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  ~第三十七章~
 
 
水銀燈の膝に抱かれて、めぐは満ち足りた表情を浮かべている。
穏やかに眠る旧友は、今しも瞼を開きそうだ。
 
 「そして貴女は、いつもみたいに、はにかみながら言うのよね。
  来てくれてたのね、水銀燈……って」

それが、子供の頃から繰り返してきた、二人の習慣。
水銀燈が、野良仕事で多忙なめぐの両親に変わって看病の手伝いに行くと、
めぐは大抵、まだ眠っていた。
そんなに寝てばかりじゃ、頭が呆けちゃうわよと水銀燈がからかうと、
必ずと言っていいほど「構わないわ。どうせ、もう壊れちゃってるんだし」と、
言葉を返したものだ。
その度に、ちょっとした口論が始まって――

 「それでも、私たち……一日と経たずに、仲直りしてたわよねぇ」

喧嘩の後、先に根負けするのは、いつも水銀燈の方だった。
自分の軽口が喧嘩の発端という気後れも、あったのだろう。
躊躇いながらも、様子が気になって見に行くと、
めぐは決まって目の下を腫らして、泣き寝入りしていた。

 「私が怒って出ていったからって……泣き沈むくらいなら、
  最初っから、憎まれ口なんか叩かなきゃ良いのにねぇ。
  ホント、貴女って、救いようのないお馬鹿さんだったわぁ」

水銀燈は、めぐの身体を冷たい石畳に横たえて、別れの口づけを交わした。
十六歳の頃に、ふざけ合って、一度だけ汗ばむ肌を重ねた事が思い出される。
中秋の名月を見に行った鎮守の森の社で、初めて口にした酒に酔いしれ、
火照りを冷ますように着ていた物を脱ぎ捨て、身体を絡ませ合った夜――
かつて、水銀燈が捨てられていた場所で経験した、初めての感触……。
青く幼い思い出は、もう永久に取り戻せない珠玉の記憶になってしまった。

重ねた唇を徐に離して、水銀燈は太刀を手に取り、立ち上がった。
もう目を覚ますことのない旧友を見下ろし、花の代わりに言葉を手向けた。

 「本当は、一緒に眠り続けてあげたい……でも、ごめんなさぁい。今はまだダメなの。
  私には先に、やらなければならない事があるんだもの。
  また、貴女を独りにしてしまうけれど……今度は、すぐに会えるから。
  だから、良い子にして待っててねぇ、めぐ」


――それじゃあ、行って来るわ。
くるりと踵を返して、めぐに背を向け、金糸雀と雛苺の元へ歩き出す。
「さようなら」と呟く唇の脇を、一滴の雫がこぼれ落ちた。
歩きながら、指先で目元を拭う。
此処から先は、泣いてはいけない。悲しんでいる暇なんか無い。


 「金糸雀。ヒナちゃんの怪我の具合は、どうなの?」

横たわる雛苺の容態を診ていた金糸雀は、話しかけられて、顔を上げた。
そして、心配ないという風に、口元を綻ばせる。
けれども、当の雛苺は苦しそうに喘いでいた。水銀燈が眉を顰める。

 「でもぉ、凄く苦しそうよ。大丈夫なのぉ?」
 「二、三本、骨が折れているの。その影響が出ているかしら」
 「発熱、とか?」
 「ええ。暫く、安静にしていないと。だから、銀ちゃんは先に行って」

金糸雀は決意に満ちた眼差しで、水銀燈を見詰め返す。

 「みんなだって、きっと城内のどこかで闘っている筈よ。
  だから、早く行って。雛苺のことはカナに任せておくかしら」
 「……解ったわ。ヒナちゃんの容態が安定したら、必ず追いついてきなさぁい」
 「勿論! じっちゃんの名にかけて、約束するかしら」

金糸雀は冗談を交えながらも、自信に満ちた態度で言い切った。
そんな彼女に、水銀燈は何も言わず、頚を縦に振ってみせた。
――足手まといには、なりたくない。
彼女の力強い眼差しには、その想いが、確かに込められていたから。
金糸雀なりの心遣いを、無駄にしてはいけない。


迷いを振り切って、水銀燈は走り出す。
たとえ金糸雀が叫ぼうと――有り得ないことだが、めぐが呼び止めようとも――
絶対に立ち止まるつもりは無かった。

でも、どこへ行けばいい? どっちに向かえば良いの?
真紅や、他のみんなは、今どこに?
少し考えて、水銀燈は悩むのを止めた。
勝手を知らない敵地で悩むだけ、時間と労力の無駄だ。
だったら、御魂の結びつきを信じて、自らの勘に賭けてみれば良い。
後は、野となれ山となれ、である。

部屋を飛び出し、直感の導くままに廊下をひた走る。
目の前に穢れの足軽どもが現れ、剣を振り翳して襲いかかってきた。
手狭な廊下では、水銀燈の太刀の長さが災いする。
けれど、斬り合うばかりが全てではない。

 「あんた達ぃ……運が悪かったわねぇ。
  私はねぇ、いま凄ぉく虫の居所が悪いのよぉっ!」

水銀燈は迫り来る穢れの者どもに太刀の切っ先を向けて、冥鳴を起動した。
 
 
 
 
金糸雀は、荒い呼吸を繰り返す雛苺を前にして、難しい顔を崩さない。
水銀燈には大丈夫と言ったけれど、それは欺瞞だ。
医薬品や道具を納めた行李が無ければ、治療のしようがない。
だが、そんな事を正直に話せば、水銀燈は雛苺も連れていくと言い張っただろう。
自分たち二人を護るために、行動を共にする、と。

 「それだけは……銀ちゃんの足枷にだけは、絶対になれないかしら。
  銀ちゃんは真紅を護るべきなのよ。カナたちではなくて」

金糸雀の呟きが聞こえたのだろうか。
雛苺は一度だけ呻いて、儚げに瞼を開いた。瞳に宿る光は、弱々しい。

 「金糸雀ぁ~。ヒナ…………もう……死んじゃうの?」  
 「な、何を言い出すの。もう、イヤぁね。雛苺ったら、冗談キツいかしら」

言って、金糸雀は虚しくなった。容態なら、本人が一番、解っている。
実際、雛苺の容態は絶望的だ。
折れた肋骨が左の肺を突き破って、心臓に近い箇所まで達していた。
腹部を強烈に圧迫された拍子に、内臓破裂も引き起こしている。
緊急手術を行わなければ、もう長くはない。
なのに、その為の道具は手元に無く、鎮痛剤で痛みを抑えてあげる事もできない。
金糸雀はただ、風前の灯火が消えゆく様を、看取るしかなかった。

 「そんな、悲しそうな顔したら……ダメなのよ。
  金糸雀だって、この間、言ってたの。鈴鹿御前を討ち果たす為には、
  ヒナたちの御魂が、ひとつにならなきゃダメだ……って。
  だから、ヒナはちょっとだけ早く、真紅の元へ行くだけなの。
  きっと……すぐに逢えるのよ」
 「うん。そうよね……きっと、また」
 「……じゃあね……金糸雀ぁ~」

雛苺は、焦点の定まらなくなってきた瞳を彷徨わせながら、
手を虚空に伸ばしていく。金糸雀が、その手をしっかりと握り締めると、
雛苺は安堵の溜息を吐いて、微笑んだ。

 「また……あとで……なの」

その後、雛苺が金糸雀の手を握り返してくることは、遂に無かった。
 
 
 
 
同じ頃、他の仲間たちに遅れて城郭に辿り着いた翠星石とベジータは、
やっとの事で城内に踏み込んでいた。
固く閉ざされた門を開くのに、思いの外、時間を食ってしまったのだ。

ここを潜れば、再び激しい戦闘が待っていると覚悟していたものの、
漸くにして突入した城内は、不気味に静まり返っていた。敵襲の気配がない。

 「……誰も、居ねぇです」
 「油断するなよ。どこから飛び出てくるか、解らねえぞ」

室内の様子を眺め回していた翠星石が、板張りの床に転がる行李を見つけた。
小走りに駆け寄り、確かめると、それは確かに金糸雀の持ち物だった。

 「間違いねぇです! 金糸雀たちは、ここまで来てたですよ」
 「問題は、その後、どこに向かったか……だ」

行李が転がっていた真ん前には、ぽっかりと落とし穴が開いている。
二人の脳裏に、同じ光景が浮かび上がっていた。

 「やっぱり、落ちやがったですかねぇ」
 「その可能性は、大だな。あいつ結構、鈍くさいから」
 「……じゃあ」
 「ああ、行こうか。女性優先……と言いたいところだが、俺が先に行く。
  お前は、その行李を持って、後から付いて来いよ」

言って、ベジータは躊躇なく縦穴に飛び込んだ。
だが、五秒待っても、十秒待っても、ベジータから返事が届くことは無かった。
よほど深い縦坑なのか、それとも、なにか別の仕掛けが働いているのか。
翠星石は痺れを切らして「ええい、女は度胸ですっ!」と吐き捨て、縦穴に身を投じた。

急速な落下によって、翠星石は胃液が逆流するような感覚に苛まれた。
冗談ではなく、あと数秒、こんな頼りない浮遊感を強いられていたら、
吐き散らしていたかも知れない。
けれど、その浮遊感は、唐突に終焉を迎えた。
翠星石の身体は漆黒の闇から、どこだか判らないが、薄暗い空間に放り出されていた。

 「やっと来たな。どうやら、ここが終着駅らしいぜ」
 「ふぇ? あ――」

頭上から声を掛けられ、近くに男の体臭を嗅ぎ付けた翠星石は、
ベジータに抱きかかえられている現実を知って赤面した。
異性の腕に抱えられた事など、産まれて初めての経験だった。

 「なななっ……何しやがるですっ! 離しやがれですぅっ!」
 「……あのなあ。俺が抱き留めなかったら今頃……って、まあ良いけどよ」

ベジータは、ポカポカと殴ってくる翠星石を床に降ろして、周囲に目を配った。
柱には篝火が据え付けられているものの、燃焼の勢いが衰えていて、仄暗い。
闇に目が慣れてくると、部屋の隅に座り込んでいる人影を、視界に捉えた。
声を立てず、足音を忍ばせて、人影に近づく。

 「金糸雀……か?」

呼びかけると、その人影はビクッ! と肩を震わせ、ゆっくりと振り返った。

 「ベ……ジータ?」

金糸雀は泣いていた。横たわる、一人の娘を前にして、涙を流し続けていた。
ベジータの背後から行李を抱えた翠星石が姿を見せると、
眼を見開き、無情な現実を嘆くように頭を振った。

 「遅……かったわ。来るのが……遅すぎたかしら」
 「どういう……ことです?」
 「……雛苺が……雛苺が」
 「っ! 雛苺が、どうしたですっ?! まさか――!」

翠星石は、金糸雀の隣に駆け寄り、彼女の前で眠る娘を目の当たりにした。
本当に、静かに眠っているだけのように見える。
けれども、その胸は上下していなかった。
手にしていた行李を取り落として、翠星石は両手で顔を覆った。

 「そんなっ! なぜですっ?! なぜ、雛苺が?」

その場に跪き、泣きじゃくる翠星石に、金糸雀は何も答えず、俯くだけだった。
何を告げたところで、言い訳にしかならないと知っていたから。

重苦しい空気の中、ベジータは金糸雀の右隣に片膝を着いて、
彼女の肩を優しく支えた。

 「他の仲間たちは、どうしたんだ? 一緒じゃなかったのか」
 「銀ちゃんは、先に行ったわ。真紅たちの事は、解らないかしら」
 「解らないって、どういう事ですっ!」

翠星石に胸ぐらを掴まれた金糸雀は、目を逸らせて、消え入りそうな声で答えた。

 「笹塚の罠に……掛かってしまったのよ。仕方……なかったかしら」
 「分断されて、金糸雀は他の二人と共に、ここへ落とされたのか」

ベジータは悲嘆の吐息を漏らすと、雛苺の遺体を抱きかかえて、立ち上がった。
そんな彼の様子を、眼に涙の跡を残した二人の娘が、呆気にとられて見上げる。
数歩、進んだ所でベジータは振り返り、彼女たちに語りかけた。

 「泣いてたって仕方ないぜ。この娘が死んじまったのは、悲しいだろうさ。
  だけどな、お前たちの仲間は、今この瞬間も闘い続けているんだぜ。
  お前らが助けに行かなくて、誰が行くって言うんだ?」

その一言は、翠星石と金糸雀の眼を覚まさせた。確かに、そのとおりだ。
冷たい言い種かも知れないが、死を悼む暇があったら、生きている友を助けるべきだった。
そうでなければ、また、掛け替えのない仲間を失ってしまう。
金糸雀も、そして翠星石も、涙を拭って力強く頷いた。

 「ありがとう、ベジータ。あなたの言う通りかしら」
 「確かに、悲しんでる暇なんかねぇですね。
  蒼星石や真紅、銀ちゃん、薔薇しぃに、きらきー。
  みんなと合流して、絶対に鈴鹿御前をブッ斃してやるですっ!」
 「その意気だぜ。そんじゃあ一丁、派手に弔い合戦といくか」
 「ええ! 銀ちゃんを、追い掛けるかしら!」
 「おもいっきり、暴れてやるですぅ!」

廊下に出た三人は、直ぐに、水銀燈の向かった方角を把握した。
何故なら、破壊の跡が生々しく残されていたのだから。

 「冥鳴の痕跡ですね。銀ちゃんも相当、頭にきてるみたいですぅ」
 「それは、カナたちだって同じかしら。おいで、氷鹿蹟」

金糸雀は廊下に灯された行燈の明かりで影を造り、精霊を起動した。
軽快な仕種で精霊の背に跨り、雛苺の亡骸を預かると、水銀燈の去った方へ精霊を走らせる。
翠星石とベジータは、その後ろを風のように追い掛けた。
 
 
 
 
――真……紅。
――真紅ぅ~。

薔薇水晶と雛苺に名前を呼ばれた気がして、真紅は息を呑み、眼を覚ました。
なんだか、不思議な胸騒ぎがしている。
二人に、良くないことが起こった予感……。

 「なんだか……力が漲ってくる。この感覚は……まさか、そう言うコトなの?」

籠手をずらして、左手の甲を眼前に晒す。
そこには【義】に加えて【忠】と【孝】の文字が、
真円の痣を縁取る様に並んでいた。
御魂が宿ったと言うことは、つまり、彼女たちが死んだ事を意味している。

 「薔薇水晶……雛苺……まさか、貴女たちは――」
 「薔薇しぃと雛苺が、どうかしたのかい?」

真紅の独り言を聞きつけて、蒼星石が声を掛けた。
それまで真紅は、彼女の存在に気づいていなかったので、
心臓が喉から飛び出すかと思えるほど、無様に身体を震わせてしまった。

 「ごめん。おどろせた?」
 「別に、構わないわ。周囲に気を配っていなかった、私が悪いの」

曖昧な笑みを浮かべて、ずらした籠手を元の位置に戻そうと左腕を引いた瞬間、
真紅の手首は蒼星石に掴まれ、彼女の前に引っ張られていた。

真紅の痣が変化している事を確認して、蒼星石は柳眉を逆立てた。
けれど、その怒りは二人の死を隠そうとした真紅に対してではなく、
背負わされた運命に対して向けられたものだった。

或いは、翠星石の御魂が含まれていなかった事を密かに喜んでしまった、
彼女自身への嫌悪だったのかも知れない。
蒼星石は、きつく握り締めていた真紅の手を、そっ……と手放した。

 「ごめんね、真紅。乱暴な真似をするつもりは、無かったんだけど」
 「気にしなくても良いのよ。私こそ、隠そうとして悪かったわ」

八人は、御魂という不可思議な縁で結び付けられた姉妹なのだ。
私生活の事ならともかく、御魂に関する情報ならば、共有すべきだった。
それが、一丸となって闘う仲間への、最低限の礼儀である。

 「それより、ここは何処なのかしらね。みんなの行方は?」
 「残念ながら、ボクには知る術が無いよ。
  真紅の方が、御魂の気配を鋭敏に感知できるんじゃないかな?」
 「それもそうね。ちょっと試してみるわ」

瞼を閉じて、意識を集中する。
途端、強烈な負の波動が押し寄せてきて、真紅は悲鳴を上げ、眼を見開いた。
なんという禍々しい気配だろう。四天王よりも、間違いなく強力だ。
該当しそうな存在は、鈴鹿御前しか思いつかなかった。

 「こっちよ!」

真紅は神剣を掴むと、いきなり走り出した。負の波動を辿って、ひたすら走る。
その後ろに蒼星石がピタリと貼りつき、真紅の背中を護衛していた。
散発的に飛び出してくる穢れの者を斬り伏せ、風の如く駆けていた二人は、
突如として大きな広間に飛び出して度肝を抜かれた。


ここは、どういう部屋なのだろう? 
油断なく周囲を見回す蒼星石の瞳に、昇り階段が映る。
その階段を視線で辿っていった蒼星石は、玉座に腰を降ろした男と――
彼に寄り添う娘を眼にして思わず息を呑んだ。
それは嘗て、彼女がジュンと呼び愛した男性と
彼を巡って刃を交えた娘……巴だった。
 
 
 =第三十八章につづく=
 
 

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