時は20××年!!
世界は突如として、謎の侵略者『ウサギ星人』の猛攻を受ける事となった。
全身が短い体毛に覆われてはいるものの、体型は人間とは変わらない。
ただ……その首から上だけは、彼らの名前の示す通り、兎のソレそのものという異形の存在。
彼らは、ゲームでもするかのように破壊の限りを尽くす悪魔だった。
当然、各地で人類は異星からの不条理な侵略に対し、反撃を試みる。
南極条約で禁止された核の使用。
長年を経て復活した古代ムー大陸の戦略兵器。
究極の兵器として開発された最強のミサイル『遺憾の意』
だが、そのどれもがウサギ星人の展開するバリア『nフィールド』によって無効化されてしまう。
反撃の手段を失った人類。
我々は滅びるしかないのか。
誰の心からも希望は失われたかに思えた。
だが
とある極東の技術大国が、nフィールドバリアを破る装置を開発する事で、事態は変わり始めた。
唯一の反撃の手段Antiナントカかんとか装置。―――通称『ALICE』
出力が極少の為、人間程度の広さしか無効化できない、心もとない最終兵器。
戦争は再び、白兵戦によって雌雄を決するモノへと戻ってしまった……
≪ 闘え!返り血レディー!! ≫
「ナンバー555番、入ります」
私はそう言い、地球防衛軍最高幹部たちが集まっている会議室の扉を開いた。
会議室の中は暗く、幹部たちの顔をうかがい知る事は出来そうにない。
それでも、このような場に呼ばれた事から、私にかけられた期待の大きさはうかがい知る事が出来た。
「訓練の結果は見せてもらったよ。素晴らしい成績だ」
幹部の一人、槐司令がそう声をかけてくる。
「……はい、ありがとうございます」
全力で臨んだ結果として当然の事とは思ってはいたけれど、私は控え目な態度でそう答えておいた。
「何でもシミュレーションでは3分で12体のウサギ星人を倒したそうじゃの」
「『ALICE』を使用しての実戦訓練でも、大層な活躍をしたと聞いている……」
柴崎氏と結菱氏がそう言った直後、空間ディスプレイが会議室の中心に浮かび上がる。
そしてそこに、私が戦線に参加した際の映像が流れ始めた。
―――
「トリビァァァル!!」「トリビァァァルゥゥゥ!!」
奇声を上げながら私に襲い掛かってくる、何体ものウサギ星人。
私はそれらを、文字通り千切っては投げ、尻尾を引き抜き、バールのような物で殴打する。
次々に積み重なる、ウサギ星人だったもの。
舞い上がる血しぶきをものともせず、私はまるで踊るように、華麗で美しいステップで戦場を渡る。
重力など存在しないかのように金色の髪が軽やかに揺れる。
「ブラボォォォォ!ブラァァボォォゥ!!!」
やがてウサギ星人の小隊長が私目掛けて飛び掛り……私はカウンター気味の右ストレートを……
―――
映像は、そこで途切れた。
周囲からは、驚きを隠しきれずに居る幹部たちの低い呻き声のようなものが上がっている。
「訓練段階で君ほど戦果を上げた人間は過去に存在しない」
やがて沈黙を切り裂くように、槐司令がそう口を開いた。
その言葉に賛同するように、他の幹部たちも頷く。
そして。
「それらの点を踏まえ、本日付で君を対ウサギ星人用特殊部隊へと配属する」
槐司令の言葉と、会議室に響き渡る拍手。
あぁ……これでやっと、私の夢が叶うのね。
そう思うと、ついついウットリ放心してしまいそうになるけれど、そこは持ち前の自制心で我慢した。
私は淑女然とした態度で、礼儀正しくお辞儀をしながら拍手を受ける。
「それでは、特殊部隊に配属になるにあたって……
知っているとは思うが、最初に決めねばならぬ事がある」
来た。
来た来た来た来た。
槐司令の言葉に、思わず背筋もピンと伸びてしまう。
「ナンバー555番……今日から君には、地球を守る戦士として新たな名前が与えられる」
キタコレ!
期待通りの槐司令の言葉に、思わず表情がほころんでしまう。
お辞儀をしている時だったのが幸いして、見られてはいなかったけれど。
思えば、ここまで長かったわ……
生まれてすぐに訓練施設に入ったお陰で、私の名前は生まれてこの方『ナンバー555番』
ずっと、そんな無機質な名前で呼ばれてきた。
そのガッカリ感といったら、唐揚げにレモンをかけられる事の比じゃあ無いわね。
でも、そんな悲しみと憤りの日々も、今日でお終い。
一体どんな名前になるのかしら?
特殊部隊のエース『水銀燈』や、最年少で部隊入りした『金糸雀』
双子のチームワークで戦果を上げる『翠星石』と『蒼星石』
過去の例を見てみても、きっと素敵な名前に決まっているのだわ。
私はワクワクしながら、難しい顔で考え始めた幹部たちの顔を見渡しながら待つ。
そして。
一人の幹部……柴崎氏が、口を開いた。
「さっきの映像を見て思ったんじゃがの。
『返り血レディー』というのはどうじゃろうか?」
待って頂戴。
確かに、返り血でもの凄く真っ赤に染まってはいたけれど、それはあんまりだわ。
『水銀燈』『金糸雀』『翠星石』『蒼星石』『返り血レディー』だなんて、ちょっとおかしいと思わないの?
何よ『レディー』って。
どうして急にカタカナが入るのよ。
せめて『キラークイーン』とか『キングクリムゾン』とかでしょ。いや、それも嫌だけど。
そうは思うのだけれど、幹部に対して反対意見を言う訳にもいかない。
そんな事をしたら『555番』のまま一生を終える事にもなりかねないし……
かといってこのままでは『返り血レディー』として一生を……
半泣きどころか本泣きしそうな気分ではあったけれど、ここで泣き喚く訳にもいかない。
せいぜい私には、得意げな表情でいる痴呆老人を睨みつける事しか出来なかった。
会議はそこから、私の願いを無視してトントン拍子に進んでしまう。
一度だけ槐司令が「いや、その名前はあまりに酷いのでは……」とおっしゃって下さったが、無駄だった。
私の心に、限りなく絶望に近い感情が広がっていく。
ちょっとでも気を抜くと、この場でバッタリと倒れちゃいそう。
そんな私の感慨を他所に、会議はどんどん進んでいく。
そして……あぁ……そして、ついに……
「……そういう訳で、君は本日から特殊部隊に配属だ。
戦果を期待しているよ、返り血レディー」
会議が始まった時とは違い、明らかに残念そうな表情をした槐司令が、私にそう言った。
ええ、そう。
でもね。
私の方が貴方の百万倍は残念な気持ちなのよ?
「…………………はい」
私は、それでも一生懸命に頑張って、そう答えた。
或いは、答えたつもりだったのかもしれない。
実際には、私は声を発する気力すら失われていたのかもしれない。
そして、それから先は……よく覚えていない。
気が付けば私は、特殊部隊のIDカードを持って基地の中にある自室のベットに横たわっていた。
全てが夢なのでは?
むしろ、私が訓練で好成績を収めた所から夢でも構わない。
そう思いながら……いいえ、願いながら、私は新しいIDカードを見てみた。
いつ撮られたのか憶えてないけれど、完全に光の消えた瞳と魂が抜けたような表情の私の写真。
そして名前の欄には、見慣れた『ナンバー555番』の文字。
ではなく『返り血レディー』
「いやぁぁぁぁぁぁ!!!」
思わず叫んで、IDカードを壁に叩き付けた。
「うゆ?どうかしたの?555番?」
私の悲鳴を聞きつけた隣室の666番が、ノックをしながら声をかけてくる。
「な、何でもないわ!変な夢を見ただけなのだわ!!」
私は大慌ててそう取り繕いながら、地面に落ちたIDカードを拾い上げてポケットの中に隠す。
と同時に、プシュっと音を立てて部屋の扉がスライドした。
「本当に?とっても大きな悲鳴だったの……」
背が私よりずっと低い666番は、そう言いながら心配げに私の顔を見上げてくる。
それから、少し困ったような表情を浮べながら666番は小さな声で尋ねてきた。
「ひょっとして……特殊部隊の査定、ダメだったの……?」
私は彼女の質問に何と答えるのが正解だったのだろう。
正直に話すべき?
それなら彼女は、必ず私に与えられた新しい名前を知りたがるだろう。
かといって、落ちたなどと嘘を言いたくは無い。
だから、私のとった行動は……
「え、ええ……結果は明日になるそうよ……それまでは自室で待機と言われたわ……
……け、結果が分かったら一番に貴方に教えてあげるから、それまで待っていて頂戴……」
回答の先延ばし。
根本的には何も解決はしないとは分かってはいたけれど、私は時間を稼ぐ為だけに、そう答えた。
「うぃ。なら、ちゃんと受かってるように私からもお祈りしとくの」
私の強張った表情から彼女が何を読み取ったのかは分からない。
それでも、恐らく、私にとっては都合の良い風に考えてくれたのだろう。
666番は私を元気付けるように笑顔を浮べて、自分の部屋へと戻っていった。
私は再び静かになった自室で、ポケットに入れたIDカードをつまみ出して眺めてみた。
偽造防止のプロテクトが何重にもかかっていて、自分で名前だけ変えたりは出来そうにもない。
このIDカードで自室の管理から武器庫の開閉、クレジットカードの役目まで出来るのだから当然の事ね。
少しずつ冷静にはなってきたけれど、依然として状況は最悪な事には変わりは無い。
私には指で『返り血レディー』の部分をゴシゴシ擦りながら、深いため息をつく事しか出来なかった。
いつの間にか、IDカードに水滴が付いていた。
雨漏り?最新の技術で作られた人類の砦の中で?
私は疑問に思って天井を見上げてみる。
そこには何も無く、ただ、いつもと同じ照明器具が見えただけだった。
IDカードへと視線を戻す。
ポタ、と水滴が顔写真の部分に落ちる。
私は自分の頬に触れ、そしてその時、自分が泣いていたのだと知った。
「……あ……ぁ……ぁぁ……」
声にならない嗚咽が漏れる。
私はそのまま、崩れ落ちるように涙を流した。
どうして、こんな事になったのだろう。
私は、ウサギ星人の魔の手から地球を救いたかった。
私は、地球を、人々を、日々の生活を守りたかった。
私は、せめて人間らしい名前が欲しいと願った。
なのに、どうしてこんな事になったのだろう。
これがパニックというものね、と混乱した頭の片隅で、どこか冷静に考えている自分が居た。
或いは誰かのせいに……幹部たちに原因を求める事も出来るのかもしれない。
だけれど、そうした所で、この呪われた名前が消える訳ではない。
私は涙が枯れる程に泣いた。
泣いても泣いても、涙が枯れる事は無かった。
涙が止まる事は無かったが、泣き疲れた私は、滲む視界のままベットに横たわる。
もう、何もかもどうでも良いとさえ思え始めた。
『返り血レディー』という名前以外は、全てがどうでも良く思えてきた。
私は、完全に自暴自棄になっていた。
例えば、このまま心臓が止まってしまっても、私は気にも留めなかっただろう。
一体どれだけの時間、私は無為に天井を眺めていたのだろう。
それはやっぱり、自暴自棄の末に正常な判断を失っていたとしか思えなかった。
それでも私には、そうする事の他には、何一つとして頭に浮かんでは来なかった。
私は死人のように表情の無い瞳でベッドから起き上がる。
意外な程にしっかりとした足取りで、部屋から外に出る。
そのまま廊下を歩き、武器庫の方へ行く。
IDカードを極力見ないようにしながら、セキュリティードアにかざす。
重々しい音を立てて開いた武器庫の中へと足を進ませる。
対nフィールド装置『ALICE』が搭載された小さなブローチを一つ、手に取る。
外に出て扉を閉める。
廊下を歩く。
私はブローチを手にしたまま、基地から出た。
脱走兵は最悪の場合、銃殺刑に処される。
それが、数に限りがある『ALICE』を持って行ったとなると、どんなに良くても銃殺刑だろう。
頭では、そう分かっていた。
でも、この時の私は、何も考えず、ただ事務的にこれらの行動をしてのけていた。
私は、反逆者になってしまった。
だというのに、そんな事はとても些細な事のように感じられた。
確かに、追われる身になりはした。
それでも、ウサギ星人と戦う力を手に入れ、呪われた名前からも開放され……
そして自由までも手に入れた。
ウサギ星人の襲撃のせいで、町はどこも治安が悪化している。
きっと、私一人逃げきる事などわけなく出来るだろう。
そうして無事に追っ手を振り切ったなら、今度は組織の目の届かない田舎町にでも行こう。
そこにやって来るウサギ星人を倒して、小さな町の正義の味方として、静かに余生を送ろう。
……こんなの、ただの言い訳に過ぎないじゃない。
ええ、分かってるわよ。なら、どうやってこの状況を受け入れろって言うのよ。
どうやって、あんな悲惨な名前を認めろというのよ。
思考がまとまらない。
かといって、もう組織には戻れない。
気が付けば私は、半ば無意識のままに、基地から最も近い町の大通りを歩いていた。
「私は……私は……」
どうすれば良いの?どうすれば良かったの?
その答えは、自分で見つけるしかない。
そうは分かってはいたけれど、それでも私は誰かに助けて欲しくって、小さく呟いた。
つい先程まであんなに泣いていたというのに、再び涙がこぼれそうになる。
あるいは、それを耐えようとしたのかもしれない。天に祈ろうとしたのかもしれない。
私は、空を見上げた。
その瞬間、それは訪れた。
空の一部が、まるで湖面のように静かに揺らぎ始める。
やがて水面に小石を投げたような波紋が、空に広がり始める。
「まさか……!」
思わず叫び、息を呑んだ。
訓練所での映像でしか見た事の無い、現実にはありえない景色。
『空が、蝕まれる』という悪夢。
「ウサギ星人!?」
私が叫ぶのと同時に、空の歪みからは何匹もの異形が……ウサギ星人が姿を現した。
町行く人々が、悲鳴を上げながら逃げてくる。
パニックになった群集の一人が、私の肩にぶつかった。
組織から持ち出したブローチが地面に転がり落ちる。
すぐさま私は、しゃがみ込んで拾い上げた。
ウサギ星人と戦う為に、人類が手に入れた希望『ALICE』
私なら、彼らを倒す事が出来る。
でも。
組織の基地からそう離れてはいないこの町で戦う事は、自殺行為にも等しい。
「私は……」
再び、呟いた。
答えはまだ見つからない。
私は逃げ惑う人ごみの中、ただ呆然と、町へと降下してくるウサギ星人を見上げているだけだった。