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つん、とした病院特有の薬のにおいが鼻をついて、思わず顔をしかめる。

私は病院が嫌いだ。
やたらと薄ぼんやりした廊下の照明も、とってつけられたようにクリーム色に塗られた壁も。
……何より、ここには生気というものが感じられないから。

「ねえ、水銀燈」

「……なに?」

それは、きっと目の前の彼女も同じだろう。
生まれてからずっと、こんな陰気な鳥かごのような世界で育ってきた彼女も。

「今日の明け方ね、お隣の部屋の人が死んじゃったんだ。
不思議なものよね。先週までピンピンしてたのよ?」

点滴の針を刺した腕をそっと撫でながら、彼女は言う。
まるで、明日の天気の話をするように、何でもない口調で。

「……そお」

それ以上何を言えばいいかわからなかったし、何か言う必要もないと思った。
窓の外には、憎たらしいほどの青空が広がっている。 

「あっけないものよね。人の最期なんて」

くすり、と彼女は笑みをこぼす。
その笑いは、その亡くなった人に対してではなく、彼女自身に向けられた嘲笑。
それくらい、わかってる。
わかっていても、何も返さない私もずいぶんズルいのかもしれない。

来週か、再来週か、それとも……今日か。
次の発作が起きた時。それが彼女とのお別れの日。

「……水銀燈」

「ん?」



窓の外に向けていた視線を彼女へと戻す。
彼女は、そのきれいな瞳で私を見つめていた。
初めて会った時より、ずっとずっと痩せ細った顔を、わずかにゆがめて。

「私が、さ……」

胸の中で警鐘が鳴る。
いやだ。聞きたくない。イヤダ。

「私が……私が死ん「悪いけど、今日はもう帰るわ」

――臆病者。
私の中で誰かがそう言った気がした。
ガタリ、わざと大きな音を立てて椅子から立ち上がる。

病室のドアに手をかけた時、後ろから声がした。
ひどく寂しげな声。

「さようなら、水銀燈」

いつもみたいに、笑って「またね」などと彼女は言わない。

そう……いつもと違う、別れのあいさつ。

……でも、それが何だというの?
言葉の裏に隠された意味?
そんなもの、ただの深読みのしすぎだ。ただの。

だから、ドアを開け、そのまま振り返らないで一言だけ言った。

「……また、来るわ」

――臆病者。
私の中で、再び誰かがそう言った気がした。
うるさいわね。心の中で舌打ちをして、私は乱暴にドアを閉める。

わかっているのだ、わざわざ言われなくても。
続いていく全ての事には、いつしか終わりが来ることなど。
永遠、だなんてつまらない言葉が、世界のどこにも当てはまらないことなど。

彼女は……めぐは……こんな私を許してくれるだろうか。

家に帰ると、私はすぐにベッドにもぐりこんだ。
妹たちが何か騒いでいたが、知ったことではない。

心の奥が重くよじれる感覚。
体の力が全て背中から抜けていくようで、けだるくてたまらない。

カーテンを閉め、電気もつけず、目を閉じて暗闇の中に横たわる。
今夜は風が強いようだ。
遠くで森の木々がざわめく音が、かすかに耳に入る。

(明日の朝にはやむのかしら……)


ねむりにつこうとすると、脳裏をかすめる思い出。
偶然に出会い、打ち解け、くだらないことで笑い……

……そしてもうすぐ来る、別れという逃れられない未来。

――ねえ、めぐ。
きっと貴女に伝えれることは、私にはもうないけど……。
あと少しだけ話ができるなら、そのとき私は、何を、何を話すのでしょうね。


<了>

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