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           …一死ヲ以テ大罪ヲ謝シ奉ル。

最後の陸軍大臣・阿南惟幾は、15日未明に遺書をしたためたのち、自決した。
介錯を拒んだ上での、割腹だった。
この死の報せが広まるや、シナ・南方各地の前線の日本軍部隊から殺到していた戦争続行要請は、ぴたりと止んだ。

…ちなみに、彼が自決前に口にした、米内光政海軍大臣を斬れ…という切実な遺言は、遂に果たされることは無かった。

          …長い戦後が、この日から始まった。



          『蒼空のシュヴァリエ』 ~戦後編~



        …姉さん、これから僕はどう生きていけばいいのだろう。


       東京・青山の、焼失を免れたキリスト教墓地で…
   
『Jade Stern』と記された十字架に、焼け跡に咲いていた一輪の花を手向けた蒼星石は…途方に暮れていた。

疲れたような顔で、彼女は、自分を張り詰めていた日々の終わりから今に至るまでの事を思い出す。

3週間前、8月15日。
敗戦の玉音を聞いて数時間後、方面軍が正式にそれ以降の戦闘行動の中止を無線で厳命して、鵜来基地の全員は
やっと実感としての終戦を得た。
もちろん、終わりを迎えるためにはそれなりにすべき事がある。
それからおよそ一ヶ月、彼女達は何もせずただ呆けたように過ごしていたが、いつまでもそのままではいられない。
ある日のこと、蒼星石らは思い立って基地の無線室に保管されていた各種書類を飛行場の地面に積み上げ始めた。
無論燃やすためである。
書類であれなんであれ、自分達の側にあったものを敵に渡したくないと思う気持ちか、降伏こそしたが屈服はしない
という意思のあらわれか…
いずれにせよ、機密を破棄するために、蒼星石らは書類を積み上げた。
今は亡き通信士の二人が遺していた通信記録は膨大なものがあったが、彼らの血と汗の結晶とも言うべき通信記録は、
進駐軍の手に渡る前に煙となって空へ昇っていく。
それを万感の思いで見上げていた蒼星石が、覚悟を決めたように言った。
「烈風も焼却しよう」
たった一度飛行しただけとは言え、蒼星石の愛機だった烈風。
日本最後の意地たる新鋭機・烈風が米軍の手に落ちてしまうのに、蒼星石が耐えられないであろうことは勿論のことで、
薔薇水晶や雪華綺晶、そして戦勝国の一員たる水銀燈もそれに応じた。
人力で飛行場の真ん中に連れ出された烈風が燃料や弾薬を抜かれ、まさに
ガソリンをかけて火を放たれようとしたとき…
運悪くと言うべきか、このとき鵜来島の砂浜に、米軍のカタリナ飛行艇が…武装解除のために上陸したのだった。
上陸してきた米軍の大佐は、数名の護衛兵と日本軍の通訳を連れて飛行場にやって来た。
あらかじめ他の場所に集めていた銃器類を満足そうに見やったその大佐は、予想通り烈風に視線を向けて近づいてくる。
そして水銀燈を見て…驚愕の表情を浮かべ、彼女から捕虜になった経緯を聞き、代わりに彼女が米軍で戦死認定をされて
しまっていることを伝え、水銀燈を驚かせた。
そして大佐は、見慣れない日本軍の戦闘機を見かけるや、この機を直ちに接収すると宣言した。
暗然とした蒼星石を見た水銀燈は抵抗する。
この機は特に珍しい機体じゃない、自分が戦ってきたジョージ…紫電改の改良型に過ぎない、だから接収しないで、
パイロットであった蒼星石らの手で無力化…焼却させてほしい、と。
大佐が、傍らで黙って聞いていた日本軍の通訳…かつて海軍343航空隊の飛行長だった、桜田と知己があった志賀淑雄に
水銀燈の語った事は本当かと尋ねる。
蒼星石らが息を飲む中、司令を特攻で失ったパイロットの無念を量った志賀は、大佐の問いかけに首を縦に振った…
その甲斐あって、日米両軍の見守る中、8月9日のあの特攻作戦の唯一の目撃者であった烈風は、
蒼星石の摩ったマッチの火で燃え上がり、溶けていった。
その主だった蒼星石は、炎に包まれた烈風に敬礼し、呟いた…さようなら、僕の戦争、と。

正式に武装解除を受けた蒼星石・薔薇水晶・雪華綺晶は、そのまま鵜来島で水銀燈と別れる事となった。
「味方に殺されてたなんて、とんだ話よねぇ」
別れ際、冗談交じりに言った水銀燈の表情は、見送る側と同じく寂しそうで…
飛び去っていくカタリナ飛行艇を見送りつつ、これから先彼女と再会する事はあるまい、と蒼星石も思った。

ゴオオオ…と、東京の空を我が物顔に飛ぶ進駐軍のB-29のエンジン音に、蒼星石は我に返った。
…この数年間、色々な事があった。
今思い返せば、本当に全てがあっという間だった。
そのあっという間の時間の流れの中で、僕は人々の死を目の当たりにし…また自ら殺してきた。
姉さんの死から、全てが終わり、全てが始まった。
あの時から、僕もそれまでの自分ではいられなくなり…戦いに身を投げ出す事で、
それまでの自分を殺し、生きてきた。
…後悔はしていない。
いや、後悔どころか、むしろ…

狭い操縦席に身を沈め、轟音に震える機体を疾駆させ、空へと駆け上がる。
その両目を見開き、興奮に震える身体を抑え、敵機の姿を探し求める。
操縦桿とスロットルを握り締め、敵を照準機に捉え、引き金を引く。
機銃の生み出す振動を身体に受け、曳光弾の行く末をじっと見据える。
堕ちていく敵機の吹き出す炎と煙を眼下に、僕は…

  愉 し ん で い た

…その瞬間には。復讐もない。大義もない。ただ、愉しかった。人を殺すのが!

 そうだった、僕はどうにかして生きていたかったんだ。

 縋るものが…寂しさを忘れる何かが、欲しかっただけなんだ。

 

 生の実感が欲しかったんだ。

 姉さんの命と共に、奪われていったそれを…。
 
 姉さん、教えてよ。

 僕は、これから何をして生きていけばいいの?



…白い石で作られた十字架は、しかし何も答えはしない。




蒼星石・薔薇水晶・雪華綺晶も、水銀燈と別れたすぐ後に柴崎の漕ぐ伝馬船で鵜来島を離れた。
しばらくの間世話になった柴崎にも別れを告げ、とりあえず蒼星石は、身寄りのない双子と共に東京へと向かう。
本数の少ない汽車に昼夜揺られてやっと東京駅にたどり着いた三人。
一面の焼け野原となっていた帝都の有様を、三人はこの時始めて目の当たりにする。
戦争が始まるまではモダンそのものだった東京、洒落た洋服を来た人々が歩き、自動車や市電が道路を走り、
ビルディングが立ち並び、娯楽に溢れていたかつての大都市…
もはやその面影はなく、ほとんど手のつけられていない焼け跡の下には焼け死んだ人骨があるばかり。
東京駅の向こう側で焼け残った皇居だけが、ここが東京だったことを物語っていた。
…三人は、東京の海軍省が所有していた宿舎に住まいを見つけ、暮らし始めたのだった。

整備兵だった薔薇水晶と雪華綺晶は、近所の焼け残った鉄工所でとりあえず仕事を見つけた。
が、パイロットだった蒼星石には、当面の足しになるような仕事は見つからない。
師範学校に通っていたことを生かして教職に就けないかと考えた彼女だったが…
師範を卒業したわけでもなく、まして戦時教育を受けた蒼星石が、今の教職に就くのはほぼ不可能である。
戦闘機乗り時代に貯まっていた少なくない給与で、彼女は中古のミシンを購入して服の繕いを始め、収入源とした。
…しかし、それはあくまで当座のこと。
戦争が終わった今、蒼星石には、これからの人生をどのように生きていくか…それが見出せないでいた。

…焼き尽くされた日本中が明日の生活に苦しんでいる中、かつての戦争指導者達は事後法で裁かれたり、公職追放で
共産主義者や社会主義者など危険思想の持ち主が野放しにされたり…
すべてが、目まぐるしく変化していった。
ある日の事、蒼星石は、戦争中の飛行服で男装して東京・上野の闇市を歩いていた。
復員兵や買出しの日本人には元気がなく、進駐軍の米兵や走り回るジープだけが活気を見せている。
闇市には、どこにあったんだろうと思うほどの食料が並び、あちこちからいい匂いが漂い、疲れた人々が列を作っている。
そして…闇市の出店の裏に、蒼星石は小さなテントが並んでいるのを見た。
あのテントはなんだろう、と彼女は人気から少し離れたところにあるテントの群れに近づく。
…蒼星石は、その中から女性の嬌声が漏れるのを聞いた。
思わず足を止めて体を強張らせる。
どのテントからも、男性と女性が交わっている声が聞こえてくる。
…テントの一つから、米兵と若い日本人女性が出てきた。女性は米兵からドル札を受け取り、微笑んでいる。
蒼星石は逃げるようにその場から離れた。
パンパン、と呼ばれた日本人売春婦の哀しい姿だった。

一方、アメリカに帰国した水銀燈。
戦勝に沸く祖国の土を踏み、彼女が真っ先に向かおうとしていた場所はひとつだった。
…私の「戦死」の報せは、当然彼女の元にも届いてるわよね。
捕虜となり、連絡する術を失ったのは不可抗力だったが、それでも自分の“死”を知った親友…それも胸を患った彼女が
並みならぬ心痛に苛まれたであろうと考えた水銀燈。
決して自惚れではない。彼女は、水銀燈のことを彼が身…鏡に映った自分自身だと言ってくれた。
その言葉が、彼女の存在が、水銀燈に生きる力をくれていたのだ。
水銀燈には、既に両親もこの世に居なければ、無事を伝えたい親類も居ない。それはメグも同じ。
…一刻でも早く彼女に姿を見せなければ。
有り余った給料で、快適なタンデムのあるオートバイを購入した彼女は、軍服姿のままのその足でとある山脈へと向かう。
綺麗な空気と、エンジンの重い振動が心地よい。
やがて見えてきたのは、空気の澄み渡った山上に建つ小さな療養所。
オートバイを降り、弾む心を抑えて、水銀燈は療養所内の一室に飛び込んだ。
前に訪れた時のように、ベッドに上半身を起こし、窓からの眺めを楽しんでいるであろうメグを探した水銀燈は…
主のないベッドと、綺麗に折りたたまれたシーツとを見て、困惑した。
「メグ…?」
薄黒い不安が、水銀燈の中で、もごりと動き出す。
「誰?」
後ろから声を掛けられた彼女が振り向くと、そこには顔なじみの修道女で看護婦の真紅が居た。
水銀燈の顔を見た真紅の顔が驚愕するのが分かった。
「真紅…」
「嘘でしょう…貴女、生きて…」
ハンカチを取り出して涙を拭う真紅と抱擁を交わし、捕虜になっていた事を簡潔に語ったのちに水銀燈は問うた。
「メグは…どこ?」
真紅は涙を止めない。
「あの娘は…」
…8月の15日の事だった。
水銀燈の戦死の報せを受けて一週間もたたないうちに、メグは容態を急変させ…天に召された。
死の床で励ましの声をかける真紅に、メグは言った。
『I'm not sad…Because I'm about to go to meet my angel…』
聞いた水銀燈も、言った真紅も、しばし黙り込んでいたが…ややあって水銀燈はその場にへたり込み、がたがたと震えた。
「そんな…私が…」
「貴女のせいじゃないわ。メグは最期まで」
「私のせいよっ!!」
涙ながらに叫んだ水銀燈の声に、真紅は押し黙るしかなかった。

…真紅に連れられ、療養所の近くの見晴らし良い場所にある墓地の真新しい十字架の前に立つ水銀燈。
親友の名が刻まれたそれは、周囲の十字架とは明らかに異なっていた。
下端が長い普通の十字架ではなく、四方の全ての長さが等しいそれを、水銀燈はぼんやりと見つめていた。
「…これはメグが?」
「…ええ。普通の十字架は処刑道具だから嫌、正十字は調和の象徴だからって…」
メグらしいわ、と水銀燈は思った。初めてメグと会ったときに彼女から聞いた話を水銀燈は思い出していた。
「ごめんなさい。彼女を永らえさせることが出来なくて…」
済まなそうに言う真紅。
「いいえ…」
あのどこか不思議で…純粋な少女に、この世で生きろというのは酷過ぎたのかも知れない、と水銀燈は思った。
…メグこそが天使だったのだ。私なんかじゃなくて。

療養所を後にし、オートバイを駆る水銀燈。
急勾配と急カーブだらけの下り道を、彼女はほとんどスロットルも戻さず高速で駆け下りる。
目の端に浮かんだ涙は、すぐに後方に吹き飛ばされていく。
…私のせいで、メグは生きる気力を喪ってしまった。
…私は、大切な親友を喪ってしまった。
…もう私には、還る場所がない。
戦闘機を髣髴とさせるエンジンの轟音だけが、今の水銀燈を慰めていた。

東京。
3人がつつましくも不自由さの薄れつつある生活に慣れてきた、昭和22年の年明けすぐの事だった。
たまたま宿舎の外で掃き掃除をしていた薔薇水晶と雪華綺晶に、突然声をかけてきた女性が居た。
年のころおよそ30代、小さな乳飲み子を抱いた女性は蒼星石を探しているという。
勧められるままに部屋に上がったその女性が、やっと尋ね人と対面する。
女性の自己紹介を聞いた蒼星石…傍にいた薔薇水晶と雪華綺晶は耳を疑った。
蒼「…桜田、と仰いましたか!?」
乳飲み子を抱いたその女性…桜田のりが頷く。この頃の人々の例に漏れず、彼女の顔も憔悴しきっていた。
の「戦争中には…弟が本当にお世話になりました。貴女が弟の部隊の生き残りだと聞いて…」
雪「お姉さんが…いらっしゃったんですの…」
の「…といっても、ジュン君とはもう16年前に別れて以来会うことは叶わなかったんですけどね…。
  私が村を出て赤線で働くことになった時から…」
1929年の世界恐慌と日本政府の失態のツケを、身をもって払わされた貧しい家庭の少女達…
聞いていた3人は思わず済まなさそうな顔をした。
の「本当に…ありがとうございました。貴女達が弟の死に際を記録してくれたお陰で、軍…厚生省からきちんと
  遺族年金が出るようになって…」
蒼「いいえ!僕達こそ司令には…」
その後しばらく、蒼星石はのりに色々な話をした。
桜田ジュンに司令として世話になったこと、彼が広島で原子爆弾の洗礼を受けてしまったために特攻を決意したこと、
…そして、その死に様を。
桜田のりは、気丈にその話を聞いていたが…
蒼「そう言えば…桜田司令には許婚の方がいらっしゃいました。柏葉巴さんという、広島で教師をされていた方で…」
にわかにはっとした桜田のりが、身を乗り出すように尋ねる。弟の幼馴染の名前を、彼女は忘れていなかった。
の「…!!そうだったんですか…巴ちゃんはどうなったんです!?」
蒼「…司令は何も仰ってはいませんでしたが、恐らく彼女も原爆で亡くなったものと…」
雪「そうでなければ…あの温厚な桜田少佐が、部下には命じなかった特攻を自ら実行するはずもなかったでしょうに…」
薔「うぅ…」
4人は嗚咽を上げた。桜田のりが、今は亡き愛弟の名を涙ながらに繰り返し、それがまた他の3人の涙を誘う。
と、その場の悲哀を感じ取ったのか、のりが抱いていた乳飲み子までもが泣き声を上げ始めた。
三人はその子を見て驚いた。…明らかに白人の血が入っていたのだ。
蒼星石の視線に気づいた桜田のりが言った。
の「…進駐軍の軍人さんの誰かとの間に出来た子です。日本の女性を乱暴するアメリカ軍人がいると言うので、
  私達のような職業の女達が体を張らねばと、東京のあちこちの繁華街に立ってたんですが…」
蒼「そう…なんですか…」
の「…どうしても堕ろすことが出来なくて…。私が育てていくしか…」
「「「…」」」
の「こんな赤ん坊が、この子の他にも、東京中に…そしてたぶん、日本中にたくさんいるんです」
誰も何も言えなかった。
ただ、泣き止んだ乳飲み子が時おり何か言っているだけ。
蒼星石はその乳飲み子にそっと触れてみた。乳飲み子は、その小さな手を一生懸命に動かして、彼女の指を握る。

彼女を見つめるその幼子の、かすかに金色がかった無垢な瞳を見た蒼星石の心に、突如何がしかの変化が訪れた。
それは、まるで視界を遮るように積もっていた万年雪が何かの拍子に崩れ落ちていくようで…

…これからどう生きていくか。蒼星石は、まさにこの瞬間、その答えを幼子から天啓のように与えられた気がした。

 

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