[ビギナーズ]
「……」
鏡を前に薔薇水晶は眉を吊り上げ、眉間に皴を寄せる。
……どこかおかしいところはないだろうか?
髪、眉毛、服装、香水、その他諸々。
準備に抜かりはない―――はず。
「……うー」
考えれば考えるほど見落としがあるような気がして、
「あぅ、どうしよどうしよー」
こんな風に、出発時間になっても家の中で走り回ってしまうのであった。
「……」
ジュンは鏡を前に考える。
髪型に乱れはないか。服装におかしな箇所はないか。
財布、携帯、ハンカチ、ティッシュ。
「……大丈夫、だよな?」
誰に問いかけるわけもなく、問う。
一瞥した壁掛け時計を見ると、もうそろそろ出なければいけない時間。
「やっべー」
洗面所を急ぎで出て、玄関へと走る。
すると何かが引っかかったような、嫌な感触。
「……うわー」
眼に映るのは、ドアノブと、裂けた上着。
絶望感に浸っている間に、無情にも出発時間は過ぎ去っていた。
『マッダーイワナーイデー十時メーイターソノコトバー』
やる気が抜ける時報が鳴り響く駅前のロビー。
薔薇水晶の視界にはもう、目的地が映り込んでいる。
―――もう少し!
「はっ、はっ」
走れー走れー薔薇水晶ー。本命穴馬掻き分けてー。
そんな電波ソングが彼女の脳内に奔る。
―――どうしよう、遅れちゃった。
九時半に駅前ロビーが到着時間。結局、三十分の遅れが出てしまった。
(あぁ、せっかくジュンが誘ってくれたのに……)
嫌われたらどうしよう―――。
(……あ、あれ?)
そこで彼女は、前方から走ってくる、見覚えのある人影に気が付いた。
「ジュ、ジュン?」
「あ、あれ。薔薇水晶!?」
顔を見合わせたところが、丁度集合場所だった。
互いに息が切れ、うっすらと汗が浮かんでいる。
「……ぷっ」
「は、はは……」
そして無性におかしくなり、無意識に笑い声が上がっていた。
「結局、どっちも三十分遅れちゃったってわけだな」
「うん、なんか焦って損したかも」
混み合った街中を、二人で歩く。
注意し合わないとはぐれてしまいそうである。
(……)
(……)
同時に気付く。そして互いに顔を見て、
「……!」
「……っ」
頬を紅潮させ、あさっての方向を向いてしまう。
『あ、あの!』
抑揚さえも一致する言葉。言いたいことはもう分かり切っている。
―――どちらが切り出すか、だ。
(あぅあぅ、どうしよう)
(いや、うん、僕と薔薇水晶は付き合ってるわけでありましていえいえ部長)
『だ、だからっ!』
「……」
「……」
「……手、繋ごうか。薔薇水晶」
「……あ、う、うんっ!」
「ここのクレープが美味しいって評判なんだよ」
「そ、そうなんだ……」
すっかり慣れたジュンと、まだ赤くなっている薔薇水晶。
―――そういえば心なしか周囲の視線が生暖かいような?
ふと考える。周りに自分たちの姿はどう映っているのだろうか。
「いらっしゃいませえ……って」
「あ、はい……っと」
「……あ」
「あらぁ、あなたたちだったのぉ」
「水銀燈じゃないか。バイトか?」
「そぉよぉ。悲しくクレープを焼くのが独り身の休日の過ごし方なのぉ」
「そ、それは、ご愁傷様……」
(……水銀燈……)
薔薇水晶は知っている。彼女がジュンを好きだという事を。
でも薔薇水晶とジュンが付き合い始めた時、一番におめでとうと言ってくれたのも水銀燈。
「あら薔薇水晶、どうしたのかしらぁ。そんな暗い顔して」
「あ、う、ううん。なんでも、ないよ」
(……複雑だなぁ)
「じゃあ、料金はサービスしちゃうわぁ。いいモノ見れたしぃ」
「なんだよそれ」
「うーん、初々しくて見てるこっちが照れちゃうわぁ」
「か、からかうなよ……」
「うう……」
水銀燈の言葉は軽口であり、冗談めいていた。
しかしジュンと薔薇水晶は真に受けてしまい、先程の様にりんごになった。
「じゃ、じゃあ僕たち行くから。ありがとな」
「どういたしましてぇ。明後日、学校でねぇ」
眩しい笑顔で手を振る水銀灯に別れを告げ、二人は公園を歩く。
「……ねえ、ジュン。知ってる?」
「ん、何を?」
「わたしがジュンを大好きってこと」
「知ってるよ。僕もだしね」
「ん」
その言葉だけで安心できる―――。
薔薇水晶は一層強く、ジュンの手を握った。
(きっと、ジュンも知ってるんだろうなぁ。水銀燈のこと……)
でも彼女は晴れやかな笑顔で、二人を祝ってくれた。
「次、どこ行こうか?」
「んー……」
『生きる事は、戦う事なのだわ!』
『人、それを愛と呼ぶ!』
『貴様何奴! 俺様をサイヤ人の王子と知っての事か!』
『てめぇに明日を生きる資格はねぇですぅ!』
薔薇水晶が希望した次のスポットは、映画館だった。
薔薇水晶がこういった作品が好きな事は知っているし、ジュンもこういう物は好きである。
しかしやはり、その台詞回しは力が抜ける。
(まあ、いいけど)
隣をちらと見ると、瞳が輝いている薔薇水晶がいる。らんらんと。
(まったく、かなわないよなぁ)
「面白かったか?」
「うん……すっごく、とっても、滾るように」
「そうか、良かったな」
映画も終わり、時刻は十三時。そろそろ昼時である。
「じゃあお昼ご飯でも食べようか? 腹減ったし」
「うん」
昼食を済ませた二人が移動した先は、街一番の賑わいを見せるゲームセンターだった。
薔薇水晶が指す方向には、格闘ゲームの筐体がある。
「ジュン、これやろ」
「……よーし、手加減しないからな」
「うん」
張り切って、ジュンは硬貨を投入する。
『レディ、ファイッ!』
「……うわ!」
「まだまだ……」
薔薇水晶の周りにはいつしかギャラリーが出来上がっていた。
巧みなレバー捌きと、目にも留まらぬコマンド入力。
ジュンのキャラは空中に浮かされ、コンボを叩き込まれる。
あっという間に、勝負はついてしまった。
「強いな薔薇水晶ー」
「え、えへへ……」
ジュンが褒めると薔薇水晶は照れてしまい、顔を俯けた。
そこで彼女は気付く。繋がっている手と手。
(……手、の次は……)
―――それは、腕しかないかしらー。
(!)
金糸雀口調で解説がされ、薔薇水晶は思わず顔を振り上げた。
「ど、どうしたんだ薔薇水晶?」
「あ、そ、その……なんでも」
―――さっきは、形はどうでも、ジュンから言ってくれたのだ。
(それじゃあ、次は―――)
「ねえ、ジュン。腕、組んでもいい……?」
「やっぱりこの季節の肉まんは美味しいですねぇ」
「翠星石、程々にしなよ。食べてばかりいると太るんだから」
「うぐ」
肉まんを持っている手が止まり、翠星石は言葉にも詰まる。
「大体君は……あれ?」
「ん、どうかしたですか?」
「ほら、あそこ。ジュン君と……」
「……薔薇水晶、ですねぇ」
腕を組んで歩いている二人が目に留まり、翠星石と蒼星石は無意識にその足取りを追い始めていた。
「……」
「……」
(な、なんて気まずい……)
(う、腕を組んだ後は、ど、どうすれば……)
「……初々しいなあ」
「……初々しいですねぇ」
「見てるこっちが恥ずかしくなってくるよ」
「同感です。学校でもあんな調子なのかと思うと、見てらんねぇですぅ」
「まあ、ビギナー同士だし」
「そうですね。二人で勉強すれば、なんとかなるですよ」
もう陽も暮れて、辺りは真っ暗。ジュンと薔薇水晶はベンチに腰掛けていた。
(そろそろ変える時間だよなぁ)
『いい、ジュンくん。デートの後には、女の子を送らなきゃ駄目なのよ』
「……あ」
「?」
前日、姉に言われた言葉を思い出した。瞬間、ジュンは薔薇水晶を見据えて、
「そ、その、薔薇水晶……送ってくよ、家まで」
「……で、どうしたの?」
「うん……、いい雰囲気だったんだけど、雪華おねーちゃんが帰ってきちゃって」
「まったく、あの姉は……」
「『あらあら、わたしはお邪魔だったみたいですねー』って、笑いながら……
で、でもおねーちゃんが部屋を出てった後でジュンが「また今度な」って
だからわたしも頷いて、ああ、今度ー、こんどー、近藤さーん」
「ああはいはい。あなたたちのらぶらぶっぷりはわかったから」
「―――!」
「ちょ、ちょっとやめなさいよぉ、冗談じゃなぁい。いた、いた、いたた」
「うー、うー」
「おーっす、おはよー」
「あらジュン、おはよぉ」
「!」
「ああ、おはよう水銀燈、薔薇水しょ、っていたっ、いたっ、な、なんで叩くんだよ」
「うー、うー!」
「あはは、それじゃあわたしはこれでぇ。薔薇水晶とお幸せにねぇ」
「なっ、ちょっ、おまっ!」
「じゃあねえ」
水銀燈は軽やかに髪を翻し、自分のクラスへと戻っていった。
「……落ち着いた?」
「……うん」
「……まあ、これからだしさ」
「……うん」
「ゆっくり、な」
「うん!」
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄○ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
O 。
「そして互いの唇が徐々に近付いていき……」
「ん、何書いてんだ薔薇水しょ「ユニバース!」ぐえっ」
「月光蝶であーる……」
「ぼ、僕が何をしたと……」
オチない。