◆1

九月。暦の上では秋の始まり。
……といっても、急に涼しくなるわけでもなく。
連日気温は30℃近くまで上昇する日が続いています。

そんなわけで、絶賛少女たちの暇つぶしスポットとして機能中の桜田くんの部屋も、
もうしばらくはエアコンのお世話になりそうです。

その部屋に、甲高い声が響き渡りました。

「なんでまだジュンはお休みなの!?」

むむむ、と不満げにほっぺたを膨らませているのは雛苺ちゃん。

「僕に言われても知らないよ。大学はそーなの」

小学校は八月までなのに、桜田くんの大学は九月の半ばまで夏休み。
どうやらそれが気に食わないようです。

「ずるいですぅ! 翠星石たちはこの残暑厳しい中エアコンも扇風機もない学校に通ってるのにぃ!!」
「怒るとよけいに暑くなるわよ、翠星石」

ベッドに寝っ転がりながら、天井にむかって同じく声を荒げる翠星石ちゃんに、
分厚い本のページをめくりながら真紅ちゃんが応じます。

桜田くんは机の上の時計に目をやり、急いだ様子で立ちあがりました。

「……っと、もうこんな時間か。ちょっと出かけてくるから」
「どこに行くの?」

ちゃぶ台の横でお茶を飲む手を止めて尋ねたのは蒼星石ちゃん。
まだ暑い時期だというのに熱い緑茶をセレクトしているのは彼女のポリシーなのでしょうか。

桜田くんはクローゼットをのぞきながら答えます。

「んー? コンビニ。蒼星石、真紅、留守は頼んだ」
「ちょっと待てです。なんで翠星石を差し置いて真紅なんですか」

四つんばいでベッドの端までずい、と寄って、翠星石ちゃんが詰問します。
年齢順には翠星石ちゃんと蒼星石ちゃん、それから真紅ちゃん、最後に雛苺ちゃん。
順当にいけば翠星石ちゃんと蒼星石ちゃんに留守番の役は回ってくるべきです。

「え? だって……なぁ?」

なんで自分じゃないのか、という顔の翠星石ちゃんから目をそらし、
蒼星石ちゃんたちに同意を求めます。

「はは……」
「妥当な判断なのだわ」
「翠星石より真紅のほうが頼りになるのよ!」

「きぃー! てめえらそこに直りやがれです!! 先輩の格ってやつをたたきこんでやるですぅ!!」

一人ぎゃあぎゃあ騒ぐ翠星石ちゃんをスルーして、桜田くんがドアに手をかけました。

「それじゃ、いってくる」
「いってらっしゃーい!」

バタン。
笑顔の雛苺ちゃんに見送られながら、桜田くんが出ていきます。

……次の瞬間。
少女たちがいっせいにドアを見て、それから互いの顔を見合わせました。

「……怪しいわね」
「怪しいですぅ」
「怪しいね」
「怪しいの」

顔をよせあってひそひそと話す少女たち。
なんだか、不穏な空気が漂いだした桜田くんの部屋でした。


◆2

「では、これより第1回乙女会議を始めるです!」

ドンッ。
握りこぶしをちゃぶ台に叩きつけながら、翠星石ちゃんが言います。
部屋のカーテンは全て閉め切っており、さらにはドアにチェーンまでかけています。
まさにあやしげな密会……のつもりのようです。

「蒼星石、議題を読み上げてほしいの!」

雛苺ちゃんに言われた蒼星石ちゃんが手に持つレポート用紙を読み上げます。

「うん。今回の議題は……『最近のジュンお兄ちゃんは様子がおかしい』」

大きくうなずく少女たち。

「うむ、そのとおりです! では、どこがおかしいのか! 真紅、頼むです!!」

話を振られた真紅ちゃんが立ちあがりました。

「ええ。毎週日曜、私たちがこの部屋に集まっているのはみんなわかっているわよね」
「もちろんなの!」
「それで、ジュンは……『日曜日、決まった時間になるとコンビニへ行く』」
「正確には、午後二時を過ぎたあたりだね」

落ちついた声音で、蒼星石ちゃんが追加します。

「補足ありがとう、蒼星石。では、なぜいつもこの時間になるとコンビニへ行くのか!」

手を振り上げて選挙演説よろしく語る真紅ちゃん。
めずらしく熱くなっているのか、語尾にびっくりまーくがついています。

「その答えはひとつです!!」

翠星石ちゃんも、おなじく熱く叫びます。
雛苺ちゃんが大きく息を吸い込みました。

「トゥ・モ・エなのぉおおおお!!」

びりびり。窓ガラスが振動したんじゃないか、というほどの大声。

「私たちは独自の調査網を使って、ジュンの動向を詳細に調べたわ」

再び冷静になり、小学五年生とは思えないボキャブラリで語る真紅ちゃん。

「ぜい、ぜい……ヒナもがんばったのよ」

さきほどのシャウトで息切れしている雛苺ちゃんが、ちいさくつけくわえました。

「その結果、わかったことが……」

「ジュンお兄ちゃんは、毎週火曜日と日曜日、コンビニへ通っている。
  そして、その時間はいつも必ず巴さんが働いている時間である」

真紅ちゃんの振りを受け、結論を述べる蒼星石ちゃん。
翠星石ちゃんがむむ、と腕をくんでうなります。

「これは、どう考えてもあのホクロ女目当てで店に通っているです」
「そう考えるのが妥当ね」
「ねえねえ、これって、これってもしかして……?」

バン! 翠星石ちゃんが再び勢いよくちゃぶ台を叩きました。

「そうです! ジュンのやろうは巴に恋をしてるに違いないです!!」
「きゃあー、すごいのー!」
「恋、かぁ……」

ほっぺたに手をあててきゃあきゃあと騒ぐ雛苺ちゃんと、
顔を赤らめうつむく蒼星石ちゃん。
同じく若干赤い顔をした真紅ちゃんが、コホン、とせきばらいをして場を静かにします。

「この仮定なら、ジュンの行動もすべて納得がいくわ」
「それでそれで、どうするの?」

好奇心で目をきらきらさせながら、雛苺ちゃんが尋ねます。
翠星石ちゃんがアメリカ人のように肩をすくめて、へっ、と息を吐きました。

「あの朴念仁なジュンのことです、ほっといたらどーせいつまで経っても発展なんてしないです」
「ここは不本意ながら、私たちが一肌脱ぐべきだと思うの。どうかしら?」

「うー……愛する人の幸せがヒナの幸せなのよ! ジュンを応援するの!」
「まあ、みんながそうしたいって言うなら……」
「……決まりね。それじゃ、細かい作戦を考えましょう」

再び顔を寄せ合って話し出す少女たちでした。

***

「へ、へっくしゅ!」

我慢しようとする間もなく、いきなりくしゃみが出ました。
巴ちゃんが清算する手を止めて、尋ねます。

「どうしたの、桜田くん? やっぱり店内、冷房が効きすぎかな?」
「いや、別に寒くはないよ。なんだかいきなりくしゃみが出ただけ」

ぐす、鼻をすすりながら、不思議そうな顔をして桜田くんが答えます。
ピッ、バーコードを読みとりながら、巴ちゃんが微笑みました。

「誰かが桜田くんのことうわさしてるのかもね」
「誰か?」
「例えば……大学の女の子、とか?」
「まさか」
「ふふ、どうかな」

そう言っていたずらっぽく笑う巴ちゃん。
桜田くんは財布を持つ手をぐっとにぎりしめました。少し汗ばんでるのは気のせい、だよな。

「……か、柏葉はさ」
「なに?」

顔をあげた巴ちゃんの視線を受けて、なんだかバツがわるそうに桜田くんは首をかきます。

「えーと、なんだ。その……どこかの大学の男の子と仲良くしたりしてるのか?」

首をかしげる巴ちゃん。
質問の意図がうまくつかめていないだけなのか、はたまた真意は他にあるのか。

「? そうだね、バイトとか部活動つながりで知り合った人とかはいるかな」
「ああ、なるほどね……」
「うん。……お会計、1480円になります」

***

「ありがとうございましたー」

むわあ。
やっぱり外は暑いです。
でも、今の桜田くんにはどうでもよいことで。

(そっかぁ……やっぱそんなもんだよなぁ)

自室で企み事が行われているとはつゆ知らず、一人肩を丸めて自転車をこぐ桜田くんでした。


◆3

翌日。
桜田くんが大学から帰って来ると、アパートの前に少女が二人。
雛苺ちゃんと蒼星石ちゃんです。

「あ、ジュン、おかえりー!」
「おかえりなさい」
「何してんだ、お前ら。学校あったんだろ?」

雛苺ちゃんがいつも以上のにこにこ笑顔で、手にした茶色い封筒をひらひらと振ります。

「今日はジュンにプレゼント持ってきたの!」
「プレゼント?」
「そう! いつもお世話になってるお礼よ! ねー、蒼星石?」
「え? あ、うん、そうだよ、お礼!」

つんつん、ひじでこっそり突つかれた蒼星石ちゃんが慌てて同意。
雛苺ちゃんは封筒をひっくり返すと、中に入っていた紙切れを両手で掲げました。

「じゃーん! 中身は映画のチケットでーす!」

ああ、と桜田くんはその紙切れに見覚えのあるタイトルが書かれているのを見ます。
最近よく朝のワイドショーで紹介されている恋愛映画でした。
なんかどーたらこーたらでヒロインが死ぬとかそんなやつ。

「で、なに? それを僕にくれるって?」
「うん! しかも今ならお得な二枚セットよ! ねー、蒼星石?」
「え? あ、うん、二枚ももらえるなんてお得だよね!」
「へーそうかい。じゃあ有り難くもらいますよ」

桜田くんにしてみれば特に観たいと思うものでもありません。
でも要らない、なんて言ったらどんな顔されるか。
そう、別にこれはこいつらの好意を無駄にしたくない、とかじゃなくて
ぴーぴー泣かれたりしたら面倒なだけで――

心の中でぶつぶつ言いながら桜田くんがチケットに手をのばしたとき、
ふと思い出したように雛苺ちゃんが言いました。

「あ、そういえばね、前コンビニに行ったとき、トゥモエがこの映画観たいって言ってたの!」

思いがけない名前に手が止まります。

「柏葉が?」
「うい。ねー、蒼星石?」
「え? えっと、う、うん! 言ってたよね!」

雛苺ちゃんは桜田くんに映画のチケットをおしつけると、
蒼星石ちゃんの手を引いてちょこまか走り出しました。

「それ、あげるから! いい、ジュン! ぜったい、トゥモエを誘うのよ!」
「じゃ、じゃあね、ジュンお兄ちゃん!」
「おい、ちょっと話が見えな……」

何か言いかける桜田くんを残して、二人はアパートの前から走り去ります。
しばらく走って、角を曲がると。

「首尾はどうですか?」

翠星石ちゃんと真紅ちゃんが待機していました。

「ばっちりなのー!」
「うん。受け取ってもらえたよ」
「……そう。あとは巴次第ね」

読んでいた文庫本を閉じて、なんだかつまらなそうに言う真紅ちゃん。
ニヤリ。翠星石ちゃんの口角が意地悪く上がりました。
『こりゃあいいネタを見つけたですぅ。ですです』なんてオーラが立ちのぼっています。

「ふっふーん、し・ん・くー?」
「なにかしら?」
「おめー、内心ジュンとあのホクロ女がくっついたらイヤなんじゃないですかぁ?」

ばさり。真紅ちゃんが手に持った本を落っことしました。
ものすごく分かりやすいリアクションです。

「な、なにを……。そういう翠星石こそどうなのよ」
「え? す、翠星石は別に、ジュンが誰とくっつこうがへーきのへーざですよ」

ニヤニヤ。真紅ちゃんが小馬鹿にしたように笑います。
『あなたの考えてることなんて全部お見通しなのだわ。だわだわ』なんて思っているのが、
言葉にしなくてもひしひしと伝わってくるような笑いです。

「ふーん?」
「な、何をにたにたしてやがるですか! 本当です! 本当ですからね!」

「やれやれ、どうなることだか……」
「『ぜんとたなん』なの」

目の前で繰り広げられるツンデレ合戦に先行きの不安を感じる二人でした。

***

「それにしても、雛苺って演技上手だね。おどろいたよ」
「蒼星石、これからの時代はああいうえんぎもできないと、将来男をつかまえられないのよ? 今月のノンノンに書いてたの」
「そんなものなの?」
「そんなものなの」


◆4

「映画?」

巴ちゃんに見つめられ、桜田くんは慌てて目を逸らしました。
そのほっぺたはリンゴのように真っ赤です。

「う、うん。あ、嫌なら別にいいんだけど――」
「まだ何も言ってないよ。でもどうして? 急に」

桜田くんは財布の中からチケットを取りだします。

「雛苺に昨日もらったんだ。ほら、今話題のやつ、二枚」
「ああ、TVでよくCMしてるやつだね」
「それで、チビどもが柏葉が見たがってるって言ってたから」
「え? 私が?」
「うん……って、あれ? もしかしてそうでもなかった?」

おかしいな。やっぱあいつら情報なんて信じるんじゃなかったか。
想定外の反応にあせる桜田くん。
巴ちゃんはしばらくきょとんとしていましたが、やがてにっこりと微笑みました。

「……ううん、ちょうど見たかったの。いいよ、いつにする?」

***

「あ、出てきたよ!」

コンビニの外で見張っていた少女四人。
蒼星石ちゃんが真っ先に桜田くんの姿を見つけました。

「あのしまりの無い顔……どうやらデートの誘いは成功したようね」

真紅ちゃんの指摘通り、桜田くんは珍しくにやにやとした顔をしています。
いかにも今しがたいい事がありました、と言わんばかり。

「ふん、にやついて、気味のわりーやつです!」

翠星石ちゃんが吐き捨てて、足元の小石をけっとばしました。

「全くだわ。でも雛苺、よく知ってたわね。巴の観たがってた映画なんて」
「え? ……う、うゆ、すごいでしょ!」

「……こいつ、ほんとに知ってたんですかね?」
「あはは……」


◆5

桜田くんと巴ちゃんのお出かけの日は今日、土曜日。
雛苺ちゃん達少女四人は待ち合わせ場所の駅前にこっそり隠れて、二人が来るのを今か今かと待ち構えていました。

どうして彼女たちが知っていたかといえば、几帳面な桜田くんはカレンダーのその日にぐるりと赤ペンで丸をつけ、
ご丁寧に待ち合わせ時間と場所なんかも記入していたからでした。

勝手に人の予定を見るというのはあまりほめられたことではありませんが、
翠星石ちゃんいわく「非常事態だから仕方ないですぅ」とのことです。
なるほど、非常事態なら仕方ない。

「あ、巴が来たですよ!」

双眼鏡片手に、翠星石ちゃんが言います。
ショートカットに泣きボクロ。遠目からでも彼女とわかる人物がやってきました。

「うーん……ジュンお兄ちゃんはまだ来てないみたいだね」
「まったく、レディを待たせるなんて紳士失格ね」
「まあ、まだ待ち合わせの時間まではあるし」

しかし、五分、十分、二十分。……待ち合わせの時間を過ぎても。
桜田くんは現れません。
少女たちがイライラとしはじめ、巴ちゃんが幾度か時間を確認したころ。

「あ、ジュンよ!」

やっと桜田くんがやってきました。
家からずっと走って来たのでしょうか、肩で大きく息をしながら、巴ちゃんにへこへこと頭を下げています。

「みっともないですねぇ」

端から見ても情けない光景。
巴ちゃんは少しの間そっぽを向いていましたが、やがて笑顔で桜田くんに何か言い、二人で歩きだしました。

「よかった……許してもらえたみたいだね」
「初っ端からこの調子じゃあ、先が思いやられるわ」

ひそひそとささやき合いながら、人ごみの中で桜田くんたちを追う少女たちでした。

***

休日ということもあってか、映画館は盛況。
これなら桜田くんたちに見つかる心配もなさそうです。

「二人はもう映画館の中に入ったんですかね?」
「多分この次のを観るつもりだろうから……うん、もう今頃は中にいるだろうね」

上映予定の一覧表を観ながら冷静に分析する蒼星石ちゃん。
翠星石ちゃんがふぁあ、と大きなあくびをしました。

「それにしても、尾行ってのも案外地味ですねえ。もっとこう、ドッカーンと派手なことが起きればいいですのに」

ふぁあ。あくびが伝染ったのか、雛苺ちゃんまであくびをしました。

「この映画、二時間半もあるのよ。終わるまでヒマなの」

コホン。
真紅ちゃんがせきばらいをしました。

「そのことについて、提案があるのだけれど」
「? 何がですか?」
「みんな、あれを見てくれないかしら」

指差すのは映画の看板の一つ。
『劇場版くんくん探偵 ねらわれたネコ警部』なんてでかでかと描かれています。

「映画が終わるまで時間があるわ。ということで、私たちはこれを観ない?」
「いや、映画を観るんなら別にあの二人と同じのを観れば……」
「こ れ を 観 な い ?」
「……はいです」

真紅ちゃんの気迫に圧された翠星石ちゃんでした。

***

がやがや。
映画館から出てくる人波。

『劇場版くんくん探偵』はすでに終わっていたので、少女たちは例によって映画館の前で
二人を待っていました。
真紅ちゃんはパンフレットを読みふけっていましたが。

桜田くんと巴ちゃんの観た、どーたらこーたらでヒロインが死んでしまうという映画。
感動的という前評判は事実のようで、泣いている女性もちらほら見受けられます。

「見てみて、トモエも泣いてるわ!」
「ジュンお兄ちゃん、かなり困ってるみたいだね」

二人が出てきました。
ハンカチで目をおさえている巴ちゃんに、あたふたとした様子で色々と話しかけている桜田くん。

「さあジュン、ここらが男の見せどころですよ! いっちょかましたれです!」
「何をかますのさ……」

桜田くんが誘ったのでしょうか。
映画館から出た二人は、そのまま近くの喫茶店へと入ります。

「あ、お茶のむみたいなのよ」
「ずいぶん色気の無い店だこと」
「もっといい店探せなかったんですかね、ジュンのやつは」

好き勝手なことを言いながら、おなかのすいた雛苺ちゃんたちは近くのファーストフード店でおやつを買います。
太るって? 翠星石ちゃんいわく「成長期だから大丈夫ですぅ」とのことです。

もっとも、張り込みの基本はアンパンに牛乳だと言い張る真紅ちゃんだけは、
近くのコンビニでそれらを買ってきました。

うまい具合に二人の席は道路に面した窓際。
ちょうど近くの横断歩道橋の上からよく見える位置なので、少女たち四人はそこに陣取ります。

注文を終えた後もおしゃべりしている桜田くんと巴ちゃん。
話はなかなか弾んでいるようで、ときどき二人して笑顔になります。

「けっこふうまくいってひょうだね、あの二人」

もふもふ、チーズバーガーを口いっぱいにほおばりながら蒼星石ちゃんが言います。

「嬉しいようなくやしいような気分なの……」

ちゅーちゅー、オレンジジュースを飲みながら言う雛苺ちゃんは、複雑な表情。

すでにドリンクを飲み干して、紙コップに残った氷をがりがりと噛み砕いていた翠星石ちゃんが
じろりと目を細めて二人を眺めます。

「ふむ……こんだけ仲がよかったら、もしかしたら子作りに励むかもしれねえですね」
「げほっ! ちょ、ちょっと、翠星石、何言ってるのさ!」

かじっていたチーズバーガーをふき出して、蒼星石ちゃんが真っ赤になりました。

「こづくり?」
「そうですよぉー。いいふいんきになってきた頃合いを見て、ジュンは野獣と化すですぅ」

まがまがしいオーラを放ちながら、がおー、と熊のように両手をあげる翠星石ちゃん。
どうでもいいですが『雰囲気』を微妙に発音し間違えています。

「それがどう赤ちゃんを作ることと関係あるのよ」

アンパンを行儀よくもぐもぐと食べながら言う真紅ちゃんの横で、雛苺ちゃんがにっこり笑います。

「ヒナ、赤ちゃんの作り方しってるわ! ●●●に●●●●●したり●●●に●●したりするのよね!」
「ぶふっ!」

放送禁止用語てんこ盛りの雛苺ちゃんのセリフに、今度はコーラを盛大にふき出す蒼星石ちゃん。
気管に入ったのかげほげほとせきこんでいます。

「うぐ……チビのくせになかなかやるですね」

思わぬ伏兵の出現にうろたえる翠星石ちゃんの横で、真紅ちゃんがきょとんとした顔をしました。

「みんな何を言っているの?」
「へ? ですから赤ん坊作りを……」

はあ。
おなじみ、新婚若妻のみそ汁の味付けにケチをつける姑のようなため息をつくと。
真紅ちゃんは三人を見やります。

「まったく……あなた達は本当に無知ね」
「え?」

ようやくせきがおさまったのか、聞き返す蒼星石ちゃん。まだ涙目ですが。

「いいこと? 赤ちゃんというのはね――」

真紅ちゃんは優雅に歩いていき、ちょうど翠星石ちゃんたち三人に背を向けた状態になります。

「――コウノトリが運んでくるのよ」

ひゅうっ。真紅ちゃんが振り返ると同時に、一陣の風が吹き抜けました。


◆6

「…………」

間。なんとも形容しがたい微妙な空気が流れます。

「ええっと……真紅、本気で言ってるですか?」
「当たり前でしょう。そもそも、赤ちゃんはキャベツ畑で――」
「だぁー! 解説はいらんですぅ!」

更なる語りを始めそうな彼女を、慌てて止める翠星石ちゃん。

「ほえ? でもでも真紅、それじゃあヒナの読んだ本と違うのよ」

不思議そうな顔をして言う雛苺ちゃんを見てため息をつくと、
真紅ちゃんはカバンの中から一冊の本――というより、絵本をとりだしました。

タイトルは『あかちゃんは どこからくるの?』。表紙には鳥の絵。
ずい、と雛苺ちゃんの目の前につきつけます。

「雛苺。あなたの普段読む低俗な雑誌と私のこの本、どちらが信憑性に足るかは見てすぐわかるでしょう?」

しばらく眼前の絵本を見つめていた雛苺ちゃんですが、こくんとうなずきます。

「うゆ、言われてみればそっちのほうが本当のこと書いてそうなの」
「まったく、あなた達もたまにはきちんとした読書をするべきだわ」
「あ、あはは……ですぅ」

さすがの翠星石ちゃんもリアクションに困り、苦笑いまじりの笑い声をあげるしかありません。

ガシッ。
なんだかすごい勢いで、蒼星石ちゃんが真紅ちゃんの両肩をつかみました。
その表情はひどく真剣です。

「真紅!」
「な、なに?」
「いつまでもそのままの君でいてね!」
「??」

「ま、保健の授業で恥をかかんことを祈るばかり――「ああっ!!」

翠星石ちゃんのつぶやきは、雛苺ちゃんの大声にかきけされました。

「うるせーですよ、チビ!」
「ジュンたちがいなくなっちゃったの!」
「!!」

あわてて喫茶店を見る少女たち。
桜田くんと巴ちゃんの座っていた窓際の席には――誰もいませんでした。


◆7

***

「…………」
「…………」

河沿いの柳の並木道。桜田くんと巴ちゃんは並んで歩いていました。
二人の間に会話はありません。
ですが。

(沈黙……でもなんだろ、気まずさとかは全然ない……)

隣の巴ちゃんをちらりと盗み見ます。

(柏葉も機嫌悪くなさそうだし……)

「ん? どうかした?」
「え!? いい、いや、なにも、うん」

視線に気づいたのかこちらを見た巴ちゃんに慌てて答えます。

「そう?」

桜田くんの心中を知ってか知らずか、それだけ言ってまた前を向く巴ちゃん。
心もち先ほどよりも桜田くん寄りに歩いているのは……気のせいではなさそうです。

(あれ? これってひょっとしたらひょっとしたふいんきじゃないか?)

二人の間を流れる空気にどぎまぎする桜田くん。
緊張のあまり『雰囲気』を微妙に発音し間違えています。

(手とか……つないじゃおっかな……?)

どきどき。どきどき。
二人の距離は30センチ。

(あ、でも手汗とかかいちゃうかも……気持ち悪いとか思われないかな……)

手なんかつないだ日にはさっきの喫茶店のおしぼり並みに汗をかいてしまいそうです。

(それに……)

こういうことに慣れているとは言えない桜田くん。
もしかしたら、手をつないだコーフンだけで禁則事項なものが禁則事項な現象を起こすかもしれません。

(ええい、細かいことは気にするな! 男を見せろ、さく――「桜田くん」

「ひゃ、ひゃい!?」

雑念を振り払おうと奮闘しているところにいきなり話しかけられ、すっとんきょうな声をあげました。
おまけに今の拍子に舌をかんでしまったようです。

「今日は楽しかったよ。ありがとう」
「え? あ、ああ。いいよお礼なんて。チビ達にもらった映画券で誘っただけだし」

舌にひりひりとした痛みを感じながらも、できるだけ爽やかな笑みを浮かべる桜田くん。
巴ちゃんはくす、と柔らかな笑みを浮かべました。

「うらやましいなぁ、桜田くん」
「なにが?」
「だって、そんなにみんなに好かれてるんだもの」
「チビ達のこと? あれは向こうが勝手に……」
「うん。でも、それはあの子たちが桜田くんの優しさを感じ取ってるからこそだと思う」

巴ちゃんの言葉に、桜田くんは頭をかきながら苦笑いを浮かべます。

「はは、どうだろう。溜まり場にちょうどいいから利用されてるだけって気がするけど……」

「私は好きだよ」

巴ちゃんの足が止まりました。

「……え?」
「桜田くんのそういうところ」

ぴたり。桜田くんは立ち止まって、巴ちゃんの瞳を見ます。
巴ちゃんも、桜田くんをじっと見つめます。

……一分? それとも十分? ひょっとしたらたった十秒?

ざあっ。
柳の葉が風にふかれた音が、やけに大きく聞こえました。
その音と同時に、見つめ合っていた二人はどちらともなく目を反らします。

「あ、もう駅……着いちゃったね」
「……うん」
「じゃあね。私はここで」
「ああ。じゃあ……」

こくり。
巴ちゃんは微笑んでうなずくと、そのまま構内の人ごみにまぎれていきました。

残された桜田くんの頭には。

(私は好きだよ、桜田くんのそういうところ)

先ほどの巴ちゃんの言葉が延々とリフレインしていたのでした。


◆8

ばん! 小気味いい音とともに、小さな握りこぶしがちゃぶ台にぶつかります。

「だーから! どこまで進んだんですか!? A? B? まさかのCですか!?」
「いや、それ古いよ翠星石」
「ねーねー、実際どうだったの?」
「主人として家来の動向は常に把握しておく必要があるの。答えなさい」

翌日、日曜日。「映画券? ああ、柏葉と一緒に見に行ったよ」なんて答えた桜田くんは、
少女四人の質問攻めを受けていました。

「……べつにどうもしてないって。ただ一緒に映画見て終わり」

椅子に座ってあらぬ方を眺めながら、ぼそりと答える桜田くん。

「……あら、そう。拍子抜けね」
「あー、真紅、ほっとしてるう!」
「し、してないわよ!」

ぎゃあぎゃあと言いあう真紅ちゃんたち姉妹を尻目に、わざとらしいため息をつく翠星石ちゃん。
その顔がにやけているのはなぜか……なんて聞くのは無粋です。

「くぅー、それにしてもジュンのへたれっぷりにはほとほとあきれるです。
  茶ぁしばいてるときはあんなにいいふいんきに持って行きながら、結局何もなしですかぁ~」

彼女がうっかり口を滑らせたのに蒼星石ちゃんが気づくのには、そう時間がかかりませんでした。

「す、翠星石……!」
「……あっ!」

一呼吸おいて、桜田くんが気づきます。

「茶……? なんでそこまで知ってるんだ? ……お前ら、まさか!!」

ガタリ!
桜田くんが椅子から勢いよく立ちあがるのと、少女たちが玄関へ一目散に駆け出すのは同時でした。

「や、ヤローども、ずらかるです! 作戦がばれたですよ!」
「もーう、翠星石のせいよー!」
「まったく、仕方ない子ね!」
「ええっと……ごめん、ジュンお兄ちゃん!」

「逃げるなこらぁ!!」

***

所変わってコンビニの、スタッフ控室。

ぱかり、ぱたん。
ぱかり、ぱたん。

「あーあ、アドレス聞くの忘れちゃってた……これじゃメールできないや」

つまらなそうな顔で、巴ちゃんはケータイを開いたり、閉じたりを繰り返していました。

芽生えた小さな恋のつぼみ。
それが花開くことになるのは、まだまだ先のお話になりそうです。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2010年07月15日 11:36