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  僕に出来ることは何だろう、と思う。


  人並みに学校へ行き、人並みに友達を作り、人並みの暮らしを営んできたつもり。

  そんな折、僕はあることをきっかけに、学校へ行くことをやめてしまう。所謂登
校拒否とか言うやつだ。

『裁縫が得意だって?』『女の裸を想像しながら、デッサンとか考えるんだろ?』

――全く以て、馬鹿馬鹿しい理由。だけど、その馬鹿馬鹿しい言葉を投げかけられ
て、僕は打ちのめされた。学校の生徒全員に、知られてしまった事実。恥ずかしさ
と悔しさで、僕は自分の存在そのものを、消してしまいたかった。

  両親は海外へ仕事に出ていてる為に家には居ない。姉と二人暮しをして、今をぼ
んやりと生きている。姉には随分心配をかけてしまっているし、そしてそれに対し
申し訳ないとも勿論思っている。
  ただ、頭でどんなに『平気だ』と考えても、心が何かを拒否しているような感覚
が拭い切れない。きっと、頭と心は、切り離された働きをしているものなのだろう
と……少しだけ、思う。

「……けほっ、けほっ……」

  もっぱら自分の部屋に引きこもっているけれど、最近何故かよく咳が出て、胸の
辺りが痛い。痰が絡むのが酷く不快だった。昔から身体はあんまり強いほうだとは
言えなかったので、何かしら風邪でも引いたのかもしれないなどと考えていた。


  中学三年という大事な時期に、何をやっているものか……

  そんなことを思いながら暮らしを送っている最中、僕は夢を見た。


  廃墟の街、とでも言えば良いのだろうか。其処は何だか薄暗くて、とてもとても
寂しさを感じさせる光景だった。建物は、その古さのせいか崩れて傾いている。僕
はその街を一人歩いていて。
  道の脇には、朽ち果ててぼろぼろになった人形が打ち捨てられていた。

「……」

  その人形に近づく。何となく、悲しいと思ったから。学校の友人達には秘密にし
ていたこと――僕は裁縫が得意だ。簡単な人形や、それに着せるための服程度のも
のならば、さくさくと縫えてしまう。

  この人形達を、直したかった。壊れた人形は、『存在を終えてしまった状態で、
しかし存在している』。そして、その存在は――壊れてしまった、という状態を見
るにつけて。存在そのものに意味は無くなってしまったのかもしれない、と思った。
ただ、其処にあるだけ。
  そして。僕という存在も……意味は無くなってしまったのだろうか?

  そういう台詞を姉の前でしたならば、いよいよもって姉は泣いてしまうと思うの
で言わないけれど。ただ無為に暮らし続ける最中で、僕は確かに『存在の意味の無
さ』具合に考えを巡らせていることは事実なのだ。

  そんな僕がこの人形達を直してあげたいと思うのは、可笑しい話なのかもしれな
い。姉は日頃、僕を励ますためによく声をかけてくれる。普段は邪険に返してしま
うけど……案外と、この光景を眼の前にした僕の気持ちと、同じような感情を姉も
抱いているのかもしれない。

  もっとも。直そうと思ったところで、今僕の手元にはそれをする為の裁縫道具が
無い。そのことに少しだけ歯痒さを覚えながらも、僕は壊れた人形の一つを手に取
る。


『――願うの? その存在を終えた人形――それらに、また意味をつけてあげたい
  のかしらぁ?』


  声が何処からともなく響いてきた。女のひとのものであると感じられるそれ。初
めて聴く筈なのに、何処か懐かしさを感じさせる……声。


「誰だ?」


  僕は辺りを見回す。だけど、誰も居ない。この廃墟の街に、僕以外の人間など存
在しない。そう――そんなことを思っている僕の眼の前に、不意に現れた存在は。
『人間』では、無かった。

「なんだよ。ひょっとして神様ってやつか」


『あらぁ……面白いことをいうのねぇ、貴方。神は偶像。人間が作ったものなので
  しょう? 人々の願う心が、その形を作り上げたのよぉ。神は作られる度に、崇
  められ。そして忘れ去られ、空想上のものになっていった――ひょっとしたら、
  本当に居たかもしれないわねぇ。貴方や私が存在するより、ずっとずっと昔に』


  僕の眼の前に、舞い降りてくるもの。


『―――だけど。そうだとしても、きっともう。神様は死んじゃったわぁ』


  ―――それは。確かに神様と呼ぶには少し似つかわしくない、黒い羽根を持つ……
  "黒き天使"であると、僕は思った。




【ゆめまぼろし】第八話 ジュン





  眼の前に現れた存在は、一言で言うと『圧倒的』であると感じた。天使にしては
黒い羽根を持っていて……本来なら不吉な印象を抱いても致し方ないものとも思え
るのだが、この溢れ出ている、優しさに満ちた……母性のようなものは、何だろう。
そして、何より。その姿の美しさに、魅入られてしまう。

  天使に性別があるかどうかは知らなかったが、取り合えず"彼女"は――今完全に
地面に降り立ち、そして僕の眼をじっと見つめてきた。


『始めまして、になるのかしらぁ? "今の"貴方に逢うのは……お名前は、何?』

「……桜田、ジュン」

『そぉ。じゃあ呼び方はジュンでいいわねぇ。……私は、水銀燈って言うのよぉ』


  取り合えず、聞かれたから名前を答え、向こうからも自己紹介をされた。……
可笑しな夢だ、と思う。大概夢と言えば曖昧なイメージなものだと思っているし、
今まで見てきた夢だって大方はそうだった。だけど、今眼の前の存在――水銀燈、
と言ったか――は、その"在り方"が、あまりにも顕わであると感じる。
  それに、さっきから感じる、何かしらの懐かしさ。それも僕自身の思考を少なか
らず惑わせているような気がした。

  その紅い瞳は、まだ僕の眼を捉えたまま、逸らされることが無い。

『……成る程。確かに似てるわねぇ……ずっと待ってきたけど、やっぱり運命は
  予め決められてるものなのかしら。それにしても、随分待ったものだわぁ』

  そんな彼女の言葉に対し、僕はその狙いに見当がつかない。

「何を言ってるのか、わからないんだけど……」

『それを伝えるために、私が居るのよぉ。だって、私より後の血筋で……この夢
  の"世界"に辿りついたのは、貴方が最初なんだもの。

  貴方は、貴方の存在を……闘う為に、捧げることになるんだわぁ。

  ねぇ、ジュン、貴方は"悪夢"って言葉、わかるわよねぇ』

「……悪い夢か。それがどうかしたのか」

『そう、悪い夢。……それは不吉の象徴で、人々の心の中に潜むもの。
  私の一族は、そんな曖昧な悪夢と闘う力を持っていたの。苦しむ人々を助ける為に。

  夢は眠っているときに見るものよねぇ? 悪夢も、まあ些細なきっかけで見る
  こともあるでしょう。……でも、ちょっと度を過ぎた"悪夢"になると、それを
  放っておくと……不吉な出来事が、起きてる時間に這い出てこようとするのよぉ。

  それは知ってたかしら?』


「知らないし、知りたくもないよ。そんなことは」

  そう。そんなことを知って何になるというのか。僕は今、自分のことだけで精一
杯だというのに……
  そんなことを思う僕を見つめる水銀燈の眼は、何処か寂しげだった。

『……私のお父様も、悪夢と闘う力を持つ一人だった。勿論、随分前に死んで
  しまったけれど』

「……寿命か? それとも……」

  その、悪夢とやらに取り殺されたのか。

『違うわよぉ、お父様は殺されたのぉ。……人間にね』

「どういう、ことだ?」

『ジュン、貴方は魔女裁判って知ってるかしらね? あれに近いことが、お父様の
  身にも起こったのよ。お父様は悪夢と闘う能力をみだりに誇示するひとでは無かった。
  現に私もある時期までは知らなかったし……

  目立たぬように人々の助けになったりしていたのだけど、何処で話が摩り替わった
  のか……『お父様が居る所には不幸な出来事が起きる』という事になってしまった。

  当たり前よねぇ……その前兆である悪夢の存在を察知して、其処にお父様が現れる
  んですもの。その人たちを、助ける為に。

  私も悪夢と闘う力は持っていたけど、家族――私の、母親ね。その夢の"世界"に入
  り込むとき以外で、私が闘うことをお父様は許してくれなかった。
  そして、お父様が助けた人物の一人が……住んでいた村の上層に密告したの。

  "夢の中に入り込む化け物が居る"と』

「……」

『都市から離れた小さな村だった、というのが良くなかったのかしらねえ。直ぐに
  噂が広まって……お父様は、それでも言い訳をしようとはしなかった。

  "これが自分の運命なのかもしれない"と。そんなことを言って、村人と話し合う
  為に出かけて行って……そのまま帰らぬひとになった。私が十八歳の頃だったか
  しらぁ……

  ……信じられる? 普通の人間とちょっと違う力を持っていたからといって、魔
  女狩り紛いのことが実際に起こったの。中世ヨーロッパじゃあるまいし……

  私は悲しみにくれた。復讐することだって、勿論考えた。

  けどお父様は、手紙を残していてね。そこで私は知るの。

  お父様が、稀代の魔術師であったこと。
  そして、お父様が犯してしまった過ち……この世の因果の流れを乱し、
  ある"呪い"を世に体現してしまったこと。
  その報いはいずれ自分に降りかかり、"呪い"を滅しきるには恐らく時間が足りない。
  その為に、私達に遺した魔法のこと……

  そして最後にこう書いてあった。……

  "苦しむ人々を助けてあげなさい。だけど、自分自身の幸せを、決して見失ってはならない"』

「……っ!?」

  勢いよく、水銀燈はその翼を広げた。なんて大きな……漆黒の、羽根。

『運命の歯車は廻り……遺された私と母は、その村を出たわぁ。復讐は、何も生まないから……
  第一、それじゃあきっと、お父様の教えに反するもの。誰も幸せになれないから。
  他の土地に移って、私は……悪夢と闘うための道を選んだ。

  だけど……私の子供には、その力が受け継がれなかったの。
  血族の変異かどうか知らないけれど、悪夢と闘う力は私の実子には現れなかった』

「……」

『ひょっとしたらお父様は、それを望んだのかもしれない。特別な力を持たなければ……
  "呪い"と闘う道を選ばなくてもすむのだから。だけどそれだと、お父様が自分で犯して
  しまった過ちの責任――"呪い"を滅しきること――を果たすことが出来ない。

  だからお父様は、生きている間に三つの魔法をかけた。
  まず一つ、自分が死んでしまったときに……念を強く残して、私と母に観念の結界を張る魔法。
  少なくとも、私と母が生きている間は、悪夢に苦しまなくても良いように。
  次の一つは、その"呪い"をかけられた主を、守る為のもの。

  そしてもう一つは……自分の残りの魂を、――運命の流れに漂流させる魔法。

  万一、その血の繋がりの中で……自分に近い魂が現れたのなら、その存在に同調し、
  自らの意志を、全て伝える。

  お父様は、この世の因果律の狭間――この世に星の数ほどある夢の"世界"で、ずっと
  彷徨っていた。多分、もう自我は残ってなくて。だって、残された者を守る為に――
  力を使いすぎた。あの世を私は見たことが無いけれど、もともと其処に行こうとは
  思って無かったかも知れないわぁ……

  私も私で、自分の魂が身体を離れてから――お父様を、探した。
  お父様一人だと寂しいから――私も付き合うことにしたの。私の子供は力を持たなかっ
  たし……責任を感じる所が無かったといえば、嘘になるかしらね。
  私も指輪の因果に、"正しく巻き込まれた"ってことなのかもねぇ……

  随分時間はかかったけど、私の存在が消えてしまう前に……見つけることが出来たの。

  観念の終わりを示す場所、この"虚ろなる街"で』


  何だ。一体、何を言っているんだ……!

「知らない……、僕は、桜田ジュンだ! お前の父親の話なんか、知ったこっちゃ
  ない……!」

『そうよねぇ。――だけど貴方は、この"世界"へやってきた。この、"虚ろなる街"へ。
  それが、貴方がお父様と近い魂を持っている、何よりの証拠。だから貴方は、自覚する
  存在が『桜田ジュン』であると同時に、『お父様』でも有り得るということ。
  ――稀代の魔術師である、ね。

  ちょっと荒療治だけど……気づかせてあげるわぁ!』


「なっ……う、うわあああああああ!!」


  そして。水銀燈は、広げた翼から――黒い羽根を、僕に向かって飛ばしてきて―――


…………

………………?


  咄嗟に両腕で顔を覆うようして……ものすごい勢いの風が通り過ぎていったが、
特に何も起こらない。
  すると、『ズズン』と後ろの方から、何かが重く崩れる音がしたので、振り返ってみた。

「な……」

  僕の後ろにあった筈の廃墟が、無残に崩れ落ちている。あの、羽根が壊したものなの
か。だけど、あれだけの衝撃を持ったものなら……何故僕は、平気でいられるのだろう。

  自分の身体を見てみる。すると、よく眼を凝らさないと見えないほど細い……僅かに
光を放っている、長い一本の糸が、僕の身体を取り巻いている。

『その糸が、貴方の意志の証明……それにしても、随分か細い"旋律"ねぇ……
  だけど、そんなのに私の翼が防がれるだなんて。やっぱり貴方は、それだけの力を秘めているのよ』

「"旋律"……?」

  その糸に触れてみる。こんな細い糸が、僕を羽根の衝撃から守ってくれたというのか。
すぐにでも切れてしまいそうなものに見えるのに。

  すると、その糸は。僕の横に朽ち果てていた人形の山に向かって、すぅっと飛んでいった。

『さっき、ジュンが願っていたことねぇ。失った存在に、意味をつけるということ。
  あの人形達は――生き返るわぁ』

  糸は人形の中に吸い込まれていって……暫くすると、五~六体の人形が、宙に浮いた。
そしてそれらは、僕の方へ飛んできて。暫く身体の周りをくるくる廻ってから――空の
方へ飛んでいき、いなくなってしまった。

『貴方があの子達を救ったのよぉ、ジュン。貴方の紡いだ"旋律"が足りなくて――全ての
  人形を救うまではいかなかったけれど。あの子達は、ジュンに感謝していたようねぇ。

  元より、『全ての存在』を救うことなど、不可能なのよぉ。そんなのは、ゆめやまぼろし……
  だけどね。貴方が望むのならば、これからまたどうなるかはわからないわぁ。
  貴方はもっと、力強い"旋律"を紡げるかもしれない』

「僕が……救った……」

  両の手を、見つめた。この手が、何かを救ったことなど……果たして今まであったのだ
ろうか? ……僕は今が良ければ良く、自分のことだけを守って、生きてきたのだから――

  水銀燈を見やると、今度は穏やかな表情をしていた。

『貴方は桜田ジュン……そして、私のお父様に近い存在。私は貴方の……ご先祖様ってこ
  とになるのかしらねぇ。貴方は、私の血を引いているの』

「……」

『お父様が作った、指輪……その呪いは勝手に独り歩きして、今も続いている。私達は、
  それに抗う為の運命を背負った……

  貴方は今、あの人形達を、"自分の救った初めての存在"であると思っているわね?』

  な、……どうして、それを。僕は眼を丸くする。

『だって、私は観念の存在だものぉ。貴方の心の内なんて、全部お見通しだわぁ……その
  胸の内に秘めた優しさと強さも。本当に、お父様に似ている……
  あの人形は、ジュンが救った"初めての存在"では無い。共有される筈の記憶は、長い時
  が隔ててしまった―――だけど"貴方"は、もっと沢山、救ってきたの。

  ―――さあ。見せてあげるわぁ。お父様が遺した、確かな意志を。
  それを今、伝えてあげる。眼を、瞑って……』

  すると水銀燈は、僕を黒い羽根で包み込み……自分の胸へと、抱き寄せた。
  言われるがままに、眼を瞑る。

「あ……」

  暖かい。僕の……遠い先祖だって、言ってたっけ。それはよくわからないけど……今、
僕の頭に様々な映像が流れ、通り過ぎていく。


  遠い過去。
  繰り返される歴史。
  運命、という名前の時の流れ。
  その中を彷徨うことになった、男。

  乱れた運命は、"乱れているかたち"で落ち着きを見せる。
  全ては、決まっているということ。その狭間に見えた、自分の未来の姿……


  夢の中で夢を見ることもあるのかと―――そんなことも、少しだけ、思った。



―――――――――――



『……何が、見えたかしらぁ?』

「……」

  僕は全てを垣間見た。運命、という名前の流れを。……僕は。

「……決まって、いることなのか? 僕が……」

『――"視えた"のねぇ。そうよぉ、初めに逢ったときにわかってたけど……
  魂が、随分希薄になってるみたいだから。多分その運命は、今の状態の貴方ならば決まっていること』

『貴方は、肺の病気で死ぬわぁ。あと五年も保たないでしょう』

「……」

  最近出ていた咳は、全然軽いものだったけれど。それはその予兆だとでも言えば良いのか。
  それにしても。何故僕はこんなに淡々と、死の宣告とも呼んでいいような告白を聞いている?
それは自分でも不思議でしょうがなかった。なんというか……悲壮感というものが沸いてこない。
  それは多分、さっき"視えた"ものが、あまりにも心の中にストンと落ちきってしまったからだと思った。

『……"指輪"の話は、理解したかしらぁ』

「……ああ。まだ、呪いは続いているんだな。それに」

  その呪いの終わりは近い。だけど――

『――そう。指輪は、その存在の終わりと同時に、指輪の宿主を道連れにするつもり……
  多分、今の次の代が、その犠牲者。そして恐らく、その周りにも影響を及ぼして、
  まるで爆発するかのように"悪夢"は広がるでしょう。

  宿主は、普通の人間だから。"存在の終わり"を、全て抱えきることが出来ない』

……は。なんて往生際の悪い、呪いなんだ……

『因果、なんて』

「……え……?」

『因果なんて、所詮はその状態で、"確かに在るだけ"のもの。
  ……今の貴方を見ていると、改めてそれを感じずには居られないわぁ』

「……"運命"ってやつか?」

『そう。この、呪いの終焉の間際――貴方という存在が、現れたということ。あと――
  貴方と同じ世代に。この"虚ろなる街"へやってこれる力を持った人間も生まれてるわぁ。
  これは何かの運命なのかもしれない……

  きっと何処かに、運命と言う名前の湖があって。
  それはいつまでも、"その状態で保たれたまま"、静かな状態で凪いでいるの。

  だけどねぇ。今からその湖に、一つの石を投げ込む。
  たとえ、"石を投げることすら、決められたことだった"としても……
  それは、守る為に。そう、一つ守る為に……忘れてはいけないこと』

  そう言うと、水銀燈は胸元に手をかざした。すると、彼女の胸の中から……光り輝く
ものが、取り出される。

「それ……は?」

『これは……お父様の意志の結晶。さっきは、ここから貴方に映像を伝えたのよぉ。
  これを取り込んで……私は今まで自分の存在を維持してきた。私は血の繋がった娘だけ
  ど、魂の形が違うから……ただ、取り込んでおくだけにすぎなかったけど。

  これを受け継ぐかどうかは、やっぱり貴方の意志によるわぁ。
  "意志は意志のみに作用する"って、何処かの哲学者も言ってるしねぇ。
  さっきは"闘うに身を捧げることに"なるなんて言っちゃったけど……
  私が無理矢理押し付けても、貴方はこの意志と同調することが出来ない。

  もしこの意志を受け入れることが出来たなら、きっと貴方にはお父様の"知"が宿る筈。
  指輪の呪いに、打ち克つ為の手段も。
  それをどう使うかは、貴方次第だけど……私が出来るのは、ここまでだから』

『お父様は、確かに"苦しむ人々を助けなさい"と言ったけれど。"自分の幸せを見失っては
  ならない"とも言った。だから貴方が――今在る平穏を望むのならば、それを壊しては
  いけないでしょう……?』

  そんなことを言う水銀燈の表情は、やっぱり寂しそうだった。彼女は、この朽ち果てた街で……
  どれ程の時を過ごしてきたのだろう。この、僕という存在を待ち続けて。


  ……僕は思う。どうやら僕に近い魂を持った先祖は、多くの人々を救ってきた。
  けれど、それを僕が知る由も無く、やっぱり『桜田ジュン』は『桜田ジュン』でしか在り得ない。

  残り僅かな、僕の命。僕の存在する意味は、一体何なのだろう?
  ……だけど、この僕が。ひょっとしたら救えるかもしれない、一つの存在が、在る……


『悪夢と闘っているときにね……考えていたことがあるの』

「―――え?」

『悪夢って、誰でも見る可能性があるものでしょう。だけど、取り分けその中でも酷いものが
  現れて、たまたまそれに抗うことが出来た人間が、私達だった。

  一体、その度を過ぎた悪夢と……私達のような人間の存在の、どちらが先だったんだろうって』

「……」

『ひょっとしたら、私達が居るから、悪夢は生まれるんじゃないかって……そんなことも考えたり
  したわぁ。だってそもそも、"ひと"という存在が居なければ、こんな柵(しがらみ)は、初めから
  無かったでしょうから』

「……それでも」

  僕は、水銀燈の紅い瞳を見据えた。

「それでも、僕達は――生きてる。お前の考え自体は否定出来ないかもしれないけど――
  生きてるんだから。苦しいことだって、楽しいことだってある。

  運命――そうだ。運命って奴に、踊らされてるだけかも……でも。だったら、その中で。
  少しでも意味のある生き方したいと願うのが、人間なんじゃないのか」

『――その"意味"は、なんなのかしら?』

「……答えなんか、出ないよ」

  本当に、わからない。けど、思ったことを口にする。絶対的に正しいことなんて、きっと
誰も保障なんかしてくれないから。自分で考えて、進むしかない――

「その意志。……僕に、渡してくれ。まあ、どんなにかっこつけても……僕の寿命も、そんな
  に長くないみたいだし。安っぽい正義感だ。だったら、ちょっと人助けでもしてやるさ」


『ふふっ……貴方はすごいわね。普通の人間なら、きっとそういう考えに至らないかもしれないわぁ。
  安っぽいって言っても、その価値はどんな天秤でも量りきれないもの……』


  水銀燈は、手に持っていた光の塊を、僕の胸へ優しくあてがった。

「………ッ!!」

  身体が、熱くなる。そして頭の中を、膨大な量の情報が巡っていく――

『貴方の身体も、暫くは保つ筈よぉ。二つ分の魂を共有するのだから――
  きっと、貴方の出した答えを成し遂げたあとに、その魂は離れていくわぁ。

  さぁ……私の役割は、これでおしまい。この街からは、もう退散しようかしらぁ……』


  その身体は光に包まれていって。指の先から、光の粒のようにさらさらと流れて消えていく――


「――水銀燈、一つだけ教えてくれ……!」

『何かしらぁ? 手短にお願いねぇ』

「お前は。――お前は、幸せだったのか……?」


『……私は、運命に踊らされたのかもしれないけど。自分で選んだ道だから、後悔は無いわぁ。
  お父様と死に別れたのは哀しくて……それでも、お母様とは一緒に居れたし、子供も出来た
  からぁ……


  それにね。最期に、……お父様にそっくりな……貴方に逢えて。……良かった……』


――――――――――――


  廃墟の街に残された僕は、暫くその場に立ち尽くしていた。

「神様は死んでしまった、か……」

  最初に水銀燈に逢った時に、彼女が言っていた言葉。そうだな、人の運命をもたらすのが
神だと言うのなら……もっと人間を幸せにしてくれても良いものなんだが。そんなものは、
最初から居ないのか、――それとも、死んでしまったか。

  そして、僕も死ぬ。今すぐでは無いが、いずれは。何だか、頭の感覚が麻痺していた。
どうせ、人は死ぬ。遅かれ早かれ、等しくやってくる……それも運命。

「……!」

  気配、を感じる。この廃墟の街の入り口が、"開かれた"気配。

『貴方と同じ世代に。この"虚ろなる街"へやってこれる力を持った人間も生まれてる』――

  感覚や思考は、今までに無いほどに冴え渡っていた。水銀燈の言葉をまた思い出す。
これが、僕と同じような力を持った人物の仕業で――そして、指輪の呪いとやらに打ち克つ
為の、大事な一歩になる力。

  僕は"虚ろなる街"を歩き始めた。――多分、直ぐに逢える。だって、そんなに離れて居ない
ところで、もう――『闘い』の音は、聴こえてきているから。

  崩れた建物を三つほど越えた先で、二人の少女が闘っているが見える。年は――僕と同じ位
か。左右対称に、眼帯をつけている。力を持っているせいで、……そういう因果に、巻き込まれた者達。


  僕がその戦闘に参加するまでもなく、もう事は終わってしまっていた。僕は前に出て、彼女
達に話しかける。

「―――よう、初めまして」

「「――――――――――――!」」

  ざ、と。足を踏みしめて、臨戦態勢に入る二人。……ちょっと待てよ!

「や、待て! 僕は敵じゃない!」

「――敵……"異なるもの"で無ければ、なんだと言うんですの? ひとのかたちを模した
  "異なるもの"は、意志を持つといいますからね」

「……そう……怪しいよ……」

  ……参ったな。どう誤解を解けばよいものか。そう考えていると、頭の中に、自分が知らなかっ
た筈の言葉がどんどん溢れていく。――成る程。これが魔術師の"知"――

「僕は、お前達と同じような力を持った人間だよ。――遠い遠い昔に居た、魔術師の意志を継いだ」

「魔術師……?」

「そう。ああ……お前達は、呪いの指輪の話は知ってるんだっけ」

「……指輪? 知らないよ……」

「……そうか。まあいいか。でも、いずれお前達も、それに纏わる闘いって奴に、巻き込まれる
 ことになるんだろうな……『正しく因果に、巻き込まれて』」

「さっきから言ってることが、よくわかりませんわ」

「その内わかるさ。少なくとも五年も経たない内に、僕らはまた逢うことになるだろうと思う。
 僕の名前は桜田ジュン、お前達は?」

「――雪華綺晶、と申します」

「……薔薇水晶、だよ……」

「多分、雪華綺晶、薔薇水晶、二人の力が……その指輪の呪いに関わることについて、必要になる。
  その時まで、僕のことは誰にも言わないでくれ。――最期の最期、僕自身がけりをつける問題
  だから――またいつか逢う時まで、秘密にしておいてほしい」


  雪華綺晶という少女が、訝しげな表情を浮かべている。そりゃあそうか。いきなりこんな話を
されてもなあ……さっき僕が水銀燈に話を聞いたときも、多分こんな顔をしていたに違いない。
  ここは力、――さっき出した"旋律"――を見せた方が早いだろうか、と思ったとき。彼女達の
一人が声を発する。

「……うん、わかった……」

「薔薇水晶っ!?」

「……お姉ちゃん、大丈夫だよ……ジュンは信用できそう。私の勘は、鋭いよ……?」

  もう呼び捨てで(僕もそうだが)呼ばれてるし。薔薇水晶と名乗る少女――どうやら姉妹の妹の方は、
場の適応力が半端じゃないと見受けられる。

「薔薇水晶がそういうなら、仕方ありませんわね……」

  そして、『勘』であると言い切っているにも関わらず、それに納得する姉。強い信頼で結ばれた二人のようだ。

「……助かるよ。じゃあ、――――――」

  僕が言いかけると、薔薇水晶がふらついて倒れそうになる。

「――おい!」

  すんでの所で抱きとめる。

「……ありがとう」

  それで……何故に顔を紅くする?

「申し訳ございません、もう私達は"虚ろなる街"には居られませんわ。妹が限界のようですから。
  次に逢う時、と仰いましたね――ジュン様、と申しましたか。その時も、ここでお逢いすることに
  なるのですか?」

「いや、普通に現実の世界で逢うと思う。悪かった。じゃあ、また逢う時まで」

  僕は薔薇水晶を雪華綺晶に預けると、二人は音も無く姿を消した。
  観念空間の展開か……そんなに長い時間保つ、という訳でもなさそうだな。それでも、僕が今考え
ている『手段』に、恐らく支障は無い。

  そして意識が朦朧とし始めて、周囲の景色も曖昧に崩れる。
  多分これが、夢からの目覚めなのだと思った。



――――――――



  其処は、普段どおりの僕の部屋。

「……」

  両手を、見つめる。それから、胸に手を当ててみた。

「夢……だけど」

  頭の中を巡る記憶と知識が、あれがただの夢では無かったことを告げている。
僕の、……僕という存在の、運命の歯車は、もう廻り始めていると。

  僕の寿命が残り少ないことを知ったら、のりは泣くだろうな……
  本来なら、僕自身泣き叫んで、半狂乱になっても可笑しくは無いのかもしれない。

  だけど。僕には少なくとも、自分で選ぶべき道があって……それを成し遂げなければ
ならない。
  "黒き天使"、水銀燈。僕の、遠い遠い先祖。羽根は黒かったけど、彼女はやっぱり天使
なのだろうかと思う。僕の人生に、一つの意味を与える為に現れた……

  とりあえず、部屋を出て。久しぶりに外を歩いてみよう。学校にも、行かなければ。
多分、水銀燈が言った"運命"とやらに比べれば。僕が直面している悩みなんて、本当に
些細なこと。多分、意に介さずやっていける。

  まだ、指輪が次の世代に受け継がれるまでには時間がある。だけど僕自身は、ある程度
経験も継承されているとは言えど、夢の"世界"での戦闘にはまだまだ不慣れ。其処はこれ
から改善していかなければならなかった。

  学校にいる奴らも……ひょっとしたら、悪夢に苦しんでいる人たちが居るのかもしれない。
きっと、この世の全ての人間は救えないけど……せめて、身近な人間の助けにはなろう。
僕はそういう力を、持っているんだから。

  雪華綺晶や薔薇水晶にも、逢わなくてはいけないし。やることは一杯あるな……


  そんなことを考えながら。僕はベッドを降りて――
  まずは自分の部屋の扉を、開ける。


  その日のりは、僕が『学校へ行く』と聞いた途端に呆けた顔をして、その後号泣しながら
僕に抱きついてしたりしたのだった。



――――――――



  いつものように真紅に命令されて紅茶を淹れ終わったあと。特に"異なるもの"の気配を
感じてなかった僕は、屋敷の中をふらふら彷徨っていた。幽霊の姿も慣れればそれほど苦
にはならない。

「ジュン、ちょっといいかしら?」

  そんな折だった。廊下にいる"策士"金糸雀に、話しかけられたのは。

「なんだよ」

「話があるかしら。確認、いや――まだ、裏が取れているわけでは無いけど」

  その両眼は、しっかりと僕の眼を捉えていた。成る程。"実眼"の系列、"策士"金糸雀。
その眼は、虚を実に変える力を持つという。虚ろを虚ろとして屠る僕達とは違う、特別
な力。言うなれば、"庭師"を始めとする、"世界"で闘う者達とは全く逆のベクトルを持った能力だ。

  その"実眼"と、彼女の頭脳を以て――どうやら、ある推論を立てたらしい。
  初めて彼女が"観察者"と共に屋敷へやってきてから一週間程度。その間、あらぬ視線
のようなものを感じていたが、それも関係するのだろうか? なんか蒼星石とも話して
たみたいだし。ひとの考えを読む自体なら造作もないが、流石にそれはしていなかった。
まあ、気分的なもの。


「みっちゃんにね。貴方のことを暫く"観察"してもらったの。悪いけど、どうも貴方、
  普通の幽霊じゃないようだし」


  ん、まあ。普通では無いかな。魂が二つ分馴染んでいるといえば、十分普通じゃないだろう。
  幽霊という姿でふらふらしているのも、常識的とは言えないが。


  ただ。僕はこの時点で、"策士"の頭脳を侮っていたのだ。


「貴方は今、幽霊――観念の塊だけれど。貴方の存在は、"濃すぎる"の。
  普通の幽霊とは、明らかに一線を画すほど。

  魂の質そのものも、かなり異質ね。だけどそれ以上に――貴方の存在は、特徴がある。
  それは、私とみっちゃんが今までこの仕事をしてきて、稀に見てきたもの。

  言うなれば……幽霊になりきれてない、とでも言えばいいかしら?」


「……それで?」


「結論を、言うかしら。桜田ジュン。貴方の肉体――魂の、器。

  それは今も……生きているんじゃ、ないかしら」

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