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  「私の名前はめぐ。柿崎めぐ」

  そうして、夢の中では聴くことの無かった彼女の声が、僕の中に
響き始めて。それが僕の中にある曖昧な記憶を形にしていく。

「思い出した?」

そうだ。いつも夢で逢っていたというのに、今の今まで僕は気付く
ことが無かったのだ。なんとも間抜けな話である。

「ごめん……まだちょっと曖昧だけど、確かに逢ったことがありま
  すね」

曖昧。まだ何処か『もや』が頭の中にかかっているような感じだっ
たけど。そうだ、確か前に学校で……

「そう、良かった。白崎君の引き出しは、壊れてないみたいだね」

「引き出し?」

「そう、引き出し。頭の中の何処かにある、記憶をしまっておくた
  めの引き出しだよ」

  『再会』からすぐ、こんな話を始めてしまう僕等は、少し奇妙な
感じだったかもしれない。
  堰をきったように、彼女は『引き出し』の話をする。


  ひとは、一度頭に入れた記憶を忘れることはないということ。
  忘れるというのは、記憶を無くすことじゃなく、『思い出せなく』
なっている状態だということ。
  そして引き出しの中身は、些細なきっかけで、簡単に取り出すこ
とが出来るのだということ。

  こういった話をするのは、嫌いじゃない。
  具体的な例をもって彼女は話をしているけど、結局頭の中の考え
を出しているのだから、これは観念的な会話になるのだろうか?
  ほら。こんなことを考えるのが、僕なのだ。

「私はすぐ思い出したんだけどなぁ」

「いや、申し訳御座いません」

「ふふっ。その話し方も、変わってないね。変に恭しいというか」

  彼女は笑った。零れるような笑顔だ。

「癖なら強制しないけど、もっと普通でいいよ」

「うん、まあ普通に話は出来るけど」

僕が店に立って普段客と話をする時は、逆に丁寧な言葉遣いしか出
来ない。まあそれも、昔とった杵柄という奴なのだが。


「人形劇」

「え?」

「人形劇、やってたでしょう。『不思議の国のアリス』」

「見てたの?」

「うん、ちょっとね」

参った。ということは、あの姿も見られているということか。

「おかしかったぁ。白崎君の白兎」

ああ、やっぱり。

  高校二年の夏休み、クラスの催しとして槐の作った人形を元にし
て色々な施設を回るボランティアをしたことがあった。大人も子供
も楽しめるように、という配慮で決められたお題は、『不思議の国
のアリス』。割とその全ての話の内容を把握しているひとは少ない。
  原書だと結構な章数になってしまうので、かいつまんで話を繋げ
る形にした。ところどころ、オリジナルの要素を盛り込みつつ。所
謂『現代版・不思議の国のアリス』として、結構本格的にやってい
たのだ。

  夢の中の不思議な世界へ迷い込んでしまう少女、アリス。
  そこで体験する、まさに夢のような不思議な出来事。
  物語の最後に、彼女は……

「あの白兎は、誰のアイディアだったの?」

「あれはクラス全員の総意。僕に拒否権は無かったんだ」

「なかなか様になってたよ」

くすくすと笑う彼女。参った、何だかバツが悪い。

  人形劇の司会進行として、僕が兎役になり、タキシードを着込ん
で物語の案内をしたのである。
  まず、兎の耳をつける。頭の上に生えた耳と耳の間にシルクハッ
トを被った。おまけに、顔を白く塗って……ほとんど羞恥プレイだ。
せめて兎の被り物をして、完全に顔を隠して欲しかった。……槐め。
  しかしながら、思い切り開き直った僕は、役に入り込むことにし
た。

『さあ、物語はこれから。少女の不思議な物語を、どうぞお楽しみ
  下さい……』

  深々とした僕の一礼から、劇は歓声とともに始まる。
  終了後は何故かアンコールが起こり、また僕が着替えて現れなけ
ればならない始末。とんだアリス物語だ。
  主に病院や養護施設、老人ホームなどを回っていたのだが、何処
で評判を聞きつけたのか、先方から劇の依頼が入るまでになり。
  僕はその度に、兎を演じ続けたのだった。

  当時の様子をまざまざと思い出し、頭を抱える。ああ、これが記憶
の引き出しの鍵が開いた、というやつか。
  そんな僕を見て、彼女はまだ笑っていた。それにしても、彼女はそ
の人形劇を、何処で見る機会があったのだろうか。

「まあ、いいじゃない。青春の思い出ってやつとして」

「うん……僕も結構楽しめたから。悪くないけどね」

その言葉を発してから、しばし二人とも無言。流石に夏の陽は長く、
まだまだ夕方になる気配が無い。

  そよ風が、身体を撫でた。彼女の長い髪が、揺れている。
  この空間そのものが、なんだか夢見心地だった。ここは白い夢の中
ではないけれど、この時間の流れに身を委ねてしまいたかった。
  ただ。折角声に出して話せる機会だから、僕は気になっていたこと
を尋ねる。

「ところでさ」

「うん?」

「さっきの人形劇の話。何処で見たの?」

「ん? えーっと……ね」

彼女は、言い淀んだ。あまり聞いてはいけないことだったろうか?

「お見舞い。家族が入院しててね、そのお見舞いで病院に行ってたの。
 そこで白崎君達が来るんだもの。びっくりしちゃった」

そんな彼女の言葉に、僕は何の疑問も抱かなかった。そう、頭から、
信じてしまった。疑う理由なんて、無かったから。

「そうなんだ。運がいい……って言うと失礼だね。ご家族が入院され
 てたんだったら」

「ううん、大丈夫。ちゃんと退院したから。今もそれなりに元気だし……
 うん、ラッキーだったね、私」

笑顔が、眩しかった。ただ、その笑顔の中の、ちょっとした儚さとで
も言えば良いのだろうか。とにかくそんな部分が、初めて僕の夢の中
の彼女のそれと、重なった。

「白崎君は、今何の仕事をしているの?」

「喫茶店のマスターかな。夜はバーテンダーだけど」

「それって、自分のお店を持ってるってこと?」

「まあ、そうなるね。あんまり流行ってないけど」

「すごいじゃない! 尊敬しちゃうなあ」

そこで、彼女は何か思案顔になる。頭の上にクエスチョンマークが浮
かんでるような、そんな感じ。

「白崎君。じゃあ、『今』、何してるの?」

「えーと……休憩中」

「ふふっ。駄目じゃない、さぼっちゃ」

「いやいや。美味しい紅茶を淹れるためには――……」


  他愛無い、話だった。そんなに中身がある話ではなかったけれど、
全ての会話に目的地が無くてもいいのだろうなどと考える。これは議
論では無いのだから。
 ひとしきり話したあと、僕は切り出す。

「じゃあ、今からお茶でも如何ですか?」

  ……。うん? 自分で行っておいて、少し違和感。

「……ちょっと古いね、誘い方が」

ニヤニヤとしながら彼女は言う。しまった、これじゃ、ただのナンパ
じゃないか。

「いやいやいや、そういう意味じゃ無くって」

慌てて否定する僕に、『ほんとかな~』と言いながら、なおも彼女は
その笑みを崩さない。

「えーと、残念だけど。今日はもう戻らなくちゃいけないから」

なんだ、そうなのか。本当に残念だったので、思わず肩を竦める。

「それは残念なことです」

「あははっ。やっぱり似合うね、その話し方」

「そうかな」

「そうだよ」

彼女がベンチから立ち上がった。ワンピースの裾が翻る。

「今日は無理だけど……きっと、お店に行くからね」

「期待してるよ」

僕も立ち上がる。流石にそろそろ、店を開けようと思った。

「そういえば」

「うん?」

「お店の名前、なんて言うの?」

「トロイメント。カフェ・トロイメント」

「へぇ……なんだか、いい名前ね」

「それは恐縮で御座います」


途中まで、二人で歩く。木陰から出ると、やはり結構陽射しは強く、
歩いているだけで流れる汗がじわりと滲み出てくる。樹々の緑は風
を受けてさわめいている様子だったけど、ちっとも涼しい感じがし
なかった。

「じゃあ、私はこっちだから」

「うん、それじゃあ」

手を振って、別れる。僕はその後ろ姿を追っていたのだが、そんな
に歩かない内に、彼女は何かを思い出したかのようにこちらを振り
向いた。


「そうだ、白崎君」

「あなたのお店は――どんな夢を、見せてくれるの?」


  店の裏口から入り、表のドアを開ける。プレートを営業中に直し
ておいた。

「どんな夢を、――か」

  誰に言うでもなく、呟いた。とりあえず彼女の問いには『店に来
てからのお楽しみ』という風に返しておいた。

  日常からの隔絶、とまでは言わないけれど。せめて世間の喧騒か
ら離れた、ゆったりとした時間を過ごして欲しいという願いから、
この店の名前は決まった。
  高校の頃の僕と言えば、哲学書を原語で辞書を引き引き読んでい
るような小賢しい生徒だった。それは今でも変わらず、本棚に置い
てある本は大体洋書である。店名を英語や日本語にしなかったのも、
その名残。

  そういえば、彼女は今何をしているのかを聞きそびれた。もう働
いているのか、あるいは学生か。
  『トロイメント』という言葉自体の意味を素で知ってるあたりに
驚いてしまったのだが、ひょっとしたら彼女は学生で、ドイツ語を
専攻しているのかもしれない。

  今度会ったら聞いてみよう、と思ったところで。特に次に逢う約
束も取り付けていないことに気がつく。

  まあ、いいか。また気まぐれにあの公園のベンチに腰掛けていれ
ば、また逢うこともあるだろう。
  思わぬ『再会』から、まだ一時間も経っていない。ただ僕は、夢
の中ではなく、この現実の中で彼女とまた逢えることを願っていた
のだ。


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