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「……ねえ、お姉ちゃん」

「どうしましたか?」

「……私達のしたことは――間違い、……だったのかな」

「答えは誰にもわかりませんよ。この世の正しさを保障してくれる神様だって――
  ひとの数だけ、居るのですから」


  久しぶりの休暇――という訳でもないが。私達は久しぶりに、自宅でのんびりと
した時を過ごしている。
  しかし、仕事とあればすぐに飛んでいくし。妹もそのことは重々承知している筈。

  窓の外には、新月に近くなっている細身の月が見えて。指輪の光のような白く艶かしい
ひかりを放っている。折角良い眺めだからということで、部屋のカーテンは開け放してお
いた。室内の照明は元より薄暗いものだったし、これならばご近所の迷惑になるというこ
とも無いだろう。

  眼の前には、グラスを持ちながら、これでもかと言うくらい顔をまっかっかにしている
妹の姿。両手に持っている――ああ、表面を持っては駄目、中身があったまってしまうか
ら――透明な硝子の容れ物の中には、琥珀色の液体が揺らめいている。勿論、お酒。私の
とっておき、アイラモルト。
  まだ彼女は未成年なのだけど。私が毎夜それはそれは美味しそうにそれを呑んでいる姿
(お酒を美味しそうに呑むのは酒呑みとしての心意気)を、指をくわえながら見ている妹に
呑ませない訳にはいくまいと思ったりした。……お酒は二十歳になってからね?


「薔薇水晶、大丈夫?」

「……大丈夫であります先生……さ……最後までやりとげねば……!」

  ええ。この間読んでた漫画の台詞をまるっと覚えているところが素敵ですわね。
  だけど多分誰もついてこれませんわ。『最後ってどこよ』って突っ込むべきなのかしら?

「……お姉ちゃん、お酒強いね……」

「そうでもないですわ。私は単に呑兵衛なだけですもの。呑むならやっぱり、美味しく呑ま
  ないといけませんものね」

「いえっさー……」

  ええ。出来ればモルトにシウマイをつまみに用意しておくのもやめましょうね?
  しかし、非常に美味しそうに食べている手前、止められないのは姉としての性だろうか。
  ……三皿目か……


  私もまた、持っていたショットグラスを傾けた。アイラモルト独特の潮の香りの風味が口
に広がる。氷は入れず、ストレートで少しずつ少しずつ飲んでいる。かなり味に癖があるけ
れど、この風味は私の好み。

  月は相変わらず部屋をうっすらと照らしていたし、こんな穏やかな時間が続けばいいな
あと感じている。


  だけど、私は。どうにもならないような胸のざわつきも、同時に抱えている。


『間違い、……だったのかな』


  妹の言葉が、リフレインした。正しいか間違ってるかだなんて、私にも正直判断に困る。
いや――その『困る』という言葉自体、私がそこに考えを巡らせることから逃げているこ
とに他ならない。

  倫理――ひとつの、倫理。その言葉そのものが、どれほど薄っぺらなことか私は知って
いる。

  どんな哲学や、宗教も。命の重さを量る天秤には、きっと成り得はしないのだから―――



【ゆめまぼろし】第七話 鏡の姉妹



「昨日は休みを満喫できましたか? 雪華綺晶さん、薔薇水晶さん」

「ええ、お陰様で。楽しい時を過ごさせて頂きましたわ。ね? 薔薇水晶」

「……頭痛が……痛い……」


  やはりいきなりモルトウィスキーはきつかっただろうか。いや、それはそうなのだけど……
その発言のおかしさから、昨晩のことをちょっとだけ後悔しているのは、白華綺晶、私なのだ。

  今私達は、組織の本部に来ている。ここが私達の仕事場。上司の白崎さんは椅子に腰掛け、
いつもと変わらない調子で私達に話しかける。

「まあ……昨日もし緊急な事態が起きたとしても。他のメンバーに仕事は依頼する予定でしたし。
  たまにはゆっくり休んで頂きたいものです」

「有難うございます」

  私達が居る部屋は、そんなに広くは無い。造りも簡素なものだし、あるものと言えば、白崎さ
んが趣味で読んでいる洋書程度だ。
  いつもの椅子に腰掛ける。もし普通のひとが見たら、ここが一体何をする場所なのか判別がつ
くものだろうか。別に事務をやっている訳でも無し。

「事は順調、というところですかね……」

  独りごちるように、彼は言った。

「これでどうなるかはわかりませんけど。僕達は、彼の意志に従った――どうやら、決意は相当
  のもののようでしたからね。僕達がどうこう言ってどうなるものでもない」

  それは、わかっている――つもりだ。けど――

「……誰かの命が。他のひとの命より、重いことがあるの……?」

  痛そうに頭を抱えていた妹が、言葉を切り出す。

「価値で言ったら命は平等と言って良いでしょう。しかしそれは、あくまで"魂の質量"に限った
  話のことですよ、薔薇水晶さん。それをどう使っていくかは、結局は本人次第です」

  平静を装って彼は言っているようだが、その実今回の件について、一番反対していたのは彼に
他ならなかった。もっと別な道は無いのか。その意志に従って、本当に良いのか――


  その時。私達の間に流れる空気の流れが変わった。

「お客さんが来たみたいですね」

「そのようですわ」

「……頭痛い……」

「もう、薔薇水晶……しゃんとなさい。はい、お水」

「……ありがと、お姉ちゃん」

  どうも緊張感が無い。普段はほやっとしてる感じの妹でも、ひとたび仕事となればしっかりする
ものなんだけど。

「……おっけー。いけるよ」

「そう。じゃ、白崎さんお願いしますわ」

「わかりました。また『初代』薔薇屋敷からですね。最近は特に酷いですねぇ……ある種の賭け
  ではありましたが、やっぱり影響は出ているようですね」

「……」 「……」

  私も薔薇水晶も、その言葉には何も答えない。

「この行く末がどうなるかはわかりません。だけど僕達は、ただ守るだけです。
  指輪の呪いは――随分と長く、引きずってきたことですからね。僕が出来るのは、
  貴女達が辿りつく場所を案内することだけ」

  そう言って彼は立ち上がり、空間に手をかざす。



『"知り得る者"は宣言する――――空間の歪みを知り、流れを知り、その行き着く先は明かされん。

  悪魔の如きこの知を持って、扉は開かれる――――――――』


『全てへ通ずる道。―――"ラビット・ホール"』



  空間に展開される、くらいくらい"兎の穴"。その行き着く先は、無論私達が向かうべき場所へ。

「相当量、と考えてください。今回は外から来ています。指輪の宿主に辿りつく前に、全てを排除
  してきてください」

「わかりましたわ」

「……ん、大丈夫」


 そして私達は、その"兎の穴"に飛び込んだ。



――――――――――――――



  相当量、か。私達は眼の前に広がる光景に、白崎さんの言葉を思い出していた。これら
を、排除する。

「……金糸雀は、こういうのに向いてないからね……頑張ろう、お姉ちゃん」

「ええ、そうですわね。ちゃっちゃと片付けて帰りましょうか」

  私達が今居るのは、『初代』薔薇屋敷の大広間。呪いの指輪を受け継いだ一族の初代が、
初めに住んでいた場所。現在は隣町に新たな『薔薇屋敷』が存在するが、其処には先代"庭師"が
遺した結界が張られている。


  私と薔薇水晶は、あれほど強力な結界を張ることは出来ないだろう。"策士"金糸雀なら
ば、何処からか都合の良い原典を引っ張ってきて、この実空間に結界を展開することが可
能だと思うのだが。生憎彼女は"観察者"とペアを組んで別件に当たっている為、依頼する
ことが出来ない。彼女達が帰ってきたら、すぐにでも頼むべきだ。

「さてと……また曖昧な"異なるもの"ね」

  何体居るのか考えるのが億劫になる程の"異なるもの"――正確には、それに準ずるもの
――が、溢れている。特にその存在の原典もなさそうな奴らに関しては、"策士"はその戦
闘に向かない。彼女はどちらかと言うと、ある程度かたちを成した"異なるもの"との
一対一の闘いにおいてその真価を発揮する。その力は強大だ。

  そして。今のような状況で―――私達が負けることなど、有り得ない!



『――――――――――――――――!!!』



  一斉に飛び掛ってくる。全く、理性というものが感じられない……当たり前だけど。

「薔薇水晶っ!」

「……おっけー」



『……"鏡の姉妹"が一人が命じる……実空間に現れし観念の虚像、"異なるもの"……

  此処に汝等の場所は無く、我が宣言を以て、汝等を屠る空間を展開する……』


『……鏡の、世界。……"虚ろなる街"』



  薔薇水晶の、静かな"宣言"。それと同時に、この部屋の空間は別な色に塗り替えられ
る。鏡の奥に潜む、観念の終わりの街。

  私達は、この実空間で直接観念の存在と闘うことが出来ないから。――ならば、どうす
る? ……夢の"世界"を、擬似的に作り出せば良い。そのイメージがこの、終わりの街。
存在の全てを、観念拠りにする、それが薔薇水晶の力。そして妹の力は、それだけに留ま
らない――

「……お姉ちゃん」

「わかってますわ」


  静かに凪ぐ、こころ。脅かされるものなど何も無い。この大量の"異なるもの"。その存
在に意味を持たず、しかしある意志に従って彷徨っている筈の、虚ろなるものたち。



『"鏡の姉妹"が一人が問う――汝等、"異なるもの"。世界を、脅かす者達よ。

 虚像、その意志は――何処へ向かい、何を成さんとする?』


『……………!!』


  奴らは、答えない。――――さあ。貴方は、だぁれ? ――――


『沈黙を以て答えとするならば。今まさに、我がその解を示さん……!

  その姿に、観念に、存在に。汝等の意志、汝等の全てを以て確かめよ――――』


『"万人の、万人に対する闘争"――――!』



  バアン! という激しい音と共に、"異なるもの"の眼の前に、私の作り出した"鏡"が展開
される。
  "鏡"とは、実像を持ったものしか映りこまないもの。―――だが、これは違う。奴らの
姿を正確に捉え、そして――"鏡"に映った"異なるもの"が、其処から飛び出し。自分の眼
の前に居る存在を、喰らう―――

「……わかりましたか? 確かにその意志を以て、自分の姿に食べられてしまいなさい」



『……――!! ――――――――!!! ……』



  自分の姿に"囚われた"虚像が、声にならない声を上げる。いつ見ても、凄惨な光景だと
思う。だが、"鏡"から出てきた存在が、眼の前にある対象を襲うということが起きる以上。
それは奴らが元々、そういう意志を持っていたということだ――――

「……じゃあ、纏めてやっちゃうね」

「――――ええ。お願い薔薇水晶」

  大分、数が減ったようだ。それもその筈、"鏡"に映った存在なのだから、元々の存在と
は力が拮抗している。大概は同士討ち。
  ただ、それでも僅かに残る者達も居る訳で。そんな"異なるもの"は私達に向かってくる。
……もはや、チェックメイトになっていることも知らず。



『……"鏡の姉妹"が一人が、宣言する……"虚ろなる街"は、我が支配下。

  "苦"を"歓び"に。その意志は、我が意志を以て変わらんことを欲す……

  終わりの街、此処が……今、汝等の始まりとならん』

『……解放の、紫。……"アメジスト"』



  そして。終わりの街は、歓びのひかりに包まれる。解放の象徴、紫色の水晶が――――
鳴り響く轟音と共に、"異なるもの"を、一斉に串刺しにした。



――――――――――



「……お疲れ様」

「ええ、お疲れ様。薔薇水晶」

  戦闘を終えて、私達は帰路についている途中。白崎さんの"兎の穴"は、何処かへ行く分
には都合がいいが(但し、それは海を越えない範囲で)、通り終わったあとは直ぐに消えて
しまう。だから帰りは電車で揺られて帰ることになるのだった。

  おっちょこちょいな所を、ごくごく偶に見せる彼は、一度私達を送る先を間違えたこと
がある。某県某半島にある恐山に送られたときはどうしようかと思ったが、温泉卵を食べ
て帰ってきた。ちなみに、私達があたる予定だった仕事は別のひとに頼んだので、結局の
所問題は無かったのだけれど。

「う……」

「薔薇水晶、大丈夫?」

「……うん、ちょっと疲れただけ……」

  妹の力は、相当彼女の精神に負担を強いる。実空間を、無理矢理に広範囲で観念拠りに
するのだから。あの大広間の空間は結構な体積を占めていたので、今回はかなり消耗した
ことだろう。
  その、消耗が激しいということ。それに加え、彼女の力にはもう一つ欠点がある。それ
は、あの"虚ろなる街"を展開出来る時間が、それ程長くは無いということ。
  結果的に戦闘は、短期決戦となる。ぼやぼやしていたら妹が保たないので。

「お姉ちゃん……ちょっと、寝ていい? ……」

「ええ、大丈夫よ。ゆっくり休みなさいな」

  そう言って薔薇水晶は、私の肩に頭を預けながら眼を閉じた。

「……すー……すー……」

  そして即眠。寝顔も可愛らしさ満点だとか思ってしまう私は、姉馬鹿なのだろうか?

「……」

  こうやって、悪夢が発生しようとする兆しや、または悪夢そのものと――闘い続けて
きて、どれ位が経つのだろう。思えば物心ついた頃から、妹と、二人。今の組織に拾わ
れる前までは、自分の血族の教えに従いながら、我が身をまず守り続けてきた。
  そして今、私達の力を必要としている人々の為に力を使っている。多分、終わりの無
い闘いなのだろうと思う。

  だけど。ある一つの案件に限ってみれば、事態の収束は有り得ることなのかもしれな
いとも考えた。―――そう。それが、一つの呪いによって、発生したものならば。

「…………ジュン……」

「―――」

  妹が呟いた、名前。彼は、―――その呪いに、抗おうとした者。


  彼は言った。それは運命なのかもしれないと。

  人間とは、精神からなる器。そんな器同士が重なり合い、交わりあって、この世界は
『関係』という名の下に作られている。
  それは湖。現在作られているこの『世界』――それそのものがどれだけ複雑な構成を
成しているとしても、その状態そのものは、穏やかな湖面のように凪いでいる。

  彼は静かな湖面に、一つの石を投げ入れた。その水面に、――小さな小さな、さざな
みを立てるかのように。

  運命。彼の言う運命とは、何だろう。それは本来、他からもたらされる、私達が与り
しらないほど大きな……何かの存在に、突き動かされるようなものなのだろう。

  だけど。結局の所、それを実際に行動に起こそうとしたのは、彼の意志によるものだっ
た。意志の確認は、自己との対話。彼の精神が……それを願ったのだ。


  そんな精神と自己との関係について、語っていた哲人も過去にいたっけ。
  そしてその人物は、絶望についても言及する。

「死に至る病、ですか……」

  何とも皮肉なことだと思った。彼、桜田ジュンは――絶望に抗おうとしたのだろうか。

  『無知』の絶望。『弱さ』の絶望。そして……『強情』の絶望。彼はそれらに抗する為
に。自己の使命に、意味を見つけようとした……?


  そしてこのことは、組織で言えば上層部と……私と薔薇水晶。あとは本当に指で数える
程度の人物しか知らない事実。それはそうだ。彼と言う存在そのものが、組織の中でもト
ップシークレットに近い。何故なら、彼は―――


『……誰かの命が。他のひとの命より、重いことがあるの……?』


『神様、か。そんなものは、きっととうの昔に死んでしまったんだ』


  薔薇水晶と、……彼の言葉を。また思い出す。湖面に石を投げ入れた彼の行動が、果た
して実るのかどうかはわからない。迅速に事態が収束出来なかった場合、彼はどうなって
しまうのだろう。

「……」

  まだ、薔薇水晶は隣で眠っている。私も少し眠い。もう目的の駅まで時間は少ないけれ
ど、私もちょっとだけ。まどろみに身を任せることにする――
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