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一 夢みたこと

朝日が差し込んでいる。その眩しさで真紅は目を覚ました。随分と眠っていたような気がするけれど、よく思い出せなかった。
頭が酷くぼうっとしている。そもそもなぜ自分は座りながら眠っていたのか。
真紅の席と向かい側には大きな空の食器。何かが乗っていた様子も無い。
真紅は見た事も無い場所だった。
「なんなのここは…?」
狐につままれたような気持ちで真紅は席から降りた。椅子は足がつかないほど大きく、飛び降りるような形になる。服の揺れる衣擦れの音が大きい。
真紅は自分の服を確かめた。
人形展の時にも着ていった紅いドレスだ。いつの間に着替えたのか。
自分の指が関節ごとに丸く膨らんでいた。まるで球体関節人形のように。いや、球体関節人形そのものだ。
真紅は人形になっていた。
椅子も食器も大きいのではなくて、自分が縮んでいたのだ。
慌てて真紅は鏡を探した。ちょうど部屋の隅に薔薇の彫刻に縁取られた姿見があった。
駆け寄り、自分の姿を写しだす。考え通りそこには気品にあふれる紅い人形が一体立っていた。
その姿はまさに。
「…ローゼンメイデン…」
震えた声で呟く。自分の頬に触れる。そのまま自分を抱きしめる。
この異常な事態に真紅はなんの疑問も持たなかった。
「やっと、やっと…ここまで」
ただただ真紅の胸は感動で打ち震えていた。無意識に流れ出た喜びの涙が真紅の頬をつたう。
そうだ、これこそが正しい。やっと収まるべき場所に収まったという気すらする。
いままでの人としての生活のほうが間違いだったのだ。この姿こそが正しい。
真紅の赤熱した頭脳は次の考えを紡ぎだす。
自分が人形ならば、この場所はなんなのか。そんなもの、決まっている。
(お父様の家だわ)
その考えは天啓のように真紅の脳裏に閃いた。
「お父様!お父様!どこにいらっしゃるのですか!」
真紅の声に答えるように微かにコーヒーとふんわりとしたパンの焼ける香りがし始めた。
ここがお父様の家ならば、食器を用意したのはお父様だろう。
待っているべきかしら。真紅は一瞬そう考えたが、けれど近くにお父様が居るとわかっただけで、もう真紅は走るような勢いで歩き出していた。

早くお父様に会いたかった。話を聞いてほしかった。この姿を見てもらって抱き上げてもらいたかった。

香りに誘導されて真紅は扉を開けた。ドアノブは真紅にも手の届く場所にも着いていた。やはりこの家はローゼンメイデンのためにある。
けれど扉の開いた先は、まだお父様のいる部屋ではなかった。
通路のような場所。小さな丸い天窓が3つはまっていて、柔らかい朝日はここにもある。
右手側に真紅の背より高い棚が作られていて、たくさんお人形が陳列されている。みんな腰を下ろし壁に背を預け、朝日を浴びて眠っていた。
一番手前に白い人形。それから桃、蒼、翠、黄、黒そこで人形は途切れて、扉があった。
ちらりと桃の人形の笑顔を見る。けれど他の人形に興味はなかった。真紅は小走りに次の扉に向かい、ドアノブを捻る。
がちゃり。
扉は開かない。扉には鍵がかかっていた。何度も扉をあけようとする。開かない。
「なんで…!」
真紅は呻いた。心の中の喜びと期待がそのまま焦りと失意に塗り替えられて行く。
真紅は絶叫した。
「お父様、どうか開けて下さい。貴方の娘の真紅です、会いに来たんです!お父様!」
ドアを叩く。分厚い一枚板でできたドアはびくともしない。
真紅はさらに激しくドアを叩き続けた。
「お父様!私はここにいます!気づいて!」
ドアの向こうから返事は無い。
「お願いです、お父様、おとうさま…」
だんだんとドアを叩く力が弱まっていく。力なく腕が垂れる。
「どうか…」
もう言葉にもならなかった。涙がぼろぼろと足の間に落ちていく。
「当たり前じゃなぁい」
右を振り向くと、眠っていたはずの黒い人形が笑っていた。
チェシャ猫のような三日月の笑み。嘲る笑いで真紅を見下ろしている。
「お父様が貴女みたいなブサイクを愛するわけないじゃない。お父様が愛しているのは私、一番最初に作られたこの私よ」
真紅は一目でこの黒い人形が自分の天敵である事に気がついた。
それにさっきの姿を見られていたのだとしたら最悪だ。
「順番なんてたいした問題じゃないでしょ」
「そうかしらぁ?」
黒い人形は音も無く羽ばたき、真紅の上空をゆらゆらと漂い始めた。
「私達って随分似てないわよねぇ。つまり一つ前の作品を発展させる形で作られた訳じゃないのよ。おわかり?」
黒い人形はにやにや笑っている。真紅は黒い人形をにらみながら慎重に答える。
「それが?」
「つまりお父様は私たちを同時期に構想されていたのよ。なら、制作順番はお父様が少しでも早く世に生み出したかった順と言えるでしょ」
「くだらない妄想よ。根拠がないわ」
もっと他に言い返した方がよかったが、うまく頭が回らない。
「じゃあ、なんで貴女のためにお父様は扉を開けて下さらないの」
「…」
真紅は答えられなかった。
「かわいそうな五番目ちゃん。貴方は誰にも愛されてない」
黒い人形は歌うように言って、手を広げた。空に浮かび、朝日を受けて優雅に手を広げる黒い人形は、美しかった。真紅でも認めざるを得ないほどに。こんなに憎らしいのに。
「そしてお父様に最も愛されるのはこの私。お父様に最も近しいのは私。お父様の棺に蓋をするのもこの私なの」
黒い人形は優しく真紅の頭に手を置いた。そして女王の高圧さで告げる。
「さ、五番目ちゃん貴女の席はあそこよ」
蒼の人形と桃の人形の間を指差す。

真紅は黒い人形の手を払いのけた。
真紅の胸の内に溜まった黒い油のような感情に火がついた。激怒だった。
「うるさいのよ!こんな連中と私は違う!」
叫んでから、真紅ははっと息をのんだ。
「あらあら、お姉ちゃん悲しいわぁ」
黒い人形は蔑んだ目で、こちらを見ていた。
「…ただの事実なのだわ」
「結局のところ、貴女にとって姉妹は邪魔物にすぎないのよ」
「違う!」
「私の人形を壊したくせに」
「壊したくて壊したんじゃないわ、私だって貴女の人形展が成功するように力を貸していたのだわ」
「嘘。貴女にとって、私の人形展は自分の名前を高めるための踏み台に過ぎなかった。だから私の人形を壊したんでしょう?だって貴女以外に輝く物があっては困るものね」
なじる声は降り注ぎ続ける。
「人形展が私にとってどんな価値があったか、貴女は気づいていたはずよ。けれど、貴女はそんなこと気にもしなかった。いいえ、気づいて、そして見下していたんでしょう。私の気持ち、私の行為全てを」
「私は貴女が人形師として成功すればいいと思っていたわ」
「それが見下しているというのよ!貴女に与えられる必要なんて私には無かった」
みしみしと音を立てて、水銀燈の翼が広がり続けていた。
「答えなさい真紅。貴女は私の造った金糸雀に何を見たのか」
「貴女が自分の優位を確信していたのなら、あの時ああも取り乱す必要は無かったでしょう」
「…」
「答えられないのなら、言ってあげる。貴女はあの時アリスを見ていたのよ。もはやアリスに近づくはずも無いと思っていた私から、ああいう物が飛び出して来たから、貴女はあんなに取り乱し、私を否定せずにはいられなかった。違う?」
真紅は黙り続けた。水銀燈の唇はつぃっ、と悪意ある形に吊り上がる。
「まぁ、どうでもいいわ。お返しよ。受け取りなさい」
真紅は自分の右腕に黒い羽根がまとわりついている事に気がついた。そして気がついた時にはもう遅い。真紅の右腕に激痛が走り、そのまま右腕はちぎれ飛び、ぼたりと床に落ちた。
震える左手で、右腕の袖を掴んだ。真紅は膝をつく。全身が瘧のように小刻みに震えていた。
上から黒い人形の笑い声が降ってくる。
「これではっきりしたわ。壊れたお人形がお父様のお気に入りな訳ないでしょう」
そして黒い人形は笑い続けていた。体をのけぞらせるほどの大笑いだった。
「あはは、なんて不格好なの真紅ぅ!」

二 夢の顛末

有栖川病院の飾り気の無いベッドの上で真紅は跳ね起きた。
「あぁあっ…」
右腕が、もはや無い腕が痛くて痛くてたまらなかった。
また血が流れ出したのかと思った。出血を止めようとする左腕が空中を掴む。
「いっ…た」
呻く。脂汗が止めどなく流れた。
痛みに朦朧となりながら真紅は思う。
(ああそうか。無くした腕はあの人形を砕いた腕だった)
人形展の金糸雀人形。どこか遠くを見るような眼差しをしていた。あの目は遠くにいるお父様を見ようとしているように思えたっけ。そこが気に入らなかった。
真紅自身何を考えているのかよくわかっていない。ただの痛みからの現実逃避だった。
どれだけそうしていただろうか。やがて痛みの波は小さくなってきた。
真紅は荒い息を吐いた。
思い出されるのは、夢に見た黒い人形の吊り上がった笑み。
「水銀燈…」
左腕にさらに力が入る。
その瞬間、控えめなノックの音が響いた。
「誰?」
「真紅、入ってもいいかしら?カナかしら」
おずおずとした金糸雀の声。
最悪のタイミングだったと言っていい。

けれども。
「ちょっと待って頂戴」
鉄の自制心で、真紅はいつもの平然とした声を出した。
手早くハンカチで汗を拭き、髪を整えた。
痛みが引いて来たとはいえ、酷く体が熱っぽいのを我慢して平気な顔を取り繕う。
「いいわよ」
「こんにちわ、真紅」
声音の通り、おずおずとした調子で金糸雀が入って来た。右手に不死屋の紙箱、左手にヴァイオリンケースを持っている。
真紅はただ無関心な一瞥をくれた。
「貴女が来るとは意外ね」
「そうかしら」
「何しにきたの?」
金糸雀は不意にぶたれたような、少し驚いた顔をした。
「その…体の調子はどうかしら?」
「おかげさまで調子がいいわ」
「…あぅ」
気まずい沈黙。
(ど、どうしたらいいのかしら…)
金糸雀は人に邪険にされるのは、これが初めてだった。少なくとも自覚している限りでは。
自分が嫌がられているのはわかるが、目の前の真紅はなんだかいつもと様子が違うし、ジュンとお見舞いに行ったときよりも調子が悪そうなので、さっさと帰る事もしたくない。
「えっと、その…」
金糸雀の心配そうな表情に真紅は内心苛ついた。
(この前、ジュンと一緒に来て、義理は果たしたと思うけれど)
金糸雀にわからないようにそっとため息をつく。別に相手を気遣っての事ではなく、金糸雀に感情を乱されていると思われるのが嫌なだけだ。

真紅の視線がさらに冷たく重くなった気がして、金糸雀は内心慌てた。
そこで気がつくのは手に持った不死屋のケーキの紙箱の重みである。
今日買ってきた紅茶と苺のロールケーキはかなり場を和ませてくれる気がする。紅茶のスポンジに包まれた生クリームの中で苺が半分に分かれていて、まるでリスザルの目みたいにくりっとしているのだ。
いきなりこんなに気まずくなるとは思っていなかったが、そういう和み効果を期待して金糸雀が一生懸命選んだ一品だった。
(ととと、とりあえず不死屋のケーキで場を繋ぐかしら!?)

「と、とりあ」
「金糸雀」
「へ?」
不死屋の紅茶のロールケーキを取り出そうとし始めた金糸雀はきょとんとした。
「貴女が心配するような事は何もないわ」
改めて、真紅はそう切り出した。
「貴女は私が打ちのめされて、酷く落ち込んでいると思ったんでしょうけれど、そんなことはないわ」
真紅は襟の第一ボタンを止めてみせた。
「ほらこのとおり。腕が一本なくなったくらい私にはどうってことないのだわ。少なくとも貴女が責任を感じるような事じゃなかったのよ、あの事は」
真紅の右腕が飛んだ時、目の前にいたのは金糸雀だった。
「そうかもだけど…」
金糸雀は申し訳なさそうにしている。
(勘違いされたらたまらないわね)
素っ気ない態度を気丈な態度だと勘違いされてしまうと。金糸雀が頻繁にお見舞いに来るようになりそうだ。それは正直うんざりするので、ごめん被りたかった。だから駄目押しをしておく。
「だからわたしは貴女の哀れみなんていらないのよ」
金糸雀は病室に立っているが、あごを引き、上目遣い気味に言った。
「カナは哀れんだりなんてしてないかしら」
「筋合いのない心配は哀れみと同じだわ」
「カナと真紅は姉妹かしら」
真紅は今度こそ大きくため息をついた。話が面倒くさい方向に転がりだしているし、腕の痛みもぶり返し気味だ。ちくり、じわりと痛みが増していく。腕の切断面に一本づつ針を刺していくような痛み。
ほうっておいてほしかった。『貴女の顔なんて見たくもないからさっさと出て行って頂戴!』と叫べたらどれだけいいだろう。
けれど、そんな人前で取り乱すなどという振る舞いは真紅の美意識が許さない。
あくまで落ち着いて金糸雀を追い出しにかかる。刃物のような冷たい表情が真紅の顔に浮かび始めていた。
「姉妹ね…私たちにとって、姉妹という関係はどれほどの物なの?」
「…」
金糸雀は言葉に詰まった。真紅の予想通り、金糸雀はそのことについて深く考えた事はなかったようだった。
水銀燈が他の姉妹は全員敵だと吹き込んでいるかと思っていたが、その様子もなさそうだ。
「私はそもそも貴女に興味がなかったわよ。貴女が桜田さんの家に押し掛けてこなければ関わりあう事もなかったでしょうし」
「でもその前に夏にみんなと知り合うって決めたのは真紅かしら。真紅は欠席だってできたでしょ」
「あの時は少しは意味があるかもと思っていたわ。けれど貴女達と知り合ったこの数ヶ月間はなんの収穫もなかったわね。貴女達はローゼンの娘としての自覚があまりにも足りないのだもの」
既に真紅は常人なら涙を流してもおかしくない痛みを感じていたが、それに加えて今までの針で刺される痛みではなく、突然斧を肩口に叩き込まれるような発作的な痛みが真紅の腕の中で跳ねた。
さすがの真紅も一瞬視線を右腕の付け根に視線を走らせた。当然異常はない。

そして真紅は他の事に気がついた。
さっき止めて見せた服のボタンが外れている。半端に穴に通す事しかできなかったため、簡単に外れたらしい。一瞬痛みを忘れるほどの感情が真紅の胸の内に吹き荒れた。
それは自分への激怒であり悲鳴であり、なにより失望だった。
「ローゼンの娘としての自覚ってなんのことかしら?」
金糸雀が不思議そうに問うてくる。
激痛は止まない。むしろ斧を二度、三度と傷口に繰り返し叩き付けられているかのようだ。そして失望も消えない。でもここで返事がなければ不自然だ。
「アリスを目指すということよ」
「アリスを目指す?」
金糸雀はその答えがあまりに意外で、理解できなかった。
返事がなくても真紅は続ける。真紅の言葉はすでにうわ言のようになっており、それ自体が異常な熱に浮かされていた。
「そうよ。私は違う。愚かな貴女、目をそらす翠星石、卑屈な蒼星石、甘ったれた赤ちゃんの雛苺そのどれとも違う」
真紅はきつく自分の右腕の付け根、もうそこから先はない付け根を左手できつく掴んだ。
「真摯にアリスを目指しているのは私だけだったわ」
「おねえちゃんがいるかしら」
むしろ水銀燈を一番酷く嘲うために、真紅がこういう話し方をしたことに金糸雀は気がつかない。
そして真紅は会話を誘導したために、金糸雀の意図に真紅は気がつかない。
金糸雀が水銀燈の名前を出したのは、真紅に自分は独りだと思って欲しくなかったからだ。
二人はお互いの意図や、いつもと違う態度をとる理由を全く分かっていなかった。それでも会話は続く。
真紅は鼻で笑った。
「ははっ。水銀燈が一番おかしいのよ。壊れているわ」
「壊れ…?」
「そう。ジャンクよ」
真紅の胸にある感情は自分に向けられたものだ。けれど、それを噴出させる方向まで自分に照準を会わせる必要はない。目の前には金糸雀がいる。こいつが一番大事にしてるものが何かはわかってる。
現実逃避であることは薄々分かっていた。でもどうでもよかった。
どうせ現実に大事な物は戻ってこない。なくなった腕。完全な自分。お父様との唯一の絆。
「教えてあげるわ、水銀燈が」
ガゴン!
金糸雀が床にヴァイオリンケースを叩き付ける鈍い音が響いた。微かに内部の弦が振動する音がその後に続く。
「いらない。取り消して」
金糸雀は迷いのない口調で言った。その視線は鋭い。
「おねえちゃんだけじゃない。みんなに言った酷い事全部取り消すかしら!」
「答えはノーよ」
しばらく二人はにらみ合った。が、真紅には限界がある。
「っ…あ」
ついに目覚めた時と同じくらいに膨れ上がった腕の痛みに真紅はおもわず背中を丸め、かがみ込んだ。
金糸雀は自分の怒りを忘れて、真紅に駆け寄った。

金糸雀がにやにやと笑っているような気がする。目線を上に戻せない。
「痛いの!?真紅、真紅!」
金糸雀の手が真紅の背中に触れた。
真紅は背中の手を払いのけようとしたが、それは激しい痛みのせいで加減がきかなかった。
左腕に鈍い感触がして、それから不意に感触がなくなる。振り上げた左腕は勢い良く金糸雀のあごを打っていた。
金糸雀はたたらを踏むように2、3歩後ろに下がった。それから膝が床に落ちる。その姿勢は足を崩した正座のようだったが、すぐに上半身が足を抱え込むようにして前のめりに倒れた。
ごん。頭をそのまま床に打ち付けた音がする。

嫌な予感がする。さすがの真紅の声も震え始めていた。
「金糸雀、腕が当ったみたいね?悪かったわ」
「…」
金糸雀は何も答えない。妙な姿勢もそのままだ。
心臓が激しく打っているのに、真紅は体が冷えるのを感じた。腕の痛みさえも壁を隔てた遠い事のように感じられる。
にじみ出た汗が冷えて気持ち悪い。
「早く起きて頂戴」
言い終わる前に真紅はベッドを滑り降りた。金糸雀の背中を揺らす。
真紅のされるがままに金糸雀は揺れた。自分では指一本も動かさない。
(死んでる)
そんな発想が頭に浮かんだ。理性は否定する。人が腕があたったくらいで死ぬ訳がない。そんなわけはない。血だって出てない。
うつぶせの金糸雀をひっくり返せば、すぐに確認できる事だった。
けれど人形展の事が、今の状況に重なる。
あの時も腕に少しの感触を感じただけだった。けれどあの人形は終わってしまった。
生気すら感じた物が全ての意味を失ってしまう、理不尽な終わり。人形の壊れた顔に現れた空洞。まるで操り人形の糸が全て切れてしまったような、突然の終わり。
今、金糸雀がうつぶせたその顔はどうなっているのか。おそらくなんの外傷もない。けれど顔があったところで、もう魂は抜け出てしまっているのではないか。

初めて真紅の頬を痛みのためでない汗が伝った。
恐い。
「なんなの…一体これはなんなの…?」
腕をなくして入院して、目の前で金糸雀が死んでいる。
自分のなす術無くなにもかもが崩れて行く。まるで自分の座っている床すら砂になって落ちて行くようだ。
暗い。
寒い。
生まれて初めて、真紅は気絶した。


さてどうしよう。
メグは真紅の病室に一人立ちながら考える。
病室のお隣さんに挨拶しようと思ったら、先客に金糸雀がいて、しばらく覗いていたらこの有様だった。

いきなり医者を呼ぶのはやめておこう。
この状況をみれば治療だけではすまない。
原因が追及されて、お互いの保護者に連絡がいけばもうアウトだ。
ただでさえ両家の関係はこじれているのだから、もう入院中にお見舞いに行く事も出来ないだろう。
それどころか警察がしゃしゃり出てきて、真紅の腕が失われた事件との関連を追求するかも知れない。
「せぇの…っと」
なんとか真紅を抱え上げる。
片腕になってしまった事を差し引いても、真紅はメグでも持ち上げられるほど軽かった。
とはいえ真紅をベッドに戻すと、メグの両腕は震えていたし、酷くむせたが。
(ちゃんと食べてるのかしら、この娘)
ぜぇはぁと息をつきながら、メグは自分の事を棚に上げて考えた。

実は昨日めぐはのりと出会って、少し話をしていた。
その時『真紅ちゃん』のことを口にするのりの顔には見覚えがあった。
一昔前に自分のお見舞いに来た自分の父親の顔だ。
頑に心を閉ざす相手にどう接していいのか分からない、途方に暮れた顔。
(こういうのを同病相哀れむって言うのかしら)
真紅をなんとかしてあげたいと、めぐは思う。
真紅のような子供はほうっておけば自分で築き上げた城壁の中から出てこれなくなるだろう。
自分は水銀燈との出会いによって、そうならずにすんだ。
金糸雀と真紅の関係がそれと同じになってくれればそれが一番良いのだが、それは正直無理だろう。
「どうしたものかしらねー」
次に、侍が切腹してから前のめりに倒れたみたいになっている金糸雀をひっくり返す。
「ぷ」
メグは思わず吹き出した。
倒れた時にケーキの箱を下敷きにしたようで、クリームが髭のように口の周りについていた。
まるで季節外れのサンタクロースだ。
「カナちゃんらしいわ」
ハンカチを取り出しながら、メグはそんなことを呟く。

ぐにぐにと口周りを触られる感触で金糸雀は目が覚めた。
「うー…?」
口の中で消えるごく小さな声を発しながら、金糸雀がうっすらと目を開けると目の前には真紅の顔があった。
金糸雀は脳しんとうの影響で少し記憶を失い、残った記憶も混濁していたため、なぜ真紅に触れられているのかさっぱりわからなかった。
けれど真紅はとても真剣な表情で自分の顔を触っているので、金糸雀はしばらく真紅のさせたいようにさせてあげることにする。
真紅の手つきは盲人が人の顔を確かめるような柔らかさで、金糸雀には心地いい。
(まるで卵になったみたいかしらー)
本当のところビスクドールを触るかのような慎重さで触っていたのだが、金糸雀が知るはずもない。
下まつ毛をくすぐる真紅の指がくすぐったい。
「…よかった」
と、真紅は安心して息をついた。金糸雀は真紅が今にも泣き出しそうな表情をしている事に気がつく。
「だいじょーぶ、かしら」
何が問題なのかも把握しなていないのに生来の能天気さで金糸雀はそう言った。
そのままひょいと手を伸ばして、真紅の目尻に光る涙を拭う。
真紅を元気づけるために金糸雀はにこにこと笑ってみせた。
真紅は二度、目を瞬かせた。金糸雀が起きていることに気がついていなかったため、驚いているらしい。真紅があっけにとられている間も、金糸雀は田舎のひまわりの様なのどかさで笑いかけ続ける。
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