『愛って、なんですか?』


キミに初めて会ったのは、穏やかに晴れた、春の昼下がりだった。
病院の中庭で蹲り、苦しそうに咳き込んでいたキミを見付けて――
ボクは、手を差し伸べずにはいられなかった。

――それが、ボク達の馴れ初め。


あれから、もう半年が過ぎようとしている。なのに、彼女の病状は相変わらずだ。
心臓の病だと聞かされたときは、流石にショックで、目の前が真っ暗になったのを、
今でも憶えている。
同い年の娘が、刻一刻と近付く今際の時を待ちながら日々を送っているなんて、
考えたこともなかった。
でも、世界中では常に起きていること。
ボクより若くして、この世から去っていく人たちだって居る。

だから、ボクは毎日を大切に生きようと思い、今日もまた、彼女の元を訪れる。
高校のクラスメートにして、彼女の親友でもある水銀燈と一緒に。

「はぁい。今日も来たわよぉ。麗しき乙女たちの御登場ぉ~♪」

病室の戸を軽快にノックするや、水銀燈は彼女の返事を待たずに、扉を開く。
ボクは苦笑しながら、水銀燈の後ろに付き従う。
二人でお見舞いに来る時は、いつも、この順番だった。

水銀燈と彼女の関係を知って、なんとなく、そうした方が良いと思えたから。



彼女と私の邂逅は、もう半年は前のことになる。
空は穏やかに晴れて、例年になく温かな、春の昼下がりだった。
病室のベッドでひなたぼっこしていたら、とても気持ちよくて――

春の陽気に誘われて、病院の中庭を散歩してみた。
私にしては珍しい心境の変化だ。普段は、トイレに行くことすら物憂いのに。

けれど、訪れた中庭の花壇には、何も植えられていなかった。
乾燥した冷たい風に晒されて、土は水を求めるかの様に、黄褐色に渇ききっている。
それに対して、中庭の中央に聳える木は、青々と葉を茂らせていた。
他の木々は、去年の衣を全て脱ぎ捨て、貧相な体躯を晒しているというのに。

(なんて言う名前の木なのかな?)

木を見上げた私の髪を、冷たい春の風が舞い上げて、首筋を撫でた。
今にして思うと、あれは風じゃなく、死神の吐息だったのかも知れない。
なぜなら、その直後、私は激しく咳き込んで、立っていられなくなったのだから。

その場に蹲り、呼吸困難で吐き気すら覚えていた。
このまま、死んでしまうんだと思っていた。

苦悶に喘ぐ私の背中を、優しく撫でてくれたヒト……。
それが、運命の人との、運命の出会いだった。
栗色のサラサラした髪を風に靡かせ、彼女は春の光に包まれ、優しく微笑んでいた。

「大丈夫?」

その時に思ったことは、今も忘れない。
『見れば判るでしょ! 大丈夫なワケないじゃない! バ~カ!』って、思ったのよ。



あの時の事を思い出すと、ボクは顔から火が出るくらいに恥ずかしくなる。
我ながら、間抜けな質問をしたものだ、と。

暫くの間、彼女の背中を撫でてあげてたら、咳は徐々に収まっていった。
そして、彼女はボクを横目に睨みながら、こう言ったんだ。

「ねえ、おバカさん。この木が、なんて言う名前か、解る?」

初対面の人間に対して、なんて無礼な口を利くんだろうと、その時は腹が立った。
でも、入院患者が薬品の副作用や、ストレスで情緒不安定になる事は良くあること。
ボクは、彼女が指差した木を見上げて、教えてあげた。

「この木はね、柚だよ。寒さに強い木なんだ」
「……へぇ。それで、葉っぱが、あんなに青々としてるのね」
「患者さんに気を遣って、冬でも葉が散りにくい樹を植えたのかもね。
 花言葉も二つ有って『健康美』……って意味が含まれているんだ」
「健康美、かぁ。今の私には、叶わぬ願いね」

言って、彼女は、とても白けた様な表情を浮かべた。
当時のボクは、どうして彼女が、そんな顔をするのか解っていなかった。

「ねえ、花言葉は二つ有るって、言ったわよね。もう一つは?」

唐突な質問に、ボクは素直に答えてしまった。

「もう一つは『恋のため息』だよ」
「恋の……ため息ぃ?」



あの時の事を思い出すと、私は顔から火が出るくらい、恥ずかしくなる。
我ながら、幼稚な態度だったと、つくづく思う。
お腹を抱えて爆笑する私を見て、彼女はきっと、軽蔑したことだろう。
性格の悪い娘だ……と。

でもね、本当は、あの時……既に、心を奪われていたのよ。
彼女のことを、私だけの天使だと思っていた。何故だろうね?

「ねえ、貴女の名前は?」
「ボクは、蒼星石。キミは?」
「私、めぐ。柿崎めぐ」

お互いに名乗った後、私は蒼星石に、病室まで付き添ってもらった。
その辺の看護婦さんは、どうにも好きになれない。
上辺の作り笑いばかりで、見ているだけで虫酸が走ったわ。

私の病室は五階で、とても見晴らしが良い。いい加減、見飽きたけれど。
まあ、誰に気兼ねしなくても良い一人部屋なのは、嬉しいけどね。
窓の外に広がる景色を、蒼星石は眩しそうに眺めていた。
そんな彼女を、私の方に振り向かせたくて……私は、他愛ない話を切り出した。

「もうすぐ、桜の季節ね。蒼星石は、お花見とかするの?」
「うん、するよ。お爺さん、お婆さん、それに、姉さんと。キミは?」
「しないわ。散りゆく花は美しいって他人は言うだろうけど、私は、そう思わない。
 周囲に花弁を撒き散らして、汚しているだけよ。ちっとも綺麗じゃないわ」
「めぐは、現実的なんだね。キミの性格からすると、花より団子?」

そんな冗談を言われても、いつもは笑えなかった。
でも、その時は……心から笑える私が居た。



あれから半年。月日が経つのは、本当に早い。
出会ってから今日まで、ボクは毎日、めぐの元を訪れている。
平日は放課後、水銀燈と一緒に。週末ならば、都合が良い時間に。

今日は金曜日。水銀燈と一緒に、花屋に寄ってコスモスを買ってきた。
本来ならば今が旬の、秋の花なんだけど、最近では年中、買えたりする。
風情も情緒も、あったもんじゃない。

「めぐ。この花、ボクと水銀燈からの気持ちだよ」
「花言葉は乙女の真心よぉ? ありがたぁく受け取ってよねぇ、めぐぅ」
「ありがとう、二人とも。私、幸せよ。ホントなんだからね」

めぐは、くどいくらいに『ホント』を強調して、嬉しそうに微笑んだ。
そこまで喜んでもらえれば、ボク達も嬉しい。
水銀燈はコスモスを生けるため、花瓶に水を汲みに行った。

そして、ボクはめぐと、他愛ない話を始めた。

「もしも……そう。もしも……の話だよ?」
「なんなの? 『もしも』ばっかり並べ立てて……もしもシリーズ?」
「ちょっとした例え話だってば。もし、願った姿に変えてもらえるとしたら、
 めぐは、何に成りたい? どんな姿を夢見るの?」
「夢? 私の? そおねぇ…………私の夢は☆になること、かな?
 夜空に瞬く星になって、毎晩、貴方の寝顔を眺め続けるの。ステキでしょ?」

ステキかどうかは、よく解らない。
けれど、たとえ冗談だったとしても、めぐに想われるのは不快じゃない。
それどころか、とても嬉しかった。心が震えてしまうくらいに。



どんよりと曇った日も、カンカン照りで暑い日も、鬱陶しい雨降りの日も、
蒼星石は欠かさず来てくれる。今日は土曜日だというのに。
私なんかの為に、どうして、そこまでするの? してくれるの?
同情? ううん……少し、違う気がする。

今日も、窓の外はスッキリと晴れ渡っていた。
小さな雲が、一つ、二つ、流されて行く。

「蒼い空の向こう側って、どうなっているんだろうね。飛んで行きたいなぁ」

思い付いたままを口にすると、蒼星石は「うん」と頷き、遠い目をした。

「翼さえ有ったら、飛んでいけるのにね」
「蒼星石も、そんな風に思うんだ?」
「ボクだって、女の子だよ。夢で理想を見るし、現で恋を探したりもするさ。
 時には、センチメンタルな幻想を追い求めることも……ね」
「だったら、今日は幻想を追いかける日なのかなぁ」
「ふふ……そうかもね」

含み笑う蒼星石を、私は散歩に誘うことにした。
こんなに天気が良いんだもの。
少しくらい歩かないと、退屈で退屈で、身体中にカビが生えてしまうわ。

「蒼星石。ちょっと、その辺をブラブラしない?」
「珍しいね、めぐから誘って来るなんて」
「そんな気分なのよ。もっと……一緒に居たいの」

何気ない呟きが、実は思いがけない大胆発言だったと気付いて、
私は……身体が熱くなるのを感じた。



彼女の呟きは、本心? それとも、いつもの冗談?
ボクの心に、妖しい空気が流れ込んできた。なんとなく恥ずかしい。
だけど、ボクはこの雰囲気を大切にしようと思った。

ベッドから降りて、靴を履いた彼女に、ボクはそっ……と、腕を差し出す。

「手を繋ごうよ。こうして……ほら。僕の右手に君の左手」
「エスコートする男性役? 知らないのね。普通は、男の人が右に来るものよ。
 だから、繋ぐ手も逆だわ」

そう言えば、雛人形だと、お内裏様がお姫様の右隣に来てたっけ。
ボクとしたことが、迂闊だった。なんて格好悪い。

「ほらほら、早く出かけようよ、蒼星石っ♪」

めぐは、さり気なくボクの左手を右手で握って、グイと引っ張った。
温かく、柔らかい掌の感触。
ボクは彼女の手を握り返して、病室を後にした。


やって来たのは、思い出の中庭。九月の陽気は、まだ夏を思わせるほどに暑い。
めぐと出会った頃は土が剥き出しになっていた花壇も、今は薔薇の花で飾られていた。

「へえぇ。綺麗に咲き誇ってるね。でも、ちょっと手入れが雑かなぁ」

いつものクセで、つい薔薇の花に手を伸ばしてしまったとき、指に棘が刺さった。
らしくない。何をしてるんだろう、ボクは。
刺した箇所から溢れ出した血が、玉のように膨らんでいく。



「何してるのよ。薔薇の棘には御用心。意外に、そそっかしいのね、貴女」

私は、蒼星石の手を取って、彼女の指を銜えた。
本当なら、感染症予防の理由などで、口に銜えるのは避けるべき事だけれど。
でも、私は胸の奥底から込み上げてくる衝動を、抑えることが出来なかった。
蒼星石の指をしゃぶって、彼女の血を味わった。

「ちょっ……めぐ……そんなに舐めたら、くすぐったいよ」

頬を紅潮させて、蒼星石は恥ずかしそうに囁く。周囲の眼を、気にしているのかしら。
誰かに見られているかも……と思うと、流石に、私も恥ずかしくなった。
身体が火照って、ヘンな汗が出てくる。けれども、不思議と、心地よかった。
トクン、トクン、トクン……。
いつもより、心臓の調子も良いみたい。

「めぐ……顔が赤いよ? 病室に戻った方が良いんじゃない?」
「そ、そうね。戻ろうか、蒼星石」

私は蒼星石に付き添われて、少し前に出たばかりの病室に戻ってきた。
ベッドには、まだ温もりが残っている。

「あ~ぁ。ずっと一緒に……居たかったのに」

あまりの名残惜しさに、そんな戯れ言を口にしてみた。
蒼星石は「いいよ」と囁くと、扉に面会謝絶の札を下げ、施錠して、窓のカーテンを引いた。

「君が好きだから、誰よりも長く、誰よりも近くに居てあげる」

そう言って、蒼星石は……私を、ゆっくりとベッドに押し倒した。



ボクは、残暑の熱に浮かされていたのかも知れない。
若さ故の過ちだったのかも知れない。
幸せそうな、めぐの寝顔を眺めながら、ボクは自己嫌悪していた。
さっきの行為を思い出すだけで、恥ずかしすぎて、死んでしまいたくなる。

だけど――めぐを好きだって気持ちは、嘘じゃなかった。
寧ろ、その想いは今も、強くなっている。どんどん、強くなってゆく。

ボクは、乱れた着衣を整えて、カーテンを開いた。
いつの間にか陽は西に傾き、空は薄紅に染まり始めている。
病室の白い壁が、射し込む西日によって、鮮やかな黄昏色に染め上げられた。

「う……ぅん」

背後で、めぐが目を覚ます気配がした。
振り返ると、ボクとめぐの目が合ってしまった。
めぐは、慌てたように顔を背けて、窓の外に視線を向ける。

「き、き、綺麗な……夕焼けね。明日は晴れるわ。きっとよ」

照れ隠しか、そんな取り留めのない事を口にした。

「本当に、綺麗な夕日だね」

ボクは相槌を打って、めぐの側に歩み寄り、彼女の黒髪を撫でた。

「……明日も、きっと来るから」


 ~ 続く ~

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最終更新:2006年06月01日 22:39