※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

 
 
  ~第三十三章~
 
 
武将が右腕に握る槍の穂先が、松明の炎を受けて、ぎらりと残忍な輝きを放つ。

 (生贄になんて、なって堪るかですっ!)

翠星石は痛みを堪えて、左手のクナイを、武将の顔面に投じた。
クナイは兜の内へと吸い込まれていった……が、頭蓋を砕くには力が足りない。
穢れの武将は槍を地面に突き立てると右手で翠星石の頸を掴み、髪を手放した。

翠星石は息苦しさに堪えながら、右手に握った短刀で、
頸を掴む武将の腕をめったやたらに斬りつける。
しかし、その行為は武将の激昂を誘っただけ。
穢れの武将は、怒りに任せて翠星石を地面に叩き付けた。

 「くぁっ!」

背中を強かに打ち付けて、喉の奥から息が漏れる。
その結果、出したくもないのに、呻き声を発してしまった。
カタカタカタ……。
穢れの者どもの嘲笑に、憎悪と憤怒の感情が燃え上がる。
仰向けに倒れたまま、翠星石は緋翠の瞳に憎しみを宿して、敵を睨み付けた。

 (こんなっ……こんな連中、睡鳥夢で捻り潰してやるですっ!)

しかし、精霊の名を口走りそうになって、翠星石は思い留まった。
そんな事をしたら、城門の向こうに居る敵を、城内に呼び込んでしまうではないか。
まったくもって、本末転倒だ。
そういう事態にならないように、自分は此処に残ったと言うのに――

翠星石の苦悩などお構いなしに、穢れの武将は地面に刺してあった得物を引き抜いた。
彼女の腹を、泥汚れした足でズシンと踏みつけ、躙る。

穢れの武将が、槍を逆手に持ち替え、翠星石の鳩尾に穂先を宛う。
槍の柄を掴もうとした彼女の手を、脇から進み出た二匹の足軽が抑えつけた。

 「お、お前らっ! やめるですっ! 放しやがれですぅっ!」

激しく藻掻くものの、盤石の重みで抑えつけられ、殆ど動けない。
槍の穂先が柔肌を突き、食い込んでくるのが解った。
一気に貫き通すのではなく、じわりじわりと力を加えて……恐怖を長引かせる。

翠星石は、ぎゅっ……と唇を噛み締めた。
緋翠の双眸から、止めどなく涙が溢れてくる。

――悔しい。
そして、怖かった。
すぐ側まで迫った死が、どうしようもなく怖くて……。
穢れの者の思惑どおりに蹂躙されていることが、悔しくて悔しくて……。
翠星石は、声にならない嗚咽を漏らした。

結局、自分は妹との約束ひとつ満足に守れない、駄目な姉なのだ。
真相を思い知らされて、翠星石は現実逃避するように、固く目を瞑った。

 (ごめんなさいです、蒼星石……バカなのは、私の方です)

鳩尾に食い込んだ穂先の周囲が、焼けるように熱い。
けれど、無様に痛がって、穢れの者どもを喜ばすのは癪だった。
歯を食いしばり、迸りそうになる絶叫を呑み込み、堪える。
意地にかけて、声は出さない。出したりなんかしない。

 (お前たちの思いどおりになんか、絶対にならねぇですっ!)

突然の破壊音が鳴り響いたのは、翠星石が決意した、正にその時だった。
「えっ?」と、驚愕に眼を見開いた彼女の視界に、
自分の両腕を掴んでいる頭蓋骨のない足軽と、
兜ごと頭を破砕されて消滅する穢れの武将が飛び込んできた。
一体、何が起きたというのだろう?
茫然と視線を彷徨わせる翠星石に、ぶっきらぼうな感じの声が呼びかけた。

 「よぉ、生きてるか?」
 「へっ? あ――」

声の方へ顔を向けると、そこには諸肌を脱いで仁王立ちする男の背中が有った。
黒髪を野性的に逆立てて、筋骨隆々たる肉体を、惜しげもなく晒している。
首に掛けた鎖の先には、純銀製らしい黒ずんだ十字架。
彼の両手には、片仮名の『ト』に似た形状の得物が握られていた。

 「お、お前は確か……金糸雀の診療所に来てた奴ですよね?」
 「二度も命を救った恩人を、お前呼ばわりかよ」
 「あ……ご、ごめんですぅ」
 「まあ、別に構わねぇがな。俺はベジータだ。次からは、そう呼んでくれ」

言い終えるが早いか、ベジータは穢れの群に飛び込んでいき、
瞬く間に全ての足軽の頭を粉砕していた。

 「これで、少しは話をする時間が出来ただろう」
 「す、凄ぇですぅ。それに……そんな武器、見たことねぇですよ」
 「これか? 琉球って國で手に入れた物でな。トンファーって言うらしいぜ」
 「へぇ。あ、えっとぉ……助けてくれて……ありがと、ですぅ」
 「礼なんかいらねぇよ。お前の方こそ、怪我は平気なのか?」

ベジータは、顎で翠星石の鳩尾を指し示した。
そう言われて、翠星石は半身を起こして、傷に手を当ててみた。
指先が傷口を抉って、ズキン! と、激痛が走る。
だが、痛みや出血の割に、傷は浅かった。切っ先で肌を裂かれただけらしい。
小さく呻いて、顔を顰めた翠星石の様子を、ベジータは心配そうに眺めていた。

 「金糸雀は、どうした? あいつなら、すぐに治療を――」
 「みんなと一緒に、先に。それに、この程度なら自分で手当できるです」
 「……そうか」

ベジータの表情が、翳る。
翠星石は怪我の応急処置をしながら、穏やかに訊ねた。

 「ベジータは、金糸雀の事が心配で、追ってきたですか?」
 「……ああ。あいつって、一見しっかりしてそうで、危なっかしいだろ。
  なんて言うか、放っておけねえんだよ」
 「ふぅん? なんだか、私と似てるですね」

てっきり、お節介なヤツだと、からかわれると思っていたのだろう。
ベジータは意外そうに右の眉を上げた。
そして気づけば、彼女の背中に「どんなところが?」と訊き返していた。
翠星石は治療の手を止めることなく、ベジータに眼を向けることなく答えた。

 「私には、双子の妹が居るですよ。蒼星石って名前ですぅ」
 「良い名前だ。その妹さんの事が心配で、つい世話を焼きすぎちまう――ってか」
 「あぁっ! 人の台詞を取るなですぅっ!」
 「へへっ、悪ぃな。似てるって言うから、俺なりの解釈を語っただけさ」
 「……やっぱり、似てるですね」
 「そうらしい」

そこで漸く顔を見合わせた二人は、ふっ……と微笑みを交わした。
 
 
 
 「どんな具合だ。行けそうか?」
 「ん、と……平気そう、ですぅ」

緩く身体を動かして、怪我の調子を見ていた翠星石は、満足そうに頷いた。
思いの外、出血は早く止まった。痛みも、さほど酷くない。
傷が浅かったのも、大きな要因だろう。
これなら、少しくらい派手に動いても、傷は開きそうもなかった。

 「それじゃあ早速、みんなを追い掛けるですよ」
 「あまり無茶すんじゃねぇぞ。
  戦闘では俺が前衛に出るから、お前は援護に徹してくれ」
 「任せろですぅ」

二人は、真紅たちが進んだ方角へと、足を向けた。
彼女たちの足跡を辿るのは、とても簡単だ。
破壊の痕跡を探して、追っていけば良い。
途中、散発的に敵の襲撃を受けたものの、少数だったので容易く撃退できた。

 「真紅たち、随分と派手に暴れまくってやがるです」
 「良い事じゃねえか。裏を返せば、みんな健在だってことだろ」
 「まあ、そうとも言えるですね」

ここまで来る間に、多量の血痕やら仲間の遺体は見当たらなかった。
必死に戦い続けている娘たちの――わけても蒼星石の――姿を思い浮かべ、
翠星石は心の中で祈った。

――みんなが無事で居ますように。そして、みんなで朝日を見られますように。

翠星石の願いは、たった……それだけの事だった。
 
 
 
 
城内の広間に、笹塚の哄笑だけが木霊する。
七人の犬士を前にして、この余裕は、どこからくるのだろうか。
何らかの罠を張り巡らせて、挑発しているのかも知れない。

ならば――と、金糸雀は短筒を笹塚に向けて、間髪入れずに二連射した。
一発は心臓。もう一発は眉間へ。
彼女の精密射撃は、寸分の狂いも無く、狙った箇所を穿った。
着弾の衝撃で、笹塚は仰向けに倒れた。

 「あれ? 呆気ないわね。虚仮威しだったのかしら?」

拍子抜けしたとばかりに、頸を傾げる金糸雀。
蒼星石と薔薇水晶、それに雛苺も、呆気なさ過ぎる幕引きに、茫然としていた。
けれど、真紅、水銀燈、雪華綺晶の三人は、硬い表情のまま、倒れた笹塚を睨みつけている。
以前、水銀燈に胴を真っ二つにされても、しぶとく生きていた男だ。
短筒で撃ったくらいで簡単に斃せる相手なら、何の苦労も無かった。

案の定、笹塚はひょいと立ち上がって、ニタリと嫌らしく口元を歪めた。
穿たれた銃創は既に塞がっており、こびり付いた血が、僅かに痕跡を留めるのみだ。

 「そんな豆鉄砲で、僕を祓えるとでも思ったのかい? 浅はかだねえ。
  まあ、歓迎会の余興としては、面白かったけどさあ」
 「まったく、ゴキブリ以上の生命力ね。辟易するのだわ」
 「脆弱な人間の妬みかい? ふふふ……まあ、どうでも良いや。
  さあ、八犬士の諸君! 君たちの強運を試してあげようじゃないか」

笹塚が指を鳴らすと、天井から数本の縄が、するすると彼の手元に降りてきた。

 「方法は、至って簡単。
  僕がこの縄を引けば、当たりハズレが判る仕組みだ」
 「どうせまた、くだらない罠なんでしょぉ?」
 「こんな戯れ事に付き合うつもりは無いね。ボクが速攻でケリを付けてあげるよ」

蒼星石と水銀燈が、精霊を起動する。
しかし、笹塚は慌てず騒がず、垂れ下がっている縄を適当に引いた。

 「これかな?」

途端、雛苺と金糸雀の足下が、バックリと口を開けた。
雛苺は悲鳴を上げる間もなく穴に吸い込まれてしまった。
金糸雀の方は、背負った行李が落とし穴の縁に引っかかって滑落を免れたが、
胸を撫で下ろしたのも束の間――

ぶつっ!

 「ひぇっ! い、嫌あぁぁぁ――――」

背負い綱が音を立てて切れ、彼女もまた、行李を残して奈落へと消えていった。

 「ヒナちゃんっ! 金糸雀っ!」

水銀燈が、二人を呑み込んだ穴の縁に跪いて覗き込み、奈落の底に呼びかける。
けれど、彼女たちからの返事は、幾ら待っても届かなかった。

 「あ~あ、残念だよ。あの二人はハズレだったねえ。ひゃははは!」
 「笹塚ぁっ! 貴様よくもっ!」
 「おっと……怒る暇があったら、彼女たちを助けに行くべきじゃないか?
  ひょっとしたら、まだ生きてるかも知れないよ?
  どうするね? 【仁】の御魂の犬士さん」
 
笹塚はニヤニヤしながら、水銀燈がどんな行動に出るのか、興味津々と眺めていた。

まだ、金糸雀と雛苺は生きているかも知れない。
その一言で、水銀燈は衝動的に、縦穴に身を躍らせていた。
敵の言葉に乗せられるなんて、どうかしている。迂闊と言うより暗愚だ。
それは、彼女とて承知していた。

 (でも……見捨てるなんてこと、出来ないわよ!)

どうせ助からない命だからと、あっさり見限るだけの冷徹さを備えていたなら、
めぐの事で苦しんだりしなかった。
それが出来なかったから、水銀燈は彼女のために、単独で旅に出たのだ。
特別な絆で結ばれた姉妹たちの安否なら、尚更のこと。
暗い穴の底で、苦痛に喘ぐ雛苺と金糸雀の姿を思うと、
とてもではないが、居ても立ってもいられなかった。

水銀燈が縦穴に飛び込むのを見て、笹塚はまた、腹を抱えて爆笑し始めた。

 「ひゃはははっ! 飛び降りやがったよ! バカだねえ、まったくさあ!」
 「……許さない。貴様みたいな下衆だけは、絶対に赦さないわ!」 
 「だったら、どうすると?」

ぎりぎりと歯噛みする真紅に侮蔑の眼差しを向けて、笹塚は更に、手元の縄を引っ張った。
立て続けに床が抜ける。真紅と蒼星石の身体は、闇に呑み込まれていった。

 「くっはははっ……これもハズレだったかあ。みんなクジ運が悪いねえ」
 「笹塚っ! 貴様という奴は」
 「芯まで……腐ってるね」
 「なんとでも言うがいいさ。甘ったれて、馴れ合ってるから早死にするんだよ」

笹塚は、薔薇水晶と雪華綺晶を交互に見比べて、にたぁ……っと嗤った。

 「決めたよ。君らだけは、僕が殺してあげようじゃないか」

徐に右手を掲げ、指を鳴らす。
すると、周囲の襖がタンッ! と乾いた音を立てて開き、穢れの者どもが踏み込んできた。
全員、鉄砲足軽だ。点火用の火縄が燻り、ちらりちらりと煤を巻き上げている。
穢れの者どもは、薔薇水晶と雪華綺晶を遠巻きに取り囲んで、一斉に鉄砲を構えた。
その輪を掻き分けて、笹塚が歩み出る。
彼の手には、他の鉄砲と明らかに形状の異なる銃が握られていた。

 「特に、雪華綺晶っ! 薄汚い裏切り者は、念入りに処刑してやらないとねえ。
  この試作兵器、屍銃『覇伝』の実験台になってもらおうか」
 「お姉ちゃんは……薄汚い裏切り者なんかじゃないっ!」

薔薇水晶は防御精霊を起動して、笹塚を討ち取るべく斬りかかった。
至近距離で弾丸を食らっても貫通はしないが、受ける痛みの度合いが違う。
圧鎧の装甲を以てしても、着弾の衝撃を完全に吸収、或いは反射する事など不可能だ。
しかし、姉を侮辱された憤りで、そんな問題は二の次になっていた。

突如として放たれた雷鳴のような炸裂音が、場の空気を瞬く間に支配した。
獄狗と共に、敵に肉迫して、周囲の鉄砲足軽を潰していた雪華綺晶は、
時ならぬ銃声に肩を震わせた。
そして、思わず振り返った先に、彼女が見た光景は――
二の句を奪い去られてしまうほどに、衝撃的だった。

それは、薄紫色の花弁が風に舞い散るように……。
鎧の間から血を迸らせながら、薔薇水晶はもんどり打ち、頽れた。

 「薔薇しぃっ!?」

名前を叫びながら、雪華綺晶は妹の元に走り寄った。
周りに蠢く敵のことなど、既に眼中に無い。
瞳に映るのは、力無く横たわる妹の姿だけ。
跪き、半身を抱き起こすと、薔薇水晶は間断なく押し寄せる苦痛に顔を歪めた。

 「あ……れ? お姉ちゃ……ん…………痛いよぉ」
 「気を確かになさい! 薔薇しぃ!」

呼びかけた直後、薔薇水晶は激しく咳き込み、喀血した。
胸を覆う部分鎧の左側に穿たれた、小さな穴。
その穴からも、薔薇水晶の鼓動に合わせて、血が溢れ出している。
呼吸が、徐々に荒く……小刻みになっていく。

 「私……死ぬの? ヤダ……そんなの……ヤダぁ」
 「落ち着きなさい。この程度の傷なら、死んだりしませんわ」
 「ヤダ……怖いよ…………死にたく……ないよ」
 「大丈夫! 死なないから! 死なせないからっ!」
 「……やっと……会えた……のに。また……お別れなんて…………イヤ」
 「もう喋らなくていいからっ! 絶対に助けるからっ!」

雪華綺晶は叫び、力強く抱き締めて、薔薇水晶の髪に頬を擦り付けた。
腕の中で、薔薇水晶は心地よさそうに、小さく吐息した。

 「……もっと……して」
 「ええ。幾らでも。薔薇しぃが望むだけ、してあげますわ」

右眼から溢れ出した涙が、眼帯の隙間から流れ出して頬を濡らした。
その涙は、薔薇水晶の髪に吸い込まれていく。

 「これからだって、ずっと……こうしてあげるから」
 「……あは。嬉し……いな。約束……だよ?」
 「ええ! ええ! 約束ですわ。指切り、しましょうか?」

言って、雪華綺晶は小指を立てた左手を、薔薇水晶の目の前に差し出した。
薔薇水晶が微かに頷き、右腕を持ち上げる。

 「あれ? なんで……だろ? 震え……が止まら……ないよぉ」
 「大丈夫。大丈夫だから――」
 「寒い……よぉ。なんだ……か怖い。暗……いよ。独り……にしない……で」
 「するワケないですわ。もう二度と、薔薇しぃを独りにしないから。
  だから、ね? 指切りをするのよ」

薔薇水晶の荒い呼吸が、段々と弱くなっていくのが分かった。
それでも、震える右腕が、ゆっくりと……だが確実に、雪華綺晶の左手に近づいてくる。
薔薇水晶の右手の小指が、雪華綺晶の小指と……あと少しで絡みつく。
けれど、その光景は、後から後から溢れてくる涙に滲んでいった。


 「……大好き……だよ」

たった一言。
薔薇水晶の右腕は、姉の小指と触れ合うことなく床に落ちた。
その一言を伝える為に、最後の力を使い果たしたのだろう。
遊び疲れて眠っているように、薔薇水晶は穏やかな表情をしていた。
その瞼が開かれることは…………もう二度とない。

 「う……………………うわあぁぁぁぁぁ――――っ」

雪華綺晶は、薔薇水晶の亡骸を抱き締めて、慟哭した。
 
 
 =第三十四章につづく=
 
 

|