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Dolls' House 最終話 ゆめのおわりはいつもまっしろ』

 

 

【後編】

 

 お昼くらいは許すですよ。今日の夕飯はフル稼働なんですからね。と宣言し、翠星石がワゴンに積み込んだのは膝に乗る程度のサイズの編みバスケット。中身が入りきらず隙間からちらちらとアルミホイルが見え隠れしているが、これより大きな入れ物がなかったのだとか。

 このあたりで一番大きなデパートに行くために八人姉妹がみっしりと乗り込んで出発して十分後、早くも辛抱ならず手の震えが止まらなくなった雪華綺晶は後部座席のバスケットに忍び寄っている。

 何とか守り抜こうとそれを抱きかかえてにっちもさっちも行かなくなった翠星石との攻防が始まり、車内はすでに混沌の様相を呈していた。

 あの秋の大惨事ドライブから色々な変遷があり、結局席の並びは運転手水銀燈、助手席に薔薇水晶、真ん中の列に雪華綺晶と真紅と蒼星石、後ろの列に翠星石と雛苺と金糸雀という編成で安定している。

「まだ十二時になってないです待ちやがれです! 酒の切れたアル中ですか!」

 彼女としては、午前中の食事はお昼ご飯ではないらしい。

「お姉様……翠のお姉様ぁ……あぁ……」

「いいいやああ、なんでわざわざ髪の毛を前から垂らすですか!? なんでその隙間から目を見開いてこっち見るですか!?」

「二人とも騒がしいわよ。少しはおとなしくして」

 優雅に目を閉じながらペットボトルの紅茶で唇を濡らしているのは真紅。隣で膝立ちになって翠星石に手を伸ばす雪華綺晶の太ももの裏側を、幼子にするようにぴしゃりと叩いて戒めた。

 きゃ、と驚いた雪華綺晶は頬を赤らめて「お姉様ったら……ダイタン」とあらぬ方向へ暴走し始める。その方面について免疫のない真紅がムキになって反駁しようと姿勢を崩したところで、蒼星石が「ストップ、ストップ」とこめかみのあたりを触りながら止めに入った。

 むう、とむくれた雪華綺晶は進行方向に向き直ってすとんと座り直した。後ろではようやく敵襲が収まって安心した翠星石が、牽制か何かはよくわからないが「ですぅ!」と鼻息荒く言い放った。

「赤薔薇のお姉様をからかうの、楽しいんですのよ……」

「雪華綺晶、姉をからかうとはいい根性ね」

「太もも程度でそんな、大慌てして。ふふふ」

「だ、だって貴方が変なことを」

「青薔薇のお姉様、どう思われます?」

「はは……どうだろうね。姉さん、まだ食べちゃだめなの? もうほとんど十二時だよ」

 頑なになっていた翠星石は蒼星石に覗き込まれて「むぅ……」と揺らぎ、背もたれの上にちょっとだけ顔を出しながら水銀燈の方を伺った。水銀燈は助手席に居座りちょっかいを出してくる薔薇水晶を受け流している真っ最中である。

「水銀燈……あとどれくらいで着くですか」

「んー? そうねぇ、あと十五分くらいね」

「……じゃいいですよ、お昼にしますか」

「お姉様! お姉様! 愛してますわ!」

「アンタはいっぺん落ち着くですぅ!」

 子猫のように威嚇する翠星石の横で、座席の後ろに挟んであった雑誌を仲良く一緒に眺めていた雛苺と金糸雀は、「毎度毎度、戦争かしら」「姉妹は食べ物でモメるものと相場が決まってるのよ」と頷き合った。

 

   +

 

 やや混み合う駐車場に車を止めて、その中で翠星石特製おにぎりをかじる姉妹達は、今回の大掛かりな買い出しのまとめ役・金糸雀から各自指示を受けていた。

 八人がまとまって動くのは誰が考えたって無駄かつ無茶なだけである。食品売り場の棚の間をこの人数がうろちょろすることを考えるだけで胃が痛くなる蒼星石が、今回の計画はおまかせかしらと大張り切りだった金糸雀に事前にグループ分けを頼んでおいたのだった。

 金糸雀も次女である。リーダー格の水銀燈、お母さん役の翠星石にやや対抗したくなったらしい。

──さて、いいかしら?

 授業中だけかけていたオレンジのフチの眼鏡をきゅっと片手で整えて、金糸雀はリュックからメモを二枚取り出した。

「これから二つの班に分かれてもらうかしら。食べ物の買い出しには、真紅に蒼星石、翠星石、それとカナが行くわ」

 人差し指と中指に挟んだ片方のメモをピッとかざしてから自分のポケットにしまって、もう片方をひらひらと見せた。

「ええ、ヒナもお菓子選びたいの!」

「ふふふー、そういうと思ってたカナは対抗カードをちゃんと考えてあるかしら!」

 隣の雛苺にそのメモをしたり顔でわたす金糸雀。そのメモには、

「……お楽しみ班?」

「かしら! お楽しみ班の水銀燈、雛苺、雪華綺晶と薔薇水晶には、トランプとかそこらへんのものから好きなの一つ、選んできてほしいかしら」

「………!」

 金糸雀は声にならない歓声を上げる雛苺からメモを取り返し、水銀燈にそれを回した。水銀燈が内心で(子守役ねぇ……)と苦笑いを浮かべたのは内緒である。薔薇水晶といえば、お楽しみ班如何はともかく水銀燈と組めた時点で全く異論がないらしく姉妹達に見えない角度で金糸雀にグーサインを送った。

 にや、と金糸雀もそれに応える。なにやら午前中にやりとりがあったらしい。

「買い物班のメモには買わなきゃいけないもの、お楽しみ班のメモには買っちゃ駄目なものが書いてあるかしら」

「買ってはいけないもの……ですか? お姉様」

「そ。ウノとかはもう家にあるでしょ?」

「あ、確かに」

「そんなとこ。それじゃ、迷子にならないように気をつけて、みんな行ってくるかしら!」

 おー、と姉妹達は拳を上げた。

 

   +

 

 おにぎりで燃料チャージした末っ子三人組は、水銀燈を引っ張り回しながら玩具コーナーを奔走していた。

 こんな特別な日に「好きなものを一つ」と言われたら嬉しくないはずがない。その楽しみはクリスマスの比ではなかった。

 あのクリスマスイブの夜、なんだかんだで「薔薇水晶のための」パーティーをしたからクリスマスはまだ祝っていないだろうという流れが姉妹達の間にできていて、その勢いは大晦日に集約した。

「海外ではクリスマスに年末を祝うのよ。それだったら年末にクリスマスを祝ったって何の間違いもないのだわ」と真紅が最後の一押しをしたために、彼女達の十二月三十一日はどこの家よりも盛大になる運びとなったのだった。

 あれもこれもと提案する雛苺に、ぴったりとくっついて賛同する雪華綺晶、じゃあこれは……とマニアックなもの(合コン向けのセクハラトランプ)を提案する薔薇水晶。彼女達に何とか追いつきながら(ここのところ飲み会やらで大変だったらしい)水銀燈は「一つだけよぉ。ちゃんと選びなさぁい……」としきりに確認していた。

「銀姉、このトランプいいと思うんだけど……」

「……やめときなさぁい」

「こ、こ、この『恋人いる?』って質問っ……」

「分かった、分かったから、戻して来なさぁい」

「……銀姉、つれない」

「つれないのよぉ、私は」

「……でも気だるい銀姉もせくしー」

「ばっ、」

 バカなこと言ってないであの子達んとこ行きなさい、とまくしたてようとしたが、薔薇水晶はそのタイミングを熟知しているらしくひらひらと水銀燈をかわして雛苺のもとへ歩いていってしまった。

「……今日は連れてきてくれて、ありがとね」とだけ残して。

 全く……と水銀燈は前髪をかきあげながら、まくしたてるための呼気をゆるく吐き出した。

 すっかり馴れ合いだ、言い訳する余地もなく。秋ごろにこの柔らかい空気に逆らったのは何だったのか。

 何だったのか? ……何でもなかったのだ、多分。

 そう、何でもない。そう喉の下で繰り返して、水銀燈は腕にやや隠れた口元を緩ませた。

 ───何でもない、ただ、ちょっとだけ願いが叶ったような気がしただけ。

 

 遠くで「人生ゲーム! これがいいのよ!」「おお……おこたでやる盤ゲームの、定番……だにゃ」「それで決まりですわね」と妹達がはしゃいでいた。

 

   +

 

 蒼星石はまた一つ、メモの品目に線を引いた。とびきり明るい黄色のペンは、金糸雀が用意していたものである。勇んで買い物カゴを押し突き進む翠星石を引き止めながら進む昼の食品売り場は、年越しのみかんやらおつまみやらを買い出す親子でそれなりに盛況だった。

「それにしても」

 真紅が紅茶の缶を物色しながらつぶやく。

「……静かね」

 その場にいた三人はにぎわう店内で一瞬考え込み、ややあって意図するところを汲んだらしく頷いた。

「ま、食べ物の買い出しはしっかりした子に任せるが吉かしら」

「アンタがしっかりしてるかはよく分からんですけどね」

「ちょっ、カナだってお姉さんかしら」

 金糸雀がサラダ油をカゴに加える。

「あ、蒼星石、油チェックかしら」

「はいはい」

「……でも、グループ分けを考えついたのは蒼星石だったかしら」

「金糸雀、それは翠星石だって思いついたですよ」

「私も思いついたわよ」

「ああああ」

 みんなで動いた方が楽しいんだから、楽しいんだから……とぶつぶつ言い訳をしつつ金糸雀は唐揚げの素をかごに入れた。

「唐揚げのアレ、チェックお願いかしら」

「はいはい。……金糸雀? メモ、僕がもってるんだけど」

「え? うん、分かってるかしら」

「……覚えてるの?」

 蒼星石がもっているメモは、翠星石がリストアップした膨大な量の品を書き出したものである。金糸雀はそれを昨晩だけ借りてメンバー編成をしたのだった。……猛勉強して覚えない限り、とても暗記できる量でないのは明白である。

 まさか、という顔をする蒼星石に金糸雀は不思議そうに返した。

「そうだけど……どうかしたかしら?」

「……すごいな、君は」

 唐突に褒められて疑問に思いつつも誇らしげに笑う金糸雀を見て、真紅はふうとため息をついた。紅茶の缶を決めたらしく、ひとつカゴに入れる。

「金糸雀、あなた相変わらずアンバランスね」

「あ、アンバランスって何かしら!」

「うん……何でもないの。ただ日本史は余程きらいだったのね、って」

「う。そうなの、なんであれだけは上手に覚えられなかったのかしら」

「姉妹達はみんな不完全で……って話、いつかしたなぁ」

「なんの話?」

「こっちの話」

 カゴを進められずに、やり場なく苛立たしげに前後に押したり引いたりしていた翠星石はトン、と一つかかとを鳴らした。

「ほらほら、ジャリどもがおもちゃ売り場に夢中になってるうちにさっさと仕事するですよ!」

 がらがらと車輪をやかましくがたつかせて歩いてゆく翠星石を追いかけつつ、残りの三人はひそひそとささやきあう。

「……翠星石、何かあったのかしら? 今日はやたらとカリカリしてるけど」

「そうね」

「あれはね、楽しみなんだよ。それとちょっとだけ寂しがってる」

「楽しみ?」

「うん。姉さんね、みんなで料理しようってイベントのときはいつもああなんだ。よほど早く帰ってみんなで夕飯を作りたいらしいね」

「やっぱり翠星石はツンデレかしら」

「ツン……ああ、そうだね。でも多分、帰っちゃうのも勿体ないんだろう。複雑なんだよ。翠星石も」

「そうね……」

 目を細めて真紅はあれこれとコショウを選んで回る翠星石を遠く眺めた。

 やっぱり、姉妹一優しい子よ、あなたは。

 

「……翠星石? コショウは家に在庫があったんじゃなかったかしら」

「むふふ、今回限りですからね、ちょっと高いやつを買うことにしたんですよ」

「あなたって子は……」

「無駄遣いするには絶好の状況ですよ! 先のことなんて考えなくていいですからね!」

「……ごめん二人とも、前言は半分くらい撤回しておくよ」

 

   +

 

 予定になかったものまで買い込んだ買い物班と人生ゲームを選んできたお楽しみ班とが合流して、てんやわんやのうちに帰ってきたのが二時ごろ。

 荷物を抱えてぐったりと玄関になだれ込んだ八人は、おのおの好き勝手に散らばり始めた。そこに号令をかけたのが翠星石である。

───翠星石とパンを作りたいやつ、今すぐ手を洗ってエプロンしてキッチンに整列しやがれですぅ!

 これにつられなかった姉妹は、当然ながらほとんどいなかった。

 ただ水銀燈だけは、「ごめんねぇ……私、ちょっと寝るわぁ……」とおぼつかない足取りで部屋に入っていった。朝早くからめぐと攻防戦を繰り広げ、昼からは高校生とはいえやんちゃな妹達の引率をしていたのである。いくら慣れたとはいえハードな半日だったようだ。

 銀姉、私がぴろーとーくしたげる……と息巻いてついていこうとした薔薇水晶が真紅と蒼星石にがっちりロックされたのは別の話である。

 

 しばらくして、玄関からわらわらと姉妹達が出てきて、庭に向かう光景がそこにあった。

 もちろんパン作りに飽きた訳ではなく、パン生地が発酵するまで時間がかかるからそれまで何か暇つぶししよう、という話になったのだった。

 早くくんくんの形のパンを作りたいの、と不満を呈した雛苺に、すかさず雪華綺晶がそれではしばらく雪遊びでもしていませんか、お姉様ずっと楽しみにしてらっしゃったでしょう? 部活でもやりましたけど、二人っきりでしたし。と満面の笑みで提案した。

 そういうわけで、白銀の庭。

 雪だるまのための雪玉をそれぞれ一つずつ転がしていた三人と四人だったが、いつしかそれは競い合いに発展する。

「なにやってるかしらヒナ! そっちにまだ前人未到の雪がのこってるかしら!」

「うぃー…これ以上無理して押したら崩れちゃうのよ……」

「お姉様! 私がこっちを固めてるスキに、転がしてくださいまし」

「翠星石……そっち、転がしたら……泥つくよ……」

「くっ……薔薇水晶! 乙女はね、汚れることを恐れているだけじゃ大きくなれないんですよ!」

「むやみに名言を作らないでちょうだい……あっ、崩れる」

「それに姉さん、泥じゃ雪だるまは大きくならないよ」

 その庭はいつの間にやらボケツッコミの応酬行き交うやりたい放題の空間に成り果てていた。

 さて、転がす限界に近づいた二つの雪玉を並べてみて、

「こっちの方が大きいですわ」

「何を言ってるの。こっちでしょう」

「こっちかしら!」

などとやりとりしたあげく、

「で、早く小さい方をのせて雪だるまさん作るのよー」

という雛苺の鶴の一声で、当初の目的を思い出した姉妹達が「……じゃあこっち、のせようか」と一瞬でまとまりを見せた。

 が。

「……ところで、これどうやってのせるの?」

 困り顔の蒼星石が、口元に手をやった。

 いくら小さい方とはいえ、さっきまで高校生がよってたかって本気で作っていた雪玉である。高さは腰にぎりぎり届かないくらい、腕を回しても抱えきれないほどの大きさを誇っているそれはとても彼女達に(無傷で)持ち上げられるような代物には見えなかった。

 これは削ることも視野に入れなければならないかもしれない……と固唾をのんだ姉妹達の中で雪華綺晶だけは、けろっとした顔で雪玉に歩み寄った。

 ぽん、ぽん、と検分するように触れてから、雪玉の下に手を回す。

 ぐっと力を入れる。

 軽々と持ち上げる。

 ……もう一つの雪玉の上に乗せる。

「あ、きらきー、もすこし手前」

「こうでしょうか」

「ん、ぴったりなのよ」

「んふふ……ねえお姉様、褒めてくださる? 褒めてくださる?」

「きらきー偉いのよ! えらいこえらいこ」

「ああ……潤む……潤むわ……!」

 ごろごろと雛苺に甘える雪華綺晶。雛苺はさも当然とでもいうように彼女と戯れていた。

 絶句していた残り五人であったが、薔薇水晶が何とか口を開いた。

「……きらきー、そんなにパワフルだっけ」

「あら、ばらしーちゃん。知りませんでした?」

 そして雪華綺晶は頭ごと抱きしめてくる雛苺の腕ごしに、にこりと柔らかな視線を翠星石に送った。

「いつも言ってますけども、伊達にあれだけ食べてませんのよ」

 一秒。

 二秒。

 三秒。

 翠星石は雪華綺晶に歩み寄って、雛苺ごと力強く抱きしめた。

 はあ、と白い息まじりにかすれた声で言った。

「ああ……よくぞここまで立派に育ってくれたですね……!」

 えっ、とより一層の混乱に陥った残り四人を取り残して、雪だるまを前にドラマは進行してゆく。

「あの量を用意するのは……大変だったんですよ……でも雪華綺晶、いえきらきー! アンタは無駄にしないでこれだけ丈夫な子に育ったですよ! 文句なし! 悔いなし!! きらきーは翠星石の自慢の娘ですぅッ……!!」

「ああ、お姉様……お姉様! いえ、お母様っ!!」

「わー、ヒナ挟まってるのーあったかいのー」

 考えることを放棄したらしい残り四人は、「お、おめでとう……おめでとう……」と拍手するしか選択肢がなかった。

 蒼星石は密かにパイプ椅子が転がっていないか探してしまったという。

 

「……翠星石。そろそろパン生地が出来上がったのではなくて?」

「げっ、タイムアップですぅ」

「はあ、姉さんってば……」

 

   +

 

 水銀燈がベッドからはい出して、もうお風呂にでも入ろうかしらぁと考えたのはそれからしばらく経った後。すっかり暗くなった部屋で目を凝らし、時計を探る。……五時半。ちょっと寝すぎたかもしれない。

 ドアを開けると香ばしい匂いが風の流れにのって鼻先からうなじへと通り過ぎていった。パンが焼き上がったらしい。居間からは元気のいい話し声が響いてきている。

 夕飯を作りながらくんくん探偵の年末スペシャルでも眺めてあーだこーだ言い合っているだろう妹達を想像して微笑み、適当な着替えをつかんで風呂場に直行する。

 まだ眠気が頭から追い出せていない。だからといって寝たりないのではなく、ただ目覚めたばかりで眠りの浅瀬に足を浸したままでいるというだけである。

 朝とはまた違った色のぼんやりとした目で服をさっさと脱いで、風呂場に踏み込む。お湯を沸かしてあるのは知っていた。今日は大晦日、日付が変わらないうちに風呂に入っておこうと準備にかかっていた真紅を眠る直前に見かけていたからだ。

 さて湯船に浸かってしまおう。温まれば何でも解決する……と破綻した理由を背に湯船のふたを取る。……無い。誰かが取っていたようだ。それにしても妙に湯気が立っている。だれかもう先に入っていたのだろうか。

 何か妙だわぁ、とようやく頭を使い始めた水銀燈がその視線の先に見たのは、

「………」

「………」

眼帯も髪飾りも取って、一糸まとわぬ姿でお湯につかる、

「ば、ばば薔薇水晶!!」

「ぎ……っ」

 ぎんねええええええええええっ! という叫びは残念ながら、またはたいへん好都合なことに、姉妹達に聞こえるような声の形をなさなかった。

 

 水銀燈が迅速に謝って風呂場を後にしようとしたのが一分前。待って、と腕をつかんで薔薇水晶が彼女を引き止めたのが五十九秒前。

 そして今現在、二人で湯船に浸かって一言も話すこともできないでいる。

 体育座りでぼこぼこと顔を半分沈めて息を吐きながら、薔薇水晶はそっと横目で水銀燈を伺った。

 水銀燈は薔薇水晶に構わず、湯船の縁に腕を乗せて向かいの壁をじっと見ていた。くちばし型のピンで上げた銀色の髪が白い背中にところどころかかっていて、直視できずに目をそらした。

 どうしてあのとき、無我夢中で手を伸ばしてしまったんだろう。

 頭には何の考えもなかったのだ。ただ、初めての──ちがう、ずっと気にしないでいた感情が、緊張で固くなった喉のスレスレのところまでこみ上げてきたのだ。

 多分、眼帯がないからだ。お父様のくれたお守り、私の烈しさをこっそり左目に隠し持つための紫色の封印。

 どうしよう。

 どうしよう、どうしよう、どうしよう。

 どうすることもできないで黙ってるだけなのに、こんなことして、銀姉には迷惑に決まってる。そうに決まってる。

 目が回るほどに沢山の考え事に支配されて薔薇水晶の思考が一歩も動けなくなったとき、ねえ。と水銀燈が滅多に聞かないトーンで投げかけてきた。

 薔薇水晶が肩を跳ね上げて振り返ると、水銀燈は顔の向きはそのままに薔薇水晶を見つめていた。視線が合うと「ああ、やっぱり」とこぼしてまた壁に視線を戻した。

 何か怒らせたかな、と薔薇水晶は落ち込みかけたが、その陰り顔にお湯の波がざばっとかかった。……水銀燈がやったらしい。

 状況が飲み込めずきょとんとする薔薇水晶に向かって呆れたような笑顔を見せ、水銀燈は薔薇水晶の顔を指差した。

「……何、泣いてんのよぉ」

「え」

 薔薇水晶は真偽を確かめようと目元に手をやったが、既に波にさらわれていてどこからが涙でどこからがお湯なのかわからなくなってしまっていた。

「……泣いてたの?」

「ええ、ばっちり。迷子みたいな顔でねぇ」

「……うそ。やだ」

「ほんとだってば」

「やだ、そんな、やだぁ……」

 薔薇水晶は慌てて顔を覆うが、もはやどうにもならなくなっていた。目がぼやけるのは湯気だと思ってたのだとか、泣くなんてカッコわるいことしてないものだとか、言い訳ばかりが思いついては、涙で引きつる胸の中でじわりとほどけてゆく。

 困惑と羞恥と罪悪感と、そのほか目一杯のあるだけの感情をかき回したような感覚に戸惑う薔薇水晶を、覚えのある感覚が包んだ。

「だからねぇ、難しく考えないでいいのよぉ……困った子」

 頭に腕を回されて、こつんと彼女の、水銀燈の頭にぶつけられる。隣り合わせに座っているらしいと、ぐちゃぐちゃになった視界を頼りに薔薇水晶はそれだけをなんとか把握した。

「甘えたいなら甘えなさい。言いたいなら言って。好きなようにするのがスジってもんでしょぉ……半分、妹なら」

 いたずらっぽく「半分」だけ強調して、しかしすぐに語調を改めて水銀燈は続ける。

「まあでも……私のせいでもあるわよねぇ。ごめんなさいね、構ってあげらんなくて」

 その言葉は薔薇水晶の胸の中にすとんと落ちて、徐々に形にならなかった思いを固めてゆく。ゆっくりと前髪を撫でられる感触を一つ、二つと数えてから、薔薇水晶はぽつんと一言目の前の水面に沈めた。

「ぎんねえ、ひとりじめできないんだもの」

 その声は思った以上に不機嫌な子供のようで薔薇水晶は自分のことながら驚いたが、すぐにもう一言二言と続ける。

「全然、話せないんだもの。さみしい。さみしいよ。もっと一緒にいてよ」

 ごつ、と触れ合った頭をもう一度ぶつけ直した。自分の頭ん中はかき混ぜすぎてほとんどシチューみたいになってるけど、銀姉のはどうなんだろ。少しは散らかってくれてると嬉しいな、と一部だけ残っている冷静な部分が考えていた。

「それに聞いてないもの……私、言ったのに。私だけだもん。銀姉から一回もきいてない」

「え?」

「銀姉、好きって。私何度も言った」

「……そうねぇ」

 むくれながら上目遣いでにらんでくる薔薇水晶に一度だけ苦笑してから、水銀燈はスッと目を細めた。

 笑っているような、もっと違うような、薔薇水晶が初めて見る目つきだった。

 捉えられて、目を反らせない。

 何もされていないのに息が乱れた。

「じゃあこんなのはどうかしらね」

 熱気で赤みを帯びた唇から漏れるのは、いつもと違う甘ったるい吐息。

 薔薇水晶は目の前に回り込んでくる水銀燈に身を固くした。

 目を反らせない。

 鼓動が早まる。

 熱いものが脳髄まで突き上げてきて、しびれるような気がする。

 声が出せない、音にならない。

「薔薇水晶、私は」

 顔が近づく。

「あなたのこと、」

 ───どうしよう、お父様。私、とんでもないところに堕ちちゃったのかもしれない。

 

 

 

(……らしーちゃん、ばらしーちゃん)

 どこか、海の中に沈んでいるみたいだ。

 水面には膜が張っていて、外がよく見えない。

(ばらしーちゃん、ばらしーちゃんたら!)

 だめだ、よく聞こえない。最後に聞いた声なら、よく覚えてる。

 それから、それから……これは、思い出すと大変なことになる。

 まるで海がまるごと煮込まれているみたい。

(……ごちそうは全部、私が食べてしまいましょうか)

「……それはダメっ!」

「あら、ようやくお目覚め」

 脊髄反射のように跳ね起きた薔薇水晶が見たのは、ほっとした顔の雪華綺晶と心底申し訳なさそうな顔でそっぽをむく水銀燈だった。ここは……和室? 風呂場から一番近い客間にいるらしい。

「あ、ぎんねえ。きらきー……」

「もう、心配しましたのよ? あんなにいい笑顔で鼻血を垂らしながらのぼせてるんですもの……心臓が止まりそうだったというか、つられ笑いしてしまいそうだったというか」

「むう……私」

 ずっと薔薇水晶をあおいでいたらしい団扇で自分の前髪をふわっとなびかせて、雪華綺晶は布団に横たえられた彼女のお腹の辺りをぽんと叩いた。

 視線をずらすと自分が何もかけずに布団の上に転がっているのが見えた。上半身を起こしたが、特に具合が悪いようには思わず薔薇水晶はしばらく不思議そうな顔をしていた。

 鼻血? 鼻血って……と鼻に手をやると、なんともまあ大雑把に丸めたティッシュが両方に詰められているらしいことを知った。気まずそうな水銀燈の視線を感じて慌てて引き抜くと、悪意なき主犯であるらしい雪華綺晶が「そ、そんな勢いよく……っ! 血が出ちゃいますわ!」とあられもない口調で注意した。

 物腰は丁寧なくせにこういうところは妙に荒っぽい雪華綺晶である。

 一応鼻の辺りをそっとこすって再び惨事が起きる気配が無いことを薔薇水晶が確認していると、雪華綺晶が布団の脇に正座してもじもじと彼女ににじり寄った。

「そ……それで、ばらしーちゃん……一体お姉様とどこまで」

「ちょっ」

 その一言をきっかけにしてあの一瞬かつ重大な出来事を洗いざらい思い出した薔薇水晶がぼんと顔から火を噴くと、

「ばばばばらしーちゃん! そ、そ、そこまで!?」

事実よりずっと先まで想像したらしい雪華綺晶に、だんまりだった水銀燈が見かねてフォローを入れたが時既に遅しだった。

「ちょっと雪華綺晶。なにもそこまでとは言ってな」

「……わかりましたわ、お姉様。雪華綺晶はおりこうですもの。決してお邪魔をしたりはしません。例え咲くのが百合の花としても、造花でない限りそれを摘み取るのは姉妹とて許されませんものね」

「……ねえきらきー? きらきー? 戻っ」

「どうかお二方お幸せに! どうぞお幸せに!」

 雪華綺晶は後ろ手でスタン! とふすまを引き、ちょこんと丁寧に廊下に正座して閉めていった。とても薔薇水晶に乱雑鼻ティッシュを仕込んだのと同一人物とは思えない滑らかな動作であった。

 なにかとんでもない電波の残滓を残し、雪華綺晶が駆け抜ける足音が遠ざかっていく。取り残された水銀燈と薔薇水晶はどうしてみようもなくただ言葉と空気を探っていたが、やがて水銀燈が気まずそうに口を開く。

「ちょっと……早かったわねぇ、アンタには」

「……早くないもん」

 ちゅーくらい。知ってたのと、ちょっと違ったけど。と布団から立ち上ろうとする薔薇水晶に、水銀燈は優雅に手を貸した。照れ笑いをしながら掴む。

 ぐ、と立ち上がった勢いに任せて、水銀燈が引き寄せたのか、薔薇水晶が体を預けたのか、抱き合う形になる。

「……また鼻血出すわよ」

「銀姉さっきまであんな……だったのにね。……スイッチでも、あるの?」

「さあ、あるのかしらねぇ」

「───じゃ、押したげる」

 さっきとはちがう触れ合うだけのそれを水銀燈に押し付けて、薔薇水晶は駆け足で和室を後にした。

 水銀燈は唖然として。

 そっと唇を細い指先でなぞり。

 誰にも見せたことのない照れ笑いをそっと手のひらのうちに隠して。

 夕飯の待つ居間に向かった。

 

   +

 

 クリスマスとお正月を一斉に祝っておこうという大掛かりなごちそうだったために、食卓の上はにぎやかであった。

 話題はみんなで作ったパンでもちきりである。やはりとでもいうべきか、真紅のパンはクトゥルフ神話にでも出てきそうな奇怪な形をしている。

 一方で蒼星石のパンは売りに出しても文句のつけどころが無いほどきれいな形に焼き上がっていた。

 それを囲んで、大いにしゃべって。味わって。

 これまでの、数ヶ月の中で一番大騒ぎして。

 ひとしきり夕飯を楽しんだ後で待っているのは、いよいよ大詰めの人生ゲーム大会である。

 

 居間には八人全員が入れるほどのこたつが出されていた。いつも使っているテーブルやら椅子やらは立てられたり重ねられたりして部屋のはしっこに追いやられている。

 外はまた降り出した雪に覆われて、どんどんと現実味を失っていく。まるで世界にこの家しかないようだ、というのはよく言ったものだと姉妹達は思った。

───夢から覚めようとしている、そのことには触れずとも分かっていた。

 テレビは常につけられて、やかましいBGMとして一役買っていた。入れ替わり立ち替わり歌手が出てくるたびに、「こいつは最近調子に乗り過ぎですよ」だとか「か、カナのお気に入りのバンドかしら!」などと合いの手が飛んだ。

 広げられた盤の上では、車を模した色とりどりの八つのコマがちまちまと追い抜いたり追い抜かれたり捕まったり、とせわしなく動いている。

「ちょっとぉ……なんでカジノ地獄にハマるのよぉ……」

「さっさと回すです水銀燈! 1か8が出なかったらベットは没収ですよ! ヒヒヒ!」

「くっ……あああ! 7って!」

「惜しかったのー」

「残念だったね……はい、借金手形」

「次は私ね。……あ、偶数」

「わああ、ついに真紅もカジノ入りかしら」

「ま、待って! 私みんなと違ってサラリーマンだから……持ち合わせが……」

「ふふふ……お姉様、かわいそう……かわいそう……」

「やっぱりショッパナから大金が手に入るスポーツ選手に勝てるものはいないですよ」

「かしらかしら、ご存知かしら!? なれるもんなら政治家の方がずっとずっと稼げるのかしら!」

「金糸雀……政治家、スキャンダルですぐ……だめになるよ……」

「そ、そんなこと………いやあああ! 愛人とのスキャンダルでフライデーされたかしら、タレントと政治家は……フリーター……に……」

「か、カナ! 息をして! 息をするのよ!」

「あ、姉さん……姉さんの家が燃えたよ。保険もってる?」

「えっ」

 そんな風につつき合っているうちに、ゲームは終盤に近づいた。

 決着がつくかつかないか、数マス単位でせめぎあう八人姉妹達は、災害やら事故やらに順番に遭ったために金額的にも大きな差を付けないままにラストコースにさしかかった。

 最後の一本道。

 それは、人生ゲームにおける天国と地獄。

 これまでに積上げてきたものが容易に崩れ去ったり、すかんぴんの手持ちに大金が降って湧いたりするそこはキスアンドクライと呼ぶにふさわしい修羅の道であった。

「さぁ……決着をつけましょぉ……姉妹達!」

『望むところ!』

 水銀燈が閣下だったときの風格を持ち出し始めるほどに白熱した時。

 

────いよいよ今年も残り三分となりました!

 

 いつの間にか歌合戦からチャンネルをかえられていたらしいテレビに映るバラエティ番組が、そんなコールを発した。

 

 ぴり、とえも言われぬ衝撃が姉妹達の間に走った。

 それは胸の底に蓄えられた、全員バラバラであり共通の感情。

 さて、そろそろねぇ。水銀燈がつぶやいた。

「決着、着かなかったじゃなぁい……八人でやると、結構かかるのねぇ」

「はは……予備のコマまで使ってるんだから、当然かもね」

 蒼星石が肩をすくめた。見つめる先には、ゴールを前にして立ち往生するみんなの車。

「ま、この決着はいつか必ずつけてやる……ですぅ!」

 どんなゲームでも必ず、楽しく終わらせるですよと、翠星石は笑った。

「そうね。だから絶対に集まって、もう一回しましょう。人生ゲーム」

 一年の終わりに向かって盛り上がってゆくテレビを見つめて、真紅が静かに頷いた。

「一回だけじゃ気が済まないかしら。全員が勝って、負けてを経験するくらいやり込むのかしら!」

 もっていた札束と借金手形を軽快にこたつにおいて、金糸雀は伸びをした。

「うぃー、ヒナも楽しみにしてるのよ。もちろんトランプとかウノとかもするのよ。あと、ご飯も一緒に食べるの」

 伸びをする金糸雀に横から雛苺が抱きついた。

「……今度は、私も……行けますので。そちらに。仲間に入れて……いただけますか?」

 心配そうに上目遣いで言う雪華綺晶の頭を、蒼星石は笑ってくしゃくしゃに撫でた。

「歓迎するよ」

「あの……私も」

「もちろんだわ。おいでなさいな」

 真紅が頷くと、薔薇水晶は嬉しそうな顔を隠すようにうつむいた。

 

───カウントダウン始まります! 10! 9!

 

「私たちもやるかしら!」

「もちろんよぉ」

「まったくとんだナイスタイミングですぅ。この夢の終わりってのは」

 姉妹達は改めてこたつに入り直し、視線をかわしながら数える。

 

 

『8!』

 いつか憧れていた絆は、ここにあるとそっと確かめて。

『7!』

 いつか間違えてしまったことを、きっとやり直せると頷いて。

『6!』

 あの時感じた寂しさに、もう涙を流さなくていいと微笑んで。

『5!』

 あの時出せなかった答えは、ここで見つけたと呟いて。

『4!』

 離れたくないのに、と迷ったかつてを思い出して。

『3!』

 離れたくないから、と祈ったかつてを思い出して。

『2!』

 あの日、夢見た輪っかの作り方を、確かに胸に抱いて。

『1!』

 あの日、放したみんなの手を、もう一度つなぎ直して。

 

 

───またいつか。きっといつか。この楽しい夢がおわっても、どうか笑い合えるように。

 

『今年一年、ありがとう! これからもずっと、よろしくおねがいします!』

 

 

 

 

 おしまい

 
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