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好きだ!


ラッシュにはまだ間がある朝の電車は、立っている乗客を数人数えられる程度に空いていた。
桜田ジュンは吊り革につかまり、愛を叫び続けていた。
目の前に座っている銀髪の女性はうんざりして彼を盗み見る。
ジュンが好きだと叫んでいる相手は、銀髪の女性の右隣に座って文庫本を読んでいる女性だ。


好きだ!


彼女が不意に文庫本から顔を上げた。びっくりして怪訝そうに辺りを見回している。
その動きに、つい顔を向けてしまったジュンと視線がぶつかった。見つめ合う形になっても、ジュンの心の中で「好きだ!」と言葉がもれていた。


彼女の顔が真っ赤になる。慌てて顔を伏せ、読書に戻ったが、明らかに文字を追っていない。
彼女は電車を降りる直前に顔を上げ、ジュンをしばらく見つめてから降りた。
ジュンもその駅で降りた。それに気付いて彼女はジュンをホームで待っている。

「あの、さっきのあなたですか?」

興奮で彼女の表情が輝いていた。

その日、仕事が終わった後、僕たちは朝のホームで約束した喫茶店で会っていた。

「信じられませんわ。でも確かにあなたの心の声が聞こえたんです」

雪華綺晶に今朝の興奮が戻っていた。

「だけど僕にはそんな超能力みたいな力はないよ」

すでに話しはじめのぎこちなさは去り、二人の会話は急速に親しいものになっている。

「もう一度、やってみてくれませんか?」
「うん。……聞こえた?」
「ダメですわ、聞こえません。何とおっしゃったんですか?」
「好きだって言ったんだ」

彼女は照れ臭そうに微笑み、ゆっくりとうなづいた。



先週の水曜、僕は雪華綺晶の乗っている各駅停車の電車に初めて乗った。
普段はもっと遅い時間、超満員の急行電車を通勤に使っているのだが、その日ははやく目がさめてしまい、たまにはと家をはやく出てみたのだ。
そして、出会った彼女に一目で恋してしまった。

その翌日からは、同じ電車に乗るためだけに早く起きるようになった。

「でも君の前には立てなくて。最初に見かけた日と同じ、銀髪の女の子の前の吊り革につかまってたんだ」
「そうして私のことを見ていたんですね」
「そう。左手の薬指に指輪をしていないこととか、本を読むのはそれほどはやくないこととかね」

彼女は笑って聞いている。

「一歩間違えればストーカーですわ」
「自分でもそう思ったんだけど……他に何も思いつかなくてさ、ごめん」
「いえ、気にしてませんわ」

まったくその通りだ。やっていることはストーカーとなにも変わらない。彼女が優しいひとで良かった。

「君は毎朝同じ車両の同じ場所に座ってたから見つけるのが楽だったよ」
「座席の左端が銀髪の女の子、隣が私、その隣が髪の長い受験勉強中の女子高生。
この三人はいつも同じ席なんです。始発駅から一緒なんですよ」
「そういえばそうだな。いつも同じだった気がするよ。
実は土曜も同じ時間に行ってみたんだ」
「あっ、私、土日は休みなんです」
「僕もそうなんだけどさ、会えるかと思って」

恋しさがいっそうつのり、しかしどう声をかけていいのかわからない僕は、月曜から心の中で好きだと叫びはじめたのだった。


目の前にいる彼は、私に今日までのことをひとつひとつ説明してくれている。
本当は私も先週の水曜から彼には気付いていた。

いつもと同じ時間、同じ車両の同じ乗客たち。そこに飛び込んできた彼に目を奪われた。
特別見た目がいいわけでもないのになぜか気になって仕方なかった。
そんなひとと今こうして話をしているのだ、これっきりにしてはいけない。

「あの、よろしかったらもっとお話ししませんか? お酒でも飲みながら」



私達は居酒屋に入った。気取らずに飲めて食べられる店がいいという私の希望だった。
カウンターに座り、私達は飲みはじめる。緊張をほぐすために私は速いペースで飲み続けた。
泡盛のグラスに氷を一つ落として飲む私の姿に、彼が目を丸くしていたのがおかしかった。
彼はあまり、お酒に強いほうではないらしい。


しばらくして、私達は店を出て駅までの道を歩いていた。

「私達、電車の中でお話しするのはやめましょう。ああいう場所でベタベタするカップル、好きじゃないんです。
それに私の右隣に座っている女の子は参考書を読んでますし邪魔しちゃ可哀相ですわ」
「カップルって言ったって僕はまだ返事を聞かせてもらってないけど?」

そういえばそうだ。私はなにもこたえていない。
でも彼だって付き合ってほしいとは言っていない、それなのに私だけこたえなければいけないのはなんだかずるい気がする。
急に彼をからかってみたくなる。

「あら、私だってまだ告白されていませんわ」
「えっ?」
「ちゃんと言ってくださいませんとわかりませんわ」

悪戯っぽく笑いながらそう言うと、彼は立ち止まり、私に体を向けた。

「えーと、君のことが好きだ。……付き合ってくれないか?」

照れながら言う彼が可愛くて、私は彼の頬にキスをする。

「ええ、よろこんで。不思議な出会い……こういうのを運命の出会いって言うのかもしれませんね」

恋愛に奥手だった私とは思えないほどのはやい展開だった。

翌朝、僕は雪華綺晶の前の吊り革につかまった。
僕たちは言葉を交わさなかったが、席を立つ時に彼女は僕に向かって微笑み、「行ってらっしゃい」と僕の耳元で囁いた。



好きだ!
電車を降りて、ホームを歩いて行く彼女の背中に叫んだが、僕の心の声が彼女に届くことはなかった。

始まりそうで始められない、そんな関係を後押ししてくれたものは一体なんだったのだろう。

幽霊やら科学で解明出来ないようなものを信じない僕だったが、この出会いがあってからはそういうものもあるのかもしれないなと思うようになった。

そんなもののおかげで僕と彼女は付き合えたのだから。


好きだ!

大声に驚いて私は目をさます。
どうやらそれは、斜め前に立っている眼鏡をかけた男性が、ついさっきまで私の右隣に座っていた女性に対して発したものらしい。


まったく……今日もなのぉ? こんなことなら手助けなんかしなきゃよかったわぁ。


私には、聞きたくなくても他人の心の声が聞こえてしまう能力が生まれつき備わっていた。

ものごころがつくころにはそれを遮断する術を身につけていたが、彼のように一途に叫ばれると、障壁のようなものを突抜けて声が届いてしまうのだ。

昨日、私はあまりにもうるさかったために、男性が「好きだ!」と叫んだと同時に、私も心の中で「好きだ!」と叫び、隣に座っていた女性に伝えた。
二人の視線が交わった時にもう一度。
その能力も生まれつきのものだった。


他人にはない能力を、極力使うことなく私は生きてきた。
そういう生き方をしてきた私だから、昨日は一日中、余計なことをしなければよかったと後悔していた。
でも、私のお節介の結果は二人にとっていいものだったようだ。


まぁ少しは静かになったしこれでよかったのかしらねぇ。

ありがとう、助かったですぅ。あのメガネ、毎朝うるさくて困ってたです。


どこからか声が聞こえてくる。それは私以外の乗客には聞こえていないらしい。
ふと、右を向くと、いつも受験勉強をしている髪の長い女子高生と目が合った。


あなたもなのねぇ、どういたしまして。


心の声を彼女に飛ばし、私はふたたび眠ろうとして目を閉じた。

fin
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