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「水銀燈お姉さまー!昔のお話し、色々聞かせて欲しいかしら!!」

今日も平和な天狗の里。
その外れにある崖の際に生えた松にこしかけ、山渡る風を体に受ける天狗が一人。
そこに、小さな子供の天狗が跳ねるように飛び回りながら近寄ってくる。

「…こんなに暑いって言うのに、あなたは今日も元気ねえ…」

夏の日差し、蝉の声。むせるような濃い緑。季節は夏真っ盛り。
高い山の上に在る天狗の里は、下界に比べりゃ涼しいものの、
それでも夏というものはどこに行っても暑い物である。

天狗の女は座る位置を少しずらして、子天狗のために場所をあける。
そこにすぽりと収まった子は、わくわくしながら女を見上げた。
その顔を見て、彼女は諦めたような顔をする。

「はいはい。半月に一度くらいなら昔の話をしてあげる、とか言っちゃったもんねぇ私…」
「はいかしら!だから、丁度半月になる日をいつも楽しみにしていますかしら!」

言うとおり、空には白い半月が、薄く青空の中に浮かんでいた。

「それじゃあ…私の話ではないけれど、今日は一つ…面白い龍の話をしてあげましょうかぁ」
「龍!修行の役に立つかどうかはわからないけど…でも楽しみかしら!」

子天狗の少女は期待の視線を天狗へ向ける。そうして、彼女は一つの昔話を語り始めたのだ…

「昔々の大昔。とある山奥の小さな泉に、一匹の龍がやってきました…」


狼禅百鬼夜行 五つ目の話 「雨降龍恋話」 あめをふらせるりゅうのこいのはなし


大きな雲の上に乗り、龍は地上を見下ろした。
小さな人間達の集まる都から、東に百里ほども離れた奥山。
龍宮の王である父の命とはいうものの。
このように何も無い…龍を敬い祭る存在である人間すら殆どおらぬような、
こんな辺鄙な土地へ向かわされるというのは、プライドの高い彼女にはなんとも腹に据えかねた。
けれど敬愛する父は、水の枯れかけた麓へ水を送るために、引退した老龍に代わり
この奥山に定期的に雨を降らせよ、といったのだ。
それはつまり…ここへ住め、ということであった。

機嫌の悪い龍の娘は身をくねらせて赤い鱗を輝かせ、乗った雲に雷光を走らせる。
今頃地上は夕立になっている事だろう。辺りに派手に雷を落として少しは気が晴れた娘は、
そのまま地上の…龍を祭った小さな社のある山中の小さな泉へと、徐々に高度を下げていった。

一方その頃地上には…山へ山菜を採りに入り、夕立に降られて往生した一人の少年がいた。

「ったく何なんだよ…こんな時に雨なんて…」

先ほどまでは雲ひとつ無い晴天だったのだ。
こんなに急に振られても、合羽や傘などもちろん持っている訳が無い。
背負い籠をゆらして、急ぎ足に歩いていく。
この先の小さな泉のほとりには、何を祭っているのかなど忘れ去られた小さな社が一つあった。
そこの軒下を借りて雨宿りをしようと少年は思ったのだ。
濡れた下草が草鞋をすべらせ、何度か転びそうになる。しかし踏みとどまって、少年は歩き続けた。
そのうちに雷の音も聞こえはじめる。
そう遠くは無い位置に落ちたのだろうか、光と同時に激しい音が響き渡った。
なおさら急ごうと足を速めて、茂みを抜けたところでなんとか泉にたどり着く。
首をまわして見ると、社の軒下には、既に先客がいた。赤い着物の…少女であろうか。
少年は徐々に近づいていくうちに、彼女が結構な美人である事に気がついて…
思わず足を止めて頬を赤らめる。
その様子に今さら気づいたかのように振り返った少女は…
少年を見つめながらそのかわいらしい唇を開いた。

「何を見とれているの。人間」
「なっ!」

可愛い、と思ったまもなく、口から発せられた偉そうな台詞に、少年は思わず面食らう。

「そんな所でいつまでも濡れているつもり?」

社の入り口の階段に腰掛けていたその少女は、少し動いて隣を空けると少年を促した。
偉そうな態度は少し癇にさわったが、折角場所を空けてもらったのだ。
慌てて近寄った少年は、背負い籠を地面に置いて隣に腰掛ける。
やっと雨が当たらなくなった。ずぶぬれの着物の袖や裾を絞りながら少年はやっと一息つく。
その様子を眺めた少女は興味深げに一度籠を覗き込んでから、こんな事を聞いてきた。

「こんな雨の中で、一体何をしていたの?」
「山菜採りしてたんだよ。見て分からないのか?」
「…分からないわ。私の家の近くには山菜なんて生えていないもの」

本当に知らないらしい。こんな山の中にいるのにへんな奴だ、少年はそう思って少女を見る。

「…何よ。人間の癖にそんな目で見ないでほしいのだわ」

じろりとにらみ返してきた。少年はため息をつく。

「何だよ、さっきから人間人間って…まるで自分が人間じゃあないみたいじゃないか」
「もちろん私は人間なんかじゃないわ」
「じゃあなんなんだよ」
「龍よ」

突拍子も無い単語が出てきて、思わず吹きだす。

「ははっなんだよそれ…いくらなんでも突拍子もなさ過ぎる嘘だぞ」

笑う少年に、少女はふくれっつらになる。

「嘘なんかじゃないわ…そんなに笑うのならば見せてあげるのだわ!」

階段からぴょん、と飛び降りた少女は雨の中に歩き出す。そして池の淵まで来た所で足を止めた。
とたんに、カッ!と大きく稲光が走る。その光の中で、少女の輪郭が溶け…赤い鱗がきらめいた。
一瞬の後、そこに居たのは一匹の龍だった。ただし…想像していたよりも、とても小さな。

「…ぷっ」

最初は少女の真剣さと、そして漂う空気に押され、恐れおののいていた少年であったのだが。
しかし、その変身後の…龍と呼ぶにはあまりにもかわいらしいその姿を見てしまうと…
どうしても、笑わずには居られなかったのだ。

「わ、わかったよ!確かにお前龍だったんだな…!あははは…!」
「し、失礼な…確かに私はまだ小さいけれど。でも、この高貴な姿を見て笑うなんて!無礼者!!」

とたんに、小さな龍から発せられた小さな雷が、少年に直撃する。

「あはは…っいだーーーーっ!!」
「無礼者にはこのくらいが丁度いいのだわ!まったく、これだから人間は…
 見た目でしか判断できないなんて最悪なのだわ!」

ぷんぷん!と怒りながら空中に浮かんでとぐろを巻く小さな赤い龍。

「いたたた…うっぷ…わ、わかったよ、悪かったよ」

しびれた手を押さえながら、その動きに再び笑いそうになり、
また雷を向けられそうになった少年が慌てて謝る。

「わかればよろしい!」

小さな体で一丁前に胸を張る龍。雨はいつの間にか上がり、雲間からは光が差し込みはじめていた。

―――

「それから二人はどうなったのかしら!」

一度語るのを止め、腰に下げていた竹筒に口をつける天狗に、
目を輝かせながら子天狗が話の続きをせがむ。

「…その辺は私もよく知らないんだけどぉ…龍の子が少年のおうちに居候することになったりとか、
 そのお姉さんとも親しくなったりして段々仲良くなっていったらしいわぁ。」
「それなら次は告白かしら!」
「それがねえ…そういうわけにもなかなか行かなかったのよぉ」

向上心の強い子とはいえやはり小さな女の子。色恋沙汰には目がないものなのだろうか。
楽しげに続きを予測する子天狗に苦笑しながら、天狗は話の続きを語り始めた…

―――

龍の子が村で人の間に混じって暮らし始めてからしばらくの時が流れた。
一時は枯れかけていた村の田畑に程よい雨が降るようになり、
他所で大きな被害を出したという嵐も村までやって来る事はなかった。
そんな奇跡のような豊作の年が2年も続いただろうか。

「…なあ」
「何?」

いつかのように山へ山菜を採りに入る少年。少女は、下草を掻き分け歩く後についていく。

「ありがとうな」
「何が?」
「村の事。お前のおかげで…村が少しは豊かになった」
「…私は私の出来る事をしているだけよ。
 それにこれは私がお父様から言い付かった仕事でもあるのだから」

少女はそっけなく答える。相変わらずかわいくないな、と少年は思う。
その、少し偉そうに、そっけなく振舞う性格は会った時から変わらない。
しかしすました少女の顔が少し紅く染まっているのを見つけて、照れているな、と小さく笑った。
そのまま前を向いてしばらく歩く。茂みを抜けていく途中、後ろから少女の声が聞こえてきた。

「…あなたには感謝しているわ。」
「僕は何もしてないぞ」
「いいえ。もし私があそこであなたに会わなければ、きっとすぐに家に帰っていたわ。
 あなたが居て、人間に興味を持ったからこそ…私はお父様の信頼を裏切らずに済んだ」

前を歩いていた少年には表情こそ見えなかったが、少女はきっと微笑んでいるであろうことが
言葉の雰囲気から察せられた。

「だから…ありがとう。」
「…なんだよ、突然。」

めったに見られない、少女からの素直な感謝の言葉。少年の頬が少し熱くなった。
急に大きな動きで茂みを掻き分け始める少年の背中を見て、少女が後ろでそっと笑う。
少し背丈は成長しても、相変わらずぶっきらぼうで照れ屋なところは変わらない。

人と共に暮らすようになって、龍の少女は人の時間にずいぶん馴染んだ。
3年という歳月は、未だ子龍とはいえ少女が今まで生きてきた年月に比べれば微々たる物だ。
しかしそれまでよりもずっと密度の高い時を過ごしたと思う。
龍宮の奥で王の娘の一人として退屈な時を過ごしていたときよりも、ずっと。
これが人の時間なのだな、と少女は思う。龍よりもずっとずっと短い時を生きる人だから、
龍よりもずっとずっと密度の濃い時を過ごし、そしてあっという間に死んでいくのだ。
今、少女の目の前を歩く少年だって…高々50年程も経てばきっと跡形もなくなってしまうのだ。
思考がそこまで達した時、少し背中に寒気のようなものが走った。

思考を止めて改めて前を見れば、先ほどと変わらず歩く、少年の背中。
何故だか少し安心して、少女は少年と共に山道を進んでいく。
太陽が中天を過ぎ、徐々に傾きはじめるにつれて、木がざわざわと揺れる。
風が、徐々に強くなり始めていた。

「…一雨来るかもなあ」

木の芽を摘んでいた少年が空を見上げる。空には少しずつ暗い色の雲の姿が見え始めていた。

「大丈夫よ。降らせたりなんてしないわ」
「でも、この位の雲ならにわか雨だろ。今の時期は雨が降った方が稲が育つし、
 無理にとめなくてもいいよ」
「そうね…なら、そうしておこうかしら」
「ああ。戻るついでに一旦社まで行って、雨が過ぎるまでそこで待てばいいさ」

その場から引き返して山を下りはじめる。
途中、村から続く道へ出て、社の方へと向かった。
3年前には朽ちかけていた龍を祭ったお社は、続いた豊作の礼とばかりに建て直されて、
今はずいぶんと綺麗になっている。この道も、昔は無かったものであるが、
参る人が増えるにしたがって少しずつ出来ていったものなのだ。

少し大きくなったお社が見えてきた頃、雨は本格的に降り始める。二人は軒下に慌てて駆け込んだ。
いつかのように、並んで階段に腰掛ける。
ざあざあと振る雨を眺めながら、しばし穏やかな時が流れた。

「…なあ」
「何?」

再び繰り返された呼びかけとその応答。しかし、当たり前のように、続く言葉は先ほどとは違う。

「よかったらさ…これからも、ずっと村で暮らさないか?」

予測していなかった言葉に、少女が少年へ振り返った。

「何なの、突然」
「いや…前にさ、呼び戻されたら家に帰る、って言ってただろ」
「ええ。言ったわ」
「だからさ…それでも帰らないで、村に居ないか?って…」

いくぶんか歯切れの悪い少年の言葉。対して、キョトンとした表情で少女が返す。

「そういうわけには行かないわ。お父様の言いつけは絶対だもの」
「そうか…」

気にしていない風を装いながらも、しかし明らかに落胆した様子の少年に向かって少女は笑う。

「大丈夫よ。呼び戻されるといってもきっと何十年も先の話。
 早くても…きっとあなたはすでにしわしわの老人になってしまっているのだわ」

言葉を聞いた少年が、顔を上げた。そして少女の顔をじっと見る。
少女が微笑みかえすと、少年は頭をがりがりと掻いてそっぽを向いた。

「…そっか。お前、龍だったんだよな…最近ちょっとそのこと忘れかけてた」
「ふふ。人間には雨を降らせることなんて出来ないわ。私は龍よ」

少しずつ雨足の弱くなりはじめた雨。二人の間には先ほどとは違う静かな空気が流れる。
今は同じ時を歩んでいても、互いの時の流れは違うのだ。
それを改めて認識してしまった少年と少女は、何も言わずにただ雨がやむのを待ち続けた…

―――

「かしらー…」

再び一息ついた天狗の横で、子天狗が目を潤ませた。

「お互いきっと好きあっているのに、悲しい話かしらー!」

話を聞いて、本当に涙を流さんばかりにぐすぐすと鼻を鳴らす子天狗。

「で、でもきっとハッピーエンドになるとカナは信じるかしら!
 天狗にだって人間を仲間にする秘術が伝わっているかしら!」
「ふふふ、そうねぇ。でも、どうなるかはお話を最後まで聞くまでわからないわよぉ」

懐から取り出した手ぬぐいでちーん!と鼻をかむ姿を微笑ましく見守りながら、
天狗は再び話し出した。

―――

その年の秋になり…村は今年も豊作で、秋祭りがまた盛大に行われた。
本当のことを知っているわけでもないだろうが、誰かが

「この村には山の上の龍神さまが付いてる!きっとまた来年も豊作になるぞ!」

と赤ら顔で叫び、村人たちはまた盛大に沸いている。
そんな楽しげな人々の様子を、少年と少女、そして少年の姉も一緒に楽しく見守ったのだ。

その年には少年も、未だ成年ではないものの、立派な働き手として認められて
男達の酒盛りの輪に加えられた。少年はもともとあまり人付き合いのよい性格ではないが、
酔った人間にはそんな事は関係ない。少年もあれよあれよという間に飲まされてしまった。
そんな酒盛りのさなか、何度か少年は一緒に暮らす少女との事を冷やかされたが、
しかしその話になると少年は少し複雑な表情で押し黙ってしまう。
それを照れているのかと勘違いした周囲の大人たちは囃し立て、
ならいっそ押し倒しちまえよ!とか無責任なアドバイスも聞こえてきた。

一方、少女の方も何かと忙しく動き回っていた。
少年の姉と共に女たちの輪で食べたり話したり、一緒に宴会のつまみを作り足したり。
去年までは、少年の姉はともかく少女自身は少年と共にお味噌扱いにされて、
殆ど手伝いをする事も無く高みの見物でいたのだけれど。
しかし今年は豊作続きの影響かたくさんの子供が生まれ、
それゆえに、女達も子供の世話にちょくちょく時間を割かねばならず、人手不足であったのだ。
あまり料理が上手いとはいえない少女はあくまで料理上手な少年の姉の手伝いだけであったが、
しかしそれでも、夜半頃には他の若い村人達と共に眠り込んでしまうくらいには、
くたびれてしまうことになるのであった…

そして翌朝。酔った挙句に結局広場で眠り込んでしまった人々には幸いなことに、
晩に雨が降ることも無くその日は朝から快晴であった。
そんな村人の一人になっていた少年が、死屍累々と横たわって眠る村人達の中、
いつの間にかかけられていた上着をのけて起き上がる。
初めて飲んだ酒の影響か少し頭が痛かった。立ち上がって体に付いた土をはたくと
近くの水の入った甕へと向かう。ひしゃくですくって手と顔を洗ってから、
改めてすくって今度は飲み干した。
大きく伸びをすると、辺りを見回す。何人もの大人が地面に寝転がり、気持ち良さそうに眠っている。
何人かには、少年と同じように着物がかけられていたが、そのまま寝転がっている者も多かった。

ふと、広場の近くの家のほうを見ると、少女が小さく扉を開けて外へと歩き出てくるところだった。
何とはなしにそちらへ向かい、声をかける。

「おはよう。お前も早く起きたのか?」
「おはよう。ええ。…少し呼ばれてね」
「呼ばれた?誰に?」

頭の痛みと共に、少年はまだ少しぼうっとしながら聞き返す。呼ぶ。誰だろう。
村の知り合いで呼びそうな…姉はわざわざ呼んだりはしないだろうし。
誰か男が祭りの勢いで告白でも?そこまで考えて少しむっとする。
酒盛りの時には、人をさんざっぱらからかったのに、彼女に告白しようとする奴が居るなんて。

「何を怖い顔をしているの。…少なくとも呼んだのはこの村の人間ではないわ」

彼女が取り出したのは、墨で何かが書かれた高価そうなまっ白い紙。…確かにそうだ。
このような上等な紙、役人でもなければ持っていないだろう。書かれているのはきっと文字だろうが、
文字を読み書きできる人間も…やはりこんな山奥では数少なかった。

「こんな物を送りつけるなんて…一体誰かしら」

柳眉をひそめて手紙をためすがめつする少女。

「なんて書いてあるんだ?」
「社へ来い…とだけ」

だからこんなに少ししか文字が書いていないのか。いらぬ所で感心している少年を他所に、
少女はため息をつきながら紙を懐へしまう。

「仕方が無い…行くしかないわね」
「じゃあ、ついていくよ」

気乗りしない様子の少女に思わず少年が声をかける。
キョトンとした顔で見上げる少女。

「いや、もし万が一村の奴だったりしたら僕が居た方がいいし…」
「…あなたは本当に、私が龍である事を良く忘れるわね。…でも…そうね。ついてきて頂戴」

ふぅ、と苦笑しながら少女はため息をついて見せる。
しかしすぐに考え直すと…いつものように少し偉そうに言って、歩き出す。
村人達がまだ皆眠る朝もやの中、二人は社への道を登っていった。

平然と歩く少女と、上着を羽織って少し肌寒そうに歩く少年はほど無く社のある泉までたどり着く。
朝の青みがかった光の中、泉の近くにたたずむ社は普段よりも神秘的な様相で二人を迎えた。
二人は社の前に立つ。しかし、人の姿など辺りにはまったく見受けられない。

「…いたずらだったのかしら…」
「さあ…僕がついてきたから、かな」
「まったく。一体何を思ってこんな…」

少女が懐から紙を取り出した。
直後、大きな風が吹く。白い紙が飛ばされて、空高く舞い上がった。
驚いて見上げる二人の前に、空から人が…人の形をした生き物が降って来る。
強い風と共に上から降り来たその人影は…

「…烏?」
「天狗よぉ!」

自らを天狗と名乗るその人影は、黒い翼の生えた女性だった。
たまに村を訪れる山伏と良く似た白い装束を纏っている。

「天狗…?」
「ああ、聞いたことがある…山の神様だ、って昔村に来た山伏が言ってた」

その言葉を知らないらしい少女が首をかしげると、少年が隣で説明する。

「…よくわかってるじゃなぁい?」

少年の説明を聞いてやっと怒りが収まったらしく、天狗は姿勢を変えてふわりと宙に浮いた。
羽ばたく羽が起こす風で、下草がざわざわと音をたてる。

「ともかく。やっと見つけたわぁ、あなたが此処に新しく来た龍ねぇ?」
「新しく…?私は3年前からずっと此処にいるのだわ。」
「「此処には」いなかったでしょお? …まったく、まさかあの高慢ちきな龍が
 人に混じって生活しているなんて思いもしなかったわぁ…」

渋い顔をして天狗は一人ごちる。けれどすぐに少女へと向き直って続けた。

「ともあれ、今日はこの辺りを管理する天狗として、文句を言いに来たわぁ」
「…その山の神の天狗とやらが一体何の用かしら。
 私はお父様に言われたとおり、此処に雨を降らしているだけなのだわ。
 前任の龍が居たからには、私もその龍と同じように雨を降らせればいいのでしょう?」

少女は毅然とした態度で目線を合わせて、天狗に返す。
そんな挑戦的な態度に、しかし天狗は鼻で笑うかのように空中から少女を見下ろしながら言う。

「そうねぇ。確かにあなた方龍の仕事は、この辺り一体を雨で潤すこと。
 けれど…そのやり方に問題があるのよぉ」
「一体何処に問題があるというの。きちんと定期的に雨は降らせているし、
 それで村は豊作続き。私は立派に仕事をやり遂げているのだわ」
「村は…ねぇ。」

天狗がため息をつく。

「まあ…どういう状況なのかは、あなたが人間をつれてきた時点で大体把握したわぁ」
「どういうことよ!」
「見ればわかることよぉ。あなたが人間に…
 いえ、きっとその少年にうつつを抜かしているのだろうってことくらい。」
「なっ!」
「え!?」

とたんに少女の顔が紅く染まる。少年も同様だ。
お互いちらりと横を見て、視線があってさらに頬を赤らめた。
その様子に、天狗はため息をついて手を叩く。我に返った少女は再び天狗を睨みつけた。

「…まったく。これだから、気が向けば馬とでも子供を作る好色な蛇の親玉一族は…」
「な…っ!その言葉、聞き捨てなら無いわ…!」

少女の姿がぼやけて消える。一瞬の後そこに現れたのは、以前より少し大きな姿になった紅い龍の姿。
霞を纏いながら天狗と目線を合わせるかのように空へ舞い上がり、バチバチと霞に雷光を走らせる。

「鳥の分際で、この龍王の五女たる真紅の前で龍に対する侮辱…許さないわ。
 先ほどの言葉、伏して謝り、取り消しなさい!」
「あらぁ…何処の右も左もわからぬ餓鬼龍かと思えば、龍王の娘だったのねぇ!?」

名乗りを聞いて、一瞬焦った表情になった天狗。しかしすぐに表情を戻して挑発する。

「この…っ!」

そして、空中戦が始まった。

―――

「天狗かしらー!お姉様かしらー!」

天狗の登場に、子天狗がはしゃいだ。

「間違っても同じことを龍に言っちゃダメよぉ?…雷で焼き鳥にされちゃうわよぉ」

脅かすように怖い顔と声で言われて、子天狗が縮み上がる。

「で、でもお姉様は強いから大丈夫だったのよね?」
「それは聞いてのお楽しみよぉ?」

竹筒を傾けてのどを潤した天狗が、再び語り始めた…

―――

雨雲と雷光を操る龍と、風を操る天狗の戦い。
龍が雲を集めて雷光を放てば、大きな風が起きてその雲を吹き散らす。
そこで現れた本体にすかさず大小のかまいたちが襲い掛かるが、
しかし龍の鱗は硬く中々傷を付けられない。
けれど、龍の雷光も天狗にはめったに届くことはなく、
時には近くの大木に落ち、もしくは空を伝ってピカリと大きく光るだけ。

少年は泉の縁に立ち、その様子をただ見ているだけしか出来なかった。
龍の周囲の雲が発する大量の稲光と、きらめく紅い鱗。
その中で舞うようにすばやく腕、そして杖を振るいながら飛び回る天狗。
その光景は、この世のものとも思えぬ美しい光景であった。
しかし、苦戦する龍の姿を前にしてそれを楽しんでいることなど、少年には出来なかった。
何も出来ない自分に歯がゆさを感じ、せめて何か加勢できないかと周囲を探っては見るものの、
しかし投げたものが届きそうな高さではない。

「…くそっ!」

歯噛みしてこぶしを握り締める。そうこうしているうちに、徐々に龍の攻撃の勢いが落ちてきた。
雲の数も減り、飛ぶ高度も徐々に落ちてくる。
最初から怒りに任せて全力で雲を集めて雷を撃ちつづけていた疲労が出てきたのか。
そこに、突如大きな竜巻が起こり、地面から草や枝などを巻き上げていく。
それに巻き込まれた小さな龍は、空中で為す術も無く翻弄されていった。
しばらく続いたその竜巻が唐突に収まると、空から気を失った小龍が落ちてくる。
少年は、落下地点からは少し離れていたが、しかし慌てて走ってなんとか受けとめた。
倒れこんだ少年の耳に翼の音が聞こえ、天狗が肩で息をしながら地に降り立のがわかった。
気がついて慌てて龍を背に隠して守るような位置に移動する。
眼光鋭い天狗の赤い瞳。覗き込まれて思わず背中につめたい物が流れる。
けれど少年はそこから退かない。

天狗は少年と龍を睨みながら言う。

「まったく…手間かけさせて…!龍王の娘には聞こえていないでしょうから、
 伝えたい事はあなたに言うわ。龍に恋する愚かな少年に」
「な、なんだよ!愚かって…!」
「…わからないの?3年も一緒に暮らしてきたというのならそろそろわかっているでしょう?」

呆れたように言う天狗の言葉に、春の頃二人でここで雨宿りしながら話したことを思い出す。

(あなたはとっくにしわしわの老人になっているわ)

その時に感じた彼女と自分との違い。少年の表情が硬くなる。

「ある程度はわかっている?…いくら一緒に居たくても
 人間と龍とでは寿命が違いすぎるということを。その恋が成就したとして、
 あなたがいくら長生きしても彼女の人生の10分の1も共有することができないということを」

改めて言われてしまうとやはりショックなのだろう。少年は眉根を寄せて天狗を睨みつける。

「それでもいいの?…ってね。まあ、人間だものね。
 自分がよければそれでいいのかも知れないわねぇ。今回の、雨や嵐のように。」

天狗はまるで馬鹿にするかのように目を細めて笑う。

「なんだよそれ…!」
「…雨っていうのはね。当たり前だけれど、人間のためにあるわけではないのよ。
 たくさんの生き物が必要としているし、あなたたちだけの都合だけで降らせていいものでもないわ。
 けれど、その龍はあなたたちのためだけに雨を降らせ続けた。
 他所からたくさんのものを運んでくる嵐も、途中で止めてしまった。
 だから、同じく天候を動かす者として文句を言いにきたのよ。」
「で、でも、こいつはどう降らせていいかわからなかったんだぞ!しかたないじゃないか!」
「本当なら…社の近くに居れば、この周辺の精たちがそれを教えてくれたはずなのよ。
 けれど、訪れてすぐにでも、あなたが連れて行ってしまったんでしょう?
 人間の里に。その後も、この子は人とばかり交流を続けてた。」
「…それはこいつの所為じゃなくて、こいつを村に連れて行った僕のせいだろ!」
「そうね。それならもちろんあなたにも原因はあるわ。」
「だったら…!」
「でも、あなたが責任をとっても何も出来ないでしょう?」

無理だ。少年には天気を動かす力などない。
黙った少年を他所に、天狗はふわりと空に舞い上がった。

「それに、間違っている事に気がつかないで、人間以外の生き物と交流しなかったこの龍にも
 十分責任はあるはずよ…ともかく、その龍が起きたら今教えた事をきちんと伝えておきなさい。
 あなたに出来る事はそれだけよ。…少なくとも私が言うよりはきちんと聞くでしょう」

それだけ言うと、天狗は高く高く飛ぶ。大きく翼を羽ばたかせた所で、強い風と共に掻き消えた。
後に残されたのは、気を失った小龍と、呆然と座り込む少年。
天狗が消えていった空は、既に日も昇りきって雲も無く、ただ蒼く蒼く広がっていた。

小龍が目を覚ますと、そこは見慣れた家の梁…ではなく、
比較的木の新しい、見慣れぬ天井。体をくねらせて、首を持ち上げ、辺りを見回す。
すぐ前には、小さな石に注連縄が巻かれて置かれた祭壇のようなものがあり、自分は今…
小さな座布団を繋げた上に寝かされ、上着がかけられていた。
さらに見回してみるものの少年の姿は見えない。
上着からするりと抜け出すと…まだ少し疲れや体の痛みが残っているのがわかったが、
このまま人前に出るわけにも行かない。いつもの人の形になって、近くに見えた扉を開けた。
見えたのは、快晴の空と夕日に照らされた泉。そして、階段に座った少年の背中。

「…天狗は?」
「…行ったよ」

その背中に話しかければ、ぶっきらぼうな答え。

「何か言っていた?」

言いながら、また何時ぞやのように階段に並んで腰掛ける。けれど、今日は雨は降っていない。

「ああ」
「そう…」
「なあ。お願いがあるんだ」

前を向いたままの少年の言葉。数ヶ月前の光景と重なった。
少女も同じく前を向いたまま答える。

「何?」
「僕と、此処で暮らさないか。…この社で」
「…此処で?」
「そう、此処で。姉ちゃんも連れてきてさ…」
「何故?村ではいけないの?」

少女が横を見る。数ヶ月前には確かに、村でと言っていた。それが何故。
少年は、その質問には答えずに、言葉を続ける。

「僕は、真紅の長い人生と比べたら、全然短くしか生きられない。
 でも、その短い間だけでもお前と一緒に居られたらいいな、って思ったんだ。
 こういう気持ちは…自分さえよければいいのか、って天狗に言われたけど…
 それでもさ。今までずっと考えて…やっぱり言いたい、って思ったんだ。」

そこで一息区切る。少女は何も言わずに横で聞く。

「真紅、これからも、死ぬまでずっと一緒にいたい。お前が好きなんだ。
 だから…結婚、してくれないか?」

―――

「お話は此処まで。」
「ええ~!龍がどう答えたのかもわからないかしら~…」

唐突な物語の幕切れ。子天狗は不満そうな声を上げる。

「そりゃあもちろん、二人は結婚して…それから幸せに暮らしたそうよぉ?」
「で、でも二人は寿命が全然違うのに…本当に幸せになれたのかしら…」
「さあねぇ…そればっかりは、本人に聞いてみないと」

言った所で、がけの下から大きな風が巻き起こる。ごうっ!という音と共に、
太く長い紅い柱のようなものが…目の前の崖の下から伸び上がった。

「な、なにかしらーーーー!!」

柱自体はあっという間に消えていったが、起こった風は強く、
その風にあおられて二人の座った松の木がおおきくしなる。
あおられた子天狗はコロコロと転がり、松の木から落ちてしまった。
いち早く松の木から飛び立っていた天狗が子天狗の傍に降り立ち、手を差し伸べていると、
後ろからかかる声。

「…こんな所で何やってるんだ?」
「お出迎えよぉ。それと、昔話をしてあげていたの」

振り返れば、黒髪に黒い服の青年が立っている。
どうやら天狗ではないらしく、背中に翼は見えないが、
顔には眼鏡などという珍しいものをかけている辺りに、身分の高さを感じさせた。
それを証明するかのように、服も地味ではあるが、絹製で大陸風の仕立ての良い物である。

「え!?お前いつの間に子供出来たんだ!?」
「ちがうわよぉ。知り合いの子よ。知り合いの子」
「金糸雀かしら!よろしくかしら!おじさん!」

天狗の知り合いとわかったからか、子天狗は元気に挨拶をする。
しかし、最後の単語に青年はガーン、とショックを受けた模様。

「おじ…!そ、そこまで俺年取ったかな…」
「年齢的にはまだまだ若造、なんだけどねぇ…何しろ見た目が以前のまんまだからぁ」
「そりゃあそうだけどさ…」

頭をがしがしと掻いた所で、少し離れた場所から声がかかる

「なにをやっているの!そんな烏女となんて話していないで
 とっとと長のところに話を付けに行くのだわ!」
「わかったよ!今行く!」
「烏女とは失敬ねぇ!蛇の親玉のくせして!」

遠くに立つ女性に笑いながら返す天狗。
一方、青年はじゃあまたあとでな、と手を振って女性を追う。
女性は青年と同じく大陸風の豪奢な紅い衣服を身にまとい、ずんずんと歩いていく。

「まあ…幸せにやってるんじゃなぁい?」
「あの二人って…もしかして…かしらー?」

天狗は、見上げてくる子天狗の言葉ににっこりと笑う。

「まぁ…昼ごはんのときにでも、聞きたい事は本人達にね?」

―――

<おまけ>

「へ、何。昔話って…」
「そ。丁度あなたたちが用事で天狗の里に来るっていう話だったからぁ」
「要らない事を話していないでしょうね?」

水銀燈宅でのそこそこ豪華な昼食も終わり、卓には冷たいお茶が並ぶ。
そこで、特別に招待された金糸雀が目を輝かせながらはしゃぐ。

「で…告白した後はどうなったのかしらー!」
「まあ、そんなわけだから…ノロケるつもりできっちり答えてあげちゃってぇ?」
「そんなん…恥ずかしくて言えないだろ」

ニヤニヤ笑う水銀燈に、照れてそっぽを向くJUM。庭ではじーわじーわと蝉達が鳴き続けている。

「でも、龍王に婚約報告とか…村でもちゃんと祝言挙げたんでしょう?その辺話してあげたらぁ?
 さすがに私もその辺はちゃんと聞いたわけじゃないから話してあげらんないわよぉ?」
「そりゃあそうだけどさ…そもそもそんな昔の話なんてするなよなぁ…なあ、真紅」
「そうね…」

一人涼やかな顔をして茶をすすっていた真紅に話が振られると、
真紅は済ました顔をして金糸雀に向き直った。

「ねえ金糸雀?同じ恋のお話でも…水銀燈の昔のお話、聞いてみたいと思わない?」
「!!聞いてみたいかしらー!お姉様、あんまり自分のそういうことは話してくれないかしらー!」
「…ね?」

そしてニヤリと水銀燈に笑みを向ける。

「し、真紅ぅー…!」

水銀燈が頬を赤らめて、がたんと立ち上がった。互いの視線がぶつかってバチバチと火花が散る。
その様子を見かねたJUMが、間に居た金糸雀を傍に呼ぶ。

「…ああなったらいつケンカが始まるかわからないぞ。こっち来い」
「かしら~…」

二人の迫力に、体をこわばらせていた金糸雀は、素直にその言葉に従う。
しばしのにらみ合いの後に始まった言い合いから逃げるように、金糸雀とJUMは縁側に出た。
冷たいお茶をまたすすって一息ついたところで金糸雀が言う。

「そういえば、気になっていた事があるかしら」
「ん?なんだ?」
「あなたは…どうして、寿命が違うって、お姉さまにも言われて…
 わかっていたのに告白したのかしら?」
「…なんで、って言われてもなあ…それでも好きだったから、としか、なあ」
「でも、それであなたが早く死んでしまったら…真紅さんが悲しむかしら」
「ああ…うん。それはもちろん考えた。でもさ、今更俺のことなんか忘れて山の社に行け…
 なんて、言えなかったんだよ。真紅が俺のことを好いてくれている、ってわかったらなおさら。」

縁側にあぐらをかいて座るJUMが、鼻をかく。

「それに、水銀燈にお前は責任をとっても何も出来ない、見たいに言われてたし。
 けど、お互いに好きになった責任くらい取れる。
 たとえ真紅にとっては短い時間でも、その間だけでも幸せにしてみせる。
 将来俺が死んだ後にも笑って俺との思い出を思い出せるくらいに。
 …って考えてたような気がするな。あの時は」

遠い昔を懐かしむように、空を眺めながらの言葉。しかし、自分の台詞にすぐに気がついて、
慌てて金糸雀に口止めをする。

「あ、でもこれ内緒な。今更そんな恥ずかしい事なんて言えないし」
「もちろんかしら!感動したかしら!愛かしら!」

興奮してきらきらと瞳を輝かせる金糸雀の頭を、JUMは微笑んでなでた。

「ま、そんな感じだな…結局、龍王の計らいでその心配はなくなったんだが…」
「…あれ?じゃあ、お姉さんはどうしたのかしら…?」
「ああ…姉ちゃんは、最期まで人間だった。今は何代か後の姉ちゃんの子孫が
 社を守っているんじゃないかな。俺は最近はもうずっと龍宮に居るから詳しくは知らないが」
「かしら~…お姉さんにも会ってみたかったかしら…」
「生まれ変わってまた会いましょう、見たいなことも言ってたし。もしまだ縁が続いていれば、
 また会えるんじゃないか、って俺は考えてるよ…だから、そんな悲しそうな顔するなって」

そこまで話したところで、背後でばん!と卓を叩く音がする。

「あなたとは、今日こそ決着をつけたほうが良さそうね…!」
「望む所よぉ…!」

言い争いも極まったらしい。肩で大きく息をする二人が、庭先に出ようと立ち上がった。
そこで、JUMと金糸雀は慌てて二人を止めに入る。

「おい真紅!外ならまだしも客として招かれてる天狗の里の中で暴れたりするなよ!」
「水銀燈お姉様落ち着くかしら~!こんな所で天狗の団扇は大騒ぎかしら~~!」

夏の日差しと蝉たちの喧騒の中、妖怪たちは今日も変わらぬ日々を過ごす。
人とは違う時の流れの中で、妖怪達の饗宴は今も続いているのである…
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