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「お、伊藤。自分、良かったやん」
「何がですか?」
「今年度限りで、現国の先生が引退するらしいで。せやから、来年度から自分は教諭になるわけや」
「え!? ……でも、本当ですか?引退の話はともかく、まだ年内なのに教諭の採用が決まるとは、思えないんですけど」
「何言うとるん、ウチがデマ言うわけないやろ」
確かに、黒井先生は冗談を言っているようには見えない。という事は――。

「本当に……、教諭になれるんですか?」
「やから、そう言っとるやないか。ウチに感謝せーよ」


――永かった。やっと……、やっと教諭になることができるのか。ここまでくるのに三年もかかってしまった。
ゆたかは待ちくたびれてはいないだろうか? 愛想を尽かしてはいないだろうか?
でも、これで、ようやく伝えることができる……。

「黒井先生」
「何や?」
黒井先生には、陵桜を卒業してからもずっとお世話になった。
陵桜に戻ってこれたのも先生のお蔭、指導の仕方や生徒との接し方を教えてもらい、教師として成長できたのも先生のお蔭。
ネトゲ……は置いといて、教諭になれるのも、先生が推薦してくれたからだろう。その気持ちを言葉に込める。
「ありがとうございます。先生がいなかったら、もっと時間がかかっていたと思います。なんて感謝したらいいか……」
「そんなに感謝しとるんか、なら、そやな……。自分は、確か小早川と付き合うとるんやったな」
ちなみに、黒井先生はゆたかのクラス担任になったことがある。
「はい、そうです」
「やったら、小早川を幸せにしたってや。それで勘弁したる。ほんまは、息子をマリーンズにって言いたいとこやけどな」
豪快に笑う黒井先生。
この人には適わないな、なんて思った。尊敬してる、本当に。
「当たり前ですよ、俺はゆたかを愛しているんですから」
「おっ、言うやないか。その気持ち、忘れたらあかんで」
「わかってます」

その日の放課後、俺は未だ職員室に残っていた……。
あんな事を言ったものの、俺の気持ちが一方通行の可能性は0ではない。
八年間も付き合っていて、何を言うのかと思うけれど、やはり不安がある。0でなければ、それは不可能ではないのだ。
以前、色々な人にへたれと言われた気がするが、それは間違いではないようだ。思わず溜息をつく。

「よう! まことせーんせっ!」
予想外の背後からの奇襲。風船が破裂したかのような大きな音と背中に痛み。
こんなことをするのは同期に陵桜に帰ってきたあの人しかいない。
「痛いよ、日下部さん」
振り返れば、いつもの頭の後ろで腕を組むポーズで、笑っている日下部さん。
スーツ姿が凛々しく、似合っている。
「あんだよ、何か落ち込んでるから、活を入れてやったのに」
「度を越えてるよ……」

日下部さんは俺と同じく、教師として陵桜に帰ってきた。
ただし、高校・大学と、陸上部で上位の成績を残している日下部さんは、陸上部の顧問を引き受け、早々に結果を残し、その功績を認められ、既に教諭となっていた。
あの日下部さんが、まさか指導力が高いとは思っていなかった。しかも、生徒とも友達感覚な日下部さんは、部員だけでなく、多くの生徒から親しみ易いと人気らしい。
どことなく、黒井先生の姿と重なる。
「細かいこと気にすんなって。それで、どーしたのさ?」
「うん、実は――」


「チキン」
「うわ、またへこむことを、あっさりと……」
「私は、回りくどいの嫌いなんだよ」
日下部さんは、俺なんかよりもよほど男らしい。だから、あんなにもスーツ姿が凛々しいのだろうか?
「大体、私に言わせりゃ、贅沢な悩みだ!」
「どこがどう贅沢なのか、俺にはわからないよ。不安なのに、贅沢だなんて」
告白とは違う。断られれば、今までの楽しかった日々も、辛かった日々も、ゆたかを思うこの感情も意味を失ってしまう。
それを恐れることが、贅沢とは思えない。

「まこと、それは、彼氏がいない私への当て付けか?」
「あ――、ごめん」
「謝んな! そこフォローするとこだから!!」
「フォローって……、俺が言っても、嫌味にしか聞こえないだろ?」
「それでも、フォローしてくれって。ちっとは気が紛れるだろ?」
「そんなものかな?」
「ああ、もう! 空気読めよ!」
「ごめん」
「いいよいいよ、どーせ私は、売れ残りが決まったクリスマスケーキだよ!」
「……」
いつかの黒井先生と同じような事を言っている。本当に姿が重なる。
でも、さすがに売れ残ることはないだろう。人として魅力的でなければ、あんなに生徒に好かれはしない。
ただ、黒井先生の例があるから、確実とは言えないけれど。

「何にせよ、私が言えることは一つ。自信を持て」
「え?」
「あのな、普通に考えて、好きじゃなけりゃ、八年も付き合えないっての」
「それもそうだけど……」
「もっと堂々としろよ! おまえがそんなんじゃ、彼女の方が不安になるっつーの」
それは以前、岩崎さんから言われた事と同じ事だった。俺はあの時から、何も進歩していないじゃないか。
何故、こんなにも大切な事を、忘れていたのだろう。

「……そう……だよね。ありがとう、日下部さん。大切な事、思い出したよ」
「大切な事なら忘れないようにしとけっての」
「うん、もう忘れないよ」
二度も忘れるわけにはいかない。もう、不安には負けない。ゆたかが安心できるように。

「しっかし、あやのといい、まことといい、私の周りのやつはみんな幸せそーだよな」
「俺はこれから、だけどね」
「うむ、まあまあかな。少なくとも、チキンよりはマシだな」
「赤点は回避か、良かった。それにしても、峰岸さんは、もう二人子供がいるんだっけ?」
「そうそう、五歳の息子と二歳の娘。高校卒業と同時に結婚ってのも含めて、手が早いよな、兄貴」
「でも、幸せそうだよね」
「そりゃそーだ、あやのを不幸にしたら、兄貴といえどもぶっとばす!」
「優しいね、日下部さん」
「ううううっさい、おまえもだぞ!」
「え?」
「私は、ハッピーエンドが大好きなんだ! だから、彼女を幸せにしないとぶっとばすからなっ!」
「わかってるよ。俺だって、ハッピーエンドがいいしね」
まったく、黒井先生といい、日下部さんといい、最近はプレッシャーをかけるのが流行っているのだろうか?

「さーて、私も早く、彼氏作らないとな。今度、柊と作戦会議でもするか」
「今は忙しいだろうから、あんまりかがみさんに迷惑かけちゃダメだよ」
司法試験に合格した、と連絡があったのは、三ヶ月程前の事だ。現在は司法修習の最中だろう。
「いやいや、きっと柊も、そろそろ焦ってるって。あやのの話を聞くと、いっつも羨ましそうにするんだぜ」
かがみさんは、恋愛願望が強い。かがみさんの言葉や態度の節々から、それはどことなく感じ取れた。
目の前にいる日下部さんだけでなく、かがみさんにも伝えるように、俺は言葉にする。
「あんまり羽目を外さないようにね。いつかはきっと、いい人に会えるから」
「あんがと。そっちも、結果報告待ってるかんね」
良い結果報告と言わないあたり、日下部さんらしい。
「んじゃ、またな」
「うん、お疲れ様」

さてと、覚悟も決まった。後は、気持ちを伝える――プロポーズをする――だけだ。
……しかし、プロポーズ、か。
どのような感じにすればいいか、あの人のところへ相談に行ってみよう。
きっと、色々な助言をもらえるはずだ。