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このお話は、機械や鉄砲が存在せず、
八百万の神々、そして森の生き物や妖怪達が、まだ人々にとってとても身近であった頃の物語…

―――

春の花咲く山奥に、一人道行く姿がある。
頭に編み笠足駄がけ、腰には刀をはく姿。

ついと編み笠のふちを持ち上げて、頭上の満開の桜を眺めるその剣士は、
どこか懐かしげに微笑みながら、慣れた足取りで山道を歩いていく。

青葉が茂り、少し暗くなった道を通った先、不意に視界が開けた場所には…
今までとは比べ物にならないほど大きな桜の古木が、枝に満開の花を咲かせて現れた。
桜を目にした剣士は不意に足を止め、一呼吸置いてから一歩一歩踏みしめるように近づいていった。
とうとうその根元にたどり着いたその剣士は、まるで愛しい者に触れるかのごとき手つきで、
その幹をなぜて呟く。

「ただいま……」

剣士のその小さなささやきに答えるかのように、暖かいそよ風は、優しく花を揺らしていったのだ。


狼禅百鬼夜行 四つめのお話 「舞桜士昔話」まうさくらとさむらいのむかしのはなし


さてさて昔、この地には一人の男が住んでいた。その男、山の外では名の知れた武士であったのだが、
とある戦で大きな傷を負ったまま、ここへと落ち延び、隠れ住んだのである。
その男がある時拾った一人の子。それがこの物語の主人公、巴であった。
門前の小僧が習わぬ経を読み、鍛錬する父の真似をして小さな頃から木刀を振っていた巴は、
成人するころにはそれは立派な剣士へと育つことになるのである。
これは、そんな彼女がいまだ子供であった頃のお話…

家の隣で満開に咲く桜の下で、巴は今日も自作の木刀を振り回し、剣術の型を練習していた。
まだまだ形も動きも拙いが、それでも一生懸命に木刀を振っている。

「何をしてるの?」

そんな時、唐突に横合いから声をかけられて、巴は驚いて手を止めた。
先ほどまでは誰も居なかったそこに、いつの間にやら小さな子供の姿がある。
輝く髪と、緑の瞳の小さな少女。それは人としては珍しい容貌であるのだけれど、
しかし子供の頃から人とほとんど会うことのなかった巴は、それが珍しいものとは知らなかった。

「剣術よ」

向き直った巴は、久しぶりに見る自分と同じ子供に対して、にっこりと微笑んだ。

「けんじゅつっていうの?すごいのね!ぶんぶん、って風が起こるのよ!」
「うん、でも父さまはもっとすごいのよ。どんな相手にも負けないわ」
「ほえ~~~」

小さな子供は、話を聞いて感心したように目を丸くする。
喜んだ巴は、その子の隣に腰を下ろして、義父から聞いた武勇伝をまるで我が事のように語り始めた。

「…それで、父さまは皆の先頭に立って大きく名乗りを上げたの。やあやあ我こそは…!」
「おお~~~」

自分が初めて義父から話を聞いた時のように目を輝かせる小さな子。
村から大きく離れたこの森の庵に住み、同年代の子供達とほとんど遊ぶ事のない巴にとって、
この子はほとんどはじめての友達であり、同時にまるで妹が出来たかのような気持ちになっていた。

気がつけば、空は茜色に染まりカラス達の鳴き声が空に響き始める。
楽しい時が経つのはあっという間だ。

「そろそろ父さまが帰ってこられる頃ね。お夕飯の準備しなきゃ…」
「おしまい?」
「ごめんね、また明日続きでいい?」
「うゆ~…わかったの。明日また来るの!」

ちょっと不満げな顔をしたものの、その子はすぐに表情を明るく変えて、にっこりと微笑んだ。

「うん、ほんとにごめんね。…あ、名前は…?」
「雛苺なの!」
「そう。そういえば自己紹介してなかったね…私は巴っていうの」
「トモエ!覚えたの!」
「ありがとう」

巴は微笑んで、雛苺をなでる。それに雛苺が微笑み返す。
そしてその手が離れた時…ざっと強い風が吹き、桜の花びらがあたりに舞い散った。

「またあしたなの~!」

思わず目を閉じた巴が、風の中でその声を聞いて薄く目を開けると…
すでに雛苺の姿は消えて無くなっていた。
その日の晩、巴は義父にその話をして聞かせたが、このあたりは村からも離れているのに
そんな小さな子供が遊びに来るなんて。大方夢で見たのだろう、と笑い飛ばされてしまった。
釈然としなかった巴であったが、たしかに義父の言う事ももっともなのだ。
そこで話はおしまい。いつものように夕食を終えた。

翌日。家事の手伝いを終えた巴は、義父を見送ってまた剣術の練習をし始める。
雛苺は今日も来るといっていた。もしもそれが夢でないのなら…
きっとまた会えるだろう、そう思いながら。それから数刻が過ぎて、
やはり夢だったのかと巴が思い始めたとき…

「トモエーーー!!」
「きゃっ!」

横合いから飛び出してきた雛苺。飛びついた彼女はまた無邪気な笑顔で話をせがむ。

「昨日の続きー!!つづきー!!」
「はいはい、じゃあ、桜の根元に座りましょう」
「はーいなの!!」

ほら、やっぱり夢なんかじゃなかった。
巴は心の中で呟くと、期待の表情で見上げる雛苺の隣に腰を下ろし、昨日の続きを語り始めた…

それから、雛苺は毎日やってくるようになった。義父が少し離れた小さな畑を耕しに行く間、
一人残った巴が剣術の練習をしている時にいつもふらりと現れるのだ。
一緒に話をしたり、時には真似して、小さな木の棒を振り回す雛苺とチャンバラして遊ぶ毎日は、
ただ一人でずっと練習しているよりも、とても楽しく充実した日々だった。

しかし、そんな日々も長くは続かない。
それから3年の時が過ぎて再び春の頃。義父が帰ってきた夕刻に、森の奥から一人の男が駆けてくる。
何かと驚く義父と巴の元にたどり着いたその男は、地にひざを付き、
義父に向かって一通の書状を差し出したのだ。
それを受け取った義父は、土間で飯の支度をする巴をよそに、男と二人で何事か話し合っていた…

夕食が出来上がる頃に巴は義父に呼ばれ、
炊けたばかりの米を移したおひつをかかえて居間へと向かう。

「父上、一体なんのお話ですか…?」
「この地を納める方からのお召しの手紙があった…
 わしを御家人として取り立てたい、という事らしい。」
「!それは…」
「山を降りて都に出ることになる。お前にとっては初めての都だ。楽しみにしていなさい」
「はい!」

話に聞いて、あこがれていた都。それを実際に目にする事ができる、と胸が高鳴った。
その日の晩、かつて聞いた都の話を思い出しながら、巴は眠った。
夢の中で、巴はきらきら輝く都に立って、輝くような服を着た貴族達をながめていた…

翌日の昼。出発までにはまだ日があるため、巴は再び桜の根元で木刀を振るう。
そこへ、いつもの様に雛苺が現れて…

「トモエーーーー!遊ぼう!」

上機嫌に微笑んで迎えた巴は、雛苺に早速昨日の話をし始めた。

「あのね、昨日、この辺の土地を治める貴族の方からの使いが来てね…」

話を聞き終わった雛苺は、微笑む巴とは対照的に少し不安げな顔に変わる。

「トモエ…いっちゃうの?」

その時初めて気がついた。
そう、都へ行くということは、つまり雛苺と離れなくてはいけない、ということ…
思わず口ごもってしまった巴を、雛苺はじっと見上げている。
は、と気がついた巴は慌てて取り繕う。

「で、でもほら、雛苺はお父さんもお母さんもいないんでしょう?だったら、一緒に来れば…
 一人くらい増えたってきっと大丈夫よ?」
「いきたいの…でも、ダメなの。ヒナはここから動けないの」
「なぜ…」

ぐすぐすと涙を流す雛苺。巴の問いに、一度地面に下ろした視線を再び上に上げて言う。

「あのね…ヒナは、この桜の精なの…だから、ここから動けないの…」

その言葉と共に、ぶわ、と大きな風が吹き、花びらが舞う。
周りに花びらしか見えなくなるような幻想的な風景の中で…雛苺はさらに言葉を続ける。

「ヒナはトモエが大、大、大だーい好きなの!いつも一緒にいたいの!だから…いかないで…!」

さらに大きな風が吹き、花びらは雛苺の姿すら覆い隠していく。

「雛苺…!」

思わず叫んだ巴。しかし花嵐の中で何故か段々力が抜けて、次第に眠くなっていく。
泣く雛苺を見失わないように何とか目を開けていた巴だが、しかしとうとう力尽き、くずおれる。
意識を失う直前に聞こえたのは…

「トモエ…!!」

焦ったような、雛苺の声だった。

巴が次に目を覚ますと、時は既に夕刻で、開いた瞳に茜色の空が写る。
どうやら桜の花びらに埋もれるようにして眠ってしまっていたらしい。
起き上がって桜を見上げる。そこには、いつもと変わらぬ様子で…
しかし明らかに昼よりもその花数を減らした姿で大きく立つ、見事な見事な桜の姿。
巴は何故だかとても疲れていたので、立ち上がらずにそのまま桜にもたれかかる。

「雛苺…」

小さな声で呼んでみるが、もちろん答えは返らない。
それでもきっと聞こえている、と信じて巴は言葉を続ける。

「ごめんね、私だって雛苺と一緒にいたい。でも…都には行かなくてはいけないわ。
 父上に、今まで育ててもらった恩を返すの。都で立派な手柄を立てて…誇れるような娘になるの」

そこまで言って、言葉を区切る。息を吸って、さらに続けた。

「だけど、いつかきっと帰ってくるから…あなたを忘れたりなんて、しないから…
 だから…今はごめんね、雛苺…」


数日後、小さな庵の玄関で…

「荷物の準備は出来たか?」
「…はい。出発できます」
「山を降りれば、ふもとの村に馬が用意してあるらしい。今日中にそこまで歩くぞ」
「わかりました」

結局、あの日から雛苺には一度も会っていない。
怒ってしまったのか、それともいまだ泣いているのか…最後に見た雛苺の涙が忘れられなかった。

出発直前に、葉の増えてきた桜の前に立って幹を優しくなでる。

「行ってきます、雛苺」

その言葉を発した時、桜の枝から何かが転げ落ちてきた。慌てて受け止めたそれは、桜の櫛。
綺麗な模様など何も無く、本当に質素なただの櫛であったが、
その手触りはこの幹のものととてもよく似ていた。
枝を見上げる巴の心に、雛苺の声が響く。

「いってらっしゃいなの!ヒナはトモエを待ってるの!ずっとずっと待ってるの!」

ひらひらと散り行く最後の桜の花びらの中、巴は目じりに涙をにじませながら、もう一度言う。

「行ってきます!雛苺!」

その声に驚いたように、最後の点検をしていた義父が家から顔を出す。

「巴、どうした?」
「いいえ、何でもありません。そろそろ出発しましょう」
「ああ。丁度全て見てきたところだ。出発しようか」

そして巴は義父と共に、振り返らずに歩き出す。
桜の古木は、残る花びらを全て舞い散らしてそれを見送った…

―――

桜の根元に腰を下ろして目をつぶる剣士の傍に、近寄ってくる影がある。
眠る剣士を驚かそうというのか、抜き足差し足忍び足、と寄って来たその小さな影は…
肩に手を伸ばそうとした所で、ぱちっと目を見開いた剣士に、驚いたように声を上げる。

「きゃあ!」
「うふふ、さすがに気がついたわ」
「もー!トモエはひどいのよ!ヒナが驚かせようと思ったのに!」

ぷんぷんと頬を膨らませる小さな子に向かって、剣士、巴はにっこりと笑う。

「ただいま、雛苺」

対して、小さな子供…雛苺も、やはり満面の笑顔でそれに答えた。

「おかえりなさい!トモエ!!」

―――

こうして、外の国で名をはせた女武者、柏葉巴は、義父の大往生を機に故郷へと戻ったという。
後に、何度も様々な貴族達が彼女を召し抱えようと庵へ使いを送る事になるのであるが、
しかし、巴は年を取って死ぬまでその誘いを受ける事は無かった。
さらに彼女の死から数年…近隣の村の老狩人が、いまだ残る桜の古木の傍らに、
若かりし頃の巴の姿を見たという。
けれどその噂も、彼女の名前と共に次第に人々の間から忘れ去られていくことになるのである。

忘れ去られた山桜は、しかし今でも見事に咲いて、
人ではないものたちの目を楽しませているのだろう。今までも、これからも。

―終劇―

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