『思い出を花束にして』



学園の中庭は、とても日当たりが良い。
それに、校舎が風避けになるので暖かだった。
ぼ~っ……としていると、うっかり居眠りしてしまうような快適空間。
園芸部員の手入れが行き届いた庭園も、目と心を優しく癒してくれる。

そんな冬晴れの、祝日と重なった土曜日のこと。
水銀燈は午前の部活を終えて、帰りしな、見知った娘を見付けて中庭を訪れていた。
数少ない園芸部員の一人。今日は珍しく独りだった。
機嫌良さげに鼻歌を謡いながら庭いじりをする翠星石は、訪問者に気付いていない。
水銀燈は足音を忍ばせて彼女の背後に近付くと――

 「わっ!」
 「ひいっ!」

ほんの少し背中を叩いただけなのに、翠星石はビックリして五センチほど飛び上がった。
よっぽど庭の手入れに集中していたらしい。

 「もう! 驚かすなですぅ。ハサミ使ってたら、怪我してたかも知れないですよ」
 「あははは……ごめぇん。あんまり夢中になってたからぁ、つい」

水銀燈が顔の前で両手を合わせると、翠星石はぷうっと膨らませていた頬を窄めて、
「やれやれ……」と溜息を吐いた。
けれど、直ぐに笑顔を見せて、庭の手入れをしながら水銀燈に話しかけた。

 「銀ちゃんは、もう部活が終わったですか?」
 「ええ。午前中だけだったからぁ。帰る前に、ちょっと様子を見に来たのよぉ」

言って、水銀燈は辺りを見回した。この季節、花を付ける植物は少ない。
植わっているのは、翠星石がいま世話をしている多数の苗木だけだった。

 「今日は一緒じゃないのねぇ、蒼ちゃん」
 「蒼星石はバスケ部の助っ人に呼ばれて、出かけてるです。
  今日はもう来ないですよ。蒼星石に用事でしたか?」
 「ううん、別にぃ。いつもは二人一組だから、珍しいなぁ……って思ったのよ」
 「たまには、こういう日もあるです」

苗木を見つめる翠星石の横顔に、さっ……と微かな陰がよぎる。
なんだかんだ言ったって、バカが付くほどの仲良し姉妹だ。
お互いの半身と言っても差し支えない妹が側に居ないと、やはり哀惜の情が募るのだろう。

 「ねえ。私が手伝ってもいいかしらぁ?」
 「ふへっ? どういう風の吹き回しです、いきなり」

ベタベタな関係をからかわれると思っていたのか、
翠星石は意外な申し出に戸惑いの色を露わにした。
まじまじと水銀燈の顔を眺める瞳からは、なにか魂胆があるのではと勘繰っている気持ちが、
ヒシヒシと伝わってくる。

 「嫌ぁねぇ、ただの気紛れよぉ。それとも、部外者に手出しされると迷惑ぅ?」
 「べ、別に……そんな事ねぇです。しゃーないから、手伝わせてやるですよ」 
 「うふふ。ありがとぉ」

側にあるベンチにスポーツバッグを置いた水銀燈に、翠星石の躊躇いがちな声が届いた。

 「その前に…………お昼にするです」

そう言えば昼の用意をしてこなかったと、水銀燈は思い出した。
剣道部の練習は午前中で終わるから、必要が無かったのだ。

 「私、ちょっと近くのコンビニ行って来るわぁ」
 「お昼、持ってこなかったですか?」
 「ええ。家に帰って食べるつもりだったから」
 「…………ちょっと待つです」

翠星石はサンドウィッチの詰まったバスケットを、ずいっと水銀燈の方に差し出した。

 「良かったら、これ食べていいです。少し作りすぎたですから」

サンドウィッチの量は、どう見ても一人分。
蒼星石が一緒なら、作りすぎたという事も有り得るけれど、現状では考えにくかった。
大してお腹が空いていないとか、ダイエット中だとか言われた方が、まだ説得力がある。

 「気持ちは嬉しいけどぉ……ホントに良いの?」
 「私が構わねぇと言ってるです。さっさと好きなのを取りやがれですぅ」
 「そう? じゃあ、いただきまぁす」  

これ以上、遠慮していたら翠星石が逆ギレしそうだったので、
水銀燈はハムレタスサンドを手に取り、頬張った。

 「うん! おいしい~。上手に出来てるじゃなぁい♥」
 「サンドウィッチなんかで関心されても嬉しくないですよ。誰でも作れるです」

と言いつつ、翠星石は満更でもない表情を浮かべていた。




簡単な食事を終えて、暫しのティータイム。
水銀燈は、気持ちよく晴れ渡った冬の空を眺めながら、翠星石が煎れてくれた
ハーブティーの香りを堪能した。後味もスッキリしていて、思ったより悪くない。

 「ねえ。これって、市販のお茶なのぉ?」
 「家の庭で摘んだカモミールとレモングラスを使ってるですよ。
  香り付けにスペアミントを少し。消化促進作用があるから、食後には最適です」
 「へえ……やっぱり詳しいのねぇ。園芸部って、そういう研究もしてるの?」
 「してねぇです。メインは庭園の管理ですから」
 「じゃあ、翠ちゃんの趣味なのねぇ。良い趣味だと思うわぁ」
 「趣味と言うより、ライフワークですかねぇ」

翠星石は微笑んで、ティーカップに一度、唇を寄せた。
柔らかな日射しの元で、彼女の仕種はとても優雅に映った。
同い年の女の子が一瞬だけ見せた大人の顔に、胸の高鳴りを覚える水銀燈。
この気持ちは、羨望? ううん、ちょっと違う。

 「私の――私達のお父さんとお母さんは、もう居ません」

不意に、翠星石は口を開いた。
言葉の意味とは裏腹に、凪いだ湖面を思わせるほどの、落ち着き払った口調で――

 「自動車事故で、二人とも天国へ旅立ってしまったです」
 「……憶えてるわ。私も、葬儀に参列したもの」

葬儀の日は、やはりこんな冬晴れだった。
水銀燈は子供の頃の悲劇を思い出して、ちょっとだけ寂しい気持ちになった。

あれから十年以上も経つというのに、水銀燈は明瞭に憶えていた。
怪我の治療痕も痛々しい双子の姉妹が、しっかりと抱き合って涙を堪えていた姿を。

 「本当に、突然だったものねぇ」

つい、しんみりと呟いてしまった水銀燈を励ます様に、翠星石はにっこりと微笑んだ。
もう悲しみは振り切ったと言わんばかりの笑顔。
この笑顔を取り戻すために、翠星石はどれだけの涙を人知れず流し続けたのだろう。
水銀燈は彼女の健気さに応えるように、穏やかな笑みを浮かべた。

 「でも、私達は助かったです。だから、私達は園芸を始めて、今も続けてるです」
 「どうして、園芸なのぉ?」
 「それが、お父さんとお母さんの趣味だったから……。
  それこそが、私達家族の思い出だったからです。
  その思い出を繋ぐために園芸をライフワークにしたですよ」
 「なるほど。翠ちゃんの家の庭は、草や木がたくさん植えてあるものねぇ」

このハーブティーの原材料も、翠星石の庭で摘んだもの。
それは翠星石と蒼星石の両親がこの世に遺した、大切な思い出。かけがえのない宝物。

 「さあ! お喋りはこの辺で終わりにするですよ。
  銀ちゃんにはお昼を御馳走してあげたんですから、しっかり働いてもらうですぅ」
 「ふふふ……そうね。でも、その前に――」
 「えっ?」

水銀燈に頚を抱き寄せられて、翠星石はころんと、ベンチに寝転がってしまった。
頭が、水銀燈の太股に受け止められた。

 「あ、あう……銀、ちゃん?」
 「もう少し、休んだ方が良いわよぉ。膝枕、してあげるぅ♥」
 「え、ええ? い、いいですよ~。そんな子供じゃないですぅ」
 「いいのよ。翠ちゃんは普段から『頼れるお姉さん』として頑張ってるんだから。
  たまには、思いっ切り甘えなきゃあねぇ」
 「で、でも……誰かにぃ」
 「誰も見てないわよぉ。もう、午後の部活も始まってるし」
 
翠星石は恥ずかしげにモジモジしていたが、水銀燈の膝枕で髪を撫でられるのは、
確かに心地よかった。なんだか、とても心が落ち着く。
日だまりの気持ちよさも加わり、翠星石は急速な眠気を覚えていた。

 「温かい…………ですぅ」
 「ホント、温かぁい」

健やかな寝息を立て始めた翠星石の髪を撫でながら、
水銀燈もまた眠りの海へと沈んでいった。




それから小一時間後、冷えてきた風に起こされた二人は、苗木の手入れを始めていた。

 「ねえ、翠ちゃん。これ、バラ?」
 「そうです。バラの大苗が五百本あるですよ」
 「大苗って、なぁに?」
 「春先に接ぎ木して、秋まで育てた苗のことです。私と蒼星石が、去年の春に
  接ぎ木してたです。明日、裏山の城址公園に植えるですよ」
 「え? ああ……例の、学園主催の緑化運動ねぇ」

職員室前の掲示板に貼ってあった緑化運動のポスターを思い出して、
水銀燈はポンと手を叩いた。
この準備を、一年も前から始めていたなんて知らなかった。

 「夏前には、色鮮やかに咲き誇ってるはずですぅ~♪」

歌うように話す翠星石は、端から見ても楽しんでいるのが解った。
これまで大切に育ててきた苗が立派な花を付け、風に揺れている景色を思い浮かべる。
今までの苦労など、嬉しさの前では一瞬で吹き飛んでしまうだろう。

 「おじじもおばばも、きっときっと喜ぶです♪」
 「そして……お父さんとお母さんも、ねぇ」

水銀燈の囁きに、翠星石は……はにかみながら頷いた。




――明けて、日曜日の朝。
学園の裏には小高い丘がある。通称、明伝城址公園。
当時を偲ぶ石垣が僅かに残るだけの、だだっ広い公園である。
桜が咲く頃には花見客で賑わう公園も、この時期だと人も疎らだ。
ところが、今朝は喧噪に包まれていた。

 「ちょっと! いつまで私にこんな野良仕事をさせるつもりなの? 交代しなさい!」
 「ガタガタぬかしてねぇで、ちゃっちゃと苗を植える穴を掘り返しやがれです」
 「ふえぇ~ん。この肥料、すごく臭いのかしら~」
 「牛糞配合だから、しゃ~ないです。さっさと真紅の掘った穴に放り込むですよ」
 「喉が渇いたわぁ。お茶にしましょうよぉ」
 「まだ、半分にも達してないですよ、銀ちゃんっ! もうちょい我慢しやがれです」
 「そもそも……今日中に、五百本を植えようなんて……ムリぽ」
 「あ~もうっ! 文句ばっか言ってねぇで、死ぬ気で働きやがれですぅ!」
 「ヒナ、もう帰りたいの~」
 「苗と一緒に植えられて、土に還るですか?」
 「ま……まあまあ、姉さん。みんな庭仕事に慣れてないんだから」
 「蒼星石は甘いですっ! そんな事じゃ今日中に終わらないですぅ!」

などなど、応援に来ていながら愚痴や不平を並べ立てる友人達を適当にあやしながら、
翠星石は蒼星石と共に、肥料が敷かれた穴に大苗を植えていった。
ふと天を仰ぎ見ると、一筋の飛行機雲。今日も空が高い。


 (天国のお父さんお母さん……見てるですか。
  私も蒼星石も、こんなに楽しい仲間達と出会って、こんなにも幸せに暮らしてるですよ。
   だから、この幸せな想いを花束にして贈ります。届くのは数ヶ月先ですけど)



空に誓うと、翠星石は再び、薔薇の苗木を植える作業に戻った。
冬の太陽は、彼女達に柔らかな日射しを投げかけていた。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2006年02月28日 19:31