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ここはあまりにも静かだから、足音が良く聞こえる。
たくさんの足音が近づいて、重なって、離れてく。
それぞれ違った音がして、それはそれで面白いのだけれど、
たまに来るこの音だけは私は好きではない。
あぁ、私を苦しめる発作の足音がする・・・

・・・・・・

眩しくて眠れない。
傍らの小さな窓からは、触れれば折れてしまいそうなほど細い月。
あれを私に見立てて、恥ずかしい感傷に浸ったときもあった。
でも、あれは私ではない。私とは違う。
私の命は欠けてゆくだけ。決して満ちはしないのだ。

「いつまで生きていられるかな・・・」

幾度と無く自分に投げた問いかけ。
問う度に答えは短くなっているのだろう。
この白い消毒された監獄で、私はただ歩み寄る黒い足音を聞いているだけ。
これは生きていても死んでいるのと変わらない気がする。



ベランダの縁に立つと、肌寒い風が体中を撫でる。
それだけで私の体は悲鳴を上げているけれど
私の頭は聞こえないふり。
体を労ってじっとしているのにはもう飽きた。
あぁ、もう一度、友達と元気に走り回ってみたかったな。
死の走馬灯の中でなら、そんな夢も許されるだろう。
針のような月を見上げる。

「あなたは綺麗ね。妬ましいぐらい。」

そういって右足を虚空に一歩、踏み出す。

『貴女の言うほど綺麗なものではございませんよ』

びっくりして振り返れば、そこには
背の高い、兎がいた・・・




・・・・・・

「あなたは・・・誰?」
『見ての通り、兎でございます』
「なんで・・・ここにいるの?」
『貴女が私に話しかけてくださったので』
「私が、あなたに?」
『ええ、綺麗だとおっしゃってくれたでしょう?』

私の質問に飄々と答える兎。

『そこにいてはお寒いでしょう。中にどうぞ』

私の部屋なんだけどな
そう思いながら部屋に戻ってベッドに腰掛ける。

「あなたも、座ったら?」
『いえ、私は結構。すぐにおいとま致しますので』

図々しいのか謙虚なのか良くわからない。

「あなたは、月の兎なの?」
『そういうことになります』
「じゃあやっぱり、月でお餅をついたりする?」
『ふむ・・・そういうことはあまりしませんね』
「ふふ、そうだよね、あなた格好いいもんね」
『光栄です』



・・・・・・

こんなに人と喋ったのはどれくらいぶりだろう。あ、兎か。
でもすごく、楽しかった。

私にも友達はたくさんいた。
私が病気になって入院してもたくさんの人が会いに来てくれた。
でも、なかなか治らない私を、少しづつ周りは見放していった。
壊れたおもちゃはいらない・・・そんな感じなのだろう。
かろうじて私を見捨てなかった友達も、私は拒絶していった。
欠けてゆく体を持った私には、満ちてゆく彼らと相対するのはつらすぎるのだ。
それでもまだ会いに来る人はいるが、それもそのうちに姿を消すだろう。

でも彼は、この兎はどうだろう。
どこか私と同じ雰囲気を感じる。
ほんの一瞬のまばたきの隙を縫って消えてしまいそうな、
細い細い飴細工のような、弱く、美しい輝き。
それは、もう消えてしまいそうな三日月からやってきたからだろうか。
影となった私に、そんな彼の光は心地よかった。




・・・・・・

「そういえば、あなたは何をしにここへ来たの?」
『そうですね・・・呼ばれたからと言うのもありますが・・・』

少し考えるようなそぶりを見せて彼は言う。

『貴女にお別れのご挨拶をしに来たのです』


月は、細く、弱く、泣いているように見えた。




「お別れ・・・?」
『ええ、お別れです』
「あ・・・そうだよね、私はもう死んじゃうんだもんね」

心のどこかがチクリ、痛んだ。

『いえ、お別れをしないといけないのは、私です』

彼は少し困ったような、寂しそうな顔をして、
それでも声は何ともないように言う。

「・・・どうして?」
『明日は新月。今日で月は終わってしまいます』
「でも、月はまた満ちるわ、あなたは死なない・・・」
『ええ、月が出ればまた私は兎として生きることが出来るでしょう。
 しかしそれはもはや、私であり、私ではないのです』



月はナイフのように鋭く、優しく、私の心に傷を付けていく。



「・・・どういう事?」
『水車のようなものです。
 月の出ている間は水を溜め込み、新月になればそれを月に贈るのです。
 それを延々と繰り返す、私はそういう役目をもった兎なのです。』
「じゃあ・・・次に月が出るときは・・・」
『私はまた何も知らない空の器になっているでしょう』

彼のその告白は、友達を失った事実より、医者が下した死の宣告のような言葉より
深く、深く私の心を突き刺し、たくさんの血を流した。
零れた血は塩辛い涙になり、私の顔を汚していく。

「なんで・・・?
 あなたが来なければ・・・あなたの事なんて知らないままでいられたのに・・・
 お別れだってしなくてすんだのに・・・」

それは止めどなく流れはするものの
私の心のなにものをも洗い流してはくれない。

「どうして・・・わざわざそんな事を言うの・・・!
 なんで来るのよぉ!」

私の言葉は細い、細い月を殴りつけた。
壊れるなら壊れてしまえと思った。
しかし彼は、微笑みながら


『・・・貴女は月をずっと見ていてくれたから・・・
 器の私に、ずっと水を注ぎ続けてくれたからです』
「違う!私はあなたに、私の不幸を乗せて、自分への慰めにしただけ!」



ああ、だから彼は私と同じだったのだ。
私が彼に注いだのは黒く、粘ついた不幸の泥。
1滴でも心を汚すそれを、彼はずっと受け止め続けていたのだ。
今の彼はどす黒い器だ。きっと私以上につらいはず。
それでも彼は微笑っている。

『私は、嬉しかったのです
 私に思いを乗せてくれたこと、この寂しい器を満たしてくれたことが
 だから、お会いしてそれを伝えたかったのです』

彼がいなければ、深い、深い孤独の海で死が私を喰い殺すまで
ただ大人しく待っていなければならない。
光の心地よさを知ってしまった私には、もう耐えられない影だった。

「何でよ・・・そう思うなら、ここにいて・・・
 こんな暗い場所に、私を置いて行かないでよぉ・・・」

力のない、懇願。

彼はそんな私をずっと見ていた。

『・・・約束を交わしましょう』

不意に彼が言う

「・・・約束・・・?」
『はい、それは終わり無き絆であるがゆえに、いつまでも消えることはありません
 例え私が空白になったとしても、この約束は旗となり、貴女への目印となりましょう』

そういって彼は跪いて私の手を取り、その甲に軽くキスをした。
それは少しくすぐったくて、恥ずかしくて、暖かい。
私の心がすぅっと、透き通っていくように感じた。

『貴女が自らの足で地を踏んだ時、月に向かって私をお呼び下さい
 どこにいようとも、私はこの旗の下に参上致しましょう』
「やっぱりあなたは・・・かっこいいね」
『・・・光栄です』

・・・・・・

朝日が昇る。
その全てを新しくする眩しい光は、私たちの邂逅の終わりを告げるサインでもあった。

『それでは私はこれにて失礼致します』
「そうだね・・・」
『また会える日を、お待ちしております』
「うん、またね」

そう言って、月の兎は静かに体を光に流していった。

残ったのは、目がくらむような白い部屋と、無駄に大きなベッド。
そして、泥を取り除かれた綺麗な心ひとつ



・・・・・・
・・・・
・・

「本当にいくの?」
「ええ・・・行くわ、アメリカ」
「めぐぅ・・・」
「大丈夫よ水銀燈、絶対に帰ってくるわ」

私は渡米して治療をすることを決めた。
治る確率は5%以下と言う無謀な賭け。
しかし私に不安や恐れは無い。


「約束したの。治ったらまた会おうって」
「あら、めぐにもついに彼氏ぃ?」
「違うわよ、月の兎さんよ」
「天使の次は月の兎?めぐぅ、本当に大丈夫?」
「あら、ほんとなんだから」



約束は終わりのない絆である。
しかしそれを果たすまでの道のりは、細い、長い迷路のような道。
戸惑い、迷うときもあるだろう。
それでも、私たちの心に立てた1本の旗が、私たちをまた、巡り合わせるのだ。



「そういえば・・・名前、聞き忘れたな・・・
 次はちゃんと聞かなきゃね」


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