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Dolls' House 最終話 ゆめのおわりはいつもまっしろ』

 

 

【前編】

 

 朝。

 その特別な一日は、晴れた藍色の空に吐息が広がるように差し込んでいく朝焼けの光から始まった。

 有栖川町はすっかり雪化粧である。クリスマスからずっとぐずついていた天気は毎日休むことなく家々の屋根に雪を積もらせ、その様はまるで世界に粉砂糖をかけて仕上げをするようであった。

 この明け方も例外ではなかったようで、脱衣所の窓辺に溶けて凍ったざらめ雪の上にまた新しい粉雪が柔らかく横たわっていた。

 そんな光景を乱れた前髪ごしに眺め、青と白のストライプ模様のパジャマ(薔薇水晶一押し)を身にまとった水銀燈は蛇口をひねった。歯ブラシを水流に差し出し、ぞんざいに歯磨き粉を添えてくわえこむ。

「ん! つめたぁ……」

 水道水が冷たいことをようやく思い出し、これから顔洗わなきゃならないのねぇ……とげんなりしながら蛇口を戻す。

 うつらうつらしながら歯を磨いていると、同じくパジャマのままの真紅が眠そうな顔で部屋に入ってきた。やはり起き抜けのようで、いつもツインテールにしている髪をまとめず暴れたい放題にさせていた。

 真紅は先客の姿を開かない目を必死にいつもと同じくらいに戻して確認し、誰か分かったとたんに力を抜いて、その勢いで流れ出たため息にのせて「ああ、水銀燈……」とぼやいた。

 ずいと洗面台に割り込んで歯磨きを始める真紅を鏡越しに睨みつけて、水銀燈も気力が足りていないながらやり返そうと眠気でとろける頭を探った。

 真紅も歯ブラシをくわえ、「つっ……めた……」と顔をしかめる。

「ふふ、おわかはぁん……ふめたいにひあっへるやあぁい(お馬鹿さぁん、冷たいに決まってるじゃなぁい)」

「ほんらろひっへはろらあ。あははらへんはうああいれひょうあい……(そんなの知ってたのだわ。朝からケンカ売らないでちょうだい)」

「あいおぉ、げんひぁぐーぐんやらぁい(何よぉ、元気は十分じゃなあぃ)」

「うるはいろらわ(うるさいのだわ)……ふわ」

「ひょっほ、はいあひひへうとひにあふびひあいろぉ。ああひのいおーほのふへに(ちょっと、歯磨きしてるときにあくびしないのぉ。私の妹のクセに)……ふぁあ」

「ひほのほほいへうはひあらろかひら? ふいいんほー(人のこと言える立場なのかしら? 水銀燈)」

「……ほいうはひゃべららいの(というかしゃべらないの)」

 不毛な会話に嫌気がさしたか、鏡に映るお互いの間抜けな姿に戦意喪失したか、二人は同時に口喧嘩の邪魔立てをするものを吐き出した。タイミングぴったりでコップをつかみ……当然のように、水道の取り合いになった。とはいえ、まだ七時にならず姉妹達は二人以外誰も下りてきていないため無意識のうちに小声での小競り合いが始まる。

(ちょっとぉ……私が先にいたんだから譲るべきでしょぉ?)

(なによ、そんなの理由にはならないのだわ)

(とにかく妹なんだし譲りなさぁい)

(お姉様なら譲るべきじゃないかしら)

(今日はヤケに早起きね真紅ぅ。どっかの眼鏡ボウヤの所に遊びにいくのぉ?)

(そっ……!)

(もらい)

(あっ)

 余裕しゃくしゃくで眉を片方だけつり上げながら水銀燈はコップに水を注いだ。小馬鹿にするような笑顔でそれを口に含む水銀燈を睨みつけながら真紅は三秒ほど絶句していたが、反撃を思いつかなかったのか渋々蛇口に手をかけた。

「そもそもね水銀燈」

「んん?(うがい中)」

「こんなことでもめたって仕方ないでしょう」

「……ふぅ。まあ私たち仲が悪ぅいものね」

「あなたは……(うがい中)」

「で、結局あの子の所に行くんでしょお?」

 水銀燈の再攻撃に吹き出しかけたがかろうじて持ち直した真紅は、早々にうがいをすませて鏡に映る水銀燈の目を覗き込んだ。

「でもあなただって行くんでしょ、めぐのところ」

「そうだけどぉ? 何ともないわよぉ」

「せいぜい、帰ってきて開口一番『もうアリスになれなぁい……』だとか抜かさないようにすることね」

 水銀燈の顔がこわばった。やや思い当たる節があったらしい。むしろそのことをまっさらに忘れてから見舞いにいくつもりだったようで、空のコップを持つ手が小刻みに震えていた。

 水銀燈をこれほどまでに怯えさせるめぐの所業とはいかに。

 それっきりでむっつりと口をつぐんだ因縁の二人は、おのおの櫛を力強く握って腰まで届くほどの長さを誇る髪を整えていた。

 先入観に歪んだ視線を通してさえ美しいと感じるウェーブのかかった髪を水銀燈が何となく眺めていたとき、真紅が櫛通りの悪いところにひっかかり苦戦し始めた。

 いつもなら解けるまで面白おかしく眺めてやろうと腕をこまねく水銀燈だったが、今日は珍しく「ここ、絡まってるわよぉ」と手助けに入った。

「あら、ありがとう」

 こともなげに水銀燈を一瞥し礼を言って、また沈黙。

 彼女は密かに水銀燈の髪も絡まらないかと期待していたが、そんな反撃の機会は淡く消え去っていった。水銀燈は櫛を置いて顔を洗い出す。肩がびくりと跳ね上がった。

 遠くで目覚まし時計がなる音がした。

 なかなか鳴り止まない。寝床から抜け出さずにどうにか止めようと奮闘しているようだ。

 何かがずり落ちる衝撃が降ってくる。……結局、失敗したようだ。

 一拍おいて、せわしないアラームが黙る。

 真紅は一瞬悩んでから、ぽつりとつぶやいた。

「……今日、なのね。水銀燈」

 うう、とうめきながら顔を上げてタオルを探る水銀燈に真紅がタオルを差し出す。ありがと、とそれを広げて顔に当てる。水銀燈はその言葉を無視してしばらくあー冷たかったぁ、などとこぼしていたが、威勢のいい文句の勢いはなくなってゆく。

 そしてタオルを無言で真紅に返し、彼女と目が合いかけてふいとそらす。

「……まあ、そうなんでしょうねぇ」

「やっぱり。みんな分かっているとは思うけど……確認しておきたかったのだわ」

「ま、考えない方が楽よぉ」

「考えてたからこそ、こんな時間に起きてるのにね。私たち」

「お馬鹿さん同士よぉ」

 鏡に向かって最後の確認をする水銀燈は、親しげに、それでいてじゃれるように鼻を鳴らした。真紅は怒ったふりをして水銀燈のしたり顔を頬をつねり、キメ顔の妨害にかかった。

 何しやがるのぉ、と水銀燈がすかさずカウンターつねりを繰り出す。互い違いに顔を引っ張り合う形で数秒固まる。お互い道化じみた顔で向かい合うことになり、最初はにらみ合っていたが、こらえきれずすぐに二人は笑い出した。

 ばっかじゃないの!? それはアンタでしょぉ! と頬を放した手でお互いの腕をはたき合って声なき声で笑い転げていると、先程の目覚まし時計の主がゆっくり動き出す気配が天井から伝わってきた。

 こんな姿を他の姉妹に見せる訳にはいかないという認識は一致したらしく、笑いの余韻を引きずる二人はなんとか口元を引き締めて身支度を済ませる。

 大急ぎで顔を洗った真紅が、部屋を後にしようとする水銀燈の背中に投げかける。

「あ、今日、お昼には帰ってきてね。みんなで買い出しにいくから」

 やれやれと水銀燈は手をふった。つまりは銀様カーの出動命令である。

「はいはぁい……また除雪だわぁ」

「どうせこれから乗るでしょ。変わらないのだわ。──それと、水銀燈

「なによぉ」

 タオルを首からかける真紅は、握手とはまた違った角度で手を差し出してきた。指先は上、手のひらは水銀燈より。チョップでも仕掛けてくるつもりぃ? と挑発する猫なで声は飲み込んで、仕方なさそうに水銀燈はその手に同じ角度で平手打ちをした。

 ぱん、と小気味良いやりとり。

 そのまま無言で立ち去る水銀燈、タオルを洗濯かごに投げ込む真紅。二人の顔は、目覚めたての時よりは幾分かはっきりして、そして少しだけ苦笑が浮かんでいた。

 晴れた一日がくる予感に満ちている。

 今日は、大晦日だ。

 

   +

 

 見慣れたその個室では、やはり彼女が唄を歌っていた。

 カーテンを引いて覗き込むと、開け放たれた窓から鼻先を斬りつけるような冬の風が水銀燈にぶつかってきた。

 風の流れが若干変化したことに気づいためぐは、唄の続きを急いで畳み込んで嬉しそうに振り返ってくる。その頬は秋に「最近調子が良くなくて」と言っていた頃よりはずっと血色が良く、水銀燈は内心でそっと安堵の息を漏らした。

 顔のゆるみが読み取られたらしい。めぐは、おはよう水銀燈来てくれたのねと形式的に言い置いてからでデヘリと笑って水銀燈のほうへ身を乗り出してきた。

「なあに、私が生きてたから安心した?」

 相変わらず水銀燈の気の緩みにめざといめぐに、彼女も通例の「んな訳ないでしょぉ」を返してから手近なパイプ椅子を開いた。

 鞄をあさって、ヤクルトを二本出して片方をめぐに差し出す。

「ん」

「わ、ありがと。この飲んでも飲んでも喉が潤わない感覚が病み付きになるのよね」

「もとから病み付きだけどねぇ」

「それ禁句。でも、前よりはずいぶん顔色良いでしょ」

「そうだけど……寒くて赤くなってるでしょ、ほとんど。さっさと窓閉めなさいよぉ」

「良いじゃない別に。大晦日の浮かれた町を見下してやるのは私の仕事」

「さいあくぅ。ハタチまで病人やってるから根性曲がるのよ」

「へへ。長生きするほど根性は曲がってくものなのー。……それに、こうして窓を開けてると水銀燈は必ず来てくれるのよ。唄もつけると効果抜群」

「ふぅん? なんかの召還術ぅ?」

「あは、どうだろ。でもなんだかこうやって待ってると、そのうち窓から水銀燈が来そうな気がして。不思議よね」

 ヤクルトの容器を傾けながらめぐは枕の下を細い手で探った。取り出したのは彼女の手のひらに収まりきらないほどの大きさの黒い羽だった。

 一瞬あっけに取られて水銀燈は絶句した。色々と言いたい言葉が喉元までせり上がってきて、慌ててヤクルトで全部を胸中におさめる。

 そんな彼女の反応が予想外だっためぐの頭の中に、何か悪いことでもしたかとわずかな罪悪感が生まれたが、めぐはそれを取って食うようにくるりと羽を指先で回した。

「あの……水銀燈? どうしたの? これ苦手? ねえ苦手?」

「おばかさぁん! 鳥の羽なんてどってことないわよぉ……それにその羽、よく見たらカラスのじゃないの。全くびっくりさせるんだからこの子は」

 ぶちぶちと悪態をつく水銀燈にめぐは首を傾げた。

「黒い鳥なんてカラスしかいないけど……」

「いるのよぉ、私、一羽だけ知ってるわぁ」

「へえ?」

「……何でもないわよぉ。ほら、早いとこ窓閉めて。アンタどころか私も風邪引くからぁ」

「はーい」

 朝の日差しが覗き込むように差し込んでくる。町に連なる白い屋根がそれを反射して、病室の天井までまぶしく照らしていた。

 あ、窓重っ! チックショ! 重ッ! と窓枠に手をかけて悪態(対看護婦さん用に鍛えた)をつきまくるめぐを無視して、水銀燈は町を眺めた。

 普段はめぐをかわすことばかり考えているためにあまり気にかけたことはなかったのだが、この部屋は水銀燈の知る中で一番高く見晴らしの良い場所だった。

 めぐの父親がここに個室を移したと、かつてめぐは言っていた。

 

 愛されているのね。お父様に。めぐ、あなたはそれに気づいていないのだけれど。

 ──気づいたら救われる?

 

 閉め切った窓ガラスにそっと手を添えるめぐの面持ちは冬の気配がしみ込んで陰っていた。すがめる目には水銀燈と同じ景色が映り込んでいる。

 一年の最後の一日。

「……もっと大きかった気がするわぁ、この町」

「そうかな。そう……かもね。体ばっかり大きくなって」

「本当にねえ」

「そうそう、そこのすぐ下に前、教会があったわよね」

「ああ、あの廃墟じみてた所ぉ?」

「ん。あそこ、むかし病室を抜け出して二人で肝試ししたの……覚えてる?」

 水銀燈は少し考えて、懐かしそうに苦笑いした。──確かに知ってるわぁ、その記憶。

「覚えてるけど、そうねぇ」

 ぎ、と椅子に座り直し、少々つやっぽく足を組み替えてから水銀燈は言い放つ。

「何か奢ってくれないことにはねぇ」

「んー? 銀様はリンゴはお嫌いかな?」

「嫌いじゃないわよ」

「剥かせていただきます」

「いい子ぉ」

「……よかったの? こんな年末に妹さんたちほっぽりだして」

「あとで大仕事が待ってるから良いのよぉ。今日は、昼までずっと付き合ったげる」

「本当!?」

「そ。だから今日はうんと話しましょうねぇ」

「やった! デレきた!!」

「ちょ、何言ってんのよお馬鹿さぁん!」

 大喜びでナイフを取り出しリンゴを剥くめぐに呆れた、本当に病人なのぉ? と吐き捨てて水銀燈は膝に頬杖をつく。

 そして思った。

 ──仮に、めぐがローゼンの作った幻影ではないとして。

 今ここにいるめぐが、自分と同じように夢を見ているものだとして。

 こうして親しく話したことを、彼女が覚えていればいい。

 そうすれば、前よりは素直に笑える気がする。

「さ、水銀燈! リンゴ食べる? できれば上目遣いで。ちょっとだけ苦しそうに」

「めぐ……」

 ……やっぱり無理かもしれない。

 

   +

 

「暇ね」

「暇だな」

「……もっと遅く来ればよかったのだわ」

「何だよ」

「何でもないわ。……年末でも何も変わらないのね、この家は」

「……だいたいなんだってんだよ、うちに急に押し掛けてきてさ。姉ちゃんが勘違いして出かけてっちゃったじゃないかよ」

「本当ね。のりは相変わらずのようだわ」

「そっちじゃなくてさ……」

「何? 別にいいでしょ、私がここに来たって」

「よかない! こっちにだって色々準備があるだろ! 部屋だって片付けてないし」

「あら、私が来ると知ってたら片付けてくれてたの?」

「……誘導尋問だぞ、これ」

「ただの墓穴だわ」

「くっ」

「とりあえず紅茶を淹れてちょうだい」

「今ちょっと手が放せない」

「……」

「あ、コード抜くなよ! 絶対抜くなよ! 分かったから、今淹れてくるから」

「賢明ね」

「懸命なんだよ」

「バカなこと言ってないでさっさとしなさいな」

「上から目線で……ちくしょう」

「何か言った?」

「いーえー。いってきます」

「……ジュン」

「何だよ」

「抱っこして頂戴」

「………」

「………」

「……はぁあ!? 無理に決まってんだろ! お前は何か!? 幼稚園児か!?」

「ちょっと! そこまでは言い過ぎなのだわ、無礼ね! 何なの下僕のくせに」

「下僕って……というか、そんなこと急に言うなって」

「照れてるの?」

「照れてない」

「恥ずかしがらなくても良いのに」

「そんなことない!」

「あら怖い」

「こいつ……」

「さ、早く紅茶を。セイロンがいいわ」

「………」

「!」

「………」

「………」

「……持ち上げるのは無理だけどな。これでいいだろ」

「………」

「照れてるのか?」

「照れてない」

「恥ずかしがらなくても良いんだぞ?」

「そんなことないのだわ!」

「……今度こそ、紅茶淹れてくるから」

 

   +

 

「………ふー」

 全工程を完了した薔薇水晶は、今まで押さえ気味にしていた呼吸を取り戻すように一気に息を吸って、天井に向かって吹き上げた。

 机の上には紫色のアッガイが誇らしげに立っている。

「終わった……」

 前方にぐっと拳を突き出して、同じく前に向かってポーズを決めるアッガイと触れ合った。

 自分の分身だから、薔薇水晶の感慨もひとしおである。

「へぶす! ……さむ」

 埃が舞わないようにと自室を閉め切り、スパッツとタンクトップだけ身にまとって作業にあたっていた薔薇水晶だったが、気が緩んでようやく本来の室温を思い出したらしい。

 得体の知れないくしゃみを一つ、椅子にかかっていた毛糸のセーターを羽織って換気にかかる。窓辺は少し凍っており、力をかけるとバリバリとはがれる手応えがあった。

 魚のように滑らかに風が入り込んでくる。そろそろお昼だ、屋根のヘリからゆっくりと歩く程度の早さで雪解け水が滴っている。いい天気だ。

 庭の雪はまだふかふかで、ひとまず溶ける様子はない。──買い出しから帰ってくるまでに、このままで残ってるといいな。溶けると、雛苺、泣くだろうし。

 そこで大喜びで跳ね回る姉達を想像して、ちょっと高校生にしては子供っぽいなどと考えて微笑んでいると、ドアから軽やかにノックが突き抜けてきた。

「……どーぞ」

「お邪魔するかしら……ってばらしー! 生足! 生足!」

「なに……せくしーばらしーの……魅力に、気づいた?」

「そーじゃないかしら!」

 ドアの前に立つのは、全身ぬかりなくもこもこに着膨れした金糸雀だった。本来外出用のはずの綿入りジャンパーの下には薔薇水晶と同じような毛糸のセーターを着ているが、首にはYシャツの襟元が見え隠れしていて、しかもおなかの膨れ具合を見るにおそらく腹巻きまで完備しているようだった。ズボンの上からレッグウォーマーを装備して冷気を遮断し、さらに厚手の靴下、もふもふスリッパを履いているあたり、実に冬装備のプロである。

 そんな自分よりも少しだけ背の低い、冬山にでも登りそうな姉をじっと眺めて薔薇水晶は、

「……体隠してデコ隠さず」

「ツッこむとこそこかしらー!!」

ニヤリと笑った。

 おデコは寒くないんだもん、慣れてるんだもんとしきりに気にしながら金糸雀は暖房のスイッチを入れた。薔薇水晶は「久しぶりの外気だったのに……」と不満げに窓を閉めた。

 そして何故かセーターを脱ぎだす。

 戦慄する金糸雀。

 あられもないというよりはだらしのない、とにかく露出の多い薔薇水晶を必死に止めながら、金糸雀は懇願した。

「お願いだから、お願いだからそれは着ていてほしいかしら!」

「ええ……どうして……素肌に毛糸、痛い」

「だったら何で素肌で羽織っちゃったの! そっちのほうが気になるかしら」

「……脱ぐよ」

「やめて、見てるだけで寒い」

「……まさか敏感肌ちくちくプレイ?」

「な、何言ってるのかしら!」

「仕方ない……別の着る」

「ぜひそうしてほしいかしら。できれば下も、も少しあったかくね」

「はーい……金糸雀、そんなに寒がり、だったっけ」

「受験生は寒がりなものと決まってるかしら」

 のろのろと立ち上がりクローゼットの物色にかかる薔薇水晶の後ろ姿をほっとして眺め、根拠のない知識を披露しながら金糸雀はしもやけ気味の指先を温めるようにこすった。

 そしてお腹のあたりを探り始め、何かを取り出した。

 ……かっぱえびせん。のりしお味。

 膨れていたのは、腹巻きのせいだけではなかったようだ。

 少しは冬耐性をもつ装備に変えた薔薇水晶は、その取り出す一連の動作を眺めて、

「……えびせんは、孵らないよ?」

「そうそう、わたしカナリアだから……って孵化させたかった訳じゃないかしら!!」

ニヤリと笑った。

 ノリツッコミにどっと疲れを覚えた金糸雀だったが、ふぅと一息、薔薇水晶に問いかけた。

「開けていい?」

「いいけど……どうしたの、ここ来て」

「ちょっと構ってほしかっただけかしら。あと、この前の差し入れのお礼」

「構ってちゃん……」

「ふふ、そうかもしれないかしら」

 バリ、と袋を開けて、金糸雀は目の前のちいさなテーブルにえびせんをおいた。所々に薄紫、濃紫の塗料が散っている。それに気付いて不思議そうに眺める金糸雀に、ああ、それねと薔薇水晶は笑った。

「アッガイ、作ってたから。新聞紙引くのわすれちゃってて…」

「あ、そっか。完成したかしら?」

「うん」

 机の上に立つアッガイを指で示してから、全コンプ、全コンプと唱えてそれを持ち上げ、本棚のアッガイシリーズの一番端に並べた。

 九体。壮観である。

 ほぉー、とまた不思議な歓声を上げて、金糸雀は薔薇水晶に笑いかけた。

「仲間入り、かしら」

「……えへ」

 テーブルの脇に座って、薔薇水晶はひとつえびせんをつまんだ。さくさくと気持ちのいい音を響かせながら本棚を眺める。

 まだスプレーのにおいがすこしだけ残る部屋で、ぼわぼわと暖房だけがせわしなく働いている。

 居間の方から家に残った姉妹達がにぎやかに言い争うのが聞こえてくる。

 ドアが開く気配。出迎えに出た誰かがまた「真紅ー! しっかりー!」と悲鳴を上げている。また真紅が「例の風邪」をぶり返したのだろう。午後には熱が引いているようにと、薔薇水晶はこっそり祈った。

「まだ水銀燈、帰ってこないかしら」

「……きたら買い出し、だね」

「ね! 楽しみかしら」

「……勉強、いいの?」

 その言葉に、九ヶ月で培った反射神経が「だ、大丈夫かしら!」の返答を形作りかけたが思いとどまり、一瞬考えてから金糸雀は首を振った。

「そ、その手にはもう乗らないかしら」

「あ、そっか……」

「あればらしー、素で忘れてたかしら?」

「うん」

「受験はもうないから、やりたい放題かしら!」

 得意げに話す彼女の目元にはクマがうっすら残っている。どうやら今まで溜めていた娯楽を全て消費しにかかっていたらしい。

 ……むしろ逆であるべきでは、と薔薇水晶は言いかけたがやめておいた。

 だんだんとえびせんがクセになり、二本三本と一気食いを始めた二人はしばし無言になった。四本。まだいける。五本。さすがにきついかしら。六本。顔ヤバい。

 超ペースで消費されるえびせん。当然、すぐになくなってしまう。残りが一本だけであることに気付き、二人は手を伸ばしかけた体制で静止した。

 空気が張りつめる。

 牽制。

 視線がぶつかる。

 目を閉じる。

(さぁ……えびせんゲームを、始めましょう……)

(守らなきゃ……カナにできるのは、のりしおを守ることかしら!)

 二人は某アクション映画のように気で闘っていた。

 身じろぎすら許されないような空気。

 加速する暖房!

 上昇する室温!

「……もらうね」

「ちょ、反則かし」

「えい」

「ああああああ」

 飽きたらしい薔薇水晶があっさりと最後の一つをかすめ取り、暖房のスイッチを切った。さすがの金糸雀も暑かったらしく、とくにそれには文句も言わず、無言で上着を何枚か脱いだ。

「……えびせん、ごちそうさま」

「一人で食べると、ニキビできちゃうかしら。だからいいの」

「ツンデレ……」

「それは水銀燈か翠星石かしら」

「……ツンデコ?」

「こら! お前もデコ人形にしてやろうかしら!」

「いやんやめて」

 プロレス技をかけるようにぶつかってきた金糸雀の勢いをもろに受けて、薔薇水晶は座った体制から仰向けに床に転がった。しかし金糸雀は、

「あー……技なんて知らないかしら……」

何も考えていなかったらしい。

 とりあえず同じように仰向けに寝転がって、一緒に天井を眺めた。外が明るいから、電灯はつけていない。

 雀が近くの電線でさえずっている。

 一階では「ち、違うのだわ! そんなことないのだわ!」という裏返った声が響いている。ようやく真紅が正気に戻ったらしい。純情な五女を三女がいじり倒す様子が手に取るように分かる。

 えびせんのせいで指先がざらざらしている。

 床はちょっとだけ冷たい。硬くて寝そべるにはあまり褒められたものではない、カーペットも何もない打ちっぱなしの床だったが、二人はあまり気にしていなかった。

「プロレス技かけるなんて、キョーダイっぽいのに。チェック漏れかしら」

 ぽつりとつぶやいた言葉は、天井に届くまえに散ってしまう。

「よくよく考えたら、不思議かしら。八人姉妹で、一番上と下が五歳しか違わないなんて」

 いろんな感情が混ざった瞳を薔薇水晶に向けるが、そこにあったのは眼帯をしている方の横顔だったので、金糸雀は彼女の目を見ることができなかった。

 そんな雰囲気を読み取ったのか、ぐりんと顔を金糸雀の方に向けて薔薇水晶は断言した。

「……夢だし」

 言ってみれば簡単なことだ。そう続けるように再びニヤリとする薔薇水晶。金糸雀はその妙にしっくりくる言葉に吹き出した。

「……かしら!」

「ね」

「それにしてもばらしー、さっきの振り向き方ちょっと怖かったかしら。まるで昔の水銀燈みたい」

「昔……」

「おっ? ばらしー、知りたいかしら?」

「知りたい……!」

「そのまえに何か言うことないかしら」

「おねがいお姉ちゃん……」

「もう一声」

「お帰りなさいませご主人様」

「何でかしら!?」

「お願いします……お姉様ぁ……」

「あ、ちょ、ちょ、そっ、何触って! こ、こら」

「……茶番はともかく」

「はいはい、分かったかしら……ふぅ。それで、昔水銀燈はね……」

 

 その後、いやあああああんたまんないいいいいいい、という叫び声が家中にとどろいたことを水銀燈は知る由もない。

 

   +

 

 水銀燈が帰ってくるまえに、家の前の雪をお掃除しておくの! と、雛苺が言い出したため、真紅をリビングに持ち運んでソファーに落ち着けた後、翠星石と蒼星石をキッチンに残し、雪華綺晶は彼女と共に銀世界へ繰り出した。

 余程面倒だったらしい、水銀燈が車の上の雪をざっと脇にどけて、ろくに雪かきもせず発車した跡が玄関前にありありと残っていた。除雪の手間はその分増えているのだが、「わー! 水銀燈がまっさらなとこ残しといてくれたのー!」と雛苺が喜んでいるため不満はない。

 足跡の残っていない白銀に身を投げ出そうとする幼い姉を引き止める。

「ん? なあにきらきー」

「それはまた後のお楽しみですわ。さ、お仕事しましょ」

 玄関脇の収納からママさんダンプと小さめのシャベルを取り出し、後者を雛苺に渡した。渋々受け取る雛苺。雪を片付けてしまうのがやや寂しいようだ。

「うー……きらきーは妹なのにしっかり者なの」

「伊達にアレだけの量、食べてませんわ」

 妙な根拠に胸を張る雪華綺晶をよそに、雛苺は「シャベル装備! これでヒナ無双なの!」とさっきの憂鬱はどこへやらテンションだだ上がりで雪かきを始めた。

 日差しは照りつけているものの、膝まで積もった雪にはかなわない。溶けることなく残った雪は、表面がダイヤモンドのかけらを散らしたようにまぶしく輝いていた。

 それらの光を一身に受けて、色を忘れてしまったかのような雪華綺晶の純白の長い髪がなびく。

 だいぶ雪も片付き、かまくら作りにちょうど良さそうな山が出来上がった頃、雛苺は軽やかにママさんダンプを操る雪華綺晶を見て顔をしかめた。

「きらきー……まぶしいのよ」

「あっ、ごめんなさいお姉様。……といっても」

「そうね、きらきーのせいじゃないものね。でも」

 でも、の次に何が続くか予想できず、雪華綺晶は雛苺の目を内心不安に思いながら見つめた。

 強い光にゆがめていた顔が、柔らかく緩んだ。

「とってもきれいなのよ。羨ましいの」

「……お姉様」

 ママさんダンプに乗っていた大量の雪を全力でひっくり返して雪山にのせ、雪華綺晶は嬉しさともっと別の何かに突き動かされて雛苺に抱きついた。

「お姉様。私、ボディについて褒められたの、多分始めてですわ」

「き、きらきー、何だか誤解を招きかねない発言なのよ」

「いいの! いいのよ! だってあなたは特別!」

「きらきー! ストップストップ!」

 何かおかしな方向に進みつつある二人を引き止めたのは、

「……あの」

「あっ」

 雛苺の親友、柏葉巴だった。

 ダッフルコートを着込んで買い物袋を下げる巴は、玄関先でじゃれあう二人を遠巻きに覗き込みながら苦笑いした。

「……お久しぶり、雛苺。それと雪華綺晶さん」

「ト……っ」

「お久しぶりですわ。柏葉さん」

 優雅に体制を整え会釈する(しかし足下にはママさんダンプ)雪華綺晶の隣で、雛苺は喉を詰まらせたように立ちすくんでいた。

 何も言えなくなっている雛苺に、巴は買い物袋をちょっと上げて微笑んだ。

「大掃除してたら、ゴミ袋が足りなくなって。買い出しついでに通りかかったの」

「トモエ……」

 出てこない言葉のかわりに雛苺は巴に駆け寄り、勢いよく抱きつく。

 困惑しつつも巴が雛苺の頭をなでてやると、雛苺は半べそになって数ヶ月分の不満をぶつけ始めた。

「トモエのばかぁっ!! ばかぁ! なんで会いにきてくれないの! ヒナ会いたかったのに! ばか、ばか!」

「ご、ごめんね、雛苺、私……」

 巴があやすように雛苺を抱きしめると、雛苺は縋るように一層強く抱きついてきた。

「高校がバラバラになると、寂しいね。部活も忙しくて、帰りは夜になっちゃうし。ごめんね、会いに来れなくて。ごめんね、ごめんね……」

 巴は有栖学園に入学しなかった。私立よりは公立がいい、部活も真剣に続けられる硬派な学校がいい、と彼女の両親が取り決めたためである。

 そのため雛苺とは滅多に会えず付き合いが疎遠になってしまい、高校には姉妹がいるものの雛苺はこのことをひどく寂しがっていたのだった。 

 最後にあったのは祭りの時。夏ぶりの再会である。

 雪華綺晶はママさんダンプをつかみ直し、首を傾げて微笑みながら巴に目配せした。

「でも、年末のごあいさつができてよかった」

 巴が雛苺の顔を覗き込む。今にも涙がこぼれそうな顔で雛苺はすねていたが、気持ちの整理がついたのか、両手の手袋でそれを隠すようにぬぐった。

 そして、また笑顔。

「そうなの。今年中に会えなかったら、どうしようって思ってたのよ」

「うん……本当に、良かった」

「 か し わ ば と も え さ ん ? 」

 いいムードになっていた雛苺と巴の間に、不気味な北風が通り抜けた。

 風上には、雪華綺晶。

 その長く美しい髪が、風に煽られて広がる。

 まるで威嚇するように。

 ぎらりと歯を見せて笑い、巴にささやくように話しかける。

「大掃除の途中ではなくて?」

 その金色の、それ自体暗闇のなかでも光を放ちそうな隻眼に射抜かれた巴は、まるで「時間切れですわよ」と語りかけられているように感じた。

 しかし巴も負けてはいない。

 剣道の修練で養った威圧を最大限に生かし、雛苺を放しつつ「そうね……忘れるところでした……ありがとう、き ら き し ょ う さ ん」と余裕たっぷりに返した。

 それじゃ、ほんとに帰らなきゃ。とまた道路に出た巴を、雛苺は慌てて見送りに出た。それを雪華綺晶も追いかける。

「それじゃあ、また」

「トモエ! またね!」

「帰り道に気をつけてくださいましー」

 脅しともとれる台詞を吐く雪華綺晶。

 歩いてゆく巴を雛苺はしばらく見つめていたが、ある時なにか決心したように叫んだ。

「トモエ!」

「なにー?」

「トモエは、次に──次にヒナと会えた時も、ヒナのお友達でいてくれるかしら!」

 巴はその問いかけにきょとんとしたが、すぐに彼女なりに納得したらしく、雛苺と同じように声高に答えた。

「当たり前でしょう! 来年も、再来年も、友達でいて!」

 その答えに雛苺は今にも泣きそうな顔をして、それでいて破顔した。

 持っていたシャベルも投げ出して、両手を振る。

「良いお年を! 良いお年を、トモエ!」

「ええ、良いお年を!」

「良いお年を迎えやがれですわ!」

 それとなく悪意をにじませて雪華綺晶も彼女を送る。

 彼女が道の角を曲がり見えなくなったとき、雛苺は振り返って雪華綺晶に抱きついた。顔が見えないように伏せたままぶつかってきたため、雪華綺晶は若干太い声を漏らした。

「ゔ! お、お姉……っ」

「──泣いてないのよ!」

「?」

「ヒナ、泣いてないのよ! お姉ちゃんなんだもの! ぜんぜん平気なのよ!」

「お姉様……」

「それとねきらきー、いもーととしんゆーは比べられないのよ。どっちも大好きなの」

「あ、……もしかして、バレてました?」

「バレバレなのよ。ケンカしちゃだめ」

「だって」

「言い訳きんし!」

「は……はい……」

 雛苺が雪華綺晶をやりこめて、雪華綺晶がそれとなく雛苺を堪能していたその時、遠くから雪を蹴散らして走るワゴンのエンジンのうなり声が聞こえてきた。

 それは家の前の道路をまっすぐに走りこちらへ近づいてくる。

 そして、姿を現したのは。

「うちの車なの!」

「ちょっとぉ、私の車でしょ?」

 車の窓を開きながら異議を申し立てる、水銀燈だった。

「お姉様方ー! ばらしーちゃーん! 黒薔薇のお姉様がお帰りです!」

 

   +

 

「さてと。うちにある材料はこれで全部ですね」

「姉さん、小麦粉が見つかったよ」

「おおでかしたですぅ蒼星石!」

「えへへ」

「……期限が切れてなければ、もっとよかったですけど」

「あ、本当だ。去年までのだね……ごめん、翠星石」

「翠星石じゃなくて姉さんがいいです」

「え、わ……わかった」

「それじゃ、メモに線をひいて、と」

「よし! 買い物のメモ完成!」

「さすが我が妹ですぅ」

「ね、姉さんがほとんどやったんだからね!」

「ふふ。そうですけど、翠星石はやる気がなきゃここまでやらないですよ」

「まあ、確かに。やる気のない姉さんはひどいからね」

「ひどいって……うう」

「ごめんごめん」

「とにかく、蒼星石がいるから、翠星石は頑張れるんですよ」

「……姉さん」

「なんてね、ですぅ」

「……あれ? 姉さん、水銀燈、帰ってきたよ」

「やーっとですか! 全く待たせやがるですぅ。いくですよ」

「うん。……姉さん」

「何ですか?」

「手、つないでいい?」

「アタボーですぅ。──もう放しませんからね」

 

 

【後半、全員集合編に続く】

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