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「綺麗だわ」
「本当に満開ですね」
「桜でいっぱいなのー」
 周囲は満開の桜で桃色一色に彩られていた。
 時折、目の前を薄桃色の桜吹雪が吹き抜けるさまは見事といった具合だ。


 京都は鞍馬にて。時間はすでに3時を回っていた。
 しかし、目の前に広がっている見事な景色はそんなことなぞどうでもよいと思わせてくれる。
「ここの桜は結構お気に入りなのですわ」
「本当ね。今まで見た中でもすばらしいわ」
「こんな光景、フランスでは見られないでしょう」
「そうね。その通りなのだわ。どこを見ても全部が桜なんて向こうでは見られないのだわ」
 雪華綺晶とオディールの2人はすっかり桜の織り成す光景に見とれていた。
 パリでも桜は見ることが出来ると聞いたことがあるが、あちらにあるのは八重桜。
 派手好きな嗜好のフランス人から見れば、日本の薄桃色の桜より濃い桃色の八重桜を好むらしい。
 でも、さすがに周囲が桃色一色という壮大な光景には言葉さえを失ってしまうというのは、そんな彼女の反応を見ても明らかだった。
「うゆ~トモエも来るの」
「はいはい。分かったわ」
 雛苺に袖を引っ張られながら、私は桜並木の中を歩き出した。


 私たち4人は小学校の時以来の仲だ。
 ただ、9年前――私が中学3年の頃にオディールはフランスに帰国したが、彼女とは手紙や電話を通じてだが、親交は続いている。
 そんな中、彼女から日本に行くという連絡が入ったのは4日前の事だった。


「日本にきたら桜を見たいわ」
 その際にオディールが言い出したのがそもそものきっかけだった。
 桜といえば小学生だった頃に彼女と一緒に通学路の桜並木を歩いたことを思い出す。


 
 だが、私の住んでいる地方は桜はまだ開花前とのこと。
 彼女はその2日後にパリを発ちたいと言っていたが――着く頃もまだ咲き切れていないと思われた。

 すると、その話を聞いた雪華綺晶がそれなら京都の桜を見せたらと言い出したのだ。
 たしかに、新聞の開花情報なんかを見ると、京都は丁度満開だという。
 でも、東京に着いてから即京都へ移動するなんて大変なのではと思ったのだが、雪華綺晶はむしろその方が都合がいいと言い出したのだ。
 なんでも、雪華綺晶自身が昨日の夜遅くまで大阪へ仕事で出張することになっていて、その後4日間は有給休暇を取ったというのだった。
 オディールには関空行きの飛行機に乗ってもらえば、その翌日の朝――すなわち今朝に迎えにいけるというのだ。
 私と雛苺が移動しなければいけないという、なんと彼女ばかり都合のいいように話を持って行き過ぎとも思ったのだが、京都へ行くのも悪くない。
 京都へは中学2年の頃に修学旅行で行った。もちろん4人一緒でだった。
 その時の思い出を振り返りながらオディールといる時間を楽しむのも悪くない。


 私と雛苺は今朝、新幹線で京都に向かった。
 私もそうだが、とりわけ雛苺は彼女と家が隣同士だったということもあり、さながら姉妹と間違えそうになるほどの仲の良さだ。
 本当に会いくてたまらないのだろう。
 京都駅に着いて、オディールと再会した時の雛苺のはしゃぎっぷりはまさにそれを示していた。
 再会のひと時を楽しむと、早速中学の頃に修学旅行で回ったコースをたどるように名所を回った。
 東福寺、二条城、南禅寺、八坂神社――
 あの時はバスで回って結構時間が掛かった記憶があるが、今回は車での移動だったのでそんなに時間は掛かっていない。
 今回のために雪華綺晶は自分の車で関西方面の出張に行き、そのままオディールを迎えに行ったのだ。
 彼女の車は白のシルビアの2.0スペックSで2ドアのクーペではあるものの、乗り心地は悪くない。
 むしろ走りに適した車らしく、快調に京都の町を駆け抜ける。
 ただ、現在が観光のシーズンとあってか、時折混雑はしたものの2時過ぎまでには行きたいところは全部回ってしまった。


 それからは修学旅行の時には行けなかった所に行こうという事になった。
 だったら桜の綺麗な場所ということで鞍馬に行くことにしたのだ。


 満開の桜が彩る風景を楽しんだ後、のんびりお茶を楽しむことにした。
 桜並木の中にあるベンチに腰掛けると、手にしていたナップザックを広げる。
 中に入れていたのはもちろん、緑茶と苺大福。
「うわぁ~、うにゅ~なの!」
 苺大福の入った箱を開けた途端にお約束のように眼を輝かせて飛びついてくる雛苺。
 外見もそうだが、この行動一つをとってみても彼女が本当に子供っぽいかがわかる。
「ふふふ……雛苺は相変わらず苺大福には目がないわね」
「もう、本当ですね」
 そんな彼女を見て雪華綺晶もオディールもくすりと笑う。私も雛苺の仕種に微笑ましさを感じていた。
その言われている彼女ははしゃぎながら何時の間にか苺大福をほお張っている。


「9年前と本当に変わっていないわね、彼女」
「そうね」
 オディールの言葉に私はその通りだと思った。
 私たちは23歳になっているものの、雛苺はその年齢とは思えない。
 一時期は本当に社会に出たら大変な目に遭うと、子供っぽさをちょっとでも治そうとした。
 ただ、なかなか性格というものは直らないもので結局、会社に就職した今でもこんな状態だった。
 もっとも、現時点では多少の常識を知ったのか、羽目を外したことをしでかしたりはしない。
 むしろ、会社の上司なんかはそんな彼女の性格がお気に入りなのか結構可愛がったりしている。
 意外と世渡りの術を知っているのかもしれない。
 現に今回の旅行のための有給をすんなり取れたという。他の人が結構、他の日にずらされることが多い状況の中で。


 9年前までの思い出なんかを語らいながら、桜の下の茶会をお開きにしたのは4時半を回ってからのことだった。
 次は大原の三千院に行こうという事になり車に乗り込んだのだが――。


「そういえば、雛苺って車の運転できたわね」
「うい。でもどうしたの?」
「よかったら、代わりに運転してくださいません? なんかちょっと眠くて、この先事故でもしたら大変ですから」
「分かったなの」
 見ると雪華綺晶は車の方へと歩きながら欠伸をしていた。
 本当に眠くて仕方がないのが分かる。
 昨日の夜は遅くまで仕事が長引き、ろくに睡眠をとらないまま今朝早くにオディールを迎えに行っているのだから無理もない。
 なお、私もオディールも免許はない。代わりに運転するなら雛苺しかいないのだった。


「でも、ヒナ運転下手だから不安なの」
「大丈夫ですわよ。狭い道は多少あるけど、変な裏道を使わずにゆっくりいったら行けますわ」
「うー……」
 雛苺は自信なさげに下を俯いていた。
 確かに雛苺は免許を取るのに相当苦労したらしい。車を破損させたこともあったそうだ。
 でも、さすがに多少は上達したのか広い道でならそんなに危なっかしいこともしない。
 狭い道でのすれ違いが本当に怖いと彼女は言うのだ。
「大丈夫よ。変な裏道も無いと思うし、国道とか県道とかだったらそれなりに広くなっていると思うよ」
 彼女をはげまそうと思い、私はそんな言葉を口にした。
 まあ、ここは何といっても観光都市京都だということで、市内の町並みには細い道は多いものの、主要な大通りや国道なんかを使えば、流れにうまく乗れば問題なくたどり着けるはずだ。
 ……とその時までは思っていた。


 雛苺は運転席に乗り込みエンジンを掛ける。
 走り屋定番といわれている車とあってか結構エンジンをふかす音が響いている。
「スピードが出そうでなんとなく怖いの」
 ハンドルを握りながらもやはり不安は拭い去れないようだ。むしろ余計に大きくなっている気がする。
「なら、ギアをセカンドにしていけばそんなにスピードは出ませんわ。大通りに出て車の流れについていけないならドライブに変えて下さいね。それとアクセルは強く踏み込まないようにして……。
まあ、それでいけると思いますから……じゃあおやすみなさい」
 助手席に座っている雪華綺晶はそれだけ言うとさっさと眠りについてしまった。
 なんとまあ適当すぎるかなと思う。
 表向きは結構しっかりしているように見えるのだが、意外とこんな適当な面があったりもする。


 駐車場には観光シーズンとあってか大型バスも含めて停まっていた。
 さすがに夕方に近い時間帯とあって他の車は続々駐車場を出て行っている。
「とにかくここから大原に行くにはと……」
 私は手元にある、市内の観光案内所でもらった観光地図に目を通す。
 大原に行くには、一旦鞍馬街道を北山通まで引き返し、そこを東に向かって修学院のあたりで国道367号線を北上するか、叡山電車の市原駅付近で府道を東に進むルートになる。
 ただ、目の前をふと見ると鞍馬街道はその北山通の方向に向かって混雑しているようだった。
 というか、車がほとんど動いていない様子だった。
 そういえば行きに鞍馬の狭い町並みを通ったのだが、あそこで結構車のすれ違いで流れが悪くなっていた。
 ほぼ1車線しかない上にバスなんかの大型車も通っていたから、それらとすれ違うごとに流れが頻繁に悪くなっていたっけ……。
 いずれのルートをとるにしてもこの混雑は避けて通れないだろう。


 今も前にいた観光バスが駐車場を出ようとして混雑に巻き込まれている。
 このまま行けば、かなり時間が掛かってしまうのは間違いない。
「結構混んでるみたいなの」
「そうね……他に行けるところはないかな」
 私は再び地図に目を落とす。
「あら?この赤い線って国道ですわね」
「そうだけど……」
 横にいたオディールがふと地図の一角を指差す。
 そこには確かに国道を示す赤い線が走っている。しかも大原に向かって。
 場所は鞍馬街道を北へ――すなわち混雑している箇所とは逆方向へ向かったところだった。
そこから国道477号線が大原の方向に伸びている。
「そうね。ただ、山の中を走るみたいで多少曲がりくねっているのは気になるけど……」
「うー、ヒナ山道は苦手なの」
「でも、混んでいる方も道が狭いし、結構すれ違いが多いみたいだけど」
「狭い道のすれ違いはもっと嫌なの」
 私は雛苺に地図を見せた。
 少しの間、彼女は地図を見て悩んでいたが、北のほうへ行けば車が少なそうなのと、
地図を見る限り、途中で伸びている国道は狭く描かれていないことからそんなに酷くはないと思ったらしい。
「北に行った方がマシな気がするの」
 車は駐車場を出ると、混雑とは逆方向の北へと向かった。


 車は北の方向へと向かっている。
 鞍馬の集落を過ぎると道はすぐに山の中に入っていた。
 道幅も狭くなってきて所々でカーブが連続して見通しが悪い。
 周囲は鬱蒼とした杉林で、夕方が近いとはいえどもさながら日暮れのように薄暗くなっている。
「本当になんか不安なの。この道であってるの?」
 雛苺のハンドルを持つ手が時折震えている。
 山道の運転経験が少ない上に、暗くなってきているとくればそうなるのも無理はないと思う。
 だったら即座に車を停めて、助手席に座っている人物を起こして運転してもらおうとも思うのだが――
 雪華綺晶はすっかり熟睡していた。カーブに差し掛かるか何かで車が多少揺れてもお構いなしに
寝息を立てている。
 かなり疲れてしまっているか、相当大した根性なのだろう。


「しかし、ここって京都市内なのかしら?」
 オディールがそんな疑問をふと口にする。
「そうね、言われてみればそんな気が……。でも、ほら」
 私は手にしていた地図を彼女に見せる。
 鞍馬より北の一角の山岳地帯にははっきりと『京都市左京区』と記されていた。
 しかも左京区の区域は山をいくつか隔てている大原などの集落も含めて記されている。
 ちなみにこの地図に記されている行政区域の境は隣の右京区と南丹市、さらには滋賀県である。
 てっきり左京区といえば銀閣寺や平安神宮の一角と思っていたのだが、案外広いのだ。
 それで結構山奥……思わず変な点に感心してしまう。
「う~、曲がりきれるかわからないの~」
 運転席の雛苺の泣きだしそうと思える声にふと前を目をやると、道はヘアピンカーブとなっているのが見える。
「大丈夫よ。ほら速度落として……そこでゆっくりと左に切って」
「分かったなの~」
 車はゆっくりとカーブに沿いながらゆっくりと曲がりだす。
 車線は狭く、これで対向車がきたら雛苺は間違いなくパニックを起こしかねない状態だった。
 ただ、幸い山深い地域のせいか、対向車は全くといっていいほどなかったが。


「ほらほら、落ち着いてやったら出来るじゃない」
「ありがとうなの、トモエ」
 難なくヘアピンカーブをすぎてほっとした面持ちの雛苺。
 ただ、ハンドルを持つ手や額には汗がにじんでいるが。
「しかし、京都って結構田舎なのだわ」
 オディールは窓の外の景色に目をやりながらそんなことを呟く。
「そうね。こんな所があるなんて結構以外よ。イメージと大分かけ離れているわ」
「まず、こんな山道なんて私もあまり体験したことがないわ。4年前ぐらいにアルプスの山岳地帯
を走ったけど、そんな感じね。ただ、道幅はこれより多少広かった気がするけど」
 オディールに聞くとアルプスの山奥も道幅が狭く、さながら日本の山奥の道と似ているのだという。
 おまけに崖っぷちを走る危険な区間にもかかわらず、地元車は猛スピードで飛ばしているのだから驚きだ。
 でもやっぱり、観光都市京都にこんな道があったなんて思いもしなかったらしいが。


 その後もこうしたカーブが続くものの、無事に通り過ぎていく。
 ただ、運転している本人にはほとんど余裕がなく、時折路肩の溝に脱輪しかけたり、側壁に当たりそうになったり油断は出来ないが。
 こんな雛苺も今はマシな状態なのだ。
 免許取り立ての頃は市街地の狭い道に差し掛かと、時折車を壁などに接触させていたという。
(特に彼女によく車を貸していた真紅や翠星石は結構それで泣きを見たらしく、二度と車は貸さないと公言しているが)
 まあ、そんな彼女も後に軽自動車のミラを買って何回か運転して、ようやく慣れたといったところだ。
 雪華綺晶もよくそんな彼女に運転を任せられるなと思う。
 彼女も雛苺のそんな話は聞いていたらしいのだが……ただ、この間雛苺に乗せてもらったときに特に問題はないと思ったのだろう。
 現に相変わらず助手席で爆睡していることから、それが窺える。


 
 途中で頭上に看板が見えたような気がしたが、そんな彼女の運転にヒヤヒヤさせられていて十分見ていない。
 やがて車は何個かの急カーブを通り過ぎて、峠らしき所に差し掛かった。
 そこにバス停があったので、目をやると……

『花脊峠』

 地図に目をやるとそのバス停があるのは……国道との分岐をかなり行き過ぎた箇所だった。
 どうやら気付かずに通り過ぎてしまったらしかった。
「雛苺、行き過ぎちゃったみたいね」
「え?そうなの、トモエ」
 雛苺はびっくりしたような面持ちで車を停めて、地図に目をやる。
「本当なの~」
「とにかく引き返そう。ちょうど道が広くなっているし、何回か切り返したらいけるから」
「うい~……」
 何回か車を切り返して元来た道を戻る。


 10分ほどして、ようやく先程の看板が見えた。
 そこには直進で『大原・鞍馬』、そして左後方に向けて『百井』と記されていた。
 そして、国道番号が記されているのは……左後方に向かっている道だった。


「あれ、直進が大原方面? これって今通ってきた道を戻れってことかな?」
「そうみたいなの~」
「でも、地図では国道の方が大原に行くには近いように見えるよ」
「なんかまぎらわしいの~」
 看板の表記と地図の内容の違いに一時戸惑う。


 時間はすでに5時を回っていた。
 夕暮れが近い。山道を走っても時間が掛かるが、鞍馬の街中や北山通にでたら丁度帰宅ラッシュの時間帯なのでもっと時間が掛かりそうだ。
「左へ行く?」
「そうするの」
 そう言って、雛苺は車を左にある分岐の方へと向ける……。


 後日調べて分かったのだが、看板の下には『百井方面・幅員狭小・路肩弱し』との表記があったらしい。
 しかし、その時はそれを見落としていた。
 それが……この直後のとんでもない体験に繋がるなんてその時は思いもしなかった。


 車は左へ別れる道へ向けて加速したのだが……先には道が無く杉林が!
「雛苺、ブレーキかけて!」
 私は後部座席からとっさに身を乗り出す!
「あわわわわ!」
 雛苺は慌ててブレーキをかける……が、遅かった。


 ガコン!


 大きな音と振動とともに車は止まったものの……車の右前方の車輪は見事に脱輪したようだった。
 運転席側が谷に向けて少し傾いている。


「ん……一体何がありましたの……て!?」
 助手席の雪華綺晶もこれにはさすがに目を覚ました。そして今いる事態を把握して唖然とする。
「なんてこと……とにかくバックして!この車は後輪駆動だから前輪が脱輪しても大丈夫ですから!」
「はいなの~」
 雪華綺晶にいわれるままに車をバックさせる雛苺。


 しかし……途端に車の底からガッという衝撃音が。
 さらに、右の方からガリガリというなにかをこする音がした。
 思わず右後方の窓の外に目をやると……


 そこにはガードレールの端の部分があり、運転席側のドアと接していた。
 ガードレールには損傷は無かったものの……ドアのほうにはそれは見事な具合に線状の擦り傷が……。
「何てことですの!とにかく運転替わって!」
 すっかり怒り心頭といった様子で助手席のドアの取っ手に手を掛ける雪華綺晶。
「でも、ヒナ降りられないの」
 見ると右側はドアを開ければ、足元には急な崖がある。降りるのは無理だった。
「だったらちょっと車を進ませなさい。そこで交代よ!」
「うい~……」
 とにかく、分岐していた道へと車を進ませる雛苺。


 改めてみるとこの分岐は結構すさまじかった。
 なんと、ほぼ180°の角度で折れていたのである。そしてガードレールのない細い道が急な下りで森の中へと伸びていた。
 車が進むと同時に後ろからこの道へ進んでいる軽トラックの姿が見られた。
 先は車1台分の幅しかなく、おまけに轍の真ん中には落ち葉や小石が積もっている。
「とにかく、前へ進まないと後ろの車の迷惑になるわね。とにかく進みなさい」
 雪華綺証は大きくため息をつくと助手席に座りなおす。
「は、はいなの……」
 恐る恐る車を進ませる雛苺。
 しかし道はとんでもない角度で下っているため、アクセルにちょっと足を掛けただけで猛烈に加速する。
 ギアをセカンドにして、エンジンブレーキを掛けながらでもある。
「あわわわ……」
 雛苺は完全にパニック状態に陥っている。
 オディールもすっかりおびえてしまっている。
 見ている私もこのときばかりは本当に不安になった。


  
 進むといきなり道が90°同然の角度で曲がっていたり、ガードレールのないままヘアピン同然のカーブがあったり……
 何より夕方といえ夜同然に周囲は暗く、街灯なんかは当然無く、路面には亀裂が走っていて、湿っていて。
 おまけに時折路面には石が転がっていたり、谷側の路肩が一部崩れ落ちていたり、山側には崖崩れの痕があったり。
 地図にはここまで危険だという表記は無かった。
 曲がりくねっている書き方はしているものの、道幅は広いように記されている。
 ていうか、これが国道なの?
 違う林道かなんかに迷い込んだのでは?
 一瞬我が目を疑う。

「雛苺……ここ本当に大原に行く道ですの?」
 雪華綺晶も同じことを考えていたのか、私の手にした地図をひったくると、じっと睨みつけるようにして眺める。
「そうみたいなの……」
 がくがくと震えながら辛うじて答える雛苺。
 本当に怖いのかがよくわかる。ただ、その震えのせいで車が左右に揺れて、時折車輪が路肩に乗り……転落しそうになったときもあったりしたが。
 息も荒くなり、額から冷や汗が流れ落ち、胸の鼓動が激しくなるのを感じる。
 心臓が止まりそうになるというというのはまさにこんな状態のことをいうのだろう。


 道は一向に広くなる気配も無く、荒れた路面が延々と続いている。
 時速20キロくらいで進んでいるものの、時折差し掛かる下りはいずれも急だったので、速度が40キロくらいまで自然に上がる時もあった。
 その度に雪華綺晶が必死の形相でブレーキを掛けるように雛苺に怒鳴りつけている。


 あたりを見回すととにかく一面の杉林。
 当然、人が住んでいる気配なんかは無い。
 幽谷とはこんなのをいうのだろう。
 明るい昼間に余裕を持って行って、車を停めて眺めれば杉林の美しさを堪能できたかもしれない。
 しかし、今は日も暮れかかっている夕方で、薄暗くなっている今となってはただ不気味でしかない。
 さながら天狗なんかの化け物や幽霊が出てきかねない雰囲気である。
 もちろんそれ以前に周囲の景色を見る余裕なぞない。
 むしろ下手をしたら命を落としかねないと緊迫してしまっている。
 後続車がいるものの、対向車はまったくない。
 それがせめてもの救いだった。
 これで対向車なんか来たらすれ違うのはまず無理だろう。


 結局、峠を一つ越えてか細い山道を延々と通った挙句に、ようやく集落らしき所に出た。
 もっともそこも農作業道としか思えない状態の道を走っているわけだが。
 そして……集落内の分岐らしき所に出て、そこを利用して後続車をやり過ごすと、雪華綺晶は車を降りる。
 そして、運転席側のドアの惨状を見て……がっくりと首をうなだれる。
「とにかく仕方ないですわ。ははは……」
「……」
 何もいえずただ目に浮かべている雛苺に、不気味な笑みを向ける雪華綺晶。
「しかし……ここは大原じゃないようですわね」
 運転席に乗り込もうとしたときに雪華綺晶はふとあたりを見回す。
 分岐の所には……『←鞍馬8.7km →大見・尾越』という看板、そしてその下には『←R477』と記した看板、さらにはご丁寧にも周辺図まであった。
 国道を示す矢印はこれまで進んできた道の方向に向けられている。
 案内図を見ると、国道は太い線で記されて大原方面に伸びているのが記されている。
 実態と違うので本当に紛らわしい。
「ありえなさすぎですわ、これ……」
 雪華綺晶はそうぼそりと呟くと力なく運転席に乗り込み車を走らせる。


 そして車を大原方面に進ませるものの……相変わらず道は狭く、ガードレールもないまま山の中へと入っていく。
 道の状態は先程と同じく荒れまくっている。
 林道並みのありさまなのだが、しばらく進むと国道を示す看板が見える。
 おまけにその下には『左京区大原』と地名を示す看板が。
「この道が国道で、ここが京都市内?ふざけてますの?」
 怒りとも呆れともとられる呟きをもらす雪華綺晶。
 確かに私もそのとおりだと思う。
「日本の国道って結構アテにならないのですね。フランスではこんなのはほとんどないから安心していたけど……」
 オディールも怖さを感じているどころかすっかり呆れかえっている。


 さすがに雪華綺晶は運転に慣れていて、スムーズに山道の運転をこなしていた。
 急坂のヘアピンカーブにいくつか差し掛かったが、問題なく通り過ぎる。
 その中で途中で対向車とのすれ違いがあったものの、カーブの膨らみを利用してすれ違う所なんかをみると彼女の運転スキルの高さが窺える。


 ようやく、この狭い道を抜けて大原に着いた時には6時半を回っていた。
 夕焼けの赤さが辛うじて見えるものの、周囲はすっかり暗くなってしまい街灯が灯っている。
 当然、三千院や寂光院の寺院もとっくに拝観終了になっていて、門を閉ざしていた。
 残念と思ったものの、私とオディールは夕暮れ間近の大原の風景を楽しんでいた。
 なかなか趣があって悪くないと思う。

 ただ……雪華綺晶はすっかり落ち込んでいて、雛苺はこの後に起こるであろう仕打ちにびくびくしていたが。



 ――後日。

『見積書 雪華綺晶 様
 車種:ニッサン シルビア2.0S 色:白(パール)


 右前輪シャフトブーツ     脱着 交換
 右前輪ドライブシャフト    脱着 交換
 (リビルト品使用)
 右フロントマッドカバーASSY 脱着 交換
 右ドアパネル         板金
 塗装(2コートパール)


 合計:¥113000(税込)
 (株)ガレージサイヤ』



「さて……とにかく、貴女に運転を任せた私にも非がありますけど……分かってますわね、雛苺」
「うい……その7割分だけ、うにゅ~は抜きするの」
「分かったらいいですわ」
 結局、修理代の7割を雛苺が負担することになった。
 ある意味不条理な話に見えるかもしれないが、やってしまったのは雛苺。仕方がない。
「ははは!ちょっと大人気ないのではないか、雪嬢よ」
 バキッ!
 途端に雪華綺晶の延髄斬りが修理工場主のベジータの首元に炸裂する。
「ぐはぁ!」
「あんたは黙って修理をしていればよろしいのですわ。でないと梅岡さんを……」
「わ、分かりました!仰せのままに!部品代も半額にするから!」
「よろしい。今言ったことは偽りないですわね」
「もちろん!」
(やっぱりこれからも本当の地獄だ……)

                                  終

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