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目が覚めると、時計の針はすでに10時を過ぎていた。

寝過ごした。
肝心な時に鳴ってくれなかった目覚まし時計を掴み寄せ、若干の恨みを込めて掛け布団の上に投げつける。
飛び起きるようにベッドから出ると、そのまま着替えにとクローゼットへと急いで……
私はそこで、今日が休日だった事を思い出した。

確かに、最近の私は休日も無く働きづめだったし、これも仕方の無い事かもしれない。
そうは思うものの、完全に崩れつつある自分の生活リズムに、ついついため息が漏れる。

せっかくの休日。
ゆっくりと二度寝というのも捨てがたいけれど、さっきの一件ですっかり目が覚めてしまった。

私は、1LDKの狭い部屋を横切りキッチンへと向かい、遅めの朝食に取り掛かる事にする。
とはいっても、昨日買ってきたパンと、昨日沸かしたコーヒーという、何ともシンプルな朝食。

科学まみれの有害食糧?コンビニ生まれのジャンクフード?好きに言わせておけばいい。
私は、特にご飯には何のこだわりも無い。何と言われても気にしない。
死なない程度の栄養と満腹感。それ以上の事を私は食事に求めてはいない。

固くなったパンと冷めたコーヒーを手に、一人暮らしの部屋には大きすぎるテーブルに着く。
そしていざ朝食を、とパンの包装をあけようとした時だった。

昨日仕事から帰ってきて、そのまま放り出していたのだろう。

テーブルの上に無造作に置かれた、水晶をあしらったヘアピン。
『桜田商事 総務課 薔薇水晶』と書かれた名刺が数枚。
それと、仕事の時に身に付けている薄紫の薔薇があしらわれた眼帯をテーブルの上に発見した。
  
「……今日は…休日……」

ボソボソしていて美味しくないパンを齧りながら、指先で視界の端へと眼帯を追いやる。
パンは食べても口の中がパサパサになるだけだし、コーヒーは風味がすっかり飛んでしまっていた。

食事というより、栄養を補給する為の行為。
そんな朝食を送っていると……
意識を集中させなければ聞き漏らしてしまいそうな足音。続いて、機械的なインターホンの音が聞こえてきた。

私の部屋を訪れる者は決して多くない。
新聞の集金か、何かのセールスか、隣の部屋に住む彼女か。
テレビは必要性を感じないので買っていない。だから、NHKの集金だって怖くない。

テーブルの上に散らばっていたパンの破片を手のひらで集めゴミ箱に捨ててから、私は玄関まで向かった。

ドアに付けられた小さな覗き穴から、外を窺ってみる。
見慣れたマンションの廊下と風景。それと、その中心で微笑む彼女が見えた。


隣の部屋に住む、私と同じ位の歳の彼女。
雪華綺晶という名前の彼女は、幼い日の事故で親と右目を失くしたと言っていた。
それ程の目に遭いながらも、彼女の微笑みは柔らかく見る者を癒してくれる。
その上、誰もが振り返る美しさと聡明さを兼ね、欠点らしきものはどこにも見当たらない。
そして……人付き合いが苦手な私にとって、唯一の友人とも呼べる存在だった。


ドアに付いたチェーンを外し鍵を開け、ドアの隙間から顔だけを出す。
「……おはよう……」
そう言ってから、朝の挨拶には遅い時間だったことを思い出した。
  
そんな時間の感覚がズレてしまっている私に、彼女は微笑みながら声をかけてきた。

「ええ。おはようございます、ばらしーちゃん。
 せっかくの休日ですし、もし良かったら一緒に昼食でも食べに行きませんこと?」

彼女の……雪華綺晶の誘いが突然なのはいつもの事。
ちょうど朝食中だったけど、ほんの一口二口しか食べてないし、お腹の余裕は十分にある。
私は頷いてから「準備する……上がって」とだけ伝え、彼女を自分の部屋まで通した。

雪華綺晶は私が開けたドアの隙間から、滑るように軽い足取りで部屋へと入ってくる。
とりあえず昨日の残りで美味しくないけれど……無いよりはマシだろう。
私は彼女の前にコーヒーを置いてから、準備の為に洗面所へと向かった。

顔を洗い、歯を磨いて、髪を梳く。
ちょっとはサッパリした顔を鏡で確認してから、私は彼女が待つリビングへと戻った。

そこには、少し齧られた跡のあるパンが入った袋を指先でぷらぷらとぶら下げている雪華綺晶の姿があった。

「全く…こんな食事ばかりしてると、せっかくのお肌が荒れちゃいますわよ?」
ため息を付きながら、妙齢の女性らしいお説教をしてくる。

彼女の食事に対する関心は、私の真逆だ。
何でも構わないと考える私と、味覚と栄養バランスに気を配っている彼女。

流石に、どちらに理があるのかハッキリしているだけに、私も素直に謝っておいた。


こうして同じ部屋に居られると、本当は雪華綺晶は私の姉なのでは、と勘違いしそうになる。
そして彼女も、そんな擬似家族のような関係を喜んでいるように感じる。
  
どこか楽しそうに私の食生活を注意してくる彼女の言葉に、私は少し心が温かくなってくる。

向けられてくる言葉の一つ一つに頷きながら……
パジャマのまま出かける訳にもいかないので、私はクローゼットの中から服を選ぶ事も忘れてない。

「この様子だと、今日のランチは美味しいお野菜が食べられる所にした方が良さそうですわね」
雪華綺晶が微笑みながらも、大げさに呆れたように首を横に振る。
その意見に異存が無い私も、しずかに頷く。

そして選んだ服に着替えようと、パジャマのボタンに指をかけた時。

今日は、どうも私が大人気の日のようだ。
けたたましく鳴る携帯電話の音が、静かに流れる私と雪華綺晶の空間に飛び込んできた。

無機質な、アラームと大差ない電子音。
出なくても職場からと分かる、それ。

せっかくの休日に電話をしてくる無粋な連中。
思わず、無視してやりたい衝動に駆られるが……
偶然にも位置が近かった雪華綺晶が私に携帯を手渡してくれたので、出ざるを得なくなってしまった。

「……今日は休日……」
電話に出るなり、開口一番そう告げる。
「それは悪かったわね。なら面倒ついでに、休日出勤なんてしてもらえないかしら」
電話の相手は、職場の上司……といっても同期の人間だが。
エリート街道をひた走っている、一番の出世頭。真紅からだった。
「……友達が来てる……」
敬語で話す必要は無いと本人に言われたので普通に話してはいるが、断りの言葉は慎重にならざるを得ない。
  
「貴方にも都合があるのは分かっているわ。でも、そうも言っていられない状況なのよ。
 ……失踪届けの出されていた女性が遺体で発見されたわ」

電話口から聞こえてきたその言葉に、私は楽しい昼食を諦める以外にないと悟った。

「……分かった……」

私は電話を持ったまま、顔の前で手を合わせて「ごめん」と雪華綺晶に仕草で伝える。
視界の端で、雪華綺晶も諦めたように首を振っているのが見えた。

「急いで頂戴」
そう、せかすような声が耳に当てたスピーカーから聞こえてくる。
私は返事の代わりに電話を切り、それから、真っ直ぐ雪華綺晶へと向き直った。

「……ごめん……晩御飯……誘うから……」
何だか申し訳ない気持ちで声まで小さくなってしまった私。

「それなら、私の部屋でにしましょう?腕によりをかけてお待ちしておりますわ」
明るく微笑みながらそう言ってくれる雪華綺晶。

本当は私と同じように残念な気持ちだろうに……
なのに、優しい言葉をかけてくれる彼女の心遣いは、とても嬉しく、少し切ない。

「商社で働くのは大変だとか。どうか無理だけはなさらないよう、ね?」
まるで私を慰めるように、彼女はそっと髪を撫でてくれる。
「ばらしーちゃんが満足するようなディナーを用意してお待ちしていますわ」
そう言うと、雪華綺晶は来た時と同様の優しい微笑を浮べながら、玄関へと向かっていった。 

ドアが閉まる音を聞いてから、私は選んだ服をクローゼットに再び眠らせる。
代わりに取り出したスーツに腕を通し、仕事用の眼帯を手に取り、私も玄関へと向かう。

ドアに鍵をかけてから、隣の扉……雪華綺晶の部屋へと、視線を向けた。

「……ごめん……」
思わず、そんな言葉が漏れる。
昼食の誘いを断った事だけじゃない。
もう一つ、私は彼女に謝りたい事があった。

商社勤務。
それは、相手との距離をはかるための嘘だった。
そう言っておけば、誰もが、何も理解していないのに納得したような表情をしてくれる。
面倒な質問や、余計な好奇心から逃げるための、ささいな嘘。

なのに、いつしか雪華綺晶は私の中でかけがえの無い友人にまでなっていた。

いったいどうして、いまさら彼女に嘘をついていたと言えるだろう。
私がそう告げたら、彼女はどんな表情を浮べるだろう。

それでも、いつかは本当の事を言おう。
でも、それは今じゃあない。

そうやって自分を誤魔化しながら過ごし、そして今日もタイミングを失ってしまった。

胸の奥に、小さな針が刺さったような罪悪感がこびり付く。
私はそんな自分の気持ちを切り替えるように、静かに目を瞑った。

『警視庁刑事部捜査一課・薔薇水晶』
それが、私の本当の肩書きだった。 


―※―※―※―※―


署の前でタクシーから降りた私は、建物へは入らずに、そのまま駐車場へと向かう。
そこで、個人所有の赤いスポーツタイプの車に乗ろうとしている真紅の姿を発見した。

「遅かったわね。先に向かおうかと思っていたところよ」

彼女は私の到着に気付き、そう言うと運転席へと体を滑り込ませる。
私も、助手席へと乗り込んでから「これでも急いだ」とだけ手短に伝えた。

「そう。
 シートベルトはしたわね。詳しくは道中で話すわ」

タイヤをスリップさせながら、やけに大きなエンジン音を響かせて真紅の車が走り始めた。

彼女の運転は荒っぽい。
普段心掛けている洗練された動作とはまるで逆だった。
シートベルトとドアに守られていても、振り落とされてしまいそうな気さえする。

私はせいぜい飛ばされないよう気をつけながら、足元に転がっていた取り付け式のパトランプに手を伸ばす。

「車に傷が付きそうで、嫌なのよね」

真紅の不満そうな呟きが聞こえてきたけれど、私はそれを無視して窓を開け、車体の天井にランプを付けた。
情緒の欠片も感じられないサイレンの音が、容赦無く私の耳を痛めつけてくる。
それは窓を完全に閉め来るまで続いた。
  
「被害者の資料よ。目を通しておいて頂戴」

そう言って、片手でハンドルを持つ真紅が私に分厚い書類封筒を差し出してきた。
私はそれを適当にパラパラとめくりながら、真紅の話に耳を傾けた。

「遺留品から、被害者はオディール・フォッセー。
 清楚な雰囲気が売りのファッション雑誌モデルよ。
 半月ほど前に失踪。一週間前に失踪届けが出されていたわ。状況からして、自殺の可能性は無さそうね。
 公私共に、乱れた点は無し。……最近のモデルでは、こういう子は珍しいんじゃあないかしら」

被害者の話を聞きながら、私は資料をめくる。
とあるページで、私の指が止まった。

貼り付けられた、オディール・フォッセーの写真。
夏に撮影されたものなのか、白いワンピースに麦わら帽子。それと白い薔薇の花束を抱えた姿だった。

何故、彼女が。
そんな事は、今となっては考えなくなってきた。
私達にできる事は、推理する事でも感傷に耽る事でもなく、現場に残されたパズルのピースを拾うだけ。

真紅から渡された資料が、最後のページまで辿り着く。
私は、再び最初のページに戻って、今度はゆっくり、一文字ずつ確認するように、ページをめくっていく。
  

オディール・フォッセー、19歳。
フランス系で、両親共に日本で働いていたが死去。
現在は都内のマンションで一人暮らし。
家族はフランスに祖母が一人。
友人は多く、そのほとんどが同じ都内の大学に通っている。
モデルとして所属していた事務所、交流関係、共に恨みを買っていたという話は無い。
金銭的なトラブルも無し。失踪当時の服装。
最後に目撃された場所……


私が資料に書かれた内容の全てを読み終える頃、車は郊外の廃教会の近くに止まった。

車から降り、立ち入り禁止のテープが張られた教会とその周囲を見渡す。
もとは計画されて植えられていたのだろうけれど、今では雑木林同然の景色。
少し離れた所に、大学病院の建物の一部が見える。
立地だけを考えると、自然公園としても使えそうな場所ではあったが……
破棄されて久しいであろう教会のせいもあり、どことなく暗く陰湿な雰囲気が漂っていた。

私が周囲を観察している間にも、真紅は制服警官に声をかけて教会の中へと入ろうとしている。
私も、余計な手間を省く意味を込めて、彼女のすぐ後ろに付いて行く事にした。

警官が持ち上げてくれた立ち入り禁止テープを潜り、二人で教会の扉の前に立つ。
扉を押すと、重々しい軋みと共に、事件現場の教会内に細い光が差すのが見えた。

同時に、廃屋独特のカビの匂いと……大量の血が放つ死の匂いが私の鼻腔に張り付いた。

漂う臭気に、気分が悪くなる。
胃液が胸元まで込み上げてくる。
鼓動が、心臓が、激しく脈打つ。
目の奥が焦げるように熱い。 
胃は脈打つように暴れたままだし、耳鳴りもする。

私は教会内で淀んでいた空気から逃げるように、一歩後ずさる。
地面が揺れているような感覚に襲われる。
指先が震える。
自分自身の異変を悟られないよう、呼吸を浅くしながら辛うじて立っているだけの状態。
まるで遠隔操作でもされているみたいに感覚の遠い自分の手を動かす。
ポケットに手を入れ、眼帯を取り出す。


「どうしたの薔薇水晶。先に行くわよ」

そう言い真紅が私へと視線を向けてきた時、すでに私の左目は眼帯で覆われていた。

「……すぐに行く……」

そう答えた私には、もう体の震えも恐怖感も無い。
眼帯で自分の弱さを覆い隠し、私は事件現場の教会の中へと足を踏み入れた。


―※―※―※―※―

  
真紅の計らいで、本来なら休日だった私は面倒な報告書から解放された。
その代わりに、明日も明後日も、これからしばらく休みは無くなりそう。

家に帰り時計を見ると、針は6時を半分過ぎた所だった。

せっかくの休日がこれで終わりかと思うと、何とも言えない気分になってくる。
それでも、恐らく今日は署に泊まる事になるであろう真紅と比べると、随分とマシ。

私は左目の眼帯を外して、今朝と同じ位置……テーブルの上に放り投げてから、再び時計へと視線を向けた。
雪華綺晶と約束した晩御飯までは、まだ時間にも余裕がある。
私は着ていた服を脱ぎ、シャワーを浴びる事にした。

シャツや下着を洗濯籠に放り込み、お湯の設定をいつもより二度高くする。

蛇口をひねり、水がお湯に変わるのを待ち……それから、熱めのシャワーを頭から浴びた。

皮膚がピリピリするような熱さが気持ち良い。
体温が上がり赤くなりはじめる自分の肌を見るのも心地良い。
2本の足で立ったまま、全身の力を抜き、首を持ち上げ、シャワーを顔で受け止める。
しばらく……いや、ずっとこうしていたいとさえ思えた。

でも、私は魚でもなければイルカでも人魚でもないのだから、指先だってふやけてくる。
何だかしなびたミカンみたいになった自分の指を見て、私はシャワーを止めた。

肌の上で珠のようになっている水滴をタオルに吸わせるように拭き取り、ドライヤーで髪を乾かす。

一糸纏わぬ姿で洗面所に立つ私。
鏡に映ったその姿は、少し痩せすぎにも思えた。

やっぱり、雪華綺晶みたいに私も食生活に気を配った方が良いのかも知れない。 

何度目かの反省と、それでも変わらない身に染み付いた習慣。
結局私は、雪華綺晶と食べる約束をしている今夜の晩御飯に望みを繋げる事にした。

まだ乾ききってない髪のまま、私は部屋に戻りクローゼットの中を覗く。
どんな服を着ていこう。
不思議な事に、昼に外食を予定していた時より、彼女の部屋に行く服を選ぶほうがずっと難しい。

あんまりちゃんとした格好というのも変だし、部屋着みたいなのも嫌。
私はちょっと悩んでから……結局、ジーンズにシャツと上着という、近所に買い物に行く程度の服を選んだ。

着替えが終り準備も万端。時計を見ると、針は7時を過ぎたあたり。
きっと雪華綺晶も晩御飯の準備もクライマックスを迎えているだろう。

隣の部屋なのだから、今すぐに出れば一緒に準備が出来るかもしれない。

そうは思ったけど、私が向かったのは玄関ではなくベッドの上。
髪に変な癖がつかないように気をつけながら、コロンと寝転がる。

染み一つ無い天井を眺めながら、私は時間が流れるのを待つ事にした。

きっと今頃、雪華綺晶はキッチンで二人分にしては多いご飯をテーブルに並べているのだろう。
それを想像すると、何だか家族が出来たみたいな幸福感が胸に広がる。

私が手伝いに来なかった事を彼女は怒るだろうか。それとも、いつものように微笑んで許してくれるのだろうか。
どちらの光景を想像してみても、私の心には穏やかさだけが広がる。

天井を眺めながら感じるのは、姉に甘えている妹のような気分。

秒針が進む音を聞きながら、私は時間が流れるのを待っていた。 





 

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