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  ~第二十七章~
 
 
――ダメ! 死んじゃダメ!

懸命に呼びかける私の声は、唇から出た途端に掻き消されて、妹には届かない。
お母様が、身を挺して庇ってくれた、私たちの生命。
なのに、こんなところで、微かな命の灯火は消えてしまうの?
ううん……そんな事は、させない。絶対に、消させはしない。

――これからは、薔薇水晶の命を……未来を、あなたが護ってあげて。

今際の時、お母様は私に、そう言い残した。
そう。薔薇水晶を護るのは、私がお母様と交わした、最後の約束。
だから、私は、文字通り決死の覚悟で生き延びようとした。
夜中、畑から農作物を盗んだりもした。
五歳ながら、人殺し紛いの事にまで手を染めて、命を繋いできた。

仕方がないじゃない。生きる為だもの。他に、どんな方法が有ったと言うの?
たった五歳と、四歳の子供に、どんな手段が残されていたというの?

薔薇水晶のため……。
ただ、それだけの為に、私は修羅の道に身を窶した。
薔薇水晶が見せる、無邪気な笑顔に癒されながら、良心の痛みに堪え続けた。
でも、私の尽力を嘲笑うかの様に、運命は過酷な試練を与えてくる。

今や、薔薇水晶は骨が浮き出るほどに痩せ衰え、衰弱しきっていた。
私が渇望して止まない無邪気な笑顔も、もう見せてはくれない。
お腹が空いたと、泣き出す事も無い。
妹は、殆どの表情を失っていた。まるで、人形みたい――

この子の命を、未来を、私が護ると約束したのに。
涙を流して懇願するお母様に、きっと守るからと誓ったのに。

――このまま、終わらせはしない。絶対に!
私は、住処にしていた稲荷の祠に薔薇水晶を横たえると、外に飛び出した。

 (お薬……それに、なにか食べ物を手に入れないと)

感情を喪失して、人形のようになってしまった薔薇水晶。
あの子を、救わなければならない。それが出来るのは、私しか居ない。
燃え立つ使命感と、押し寄せる焦燥感に衝き動かされて、走る。
山を越えた先にある廃村まで、ひたすらに走り続けた。


けれど、峠道で倒れてから、私の身体はパッタリと動かなくなってしまった。
もう四日も、まともな食事をしていない。空腹過ぎて、立ち上がる力も出ない。
薔薇水晶が待っているのに……これじゃあ、帰ることすら出来ない。
――私、ここで死んでしまうの?
私の意識は、急速に、深い闇へと落ちていった。


目を覚ましたとき、私の身体は温かな白い光に包まれていた。
どうしてだか解らないけれど、身体の奥底から、力が漲ってくる。
まるで、生まれ変わったみたい。
私は立ち上がって、再び、走り始めた。
薔薇水晶の為に、廃村で捨て置かれたままの薬を探し出して、持ち帰るのだ。
煎じ薬や粉薬については、お母様に色々と教わっていたから、大抵の物は解る。

既に住む者が居なくなって久しい廃村で、私は粉薬と、真っ赤な花を見付けた。
茎に鋭い棘が生えていたけれど、とても綺麗で、私は直ぐに魅了された。
――そうだ! この花、薔薇水晶の為に、摘んでいってあげよう。

顔を近付け、棘に気を付けながら、指で茎を摘む。
そのまま摘み取ろうとした直後、私は信じられない目に遭ってしまった。
なんと、その花が、私の右眼に噛み付いてきたのだ。

とても痛かった。それこそ、言葉では言い尽くせないほどに。
私は右眼を手で押さえて、土間を転げ回った。痛くて、目が開けられない。
溢れた涙が傷に沁みて、また、涙が溢れてくる。
そんな悪循環を、ちょっとの間、繰り返していた。

やがて痛みは収まったけれど、右眼を開けることは出来なかった。
でもまあ、瞼を開かずに済むなら、それでも良い。
私の右眼と、薔薇水晶の左眼は、普通の人と異なる目をしていたから……。
まだ村が戦災に焼かれる前、私たち姉妹はウサギの赤目と呼ばれ、
頻繁に虐められたものだ。あの頃は、毎日が厭で――

当時の事を回想しかけて、私は頭を振った。
好んで懐かしむ様な思い出じゃない。

 (そんな事よりも、早く、薔薇水晶の元へ戻らないと)

私は一度も休息することなく、稲荷の祠へと駆け戻った。
しかし…………そこに、薔薇水晶の姿は無かった。
何処へ行ってしまったの? 動き回れるほどの体力は、もう無い筈なのに。
――もしかして、私を探して、たった独りで?

祠の周囲を隈無く探したものの、薔薇水晶の姿は、遂に発見できなかった。
私は失意の内に、祠を後にした。
薔薇水晶を探して、当て所なく彷徨い続ける。
だけど、もう……体力は限界。なにもかも、面倒くさい。疲れちゃった。
もう、死んでも……良いよね?
私は道端に座り込んで、疲れ切った身体を横たえた。

――そして私は、鈴鹿御前様や、のりを含む四天王の面々と出会った。
 
 
 
 
瞼に光を感じて、雪華綺晶は、徐に目を開いた。

 (……随分と、古い夢を見たものですわね)

古刹の埃っぽい床板を、柔らかな朝の日射しが照らしている。
光芒の中を舞う微粒子を、雪華綺晶は寝ぼけ眼で、なにげなく眺めていた。
正直なところ、夢見は良くない。
けれど、不思議と清々しい気分だった。

こんなにも心安らかに目覚めたのは久方ぶりだ。この前は、いつの事だっけ?
とりあえず、すぐに答えが出てこないほど久しぶりなのは確かだった。

仰向けのまま頸を巡らすと、隣に、最愛の妹の姿。
薔薇水晶は幼い頃の様に、彼女の右腕にしがみつき、健やかな寝息を立てている。
あどけない寝顔に、昨日の戦闘時に見た凛々しさは欠片も見出せなかった。

 (薔薇水晶……今も昔も、私は貴女に辛い想いを、させてばかりね)

昨日の件は勿論、今まで自分がしてきた事についても、ハッキリと憶えている。
御前様の為と思って、自発的に残虐行為に手を染めたことも多々あった。
それは、信念を貫き通した結果にすぎない。
命を救ってくれた鈴鹿御前への、せめてもの恩返しだ……と。
しかし、穢れの植物が取り除かれた今、その気持ちが少しずつ揺らぎ始めていた。

 (私は、自分の意志で動いていた。そのつもりだったのに――)

もしかしたら、穢れの寄生植物に意志を操作されていたのだろうか?
操り人形に、なり果てていたのだろうか?
考えても、よく解らない。
過程を仮定したところで、今更、結果は変わらない。
私は、償いきれない罪を重ねてきた……。それだけが、真実。

 (なんだか、喉が渇きましたわ)

昨日は、かなり汗をかいていたから、水分が不足しているのかも知れない。
雪華綺晶は起きあがろうとしたが、薔薇水晶が右腕を放してくれなかった。
引き抜こうとすると、行かせまいとする様に、ギュッとしがみついてくる。
もしかして、起きているのでは? と思いたくなる反応だった。

雪華綺晶は微笑み、薔薇水晶の髪を、優しく撫でながら囁いた。

 「心配いりませんわよ。もう……どこにも行きませんから」
 「…………ん」

寝言なのか、薔薇水晶は小さく呻いて、雪華綺晶の腕を解放した。
もう一度だけ妹の頭を撫でて、雪華綺晶は物音を立てないように起きあがった。
みんなは、まだ眠っている。足音を忍ばせて、外に出た。

早朝の、ひんやりした空気を胸一杯に吸い込み、両腕を天に伸ばす。
大きな欠伸をひとつして、雪華綺晶は水場を探した。
こういう山の中に建てられた古刹の近くには、大概、清水が沸き出している。
周辺を少し散策すると、目当てのものは、直ぐに見付かった。
割れた岩の間に差し込んだ竹の樋を伝って、澄んだ水が流れ出している。
掌で受け止めた水は、身を切るほどに冷たかった。

 「んん~、甘露ですわねぇ」

掬っては飲み、飲み干しては掬う。
存分に喉を潤していた雪華綺晶は、ふと、背後に接近する者の気配を感じて、身を強張らせた。
敵意は伝わってこない。だからと言って、油断もしない。
雪華綺晶は密かに精霊の起動準備をしながら、一分の隙も見せずに振り返った。
そこに立っていたのは――

 「……真紅?」

見紛う筈もない、巫女装束の娘。稀代の退魔師、真紅その人だった。
けれど、様子が少し……おかしい。
澄んだ碧眼は茫乎として、雪華綺晶を見ているようで、見ていない。
まるで、何かに憑かれたような雰囲気だった。

 「何か用事ですか? それとも、お話でしょうか?」
 「貴女に、渡したい物があります」
 「? 急な話ですわね。いったい、何を頂けるのでしょう」

よもや、新しい眼帯などとは言わないだろうが……果たして、何なのだろう?
真紅の手には、それらしい物など何一つ握られていなかった。

怪訝な面持ちの雪華綺晶を前に、真紅は掌を上にして、両腕を肩の高さに掲げた。
瞼を閉じて、なにやら小声で聞き慣れない詞を唱えだした。
彼女の両手の上で、眩い光が踊り始める。

次の瞬間、凄まじい閃光が走り、雪華綺晶は反射的に腕を翳した。
一体全体、真紅は何をしているの? 何を渡そうというの?
腕で影を作って目を凝らずが、彼女の手元は、眩しすぎて良く見えなかった。

程なくして、閃光が収束する。
ちらちらと残像の浮かぶ眼を瞬かせて、雪華綺晶は真紅の手元を見遣った。
彼女の両手には、いつの間に現れたのか、光り輝く一本の槍が乗っていた。

 「雪華綺晶……貴女に、これを預けます」
 「これは?」
 「真紅が持つ神剣『菖蒲』と並ぶ、穢れを祓う武具。神槍『澪浄』です」
 「神槍……みお、きよめ?」
 「身体を清める意味が、込められているのです。さあ、手に取りなさい」

ずいっ……と差し出されて、雪華綺晶は、おずおずと腕を伸ばした。
こんな大層な物を、自分が預かっても良いのかと、迷う。
でもまあ、真紅が預けると言うのだから、何も気にする必要は無いだろう。
一度、生唾を呑み込んで、雪華綺晶は覚悟を決めた。

 「……解りましたわ。お預かりしましょう」

雪華綺晶は一歩、前に進み出て、右手で神槍を握った。
その途端、身体が温かな白い光に包まれる。

 「っ! これは……子供の頃に感じた、あの光っ!」

突然、左手の甲に激痛が走った。
まるで赤熱した鉄の棒を押し当てられて、肌が焼かれる様な痛みだ。

 「な、なんですの?! あ、熱いっ!」
 
雪華綺晶は神槍を投げ捨てると、慌てて左手の籠手を外した。
外気に触れて、手の甲がズキズキと疼く。
歯を食いしばって痛みに堪えながら、不意に襲った激痛の原因を確かめた。

そこに刻み込まれていたのは、火傷の痕ではなく、真円の青黒い痣。
紛れもなく、少し前まで仇敵の証として見なしてきた、あの痣だった。
中心に浮かぶは【礼】の一文字。

 「これは…………私も、犬士と言うこと?! まさか……」

眉を顰め、動揺を隠しきれない彼女に、真紅は――

 「貴女は間違いなく、私の魂を受け継ぐ者です」
 「……?」
 「これからは、鈴鹿御前ではなく、真紅を――」
 「まさか! 貴女は……房姫?!」

真紅が眠りに就いている間に、彼女の身体を一時的に借りていたのだろう。
それも、もう限界の様だ。
房姫は返事の変わりに、優しい笑みを浮かべて、雪華綺晶に告げた。

 「真紅を……護ってあげて」

その言葉は、雪華綺晶の胸に残る母との約束と、重なって聞こえた。
 
 
言い終えると、真紅は、まるで糸の切れた操り人形のように膝を折った。
――倒れるっ!
雪華綺晶が、腕を差し伸べる。
しかし、彼女より先に、木陰を飛び出してきた人影が真紅を抱き留めた。

 「まぁったくぅ……様子が変だと思ったら、そう言うコトだったのねぇ」
 「……水銀燈。貴女、いつから聞いていたのですか?」
 「最初っから、全部よ。盗み聞きするつもりは無かったんだけどねぇ」
 「目を覚ますなり、私の元へ真っ直ぐに向かう彼女の様子が気になって、
  見にきてみれば、とんでもない話をしていた……と」
 「話が早くて、助かるわぁ。正に、その通りよ」

水銀燈は左腕で真紅を支えながら、雪華綺晶に右腕を差し出した。

 「とりあえずぅ、同志になった記念に……ね」
 「でも、私は……一度は、本気で貴女を殺そうとした女ですよ?」
 「気にしなぁい。私だって、貴女をホントに斬ろうと思ってたわよぉ?
  だから、チャラって事で良いじゃなぁい」
 「……貴女という人は」

おおらかなのか、それとも単に、いい加減なだけなのか。
どちらにせよ、いい性格なのは疑いない。
雪華綺晶は、水銀燈のような人が嫌いではなかった。

 「では、そういう事にしておきましょうか」
 「よろしい。頼もしい味方が加わって、みんなも喜ぶわぁ」

水銀燈と雪華綺晶は、見つめ合い、固い握手を交わした。
 
 
 
気を失った真紅を抱えた水銀燈と、雪華綺晶が古刹に戻ると、
みんなは既に、全員が目を覚ましていた。
雪華綺晶が神槍と【礼】の御魂を見せて、これまでの経緯を説明をすると、
誰もが彼女を歓待した。薔薇水晶の歓びようは、特に――

 「犬士となる資格を持っていただなんて、私自身が一番、驚いてますわ」
 「確かに、ボクたちとは出自が異なっているよね」
 「でも、変じゃねぇです? 私たちが産まれたとき、二人は既に五歳と四歳だったです。
  どうして、房姫の御魂が宿ったですかねぇ?」

素朴な疑問を口にして、翠星石は腕を組んだ。

 「多分……二人は一度、死んでしまったんじゃないかしら。
  あ、気分を悪くしたなら謝るかしら。単に、可能性の話だから」
 「……平気。それに……なんとなく、そんな気がしてた」
 「死んでしまった時ぃ、飛んできた房姫の御魂によって蘇生したってわけぇ?」
 「話の流れを辿っていくと、そういう事になりそうだね」

蒼星石が言うと、誰もが神妙な面持ちで頷いた。
思えば、つくづく不思議な縁だ。
互いの顔も知らず。何処で産まれたかも解らず……。
個々の人生を歩んできた者たちが、こんな形で一堂に会するとは。

 「ねえ……それに関連する話を、ちょっと聞いて欲しいかしら」

金糸雀が口を開いた。あまりにも真剣な口調だったので、誰もが注目する。
金糸雀は、真紅が眠っているのを確かめてから、声を潜めて語り始めた。
鈴鹿御前を斃すためには、御魂が、やがて一つに集まらねばならない事を。

真紅に御魂を渡すと言う事は、即ち――


金糸雀が全て話し終えるのを待っていたかのように、真紅が目を覚ます。
そして、雪華綺晶が八人目の犬士であることを知って、目を丸くした。
なんという因縁だろうか。
御魂が宿している絆の強さに、真紅は空恐ろしさを覚えた。

全ては、産まれたときから定められていた運命なのか。
だとしたら、今後の闘いには、どんな運命が待っていると言うのだろう。
真紅の頭を、柴崎老人の家で聞いた、金糸雀の話が過ぎった。

 (私は……私たちは、今のままで鈴鹿御前に勝てるの?)

みんなの御魂を奪うことなく勝てるのならば、それが一番いい。
そうなって欲しいと、願わずにはいられなかった。
 
 
 
 =第二十八章につづく=
 
 

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