~第十四章~
およそ三日間が材料の加工に費やされ、四日目からが、本当の製造過程だった。
剣の中心である心金、峰の部分に相当する棟金、刃となる硬い刃金。
そして、剣の両面に当たる側金。
今は、棟金・心金・刃金を重ね合わせ『芯金』と呼ばれる合金を鍛えている工程だ。
工房から聞こえる小槌の音を聞きながら、真紅と水銀燈は、敷地の周りを見回っていた。
今のところ、穢れの者の気配は無い。
このまま何事もなく、完成してくれれば良いのだが……と、思わずには居られなかった。
「こうも敵の動きがないと、却って不気味よねぇ」
「嵐の前の静けさ――かしらね」
「まだ気付かれてないって思うのは、楽観すぎるぅ?」
「場を和ますための冗談としては、上出来な方なのだわ」
湯治場の戦いで、笹塚を仕留め損ねたのは痛かった。
悪知恵が働き、姑息な手を平然と使ってくる男だけに、油断がならない。
ひょっとしたら、もう町ごと焼き払う様な攻撃の手筈を、整えているかも知れなかった。
どれだけの規模で攻めてくるか……それが問題だ。
一応、襲撃に備えた布陣は、考えてある。
とは言え、穢れの者が、こちらの予想通りに仕掛けてくる保証なんて無い。
時間帯によっては、四人のうち二人が仮眠中という状況も有り得た。
「ただ待ってるだけと言うのも、不安が募るものね」
「そんな時はねぇ、身体を動かすのが一番なのよぉ……ふふふ」
水銀燈の口振りに、なにやら妙な思惑を感じて、真紅は横目で睨んだ。
「なに? また、変なコトを企んでいるんじゃないでしょうね」
「変なコトって、何よぉ? ちょっと揉んであげようと思っただけじゃなぁい」
「揉む……って、どこを」
「真紅の胸♪」
恥じらう様子も見せず、事もなげに、さらりと言ってのける水銀燈。
真紅は両腕で胸元を隠して、赤面しながら、キッ! と水銀燈を睨み付けた。
そんな彼女の頭を、水銀燈は平手でベシッ! と引っ叩いた。
「……な訳ないでしょぉ! おばかさぁん」
「痛っ! じゃあ、なんなのよ!」
「揉むって言うのはぁ、剣の稽古を付けてあげようかって意味よぉ」
「……紛らわしい言い方を、しないでちょうだい」
「あはははっ。真紅をからかうのって、ほんとに愉しいわぁ」
随分とまあ、いい性格をしているのね。
真紅は心の中で文句を言いながらも、水銀燈の申し出を受け入れることにした。
これからの戦いは、ますます厳しさを増していくだろう。
鬼祖軍団の四天王とも、いずれは決着を付けなければならない。
その場面になって、みんなの足手まといになるのは、彼女の自尊心が許さなかった。
「もうすぐ、交代の時間ね。その後で、指南してちょうだい」
「いいわよぉ。足腰たたなくなるくらい、可愛がってあげるわぁ」
「また、誤解を招く言い方をする……」
苦笑する真紅の背中を、ばしばし叩いて、水銀燈は笑い続けた。
芯金が鍛え上がったところで、柴崎老人は一度、呪符を刻み始めた。
鑿と槌を手に、細々とした文様を彫り込んでいく。
普段の生活では絶対に使うことのない、特殊な文字だ。
それは文字と言うよりは絵に近く、象形文字を彷彿させた。
精霊同体型の剣を造るためには、必要不可欠な工程である。
心血を注いで呪符を刻みあげると、今度は芯金を二枚の側金で挟み、火を通す。
そして、また金槌で叩き、鍛接していく。
徐々に、剣の姿が現れつつあった。
「さて……これからが本番じゃな」
ヤットコで挟んだ刀身を、熱しては叩き、冷めては熱しなおす。
規則正しく打ち鳴らされる音が、狭い工房に反響していた。
叩きながら、微妙に形を整えていく。老人の顔は、修羅の様に険しい。
――この刀が完成したら、あの娘たちは遠くへ行ってしまうぞ。
「!! ぬ、ぬう……っ!」
不意に、柴崎老人の頭で囁く、怪しい声。
あの時――妖刀『國久』を鍛えろと唆した、あの声だ……。
――妻や子が、お前の元を去ったように、あの娘たちもまた、お前を置き去りにするぞ。
それでも良いのか? 誰にも相手にされない孤独に、再び苛まれたいか?
それは厭だった。誰に省みられる事もなく、自分の存在意義すら解らない日々……。
あの頃のように、目的もなく惨めな人生を送るなんて、もうたくさんだった。
――厭ならば、やめてしまえば良い。その刀を砕いてしまえ。
だが、それが本当に自分の望む事なのか?
いいや、違う。柴崎老人は、即座に否定した。
確かに孤独でいることは、辛く、寂しい。
しかし、だからと言って彼女たちの信頼を裏切っていい理由にはならない。
そんな事をしたら、また、他人を不幸にするだけの妖刀を生み出しかねなかった。
――妻が引き合わせてくれた、あの娘たちを手元に繋ぎ止めて置きたくないのか?
「…………黙れ」
――刀を折り、娘たちを殺して、庭の隅にでも埋めてしまえば良い。
そうすれば、もう二度とお前から離れていく者は居なくなる。
「黙れっ! 黙れ、黙れっ!」
柴崎老人は、怒号と共に傍らの鑿を掴んで、自らの太股に突き立てた。
激痛が背筋を走り、衰えた灰色の脳に、強烈な刺激となって押し寄せる。
奔流のような痛みに押し流されて、闇の声は聞こえなくなっていた。
「……お爺さん? 今の声は、一体……あぁっ!?」
突然の喚き声を聞きつけて、顔を覗かせた蒼星石は、
老人の脚に深々と刺さる鑿を見て仰天した。
慌てて駆け寄り、一気に引き抜くと、持っていた手拭いでキツく縛った。
「何をやってるんですか! どうして、こんな――」
「すまない……蒼星石。また、あの声が……聞こえたんじゃよ」
「それって、まさか――」
柴崎老人は、頷き、苦しげに口元を歪ませた。
いまだに邪悪な囁きが聞こえることを、心底から恥じているのだろう。
「つくづく、自分が情けない。儂の心が弱いから、付け狙われるのじゃな。
ヤツらは何度でも、儂に悪意を吹き込もうとするのじゃ」
「誰だって、心に弱さを持っている。恥じる事なんてないんですよ」
「蒼星……石?」
「ボクだって、弱かった。心の弱さ故に、大好きな人を失って……多くの、
本当に多くの人々に、悲しい想いをさせてしまった」
蒼星石は、縛った手拭いが老人の血に染まっていくのを見詰めながら、訥々と語った。
「そして…………ボクの弱さは、ボク自身をも不幸にしてしまったんです。
何もする気が起きず、食欲も湧かずに、ただ、死を願って眠るだけだった」
「……儂も、そうじゃった。妻の諫言に耳を貸さず、死ぬ事ばかり考えていた。
かずきの元に行くことだけを、切実に願っていた」
「ボクと、お爺さんは、似てるんですね。色々なところで、とても似ている。
だけどね……ひとつだけ、違った点があるよ」
「それは、かけがえのない仲間が――過ちに気付かせてくれる友が、居たことじゃな」
老人の言葉に、蒼星石は無言で頷いた。
悲愴感に支配されていた自分を、親身になって想い、殴ってくれた水銀燈。
彼女に撲たれた痛みが、身体に刻み込まれている。
彼女が放った罵声が、胸に突き刺さり、今も心を疼かせている。
けれど、その痛みこそが生きている証なのだと、水銀燈は気付かせてくれた。
だから、ボクは戦う――
蒼星石は、力強い口調で、柴崎老人に決意を伝えた。
「これ以上、大切な人たちを悲しませない為に、ボクは剣を振るおうと誓ったんです」
「生きることは、戦うこと……か。当時の儂には、悲しみと戦う勇気が無かったな。
それ故に、妻を悲しませて……臨終の間際、側に居てやる事もできなかった」
柴崎老人は、蒼星石の肩に手を置き、優しく叩いた。
「今こそ、罪滅ぼしの――妻の想いに答える時じゃな。
もう大丈夫じゃ、蒼星石。儂はもう、邪な言葉に惑わされたりはしない。
必ずや、この剣を鍛え上げて、蒼星石に渡そう。それが、儂の闘いじゃ」
肩に置かれた老人の手に、蒼星石は自らの手を重ねた。
そして、互いの眼を見つめ合い、ひとつ頷く。
もう、言葉は不要だった。
いま、自分に出来ることを、精一杯やるだけ。
たった、それだけの事だけれど――
どれほどの人間が、それを実践しているだろうか。
蒼星石は黙って、工房から立ち去る。いま、自分がすべき事を為すために。
そして、柴崎老人も自らの人生と戦うために、小槌を手にした。
再び、工房に刀を打つ音が響き始める。
そのひとつひとつに込められた、老人の精魂が、蒼星石には感じられた。
さらに二日が経ち、夜も更けた頃――
工程は、最終段階に向かって順調に進んでいた。
鍛え上げた剣に焼きを入れて、最後の整形と調整をしていく。
特殊な鉋で表面の凹凸を削り取って、樋と呼ばれる溝を掘り込む。
それから、老職人は鑿と槌を巧みに扱って、精霊の発動機構を刀身に刻印していった。
ここまで有した日数は、五日。
昼夜を問わず鍛え続けた柴崎老人の執念が、あと僅かで結実しようとしていた。
「なんとか……間に合いそうだね」
「どうかしらねぇ。発動機構は、まだ半分くらいしか書き上がってないみたいだしぃ」
「水銀燈の言うとおり、最後まで油断は禁物よ。外で、警護を続けましょう」
「頼んだよ、みんな。ボクは、工房で護衛を続ける」
工房の外に出た三人を、皓々たる月光が迎える。
端が少し欠けた、十三夜。
しかし、くっきりと影が落ちるほど、明るい夜だった。
「綺麗ねぇ。それとも風流と言うべきかしらぁ」
「今度、みんなで……お月見……しよ?」
「良いかも知れないわね。ただし――」
真紅は、徐に神剣を引き抜いた。「無粋なヤツらを、追い返してからなのだわ」
「はぁ……まったくぅ。もう少し、ゆっくり来れば良いのにねぇ」
「さっさと片付けて…………お月見する」
水銀燈の太刀と、薔薇水晶の小太刀が、降り注ぐ月光の中で煌めいた。
工房の外から、戦闘音が飛び込んでくる。
柴崎老人に悪意ある声が聞こえた時から、遠からず、こうなる事は予測できていた。
蒼星石は普通の刀を手に、柴崎老人を庇うため、全周囲に注意を向けた。
外で迎え撃つのは、三人だけ。
いずれ、穢れの者が工房に飛び込んでくる筈だ。
そんな緊張状態の中、老職人は、懸命に発動機構と呪符を刻み込んでいた。
残るは、あと僅か。
蒼星石の見守る中で、最後の一文字が打ち込まれ、剣は新たな命を宿した。
「さぁ! 後は、刃を研いで、柄を取り付けるだけじゃ」
「出来るだけ急いで。そろそろ来るよ」
「任せておけ。ここまで来たら、儂の意地にかけて、絶対に完成させるわい」
砥石を水に浸し、剣を研ぎ始める。
黒く煤けたり、焼き色が付いていた箇所が、鋭い鋼の輝きを放ち始めた。
突如、工房内に陣笠を被った骸骨の足軽が、足を踏み鳴らして乱入してきた。
裏口を突破されたらしい。やはり、多勢に無勢か。
「これ以上、好き勝手な真似はさせないっ!」
自分を目掛けて振り下ろされた刀を弾き、蒼星石は骸骨を両断した。
まだ一体だけだが、いずれ、押し寄せて来よう。
募る焦燥に振り返った蒼星石の瞳に、折れた剣から柄を取り外す老職人の姿が映る。
外された柄は、新しい得物へと継がれ、目釘で固定された。
残すは、銘の刻印のみ。
柴崎老人が、鑿と槌で剣に銘を刻み始めたと同時に、敵が押し寄せてきた。
今度は、かなり多い。
しかも二手に分かれて、一方が蒼星石を、他方が老職人を狙っていた。
一斉に走り出す、蒼星石と、穢れの者たち。しかし、僅かに穢れの者の方が早い。
ただ、一心不乱に銘を刻む柴崎老人に、凶刃が迫る。
「ダメぇっ! 避けて、お爺さんっ!」
「よしっ! 出来たぞ、蒼星石っ!」
二人の叫びが重なった。
蒼星石の悲鳴と、柴崎老人の歓声。
相反する感情が混ざり合う中、老人の身体は、三本の刀に刺し貫かれていた。
「嫌あぁっ! お爺さんっ!」
絶叫しながら、蒼星石は老人を刺した三体の穢れを、瞬く間に破壊した。
更に踵を返して、彼女の背中に斬りかかっていた数体を、一閃で薙ぎ払った。
「お爺さんっ! 死んじゃダメだっ! お爺さんっ!」
「お、お……蒼……星石。こ、これ……を」
柴崎老人は、震える右腕で、蒼星石の為に鍛えた剣を差し出した。
銘は『月華豹神』。華々しい月の光を浴びた、豹の如き女神……。
それは、蒼星石のことを比喩していた。
溢れる涙を堪えきれず、蒼星石は泣き続けた。
剣の柄と、老人の嗄れた手を、しっかりと握り締める。
滲んだ視界の向こうで、柴崎老人は、満足そうに微笑んでいた。
「こんな……ことって!」
「悲しまないで……おくれ、蒼星石。これは、儂が望ん……だこと。
これで、やっと……儂は、マツと……かずきの元へ、逝ける」
「お……爺……さん」
柴崎老人は、弱々しく左腕を伸ばしてきた。
その手が、蒼星石の頬を撫でる。涙に濡れた、彼女の頬を――
老人の瞳からも、涙が零れ落ちた。
「おお……かずき。儂を……迎えに……来て……くれたのじゃ……な」
「……お…………お父さん」
蒼星石の言葉に、老人は少しだけ目を見開き、涙を流した。
「ありが……とう。蒼……せ……」
柴崎老人の身体が、ふっ……と、軽くなった。
閉ざされた瞼が開かれることは、もう無い。
「ボクの方こそ…………ありがとう、お爺さん。
あなた達の想いは、確かに受け継いだから。安心して眠って」
蒼星石は、静かに老人の亡骸を横たえて、袖で涙を拭った。
もう、泣かない。泣いている暇なんて無い。
老夫婦の絆が結びついた剣『月華豹神』を握り締めて、蒼星石は立ち上がった。
そして、工房を飛び出し、戦闘に身を投じた。
これ以上、大切な仲間を失わせない為に――
=第十五章につづく=