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薄暮の鵜来基地に日が昇り、8月9日の朝が訪れる。
飛行場脇に広がる林の中から、短い命を惜しむように鳴くセミの声が聞こえる。
無線室の仮寝床の布団の上で、水銀燈はまんじりと眠れぬ夜の疲れを感じていた。
その両脇には、泣き疲れて彼女にもたれかかるように眠る薔薇水晶と雪華綺晶がいる。
…これから、どうなるのかしら。
捕虜になったばかりというのに、当の日本軍基地からは隊司令以下のカミカゼ出撃があり、
それを追うように…蒼星石までもがいってしまった。
彼らの辿るであろう運命…VT信管の対空砲火に遮られて太平洋の藻屑と消える…を、水銀燈は
米軍の一員として喜びは…しなかった。
彼らとは、とりわけ桜田という名の若い将校ともっと話がしたかった。
蒼星石もそうだ。かつては男と思い込んでいた可憐なパイロットとも…親交を深めたかった。
…どうして、私の想いはいつも…。
と、水銀燈は、一度だけ耳にした飛行機のエンジン音の遠い轟きを今再び聞いた。
「…!ちょっと!貴女達、起きなさぁい!」
彼女は両脇に抱えている双子の乙女を揺り起こす。
やがてもぞもぞと動き出し、眼をこすって起き上がった二人も…
薔「…この音!」
雪「ええ…間違いないですわ!」
一瞬のうちに生気を取り戻した二人は、足取りのおぼつかない水銀燈を伴い、明るくなった地上へ出た。
…昨日この基地に配備されたばかりの新型機が、フラップとタイヤを出して着陸するところだった。
銀「蒼星石!」
華麗な三点着陸を決めて速度を下げつつ地面を走る烈風戦闘機のもとに、我を忘れた三人は駆ける。
完全に停止した烈風の風防を開けて降りてくる蒼星石に、真っ先に双子が抱きついた。
雪「もう!何処へ行ってたんですの!心配ばかり…かけて…」
薔「うう、戻ってきてくれて良かったよう…」
幾分疲れた様子が見える蒼星石だったが、その胸の中でまた泣き出した二人をあやすように答えた。
蒼「ごめんね…二人とも。急に飛んでいってしまって…」
遅れてやってきた水銀燈を見つけた蒼星石は、疲労と申し訳なさが入り混じったような笑顔を向ける。
銀「ほんと、貴女っておばかさぁん…」
二人は手を握り合った。
ややあって、蒼星石が口を開く。
蒼「…僕が昨夜出撃したのは他でもない、桜田司令達の最期を見届けようと…したんだ」
彼女は、『キティホーク』が炎を吹き上げて海に飲まれていく様を思い浮かべつつ言った。
それを聞いた三人の顔が曇る。蒼星石は帰って来たが、彼らは永遠に還らないのだ。
雪「…それで、司令達は…?」
沈黙を破る雪華綺晶。
蒼「司令達は…、敵…米軍第58機動部隊に突入した」
蒼星石が言い換えたのは、むろん水銀燈に対する配慮だった。
桜田らが現実に“特攻”を行ったことを、聞いていた三人は改めて認識する。
とりわけ水銀燈は、彼らが機動部隊の対空砲火を突破できたことにひどく驚いていた。
蒼「司令達は、爆撃をおこなったのちに空母の一つに胴体着陸、艦内に突入…したんだ。
  結果…正規空母4が小破浸水、正規空母1が…轟沈した」
「「「…!!」」」
ここにいる誰もが、現実にそれを眼にした蒼星石も含めて、その戦果に…桜田達の死の代償に、驚愕した。
薔薇水晶と雪華綺晶は、悲しみの影に内心湧き上がる快哉のようなものがあったものの…やはり水銀燈の
ことがあり、表には出さなかった。
戦争とは、そもそもそれ自体、狂気の下に行われる悪業に過ぎないのだ。
その名の下に行われる殺し合いの現場では、適用されるべき国際法も人道も、一発で簡単に吹き飛ばされ得るのである。
敵であろうと、はたまた味方であろうと、その両者に平等なのは…恐れを伴う死、のみだ。死は国籍を選ばない。
その場にいた全員は、数時間前に散っていった生命を想い、その魂の安らかならん事をしばし祈った。

時が少し経ち、数時間後。
九州上空に侵入したB-29「ボックスカー」は、数日前にヒロシマを死滅させたものと同じ原子爆弾を抱き、
北九州・コクラを狙って爆撃進路に入った。
しかし、前日のヤハタ空襲による火災の煙と折からの靄で、「ボックスカー」は3度も投下をしくじった挙句、
コクラを諦め、第二目標とされたナガサキへと向かった。
原子爆弾投下はあくまで目視にて行え。こう厳命されていた「ボックスカー」だったが、彼らにとっては運の
悪い事に、ナガサキ上空もすでに暑い雲に覆われていた。
悪い事はさらに続いていた。燃料が尽きかけていたのである。これでは予定のテニアンへは帰れない。
既に占領下にあったオキナワの飛行場に帰還することすら危うく、重い爆弾と心中する可能性すら出てきた。
命令違反を覚悟で、「ボックスカー」がレーダー使用下で投下を行おうとしたその時。
彼らの眼下に、雲の切れ間から一瞬だけナガサキ市街が現れた。
…B-29「ボックスカー」は、大慌てで原子爆弾「ファットマン」を投下した。
まるで、厄介者を振り払って棄てるかのように。
8月9日、午前11時2分。
ヒロシマに落とされたそれより威力の大きかった「ファットマン」は、一瞬にしてナガサキ市街を吹き飛ばした。
http://www.youtube.com/watch?v=JOyIcFrSQz4
およそ7万4千人の命が、残酷な力によって蒸発した。
…悪魔の権化「ボックスカー」は、しぶとくも燃料を節約して帰還し、オキナワへと辿り着いた。

夕刻、東京・陸軍省
時の鈴木貫太郎内閣の陸軍大臣・阿南惟幾は、執務室の椅子に腰かけ、数時間後に控えている
最高戦争指導会議の事を考えていた。
この会議の議題は…ポツダム宣言受諾についてだった。
尋常でないのは会議の内容だけではない…その席には、天皇自ら同席する事が決まっていたのだ。
いわゆる“御前会議”。
ここ数ヶ月、これまで何度も開かれていた最高戦争指導会議との決定的な違いだった。
この会議で日本の存亡が決する、と阿南は考えていた。
前の小磯内閣が倒れて早4ヶ月。かつて現首相の鈴木と共に侍従武官として天皇のもとにいたことのある阿南…
彼らが小磯内閣の後釜として据えられたことの意味を、阿南はよく理解していた。
…昭和天皇は、戦争の早期終結すなわちポツダム宣言の受諾を何よりも願っておられる。
数日前に、阿南は鈴木首相から驚くべき話を聞かされていた。
首相官邸で、本土決戦に際して国民義勇隊に支給される武器の展示会が催された事があった。
そこに並べられていたのは、火縄銃・竹やり・弓矢・熊手・さす又など、全て江戸時代の代物ばかりで
あったというのだ。いざ本土決戦となった場合、百姓一揆に等しい武装で米軍とまともに戦えるのか…
そのような話を聞かずとも、阿南は陸相として、本土決戦の要であるはずの陸軍の配備・武装がもはや
間に合わず、正規兵にすら銃剣さえも行き渡っていない事を知っていた。 
然るに、陸軍内の一部の青年将校らは、何が何でも本土決戦を叫び、ポツダム宣言に対する政府の動向を
厳しく監視している。
…すでに勝敗は決している。
仮に政府自らポツダム宣言受諾を決定した場合、少壮将校ら一部の軍属は恐らく黙ってはいまい。
それこそ515・226事件の再来がないとも限らない。
阿南自身は、軍人は政治に関わるべきではない、と226事件当時から主張してきていた。
満州事変以来、浮ついた国民の後押しを得て台頭し、次第に官僚化していった陸軍が招いた結果が今の
絶望的な戦況だ。しかもこの日、ソ連が不可侵条約を一方的に破って満州になだれ込んでおり、状況は
予断を許さなかった。南方各地に精鋭師団を引き抜かれていた満州の関東軍に…期待は望むべくも無い。
…最高指導者会議は、阿南を含め6名の閣僚・大臣で構成され、多数決で意思決定がなされる。
これまでの会議で、その6名は3対3に分かれて譲らなかった。出来るだけ早期に宣言を受諾するか、
受諾は止むを得ないが条件付きで受諾するか、その二派に分かれたのだ。阿南は後者である。
司会として参加する鈴木首相…午前中の会議で早期受諾派であることを明らかにした彼は、これに加わって
構成を奇数…7名にすることは絶対にあるまい、と、阿南は重々承知していた。
求められているのは、速やかなポツダム宣言の受諾。しかしそれは、政府が決定してはならない。それを託すべきは…
その時、執務室のドアがノックされ、陸軍省部員が一人慌てて入ってきた。
阿「どうした」
 「陸相、至急お伝えしたい報告がございます」
阿「良い知らせか、悪い知らせか?」
そう聞いた阿南は、この期に及んで良い知らせなどあるまい、と自嘲気味に思い直した。
 「それが…両方です」
阿「ほう…良いほうから聞こう」
 「本日未明、海軍の空挺部隊…特攻隊が、太平洋上の敵機動部隊に突入したとの事です。
  海軍側からの情報なので、詳しいことは分かりませんが…どうも敵は甚大なる被害を出したらしいと」
阿「至急、詳細を調査して報告しろ。悪い知らせは?」
 「…正午前、長崎に新型爆弾が投下されました」
阿「…広島に落されたものと同じ種類か?」
 「恐らくは…」
阿「…分かった、下がれ」
海軍の特攻作戦の戦果と、長崎の新型爆弾投下。
長崎がどうなったかも心配だが、阿南は海軍がやったという特攻作戦の概要が気になり、執務室の隅のラジオへ向かった。
大本営ニュースの時間が迫っていたのだ。
スイッチを入れたその時、もうここしばらく聞きなれていない威勢のいい音楽が阿南の耳に入る。
日本軍が戦果を上げた事を伝える軍艦マーチの演奏の後に、久方ぶりに景気のいい放送が出来て興奮して
いるのであろうアナウンサーの声が響いた。

『大本営発表!大本営発表!見よ我が死力の大反撃、嗚呼壮絶なるかな義烈空挺隊!
昨日未明、我が帝國海軍第443航空隊は、我沿岸に展開せる敵第58機動部隊に体当たり攻撃を敢行、
敵主力を壊滅せり!海軍第443航空隊の爆撃機一機は、隊司令桜田少佐以下の烈士からなる決死隊を
乗せ、太平洋上に展開する憎き米空母部隊を攻撃せり。持てる爆弾を全て空母群に叩きつけ、爆撃を
終えるや彼らは勇敢にも敵旗艦空母「キティホーク」飛行甲板に胴体着陸を敢行す。
闘志盛んなる烈士達は刀を引つさげ空母内に侵入、これと共に自爆、「キティホーク」を轟沈せり!
我が皇軍の気炎、今だ万丈なるかな!我等日本民族の意地を鬼畜米英に知らしめたり!
指揮官・桜田少佐は二階級特進、大佐に昇格が決定せり!
思へば今年に入り、皇軍は各地で苦戦を強いられつつあり、更に先日には敵は卑劣なる新型爆弾を以つて
広島の同胞を殺戮せるものなり!嗚呼、彼らの憾みを敵機動部隊に身を以つて叩きつけたる軍神達よ、
我々一億同胞も後に続かん!』

阿南は複雑な思いでこれを聞いていた。また海軍が戦果を誤認し、あり得ないような発表をしたのかと
思ったが、何故かこれは過大戦果だとは考えられなかった。先ほど命じた詳細調査の結果を待たないと
最終的に何も言えないのだが…
…むしろ問題は、悪くすれば、陸海軍の過激分子がこれに触発され、より一層の大声で本土決戦を叫びだす
かもしれない、という事だった。
 「陸相、出発のお時間です」
いつの間にか部屋に入ってきていた部下が阿南を急かせていた。
部屋を出て陸軍省玄関に向かう阿南は、同じニュースを聞いていたのであろう陸軍省部員らの万歳の声を聞いた。
日本の一番長い夜の始まりだった。

昭和20年8月9日の日は沈んだ。
鵜来島の暗い砂浜に、4人の乙女が集まる。
薔薇水晶と雪華綺晶が木の板で作った小さな精霊船。
ロウソクの明かりが灯された精霊船は、桜田達の最期を見届けた蒼星石の手でそっと海に浮かべられ、波に揺らいで
流されていった。
つい昨日見送ったばかりの5人の魂を、いや全ての犠牲者のそれをロウソクの火に見立てた4人は、遠ざかる精霊船を
敬礼をもって見つめていた。
涙を浮かべ、嗚咽をこらえ、少し前まで生きていた生命がこの世から去った悲しみを噛み締めて。
…精霊流しの本場である長崎の街が、この日史上二発目の原子爆弾を投下されたことを、まだ4人は知らなかった。

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