八坂こうの場合 前編
桜藤祭も無事終了し、いつもの陵桜の姿に戻りつつあるようだ。 俺はというと、やや受験モードに入りつつも、相変わらずみんなとゆるーい時間を過ごしている。 まあ、変わったことがあるとすれば、気がついたら交友が広がっていたということだろう。 桜藤祭が終わってからは、今までずっと陵桜にいたのではないかと思ってしまうほどだ。「はあ……、今日はもう数学のことは考えたくないな……」 最近日課になっている、みんなとの勉強会が終わった。 現在、俺はややグロッキーな状態で、玄関へと向かっている。すると――。「あれ? 伊藤先輩じゃないっスか、お久しぶりっス!」 見知った後輩に出会った。「田村さん、久しぶりだね。桜藤祭以来かな?」「そうっスね。……えーっと、もしかして、勉強してました?」「そうだけど……、わかる?」「顔にすごく出てるっス」 どうやら、見てわかるほどグロッキーだったようだ。「あー、やっぱりか……。それで、田村さんはこれからアニ研?」「そうっスよ」「掃除当番か何かで遅れたの?」「そうなんスよ! 掃除のときに小早川さんと岩崎さんが……」「えっ、掃除は?」「わ、わかってはいたんスけどね。つい……妄想を」「田村さんらしいね」「まあ、そういうわけで、急いで部室に行かないとこうちゃん先輩に怒られるっス」「もしかして、締め切りが近いの?」「違うっスよ。こうちゃん先輩が原作で漫画を作ることになってるんスけど、それのネームを今日見てもらう予定になってるっス」「そうなんだ、……八坂さん忙しいのかな?」 永森さんとはちゃんと再会できたのかを聞きたい。 漠然と再会できたものと思い込んでいるけれど、実際は再会できていないという可能性もある。「そこまで忙しくはないはずっスよ。だから、こうちゃん先輩に会ってきます?」「うん。お願いするよ」「こうちゃん先輩、遅れてごめんなさいっス」「遅いよひよりん! 何してたの? ……って、まこと先輩?」「久しぶりだね、八坂さん」「あ、お久しぶりです。アニ研に何か用ですか?」「アニ研というか、こうちゃん先輩に用があるみたいっスよ」「あれ、そうなんですか?」「うん、永森さんとちゃんと会えたのかなって」「まこと先輩のお蔭でバッチリでしたよ! いや~、あのときはありがとーございました」「いやいや、俺は頼まれてたことを伝えただけだから」「そーいえば、何で約束のこと知ってたんですか? あれはやまとしか知らないはずなのに」「う~ん、俺もよく覚えてないんだよね。確か、永森さんに伝えてくれって頼まれたような気がするんだけど……」「でも、やまとに聞いても、まこと先輩のことすら知ってませんでしたよ」「あれ? 変だな、何か忘れてることがあるのかな……」「まさか、やまとをストーキングしてたわけじゃないですよね?」 八坂さんの目が鋭くなる。いや、マジで怖いんですけど……。「そ、そんなことしてないよ! 何て説明したらいいのかわからないけど、なんとなく知ってたというか、わかってたというか!!」「冗談ですよ、まこと先輩がそんなことする人じゃないって、わかってるし」 満面の笑みの八坂さん。なんか本当に楽しそうだ、人が悪いなまったく。「はあ、本気で疑われてるのかと思ったよ」「まこと先輩のお蔭でまた会えたんですから、疑うわけないじゃないですか~」「あんまりからかわないでくれよ。ただでさえ、普段からこなたさんにからかわれてるんだから」「あんまり気にしちゃだめですよ~。まあ、せっかく来たんですから、ゆっくりしていってね!」「ゆっくりって……、もう用件は済んだんだけど」「じゃあ、まこと先輩もひよりんのネーム見てきます?」「ちょっ、何言ってるスか! せめて見せるのは完成してからにしてほしいっス!」「ひよりんはああ言ってますけど、どーします?」 あんな反応を見てしまっては、逆に興味が湧くというものだ。「じゃあ、見させてもらおうかな」「いっそ殺してほしいっスー!!」 ごめんね、田村さん。「それで、何で今日もいるんですか?」「え? い、いやー、ここなら落ち着けるかなーと」「部活動中だから、静かにしててもらえれば構わないですけどね」「うん、わかってるよ」「でも、数学から逃げるために使われるのも、どうかと思いますけどね~」「えっ……」 八坂さんがジト目で俺を見る。前回お邪魔させてもらったときに、数学嫌だーと言ってしまったのが失敗だったか。 あぁ……、ニヤニヤされてる……。なんか凄い恥ずかしくなってきた。「嘘ですよ、ウ・ソ」「へ?」「締め切りが近くなければ、いつでもどーぞ。それに、私でよければ愚痴でも聞いてあげますよ」「……またこのパターンか」「いや~、まこと先輩はちゃんと反応してくれるから、つい楽しくて」「まあ、別に構わないけどね」「からかった分、話し相手になるから許してくださいね」「それは気にしてないから大丈夫だよ。というか、八坂さんも活動しなきゃいけないだろ?」「そーなんですけど、ネタってのは案外人との会話からも出てきたりするんですよ」「へ~、そうなんだ?」「ひよりんがたまに描いてる、あるあるネタなんかは特にそーですね」「何がネタになるか、わからないもんだね」「そーですよ。だから、ネタをくださいね、まこと先輩!」「う~ん、努力はしてみるよ」 八坂さんの無邪気な笑顔に元気をもらう。 まだまだ受験生のゴールは先なのだから、こんなところで音を上げてはいられない。「なんだ伊藤、また来てるのか」「桜庭先生、またお邪魔させてもらってます」 またアニ研へやって来ているけれど、最近は数学から逃げて来ているワケではない。 かがみさんは、こなたさんとつかささんに付きっ切りで忙しく、みゆきさんは物凄く集中して勉強しているので、邪魔したくないのだ。 しかも、八坂さんは生徒会会計の力か、数学が苦手なわけではないので、たまに教えてもらっている。 後輩に数学を教えてもらうというのは、何やらおかしな状況ではあるけれど……。「ふむ、しかしよく来るな。そんなに八坂に会いたいか?」「そんなところですね」「え、そうなんですか!? いやあ、何か……照れますね!」 顔を赤くしながら、照れ笑いをする八坂さん。 こなたさんたちは、こういう反応はしない気がするから、何か新鮮だ。「八坂さんがいれば、愚痴を聞いてもらえるからね」「そういう意味だったんですか。いや、確かにそう言いましたけど……」「八坂さんはどういう意味だと思ったの?」 いつもからかわれてばかりだから、たまには反撃だ。「え? そんなの……秘密に決まってるじゃないですか!」「いや、そんなこと言われたら、逆に気になるよ」「なりません! ならないから忘れてください!」「そ、そんな無茶な! 桜庭先生も何か言ってくださいよ」「……若いっていいな」「桜庭先生!?」 こうして、放課後の時間は過ぎて行く。本日もアニ研は賑やかだ。 ……部員のみなさん、ごめんなさい。「はあ……、もうすぐ模試か……」「大丈夫ですよ、ちゃんと勉強したじゃないですか」「それでも不安だよ、結果を出せるかはわからないわけだし」「気にしないのが一番ですよ。気負い過ぎると、逆に空回りしちゃいますから」「……そうだよね、リラックスして模試受けた方がいいに決まってる」「そーですよ! というわけで、賭けしません?」「えーと、もしかして、俺の模試の結果で?」「もちろん! 私も少し手伝いをしたわけですから、いいですよね?」「うん、構わないけど、一体どうやって賭けをするの?」「まこと先輩が自己ベストを更新するかしないかで!」「う~ん、またえらく大きく出たね」 確かに、かなり勉強をしてきた。けれど、それでも中々超えられないから、自己のベストと言うわけで。「大丈夫ですって! そもそも、自信を持たないとベスト更新なんて無理ですよ!」「その通りだとは思うんだけど、なんというか、俺より八坂さんの方が自信を持ってる気が……」「私が自信を持ってるのは当たり前ですよ、これまでのまこと先輩のがんばりを見てたんですから!」 そんなことを真剣に言われると、すごく照れる。「……八坂さん、ありがとう」「お礼を言うなら、ベストを更新してからですよ」「それもそうか。でも、八坂さんは更新できないに賭けるんだろ?」「何でそーなるんですか! 更新に賭けるに決まってるじゃないですか!」「それじゃ賭けにならないって」 自分がベスト更新しないに賭けるなんていうのは、まずありえないことだ。「それなら、ベスト更新したら何かご褒美ってことでどーですか?」「うん。それがいいかな」「それじゃあ、どーします? ゲーセンでも行きますか?」「いや、どうしてご褒美でゲーセンに……。行くなら、映画の方がいいな。見たい映画があるんだ」「なら映画で決まりですね! ……でも、まこと先輩をゲーセン色に染めたかったな~」「染めないでもらえると助かる」「そーですね、またの機会にします」 どうやら、あきらめてくれていないようだ。 けれど、一応目標も定まった。後はベストを尽くすだけだ。 結論から言うと、俺は自己ベストを更新した。そして、現在約束した場所で八坂さんを待っている。 待っているのだけれど、八坂さんはまだ来ない。そろそろ待ち合わせの時間から、三十分が過ぎるところだ。 何かあったのだろうか? ここまで遅れていると心配になってしまう。 そもそも、一番気になるのは、なぜか永森さんがここにいるということだ。どうやら、誰かを待っているように見えるけれど……。 しかも、永森さんは俺のことを覚えていないと聞いているのに、俺の方をチラチラと見てくる。 一体全体何がどうなっているのか、まったくわからないぞ……。 と、そんなことを考えている間に、八坂さんがやってきた。「ごめーん! まこと先輩、やまと、待った?」 え……と、余計にわからなくなったぞ。「八坂さん、これはどういうこと?」「実は、やまともこの映画を見たかったらしくて、一緒に行こうってことになったんですよ。……連絡するべきでしたね」「連絡してなかったの?」「いやー、最近妙に筆が進んで、その……忘れてた。まこと先輩、すみませんでした!」「謝ることじゃないよ、俺は別に構わないしね」「そーですよね! 女子高生二人と映画なんて、いいシチュですよね~」「こう、反省してる?」「はい、反省してます、すみませんでした」「前に約束は守るって言ったわよね?」「本当にごめん。ちゃんと時間に来れるはずだったんだけど……」「また亡くなったおじいちゃんの葬式?」「な、永森さん、そこまでにしてあげようよ。時間はまだ余裕があるんだから」「こうはいつも二、三十分遅れるのよ。だから、私が余裕を持てる時間を指定したの」「そうだったんだ……。さすがに八坂さんのこと、よく知ってるんだね」「付き合いが長いから。それと、こうが集合時間にルーズなのは、覚えておいた方がいいわ」「そうさせてもらうよ」「なんか、すみませんね」「俺は気にしてないから大丈夫だよ、そういうところも含めて、八坂さんなんだって思ってるから」「うーん、あまり嬉しい認識じゃない気が……。でも、ありがとうございます」「気にしないでいいよ。それじゃあ、映画館に向かおうか」「まこと先輩、飲み物何がいいですか? 私が買ってきますよ」 席に着き、上映を待っていると、八坂さんが突然聞いてきた。「いや、いいよ。俺が買いに行くから」「何言ってるんですか! 今日はベスト更新のお祝いなんですから、主役は休んでてください!」「あ、……うん。……じゃあ、コーラをお願いするよ」 映画館だと、なぜかコーラが飲みたくなるのは、俺だけだろうか?「わかりました。それじゃちょっと行ってきますね」 う~ん、でも、これで良かったのだろうか? なんか押し切られたような気がする。「押しに弱いのね」「うん、俺も今そう思ってたところだよ」「……それにしても、こうがまこと先輩まこと先輩ってうるさいから、どんな人なのかと思ったら、聞いてた通りのお人良しで驚いたわ」「えーと、それってどう受け取ればいいのかな?」「褒めてるのよ。まこと君なら大丈夫だって」「そうなのか、ありがとう永森さん。……って、それどういう意味?」「そのままの意味よ。だって、こうのこと好きなんでしょ? 会うために部室に通うほど」「ええ!? それは……」 ないと言い切れるだろうか? 八坂さんに会いたいと思って、アニ研に顔を出していたのは事実だし、八坂さんに以前から惹かれているのも事実だ。「まあ、よく考えてみるといいわ。……けど、不思議なものね。初めて会うはずのに、こんなに会話がスムーズだなんて」 会うのは初めてではないけれど、永森さん本人には初めて会う。なんというか、説明が難しい。 しかも、そのことについての記憶は、もはや風化してきている。だから、無理に説明しない方がいいかもしれない。「きっと、八坂さんから俺の話を聞いて、ちょっとした俺のイメージができてたからじゃない?」「そう……かしらね」「俺はそうだと思うよ」「まだ納得はできてないけど、それが一番ありえそうな話ね」「おまたせしましたー!」「おかえり、って八坂さん、その手に持ってるのは?」「え? いやー、限定って言葉には魔力があると思いませんか?」「確かに、特に日本人には効果バツグンだよね」 俺も行っていたら、劇場限定商法にやられていたかもしれない。「中々面白かったですね」「そうだね、期待以上だったかな」「そうね、面白かったわ。それに、こうは衝動買いもしたし」「やまと、一言余計っ! それに、本人はいい買い物したと思ってるんだから!」「本人がそう思ってるなら、それでいいけど」「まあ、みんな楽しめたならそれが一番だよ。だから、今日はいい一日になったよね」「何言ってるんですか、まこと先輩! まだ、今日は終わってませんよ!」「へ?」「せっかくのオフ日なんだから、一日フルで楽しまないと損です! てわけで、カラオケでも行きましょー!」「その提案は中々魅力的ね」 な、永森さんが乗り気だ……、これはもう誰にも止められないかもしれない。 けれど、個室に男一人・女二人の構図は、中々にマズイシチュエーションではないだろうか? 俺も男なのだから、精神衛生上あまりよろしくない。「その気遣いは嬉しいんだけど、ほら、せっかくのオフなんだし、しっかり休むって手も……」「その言い逃れは、悪あがきでしかないわ」「逃げ場はないよ、まこと先輩!」 両腕をしっかり二人に拘束され、カラオケへと連行される俺。 八坂さんのことだから、きっと無意識だろうけど、俺の腕が胸に圧迫されている! な、なんて攻撃力だ! まるで断れる気がしない! こうなったら……、あきらめて歌いまくるしかない! ――結局、精神衛生上は特に問題も起こらなく、カラオケを楽しむことができた。 しかし、俺の声が戻るのに、長い時間が必要とされたのは当然の結果だった。
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