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 届きそうで届かない、絶対的距離。やっぱり彼女は雲の上の人だと改めて思う、卒業式3日前。

 3学期は一月末で終わり、二月からは完全に家庭学習日――名目だけで結局は休みと変わらない――となり、卒業の二文字が大きく迫ってくるのをひしひしと感じる時間になるのだ。
 僕はあっという間に過ぎ去った学生生活にノスタルジアをおぼえることもなく、そして縋る思い出もなく。

「そういえばジュンくん、お隣の水銀燈ちゃんも同じ大学なんだってね!」
「……。へえ」
 水銀燈、果てしなく昔に感じる幼い頃はお隣同士、幼馴染みで仲が良かった女の子だった。
 それが今となっては顔を合わせても何の言葉もない、挨拶も無い、ただの隣人で厄介なクラスメートと成り果てた。厄介と思っていたのは僕よりも向こうの方が大きいかもしれないけれど。
 高校2年のとき彼女は全校の政権を握る生徒会長になり、あまりに強大なカリスマ性とその美貌で瞬く間に、そう、雲の上の人になってしまった。
 平凡にも平凡な僕たち――大半のクラスメートも――は、話しかけることもできない、ただの地上の人間。わざわざ雲の上まで駆け上って話そうとはしなかった2年生の冬だった。
 無敵すぎる彼女に対してうっすらと恋愛感情を抱き始めたのは確か、3年のはじめだったように思う。
 進路のことで担任と揉めた僕はむしゃくしゃしながら屋上に上がり、フェンスをよじ上ってやろうとしていた。スーサイドアクトと捉えられて咎められてもいい、そう思う程あの時は若かった。
 普段は誰もいない冷たい屋上の空間にぽつんと立っていた一人。一番雲に近づける空間に彼女はいた。
 あぁ、と僕は息を呑み、頷いた。
 雲で少し欠けた中途半端な夕日に照らされた彼女の姿は、紛れも無く僕と同じ“地上の人間”だった。
 絶対的な距離に飛んで行った幼馴染みがこれほどまでに美しく、切なく寂し気に佇んでいる。
 きっと恋をしなければいけない状況。目をそらすことが出来ない姿。
 だから僕は彼女に叶わぬ想いを抱いたのだと。曖昧になりゆく思い出の中で、それだけははっきりと思い出した。
 まだ忘れてはいけない、曖昧にしてはいけない思い出がある。 

 卒業式2日前。
 水銀燈が好きだという気持ちは誰にも明かさず、毎日の数学をこなしていた。所詮、告白したところで返り討ちに遭うのはわかっている。
 噂では付き合っている人がいる、なんてことも耳にして、まあそれで彼女が幸せならいいと冷めた意識で思っていた。
 それから何の進展も、大したことも起きず、時間は流れていき。
 涼風に揺れる銀髪、チェックのマフラーに埋もれる銀髪に見蕩れる日々もあさってでサヨナラ――

 卒業式当日。
 誰かが吐き出した憂いと溜息が固まって出来たような厚い黒雲が空を覆っている今日の天気。
 教室では花を胸につけた卒業生たちがこんな日に卒業するのは縁起が悪いだの、不幸だのと呟いていた。
 水銀燈は相変わらず沢山の人に囲まれて談笑しているようだった。雲の上の人はいつまでたっても雲の上なのだ。
 卒業式は滞りなく行われ、最後のホームルームもあっけなく終了し、たった3年間という短い高校生活は終結した

 遅くまで残る理由もない僕は卒業証書とアルバムを鞄にしまい込み、もう二度と来ることの無い教室を出ようとしたとき。
「桜田、くん」
 久々に名前を呼ばれた気がした。その声はあの水銀燈、正直驚きを隠せなかったのが本心だ。
「ちょっと残っといてくれる?」
 今まで見たことの無い、優しく柔らかな表情をたたえる彼女に僕は少し詰まりながら、わかったと返事をした。
 何か変なことでも、気に障ることでもやらかしたか僕は。
 待つこと20分ほど。
 教室の端に座っていた僕のところへ彼女の方から近づいて来た。
 いや、殴られるのだけは御免だ……と失礼なことを考えつつ目を瞑っていた。
「貴方とこうして話をするの、何時ぶりぐらいかしらね」
 殴られはしなかった。
「卒業式になって3年振りに話すなんて。大学も同じなのに……。そんな幼馴染みって笑っちゃうわよ」
「ああ」
 ぎこちない会話、というより応答。彼女は呆れた様に溜息をつく。
「貴方っていつもそうよね」
「何が?」
「会話してても全然楽しくないって表情浮かべてるもの」
「癖なんだよ。友達でも友達じゃない奴も、幼馴染みでも」
 これ以上彼女と居るとすべての痛覚が麻痺しそうだった。
 やけに胸をしめつけられる恋の痛覚の麻痺には耐えられそうにない。

「面倒だ。全部言ってやる」
 明かすつもりは毛頭なかった彼女に対する気持ちを今ここで、ぶちまけてやる。
「水銀燈、僕は君のことが好きだった。でもそれはすべて過去だ」
 すべて、すべて――忘れてしまおう――
「全部、忘れる。所詮、地上の人間は雲上に恋をしても無駄だからな」
 途端、彼女は表情をゆがめて僕を睨んできた。赤色の瞳がきらきらと輝いている。
「……っとに嫌な人」
 返す言葉も無い。
「私は雲の上には居ない、貴方やみんなと同じ地上の一人の人間なのに。もう……嫌ぁ」
 一粒、二粒、涙の雫が彼女の透き通る白い頬を伝って落ちていく。
「好きなのももう、過去形なんでしょう?」
 過去形にしてしまおう、絶対的な距離にそうせざるを得ないのだ。
 そう考えていたのだけれど、間違いなのか。
「君が好きでいいと言うなら、僕はずっと好きでいる」
「何なのよもう……」
 彼女はふらふらと立ち上がって僕に抱きついた。不意打ちはだめだ、不意打ちは!
「一生これからずっとずっと私のこと好きでいなさい」
 これまた不思議な言葉ではあったが、僕は言われるがままに頷き、抱きしめ返した。
 薄荷の匂いが漂う空気の中でしたキスは、彼女の涙のせいで少ししょっぱかった。
 それにしても、と。彼女が天空の城の住人になる前に引き止めることができて本当によかったと思う。

 届きそうで届かない、絶対的距離。
 僕はノスタルジックに浸りながら彼女の帰りを待っている。
 そろそろ一生離れられない証を渡そう。
 細くしなやかに伸びた左薬指に光る、愛の証を。

  終わり

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