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 「いらっしゃいませ」

扉を開けると。古びたドアベルの音と共に、まずは来店御挨拶の歓迎であった。
客は私一人だけの様子。外に比べて店内は明るくはなかったが、それほど陰気
という印象は受けない。まず眼についたのは、設けられていたカウンター席。
巷でよく見かけるカフェと言ったら、通常オープンテラスでゆったり過ごせる
スペースがあるもの。ここにはそれが無い。看板には『カフェ』と銘打ってあ
るものの、この造りはどちらかと言うとバーに近いものを感じさせる。
 
 お世辞にも広いとは言いがたい店内は。アンティーク調、と言えば良いだろ
うか。よくよく見ると装飾は結構凝っているようで、店内の隅に置かれている
本棚には洋書らしきものが収められているのが見える。

 一応テーブル席もあったけれど、とりあえずはカウンターに落ち着くことに
した。

「メニューはこちらになります」

受け取って、軽く眺めてみる。……ん。どうやら、紅茶の種類が随分多いみた
い。なかなかどうして、これは良い店を見つけてしまっただろうか。

「では、ローズティーを」

フラワーティーは家にも置いてあったが、店で飲むとなるとそうそうお眼にか
かれるものでは無かった。本格的だな、となんとなく思う。

 畏まりました、と。後ろを向いて、コンロに火をかける。洒落た形のやかん
の中身は、すぐに沸き立ったようだ。既にある程度温めてあったのだろう。
 慣れた手つきで、カップとポットにお湯を注ぎ、温める。どうやら、紅茶の
淹れ方をよくわかっているようだ。
 

――――――――――――――――――――

『淹れ方ひとつで、相手への思いやりがわかるものよ』

 最初に淹れて貰ったときは、全く以てなってなかった。

『そう……カップとポットにはお湯を注いでおいて、温めておくの。
 紅茶は温度に敏感なのだから』

 そんな私の講釈を、少し苦笑混じりで彼は聞く。結局、薀蓄をたれる私よりも。
 最終的には、彼の方が淹れ方が上手になってしまった。

『美味しいわ、ありがとう』

 私がそう言った時、彼は少しだけ嬉しそうに返すのだ。

『どういたしまして、真紅』

――――――――――――――――――――


「お待ちどうさまでした」

眼の前に差し出されるティーカップ。水分を吸って潤っている薔薇の花びらが、
何枚か浮いていた。
 花の香りが、芳しい。しばらくその香りを楽しんだ後、カップに口を付ける。

「美味しい……」

思わず声が出た。本当、良い仕事をしていると思う。

「それはそれは……光栄の極みですねえ、お嬢さん」

一礼されてしまった。改めて見ると、結構若い感じ。切れ長の眼には、小さめ
のふちの無い眼鏡を合わせていて。何処か知的な印象を抱かせる。

「もうそろそろお昼ですが、お嬢さん。ランチなども如何ですか?
 簡単なものならメニューを取り揃えておりますよ」

時計を見る。正午を丁度過ぎたところだった。

「いえ、結構よ。昼食は別なところで摂りますから……」

そろそろ店を出ないと、まずいだろうか。もう少しだけゆっくりして、学校へ
向かうことにしよう。

「そうですか。それは、残念なことです」

肩を竦めている……なんだろう。このひとは多分悪いひとではないんだろうけ
ど(その考え自体かなり失礼なのかもしれないが)、言う台詞が、なんと言うか。
いちいち役者っぽい。



「またのご来店を、お待ちしております」

店を出る際、更に一礼。

「ええ、ご馳走様。……また、来ます」

 外へ出る。眼に入り込んでくる光が眩しくて、思わず眼を細めた。
 改めて、店を眺める。美味しい紅茶が飲めるお店が見つけて、少し上機嫌に
なっていた私は。自分の言葉に偽り無く、またここへ来ようと思うのだった。


――――――――――――――――――


 午後の二つの講義が終わった。今日はこれで、あとの予定は無い。心は軽く
なる……筈だったが。
 まったく、あの教授は。いくら必修の授業だからって、学生に無理をかけす
ぎなのではないか? 今日は大きめの課題一つが課され、おまけに来週はテス
トをするときたものだ。それが告げられた時の学生の反応はと言うと、当然な
がら軒並み不評。普段は午後の授業をちぎってしまう"友人"も、今日は殊勝に
も出席していたのだけれど。不満たらたらである。

「あの教授……ちょっと厳しいわよねぇ? 真紅」

「あら、水銀燈。普通にこなしていれば問題ないのだわ」

「それはあなたが真面目だからでしょお……」

「おだてても何も出ないのだわ。課題は一人でやらなくては駄目よ?」

「うっ、そんな事言わないでよぉ。頼りにしてるんだから」

「はいはい」


 表面的には軽口叩きあうような彼女とは、その実かなり仲が良い。もともと
彼女はかなり優秀で、真面目に出席してさえいれば私の数倍の理解力を示すこ
とになるだろう。
 しかし。講義を『退屈だ』と感じてしまう彼女は、いつもふらりと何処かへ
行ってしまう。行き先は知らないけれど、本人曰く『暇つぶし』だそうで。
 結局二人で課題やテスト勉強をすることも多いのだが、ある程度内容を把握
したあとの彼女の仕事はとても早い。私の方が逆にものを教えてもらう様なこ
とも、しばしばあった。

『入る学科、間違えたかもねえ』

 そんな事を嘯く彼女との縁は、まだまだ切れそうにないし。色々な――そう、
本当に色々な所で――競い、助け合ってきた親友として。いつまでも一緒に居
らたらと思う。


「じゃあ、これからちょっと出掛けましょうかぁ」

街の店を冷やかしに、と言ったところか。家に帰るくらいしか予定も無かった
し、たまには良いと思った。

「そうね。悪くないのだわ」


仲が良いと言っても、いつでもべったりという関係ではない。昔は……特に高
校時代などは、いつも一緒だったのだけれど。私と、水銀燈。そしてもう一人
を加えた、三人で。

「さ、いきましょお」

「ちょ、ちょっと! 引っ張らないで頂戴!」

水銀燈に手を引かれ、夕方の街へ繰り出す。陽は、随分と長くなってきていて。
完全にその戸張が落ちるまでの幕間の時間が、私達を紅く照らしている。

 紅は通常、情熱を表すものだと言うけれど。朱色を帯びたこの紅は、やさし
さを含む。この景色を見ると、私は何だか……少しだけ、切なくなってしまう。
 だって、『やさしさ』というものは。時にその内側に秘められた痛みを覆っ
ているヴェールに過ぎないことだって、あるのだから。
 どれほど柔らかく包み込んでも。痛みは消えず、残るもの。


 水銀燈。あなたは――どう、なのかしらね。あなたは、『やさしい』から。
 この私と、友達を続けてくれているけど――


 不意に、彼女が振り返る。

「とりあえずその辺ぶらついてぇ。夜は久しぶりに呑みにいきましょうかあ」

明日、講義ないでしょ? と。笑顔で私に確認してくる。……参った。私は、
彼女のこの表情に弱い。街に連れ出された時点で、私に拒否権などないのだ。

「しょうがないのだわ……軽くなら付き合いましょう」

「ふふっ、よかったぁ。良さげなお店、見つけたのよぉ」

水銀燈は上機嫌だ。そんな彼女は結構――というか、相当お酒が好きで。しか
も強い。


 思えば、大学に入りたての頃。サークル勧誘の呑み会に誘われて、私達二人
で酒の席についたことがあった。大学に入ってしまうと、未成年であろうが何
だろうが、やたら呑みの機会が増えてしまう。
 彼女はその容姿から、サークルの先輩とやらに眼を付けられたらしく。酔わ
せて何をしようとしたのかはわからないが(まあ大方、良からぬことでも考え
てたんだろう)、やたらとお酒を勧められていた。

 私も勧められてはいたものの。かなりの下戸を自覚していた為、のらりくら
りとかわしていた。ちょびっと呑んで、相手の杯へ並々とお酒を注ぎ。そして
私は、つとめて笑顔で一言返す。

『あら、勿論呑めるのよね? 先輩』

 はい。頼んでも無いのに、一気。別に一気呑みを強要している訳でも無かっ
たのだが……彼ら曰く、『ここで呑まなければ男じゃない』と。よくわからない。
 水銀燈はと言うと、彼女は彼女でノリが良い。いつの間にか、彼女一人で大
の男五人を相手していた。
 私はそれを、半ばぼんやりとした頭で眺めていたけれど。時間の経過と共に、
ぱたぱたと倒れていった先輩達の姿だけは妙に記憶に残っている。私の前にも、
倒れてるのが三人ほど居たが。
『特攻後は、やっぱり前のめりなのね』などと、下らないことを考えていた。

 結局、そのサークルに入ることも無く。その後も、呑み会を二人で(と言う
か、水銀燈に連れられて)渡り歩いて。その先々で彼女は伝説的な呑みっぷ
りを披露していたために、一緒に居る私までがその伝説の一部に加えられてし
まった。不本意な話なのだわ。
 そんな私の不平を知ってか知らずか、彼女は言う。

『お酒の席じゃあ。私なんかより、あなたの方がよっぽど凶悪よお』

ええ。全く以て不本意、なのだわ。



「こっちよお」

街でウィンドショッピングに暫く時間を潰し、適当に食事も済ませておいた。
辺りも大分暗くなっている。時計をちらりと見やれば、午後七時。お酒を呑む
には、少し早い時間だろうか。

 ……それにしても、随分と見覚えのある小道ね。

「はい、到着。結構良い雰囲気の店なのよお? 流行ってる感じはしないけど」

予感的中。水銀燈に連れられて辿り着いた場所は、『カフェ・トロイメント』
そのものだった。

「いらっしゃいませ……と、水銀燈さん。今日もいらして頂けましたか」

歓迎の言葉と一緒に、『呑み過ぎは身体に毒ですよ』と嘯かれて。

「あらぁ。随分な言い草ねえ、白崎さん。ただでさえお客が少ないんだから、
 常連は大事にしないと駄目よお?」

笑って返す水銀燈だった。

「ふふ、これは手厳しい……おや、あなたは」

「こんばんは」

同日、二度目の邂逅。『え? このお店知ってたの?』と。少し驚いている彼
女に、午前中の経緯を説明する。

「それは奇遇ねぇ……場所のせいだと思うけど。ここってあんまりお客入らな
 いから、知ってるひとって少ないと思うの」

けど、良いお店でしょ? と、フォローも忘れない彼女だったが。"白崎"とい
う名前らしい彼は、苦笑いだ。

「水銀燈さんは……最初の一杯は、いつもので宜しかったですか?」

「お願いするわぁ」

『いつもの』で通じると言うことは、彼女は結構ここへ通っているということ
だろうか。何かこう……大人の雰囲気なのだわ。
 昼間はカフェの体裁をもつ『トロイメント』は。午前中の私の印象通り、夜
はバーの顔になる。お客と言えば、私と水銀燈の二人だけだったけど。本当に
流行ってないのだろうか、ここは?

「えぇと、そちらのお嬢さんは如何しましょう」

「……真紅、で良いわ。白崎さん」

友人の前で『お嬢さん』と呼ばれるのも、何やら気恥ずかしいものがある。

「これは失礼致しました、真紅さん。それでは……カクテルでも何でも、ある
 程度のものはお作り出来ますけれども」

「そうね……それじゃあ。あまり甘くない感じのものを、お願い出来るかしら」

「畏まりました。それでは、真紅さんのお好みに合わせて一つ」

くるり、と彼が後ろを向く。小さめの冷蔵庫から取り出したのは、レモン一個
とソーダの瓶。あとは……ペットボトル?

 彼が棚から、酒瓶を選び出す。英字で書かれているからと言って、英語だと
は限らなかったが……

「あらぁ、ノイリー・プラット。……一応、食事は済ませてるわよぉ?」

「ちなみにマティーニではありませんよ。その辺りはお楽しみです、水銀燈さん」

む。『マティーニ』という名前位は聞いたことがあったけれど、その実内容ま
ではよくわからない。この辺りは、やはり彼女には敵わない。

砕いた氷を、グラスに敷き詰めて。『ノイリー・プラット』とか呼ばれていた
お酒をついでから、そのあとにペットボトルの中身を注いでいった。

「お待たせ致しました」

眼の前に差しだされたグラス。中身はと言うと、それはいつも見慣れた色をし
ていて。水銀燈のグラスも、程なく用意された。


「「乾杯」」


グラスを少し重ねてから。ゆるゆるとグラスの中で揺れている色を暫く見つめて、
それを口にする。

「これは……紅茶?」

「左様で御座います。『ベルモット・ティー』。紅茶が好きだとお見受けしま
 したが……お気に召して頂けたでしょうか?」

さっぱりとした口当たり。そこに紅茶の香りがほのかに漂う。うん、これは美
味しいと思う。ペットボトルの紅茶を入れていたが、ラベルが貼られていなかっ
たし。恐らくこの店特製のものなのだろうと考える。

「光栄の極みで御座います」

一礼の後、昼間と変わらぬ、返しの言葉。

「妙に芝居がかってるのよねぇ、あなたは」

グラスの中の琥珀を傾けながら、水銀燈が言う。確かにそれは私も思った。

「いやぁ……お客様の前ですと、どうしてもこんな感じになってしまうのです」

頭を掻きながら、彼は言うのだった。

 暫くは三人で談笑しつつ。お酒の美味しさも手伝って、結構するすると呑ん
でしまっていた。時計の針は、十時を示している。……顔が、熱い。

「……ねぇ、真紅。ジュンは、元気かしらねぇ」

 不意に聞かれる。
 え? ……ええ。彼は、元気。元気な筈、なのだわ……

「そう。……きっと、そうよねぇ」

くい、と。言い終えてから、グラスを煽る。


 水銀燈。あなたは、まだ……?


 ? ……
 頭がぼんやりして、きた。
 えぇと。水銀燈が呑んでたのが、サザンカム……フォートの、ソーダ割り、
割った、やつ、だったっけ。いや、それって最初の一杯? 『いつもの』?
 結構、美味しかったような、……あれ。えぇと。おかしい、のだわ……

『お酒弱いのに無理するからだよ、真紅』

え……

『真紅……』

――……――

「……」

「……! ……く! 」


え? ……


「真紅!」

……水銀、燈?

「真紅、起きなさぁい! そろそろ帰るわよぉ?」



眠ってしまったらしい。やはり、調子にのって呑みすぎただろうか。

「ごめんなさい……ちょっとまだ、ふらふらするのだわ」

「おやおや。大丈夫ですか? タクシーを呼びましょうか」

「大丈夫よぉ。私の家が結構近いから。酔い醒ましがてらに、歩いていくわぁ」

水銀燈の家、か。暫く行ってない。久しぶりだった。

「それじゃ、白崎さん。また来るわねぇ」

水銀燈の肩に掴まり、ふらふらと歩く。家は近いと彼女は言っていたけど、歩
いている時間は途方もなく長く感じられる。
 夜の風が、少し冷たい。『酔い醒ましがてら』という彼女の言はきっと正し
くて、幾分は楽になってきていた。それでも、時々掛けられる声に対して、上
手く受け応えられていたかどうかはわからない。

 気付くと、私は柔らかいベッドの上で。迫り来る睡魔に勝てず、私は眠りに
落ちていく。

『真紅……』

 あなたの声が、聴こえたような気がして。
 『ああ、私は夢を見ているんだな』と。
 そんなことを、考えたりしていた。
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