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ぶうん。そう、近くから音が聞こえた。

何か重い物を振り回した時の、風を切るというよりも風を揺り動かすような音。

ぶうん。ぶうん。ぶうん。立て続けに三回。

音を聞いて感じる質量からは信じられない早さで、空気は三度かき混ぜられる。

びし。腕に走る痛み。酷使の反動、事実の証を、僕は確かに受け取った。

その所為なのか、はたまた違うのか、それまで頭の中を覆っていた霧が、

まるで押し出された風に流されていくかの如く、何処へと消え去っていく。


「……本当、よく逃げ回るね。その逃げ足の速さには感心してしまうよ」


誰かの声。先程聞いた誰かの声とはまた違う、誰かの声。


「お前こそ、よくそんな鈍器を好き勝手に振り回せるもんだな。大した奴だよ」


三人目の、誰かの声……目の前にいて、僕に話し掛ける、誰かの声。


「それは誉めてくれているのかい? 光栄だね。

 でも、正直そろそろ飽きているんだ……いい加減に大人しくしてくれると助かるんだけど」

「こっちだって誰が好き好んで……」

「仕掛けて来たのは君達だ。その事は、誰よりも良く分かっているんじゃないかい?」

「……僕らは、お前達と争いたい訳じゃない」

「なら、自分達がしようとしている事を見つめ直してみるべきだよ……薔薇水晶!」


薔薇水晶――――僕の知る名前が叫ばれたのと同時に、

自分の背後から、先端の鋭い紫色をした結晶が、数え切れないほど飛来した。

それは目の前の誰かに文字通り襲い掛かり、

目標となった相手は回避行動に出たものの、二本、いや三本、その身に深く突き刺さる。

同時に、自分の視界が動き始めた。

地面を踏み締め、蹴り飛ばし、僕の視界は、目の前の人物に肉薄して――――

がいん。上から振り下ろされた鈍器、金属製の巨大な鋏は、ちっぽけな指輪と衝突する。


それは、本当に小さな指輪だった。

薔薇を模った、美しくて、思わず心奪われそうな、茨で指に巻かれた指輪。

だから言える。これは武器じゃない。武器じゃない筈なのに、鋏は指輪を砕けない。


「……くっ!」


しかしその一撃の重さには流石に堪えかねたのか、相手は後方に飛び退って距離を取った。

そして左手の薬指、指輪の薔薇の中から、小さな光を灯す何かを生み出す。

最初は細い棒の類かと思ったけど、

それはある程度の長さまで出現すると、ぐにゃりと曲がって地面に垂れた。


糸だ。



「ようやく出してきたね、君のアーティーファクトを」


ふふ。言葉と共に漏れる、小さな笑い声。

まるで、目の前の誰かが追い詰められている様を喜ぶがゆえの、暗い感情の籠った声だった。

……違う。


「壁役としての真紅も、完璧に役をこなしているとは言えないようだしね。

 幾ら取り繕うとも、君は結局戦うしかないんだよ……そう、金糸雀の時のように……!」


違う……思わない、思っていない、こんな言葉、口に出すどころか考えてもいない!

誰だ……君は誰だ……僕のすぐ近くで、僕の声で、僕の身体で、僕を操る君は誰なんだ!?


「さあ、いい加減に説得できるなんて思い上がりは捨てるべきだよ……

 侵略者、桜田ジュン――――僕は君を、打倒する!」

「! 蒼星石ぃぃぃッ!」


振り絞られた叫びと共に、再び激突音が鳴り響いて――――僕の意識は、そこで途切れた。






「っていう夢を見たんだ」

「……寝坊の理由にしては無意味に壮大な言い訳ですぅ」


それでも最後まで律儀に聞いて、ふわぁと大きな欠伸をするのは、僕の双子の姉、翠星石。

言い訳ではなくて、本当に夢の内容だったんだけど……

自分でも話していて冗談にしか思えなくなってきたので、強く否定はしない事にした。


「第一、蒼星石の夢にジュンが出てくるのからしておかしな話ですよ。

 蒼星石、ジュンと話した事なんて殆どと言って良いほど無いじゃないですか」

「……確かに、そうなんだけどさ」


だからこそ変な夢として磨きがかかるんだよなぁ……。

夢の中で僕と相対していた人物の名前、桜田ジュン。一応同じ高校の、同じクラスメイト。

だけど、今まで二人だけで話をした機会なんて、片手で数え切れる程しか思い出せない相手だ。

ただ、僕や翠星石が集う同じ輪の中にいるから……

いや、同じ輪の中にいる人物と仲が良いから、彼も何となく、輪の近くにいる。

だから目に付く――――付くけど、それだけの相手。

僕の夢の主役を張るほどに重きを置いている人物じゃない……筈なんだけど……。


「もし仮に蒼星石の話が本当だったとするです。

 じゃあ、その夢の中で二人が戦っていた理由は何なのですか?」

「えっと…………彼、ジュン君の事、侵略者って呼んでたから……」

「……もしかして優等生を演じる蒼星石が、常日頃から溜まった鬱憤を夢の中で……」

「そ、そんな怖い事考えたりしないよっ!」

「いーっひっひっひっ、冗談ですよ、やっぱり蒼星石はからかい甲斐があるですぅ♪」


心の底から楽しそうに笑って走り始める姉の後姿を、少し遅れて僕も追い始めた。

そうだった。すっかり忘れていたけど、今日は僕の寝坊の所為で遅刻しそうだったんだっけ。




午前中の授業が終わり、昼休み、僕と翠星石はお弁当を持って席を移動する。

向かった先の机には、既に自分達以外のメンバーが各々の昼食を広げ始めていた。


「あらぁ、ようやくデザートのお出ましねぇ」

「人をデザート呼ばわりするなですぅ」

「でも、楽しみにしているのは本当よぅ」

「……翠星石の作ってくるお菓子は、いつも美味しい……」


水銀燈と薔薇水晶の賛辞を受けて、翠星石は顔を赤くしながら乱暴な仕草で弁当箱を机に置いた。

その蓋が開くのを、雛苺は今か今かと目を輝かせて待っている。


「うゆー、楽しみなのー、苺を使っていたらもっと幸せになっちゃうの~」

「ふふん、そうは問屋が卸さないかしら。今日はきっと玉子焼きなのかしらー!」

「それはデザートじゃないと思うんですけど……」


雪華綺晶の突っ込みに、夢を捨てたら人生負けかしらー、と金糸雀が叫んだ。

……そういえばあの夢、金糸雀の名前も出ていたんだよな。

だけど金糸雀は、いつものように元気良く雛苺とじゃれあっている。

変な所は何もない、至って普通の日常……気にし過ぎなのかな、やっぱり。


「騒がしいわよ貴女達、食事の時くらい静かになさい」


そんな一同にぴしゃりと言い放ったのは、真紅。

昼食の時は、基本的に彼女の周りに僕達が集まる……

というよりも彼女が動かないので、こうして皆が座席を移動しているのだ。

なんだかんだいっても仲の良い集まりである僕達は、

誰が付けたかは知らないが、周囲から薔薇乙女<ローゼンメイデン>と呼ばれていた。

その名にどんな意味があるのかは分からない……でも、個人的に響きは悪くないかなと思っている。


「貴方もよ。いつまでも鉛筆を動かしていないで、そろそろ手を洗って紅茶を淹れて頂戴、ジュン」


ん。そう短く呟いて、開いていたノートを仕舞い、

廊下に出て行ったのが、僕の夢の登場人物――桜田ジュンである。

真紅の言い付け通りに、手を洗いにいったのだろう。

程なくして戻ってくると、自分の鞄に手を入れて、銀色の魔法瓶を取り出した。


「ジュンって本当に真紅の言い成りねぇ」

「失礼なのだわ水銀燈。下僕と呼びなさい」

「どっちが失礼なのか……分からない……」


うんうんと激しく頷く翠星石の前に、なみなみと紅茶を注がれた紙コップが置かれる。

次は僕の前に。ありがとうと言えば、気にすんなよと返すジュン君。

特に接点がある訳でもない僕達の会話なんて、この程度が関の山である。

他に名前の挙がっていた真紅、金糸雀、薔薇水晶だって、

彼以上に会話が続かないとは言わないけど、

少なくとも僕の自覚している限り、切った張ったの血生臭い夢に招待するような感情は抱いていない。


「どうしたんだ? 蒼星石」

「あー、放っとくです。きっと夢見が悪かったのを引き摺ってるですよ」

「……夢見?」


あ、珍しく会話が続いた……とは言っても僕は話題で、翠星石が主役なんだけど。


「実は蒼星石、夢の中でジ……」

「――わーっ! なんでもない! なんでもないから気にしないで!」


慌てて翠星石の口を塞ぐ。

なにを言い出すんだ、あんな話をされたら昼食の場が気まずくなるじゃないか!

みんなは暫くの間、取り乱した僕を訝しそうな目で見ていたけど、

真剣に心配されたりメルヘンに思われても困るので、その話題には二度と触れさせなかった。


「……ふう。出来合いのものでは、やっぱり至らないものね」

「学校で作ったのよりも、家で作ってきた方が美味いって言ったのはお前だろう。

 そもそもお前だけ専用のカップを用意してるんだ。これ以上注文つけるなよな」

「明日辺りにでも、もう一度梅岡に設備の必要性を訴えてくるのだわ」


梅岡先生も気の毒に。

そう思いつつ口に運んだ紅茶は、いつもの通り美味しい。

この時だけはみんな揃って無口になり、各々が紅茶の味を楽しむ。

あの翠星石でさえも顔を綻ばせて幸せそうに一息吐いている……

と、これは実の姉に対して、些か失礼な引き合いだったかもしれない。


「ふふ……ジュン様の紅茶は学校生活に欠かせない潤いですわね」

「うん……私の執事と交換したい……」


ラプラスさんも報われないなぁ。

そう思いながら口に運ぶ紅茶は、何度となく飲んでいるというのに飽きが来ない。

流石、紅茶にはうるさい真紅から太鼓判を押されるだけの事はある。

真紅自身は、昼食の時よりも午後のゆったりした時間に飲む事を望んでいるけど、

高校生をしている身としては、そう都合良く時間を取れる事も少なく、

結局みんなでリラックスできるこの時間が、ティータイムとして選ばれている。

お蔭で僕も御相伴に預かれるし、みんなもこの一時を快く思っているだろう。

そう考えれば、感謝こそしても、凶器を振りかざすような相手じゃない筈なのに……。


「……蒼星石」

「―― なんだい、翠星石」

「今は変な夢なんて忘れて、この雰囲気を楽しむですよ」


そうして紅茶に口を付ける姉の姿は、普段からは考えられないくらい大人びて見えた。






「――――紅茶。そう、紅茶……君の淹れてくれるあれを、僕はとても気に入っている」

「……そりゃどうも。だけど、その相手に凶器を向けて話す事じゃないよな」

「動揺を狙っているとでも思われたかな?

 これは失礼。そのような姑息な手は、君達反逆者にこそ相応しい」

「蒼星石……」

「無駄だよ。僕の瞳に何を認めたのかは知らないけど、それは君の思い込みに過ぎない。

 そう易々と逆賊の甘言に踊らされれはしないさ。『世界樹』を狙う不届き者め……!」


短く息を吐き、虹を描くように大跳躍、大上段から体重を乗せて鋏をジュン君に叩き込む。

疾い。我ながら感心してしまう一撃は、彼の身体を吹き飛ばし、コンクリートの壁に打ち付けた。

……見覚えのある城門。もしかしてここは、学校の中での出来事なのか……?


「がは―――― げふっ! えふっ!」

「少しは効いたかい? だけどそれは、君の油断が招いた失態だよ」

「……ならどうして、饒舌に余計な話ばかりするんだ……。

 それはお前が―― お前が、少なからず今の自分に――疑問を抱いているからじゃないのか……?」

「ふん……この期に及んで良く喋るね」


……僕は、彼に近付いていく……それは暗い心持ちで。

自分を否定する、壊そうとする彼を……目障りで鬱陶しい存在を、排斥しようと。

嫌な感情……これは、不味い……このままだと僕は……僕はジュン君を……。


「―――― それ以上はさせないのだわ、蒼星石」


と、僕とジュン君の間に割って入って来た人物がいた……真紅だ。


「……ここまでよ、ジュン。

 確かに蒼星石は不安定かもしれない。けれどこれ以上は、あの子を不安にさせるだけ……」

「真紅……でも」

「分からないの? あの子が取り乱したら、真っ先に狙われるのはジュン、貴方なのだわ」


真紅は毅然とした態度で僕に睨みを利かせている。

射抜かれるような鋭いその視線の正体は、敵意……今の彼女は油断無く、僕を敵と認識している。


「……健気だね、真紅。

 彼の為に今の今まで薔薇水晶を制止してきたというのに、

 結局こうして説得が失敗に終わっても、恨み言一つ漏らさずに済ませられるというのはさ」

「本当に。不出来な下僕を持つと苦労するのだわ。

 ……だけど、別にジュンの為じゃない……私も、できるなら貴女と戦いたくは無かった……」

「薔薇水晶にはそんな素振りも見せなかったくせに……?

 君も――君まで、僕を不完全呼ばわりするというのかいッ!?」


僕の身体は、鋏を両腕で構え、まるで威嚇するかの如く、いつでも襲い掛かれる姿勢を取る。

視界の先の真紅とジュン君の姿が歪む――――怒りで。ぐつぐつと沸き立つ、熱い感情によって。


「……だけどね、真紅、僕も一言言わせて貰うなら……」

「?」

「戦いの最中に余所見は危ないよ――――」


直後、地面を割り砕き、巨大な水晶の槍が真紅を足元から襲った。

それに押し出されるように空へと舞う彼女。

しかし僕はそれに目もくれず、水晶の裏側から一直線に、ジュン君の元へと走り抜ける。


「!?」

「遅いよ」


不意を突かれ、驚きに染まったジュン君の顔を見つめたまま――――お腹に鋏を、刺す。

彼の指輪に負けない位、装飾の美しいその鋏の先を、ぶすりと、埋め込む。


「―――― ぐぷ」


呻き声、というよりは、血の逆流する音が、彼の口から発せられた。

ぶすり、まだ、ぶす、まだ、ずぶずぶ、まだまだ、ずぶずぶずぶ、まだまだまだ――――

遠慮無く、入るだけ、深く突き入れる。城門に磔にでもする勢いで、壁に釘を刺す程度の感覚で。


「……くっ」


喉が鳴る。


「ふふ……あはははは――はははははははははは――――ッ」


喉が震える。僕の喉が。

眩暈のしそうな自分の声が、長く長くいつまでも、止まずに僕を締め付ける――――






「―――― あああああッッッ!!!???」


そうして僕は、布団の中から飛び起きた。

目覚めたばかりの瞳はぐるぐると動き回り、

動悸の振動が上半身を、陸に揚げられた魚みたいに震わせる。

服の中はびしょびしょ、興奮と寒気がごちゃ混ぜになり、熱いのか寒いのかも判別が付かない。

混乱する頭で、右手と左手を掲げて見る…………残っていた。感覚が、あの気持ち悪い感覚が……。


「蒼星石ッ! 今の悲鳴はなんなのですか!?」


翠星石が部屋の中に飛び込んできた。

だけど僕は、満足に言葉も紡げない。

顎が噛み合わないのだ。がちがちと、いつまで経っても上と下で喧嘩を続けている。

……そんな僕を見兼ねたのか、翠星石は近付いて来ると、膝を折って僕の手を握った。


「……また悪い夢を見たですか?」

「…………」

「まったく……しょうがねーから、今夜は翠星石が傍に居てやるですよ」


僕を安心させようと優しく笑う翠星石の顔は、慈しみに満ちている。

……まただ。また僕は、彼女の優しさに寄り縋っている。

子供の頃から一方的にもたれ掛かったまま、彼女の強さに甘え続けている。

勇気を持ちたいと、姉を助ける事ができる勇気が欲しいと、幾度と無く願い続けても、

こうして僕は助けられるだけ。一人で歩く事も出来ずに、彼女の影を追い続けている……。


「…………ごめん。翠星石」


だから辛うじて告げられたのは、お礼の言葉ではなくて、力の無い謝罪の言葉だけだった。


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