【薔薇水晶とジュン】しあわせなはなし。後編
――ある、一方的な会話。
『ねえ、薔薇水晶』
…………。
『ジュンは、貴方の事も、私の事も想ってくれてる。あは、どちらかといえば、貴方の方が上なんだろうなぁ。ちょっと、悔しい』
…………。
『そんなに、気持ち良さそうに眠っちゃってさ。ズルイなぁ。私は、いつも一緒に居たのに。私とは、一緒に居てくれないんだ?』
…………。
『うん、ごめん。判ってる。私のためだよね。私は、自分の恋心に――違うか。私の、双子の姉妹に助けられたんだよね。……あはは、あのままだったら、きっ
と私、薔薇水晶のことを殺しちゃったかもしれない』
…………。
『それは、何てひどいんだろうね。私は、ひどい。やっとわかったよ。愛するということ。幸せということ。人を、想うということ。それを、薔薇水晶とジュンは教え
てくれた』
…………。
『だから、ねえ、私は、貴方に返すよ、薔薇水晶。……あは、大丈夫。ちょっと寂しいけど、私、後悔しない自信があるの。貴方だから、大丈夫なの』
…………。
『ね、愛しい薔薇水晶。私は、ジュンが大好きだよ? 貴方は、どうなのかな――』
…………………………………………………ジュ、…………ン………。
雨はまだ降り続いていた。それは、暗雲。まるで、この世界を現す鏡のようで。誰もの心を暗くする。
「…………」
それは、真紅ですら例外でなかった。雨。それだけで、憂鬱になる。今まで、そんなことを感じたことはなかったけど。
――ジュンは、眠った。暴れて、暴れて、暴れて眠った。ジュンは、真紅と水銀燈のことさえ、わからなかった。
それは、ジュンの想いが強い証拠でもある。しかし、だから何だと言うのだ。真紅は、苛立つ。
強い想いがあれば、皆が幸せになれる――そんなのは嘘だ。それこそ、夢物語としたっていい。どんなに想っていても、叶わない想いだってある。想いすぎ
て、壊れてしまうことだってある。その世界を、自分たちは生きている。
そして、ジュンは幸せになれるはずだったのだ。いや、なってもらわなければ、困る。
「……あらぁ、真紅。ずっと居たの?」
「ええ、こんなのでも、一応は下僕だもの」
といっても、最近はジュンと二人で過ごした記憶など、皆無だった。ジュンの横には、いつも薔薇水晶が居たから。
それを見て、自分は何を想ったのだろう、と真紅は回想する。それは、嫉妬だろうか。素直になれない、自分。その想いを、ちゃんと伝えられる薔薇水晶に
、嫉妬を覚えたのだろうか。
「何を考えているのか知らないけど……」
「何?」
「薔薇水晶とジュンはね、幸せそのものなの。それは、二人が、という意味じゃなくて。周りの人間だって、幸せにできる、本当の幸せ」
「――ああ、なるほど」
確かに、そうなのかもしれない。真紅は、水銀燈とジュンが付き合っていたときのような、醜い嫉妬の感情は覚えなかった。ただ、心から祝福できた。
「だから、後は貴方に任せるわ、真紅」
「は?」
「ジュンのことよぉ。私の役目じゃないわ」
「何を言っているの?」
「あはは、真紅ったらおバカさぁん。そんなのもわからないの?」
いつもの水銀燈。だけど、それはどこか寂しそうに見えて。
「……私じゃあ、ジュンを慰めることができても、立ち直らせることなんて、出来ないのよ。私は、それこそ雪華綺晶が言ったように、一つになって、堕ちちゃう」
「そんなことないわ。今の貴方なら、きっと――」
「そういうの抜きにしてもね? 真紅、ジュンを立ち直らせるのは、貴方の役目でしょう?」
水銀燈は、自分のその論を何も疑っていないようだった。ジュンを助けることが出来るのは真紅。だって、真紅。貴方は、私を助けてくれたでしょう?
「……ああ、そう。そうね。いいわ。私の下僕だもの。そのくらいしてやるのが、主人の務めというものね」
「そうそう。そのくらいで、ちょうどいいのよ。――ジュンを、よろしくねぇ」
そう言い、水銀燈は部屋から出て行く。背中からは、どんな顔をしているのか、わからなかった。
「さて――」
真紅は、ジュンに向き直る。そして、言うのだ。まだ、自分たちが主人と従者、なんていう、ちょっと変わった絆で結ばれていた頃のように。
今だって、その絆があると、信じている。それよりも強い絆があっただけで。……ダメだ。今、それを想うな。今は、ただジュンのために、凛々しい主人であれ。
「こら! いつまで眠っているの!」
「え、うわ、……!?」
「ジュン、貴方、いつまで眠っているのかしら? 私は、そんな軟弱な下僕を持った覚えはないわ」
「しん、く……? ここは、」
ジュンは、頭を押さえる。何か、悲しいものを思い出しそうだった。それは、それは、――忘れもしない、彼女の想い出。
「――そうだ! 彼女は!」
「黙りなさい!」
真紅は一喝する。ジュンを想って。
「貴方、そんな腑抜けた顔して、お姫様に逢いに行くの?」
「お姫様?」
「そうよ。彼女は、ヒロインよ。貴方たちの物語のヒロイン。そして、彼女がお姫様ならば、貴方は王子様」
本当は、自分の王子様であってほしかったけど――それは、言葉にはしない。しなくても、いいことだから。
「いいこと、ジュン。一つだけ教えてあげるわ。お姫様はね、どんなことがあっても、どんなことがあってもよ? ――王子様を、望むものなの。だって、それが“幸せ”なんだもの」
だって、それが運命だから。自分の、唯一。幸せを、くれる人。幸せを、あげる人。大好きな、人。
お城の中で一人だったお姫様は、ずっと、一度だけ出逢うことが出来た王子様を想い、
一人ぼっちだと泣いていたお姫様は、孤独を優しく包み込んでくれる王子様と過ごし、
そして、その二人の王子様は――
「……なあ、真紅」
「何?」
「まだ、間に合うかな?」
ジュンは、聞く。それは、意志のこもった声。揺るがない、意志。
「違うわ。間に合わせなさい。私の下僕でしょう」
それに応えるように、真紅は笑う。もう、大丈夫だ。もう、いつものジュンだから。決して言葉にはしないけど、自分の、一番信頼している人。
「ありがとう」
ジュンは、それだけ言って、走り出した。力強く。それは、風よりも早く、彼女のもとに辿り着けるように。
「…………」
「あはは、あれでよかったのぉ?」
「水銀燈……っ。見てたの?」
「あら、顔真っ赤にして。別に、そこまで恥ずかしがるようなことじゃないと思うけど」
くすくす、とおかしそうに水銀燈はおかしそうに笑った。
「でもまあ、流石よね。上出来よ」
「当たり前なのだわ。私の下僕は、そんなに弱くない」
「私の王子様、でしょう?」
「――――っ」
「だから、今さらでしょうに。……私の前でくらい、隠さなくてもいいのよぉ?」
「…………」
はあ、と一息。
「そうね、そうかもしれない」
真紅は、続ける。
「ホントは、ずっと好きだったわ、ジュンのこと。雪華綺晶に言われた、縛り付けるだけでは、決して愛されない。あの言葉は、正直、泣きそうになったわ」
「ええ、それで?」
水銀燈は、静かに待つ。それは、真紅が自分にしてくれたように。
「……でも、ダメなのね。きっと私は、どこかで間違ってしまった」
真紅は、想う。どこで間違えたのか。どこで、手を離してしまったのか。ずっと、一緒に居て欲しかった。隣で、笑っていて欲しかった。
「真紅」
「何かしら」
「泣いてもいいわよ?」
「……そういうことを、言わないで欲しいものだわ」
そして、真紅は涙を流す。始まっても居なかった恋心のために。そして、何より。自分の王子様の、幸せのために――。
「薔薇水晶! 雪華綺晶!」
ジュンは、走っていた。何も気にせず。ただ、彼女たちのことだけを考えて。
「どこだ……っ」
もどかしい。今すぐにでも、逢いたいのに。逢って、声を聞いて、抱きしめて、キスをしたい。どちらかではなく、二人に。
自分が、どちらを好きなのか。そんなの、もう関係なかった。ただ、ジュンは、彼女たちに逢いたいと想った。それだけが、真実。
王子様は、お姫様に逢わなければならない。幸せのため。でも、幸せとは何だろう、とジュンは想う。
『――しあわせ?』
いつだったか、彼女に聞かれたこと。幸せとは、何か。あの時、自分は笑顔があるから幸せがあると答えた。
それは違うのだ。本当の幸せとは、隣に居るだけで、充分なのだ。隣に居て、笑いあって、たまに喧嘩して、もしかしたら泣いてしまうかもしれない。
それだって、幸せ。でもそれは、隣に居るから出来ること。きっと、通じているから。二人は、分かり合えているから、言葉はいらない。
――ジュンは、そんな日々を過ごしてきた。彼女と、二人で。
「だから、ダメなんだ……!」
欠けてはいけない。隣に、彼女が居なくなったら。ああ、なんて世界はつまらないものに成り下がるのか。
想像するだけで、絶望してしまいそう。それは、何よりも恐ろしかった。……きっと、真紅が居なかったら、それに飲み込まれてしまっていたほど。
「僕は、僕は――」
きっと届く。そんなことを、思ったわけじゃない。だけど、言わなければ気が狂いそうだった。彼女のことを、想いすぎて。
「――僕は、君のことを、愛しているから!」
――彼女は、夢を見ていた。夢のような日々を。
「ジュンっ」
王子様と過ごす日々のかけら。いくつもいくつもあって、きっと両手で抱えきれないくらい。そのどれもで、自分は輝いていた。
「ジュン、あのね、」
甘い甘いひと時。キスをした。抱きしめあった。愛を確かめた。思い返すだけで、頬が緩んでしまう。
「私は、ジュンのことを――」
これで、充分。私はきっと、大丈夫。ジュンの優しさとか、ジュンが愛してくれた記憶とか、ジュンの想いとか――。それで、きっと、大丈夫。
「ジュンのことを、誰よりも愛しています」
だから、流れる涙は嘘。私は、貴方のことを、いつまでも想っていられるのだから。何も、悲しいことなんて、ない。
――私は、幸せでした。
――そして王子様は辿り着いた。お姫様の、居る場所に。
「あ……」
それは、なんて幻想的だったのだろう。気付けば雨があがっていて、その空間だけ別世界の色を見せる。差し込んでくる光すら、この世界のために用意されたもののよう。
そして、そんな世界の、中心に――
「――――」
彼女は、居た。
眠っている。ジュンは、想う。自分は王子様。そして、眠っている彼女はお姫様。ねえ、だったら、王子様が、することは、たったひとつでしょう?
「…………」
ジュンは一歩一歩、ゆっくり歩いていく。きっと、今なら伝わる。いつも伝わってきた。自分の愛しい気持ち。彼女を想う心。
それは、いつも、キスをすれば伝わっていた。
そしてジュンは彼女のもとに辿り着く。ジュンは、何も言わない。言う必要がなかった。今までの、全ての葛藤が、彼女を見たら消える。それだけだ。運命。つまり、そういうことだった。
「――“ ”」
そう、ジュンが呼んだ名前は、どっちのものだっただろう。
そして、王子様は、眠っているお姫様にキスをして――
「――私は、幸せでした」
『ダーメ』
「……え?」
声がした。どこからか、とても優しい声が。
『あはは、そんなの、誰もが許さない結末だよ』
「だれ……?」
私は、ここで朽ちていくのに。誰にも気付かれず、誰にも忘れられて、ここで、一人、消えていくのに。
『……そーいうのは、私の役割だよ。やっと見つけた幸せを、手放しては、いけない』
その声は、いつも聞いている声だった。でも、誰の声だったか思い出せない。
『さあ、目を覚まして、愛しい貴方。大丈夫。心配しないで。目を覚ませば、――そう、王子様が、待っているから』
「おうじ、さま?」
王子様。王子様。……何か、引っかかる。大事な、何か。
『そうだよ。優しい、私のことが大好きで、それ以上に貴方のことが大好きな王子様』
「……ねえ、おうじさまは、しあわせをくれる?」
『――あは、もちろん。私は、しあわせだったよ?』
その声は、本当に幸せそうで――何故か、涙が出た。
『さあ、本当に行きなさい。ここは、暗くて冷たい場所。貴方の居るべき場所は、ここではないから――』
その声を合図とし、彼女は意識が消えていくのを感じた。
「――まって。でも、まって!」
彼女は必死に言う。まだ、貴方が誰かわかってないから。貴方のことを、思い出していないから。
『……え? 私? あはは、そんなの簡単だよ』
そして、彼女の意識は。
『鏡を見れば、私が居るよ』
その微笑と共に、消えた。
――そして、眠り姫は目を覚ます。
――キスをして、一体どれだけの時間が経っただろう。それは永遠のようにも思えるし、ほんの一瞬のことのようにだって思える。
ただ、愛しかった。この時間すら、ジュンにとっては愛しいものだった。
しかし、時間は有限だった。……二人の、唇が離れる。
「……ねえ、薔薇水晶」
これは、何の物語だろうか。誰かが言っていた。幸せな物語。【薔薇水晶とジュン】の物語は、幸せなものなのだ、と。
「……ジュン?」
――そして、お姫様が目を覚ました時。
「愛してるよ」
「――うん、私も、愛している」
この物語は、確かに“しあわせのはなし”となる。言葉なんて要らない。ただ、二人のキスと共に。
エピローグ【薔薇水晶と、ジュンと、そして――】
幸せな時間が流れていた。
「……ねえ、夢じゃないよね?」
「当たり前だ。もう、離さないから」
いつもよりも強い抱擁。いつもよりも伝わる鼓動。そして、何よりも信じられる、想い。
「あ、あのね、私ねっ」
「うん」
「ホントは、イヤだったんだ。怖かった。ジュンのことを思うと、ぼろぼろ泣いて」
「うん」
「だけど、だけど、雪華綺晶が大事で。ジュンと逢わせてくれた人だから。雪華綺晶が、幸せにならないのって、すごくイヤでっ」
「うん」
「だから、私逃げたんだ。どうしたらいいのかわからなくて。ジュンのそばに居たら、私、雪華綺晶を幸せにできないから」
「うん」
「……でも、それでもジュンは見つけてくれるんだね。もう二度と逢えないって諦めていた私を、見つけてくれるんだね。いつもと変わらず、起こしてくれるんだね」
「――だって、薔薇水晶が好きだから」
それだけなんだ。ようは、それだけ。好きだから。ジュンを動かす力。好きという、その気持ち。それは、尊いものだ。その先に、必ず幸せがある、尊い想い。
「私も、大好きだよぉ……っ」
そして彼女は涙を流す。信じられないくらいの幸福に。信じられないくらいの想いに。――目の前に居る人に、ただ感謝して。
「ちょっと、待った。誰か忘れてない?」
「え?」
「……あー、もしかして?」
ぽかん、と、薔薇水晶は自分の口から出た言葉を不思議に思い、ジュンは期待を隠せない表情を見せた。
「何さ何さ、二人してらぶらぶいちゃいちゃしてさ! 私のこと忘れてたでしょう?」
「え、嘘、何これー!?」
そりゃあ、薔薇水晶だって慌てる。自分が喋ってないのに、自分の口から言葉が出るのだ。まるで、自分の中にもう一人誰かが居るみたいに。
「――おかえり、雪華綺晶」
そんな彼女たちを見ながら、ジュンはそう言った。
「うん、ただいまっ、ジュンっ」
そして彼女――雪華綺晶は、ジュンに抱きつく。やっと。彼女の、ずっと描いていた世界。それは、【薔薇水晶と、ジュンと、雪華綺晶】という物語。
――これから始まる、幸せな物語の名前。
fin