※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。


私は、一過性の熱病に浮かされていたのかも知れない。
突然に訪れた妖しい雰囲気に呑まれて、訳が解らなくなっていたのかも知れない。
蒼星石と過ごした、濃密な時間の記憶が、私の身体を火照らせる。

私は、蒼星石が好き。募る想いを、押し止められない。
一秒ごとに、好きになっていく。
一分ごとに、会いたくて、堪らなくなる。

「今すぐにでも、届けたいこの思い。でも、無理ね」

こんな身体じゃあ、彼女の元には行けない。
健康な彼女の側にいても、私は足手まといになってしまうだけ。
大切な人だと思うほど、苦しめてはいけないと思う気持ちも強くなる。
だけど、やっぱり側にいたいと願い、悩み苦しんでしまった。

消灯時間を過ぎた病室で、独り寝の寂しさに、枕を濡らす。

「ねえ、蒼星石。貴女の夢は何色? 私の夢は……真っ黒けよ。
 何もない、ただの闇。丁度、こんな月の出ていない夜みたいな、虚ろな色。
 でも、貴女にはバラ色の人生が待っているのよね。
 きっと、夢は桜色。前途洋々、希望に満ちあふれているのよ」

死にたくない。心の奥底で、私は悪あがきの叫びを放っていた。
今までは、いつ死のうと構わなかったのに。
今すぐにでも死が訪れて、私を楽にして欲しかったのに。

今になって、こんな気持ちになるなんて、思っても見なかった。



めぐと交わした約束どおり、ボクは翌日の日曜日も、病院を訪れた。
昨日、病室で行われたことは、ボクとめぐだけの秘密。
家でも、なに喰わぬ顔をして、普段と同じように生活していた。
だから、変なところで勘の鋭い姉さんにも、勘付かれていない筈だ。

「おはよう、めぐ」

扉をノックして、室内に入ると、彼女は胸の前で両手の指を絡め合わせて、
ボクの方を真っ直ぐに見詰めていた。心なし、顔が赤い気がする。

「今日も、顔が赤いね。具合でも悪いの? それとも、熱があるのかな?」
「……バぁカ。詰まらない冗談なんか、言わないでよ」

そんな事を言う暇があったら、側に来て、手ぐらい握って欲しい。
めぐの、熱を帯びて妖しく濡れた瞳が、雄弁に物語っていた。
ボクは――めぐの望みを叶えるべく歩み寄り、彼女のベッドに腰を降ろした。
彼女は縋り付くように、ボクの手を握って、寂しげに呟く。

「遅かったのね。来てくれないんじゃないかって……泣きそうになってたのよ」
「それについては、ゴメン。今日は、ボクも診察を受けてたんだ。
 最近、なんだか身体中が怠いというか――」
「ちょっと、大丈夫なの?! それで、検査結果は?」
「後日にならないと判らないみたい。でも、きっと平気だよ。疲れてるだけさ」

ボクの言葉に、めぐは吐息して、不吉な言葉を返してきた。
その時の彼女は、まるで、運命の女神の様に見えた。

「幸福と悲劇は繰り返されるものよ。裏表になってて、コインの様に、
 くるくる回り続けているの。次は……悲劇が訪れなければ良いんだけどね」



そんな事を、言うつもりは無かった。折角、昨日の約束どおりに、来てくれたのに。
私は、なんて嫌な子なんだろう。軽く、自己嫌悪。
だけど、私の人生は常に、禍福を糾った縄だった。
幸福の次は、不幸。厭なことの後には、愉しいこと、嬉しいことがあった。

だから、今度もまた、不幸が訪れると考えてしまったのだ。
蒼星石に出会い、愛して貰えた喜びに対する、大きな不幸が来る――と。
縁起でもない事を言ってしまった私の口を、蒼星石は、そっ……と、唇で塞いでくれた。

「悲しい顔をしないで、めぐ。そんな事、言っちゃイヤだよ」
「でも、私――」
「めぐは、ボクと会った後、悲しんでいるの? 不幸せな気持ちになっているの?」

そう問われて、私はちょっと思い返してみた。
言われてみれば、不幸な気持ちには、なってなかった。
そりゃあ、思い通りに動けない不自由さは感じる。でも、悲しくはなかった。
こうしていれば、蒼星石が会いに来てくれる。
その幸せの方が、遥かに大きかったから。

私が小さく頭を振ると、蒼星石は私の肩に腕を回して、優しく包み込んでくれた。

「それなら、いつでも微笑みを見せてよ。
 ボクの前では、たとえ嘘でも構わないから、笑っていて欲しいんだ」
「……解ったわ、そうする」

私は、作り笑いが巧く出来るほど器用じゃない。
だから、貴女に向ける笑顔は、私の心を写した鏡なの。嬉しければ、その分だけ輝くわ。
今、この瞬間、私は言葉で言い尽くせない悦びに包まれ、幸福を感じていた。



きっと、彼女は寂しいんだと思う。
長い闘病生活は、めぐを一つ所に縛り付けて、彼女の時間を止めてしまった。
めぐは、ボクと同い年。本当なら、学校に通って、沢山の友達に囲まれながら、
他愛ないお喋りに花を咲かせていた筈だ。
明日、死んでしまうかも知れない――そんな事は、微塵も考えずに。

めぐの、止まった時間を再び動かせるなら……ボクは、出来る限りの事をしよう。
大好きな彼女が、望むままに。

「めぐは、音楽とか……好き?」

肩を抱き寄せたまま訊ねたボクを、めぐは訝るように見詰めた。
どうして、音楽が出てくるのか解らない。そんな彼女の想いが、伝わってきた。
話の切り出し方が、ちょっと唐突すぎたかも知れない。

「なんか、さ。めぐの為に、音楽を奏でてみたくなったんだよ」
「へぇ、面白そうね。蒼星石は、どんな楽器を巧く扱えるの?」
「アルトリコーダーくらいかなぁ。これから練習するんだけどね」
「なぁに、それ? ダメダメじゃないのぉ」

めぐは、ころころと笑ってくれた。
可愛らしい、年頃の乙女の笑顔。この眩しい表情を、もっと見たいと切に願う。

「だから、絶対に待っててよ。ボクは必ず、キミに演奏を聴かせるから」

約束だからね、と念を押すボクに、めぐはさらりと、悲しいことを言ってのけた。

「心配しないで。いつだって、私は此処に居るから」



蒼星石が、私のために演奏してくれると言った。
どんな曲を、奏でてくれるのかしら? ちょっと……ううん、かなり愉しみ。
でも、急いで。
貴女が抱き寄せてくれている私の肩は、もう、死神の腕に掴まれているの。
だから、早く聴かせて。

「ねえ、知ってる? さよならは突然に訪れるものなのよ。
 長く入院して居ると、人の死に目に立ち会えるの。
 今朝まで元気だった人が、突然、あっさりと……。
 だから、約束を果たすつもりなら急いでね。
 私――いつまで生きていられるか、分からないから」

彼女を急かすために、そんな事を口にしてみる。
そして、つくづく自分のねじ曲がった性根を嫌悪する。
どうして、私は……いつも、こうなんだろう。
蒼星石は、私を勇気づけようとしてくれているのに。

いっそ、思いっ切り叱って欲しい。そして、優しく抱き締めて欲しい。
そうしたら、貴女の一言一言で、私のイヤな心は、少しずつ砕けていくから。
大粒の涙と一緒に、全てのしがらみは、流れ去ってしまうから。

けれど、貴女はただ、穏やかで、慈愛に満ちた微笑みを向けるだけ。
それは、水銀燈が私に向けてくれる親愛の笑みとは、少し違う。
水銀燈の親愛を、母性愛と言い換えるなら、
蒼星石の慈愛は、恋人同士の信愛に思えた。

もしかしたら、私の願望が、そう見せているだけかも知れないけれど。



翌日の月曜日から、ボクは金糸雀に頼み込んで、楽器演奏のスパルタ特訓を開始した。
普段はドジッ娘な印象が強い金糸雀だけど、楽器の演奏に関しては天賦の才能を
持っている。彼女に指導してもらえば、五日でそこそこの技量がつくと思えた。

めぐの病室には行けないけれど、水銀燈が行ってくれる。
だから、不安は半分に減っていた。
ボクは安心して、演奏の練習に集中することが出来た。

ボクが選んだのは、フルート。
アルトリコーダーの一本調子な音色は、なんとなく安っぽくて嫌いだった。
その点、艶のある音色に深みを感じさせるフルートなら、
ボクの想いを込めるに相応しい。でも、最初は音すら出せなかった。

「こぉんの下手くそ! かしらーっ!」

金糸雀の指導は、文字どおりのスパルタ特訓だった。
罵声だけに留まらず、時々、メトロノームまで飛んでくる。
でも、それは望むところだ。
めぐに、ボクの想いを届けたい。だからこそ、中途半端な演奏はしたくなかった。

火曜日の練習前、金糸雀は一枚の楽譜を、ボクに渡してきた。

「ド素人の蒼ちゃんでも演奏できる曲を、カナが徹夜で作曲したかしら。
 曲名は『乙女の涙は乙女色』かしらー」
「金糸雀…………ありがとう。本当に、ありがとう!」
「ほらほら、ベソかいてる暇があるなら、とっとと練習を始めるかしら」

金糸雀の細やかな配慮に、思わず涙が出ちゃったけど、彼女の言う通りだ。
時は待ってくれない。めぐの為にも、急がなければ。



水曜日……今日も、来てくれないのね、貴女は。
木曜日…………窓の外は、長月の雨。降りしきる雨は、私の心も濡らし、凍えさせていく。
金曜日………………早く! 早く来て! 私の側に居て! 寒いのよ、心が!

どうして、こんな気持ちになるのか解らない。
多分、生まれて初めての感情じゃないかしら。
ただただ、胸が苦しくて、自由に羽ばたける翼を持たない自分が、呪わしかった。

「……めぐ。具合は、どぉ?」

今日も、水銀燈は来てくれた。
だけど、私の心は、窓越しに広がる無窮の空のようには晴れない。
怪しい影と、暗い雲に覆われて、私の心は迷路を彷徨う。
行き着く果ては、迷路の出口か。それとも冥路への入口か。
夕暮れ迫る茜の空に、私の不安は掻き乱される。

「ねぇ……水銀燈。今日も、蒼星石は練習してるの?」
「うん。めぐの為だって、頑張ってるのよぉ。毎日、夜遅くまでね。
 だから、めぐも蒼星石に負けないくらい、頑張らないとダメよぉ?」
「頑張る……か。どうしようもなく、虚しい言葉ね。
 私は、夢の導くままに、魂を彷徨わせているだけ。
 自発的に何かをしようだなんて感情は、もう無いの。もう、疲れちゃったから」

折角、お見舞いに来てくれた水銀燈に、こんな事を言うのは無礼だと思う。
解ってはいるけれど、それが、私の偽らぬ本音。
私が本音を語るのは、水銀燈と、蒼星石にだけ。パパにだって、心の内を明かしたりしない。

それを解ってくれているから、水銀燈も蒼星石も、私の側に居てくれる。
側にいて、私の話を、黙って聞いていてくれる。いつでも――ずっと。



待ちわびた土曜日。今日こそ、彼女に会える。
会いに行かねばならない……なんて、義務を感じてるワケじゃない。
ボクの方が、めぐに会いたくて、会いたくて――
胸を締め付ける苦しみに悶えて、眠れない夜を過ごした日もあったくらいだ。

「蒼星石っ!」

金糸雀に借りたフルートのケースを抱えて、玄関を出ようとした時、
姉さんに呼び止められた。

「今日は、この前の検査結果が出る日ですね。解ったら、すぐに知らせるですぅ」
「うん。解ってる。電話するからさ」

そう……今日は、先週の検査結果が出る日。身体の気怠さは、まだ続いている。
ボクは、なんとなく重い空気を払拭するように、明るく挨拶をした。

「それじゃ、行ってくるよ」
 ・
 ・
診察結果を聞いた後、ボクは、めぐの病室へと向かった。
足が……重い。心までもが、大きな岩のように、どっしりと重く沈んでいた。
でも、お見舞いにきていながら、こんな暗い態度じゃいけない。
ボクは努めて明るい笑顔を浮かべながら、めぐの病室に足を踏み入れた。

「おはよう、めぐ。なんか……久しぶりだね」
「蒼星石っ!? ああ…………良かった。もう…………会えないかと」
「悲しむ乙女のピンチに登場しなかったら、正義のヒロインには成れないからね。
 キミの笑顔を護るためなら、海底二万マイルにだって潜っていくさ!」



「……はぁ?」

感極まって溢れた涙が、彼女の一言で引っ込んでしまった。
一体、なんなの?

「どうして、正義のヒロインが出てくるワケぇ?」
「え? いつか、めぐが言ってたでしょ。ボクは、キミのヒロインだって」
「……言ってないわよ。もしかして『貴女は私の天使よ』って言ったことを、
 勘違いしてるんじゃない?」
「…………」
「…………」

なんて重い沈黙。そんな空気を打ち消したのは、意外にも、私の笑い声だった。

「あはははははっ! なぁに、それぇ。まぬけねぇ」
「ちょっ……そんなに笑わないでよ。恥ずかしいなぁ、もぉ」

それから暫くの間、私たちは笑っていた。
まるで、何かの恐怖から逃れるような、誤魔化し臭い笑いだったけれど……。
それでも私は――私たちは――笑うことを止めなかった。


「キミのために練習した曲を、聴いてくれるかい?」
「……勿論よ。その為に、私はこの一週間、命を繋いできたんだもの」
「うん。じゃあ……ボクの友人が作ってくれた曲を演奏するね。
 タイトルは『乙女の涙は乙女色』だよ」

私と、蒼星石。二人だけの演奏会が、いま……幕を開けた。


 ~ 続く ~
|