「あの野郎、なんかやらかしたのか?」
「みさきち、顔が怖いよ」
「おい!」
「声もでかいし。まだ、なにもしてないって」
「…本当に?」
「うん。大丈夫だってば」
「…じゃあ、なんなんだよ」
「昨日、電話があってさ。今日あたり、告白するかも、って」
「なんだそりゃ。なんでちびっ子に言うんだよ?」
「いやさ、昨日の劇が終わった後、少しまこと君と話してね。峰岸さんの彼氏のこと、教えたげたわけよ」
「はあ。兄貴のことを。お前、けっこう残酷だな」

 あやのが付き合っているのは、みさおの兄だ。そういう雰囲気はあったが、実際に聞かされた時は驚いた。ただ、決して悪い気はしない。
「いやいや、これは優しさだよ?どうせ、いずれはわかるんだし。でね、その時は、きっぱり諦めるって言ってたんだけど」
「けど?」
「夜中に電話で、やっぱ無理、告白する、って」
「わざわざ、報告してきたと。あいつ、そんなに傷つきたいのか?」
「Mなのかもね」
「少なくとも、あやのはSじゃねえぞ」
「やっぱり、脈はなさそう?」
「ねえな。今んとこ、兄貴にベタベタだし。まあ、止めはしねえけどよ」
「ふむう。誰も傷つかないのが、一番だけどね」
「あやのが傷つくようなら、私も黙ってねえぞ。でも、それまではウチらの出る幕じゃねえよな」
「出る幕、ねえ。そういえば、まこと君もそんなこと言ってたかも」
「どゆ意味?」
「選ぶのは峰岸さんだから、彼氏の方が好きなら自分の出る幕じゃないんだって」
「…なんだよ。けっこう弱腰だな」
本当にそういうつもりなら、まず勝ち目はない。今の彼氏を好きなのは、当り前すぎることだ。
おっとりしているようで、あやのは意外と我が強い。それ以上に強く出なければ、ほとんどビクともしないだろう。
「まことにゃ気の毒だけど、こりゃ玉砕だな」
「粉砕、玉砕、大喝采っ!」
「あ、それはわかるぜ。ジャンプだろ?」
「ピンポーン。なるほど、みさきちのストライクゾーンはこの辺か…って、いい加減ヤバイかも。かがみん待たしてるんだった」

 かがみは、また隣のクラスにいる。
 ふと、今まで言えなかったことを言ってみよう、とみさおは思った。
「なあ、ちびっ子」
「ん?どしたん」
「今日さ、あやの連れて、そっち行っていいか?」
「おうっ、大歓迎だよ」
「…そか」
「ただし。かがみんの隣は、私だかんね?」
「でもお前、今から購買行くんだろ?とっといてやんねえぞ」
「うっ。…じゃあ、今回はしぶしぶ譲って進ぜよう。感謝したまえ」
「おう。サンキュな」
「…そうこられると、かえって弱るってば。じゃあ、またあとでね」
 少し照れたように、こなたは駆け去った。
 素直に、言えた。礼の言葉も、思ったままだった。こういうのが、一番自分らしい。なんとなく、満足な気持ちになった。
 あやのとは、明日にでもじっくり話せばいい。どうせ、込み入った事にはならないだろう。気にするところは、何もない。それより、今はお腹が空いている。
 午後の授業のことは、もう考えてもいなかった。
 時間は、16時に近い。
校庭の隅にある、古い桜。星桜の樹と呼ばれ、なんとなく生徒から親しまれている。その下で、まことはしきりに手を拭っていた。
浮ついている。大きく構えようと思うが、それ自体、地に足のついていない証拠のようなものだ。
いつも通りでいようとするほど、緊張が浮き彫りになる。汗をかいているのは、天気が良いせいではない。すでに陽は翳り、風は冷たいのだ。
こんなことで、本当に告白などできるのか。お茶を濁して、逃げ出すんじゃないか。いや、自分を信じろ。自分の、何を。
考えるだけ無駄だ。そう思うことにした。少しだけ、落ち着いた気がした。早く来てほしい。でないと、また堂々巡りがはじまる。
 なにか、別のことを考えようとした。星桜の樹。学園のシンボルのように言われるが、花はつけないそうだ。
自分の恋も、同じだろうか。ああ、まただ。こんなものは、追い払え。
 頭をかきむしろうとした時、声が聞こえた。

「まこと君」
 心臓が、一度だけ鳴った。振り返ると、いた。
 やわらかな茶色の、長い髪。あやのだ。やっぱり、可愛いな。それだけが浮かんだ。
「ごめんなさい。みさちゃんと話し込んじゃって」
「そんな。呼んだのは俺なんだし、気にすることじゃないよ」
「よかった。それで、お話ってなにかしら?」
 いざとなれば、自分は落ち着いている。そう思えた。言葉も、詰まりはしない。
「疲れてるところに、ごめんね。その、こなたさんから聞いたんだけど」
「泉ちゃん?」
「うん。峰岸さん、彼氏がいるって、ほんと?」
 あやのの表情が、少し強張った。それはそうだ。告白されようというのは、今のでわかったはずだ。
「ええ。いるわ」
 自分も、緊張してきている。クッションを入れよう、と思った。
「変なこと、聞くかもしれないけど」
「…なに?」
 何とか、言えそうだ。遠まわしでもいい。その方が、お互い傷つかない。好きってことを、ただ知ってもらえれば。
「峰岸さんは、その彼のことが好き?」
「まこと君、なにが言いたいの?」
 はっきりとした返しに、まことは少し驚いた。こういうところも、あるのか。
 気持ちが、一歩退がった。
「だから、言ったままだよ。その人が、好きなの?」
「それは、いけない?」
 険しい声。終わった。そう思った。たった今、結果がでたのだ。
こんなものだ。予想した通りじゃないか。頭で軽くいなしても、じわじわと苦さがこみ上げてくる。
ただ、それも思ったほどではない。直接伝えなかったのが、やはりよかったのかもしれない。
しかし、この煮え切らない感じはなんなのか。
「ううん。ありがとう。おかしなこと言って、ごめん」
「…いいわ」
 それで、どうしよう。自然な会話に引き戻してから、別れたい。ふられたが、丸く収まった。そういう形にしたい。
「それでさ、峰岸さん。全然違う話なんだけど」
 返事がない。なにかを、言わないと。そうだ、昨日。
「昨日のことでさ。ちょっと」
「昨日?劇のこと、とか?」
「うん、そう。その…とりあえず、お疲れ様」
「うん、お疲れ様」
「本当に。そのことで、俺、ひとつ謝らなきゃいけなくて」
 なにを喋ってるんだ。こんな話に、意味は無い。
「…どうして?」
「あのさ、ちょっと言い辛いんだけど、最後の…つまり、キスシーンで」
 また、返事がない。なんなんだ。空気に、押しつぶされされる。こうならないために、遠回しな伝え方をしたはずだ。なのに。
嫌な汗が出る。喋ることしか、逃げ場が無い。
「キス、出来なかっでしょ?それで、脚本に反しちゃったから」

なぜ、それを謝るのか。キスをしなかったのは、なぜだ。あやのの為じゃなかったのか。
 それすら、隠す。それは、自分を裏切ってはいないか。だからって、どうしたら。
あやのが、自分を見ている。どこか、哀れむような視線。
ふと、冷めたような気持ちになった。悔しさが、滲み出てくる。人を好きになって得るものが、こんな視線だけなのか。
適当に折り合って、自分を騙したまま、全て胸にしまい込むのか。一体、何のための告白だったのだ。
 キスシーンを思い出す。あの時の自分。何も考えていなかった。それで、いいんじゃないか。心の底が、熱くなる。しかし、これを解き放ってもいいのか。
後悔しないこと。誰かが、そう言っていた。なら、自分は。
 あやのが、黙って立ち去ろうとする。その瞬間、決めた。
待てよ。誰のせいだと思ってる。こんなに好きなのは、誰のせいだ。わからないなら、教えてやる。
「峰岸さん」
 今から、話を戻す。こう言えば、戻せるのだ。
「話、戻すよ」
「え?」
 驚いた表情。声が大きいのか。顔が怖いのか。どちらも、どうでもいい。考えるのは、辞めた。

「最初から、これだけを言うつもりだった。好きだ、峰岸さん。俺は、君のことが好きだ」
「あの」
「ここに、呼び出した。それは、峰岸さんが好きだからだ」
「…困るわ」
「困れよ。俺も、困った。どうして、泉さんと喧嘩したと思う?キスシーンの脚本を読むたびに、君の顔が浮かんできて、台詞どころじゃなかった。
本番でキスしなかったのも、峰岸さんに見られたくなかったからだ」
「待って」
「嫌だ。さっき峰岸さん、なにが言いたいの、って言ったよね。俺は、こう言いたかったんだよ」
「言ったら、怒るわ」
 多分、本当だろう。それでも、気持ちは退かない。恥ずかしさもなにもない。体の芯が、ただ熱い。
「彼氏と別れて、俺と付き合って欲しい。彼氏より、俺を好きになって欲しい」
「やめて」
 あやのの声が、荒い。それも、愛おしい。

「今の彼氏より、俺は君のことが好きだ」
「いい加減にして。あまり、勝手なことを言わないで頂戴」
「勝手さ。さっきまで、勝手じゃない言い方を考えてた。誰かが傷つくかも、って。でも、そんなんじゃ伝わらないんだよ。
なら、俺はどこまでも勝手になる。どうやったって、始めから勝手な気持ちなんだ。誰が傷つこうと、もう知ったことじゃない。
君が傷つくなら、俺が全部飲み込んでやる。ここで断られても、絶対あきらめない。俺は」
 そう、俺は。
「俺は、峰岸さんが欲しい。君を、奪っていきたい」
 あやのは、もう喋らない。顔が赤い。泣きたいからか。
 知らずに、肩を掴んでいた。
「ずっと待ってる。でも、待たない。君の心に、居座り続ける。そしていつか」
 いつか。いつまで、かけても。
「必ず、俺を好きでたまらなくさせる」
 見つめる。青い瞳。潤んではいるが、涙は流れない。これほど近くで見るのは、初めてだ。

 うん、綺麗だな。
 断ろう。今度は、もっときっぱりと言う。そうしなくてはいけないのだ。
 星桜の樹。もうすぐ、まことが来るはずだ。あれから、一週間が過ぎている。暗鬱な気持ちを持て余し、あやのは足元の砂利を混ぜていた。
自分を見据えた、あの眼。それが、どうしても離れない。
舞台の上。ラストシーンで見せたものと、それは同じだった。こなたを腕に抱き、顔を近づける。
見開いたまことの眼は、離れていてもわかるほど深く、力強かった。前列にいた観客は、残らず引き込まれたはずだ。それは、自分も例外ではない。
あれで、何かがおかしくなった。冷ややかだった自分が、いつの間にか声を荒げていた。心を、裸にされたのだ。そこに、まことの声が流れ込んできた。
 まことが、自分を好きでいる。それを、頭ではなく、心に刻み付けられた。

 それ以来、あやのは混乱していた。一人になると、必ずまことの眼と声、掴まれた腕の感触が甦ってくる。夢に見て、目を覚ます。
 これでは、まるで。そう考えては、思考の奥に押し込めた。気の迷い。いや、もっと軽い。気のせいでしかない。そう、自分に言い聞かせた。
彼氏と過ごせば、迷いは消えるはずだ。しかし、もし消えなかったら。
このままでは、ダメだ。きっと、取り返しのつかないことになる。
それが何かも、考えないようにした。とにかく、終わらせる。こんな自分を、放っておいてはいけないのだ。
人の気配。こちらに向かっている。掌が、濡れた。
顔を上げる。間違いなく、まことだ。眼を合わせないまま、あやのは切り出した。
「まこと君、あのね」
「あ、えっと」

 まことの反応は、どこか抜けていた。それでも、眼は見ない。また、あの眼差しで見られたら。思い出しそうになるのを、喋って紛らわす。
「この間の話。私、考えたの」
「ち、ちょっと、峰岸さん」
「まこと君は、ああ言ってくれたけど」
「ねえ、待ってよ、一人で喋らないで」
 構わなかった。
「やっぱり、あなたとは付き合えない」
 まことが、押し黙る。それでいい。さらに、続けた。
「もし、私がまこと君と付き合ったら、色んな人を裏切ることになるの。彼氏だけじゃなくて、みさちゃんも。私の彼、みさちゃんのお兄さんだから」
「…そう。知らなかった」
 声に、力が無い。ゆっくりと、顔を見る。普段のまことだった。今なら、逃げ切れる。自分が嫌になるほど、冷静だった。
「あなたひとりのために、彼やみさちゃんを裏切れない。申し訳が立たないもの。
それに、今は大事な時期でしょう?こういうことで悩むのは、お互いのためにならないわ。
それにね、途中で乗り換えたところで、それは本当の恋じゃないと思うの。好きな人に恋人がいたら、私はきっと諦めるわ」
 嘘ではないが、本心でもない。ただ、まことを突き放すだけの言葉。自分は今、人を傷つけているのだ。気付くと、また足元を見ていた。
「私が、思わせぶりだったのかもしれない。それなら、ごめんなさい。でも、まこと君とは、いいお友達でいたいの。それが、私の気持ちだから」
 本当の気持ちは、自分でもわからない。わかりたくない。
 とにかく、これでいい。告白され、断った。そういうことで、いい。
 顔を上げる。まことの眼には、落胆しかない。でも、これで後腐れなく終れる。
「それじゃあ…ね。こんなこと言える筋じゃないけど、真剣に話してくれて、ありがとう。また、明日」
 まことの顔が、引きつった気がした。
 歩く。すれ違う。まことは、立ち尽くしたままだ。
 すべての言葉が、刺さった。あやのは、ろくに眼を合わせようともしない。
 当然の結果だ。拒まれる覚悟は、していた。その覚悟がちっぽけな思い込みだったことを、いま思い知らされている。
 あやのに想いを打ち明けた、自分。あの時は、一瞬の昂ぶりにすべてを任せてしまった。
言えないよりよほどいいと思ったが、ひとりになると色々なことを考えた。
 出来もしないことを、言ったのかもしれない。傷を飲み込む。好きだと思わせる。なにも考えずに並べた言葉。
そんなものに、真実があるのか。気持ちに嘘は無くても、これでは怒りに任せて殴りつけたようなものだ。

 みさおの兄の話も、いま初めて知った。それなら、自分が思っているよりずっと、絆は強いのかもしれない。
 あやのの言葉は、冷たかった。言い回しの問題ではなく、本心を語っていないように聞こえる。
自分を、拒む。それだけが、彼女の目的なのだ。それは、たまらなく辛かった。
 あやのが、話しつづけている。思わせぶり。いい友達。あしらうような、まるで中身の無い台詞。しかし、ある言葉が、心に引っかかった。
真剣に話してくれてありがとう。そう聞いた時、頭に血が上るのがわかった。ダメだ。怒る権利など、自分にはない。

 しかし、真剣とはどの口が言うのか。今語っていることに、少しでも本心があるのか。
怒りが湧くと同時に、他の感情も頭をもたげてきた。怒りと、愛おしさ。ないまぜになったものが、理性を奪っていく。
拒まれるにしても、本当の言葉で拒まれたい。このままでは、終われない。そう思ったとき、声が出ていた。自分でも意外なほど、強い語調だった。

 声だけが、聞こえた。
「峰岸さん」
 聞こえない振りをした。そのつもりだったが、立ち止まっていた。
 声の色が、違う。怒っている。初めて、緊張が走った。
「真剣にって、なに?」
 まことが、近づいてくる。逃げたくても、動けなかった。

「峰岸さん、卑怯だ」
「まこと君、どうしたの?」
「本当の恋がどうとか、誰に申し訳ないとか、なんでそんなことしか言わないの?俺は、真剣に自分の気持ちを話した。だけど今、峰岸さんは一言でも自分の気持ちを言ってくれたの?」
「怒らないで」
「答えて」
「言ったわ。全部、本当の気持ちよ」
「嘘だ」
「…嘘じゃ、ないわ」
「じゃあ、言ってみてよ。俺のこと、どう思ってる?」
 言葉が、詰まる。適当なことを言えばいいのに、それが出来ない。
「まこと君は」
「峰岸さん」

 腕を、引かれる。強い力。まことと、向かい合った。
 眼だけは、見られない。見てはいけない。
「彼氏とか、日下部さんとか、全部関係ない。君だけの気持ちを、言ってみせて。俺が嫌いなら、それでもいい。本当のことが、知りたいんだ」
 考えちゃダメ。絶対に、それだけは。
 無理に厚着をした、心。それが、剥がされていく。
「わからないの」
 言葉が、口を突いた。
「私、自分の気持ちがわからない」
 不意に、腕を掴む力が緩んだ。なぜか、振り切ろうとは思わなかった。
「峰岸さん」
 名前を呼ばれる。いたわるような、穏やかな声。怒りは、どこにも無い。
「こっちを見て」
 逆らえなかった。
顔を上げた場所。そこにある瞳に、見つめられていた。

「不安は、俺が飲み込むから。だから、本当のことを聞かせて」
 頭が、ぼうっとする。顔が熱い。心臓が、うるさくなる。
まこと。あの時の、まこと。
「君が言えないなら、俺が言う」
 本当は、知ってる。そして、知られている。自分にも隠していた、本当の気持ち。
涙が、溢れる。いろんなものが、一緒に流れた。
「君は、俺が好きだ」
 うん。そうなの。でも、それはいけないことだから。
「ふたりの人を好きでも、今はいい。俺しか見えない。そんなふうに、必ずする」
 顔を、なにかが包んだ。大きな、手。すごく、あったかい。
「こんな気持ちでいて、いいの?」
 泣きながら、喋ってる。みっともないな。
「私、きっと迷う。きっと、嫌な子になる」
「そんなこと、どうだっていい。俺といる時、俺を見てくれれば。だから、今は」
 ああ、この眼だ。見ちゃったから、負けかな。

 まこと君の顔。近づいてくる。
 ダメ。それをしたら、もどれない。
 止めないと。声をだそう。
 おねがい。まって。
 ちいさい声。きこえなかったかな。
 でも、いいの。
 くちびる、やらかいな。