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◆1

しまった。
鍵を開けっぱなしで、出かけていた。

どさり。
桜田くんの両手にぶら下がっていたビニール袋が、重い音を立てて落ちました。

なぜ家の鍵をかけることを、今日に限って忘れてしまったのか。
普段なら無意識のうちにしていることなのに。
ああ、二十分前の自分を殴れるものならば殴りたい。

偶然に(と桜田くんは自分に言い聞かせていましたがどう考えても意図的に)
巴ちゃんがバイトをしている火曜日まで買い物に出かけられず、

偶然に(と桜田くんは自分に言い聞かせていましたがどう考えても意図的に)
巴ちゃんがレジ打ちをしている時間帯にコンビニへ行き、
スーパーならずっと安くすむ牛乳やらお菓子やらを買い込んできたというのに。


「やぁん、前が見えないのー!」
「きゃはは! 踊るチビ苺ですぅ!!」
「やめなよ、翠星石……」
「うるさいわね、静かにしてちょうだい」


鍵をかけていなかったせいで、こいつらの侵入を許してしまった。

――そんなわけで、桜田くんは今現在非常に後悔していたのでした。


◆2

「ああ、それにしても夏休みは最高ですね!」

くぅー、と伸びをしながら、翠星石ちゃんが感極まれりといった声をあげます。

エアコンの温度は24度。地球にやさしくだとかそんなことを言っている余裕はもはやありません。
汗だくのシャツを着替えた桜田くんが、冷蔵庫から麦茶を出しながら毒づきます。

「しっかし、お前らも毎度のごとくがん首そろえて、ヒマな連中だな」
「がんくびそろえて?」
「そろいもそろって、とかそういう意味よ」

首をかしげる雛苺ちゃんに、ちゃぶ台の上でなにやら書き物をしている真紅ちゃんが答えます。
隣の蒼星石ちゃんは、難しげな顔をして参考書とにらめっこ中。

「真紅と蒼星石は何やってんだ?」
「見ればわかるでしょう。夏休みの宿題だわ」
「うへえ、真面目なことで」
「まじめまじめー!」

笑顔で桜田くんの言葉を繰り返す雛苺ちゃんを、真紅ちゃんがきっ、とにらみつけます。

「そんなことを言っていて、知らないわよ。去年みたいに泣きを見ることになっても」
「ヒナは今年はカナと一緒にやる約束してるもーん!」

カチャカチャ、手なれた速さでテレビにゲーム機をつなぎながら、
翠星石ちゃんが手に持ったゲームのコントローラーをぶんぶん振ります。

「ジューン、ゲーム付き合えです! 2コンはおめーに任せるですよ!」
「だから僕の家にゲーム持ち込むなよ……お前は宿題いいのか? 中学なんだし、増えただろ」
「平気のへいざです! 翠星石には蒼星石という心づよーい味方がいるんですから! ねえ蒼星……」
「今年から写させてあげないからね」

ぴしり。
蒼星石ちゃんが言いはなった言葉に、翠星石ちゃんは文字通り固まりました。

「おーい、翠星石ー」

桜田くんの声にも無反応。
……そのまま、十秒ほど過ぎてから。

「ええ!? な、なんでいきなりそんなこと言いだすですか!?」
「お、フリーズ解けた」
「おじいさんの言いつけだよ。宿題くらいちゃんと自分でやらない子は、旅行には連れて行かないってさ」
「そ、そんなぁ、です……」
「旅行? お前らどこか行くのか?」

しおれた花のように一気に元気をなくしていた翠星石ちゃんが、にやり、と不敵な笑みを浮かべました。

「ふっふっふ、聞いて驚くなです!」
「おじいさん達と伊豆に行くんだ。来週から」
「あ゛っ! 翠星石が言おうと思っていたですのに!」
「へえ、伊豆ねえ」

若干渋いチョイスなのは柴崎さん老夫妻が選んだからでしょうか。

「いず? って何があるの?」
「温泉じゃないか? あと海」
「ほえー……いいなぁ、翠星石と蒼星石」

うらやましげな声をあげる雛苺ちゃん。
蒼星石ちゃんが微笑みます。

「おみやげ買ってくるから、楽しみにしててね」
「ほんと!? ありがとなの、蒼星石!」
「どういたしまして」

コホン。黙々と宿題をすすめていた真紅ちゃんが、せきばらいをしました。

「……蒼星石」
「ん? なんだい、真紅?」
「ええ、少し」

言いづらそうに、しばらく泳ぐ真紅ちゃんの真っ青な目。
それから、意を決したのか蒼星石ちゃんに向き直ります。

「その……くんくんご当地ストラップを買ってきてくれるかしら」

「「ぷっ」」

ぺちぺちっ。
吹き出した桜田くんと翠星石ちゃんを、顔を真っ赤にした真紅ちゃんのツインテールがはたきました。


◆3

目まぐるしく月日は進み、翌週。
翠星石ちゃんたち双子は旅行に出かけていて。

「…………」

カタカタ。

「…………」

カリカリ。

例によって部屋にやって来ているのは真紅ちゃんと雛苺ちゃんだけ。
桜田くんはパソコンに向き合い、真紅ちゃんは順調に宿題を消化していきます。

「うゆー……ヒマで溶けちゃいそうなのー……」

……でもどうも一人、面白くない子がいるようです。溶けはしないでしょうが。

「ねえねえ、しんくー」
「今忙しいの。あとにしてちょうだい」
「うー」

とりつく島もないとはこの事。
ドライなお姉さんの反応にしばらく黙りこんだ雛苺ちゃんですが、ふと、ひらめいた! という顔をします。
一昔前のマンガなら、頭にピーン! と電球が浮かんだりしてそうです。

「ねえねえ、ジュンー」
「なんだよ? 相手してるヒマはないんだけど」

画面から目を離してこちらを向いた桜田くんに、雛苺ちゃんは体をくねくねと動かします。
なんだかイトミミズみたいです。

「うっふん、ヒナ、体が火照っちゃったのー。ジュン、おさめてくれる?」
「知るか。そういうのはやめなさい」

再び画面に向き直った桜田くんに、雛苺ちゃんは不思議そうな顔をします。

「うゆ? 『気になるカレをふりむかせるマル秘テク:夏バージョン』が効かないの?」
「十年早いわ」

***

カタカタ、カリカリ。

それからしばらく、部屋に響く音はオノマトペだけでしたが。

「だあーっ!! ヒ・マ・な・のぉおおお!!」
「うるせええ!! そんなにヒマなら神奈川のところでも行けよ!!」

突然叫ぶ雛苺ちゃん。
耳をふさいで桜田くんが叫び返します。
真紅ちゃんは慣れているのか、涼しい顔で勉強を続行中。

「ねえジューン! ヒナたちもどこか連れて行ってよー。どこでもいいからぁー」
「そういうのはお父さんかお母さんに頼め。僕はお前らの保護者じゃないんだから」
「えーだってぇ……しんくー?」

雛苺ちゃんに話を振られた真紅ちゃんが、顔をあげます。

「今、うちにはお父様もお母様もいないの。フランスへ行っているから」
「フランス? 仕事で?」
「ええ。忙しいのよ、どこかのヒマな大学生と違ってね」

言うだけ言って再び机の上に目を落とす真紅ちゃん。

「嫌味なやつめ……。でも、それなら仕方ないな」
「ね、だからジュン、どこか連れて行ってよー!」
「イヤだ。めんどくさい」
「じゃあね、ドライブ! ヒナ、ドライブしたいの!! 海に行きたいな!」 
「人の話を聞けよ」

桜田くんのツッコミも無視して、雛苺ちゃんは両手を胸の前で組んで、目をきらきらと輝かせます。
その姿はさながら夢見る乙女。

「海に行って、それでそれで、『なんぱ』とかされちゃうの!」
「されないだろうな」
「こわーいお兄さんにからまれたりして、そしたらジュンが助けてくれちゃったりして!」
「僕は逃げるからな」
「むすばれた二人は波打ち際でおいかけっこよ!」
「一人でやってくれ」
「ね、真紅も海行きたいでしょ!?」

一通り妄想して満足したのか、真紅ちゃんに再び話を振ります。

「……まあ、たまには潮風に吹かれるのも悪くないわね」

鬼の首を取ったり。
味方を得た雛苺ちゃんは、まさにそんな顔で桜田くんを見ます。

「ほらほら、ジューン!」
「無理だ。車の免許持ってない」
「…………」
「…………」
「な、なんだよ」

「使えない家来ね、まったく」
「『げんめつ』しちゃうの……」
「あのなぁ……」

むくれ顔の雛苺ちゃんと、失望したような真紅ちゃんにじとっ、と見られ、
困ったように頭をかく桜田くん。

でも、こいつらも親にかまってもらえなくて寂しいのかもなぁ。

自分が目の前の少女と同じ年齢だったころのことを思い出します。

(僕の親も、いつもいなかったっけ……)

少しの間遠い目をしていた桜田くんでしたが、やがてはあ、と息をはきました。

「……よーし、わかった。連れて行ってやるよ、どこか」
「ほんと!?」

歓声をあげる雛苺ちゃん。

「どういう風の吹きまわしかしら。明日は雪かもしれないわね」
「姑かお前は」

可愛くない反応の真紅ちゃんですが、その声色は少し明るい響きを含んでいます。

「ジュン大好きよ! ヒナは『できる男』にはよわいの!!」
「そりゃどうも。でも、どこでも文句言うんじゃないぞ」

念を押す桜田くんに、

「うん、うん、わかったの!」

何度もうなずく雛苺ちゃんでした。


◆4

それから二日後。

ガタンゴトン、ガタンゴトン。

わくわく顔の雛苺ちゃんと、大きなリュックサックを背負った真紅ちゃんを連れた桜田くん一行は。

ガタンゴトン、ガタンゴトン。

電車にゆられて、途中でいくつか乗り継ぎをして。

「よし、到着だ」

ちょっとした旅の後に、ついに目的地に到着しました。

「ねーえジュン、ここって……」

目的地に。

「ジュンの家ね。正確には実家」

目的地……?

三人の目の前にあるのは、ごく普通の一軒家――というか、桜田家でした。
何がなんだかわかんない、という顔の雛苺ちゃんと、やっぱり冷静な真紅ちゃんに
桜田くんはうなずいてみせます。

「姉ちゃんが帰れってうるさかったからな。お前らも顔を出せてちょうどいいだろ?」

「う、うゆ、それはわかるけどぉ……」
「一般的に、殿方はこういうときレディをリゾート地やレジャー施設にエスコートすべきではなくて?」

まだ困惑顔の雛苺ちゃんと、さめた顔の真紅ちゃん。

「どこでも文句言わないって約束しただろ。ぶつぶつ言わないの」

なんだか肩すかしをくらってしまった少女二人を置いて、
チャイムを押します。
すぐにパタパタ、と家の中から足音がして。

「あらあら、みんな、おかえりなさい! 待ってたわよう!!」
「あ、のりー!!」

ひょっこり顔を出したのは丸メガネの女性、桜田のり――いわずもがな、桜田くんのお姉さんです。
ときおり妹に間違えられるようですが。

「のりー、げんきだったあ?」
「もちろん元気よお。ヒナちゃんは?」
「はなまるげんきー!」
「あらあら」

さっきまでのがっかりした顔はどこへやら、猫じゃらしにとびつく子猫のようにじゃれつく雛苺ちゃん。
のりお姉さんもそんな彼女を笑顔で受け入れます。

「真紅ちゃんも久しぶりねえ。元気にしてた?」
「ええ。そちらも変わりはないようね、のり」

真紅ちゃんとなんだか老けたやり取りを交わした後、
のりお姉さんは桜田くんにおっとりとしたその微笑みを向けました。

「おかえりなさい、ジュンくん」
「……ただいま」

なんだか気恥ずかしそうに、一言だけ返事をした桜田くんでした。

***

「……ZZZ……」

ソファにもたれて、居眠りをする女の子二人。
晩ごはんにのりお姉さん特製の花丸ハンバーグをお腹いっぱい食べたのが効いたようです。

真紅ちゃんと雛苺ちゃんは、お互いの肩によりかかって仲良く眠っていました。

「メシ食ったらすぐ寝ちゃったか。やっぱガキだな」

食卓テーブルに頬杖をついて、そんな二人をみている桜田くん。
エプロン姿ののりお姉さんが、彼の前のお皿に三つ目のハンバーグをのせます。

「ジュンくん、もっと食べなさい! どうせ一人暮らしでろくなもの食べてないんでしょう?」
「いや、さすがにもういいよ……」

うんざりとした口調で答える桜田くん。

「そう? 欲しかったらいつでも言うのよ?」
「わかってるって」

エプロンを外したのりお姉さんは、よいしょ、と桜田くんの向かいのいすに座りました。
そのまま、弟の顔をじっと見つめます。

「うふふ」
「……なんだよ、人の顔見てにやにやして。気持ち悪いな」

ぶっきらぼうに言う桜田くんに、のりお姉さんはくすり、と笑みをもらしました。

「ううん、ジュンくんって、やっぱり優しいなぁって思っただけ」
「はあ?」
「真紅ちゃんと雛苺ちゃん。今、パパとママがおうちにいないんでしょう?」
「ああ、まあ」

のりお姉さんはソファの二人を優しいまなざしで見つめたあと、再び桜田くんに視線を戻します。

「だから、この家に連れてこようって思ったんだなぁって」

桜田くんはついと目をそらしました。

「……別にそんなんじゃないよ。どこか連れてけってうるさかったから顔出すついでに連れてきただけ」
「二人にさびしい思い、させたくなかったの?」
「違うって言ってるだろ」
「いいのよぉ。お姉ちゃんにはわかるんだから」
「し、しつっこいなあ。僕、寝るから」

どこか慌てた調子で席を立ちます。

「えぇ、もう寝ちゃうの? 久しぶりに会ったんだから、もっとお話したいのに」
「話すくらいいつでもできるだろ。ガキのお守りで疲れたんだよ」
「あらあら。ベッドは掃除しておいたからね。おやすみなさい」
「……おやすみ」

バタン。少しだけ乱暴に閉められたドア。

「ふふっ」

まったく、素直じゃないんだから。
真紅ちゃん達にそっと毛布をかけながら、一人くすくす、と笑ったのりお姉さんでした。

***

まぶしい。
あふれんばかりの、真夏の日光を目に感じて雛苺ちゃんは目を覚ましました。

「うゆ……? もう朝なの?」
「おはよう、雛苺。レディとしては少し遅い起床時間ね」

隣に座って、テレビを見ているのは真紅ちゃん。
ほどいた長い金髪に、ほのかに香るいいにおい。シャワーを浴びたのでしょうか。
クーラーが心地よく効いたリビング。のりお姉さんは朝ごはんの支度をしています。

「……おはよう」

桜田くんがリビングに入ってきました。
ぼさぼさの髪に、半分ほどしか開いていない目。まだ完全には起きれていないようです。

「ジュン、ちょうどいいところへ来たわ。髪をとかしてくれるかしら」
「ええ……? それくらい自分でやれよ……」
「いいからやりなさい。これは命令よ」
「あー、わかったから顔くらい洗わせて」

なんとも覇気の無い返事を桜田くんがしたとき、

「みんなー! 朝ごはんができたわよぅー!!」

のりお姉さんの明るい声がひびきました。

***

「ごちそうさま」
「あらあら、やっぱり男の子ね。ジュンくんったら食べるのが早くなっちゃって……お姉ちゃん感激!」

いち早く朝ごはんを片づけた桜田くんに、大げさに反応するお姉さん。

「そんなことでいちいち感激するな。ちょっと用事で出かけてくるから。すぐそこまで」
「えぇー、ジュン、一緒に遊ぼうよお!」

不満げな声をあげた雛苺ちゃんに、のりお姉さんが優しく言い聞かせます。

「ヒナちゃん、まだ何日かはこっちにいるんでしょ? 今日はジュンくんの好きにさせてあげて、ね?」
「うー……でもぉ」
「ね、お願い。男の子には色々あるのよ」
「例えばどのようなことがあるの?」

パンをかじる手を止めてたずねた真紅ちゃんに、のりお姉さんは頬に指をあてて考え込みます。

「そうねぇ……ジュンくんも年頃の男の子だし、エッチなおみs」
「やかましい!!」


◆5

のぼりたての太陽を、まだ静かなセミの合唱が彩ります。
今日もいい天気になるでしょう。

「まったく……誰が地元に帰ってきてまで『エッチなおみs』に行くか」

そんな朝の住宅街を、ぶつくさ言いながら歩く影が一つ。
まあ、もちろん桜田くんです。

「いや、向こうでも行かないけど。行かないけどさ」

端から見ればずいぶん不審者ですが、幸いにも彼以外に往来に人の姿は見当たりません。

「そりゃ、僕だって男さ。行きたくないのかと言われれば……」

桜田くんの独り言が止まります。
分かれ道。

(あっちは、中学、か……)

右の道を、こころもち渋い表情で見やる桜田くん。

(まあ、僕が用があるのはこっちだ)

結局、左に進路をとりました。

***

桜田くんの目的地。
住宅街の一画に、ぽつんとそれは存在していました。

(この公園……なつかしいな)

公園……といっても、そう呼ぶのも正直微妙なサイズ。
もうしわけ程度のすべり台と、小さな鉄棒のほかには何も遊具はありません。
すみっこの木陰に一つだけ置かれた古びた青いベンチが、なんだか余計に物寂しさをかもしだしています。

そっと、ベンチを右手でなぞる桜田くん。

(ここで初めて雛苺と会ったんだっけ……あのときも夏だったよな)

座って空を見上げると、そのときのことが今でも明瞭に思い出されるのでした――


◆6

***

「しんくー! そうせいせきー!」

小さな女の子があたりを見回しながら、一人、ちょこちょこと歩いています。
年のころは4、5歳といったところでしょうか。

「すいせいせきー?」

金髪頭にピンクの大きなリボン。そして黄緑色の大きな瞳。
――間違いありません、幼い雛苺ちゃんです。いや、今も幼いのですが。

「……うゆ……」

困り果てた顔できょろきょろする雛苺ちゃん。
誰か探しているようですが、ここは閑静な住宅街。
あたりには人っ子一人いません。

「うゆ……どうしよー……」

もしかしなくても、これは迷子のよう。

「あ!」

小さな公園のベンチに誰か座っています。
キャップを目深にかぶってうつむいているので、その顔はよく見えません。
雛苺ちゃんはとてとて、と公園にむかって駆け出しました。

「す、すみませーん!」
「……?」

キャップの男の子が顔をあげました――桜田くんです。まだ中学生くらいでしょうか。
髪は染めていませんし、メガネをかけています。

でも、今の桜田くんと決定的に違うのはそのむすっとした表情。
まるで世界中の不幸を一身に背負っているかのようです。

全身全霊で不機嫌を表現している若き桜田くんに一瞬ひるんだ様子の雛苺ちゃんですが、
すぐに気を取り直して話しかけます。

「み、みちをおしえてほしいの!」
「…………」

黙ったままの桜田くん。

「ええっと、ヒナね、『えきまえのふんすい』にいってしんくたちにあいたいの。あ、しんくっていうのは……」
「……他のやつに頼んでくれ」

変声期を終えていない声。
両手をぱたぱた振りながら説明する雛苺ちゃんを気だるそうにさえぎって、
桜田くんはベンチから立ち上がりました。

「え……」
「悪いけど。そういうことだから」

ぽかんとした雛苺ちゃんをしり目に、さっさと歩いていきます。

うるうる。
今まで一生懸命我慢していたのでしょうか。
雛苺ちゃんの目に、見る見るうちに涙がたまっていきました。

「う、うゆ……ふええーん……」
「…………」

すたすた。

「ぐすっ……えぐっ…しんくぅー……」
「…………」

すたすた。

「ひっぐ……ぐすっ……」

「あー……もう、ムカツクなぁ!」

ぴたり。公園の出口で桜田くんは足を止め、振り返りました。

「おい!」

***

「噴水前って……そりゃ、駅の逆側だろ、バカ」
「う、うゆ……」

世界中どころか全宇宙の不幸を背負ったような顔の桜田くんと、
彼に遅れないように歩くのに忙しそうな雛苺ちゃん。

「なんで僕がこんなちびに道案内を……」
「ね、ねえ」
「なんだよ」
「あなたのおなまえ、おしえてほしいの」
「どうでもいいだろ、そんなもの」
「ヒナはひないちご、っていうのよ? あなたは?」
「……桜田ジュン」

かったるそうに答えた少年に、雛苺ちゃんはにっこり笑いかけました。

「じゃあ、ヒナあなたのことジュンってよぶわ!」
「……ふん。勝手にしろっ」

***

住宅街を抜けて、並木道に出ます。
駅まではもう少し。

「ねえねえ、ジュン」
「今度はなんだよ」
「ジュンは、しょうがくせい? ちゅうがくせい?」
「……中学生」
「うわあ、すごいの! じゃあじゃあ、『ちゅうがっこう』にいってるのね?」

桜田くんの横顔がこわばりました。

「……ああ」
「ヒナ、ちゅうがくせいのひとはじめてみたの! 『ちゅうがっこう』ってたのしい?」
「知るか!」

びくり。
いきなりの怒鳴り声に、雛苺ちゃんは身をすくませます。
しばらくして、桜田くんは気まずそうにそっぽを向きました。

「……いきなり大声出して悪かったよ」

「……ジュンは『がっこう』、きらいなの?」
「嫌いだ。大嫌いさ、あんなところ」

吐き捨てるように言った桜田くんを、雛苺ちゃんは不思議そうに見つめます。

「でも、しんくもすいせいせきもそーせいせきも『がっこう』をとてもたのしみにしてるわ」
「うるさいな! あんまり余計なことばっか言ってると置いていくぞ」
「あ、あう、ごめんなさい、なの」

「…………」

それからは、二人とも黙って足をすすめました。
駅の方へ行くにしたがって、徐々に増えていく人ごみ。

桜田くんの息が少し荒くなりました。
ぐい、とキャップをさらに目深にかぶります。

「どうしたの、ジュン? どこかいたいの?」

目に見えて先ほどよりも血の気が引いた顔色をしている桜田くんに、
心配そうに声をかける雛苺ちゃん。

「……なんでもない」
「ほんと?」
「ああ」
「……うそなの」

ぎゅっ。左手にやわらかな感触を感じて、桜田くんは目をやります。
雛苺ちゃんが、小さな右手でしっかりと彼の手をにぎっていました。

「だいじょうぶよ。ヒナがついてるから、だいじょうぶよ」
「…………」

桜田くんは何も答えません。
ですが、その手を振り払おうとはしませんでした。

***

「ひないちごー!」
「ちびー! 出てきやがれですーっ!」
「いや、じどうはんばいきの下にはいないでしょ、翠星石……」

所変わって、ここは雛苺ちゃんの目的地『えきまえのふんすい』。
小さな女の子三人組が、雛苺ちゃんの名前をしきりに呼んでいました。
真紅ちゃん、翠星石ちゃん、そして蒼星石ちゃんです。

「ああ、こんなにさがしてもいないなんて……わたしはおねえさんしっかくだわ……
 おとうさまとおかあさまになんていえばいいの……」

服のすそをぎゅ、とつかんで、涙声で言う真紅ちゃん。

「泣かないで、真紅。もう少し探してみよう、ね?」
「な、ないてなんかいないのだわ」

ぐしぐし、袖で両の目をこすりながら答えます。気丈なところは昔から変わらないよう。

「真紅、そーんなに気にするこたぁないです! どうせ腹がへったらかえってくるですよ!!」
「いや、ネコじゃないんだから、翠星石……」

……こちらもあんまり昔から変わっていないようです。
のんきに構えている翠星石ちゃんに蒼星石ちゃんがツッコミをいれたとき。

「しんくー!!」
「! ひないちご!?」

とてとて。桃色リボンの女の子が、走ってきました。
真紅ちゃんが飛び出して、抱きしめます。

「おめー、今までどこをほっつき歩いていたですか!」
「まったく……しんぱいかけさせないでちょうだい」
「ふふ、でもよかった、見つかって」

三者三様の対応を受けた雛苺ちゃんが、
にこにこと笑いながら後ろを指差します。

「ジュンがねー、ここまであんないしてくれたの!!」

少し離れたところから少女たちの様子を見届けていた帽子の少年が、
ぎょっとした声をあげました。

「おま、それは言うなって言っただろ……!!」

「「ジュン?」」

真紅ちゃんと蒼星石ちゃんが指差した方を見ます。

ささっ。
翠星石ちゃんが素早く二人の後ろに隠れます。

「…………」
「…………」
「うゆ? みんなどうしたの?」

桜田くんと少女たちのファースト・コンタクトが成立した瞬間でした。


◆7

***

――あれが……僕が中学二年生のときだから、5年前の話、か。

もうずいぶん前なんだなあ。
そんなことをぼうっと考えながら、ベンチに座った桜田くん(もちろん大学生です)は流れる雲を眺めます。

あの頃は全てがつまらなくって、毎日がただ何の意味もなく過ぎてて……
でも、あれからあいつらがしょっちゅう遊びに来るようになって。

(そういえば、それからだったかな……僕が復学したのは)

なんで、もう一回学校へ行こうって思ったんだったかな。

(…………)

自分の左手に目をおとします。

(ジュンならだいじょうぶよ。ヒナがついてるから)

僕が学校へ行くって言った時にも、あいつ、僕の手をにぎってそんなこと言ったっけ。

「ジュンー!」
「?」
顔をあげると、雛苺ちゃんが駆け寄ってきました。
真紅ちゃんも後ろから歩いてきます。
二人ともいつもの暑苦しそうなドレスでなく、Tシャツ姿。

「ジュン、見っけー!」
「こんなところにいたのね。一体何の用だったの?」
「ん、まあ……どうかした?」
「のりがお昼ごはんできたから探してきてって!」
「そうか。……雛苺」
「うい?」
「ありがとな」

柔らかな金髪を優しくなでます。
一瞬「?」という顔をした雛苺ちゃんですが、
すぐに「どういたしましてなの!」とにっこり笑いました。

「……はやく行くわよ」

なんだかつまらなそうな真紅ちゃん。
桜田くんは立ちあがると、彼女の頭にもそっと手を伸ばしました。
なでなで。

「真紅も。わざわざ呼びに来てくれてありがとう」
「っつ……。ま、まあ家来の管理も主人の仕事なのだわ」

雛苺ちゃんが桜田くんの顔を不思議そうに見つめます。

「ジュン、なんだかいつもよりふんわりした感じなの。なにかあったの?」
「え?……そうだな、ちょっと色々思い出しただけだよ」

「「?」」

そろってきょとんとした真紅ちゃんと雛苺ちゃんを見て微笑むと、
桜田くんは歩き出します。

「さ、帰るぞ。あんまり姉ちゃんを待たせるわけにもいかないだろ」

木々を揺らすのは、涼しい風。
まだまだ暑い日々は続きそうですが、
夏の終わりは確かにすぐそこにまで近づいてきている、そう思った桜田くんでした。


◆8

「ジューン、助けてですー!」

ああ、時の流れのなんたる無情なことか!
彼女は今まさに身をもってそれを思い知っているでしょう。

八月最後の日。大量の問題集を抱えて翠星石ちゃんがやってきました。

「予想通りというかなんというか……」
「ジュン、お願いですぅ! このとおりです!」

普段からは考えられない態度でぺこぺこ頭を下げる翠星石ちゃん。
桜田くんは頭をかきながら、しぶしぶと言います。

「しょうがないなぁ。後でなんかおごれよ?」
「さっすがジュンです! 宇宙一のイケメンです! 惚れてまうやろー! です!」
「はいはいありがとう。いいからさっさと手分けしてやるぞ」
「じゃあ、ジュンにはこれをお願いするです!」

バサリ。手渡された冊子に桜田くんが目をやると。


『へちまの観察日記』


「……いや、これは無理だろ」
「え? なんでです?」

(こいつ、わざとやってんのか?)

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