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「ねえ、懐かしいね」

「そうだなあ」

僕たちは今、薄暗い場所で二人きり。暫く来ていなかったけど、思ったより埃がたって
いる様子もなかった。一応ここも『部屋』という体裁をとっている以上、姉が掃除してい
るのかもしれない。

「何年ぶりだろうね……」

「さあ。十年は経ってないんじゃないか」

「ふふっ」

「なんだよ」

「ううん。ぶっきらぼうな所は変わらないよね」

「む……」

僕たちが何故こんなところで、こんな話をしているのか。それを語るには、少し時間を
遡る必要がある。


   【藍空の、下でみる夢】



休日、僕は特にすることもなく暇を持て余していた。
ネットサーフィンも飽きてきたし、部屋に置いてあった本はあらかた読み尽した。
クラスメートの真紅に哲学の本を貸して貰ったりもしたけれど、実存がどうだとか言っ
てる部分がどうも納得出来ないままに、結局読み流すだけになってしまっていた。

天気はあまり良い感じとは言えなかった。窓から顔を出してみると灰色の雲が広がって
いて、曇天の空気に外は包まれている。
でも僕にとって、曇りの日は憂鬱の象徴ではない。むしろ空間を曖昧に優しく包むもの
だとすら感じている。
 加えて、僕は小雨模様の天気というものが好きだった。ざあざあ降りは少し頂けないけ
ど、ちょっと位の雨なら傘もささない。

公園に散歩でも行くか――、僕は恐らく、自分でも年に二~三回辿り着くか着かないか
の結論に、その日は至ったのである。

都会でも田舎でもない、ちっぽけなこの街の上に広がる空は大きかった。頭上に広がる
雲が何処まで続いているのかわからなかったけど、別に空の果てを見極めたいという願望
を持った訳ではない。

空は、自分の上にある。今見えている範囲がきっと、僕の中の"果て"であって。それ
はそれ以上でも、以下でもない……それだけのことだから。

 公園のベンチに腰掛ける。雨が降りそうな按配も手伝ってか、今日は公園にひとの姿は
それほど見受けられなかった。
 だらけた格好になりながら、また空を見上げる。


「灰色、か」

 今僕の頭上に広がる光景は、言葉で表すと"灰色"の一言で済んでしまう。だけど、その
実その"灰色"の中に濃淡があり、ただ僕の中にそれを細かく表現するための語彙が無いだ
け。
 "灰色"という色に、思いを巡らせる。白とも黒ともつかない曖昧な色彩は、どちららの
色にも成りきることが出来なかった曖昧なものではないだろうか。しかしそれは、その色
として認知されている時点で、許されている。その存在を、曖昧の象徴として、許されて
いる――。

 僕は考える。今の、僕自身の立場。今は平日は学校に行き、休みの日にはのんべんだら
りと暮らしている日々。
 それはそれで悪くないのかもしれないけど、近頃学校の友人たちを見るにつけて、自分
もそろそろ呑気に構えている場合ではないのかもしれない。

「曖昧だから、いいってもんでも無いか……」

 誰に言うでもなく、呟いた。そしてこの日、柄にも無く散歩に出ようと思ったりした僕
は、また柄にも無く自分のこれからのことについて考え始める。

 小さい頃から姉なんかにせがまれて人形の服を裁縫でちくちく縫って作ったりしたもの
だった。その作業は自分で性に合ってるのだろうか。だったら、小さい人形の服だけじゃ
なくて、もっとひとに着て貰えるような、――服飾の仕事。デザイナーなんかも良いだろ
うか。
 僕が普段あまり使っていない頭を(今も過度に使っているとは言えないが)捻っていると、
唐突に声をかけられる。


「桜田君?」

「ん……柏葉」

 クラスメートの柏葉だった。休みの日だと言うのに、制服を着込んでいる。手に持って
いる荷物を見るにつけて、恐らく部活の帰りなのだろうか。

「どうしたんだよ。早く帰らないと雨降るかもしれないぞ」

「それは桜田君だって同じことじゃない」

「む……まあ、そうだけど」

 そうして、柏葉は僕の隣に腰掛けた。

「何してるの? 桜田君」

「僕か? 僕は散歩だよ。そんでここで休んでた」

「ふぅん」

「……」「……」

「……や、なんか話せよ。柏葉はどうしてここに?」

「私はよくここの公園に来るの。今日は曇ってるけど……ここから見える夕陽が結構綺麗だ
 ったりするし。一人で考え事とか、色々」


「考え事か、奇遇だな。僕もだ」

「どんなこと?」

「うーん……将来のこととか」

「そっかぁ、私達も三年だもんね。進学だとか、考えなきゃいけないもの」

「柏葉もそういうのを考えてたのか?」

「え? ……うん、まあね。そんな所」

「……」「……」

 柏葉と二人きりで話をするのは、結構久しぶりだったりする。家が近所なせいもあって、
昔は姉も交えつつ皆で遊んだりしたものだけど。流石に中学・高校と進学していくにつれ
て、そういう機会は無くなっていった。

「なんか久しぶりだよね、話するの」

「ああ」

「昔は結構一緒に居た記憶があるんだけど」

「まあ、お互い小さい時だったしな」

「うん……大人になっちゃうと、子供の時みたいにはいかないよね」


 そんなことを口に出す柏葉の方に眼を向けた。そうだな……二人とも"年をとった"とい
表現をするとなんだか親父臭いが、子供と呼べる年ではないことは確かだ。
 あんまり意識して見たことは最近ではなかったけど。柏葉はなんと言うか、美人だなあ
という印象がある。立てば芍薬、歩けば牡丹。典型的な、日本的美人だ。勉強も出来るし、
剣道では県で相当上位に食い込む位の腕前のようだし。

 今思うと、小さい頃の僕は。所謂恋心というものを、彼女に抱いていたのかもしれなか
った。けれど、それはかたちにすることは無かった。何故なら、僕自身が子供過ぎて、そ
れが"好き"という感情まで意識出来るレベルではなかったからだと思う。
 そうこうしている内に、月日は流れ。何時の間にか疎遠になってしまった僕らは、とり
たてて親密な付き合いに発展することもなく今に至る。
 何をするにも曖昧な僕に比べ、今の彼女はあまりにも輝かしい。こういうのが高嶺の花
ってやつなのかと、ぼんやりと考える。

「昔、かあ……ねえ、桜田君」

「どうした?」

「私が頼んで作ってもらったお人形って、まだお家にあるの?」

「あー、沢山作ったからなあ……屋根裏にまだ置いてあると思うけど」

「屋根裏って、あのちっちゃいお部屋のこと?」

「そうそう」

「そっかぁ……久しぶりに見てみたいかも。今からお邪魔してもいい?」


「今からか? もう夕方近いけど、家のひと心配しないか?」

「大丈夫。今日は部活で遅くなるって言ってるから。ま、練習自体は珍しく早めに終わっ
 ちゃったんだけど」

 そうやって、柏葉の提案により。僕たちは屋根裏の小部屋に入り込むことになった。


―――――


「あ、これ……」

 柏葉は、屋根裏部屋の片隅に置いてあった人形のひとつを手に取った。薄い桃色のドレ
スを纏った人形。

「ちょっと、出来は見れたもんじゃないなあ……こうやって、改めて見ると」

「そんなことないよ。これを作ってもらったとき、私嬉しかったもの。こういうのって、
 やっぱり桜田君の才能だと思うけど」

「……」

 才能、か。どうだろう。確かに裁縫は好きだけど、自分自身それに特化した何かを持ち
えているのかと思うと、少し自信が無い。
 優しげな顔で人形を手にとって、見つめている柏葉。その様子は、実際の年よりも幼く
可愛らしい感じに見えた。こういった一面を、誰か他のひとに見せることはあるのだろう
か……


 ……。そんなことを思いつくと、途端に今の二人の状況を意識してしまう。家に帰った
とき、姉は外出中らしく居なかった。両親はもともと仕事で家に居ないし、つまりは今、
僕と柏葉は、屋根裏のこの部屋で二人きり。
 柏葉が、小窓に手をかけて外を覗いていた。夜の帳が落ち始めている頃で、部屋の薄暗
さが増している。蛍光灯は設備としてついていなかったから、脇に置いてあった電気ラン
プを点した。
 柄にも無いことは、続くものだ。昼白色の、やわらかくも弱々しい明かりに照らされる
柏葉は、妙に艶っぽく見える。自然と、鼓動が高鳴ってきていた。


――

 何だ。健全な若い男女が二人きりで。ええと、何だ! 僕はそんな邪じゃないぞ! 柏
葉はクラスメートで、幼馴染で、だけど多分僕は彼女が好きかもしれないけど、ダイレク
トに身体の方が反応しつつあるのは男の性ってやつで、ああもう何だこの"身体だけが目的
です!"みたいな思考は! 男は皆狼ですーってアホか! 落ち着け桜田ジュン! 落ち着
くんだ!

(この間0.28秒)

――



「桜田君」

「っ! な、なんだよ」

まずい、声が裏返った。

「……ちょっと、聞いてもいい?」

「何?」

「うん……さっきの将来のこととかね。桜田君は、何か夢があるの?」

「えーっと……漠然とだけど、デザイナーになりたいなあとか思ってるよ」

「デザイナーって、服飾関連の仕事? ドレス作ったりとか」

「ドレスはどうだかわかんないけど……ひとの為の服造りには、かなり興味あるね」

「そっか……やっぱり桜田君はすごいなあ。うん、それって素敵だと思うよ。
 私とは大違いだね」

「大違い? 何言ってんだよ。柏葉だってすごいじゃないか。勉強もスポーツも出来て」

「違うの。私は与えられた課題をこなすだけで、中身が何にも無い。将来やりたいこと
 だって、ちっとも思いつかないし。実が無いっていうのかな、私はからっぽだよ。
 私の意志なんて、無いようなもの」



 そう言うと、柏葉は寂しげな眼をして俯いた。さっき、ちょっとでも欲望に流されそう
になっていた自分が恥ずかしい。何でもこなせる出来るひとでも、悩みが無い訳じゃ無い。
そう、柏葉は、真剣に今の状況に悩み、そして苦しんでいる。

 けれど。彼女は、からっぽなんかじゃない。それは、伝えなければならないと思った。

「柏葉……それはちょっと違うぞ。お前は僕から見れば羨ましいくらい何でも出来る。
 けど、それはお前の努力の積み重ねによるものだろ? それは誇っていいことなんだ。
 やろうと思って誰にでも出来ることじゃない。自分を必要以上に卑下する必要はないと
 思うぞ」

「でも……」

「悩むだけ、悩むといいだろ。僕らは年をとって、大人になったかもしれないけど、多分
 まだまだ若い。そりゃあ、悩んで努力して、それでも失敗したり後悔したりすることも
 あるだろうさ。

 努力は成功の保険じゃない。でも……だからこそ、なんて言うのかな。うまく言えない
 んだけど、努力とかが実った時って、すごく嬉しいんだと思う。柏葉は今の自分をもっ
 ともっと褒めていいし、今の現状を何とかしたいと思うなら悩めばいい。

 時間は、まだまだあるだろ? 僕たちは」

 多分、今。僕は柏葉に言葉をかけると同時に、自分に対しても言い聞かせていたのだと
思う。僕の考えが正しいとは限らないけど、これが今の僕が出せる、ひとつの答え。


「はぁ……やっぱり、桜田君はすごいね」

「褒めても何も出ないって」

「ふふっ。桜田君は優しいから」

「そんなつもりは無いんだけど」

「桜田君はね。小さい頃もそうだったけど、私が挫けそうになったときにいっつも励まし
 てくれる。お人形が壊れちゃったときも、直してくれたし」

「そんなこともあったか……」

「うん。桜田君って、結構モテるんだよ? 皆その優しさにやられちゃうのかなあ」

「初耳だぞ、そんな話」

 モテるんだったら、今頃彼女のひとりでも出来てそうなもんだが。

『ライバル多いから、困っちゃうなあ……』

「ん? 何だって?」

「ううん、何でもないの。さて、そろそろ帰るね」

「そうか。もう大分暗くなってるしな……送っていくよ」

「ありがとう。お言葉に甘えちゃおうかな」

 柏葉を、家に送る途中の道。夕方頃の天気からみて雨が降るかと思っていたのだが、
今は月が顔を出す位にはなっていた。

「夜の空って好きだなあ」

「夜って……暗いだけの感じもするんだけど」

「違うよ、桜田君。ちょっと見上げてみて?」

 促されて、僕は空を見上げる。柏葉は、少しはしゃいだ声で続けた。

「ほら。深い藍色の中に雲があるでしょう。夜って星とか月が出てる位って思いそうだ
 けど、夜にも青空があるの。月の周りの雲は簡単に見えるけど、それ以外の暗い所に
 も、ほら。

 ねえ、それは知ってた?」

「……」

 本当だった。夜空の雲なんて、今まで意識したことがなかったけど。昼間と同じように
雲はあって、ぼんやりと幻想的な暗色を映し出している。
 青空――いや、藍空が、僕の頭上には広がっていた。

 昼間に見た灰色の雲と同じように。今見ている雲も、とても儚く曖昧なもの。だけど、
柏葉はそれを見据えていた。――大したことじゃないのかもしれない。けど、今の僕は。
そんな彼女の眼を、羨ましく思う。


「柏葉、」

「何?」

「あ、いや――何でも、ないよ」

「そう? じゃあ、また明日ね」

「ん? ああ――また、明日」

 気づけば、もう柏葉の家の前に居た。そんなことにも気付かなかったのか。
 さて、僕も家に帰るかと。そんなことを考えて踵を返すと、彼女に呼び止められた。

「桜田君、今日は――ありがとう」

「今度何か奢ってくれ」

「ふふっ、わかった。あとね、――

 久しぶりに話せて、楽しかったよ。桜田君は、頼りになる。
 それでね。幼馴染のよしみって訳でもないけど。昔みたいに――

 また、名前で呼んでもいいかな」


 そんな、"よしみって訳でもない"というか。もともと僕たちは幼馴染な訳で、まあそれ
位ならいいかと思って――


「――いいんじゃないか。また明日、巴」

「うん――ジュン君」

 そう言って、その日僕らは別れた。

 藍空の下、僕は歩いている。さっきまでの時間、僕は夢でも見ていたのかと思う。
 なんというか、まあ。勢いに任せて告白するってのも無くは無いなとも思ったの
だけど。僕はもっと、曖昧の中にも、自信のようなものを見出せるようになったら――
その時は、玉砕してみてもいいかな、だなんて考える。

 空を見上げる。都会でも田舎でもない小さな街の上に広がる夜空は、やっぱりとても
大きい。この藍空は何処まで続くだろう。僕が歩けば、今見えている"果て"の先に、辿
り着くことが出来るだろうか。

 僕はまた柄にも無く、昼間考えていたことを翻して。その先を見てみようとするのも悪く
ないのではないかと思う。今日、かしわ――いや、巴と。話すことが出来て良かった。


「ま、悩みは尽きないんだろうけど――」

 自分ももうちょっと、頑張ってみようか。言ったからには、実行しないことには格好
がつかないから。いつか彼女に、胸を張って想いを伝えられるように――


 そんなことを思いながら、歩いている僕に。
 藍空の端っこの方で輝いている、上弦の三日月の。
 柔らかい月明かりが、降り注いでいる。
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