深夜の鵜来基地。
死に場所へ向かって旅立った巨大な棺桶…一式陸攻を見送った蒼星石達は、重々しい足取りで無線室へ戻った。
見ると、水銀燈が無線機類の前の椅子に座っていた。彼女は、戻ってきた3人が酷く沈んでいるのに気後れした
が、どうしても知りたかったので恐る恐る声をかけた。
銀『…今、ベティが飛んでいったけど…彼らはどこへ向かったの?』
蒼『…ベティ?』
銀『さっきの双発爆撃機…』
水銀燈は、一式陸攻の米軍内でのコードネームが通じなかったことに気づいて言い換えた。
薔『…分からない…』
薔薇水晶が力なく言った。桜田は、自分達がどのようにして最期を迎えるのか詳細を語ってはいなかった。
銀『ねぇ…まさか、もしかして彼らは…』
水銀燈は、聞いてしまっていいのかどうか分からないことを婉曲して問うた。
…大方の予想はついた。この娘達の様子が、それをありありと物語っていた。
 カミカゼだ。戦闘機でこそないが…彼らは恐らくカミカゼ攻撃に行ったに違いない。
少しして、蒼星石が口を開いた。
蒼『…特攻だよ。司令達は体当たりをしに…』
水銀燈は息を苦しげに吐き出した。薔薇水晶と雪華綺晶がすすり泣きを始めた。
…まさか、あの機で…。水銀燈は、ベティ…一式陸攻の防弾設備の貧弱さを熟知していた。彼女自身、
南方戦線で一式陸攻を何機も撃墜したことがあったからだ。
銀『そんな…まさか…』
蒼『詳しい事は…僕達も知らないんだ』
銀『貴女達も…』
青『…うん』
…そうだ!僕達は何も知らなさ過ぎる!司令の僕達への心遣いは分かるが、遺される僕らの心情はどうなる!?
 桜田司令達は、残された命を僕達…これ以上死ななくていい人々のために投げうってくれるんだぞ!?
 人知れず…いや、少なくとも敵はその死に際に否応無く対面するだろうから分かるが、彼らが守ろうとしている
 僕達、残された日本人がそれを知らずに終戦を迎えて良いのか!?…このままでは、桜田司令達は悲惨な歴史の
 暗闇に消えていくだけじゃないか、そんなのっ…!!!
 桜田司令達の死に様を永遠に闇に葬ってたまるものか…!!!
蒼星石は身を翻し、壁に掛けていた飛行服と飛行帽を鮮やかな動作で身につけた。
水銀燈も、薔薇水晶も雪華綺晶も、呆気に取られてそれを見つめていた。
それには目もくれず、蒼星石は半長靴の紐を締めなおし…自分の荷物を入れている行李の中にあった何かを
掴むや、真っ暗な飛行場へ出た。
無線室に残された三人はしばらく呆然としていたが、気を取り直した薔薇水晶が後を追った。
雪華綺晶がその後に続き、まだ体力が回復していない水銀燈もおぼつかない足取りで外へ走った。
…蒼星石は掩体壕に向かい、夕方に受領したばかりの烈風戦闘機の車輪に噛ませてあった車輪止めを外し、
風防ガラスを開いて計器盤の発動機スイッチをオンにした。そして機首のプロペラに取り付き、渾身の力を
込めてそれを回した。…やがてエンジンが震え、プロペラを回転させ始めた。
蒼星石が操縦席に滑り込み、ベルトを固定して飛行眼鏡をかけ、計器盤の各種装置を起動させて操縦桿と
スロットルを握ると、掩体壕の外から薔薇水晶と雪華綺晶が走ってくるのが見えた。
薔「どこいくの蒼星石!駄目!」
雪「待って…どうしてっ…!」
説明している暇は無かった。今は一分一秒が惜しい。
構わず蒼星石はスロットルを押し込んだ。
回転数を上げた烈風の機体が徐々に動き出し、滑走路へ出て疾走を開始した。目標となる明かりのない夜間離陸を
行わなければならなかったが、そんな事を気にしてはいられない。
雪「貴女まで行ってしまうなんて!やめて!お願いっ!」
薔「待ってよ…!!」
薔薇水晶と雪華綺晶が翼に追いすがろうと懸命に走っていた。そして…無線室の外に、水銀燈が立っているのを
蒼星石は見た。水銀燈は、あの寂しげな表情で蒼星石を見つめていた。彼女の長い銀髪が、烈風の生み出す突風で
煽られ、夜闇に美しく輝いていた。
…蒼星石は目を真っ直ぐ前に戻し、エンジンを全速にして操縦桿を握り…地面を離れ、一式陸攻が飛んでいった
方向へ向かっていってしまった。
…薔薇水晶と雪華綺晶は、飛行場の端で力尽きて膝をつき嗚咽を上げていた。僅かな時間で親しい人々との別れを
二度も繰り返さねばならない彼女達はやりきれなかった。
水銀燈は、慟哭の声を上げている可憐な双子のもとに歩み寄り、二人を両腕で抱き寄せた。放っておけば、二人の
心は完全に壊れてしまうと思ったからだ。
薔薇水晶も雪華綺晶も、涙を流しつつ水銀燈の身体にしがみついた。
水銀燈は、二人の細い肩を抱きしめつつ、夜空を仰ぎ見た。
…どうして、私のところからいなくなっちゃうのよ、あなたたちは…。彼女の赤い瞳も涙を零していた。


その頃、桜田達の一式陸攻は、海面すれすれを南の方角に飛んでいた。
…桜田の考えはこうであった。
呉鎮守府で聞いたアメリカ大統領の声明で、あの恐るべき原子爆弾は広島に落されたものだけでなく…
これもまた恐ろしい事に、まだ別のそれが保有されていることを桜田は知っていた。
むろん桜田は、米国の日本に対するこれ以上の原子爆弾による虐殺を看過するつもりは毛頭無かった。
余命いくばくもないと言われ、いかなる死に様を見出すか…彼は、米軍の次の原子爆弾投下を、非戦闘員の
虐殺を、身を以って阻止することを思いついていたのだった。
彼は考えた。広島に原子爆弾を投下したB-29はどこから発進したのか…?
B-29は艦載機などではないから空母ではない。貧弱とは言え、特攻機の攻撃が続いている沖縄でもなければ…
飛行場以外にほとんど設備がない硫黄島でもないだろう。…となると、答えは一つ。
…テニアン島だった。
南洋諸島で最も大きい飛行場があり、日本本土爆撃を行うB-29の主要基地であるテニアン。
ここなら、米本土で製造されたであろう原子爆弾の搬入を、空路であれ海路であれ安全に行える。
…一式陸攻の航続距離なら、250kg爆弾と燃料を満載して十分にテニアン島にたどり着ける!
そうなれば…対空砲火や夜間戦闘機の危険ももちろんあろうが…原子爆弾があると思しき倉庫群や、それが
分からなくとも、居並ぶB-29を破壊し…その後は胴体着陸して、全員で斬り込み、最期まで戦う…
沖縄戦下、米軍に占領された中・北飛行場に突入した義烈空挺隊のように。
皮肉にも、はからずしも無理やりついてきた白崎と槐、二人の戦闘員の存在が有難いものとなった。、
成功の公算をギリギリまで上げるため、毎晩のように本土空襲にテニアンからやってくるB-29編隊の
帰路に後ろから密かに付いて行き、送り狼となってテニアンを叩くのだ。
…これが、航空作戦の専門家ではないにしろ桜田が考え出した作戦であった。そして、桜田と同じ運命の
梅岡と笹塚が了承した作戦でもあった。


機内は通夜のように静かだった。
操縦は梅岡が担当し、笹塚は機首の爆撃手席で双眼鏡を目にあてていた。
白崎は無線機に向かい、槐は機体尾部の機銃砲塔に詰め…そして桜田は、操縦席の後方に座っていた。


梅岡は、ふと通信士席の白崎に話しかけた。特別、嫌悪しているわけでは全く無かったが、陸海軍の確執が
鵜来基地でも影響していたのか、彼らは特に仲良くはしてはいなかった。
梅「…ついて来た事に後悔はしてないのか?」
レシーバーを外した白崎が操縦席に向き直った。
白「あんたこそ身体は大丈夫なのか?」
梅「とても大丈夫じゃないから今こうして飛んでるんだよ」
白「…ま、敵さんのところに着くまではしっかり頼むぜ」
そう言って白崎は席を立った。…この様子なら大丈夫なんだろうな、と思いつつ。
機内の簡易便所に入った白崎は言葉を失った。
金属製の小さな便器の表面が、薄い紅に染まっていた。
…あの3人だ!吐血か?血便か!?いずれにしろこれは…こんな酷い事が…これが原子爆弾の爪痕か…っ!
 梅岡の奴、いや笹塚も桜田司令も、今は気丈に振舞っているが…ここまでとは…
思わず涙を浮かべた白崎は、そのまま機体後部の槐のところへ向かい、3人の体調について手短に語った。
何てことだ…と顔をゆがめる槐を後に、白崎は自分の持ち場へ戻り、口を開いた。
白「…おい、身体がまずいと思ったらすぐ言えよ。…薔薇水晶と雪華綺晶が淹れてくれたお茶でも飲むか?」
梅岡だけでなく、すぐ傍の笹塚も桜田も、突然丸くなった白崎に驚いた。
梅「…ああ、もらうよ」
白「ほれ」
水筒を操縦席に差し出す白崎と後ろ手で受け取る梅岡。
梅岡は、「…済まんな」とぽつりと言ったが、白崎はレシーバーを着け直し、聞こえない振りをした。


その時。
双眼鏡を目に当てて空を探っていた笹塚が声を上げた。
笹「…いました!敵B-29の編隊です!高度1000メートル、空襲を終え、2時方向上空を南へ向かっています!」
ジ「彼我の距離は?」
笹「3000メートル程です。敵の足はかなり速いですね」
ジ「そうか。よし、梅岡少尉」
梅「は、これより敵編隊の後方につけます。上昇を開始します」
ジ「必要以上に敵に接近するな。敵をギリギリ視認できる距離を保て」
梅「は!」
一式陸攻は海面すれすれから上昇を始めた。…が、事がうまく運ばなくなるとは、この時点では誰も思わなかった。


日本近海太平洋上 米空母「キティホーク」
艦橋の司令室で寝ていたフィッチャー司令の手元の電話が鳴った。
フ『…何だ』
 『レーダーに不審な機影が映っています』
フ『不審な機影だと?ジャップの空襲帰りの連中じゃないのか』
 『それが、本日日本本土を空襲した、テニアンへ帰投中の第18悌団と思われる編隊の後ろに、一機だけ
  距離を取ってこれに伴い南下している機影があるのですが』
フ『損傷を受けたか故障して遅れている友軍機ではないのか?』
 『第18悌団に確認させましょうか?』
フ『さっさとやれ』


第18悌団 最後尾のB-29『ピーターラビット』
ヒロシマの一部・フクヤマの爆撃任務を終えて一息ついていた操縦席のラプラス機長は、後ろにいた
通信士から不意に連絡を受けた。
 『機長、第58機動部隊旗艦『キティホーク』から通報がありました。我々の後方に、所属不明の機がいると
  レーダーで判明したそうです。所属を確認するよう求めています』
ラ『何だと…我々の後ろ?後部機銃手、確認してみろ』
機体尾部の後部機銃手は、双眼鏡を使って後方の漆黒の闇を覗いた。
 『何も見えません!』
ラ『よく見ろ、何か見えないか』
まばたきを繰り返した後に再度双眼鏡を覗いた機銃手は、今度はぼんやりと、飛行機の排気炎らしきものを見た。
 『見えました!排気炎です!後方に飛行機がいます!距離およそ1000、高度は我々の200下です!』
ラ『やはりか…』
通信士が口を開いた。
 『どうしますか?あれが敵なら…』
ラプラスはしばらく考えた後に言った。
ラ『…発火信号を送ってみろ。もしかしたら、日本の迎撃機か高射砲でエンジンとアンテナを損傷した
 友軍機かも知れん。実際今日も何機かこの編隊から消えているからな』 
命令は直ちに実行に移された。


一式陸攻。
笹「…!!司令、編隊の最後尾の敵機が発火信号を送ってきました!明らかにこちらに向けられたものです!」
機内に動揺が走った。
ジ「…見つかったか。敵は何と言っている!?」
笹「『所属知ラセ』…です!」
沈黙。
笹「どうします?」
桜田はしばし考えたのちに言った。
ジ「…このまま進むんだ!返答を送れ!『我日本機ノ迎撃ニヨリ機関破損。構ワズ帰投サレタシ』」
梅・笹「は!」
機首の笹塚が発火信号でモールスを発信した。


B-29。
ラ『…所属を知らせろと言ったのにその答えか』
ラプラスは訝しげに言った。
 『は!二回繰り返しました、間違いありません』
ラ『…通信士、護衛戦闘機の連中に連絡しろ。後方にいる飛行機の所属を見てこいと』
 『了解しました!』


一式陸攻。
しばらくは何の変化も無かった。
梅「…うまくいったみたいですね」
ジ「ああ。このまま…」
緊張が緩みかけた…が。
白「…待ってください!敵が無線を使用しました…これは!!」
ジ「どうした?」
答えを聞く先に別の叫び声が上がった。
笹「前方より敵護衛戦闘機が反転してきます!二機です!」 
梅「あれは…P-51だ!」
機内に緊張が走る。
桜田は唇を噛んだが、すぐに指示を出した。
ジ「梅岡、エンジンを切れ!滑空飛行して高度を下げ、敵戦闘機から退避しろ!」
梅「危険です!それにそれではテニアンへは…」
ジ「我々が日本機だと判明すれば敵戦闘機に間違いなくやられる!このまま飛んでいる方がもっと危険だ!やれ!」
梅「は!!」
桜田は矢継ぎ早に次の指示を出した。
ジ「笹岡、発火信号だ!『我エンジン停止ス、合衆国ニ栄光アレ』と打て!」
笹「了解!!」
少しして、エンジンが停止した。排気炎も同時に消えた。
速度がガクンと落ちるのが分かる。
続いて、プロペラが空転するヒュルヒュルという不気味な音が響く。
梅岡は、敵戦闘機に対して垂直に舵をゆっくりと切った。


B-29。
後部機銃手が叫んだ。
 『後方より発火信号!『我エンジン停止ス、合衆国ニ栄光アレ』!…排気炎が消えました!』
通信士が続けた。
 『護衛戦闘機より!『目標を見失った』とのこと!』
ラ『何だと…消えた!?』
ラプラスは今なお訝しげな顔をしていたが、ややあって通信士に振り返った。
ラ『『キティホーク』に伝えろ。“味方機”一機が故障のため海面に突入、自爆したと』
『ピーターラビット』は、何事も無かったかのように基地への飛行を続けた。


一式陸攻。
槐「…どうやら上手くまいたようです!敵戦闘機は引き返しました!」
機体後方で息を殺すように空をうかがっていた槐が言った。
白「しかし…これでテニアンへは向かえなくなりました…」
機内が重い空気に包まれた。口には出さずとも皆悔しかった…
白崎は、少し前に血だらけの便器を見ていたこともあり、どうしようもなく歯がゆかった。
いや、誰より、桜田自身が一番悔しそうに俯いていた…
だが、ややあって、顔を上げた桜田は凛然と言い放った。
ジ「…目標を変更する!我々は…このまま低空飛行で、太平洋上にいるであろう敵の第58機動部隊に突入する!」
槐「司令…」
ジ「…残念だ。恐らく、原子爆弾はテニアンに運び込まれているだろうからそこに突入したかったが…致し方ない。
  …だが、敵機動部隊に損害を与えられたら、それはそれで成功だ!米国世論を動かせるかも知れないし…
  もしかしたら、我が国はそれを受けて有利な条件で降伏できる可能性も出てくるかもな」
「「「「…!!」」」」
機内の空気が幾分か軽くなった。
ジ「梅岡、正規空母の飛行甲板に胴体着陸は可能か?」
機内は一瞬緊張し、梅岡の答えを待った。
梅「…不安ですが、出来るだけやってみます!」
ジ「分かった!現在の高度は?」
梅「250…もうすぐ200です」
ジ「よし、100を切ったところでエンジン始動だ。後は海面すれすれを敵機動部隊へ向かう!」
「「「「は!」」」」
操縦席の高度計が100を指したその時…梅岡が両翼のエンジンのスイッチを入れた。
空転していたプロペラのお陰で、エンジンは無事に再始動した。
操縦席の梅岡は、全神経を集中させて機体が敵のレーダー波に晒されぬように海面ギリギリまで高度を下げ、
進路を米軍第58機動部隊…日本本土にグラマンを侵入させ、非戦闘員を機銃掃射で殺傷し続けている部隊の
いるであろう日本本土近海の太平洋の海域へと変針した。

…もうすぐ僕も逝くよ、巴。それまで…待っててくれ。

 

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最終更新:2009年12月15日 23:23