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昭和二十年に入り、完全に劣勢に立たされた日本本土上空には、米軍の爆撃機B-29が無差別空爆を行うようになり、制空権はほぼ米軍に握られてしまっていた。
加えて、B-29のみならず、日本近海に忍び寄る米空母の艦載戦闘機が、白昼堂々低空で主に太平洋側の地域に飛来し、港湾施設や鉄道を機銃で銃撃するようになっていた。
正月を迎えてから、蒼星石が鵜来基地に配属されて来たばかりの頃には思いもよらなかった事に、日本本土の小さな小島が前線となってしまったのである。
同じ時期、海軍の戦闘機設計を引き受けてきた川西飛行機が、画期的な戦闘機を開発、生産に入っていた。
その名は紫電改。
度重なる戦略的失敗を経、劣勢となった日本の本土に飛来する米軍機を迎撃するための局地戦闘機である。
武装は、左右の主翼に二門づつ装備された、計四門の20ミリキャノン砲。
今までの戦闘機には無かった、世界初の空戦フラップを装備。
開戦しばらくの間こそ優勢だったものの、徐々に、そして今では完全に米軍機にその優位を奪われた海軍の主力戦闘機、零戦に代わる戦闘機として、この紫電改は並みならぬ期待を背負っていた。
鵜来基地に紫電改が空輸されてきたのは、昭和20年の一月も終わりの頃、ある曇った日の事だった。
それまで、零戦52型に乗っていた蒼星石は、川西飛行機のパイロットの手で基地に空輸されてきた三機の紫電改を見て驚いた。
スマートな零戦と比べ、ずんぐりした緑色の胴体。
それ以上に彼女が驚いたのは、その機体の表面の工作精度の粗さであった。
すでに本土空襲は激化しており、陸海軍の航空機製造工場も甚大な被害を受けているとは聞いていたし、不足しがちな人手を、
勤労動員として招集した素人の女学生で埋めていることも蒼星石は知っていた。
それでも、この紫電改の表面を覆う金属板は、強烈な空気抵抗と戦う飛行機の素肌には似つかわしくないほどに一枚一枚不揃いで、不規則にたわんでいた。
それらを固定するリベットも一本一本不揃いである。リベットは家を建てる場合の釘と同じ役割をする。
その大きさがまちまちで規格には程遠い状態なのだから現在の日本の軍需工場の資材不足と混乱がありありと分かった。

せっかくの新鋭機なのに、完成度が低いな…と、蒼星石はこれから自分の搭乗機となる紫電改のでこぼこした主翼を複雑な思いですりすりと撫でていると、整備兵が横にやって来てそれにならった。
雪「あまり出来がよろしくありませんわね。少し前ならこんな機は検査に受からなかったでしょうに」
眼帯を着けた整備兵がもらす。
蒼「…仕方ないよ。女学生達が一生懸命作ってくれたんだ…」
薔「ふふ…蒼星石は優しいね」
雪「これまで零戦で7機堕としてきたエースとは思えませんわ」
蒼「はは…」
蒼星石は、南方戦線で活躍した梅岡少尉、笹塚飛曹長に率いられ、低空で四国に侵入する敵戦闘機グラマンF6Fヘルキャットの攻撃に向かい、二人の指導を受け、
そのたびにみるみる実戦の腕を上げた。元々霞ヶ浦では優秀な成績を出していた蒼星石である。少しづつ敵を撃墜出来るようになり、
すぐに五機以上の撃墜を果たし、エースの称号を得た。しかし、改良に改良を重ねられ、(なぜか)この基地に優先的に配備された零戦52型を操る蒼星石も、
敵グラマンの飛行性能と零戦のそれを比べると、なんとも心もとなく感じていたのも事実である。もし、これまで遭ってきた敵の中に凄腕の搭乗員がいたら、
腕を上げる前に撃墜されていたかもしれない、と蒼星石は本気で思っていた。それゆえに、新鋭機が(なぜかまた優先的に)配備されると聞いて、期待していた彼女であったのだ。
雪「…心配なさらないで。この機は私と妹でもっとマシにして見せますわ。零戦の方が良かったなんて言わせませんわよ」
薔「…任せて」
蒼「ありがとう。本当に君達には世話になってばかりだね」
蒼星石が戦闘機の搭乗員を志望したいきさつを、この鵜来基地にいる全員が既に知っていた。それにしては、蒼星石は特に思いつめた様子もなく、淡々と戦闘をこなし、普段の生活では自然に振舞っていたが…。 

三人が新鋭機の傍らで談笑していると、基地司令の桜田海軍少佐が、槐・白崎両陸軍少尉を引き連れてやって来た。
桜田少佐は、自身は操縦経験もなく、戦闘機隊の指揮にも不慣れであったが、その温厚な性格から、
基地の全員から慕われていた。彼の存在が、鵜来基地を上手くまとめているのである。
敬礼を交わしたのち、桜田が口を開く。
ジ「これが新鋭機の紫電改か。これから試験飛行か?」
蒼「は!」
雪「その後、整備のほうで修正を行います」
白「機上無線機の試験も行いたいと思いますが…」
槐「今までの無線電話とは比べ物にならないほど良い性能だと聞いております。楽しみです」
ジ「そうか…。襲来する敵戦闘機の迎撃は我々の使命だ。よろしく頼む」
「「「「「は!」」」」」
それにしてもこの紫電改のフォルム…何かに似ている。
蒼星石はすぐに思い立った。…敵グラマンF6F だ。四国を襲うのはほとんどと言っていいほどグラマンだった。
最早熟練搭乗員でない限り、零戦ではグラマンと闘えない。
それだけに、グラマンは、今我が物顔で内地に侵入してきている。
グラマンを堕とすことこそが日本を守る事。
新鋭機紫電改はその頼みの綱、希望の光である。
ジ「ではただ今より新鋭機の試験飛行を一機づつ行う。誰から始める?」
蒼「それはもちろん、梅岡少尉殿から…」
梅「いや、僕達は後からでいいよ!まずは若手の君がこの紫電改を乗りこなせるようにならなくちゃ!」
笹「舵の効き具合は恐らく今までの零戦より鋭いと思うから、操舵には注意するんだぞ」
蒼「は!では、蒼星石二飛曹、これより新鋭機の試験飛行を行います!」
ジ「慎重にな。試験空域は当基地上空。行うのは通常飛行のみでよろしい」
飛行服をまとった蒼星石は一機の紫電改に乗り込んだ。
操縦装置は零戦とほとんど変わらない。
肩バンドを締め、足をフットバーにかけ、右手に操縦桿、左手にスロットルレバーを握る。
舵の動きは上々だ。九八式照準器を見据え、前方視界を確認した蒼星石が叫ぶ。
「前離れ!スイッチオフ!廻せ!!」
見かけによらず馬鹿力の薔薇水晶が、両手でエナーシャ(手動慣性発動機)を廻し始める。
キュオオオオオ…という回転音が操縦席に響く。

「コンタクト!」
蒼星石は、ゆっくりとスイッチを倒した。
次の瞬間、誉二一型エンジンは、低い気温を物ともせずに唸り声を上げ、大きな振動とともにプロペラを回し始めた。
蒼星石が左手のスロットルレバーを少しだけ前に倒すと、エンジンは回転数を上げ、轟音を一際大きくする。
「車輪止め外せ!」
顔の前で交差させた手を開くサインを送ると、下にいる薔薇水晶と雪華綺晶の二人が、
主脚タイヤに噛ませてある車輪止めを外し、駆け足で機体から離れる。
蒼星石の紫電改は、地面をゆっくりと進み始めた。
滑走路に出て方向を修正し、はるか向こうの水平線を見据えた蒼星石は、スロットルをゆっくり前に押し出した。
瞬間、轟音とともに走り出す紫電改。
蒼星石がわずかに操縦桿を前に倒すと、気速のついた尾翼車輪が地面を離れる。
滑走路の端手前で蒼星石が操縦桿をもどすと…紫電改はふわりと地を離れ、曇った寒空を駆け上がる。
すかさず速度計に目をやり、速度を確認した蒼星石は、高度2500メートルまでそのまま真っすぐ上昇を始めた。
この機ならやれる。蒼星石はそう感じていた。

その頃、日本近海の低高度の空を、米機動部隊の空母から飛び立った四機のグラマンF6F戦闘機小隊が、全速で四国を目指して飛んでいた。
小隊の左端を飛ぶグラマンは、他のそれと違い、機体の翼から上は全て真っ黒に塗られ、尾翼には、そのグラマンが撃墜してきた日本軍機の撃墜マークが、
一見するだけでは正確な数が分からないほど描かれていた。そのマークは逆十字。
味方から“堕天使”と呼ばれるそのグラマンのパイロットは、豊かな銀髪を後ろでまとめ、右手に操縦桿、左手にスロットルレバーを握り、敵地を目指していた。
ミッドウェイ海戦以来、空中戦に次ぐ空中戦を経、米海軍ではその名を知らぬ者はいないとされるこの操縦者・水銀燈は、楽しげな表情で戦闘機を操っている。

彼女には忘れられない空中戦がある。
水銀燈は1944年6月に硫黄島近くの空域で日本海軍の戦闘機隊と空中戦を経験した。
ミッドウェイでベテランをほとんど失った彼らの大部分は経験の浅いパイロットであり、水銀燈はグラマンを操り、難なく敵3機を撃墜した。
少し前まで戦っていた敵のパイロット達と彼らの技術は、同じ日本軍であるにもかかわらず天と地ほどの差であり、水銀燈は、戦闘機乗りの技量の向上の大切さを思い知った。
その空戦を終えて空母に帰還しようと編隊を組みつつあった水銀燈達のグラマン編隊に、なぜか一機のゼロ(零戦)が近くまで寄って来た。恐らく自分達を味方と誤認していたのか、
そのゼロは水銀燈達が翼を翻して向かってくるや、一目散に逃げ出した。
ゼロ一機、片やグラマンは水銀燈含め15機。
グラマン隊の誰もが、労せずにこの間抜けなゼロを海面に叩きこめると思っていた。
しかしそのゼロは海面ぎりぎりまで高度を下げ、巧みな操縦で、グラマン15機がかわるがわる撃ちだす13ミリ弾をひらりひらりと回避した。
水銀燈も何度もそのゼロに機銃を撃ちこんだのだが、ゼロは予想外の動きでそれを避け、ただの一発も当てさせない。
水銀燈達はそのゼロの上空で円陣を組んで包囲していたのであるが、敵パイロットの見事な射弾回避に付いていけず、その円陣は次第に保てなくなり、
一機また一機と円陣から抜け出てしまい、ばらばらになってしまった。そのうちにゼロは硫黄島の上空に逃げ込み、それにつられたグラマン編隊は、
陸上の日本軍から対空砲火を受け、ほうほうの体で撤退した。

次に水銀燈が日本軍機に辛酸を舐めさせられたのは、台湾航空戦のときの事だった。
1944年10月12日、水銀燈の属する36機のグラマンの大編隊が台湾上空を飛行していると、無謀にも、日本陸軍の戦闘機、トニー(飛燕)がたった二機で突っ込んできた。
この戦闘において、米側が36機という大戦力である事が、皮肉にも米軍パイロット達の足を大きく引張る事になった。
米軍機は全員が日本機を把握できず、状況も分からないままてんでに急上昇・急降下するなどし、編隊はしばしバラバラになってしまった。
水銀燈は仲間の失態に苦々しく舌打ちをしたが、しかしそこは練度の高い米軍第38機動部隊のパイロット達、次の瞬間には日本機を包囲する戦闘隊形を組み、全速で日本機に迫った。
総指揮官以下9機が二機のトニーに襲いかかる。がしかし、トニーは見事なフェイントをかけ、総指揮官編隊に攻撃をかけるふりをして混乱させ、下方に控えていた別の9機に攻撃を仕掛けた。
一機のトニーの機関砲が火を噴いた…と思うや、一機のグラマンがばらばらになって堕ちていく。ここに至って、米軍パイロット達は、劣勢の日本機を舐めていた代償を知るのであった。
その後も日本機二機は、米軍側のどの小隊を攻撃するのか予測できない幻惑戦法を採り、確実に一機、また一機とグラマンを撃墜していく。
その様子を冷静に観察し、二機のトニーのパイロットの内一人は操縦を見るからにまだ新米で、恐ろしく技量が高いもう一機の敵パイロットが新米を上手くエスコートしてやり、その上自分達の
20倍近くの敵を縦横に攻撃しているという信じられない現実を掴んだ水銀燈は、何度も敵指揮官機の一機に攻撃を仕掛けたが、その都度、多すぎる味方機、敵指揮官の操縦技術、加えてトニーの
グラマンを上回る高速性能に阻まれ、一発の命中弾も与える事が出来ず、そうこうしているうちにグラマンは計8機撃墜された。
やっとのことで台湾の地上すれすれに二機の日本機を追い込み、明らかに疲労して操舵が鈍っている敵の新米トニーに水銀燈達が集中砲火を加えようとしたとき、もう一機の指揮官機が反転して
まっしぐらにこちらに突っ込んで来た。部下を守ろうとしていたのは明らかだった。水銀燈の横を飛んでいたグラマンが燃料タンクを撃ち抜かれたが、敵指揮官機も同時に水銀燈の撃った機銃弾を翼に受け、火を噴いた。
新米トニーにはこの間に逃げられてしまったものの、敵指揮官のトニーを撃墜でき、やっと終わった…と、水銀燈が胸をなでおろした次の瞬間、またも信じられない事に、その指揮官機は火を噴いたまま体当たりの体勢で突っ込んできた。
慌てて上昇するグラマンの編隊。それを確認するや、敵指揮官機は見事な操作で眼下の水田に不時着した。あの化け物を生かしてはおけない、とばかりに米軍パイロット達は入れ替わり立ち替わり不時着したトニーに銃撃を加えるも、
敵パイロットは間一髪で脱出し、近くの石垣に身を隠し、銃撃の体勢に入っていた水銀燈のグラマン目掛けて拳銃を撃ってきた。
結局、米軍機は残存燃料を考慮し、敵パイロット射殺を諦めて帰途に就いた。
艦載機であるグラマンは、母艦の空母に帰る燃料の事も考えておかねばならないからだ。
水銀燈は、拳銃弾にえぐられた風防ガラスの傷跡を操縦しながらちらちらと眺めつつ、血を騒がせていた。
…日本軍にはまだまだエースパイロットがいる!
水銀燈は、いずれ迎えるであろう日本本土決戦が楽しみになった。

今まさに、その日本本土に自分は向かいつつある。
台湾沖航空戦も終結した今、米機動部隊は日本本土目指して北上し、西日本をその射程に入れていた。
水銀燈の小隊は、今日が初めての本土進攻となる。計器盤にテープで留められた女性の写真に微笑みかけつつ、
水銀燈は、日本の防空部隊のエースと一戦交えようとの興奮を抑えきれず、操縦桿を握る右手に力を入れた。
これまでに四国に侵入した味方グラマンに少なくない被害が出ている事は伝え聞いていた。
帰路がひどく後味の悪いものになろうとは、この時点では彼女は知る由もなかった。

鵜来飛行場では、無線機を引張って来た槐少尉が、上空の紫電改と無線交信を試みていた。桜田は双眼鏡で紫電改を捉えている。
槐「こちら飛行場。二飛曹どうぞ。聞こえるか」
わずかな雑音の中から、明瞭な答えが返ってくる。
蒼『こちら試験飛行中の紫電改。感度良好。どうぞ』
その場にいた一同は歓喜の表情を見せた。
槐「すごい、紫電改の空中電話の感度は最高です!」
梅「これで編隊戦闘が楽になるね!」
笹「頼もしい限りです」
ジ「よし、操縦に不具合がないかどうか聞いてくれ」
槐が再びマイクに向かった瞬間、指揮所裏の地下壕にある無線室から白崎少尉が血相を変えて駆け出して来た。
白「報告します!沖合20キロの哨戒艇より入電、先ほど1300時、敵グラマン小隊が足摺岬へ向け進攻中!」
それを聞いた桜田司令以下の表情が険しくなった。
桜「蒼星石二飛曹、直ちに着陸…」
蒼『紫電改より地上整備兵へ。当機の武装は使用可能か』
桜「聞こえていたのか!…」
桜田少佐が二人の整備兵を振り返る。不安げな双子の姉がそれに答えた。
雪「司令、あの紫電改には各銃とも全弾装填されています…」
梅「何だと!蒼星石、単機でグラマンの迎撃に向かう気か!?」
桜「蒼星石!馬鹿な真似は…」
しかし、紫電改は叱責を無視し、翼を翻して足摺岬目指して飛び去っていった。
つづく

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