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§4


―――――――――


 『トロイメント』は、相変らず私以外に客が居ない。
 毎週決まった曜日と時間帯にここへ訪れる私は、もはや常連になっていると
言って何の差支えも無いと思う。今日はアッサムティーを注文して。多めのミル
クを入れてから口をつける。

「それにしても。本当にお客が少ないのね、ここは」

 たまに声に出てしまうのも失礼なのかもしれなかったのだが、どうにも事実な
ので致し方ないと思う。
 白崎さんとも大分親しくなり、私は大概のひとに接するときと同じような口調
で彼と話をするようになっていた。それに対する彼の話し方と言えば、相変らず
なのだった。

「火曜は日が悪いようですね、真紅さん。まあもともとこの店は。
 よく来て頂ける常連さんによって成り立っているようなものですから」

『例えば、あなたのような』。そんなことを話す彼の表情はいつも通り穏やかだ。

「ここは、ずっとひとりでやっているの?」

「ええ、ここは一応僕が開いた念願の店でして……基本的にひとりですが、
 たまにバイトの子を雇ったりしたこともあったのですよ」

そうなのか。こんなに客が少ないのに、そのバイトをやっていたひとは暇をもて
あますことは無かったのだろうか。

「まぁ、真紅さんが思っている以上にお客様は来られます」

訝しげな私の表情を読まれたのだろうか。こころを覗かれているような気分。
だが、それは案外と不快では無かった。

「『地理的なものが良くないんじゃないか』と他のお客様に言われましてね。
 ただ、何故かここは。時々迷い込んでくるように、ぽつぽつと新顔の方々が
 やってきます。そしてそういった方々は、大体またここへ来て頂く機会が
 多いのです」

「リピーターが多いのは、良いお店の証拠ね」

「光栄で御座います」

他愛の無いやりとりも、日常をかたち作る大事な要素。会話とは、別に何か
目的を持って話さなければならないという物では無いと思う。

 無論、目的を持ちつつ会話を進めていくことはあるのだ。ただ、全てがその
限りでは無いということ。
 少なくともたった今私達が紡いでいる会話は、『会話する』という行為その
ものに目的や意味があるような。半ば実存的な存在になっているような気もす
る。あらかじめ定められた目的へ到達するための手段では無く。ただ、日常の
ピースを埋める為だけに、ここにあるもの。


「ここでなら、私もバイトしてみたいのだわ」

本心である。他にもお客が居るのなら、ここは雰囲気が良いから。さぞ心地良
く働けるだろうと思った。

「おや。残念ですが、昼間の時間帯では今のところ募集は無いのです。夜の部
 は、たまに人手が足りないと感じることもあるのですがね」

「あら、それは残念」

以前水銀燈と来たときは、私達しか居なかった筈だけど。火曜日は、夜も客が
少ないんだろうか。

 そして、唐突に。ある話が始まったことによって、私の時間が一瞬止まった。

「ええ、申し訳ございません。前に入っていた男の子は、昼の担当でしたけどね。
 随分と紅茶を淹れるのが上手でした。

 本当に、上手だったんですよ。僕もたじたじでしたから。理由を聞くと、
 『昔からよく紅茶を淹れさせられていた』と言うんです……

 彼がバイトを辞めた理由は、海外へ服飾の勉強をするのに旅立つ時が
 来たからでした。

 ――真紅さん。ここからは僕の独り言です。夜の僕はバーテンダーで、
 バーテンダーはお客様に問われなければ語らない存在です。ですが今の
 僕は、しがない喫茶店のマスター。だからこれは。他愛の無い、世間話です」


 彼が、私の眼を見つめて言う。

「そろそろ、講義のお時間では? ……如何致しますか」

 私は、どう返してよいのかわからなかった。
 もっと言うと、彼が言っていることを理解するのに時間がかかった。
 だから黙って聞いていたのだ。何の言葉も返さずに。
 ただ、ここで取り乱してはならず。また驚いた風になってはいけないと言う
 ことだけ、なんとなく思った。

 時計を見る。あと二十分もすれば、午後の講義が始まってしまう。
 水銀燈は、今日授業に出るだろうか。それはわからない。
 『他愛の無い』と。私が思い、また彼が口にしていたこの会話が、実存を超
 えたところで意味を持ち始める。だが、その行き着く先が見当たらない。

 本当に? 私は、本当にその先を見つけることが、出来なかったのか。

 私は静かに答える。

「紅茶のおかわりを、頂けるかしら?」


――――――――――――――――――――――


「ほほぅ、デザイナーですか」

「はい、人形の洋服なんか作るの得意なんですけど。ひとの為の服っていう
 のも、ちゃんと勉強してみたくて」

 カップを磨きながら、彼は答えた。

 春先からここで働き始めた彼がやってきてから、時は流れ。季節はもう秋に
なっていた。青々とした生命の色を失い始めた外の樹々は、紅や黄色といっ
た彩りを持ち始めている。
 彼はここの他にも、学校には内緒で多くのバイトを入れている。ここで働き始
めたきっかけは、学校帰りらしい彼がここへふらりとやって来たことだった。

 外を吹き付ける風も、大分涼やかなものになってきていて。まだ冬の訪れを
感じるには早すぎたが、街を染めている色が何処かしら寂しさのようなものを
彷彿とさせる。重めのドアの向こう側についているプレートが揺れていた。

「本当、ありがとうございます。働かせてもらってる上に、色々とお世話になっ
 てしまって……」

 相変らず、いつものようにカップを磨きながら彼は言う。
 
「礼ならば、彼に言って下さい。あと、こういうチャンスを掴めるのも、ひとつの
 才能だと思いますよ」

 この店の常連に、僕の知り合いでもある男が居る。『槐』という植物の名を
持つ彼と自分は、自分が学生の頃から旧知の仲だった。
 槐は、その道では結構名のある人形師である。そんな彼は、この狭い小道
にアンティークドールの店を構えているわけだが、気まぐれにこの店へよく顔
を出す。
 寡黙な男で、多くを語らない。しかしながら、行動力は結構大胆なところが
あり、ふらりと『修行だ』と言っては海外へ出て行ってしまう。よって、彼の店
が開いていることはあんまり無い。
 修行と言っても。彼の名前は割と有名なようだから、外国でもその繋がりは
結構多く、仕事をこなしながら向こうでの生活を送っているようだった。

「運……ですか。それも悪いものじゃないかもしれませんね」

 全くである。その時もたまたま店にやってきた槐に、『彼も人形の服をつくる
んだよ』と紹介してあげた。
 そこから、彼がデザイナーを志していること。海外で本格的に修行したいと
いうこと。そしてその為に、一生懸命働いていることを話した。


「……しばらく、拠点を移して僕も人形を作ることにしようと思っている。向こう
 で暮らしている姪っ子の頼みが断れなくてね。住み込みで良かったら、君も
 ついてくるかい」

彼にとっては、降って湧いたような幸運だったことだろう。最初は遠慮がちで
あったが、『それは良い、こういう機会は活かさないと損ですよ』と僕が強く勧
めた甲斐もあってか、彼はその誘いを受け入れた。
 こうして彼の夢のかたちは、確かなものに成りはじめていった。


「海外に行くと言っても。君には待ち人か何か、『良いひと』は居ないの
 ですか?」

 仕事の合間に、ちょっと下世話な質問をしてみた。まあ、彼は客じゃないか
ら。プライベートな話をする分にも問題は無いだろう。

「え、恋人ってことですか? ……残念ながら居ませんけど」

ただ、学校には。本当に仲の良い女友達が二人ほど居るのだと言った。そ
の二人と、自分を加えた三人で居るのは、とても心地が良いと。それを話す
ときの彼は、何か照れくさいような、恥ずかしそうな素振りを見せていた。

「随分と助けてもらってるんです、精神的にも。彼女達が居なかったら、今の
 自分は有り得ないんじゃないかというくらい。
 まあ、それを今更伝えるのは恥ずかしいですから。……だけど」

「だけど?」

「居心地の良さ、だけでは駄目だと思うんです。昔、彼女達の内のひとりと、
 ちょっと仲がぎくしゃくしそうになったことがあって。……完全に僕が悪いん
 ですけど。その後は割と話せるようになったんです。
 けど、何処か僕の中の『しこり』みたいなのが出来て。それがどうしても、と
 れなかった」

「しこり、ですか」

「そう、しこりです。けど、そこにもう一人の女の子が加わって、その彼女と僕
 達は。ウマが合う、って言うんですかね。とにかく波長が合ってる気がしまし
 た。そして三人で居ると、気兼ねなく話せるようになったんです。
 何かこう……うまく表現できないんですけど、歯車がうまく噛みあっている
 感じ、って言うんですかね」

「……だが君は、それを何処か『怖い』とでも思った?」

「……はい。『怖さ』って言うと少し違う気もしますけど。確かに楽しかった
 んですが、自分の中にあるしこりを、やさしく隠している感じなんです。
 それが痛みを持たないように――やさしい嘘を、ついている」


 やさしい嘘、という言葉が印象に残った。恐らく彼は、心底本音で彼女達と
接しており、嘘などついているのでは無いのだろう。
 けれど。こころの中の微かな違和感、ほんの僅かな痛みを覆い隠してしまお
うという、無意識の精神的防衛。それを彼は、やさしい嘘と言っているのだ。

「昔、家に引き篭もったりしてたことがあって、他人と関わらない、独りの時
 間を過ごしてました。その時は、その女の子に助けてもらって――」

「僕は、もう一度。また自分を見つめなおしてみたいんです。今は本当に楽し
 くて。けれど僕は彼女達が居なければ、何も出来ないんじゃないかって考え
 てしまいそうになる」

「日本に居ると、結局また助けてもらっちゃうことになりそうだから。
 ――勿論、これが僕が海外へ行こうと思う理由の全てではないですけどね」

 そんな話を。言い終えたあとの彼の表情は、穏やかだった。


――――――――――――――


「そうして彼は。彼の出発の二ヶ月程前に海外へ行った槐を追って、旅立って
 いきました」

新たな紅茶の注がれていた眼の前のカップに触れもせず、私は話を聞いていた。
口を付けてみると、すっかりそれはぬるくなってしまっている。これでは風味
も何も楽しめたものでは無い。

「その――バイトの男の子は。彼女達と一緒に居るのが、どこか辛かったのか
 しらね」

声が震えないように、言う。気を抜くと、涙が零れてしまいそうだった。

「いえ。彼は言っていました、『本当に楽しかった』と」

「でも。……じゃあ。彼を引き篭もった状態から"助けた"という女の子のした
 ことは、意味が無かったのかしら」

「意味が無い、とは。なかなかに異なことを仰るのですね。生憎世の中には、
 意味の無いことなど無い」

「でも、彼は結局、彼女達から離れていったのでしょう?
 そして彼は何より、自分の力で立ち直ったに違いないと思うのだけど。
 それほど強い意志を抱けるのであれば」

「確かにそうかもしれません。ですが、彼女が彼を救ったと言う事実そのもの
 は変わらないでしょう。あとから加わったもう一人の彼女も、また彼を救った。
 そして、重ねて申し上げます通り……彼は彼女達に、深い感謝をしていたのですよ」

 私は、何も答えない。暫くの沈黙のあと、彼はまた口を開いた。

「お話しは変わりますが。生きているということそのものの流れは、楽譜に記さ
 れている旋律のようなものに思います」

「……旋律?」

「左様で御座います。僕達は楽譜に旋律を刻みながら生きているのです。音符の
 ひとつひとつがハーモニーを織り成し、刻まれた旋律は消えることは無い」

「詩人ね、白崎さん」

「恐縮です。……そして。時には、重なり合う音が不協の調べを奏でてしまう
 こともあるでしょう。そういったものを、やさしく滑らかに繋いでいくもの
 が。彼の言っていた、やさしい嘘なのではないでしょうか。やさしいのです、
 それは。
 
 確かに、隠すことが出来るものと言えば、きっと小さな音ずれの程度なので
 しょう。けれど、今を生きる上で、旋律を夢見るようなものに変えてくれる」

「やさしい嘘に包まれて。彼女達は、夢を見ていたのかしらね」

「夢が現(うつつ)か、現が夢か……それはわかりません。ただ、彼は。言うな
 れば、正しく彼の旋律を紡ぐために旅立ったのでしょう。この現で、夢のよ
 うな旋律を奏でるために」

 話の最後に、彼は私にあるメモを渡してくれた。

「バイトをしていた彼の、住所が書かれています。興味が湧いたなら、お手紙
 でも書いてみては如何です? 良きペンフレンドになれるかもしれません」

 舞台裏が全て見えている上で、それでなおタネ明かしはしなかった。彼はや
はり役者だ。ただ、今のやりとりで。彼の認識に、詩人という役割も加えてお
くことにしようと思った。

「ありがとう。良いお話を聴かせてもらったのだわ」

 礼を言って、私は店を出た。
 この瞬間の"今"は、もう少しで夏にさしかかろうというところ。
 夏の陽射しが照り付けてきて、とても眩しい。
 
 講義は、もうとっくに終わってしまっている時間帯だった。
 私は携帯を取り出して、水銀燈にメールを送る。

 『今日、私の家に遊びにこない?』

 話したかった。色々な話がしたかった。きっと彼女は来てくれるに違いない。
 だって、なんと言っても今日は火曜日で。明日は講義の予定が、無いのだから。
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