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昭和17年4月1日 東京
春の暖かな晴天下の東京市を歩く二人の少女。
彼女達のまとうセーラー服は、東京女子高等師範学校のそれである。
街の賑わいの中をいく学生であろう二人は、楽しそうに言葉を交わしつつ、合わせ鏡のように、どちらかが笑うともう一方も笑顔を見せる。
国運を賭けた大東亜戦争開戦からおよそ半年経つものの、浅草通りは戦時下とは思えない情景であった。
往来には多くの人出。市電は賑やかに二人を追い越していく。
ふと、通行人の誰かが空を仰ぎ見た。どこからかエンジンの響きが近づいてくる。
足を止めた人々が見守る中、東京湾の空のほうから、飛行機の編隊が点々と向かってくる。
誰かが万歳を叫んだ。その合唱は瞬く間に市電通りに広がった。
帝國海軍機の演習飛行だ…少なくともその時まで、人々はそう思い込んでいた。
次第に大きくなる編隊の中にいる大きな飛行機が何かを落としはじめた。
途端に腹の底から響く爆発音。初めて違和感に気づいた人々。
ややあって、不安に駆られた彼らがあとずさりを始めた時にはもう遅かった。
飛行機の翼にあるのは日の丸ではなかった。
大編隊から離れた一機の飛行機が、機首をまっすぐにこちらに向けて突っ込んでくる。
星のマークが描かれた敵アメリカのB-25爆撃機は、機首に備え付けてある機銃を通りに向けて撃ち始め、開いた弾倉から黒い円錐形を点々と投下した。
殺意を持って放たれた爆弾はヒュルヒュルと不気味な音を立てて落下し、列をなして次々と地面に突き刺さり…
弾け飛ぶ肉片。炎に包まれる路面電車。砕けるショーウィンドウ。泣き叫ぶ声、舞い上がる黒煙、砂塵…
その上を通り過ぎていくB-25の編隊。
…倒れていた少女がしばらくして目を開けると、薄れつつある砂塵の中には、散らばる血液と肉。
思わず吐き出しそうになるのを抑えて立ち上がろうとした彼女は、自分の上に何かが覆いかぶさっているのに気づいた。
すでに硬くなっているその肉体がまとうセーラー服の背中には紅蓮の花。
地面をえぐる機銃掃射の束が少女を貫こうとした瞬間、彼女をかばうように抱きかかえたその人は息絶えていた。

先ほどまでつないでいた手の柔らかさも暖かさももうどこかへ行ってしまっていた。
「姉さん!姉さんっ…!」
少女の嗚咽は、もはや呼びかける対象に届いてはいない。
亡骸をかき抱きつつ、怒りに燃える目を空に向ける少女。
既に去った敵を追う日本の戦闘機の日の丸がやけに小さく見えた。
その日、米国民の戦意高揚のために実施されたジミー・ドーリットル少佐率いるB-25爆撃機隊によって実行された東京初空襲は、日本側に約50名の犠牲を出した。

生き残った少女の名は蒼星石。
彼女の父親は、日本の同盟国ナチスドイツの高官、ローゼンベルク在日大使である。
空襲を免れた彼は、負傷者が集められている病院に運ばれていた双子の娘の姉、翠星石の変わり果てた姿を見て悲嘆に暮れた。
彼の悲しみに追い打ちをかけたのは、もう一人の娘、蒼星石の言葉であった。
涙を流しつくした彼女は、唐突に母国語で切り出した。
『お父様、お願いがあります』
『…ああ、こうなった以上、ドイツに帰りたいと言うんだろう?Uボートを手配するから、日取りが決まればお前は本国に帰ると良い…。
残念だが学校には退学届を出しておこうか』
『いいえ、僕は帰る気はありません』
『…?どうする気なのか?』
『僕は日本軍に志願し、戦闘機の操縦士になります』
そう聞いたローゼンベルクは驚きを隠せなかった。
『…蒼星石!何を言うんだ。翠星石が死んでしまったというのに、お前まで何故そんな危険なことを望むのだ』
『だからです。僕は、姉さんを…非戦闘員の命を奪った米軍が許せないんです』
『…我がナチスドイツもアフリカ戦線で米軍と戦っている。何も日本軍に志願せずとも、せめて我が第三帝国空軍に…』
『お父様、僕は総統率いる現政権に対しあまり好印象を持ってはいません。それに、今日の空襲に対し、何もできず、
人々を守れなかった日本軍には失望してしまいました。ですから…』 

『お前…総統閣下に何と言う事を。それに…』
『それに日米開戦前、戦争を回避しようと奔走した日本の来栖大使の御子息も日本軍で操縦士をしているのはご存知でしょう?彼の母は米国人です。
青い目をしていても日本軍の一員として戦っている。僕だって…』
『お前は女の子だぞ…それを分かっているのか?』
『…死に物狂いで頑張ります。ですからどうか、お父様から海軍に入隊のための口添えをお願いしたいのです』
オッドアイの瞳の奥に消しえない覚悟の火を認めたローゼンベルクは、生き残った愛娘を力なく抱いた。
『おお…大事な娘を今日一人失ったというのに、お前まで私の側から離れていくとは…』
蒼星石も、老いた父の背中に手を回す。
『…申し訳ありません。もう僕には…姉さんを失った今、こうするしか生きる意味がないのです』
『約束してくれ蒼星石。翠星石のように、お前まで私より早く天に召されぬようにと…』
『…はい』

ローゼンベルクは直ちに日本海軍に掛け合った。
海軍の担当者は、体力的に劣る女性を操縦士として訓練するのは危険であるとし、何より前例がなく、軍の士気にかかわるとして突っぱねようとしたが、
蒼星石がラクロスの選手であった事や、ドイツにおいては女性でも能力に従い様々な職場に登用されうること、
そして断れば同盟国ナチスドイツがいかなる圧力をかけるか分からない、とローゼンベルクから示唆され、さすがに折れざるを得なかった。
ついに蒼星石は、霞ヶ浦海軍航空隊の飛行練習生の一員として、昭和17年夏から厳しい訓練を受けることになった。
当然女性の生徒は一人だけで、初めのころは女であることと瞳の色から、周りの生徒にいやらしい目で見られたり、嫌悪される事もあったが、そんな生徒ほど、
訓練が進むにつれ、教官から操縦不適格とされて原隊復帰を命ぜられ、航空隊から消えていった。
どんなに肉体的、精神的につらい訓練も歯を食いしばり耐え続けた蒼星石は、ついに飛行練習生としての全過程を終え、昭和18年冬に卒業証書を手にしたのであった。

…それからおよそ一年。
場所は高知の西に浮かぶ小島、鵜来島。
司令官一名、通信士兼要務士二名、整備兵二名、そして戦闘機一個小隊からなる、航空隊と言っていいのかどうか分からないほどの小さい部隊がそこにあった。
つまるところ、海軍は、蒼星石を戦闘機の搭乗員として鍛えはしたが、まさか同盟国の大使の娘を危険な前線に送り出すわけにもいかないために、日本本土(内地)勤務を命じたのである。
蒼星石の部隊、第443海軍特務飛行隊は、蒼星石のために急造されたようなものだった。
蒼星石が飛行練習生を修了する少し前、前線から二人の熟練搭乗員が、443隊への転属命令を受け、鵜来島へ輸送機に乗ってやって来た。
急ごしらえの滑走路と飛行機を隠す掩体壕、そして戦闘指揮所。
指揮所で二人を待っていたのは、桜田というまだ若い海軍少佐だった。
梅岡少尉、笹塚飛曹長の両搭乗員が驚いたのは司令官の若さだけではなかった。
通信士兼要務士は何と陸軍から派遣された人間で、一人は槐、もう一人は白崎という名の陸軍少尉であった。極めつけは整備兵で、
この二人は双子、しかも勤労動員上がりの女子整備工である。
薔薇水晶と雪華綺晶というのが、彼女達の名前だった。
ただでさえ戦火激しい前線に、後ろ髪をひかれる思いで戦友を残して来た梅岡と笹塚はこれを見てげんなりしてしまった。
なぜか急ごしらえで作られた部隊に、寄せ集めの人材。
とは言え、基地の設備は最新鋭の機材ばかりで、特に通信設備は、太平洋側の海岸線沿いの防空レーダー網・監視網とリンク出来るものだった。
戦闘機にいたっては、当時の最新型零戦・52型が配備されて来ていた。
当初は不満げだった梅岡・笹塚両搭乗員であったが、新鋭機材を廻してもらえた事に加え、物腰の丁寧な司令官、
年の近い要務士の二人、腕の確かな双子の整備兵とも打ち解けるようになり、戦闘が全くない鵜来基地には和やかな空気が流れるようになった。
そしてしばらくして、異例の新米搭乗員・蒼星石を基地に迎え、ここに、異色極まりない
小さな航空部隊・第443航空隊が発足した。昭和19年の事である。
つづく

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