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追う側と追われる側、どっちが辛いかと言えば、やはりそれは追われる方でしょう。
追われる側は追う側より立場が弱く基本的に弱者ですし、追う側は前を見れば良く自分の身の危険は基本的に考慮せずとも良いのです。技術としてどちらが高度かは置いておいて、その心理的プレッシャーだけ見れば雲泥の差があるでしょう。
基本的には。
では、その基本が万一崩れた場合はどうなるのか。
つまり、何を履き違えたのか弱者が強者を追わねばならない状況だったら――皆まで言えば、今のわたくしなんですけども。
これがですね、精神的にかなり来るものがあるんですよ…ええ、身を持って体験(実績したり体現したり体験したり、なんて今日のわたくしはアグレッシヴなんでしょう)しました。これはキツいです。凄く。泣きそうになるくらい。
何がそこまでキツいのか。それは、“諦める事ができる”という点に尽きます。
もし追われる立場であり、仮に追跡者が自分の命を狙っていたとしたら、そもそも選択の余地などないのです。諦める事はイコール命の放棄であり、それを認めない限り逃げ続けるしかありません。
ところが追う場合は事情が変わります。簡単に言えば、追わないという選択肢が、諦めの逃げ道が存在するのです。
逃げ道…ああ、なんて素晴らしい言葉でしょう。わたくし大好きです。何事にも、まず逃げ道を確保せよ。まさしく至言じゃありませんか。
が、追いつくという行為が、何としても達成したい目標である場合…この逃げ道は、最大級の難関として立ちはだかる事になるのでした。特に、わたくしのような者には。

ズシン…ズシン…
地響きならぬ木響きがダイレクトに伝わって来ます。そのたびに枝の折れる音が鳴り、ギャアギャアと生き物の鳴き声がこだまし、その密集具合を明確に突きつけてきました。
(行った…みたいですわね) 
はー、とようやく呼吸らしい呼吸が出来ました。隣接して生える大木の根の隙間に膝を抱えて潜み、恐怖に震えながら息を殺すだけでもわたくしにはかなりしんどい行為であります。
さて、当面の危機は去りました。今から追われる側から追う側へと変わり、追跡を開始するのです…が、
「………ぐす」
現実のわたくしは、そのままベソをかくだけなのでした。
今わたくしがいる場所は世界樹の上層。高度が上がってきたためか世界樹の葉の部分が占める割合が多くなり、上層部の地表(腐養土)にはあまり光が届かず、イメージとしてはジャングルをでっかい山に被せたような感じでしょうか。
おかげで隠れる場所には事欠かないのですが、逆に視野が狭く、かつ滞在している魔物はわたくしなど手も足も出るはずもなく。
妹と別れておよそ半刻。みっちゃん亭より大きな魔物や、魔物を襲いその獰猛さを遺憾なく発揮している魔物などを見るとわたくしはすぐさま近場の穴に身を隠しました。
ここまではいいのです。わたくしの力量を鑑みれば、当たり前の事。義務と言ってもいいでしょう。ですがその魔物が去り次の行動に移る時、わたくしは猛烈な葛藤に襲われるのです。
…このまま、ここに居たい…
恐いんです。今回は見つからなかった。でも次は?それ以外に罠にはまってしまうかもしれない。痛い思いをするかもしれない。恐い思いは――必ずする。
そして何より、このままじっとしていればきっと安全…その甘く爛れた事実が、ねっとりとわたくしの体を蝕んでくるのです。
その度に水銀燈さんやめぐさん、翠星石や巴さんや妹の事を思いなけなしの勇気を奮起させはするのですが…
「ぐす…ホント、泣きたくなりますわ…」
そうしなければ動く事もままならない自分に。何度も何度も妹に背中を押されたのに性懲りもなく足を止めてしまう自分に。いっそ銃でも突きつけられて動けと命じてくれればどんなに楽か――そう思ってしまう自分に。
そうやって自虐に浸っているとだんだん自分に腹が立って来て、そのエネルギーを元にもぞもぞと穴凹から這い出したわたくし。この際、動く意志になる事なら何でもウエルカムですよ。
しかしそのエネルギーもそう長くは保ちますまい。動くのには勿論のこと、周りの恐怖に耐え続けるのにも必要なんです。わたくしがいかに仲間達に依存していたか良く解るというものでした。
「ばらしーちゃん…」
大会が始まりこれまで、ずっと傍らに居た彼女はもう居ません。どうなったかも解りません。でも確実に、あの二人はわたくしのせいで傷付いた。わたくしが傷つけた。
あの場所から抜けた時、とっさの思い付きで救援信号を飛ばした自分に改めて嫌気が差したものでしたが…
「…わたくしのせい、ですか。はは、嫌気が差すならむしろこっちですわね。わたくしはあの二人を一体何だと思ってるんでしょうか」
あれはあの二人が自分で選んだこと。だから、あの場で受けた傷から経験まで全てあの二人のもの。わたくしが入る余地など微塵もないのに。
わたくしが彼女達を気に病むなど、筋違いも甚だしい。
「でも、姉妹を心配する権利くらいは…主張してもいいですかね」
唯一の肉親でも有りますし。コレばかりはどうにもなりません。
しかし、思えば妹も随分無茶をしたものです。自分より格上の相手に挑み、かつわたくしに単身で上層へ行けと発破をかけるとは。
そこにはあの妹の強い意志が見受けられます。きっとそれが、あの子がこの大会でやりたかった事だったんでしょう。
「そう考えると…なんだか、今回皆さん結構やりたいようにやってますよね」
他人の事情も知らないで。あるいは、他人の事情を知った上で。
ただ一つ変わらないのは、それら全てが、自分自身の確固たる意志であるということ。
自分のために。かつ、他人のせいでなく。
「…ならわたくしも、自分のために良き姉でいることにしましょうか。せっかく妹がくれた道なのに、あんまりにも不甲斐ない結果では、報われませんもの」
わたくしは周囲を確認し、危険が無い事を確かめてから上方の樹木へ狙いを付けシューターを蹴り付けました。
今度のエネルギーは、なかなか燃費が良さそうです。


よって、いきなり足下からでした。
ボワッ!
「ヒ(火)ーーーッ!?」
魔物も罠の気配もないただの枝に飛び移った際、突然足下から火の手が上がったのです。
当然足場は崩れ、真っ逆様に落ちるわたくし。
「ヒィイ(火)!?」
幸いにも地面は柔らかく怪我をせずに済みましたが、見上げた空からは火が付いた植物がボトボトと。慌ててカバンに刺してあるメディックの個別装備の杖を抜いてぺしぺし祓っていきました。
「ヒッ(火)ヒッ(火)フー!ヒッ(火)ヒッ(火)フー!」
あまりに突然にあまりにあまりな事がおきるなんてあんまりにもあんまりです(わかっていただけると思いますが非常に動揺してます)!!
心臓バクバク。お目めギンギン。汗ダラダラ。過呼吸になりかけるのを必死の深呼吸で回避。いえ、何か間違ってる気もしますが兎にも角にも酸素です。これ大事。オーツー。ギブミープリーズ。
(い、いいい一体何が…!?)
杖を振り回したそのままの体制で硬直しながら、緊急事態にとんずらかました理性を頭へと連行しなんとか現状把握を目指します。
(足下から火…でも、火気厳禁の森で何故…はっ!まさかさっき溜めたエネルギーが!?そんな!『やる気』って次世代を担うクリーンでエコで安全なエネルギーじゃなかったんですか!?確かにやる気が爆発するって言いますけれど…こんなに危険なものだったなんて!!)
ええ、無理でした。気が動転してパニクってる時に論理的な思考はかえってカオスな結論をはじき出しますので要注意です。
「…ん?少しズレたか?」
一向に正常動作に戻れないわたくしに状態のリセットを促したのは、森の奥から聞こえてきたその声でした。
わたくしは慌てて起き上がり、杖をそちらに向け構えました。出来れば隠れたいところでしたが、まだ足が震えていることと、わたくしを狙ったことを鑑みれば下手に狭い場所にいるよりは良かったかもしれません。
程なくして、声がした方角の草木が掻き分けられ、声の主が姿を表しました。
「あ、貴方は…!」
「ほう、まさか娘だったとはな。よく上層まで…いや、貴様は確か…?」
それはなんと、スタート地点でわたくし達に絡んできたミスターM字だったのです。

「おお、思い出したぞ。貴様翠嬢のチームメイトだったな。ふふん、見た目こそそこらの町娘と変わらんと言うのに此処まで上がってくるのか。まったく面白いな」
ずん、と。未だに尻餅をついているわたくしの前に仁王立ちをし不敵に笑うミスターM字。
わたくしとしたことが、なんといううかつ。この大会での敵は、世界樹というより寧ろ選手でしたのに。移動に集中し過ぎて警戒を疎かにしておりました。
「…では、さっきのは…」
「うん?ああ、アレか。もちろん俺様の術式だ。だが、撃ったのはそこらのアルケミストからかっぱらったヤツだがな」
そう言って、腰の辺りにある膨れた袋を指で弾きました。
…なるほど。どうりでわたくしが他の選手と接触しないわけです。あの様子では巴さんがあそこに停止線を作る前に通った選手を根こそぎにしていたようですね。
ただ、結果としてその行為はわたくし達の有利には働いてくれたようですが…
…ん、
わたくし、達?
(まさか!?)
わたくしはバッと青ざめた顔で見上げます。しかし彼はどこ吹く風といった面持ちで何やら顎に手を当て思案げな表情でブツブツ呟いていました。
「となると…OMの貴様が単独でここにいるなら…最低一人以上他の仲間がまだ、か…翠嬢は墜ちまいな。するとバラけた理由は…大方、ラピスラズリとやり合ったか、か?」
それは独り言のようでしたが、無駄に大きいその声は当然わたくしにも伝わり、危惧していた事が杞憂であることを教えてくれました。良かった。まだ翠星石さんと蒼星石さんには出逢ってないんですね…
ホッと安堵の吐息をついたわたくしは、次の言葉で再び青ざめる事になりました。
「まあいい。まずは貴様を料理してやるぜ」
そして、
「その後は、翠嬢達だ」
その言葉を聞いた瞬間、わたくしの体がスッと冷えていくのを感じました。同時に、胸の奥で、ざわざわと蠢く、何かを。
「あの」
「ん?」
わたくしは下を向いたまま言いました。その声は、自分でも驚く程抑揚に乏しいものでした。
「わたくしはOMです。先程は直撃しなかったですが、これ以上露骨に攻撃すれば失格になりますわよ」
しかし、ミスターM字はそんな事かと鼻を鳴らし、
「まあ、そうだろうな。お前がある程度の証拠を持って申請すれば、“今日の夜には”俺様は失格だ。高度記録は残らん。だが…」
そろそろ足の震えも治まったので立ち上がってみました。わたくしの足場の方が高かったのか、わたくしと彼の視線は真っ直ぐにぶつかり合いました。
「それが、どうかしたか?」
「いいえ、聞いてみただけです」
今までの事と翠星石さんの話から、そんな事は百も承知。確認と、少々の時間が欲しかっただけですので。
「くっくっく…いい面だ。何かあるのか?まあいいさ。だがな、俺様とて鬼じゃない。弱いヤツに興味は無いし、まして貴様は翠嬢のトコのOM。正面から潰すのはいささか気が引けるしな」
「ならば、いかがしますか?」
「さっき奪った術弾がいくつかあるんだが、少々クセがあるようなんでな。翠嬢はあれで油断ならん相手だ。そうだな…四発程、練習に付き合って貰おうか」
「では、そのように」
ミスターMは口元を歪めると、勢い良く跳び出し近くの木陰へと姿を消してしまいました。
そうして一人になると、辺りが妙に静かな事に気が付きました。この周辺で彼が暴れた際に片付けたのは選手だけではない、ということでしょう。
それは即ち、彼の戦闘レベルの指標の一つとなります。当然先程までのわたくしの行動を思い返せば、比べるまでもなくその差は歴然でした。
(でも…)
不思議と、これだけ強いのに、これだけ怖いのに、体が震える様子がありません。それどころか酷く落ち着いていました。付け加えると、少し暑いです。
四発。そう言ってましたでしょうか。まったく困りものですわ。アナタのレベルであれば、あと一回も使えば充分でしょうに。だったらもっと潔
上で、
「!!」
爆発音。音からして恐らくめぐさんが妹に頼まれて使ったあのタイプ。その爆発で幹を持っていかれた木の上の部分が鋭い枝をこちらに向けて倒れてきました。
それがわたくしに被さる前にシューターで近くの木を蹴り、素早く横方向に飛び退きます。
「な…!?」
その方向から、わたくし目掛け真っ直ぐ飛んで来たラグビーボール大の岩石。こんな露骨に攻撃を…いえ、ああいうタイプは自分で決めた遊びのルールは守るハズ。ならば岩を投げたのは術を撃つ前ということ。つまり、
(一回どころか既に完璧に使いこなせてるじゃないですか!!)
悪態を付いても岩は止まってくれません。それ程スピードが無かったので杖で受けることは出来たのですが、いかんせんわたくしの方のスピードが速過ぎました。
また岩がかなりの質量があった為に衝突時の重心を引っ張られ、結果岩に巻き付くようにわたくしの体が回り、そのまま抱き合うような形で地面に叩きつけられてしまいます。
「あぶっ…!」
体をねじって何とか岩に挟まれないようには出来ました。直ぐに起き上がってみても、特に異常はありません。受けとしては及第点でしょう。
残り三発。
(…!あれは…?)
少し荒い呼吸が治まる暇さえ与えられずに次の攻撃…だと思ったのですが、木々の隙間から飛んできたのは姫リンゴでした。
世界樹では割とメジャーな果実で、もちろんわたくしも食したことはあります。毒も無しなら、危険もなし。ただ採れる場所が世界樹の高い場所にあるというだけの手のひらサイズのリンゴが、ぽーんと緩やかな放物線を描いて飛んで来ます。
(差し入れ?)
などと思ったわたくしが愚かでした。
次の瞬間、近くで手を叩く音がして、その場所から打ち出された術弾が“姫リンゴに”直撃したのです。
姫リンゴの位置は、わたくしの目の前。
声を上げる事も叶わず、真っ赤なリンゴは果汁を撒き散らして爆散しました。

「ッ…ッッ…!」
吹き飛ばされたのは10メートル程でしょうか。地面に仰向けで倒れ、片手で口元を覆うわたくし。
どうやら顔を強くぶつけたようで、ズキズキと鼻や口元から鋭い痛みが。押さえている手が果汁で濡れているようなので舐めてみると、錆びた鉄の味がしました。美味しくない。
「痛ッ…」
また、どうにか立ち上がろうと足に力をいれたところガクッと膝をついてしまいます。見れば、右の太ももの辺りの丈夫な素材のパンストが裂けて怪我の状態をわたくしに晒していました。
バンパーやシューターは無事だから大丈夫大丈夫だいじょうぶ、そう自分に言い聞かせ包帯で簡単に止血を。他に手当てした方がいい場所は…と探して直ぐに止めました。そうでない場所を探す方が難しそうでした。
(ああ、もう…)
口元を真っ赤に染めて、全身にアザや擦り傷切り傷を作って…わたくしは何をしているんでしょう。
別に逃げれば良かったのに。彼ならば背を向けたわたくしに追い討つなんてつまらない真似はしなかったのに。痛い思いをせずに済んだハズなのに。
弱いなら弱いなりに、震えて怯えて逃げればよかった。なのに、わたくしは震えも怯えもしなかった。それは、わたくしが強いから?いいえ、違います。
そんな選択肢が、最初から存在しなかったからです。
あと二発。
「う…あぅ…」
今までの経験から広い場所にいるのは危険と判断したわたくしは、鞄や荷物をその場に捨て、杖だけを抱え這いつくばるように近くの岩盤へ移動しました。
こうしてこれを背にして立っていれば少なくとも攻撃の手段は減らせます。大きな術式なら砕くことも出来ましょうが、その時はわたくしも同じ運命を辿るのは明白。なので実質不可能と言うことになりましょう。
「はぁ…はぁ…」
爆発の影響でしょうか、どうも右耳の耳鳴りが止まらずよく聞こえません。同じく右目にも塵が入ったのか、しょぼしょぼとして涙が溢れてきました。
それでも…気絶だけは、意識を失ってはいけません。動かなくなったオモチャはただのガラクタ。ジャンクでは興味を引くことなど叶わないのです。
ならば…倒せないのならせめて、せめて時間だけでも――
「…なんて妥協したいのは山々なのですけれど…。やっぱり…ダメですわ」
あの二人にはキチンと話す時間をあげたい。結果どちらにせよ、言いたい事を全て伝える余裕をあげたいのです。そしてその後の答えも全て、二人だけの手で。
その為には、何としても彼をここで止める必要がありました。
とは言っても、遠くからいたぶられている現状ではわたくしの手は届きません。だから彼が提示した四回の術式行使を耐え抜き、再び姿を見せた時に何…
「あっ…!」
ちょっとフラフラする頭でそんな事をとろとろと考えていると、枝葉を揺らして再び何かが投げ込まれてきました。
霞む視界でそれを捕らえたところ、どうやらまた姫リンゴのようでした。しかも今回はかなり上方まで投げられており、わたくしの頭上から落ちてくる形で近付いてきます。
(さっきと同じ…?どういう…)
無い知恵を絞ってみますが、思い付くのは精々リンゴを避ける移動に合わせて術式を撃つとか…いえ、それではわたくしを直接狙わないといけませんし…
対応策の一つとしてリンゴを杖で祓う事も考えましたが、二の舞は勘弁だったので早々に移動する事にします。注意するとしたら跳ぶ方角と、なるべく低く跳ぶことと――
「きゃあ!?」
後ろの岩盤を蹴飛ばそとしただけなのに、わたくしは体制を崩しつんのめるように地面に両手をついてしまいました。
その理由は直ぐに知れました。
(冷たいッ!?)
地面に触れた両手の手袋の上から刺すような冷気が感じられ、たちまち地面にくっついてしまったのです。
寒気がするのは出血のせいだと思っていたのに、こんな術式が使われていたなんて…足下をチラリとでもいいから確認していなかったのは一体どうして、
あの姫リンゴ。
(――ッ!!)
体をねじって首を上に向けます。そうして入った視界に見えたのは、葉の緑色と空の青色。そして、“黒い何かを突き刺した”リンゴの赤色でした。 
しかし直ぐにわたくしの視界は光に飲まれ、全身を電流に舐められる事になったのです。


『ばらしーちゃん。わたくしたちは、なにかをまちがえたんですか?』
『わかんない』
『なにかをしっぱいしたんですか?』
『わかんない』
『なにかがたりなかったんですか?』
『わかんない』
『なにかをみおとしていたんですか?』
『わかんない』
『…ばらしーちゃん。わたくしたちは、まちがっているんですか?』
『…それは、おねえちゃんがきめて』

目を開けると、まず、自分の手が見えました。
焦げた雑草に横たわるボロボロの傷だらけな手。酒場の人に白魚のようと誉めていただいたのに。ただ、それでもなお杖を掴んでいる事は誉めてもいいかなと思ったのですが、頑張っても離せなかったので止めました。
少し視線をずらすと、足が見えました。
わたくしの記憶によれば手の近くに足は無いのでこれはわたくしの足ではないようです。どうやら男の人の足のようでした。
靴から足首、膝、太もも…ちょっと億劫でしたが顔も動かしてみると、わたくしの横で立っている人の顔が見えました。逆光で誰だかわからないのですが、おでこのM字が印象的でした。
「―――――」
何か言われたようでした。でも、聞こえません。聞こえないなら、答えなくて良いですよね。億劫ですもの。
「―――――」
また何かを言ったその人は、今度はそのままわたくしから離れて行きました。さようならと言おうかと思ったのですが、億劫なので止めました。
うーん、どうも眠いです。でも寒いから寝にくいんです。あの人も毛布くらいかけてくれてもいいのに。頼もうかと思ったのですが、遠くまで離れてしまっていたので止めました。大きな声を出すのは億劫です。
でもわたくしの眼差しで気づかないかな、とじっと眺めていたら、あの人の横顔が見えました。
遠くだったので逆光にはならず、よく見えました。よく、見えました。ええ、よく見えましたよ、よく見えましたともその顔そのおでこ見えました見えましたやっと思い出したんですよですのよでしますの!
お待ちになって旦那さん。エンドロールには、まだ早いですわ。
「――知ってました?わたくし、こう見えて、凄くワガママなんですのよ?」
その言葉は果たして伝わったのか、声になっているのか、そもそも誰に対して言っているのかさえわからないのですが、わたくしはぶつぶつと呟きました。
「小さい頃は、よく妹を連れて村中を巡ったものです。困っている人が居たら助けました。泣いている人が居たら笑わせました。沈んでる人が居たら励ましました。正義を気取ったなんて誉められた理由ではなく、ただわたくしがそうしたかったんです」
だって、幸せそうな人を見るのが大好きだったから。
だって、幸せそうじゃない人を見るのが大嫌いだったから。
「おばあ様はわたくしが元気でいると嬉しそうだったので、わたくしは良く食べて良く寝るようにしました。妹はわたくしを手伝ったり助けたりした時にとても生き生きしてたので、妹に出来てわたくしには出来ない事をたくさん増やしました」
そして最後にわたくし自身が幸せでいることで、わたくしの家は満足できる環境となりました。
「村に関しても、これが結構上手くいったんですよ。小さくのどかな村でしたし、厄介事があったらあったでそちらの方からわたくしに関わってきましたし。まあ、今にして思えば親を無くしたわたくし達への同情やいたわりの意味もあったんだとは理解してますが」
それでも、そうしてわたくしの世界は幸せに包まれました。わたくしはこれでよしと満足して頷き、布団に入ったものでした。
「ですが、成長して、そして大きく発展した隣街に行ったのをきっかけに、わたくしの行動は立派に挫折し、破綻することになりました」
世界の広さと深さを知った時に。世界はわたくしの両手ではとても抱えきれるものではないと悟った時に。
そして全ての人を幸せにする事が出来ないと知った時、それは、わたくしの“夢”になりました。
わたくしには、夢見る事しかできなかったのですから。
「けれど、ならせめて、わたくしの手の届く範囲でいいから、わたくしの両手に納まるわたくしの世界くらいは、幸せでいて欲しいんです。これすらも、夢にしたくはなかった」
知り合った人、縁のあった人。そして、大切な人達を。
「妹に付いて来てこの町に来た当初は、なかなか上手く行ってたんですよね。と言うよりは、わたくしの村人のように皆さん元気でしたし。問題アリの方もおられましたが、それはそれで一興というもの」
活気溢れるみっちゃん亭は、従業員お客様共に、わたくしにとって素晴らしい世界でした。
「それが、リープを始めたのを皮きりに次から次へと…その実、呆れるくらいでしたわ。またわたくしの努力だけではどうにもならないというのが…口惜しいばかりで」
それでも彼女達はわたくしに笑いかけてくれるのです。でも、そんな笑顔は違うのです。わたくしが望んだ笑顔じゃないんです。あんな笑顔を見るのは、もうこりごりなんです。
「確かにどうにもならない事はあります。済んでしまった事は変わりません。でも、ならそれを受け止めて、また心から笑えるようになって欲しい。その為の手伝いが出来るなら、わたくしは何だってやるつもりですわ。だってそれが、」
わたくしが、ここにいる理由なのですから。
いつの間にか、わたくしは立ち上がっていました。相変わらず何も聞こえませんし右目は開けませんし足は震えますし全身痛くて仕方ないんですが、わたくしは前を向いて彼を見ていました。彼も、わたくしを見ていました。
「これがスポーツである限りアナタに非など有りはしません。けれども、アナタはわたくしの行動の邪魔をする。わたくしの世界を脅かす。たがら、」
わたくしは土や血で汚れて染まった自分の耳元に近い部分の髪を片手でそれぞれ握り、残りの後ろ髪を結んで縛ってまとめ上げました。
途端に開放感に包まれるうなじ。痛むのを覚悟でポニーテールのようになった髪は激しい運動にも邪魔になりません。
そしてわたくしは杖の先端に取り付けられている安全装置を外し、それを彼に向けて言いました。
「アナタは、わたくしの敵です」
この髪型になるのはこれで二度目。前は森の中で妹が急に熱を出して倒れ、担いで村まで運んでいる時に出会ってしまった野犬の前で。
わたくしの掛け替えのない愛しい世界を、守る為に。
「―――――」
彼が何かを言って少し笑ったかと思ったら、いきなり視界から消えてしまいました。いえ、違う、シューターで飛んだだけ。見上げれば彼が見えます。方角からして高い位置にあるあの枝が絡み合って出来た台に乗るつもりのよう。なら、その前に!
バンッ、とシューターに今までで一番強烈な蹴りをくれてやり、わたくしは風を切る音を奏でながら一直線に跳んでいきます。このスピードなら、彼が着地する前に接触できるはず。
そのたった一回の交差が、わたくしに与えられた最初で最後のチャンスでした。
わたくしは杖をしっかりと握りしめ、担ぐように振りかぶった姿勢のままで接近します。ほんの一瞬で確実に決める為には、予備動作は終えておく必要がありました。
そして、わたくしが手元のトリガーにかけた指に力を入れ始めた時、
(ッ!?)
彼がいきなり空中で不自然に体を捻り、体制を変えたのです。一体何だと思いきや、その向こうにに見えたのは、直径一メートルは下らないコケ玉でした。
コケ玉。粘性のコケが小さな窪みや木の節で成長しながら塵やらカビやら胞子やら様々なモノを集めて出来た玉の事です。虫や菌の温床でもあり、強い危険性を孕んでいるのです。
それは、強く叩くと勢い良く破裂するという事。命に別状は無くとも、その内包物を全身に浴びた時の精神への影響は冗談抜きに発狂モノだと翠星石さんから特に注意されました。
それが、そんなものがわたくしへと飛んで…いえ、わたくしがそのコケ玉に追突しようとしているのです。
全身におぞけが走りました。彼が紙一重で避けたコケ玉はもう目の前。わたくしにあんな避け方は出来ません。手が震えました。このままぶつかるくらいなら、いっそこの杖で――!

『あのバカの夢を、止めるためですよ』

「――ッ!!」
わたくしは杖を持ったまま両手を上げ、剣道で言うところの上段の構えを取りました。そしてなるべくコケ玉に対し体が斜めに入るように、下半身で調節します。
強く叩くと破裂する。なら、なるべく接触する面積を増やして滑るようにいなせば。
(うっ…う、うううううう!!)
時間にして一秒もないであろうぶつかるまでの間は、まるでスローモーションのように進み、ゆっくりとはっきりと、コケ玉の表面のおぞましい姿をわたくしに曝してきます。
あれが、胸に、腕に、そして顔に触れる――!
ぐちゃり。
(~~~~~~~~~~ッ!?)
全身に走る絶望的な嫌悪感。ガクガクと震える体。溢れる涙。
速く、速く!お願い速く!!そう願っても時の刻む速度は益々遅くなり、わたくしの理性と正気を蝕んでいきました。
表面に蔓延る虫やカビ。生理的に受け付けられない色や形をしたそれらが体に触れるという事実から逃避しようとするのか、驚くほど簡単に意識を失えそうでした。しかし防ごうと集中すればソレを意識する事になり、とにかく喚いてソレを突き飛ばしたい衝動が襲ってきます。
(汚い汚い怖い怖い気持ち悪い気持ち悪いキモチワルイ!!)
痛みや苦しみなら我慢できようと、これは本能的に感じる嫌悪感。限界など、とうの昔に振り切っていました。
(もうダメもうダメダメダメやめてやめてお願いやめていやぁあああああああああああ――!!)

『それに…ちょっと、羨ましくて』

『そんなきらきらが…一人の人として、姉として…羨ましいです』

トリガーを、引きました。
わたくしの視界には、殴る構えだけして目と口を唖然と開く、ミスターM字。
杖の先で爆発が起き、ジェットエンジンのような推進力がうまれました。
また、その爆発の影響で杖の先に取り付けられた容器の中の二つの金属球が螺旋回転を始め、加速度的に遠心力を高めていきます。
さらにその金属球は仕込められた液体金属と薬品の反応により、一時的に自重が何倍にも膨れ上がるのです。
重さの増した金属球の遠心力が持つ疑似質量は、最高三百キロ。それに、元々の推進力が加われば――
これが、医療役のメディックに与えられた唯一の攻撃スキル。
「――《ヘヴィ・ストライク》!!」
叫びながら振り下ろしその鉄槌は、見頃にミスターM字を撃ち抜いたのでした。 


まあ、そこにいるのはおばあ様ではありませんか。ご無沙汰しております。お元気でした?
それにしても、ここは綺麗な場所ですわね。おばあ様はここで何を?え、お花見?それは大変素晴らしいですわ。確かにここの花々はこの世のものとは思えない美しさですもの。
え、いい人生だったか、ですか?あはは、妙な質問をされますのね。でもまあ、そうですね。色々と、恵まれていたと思います。これ以上ないくらいに。
ただ、貰ってばかりでは納まりが悪いですし…側に居るだけでいいと言われましても、わたくしとしてはやっぱり不安なんですの。
でもそれは、日頃から役割を演じる事を旨とするわたくしへの罰なんでしょうか。その上で求めるのは、贅沢なんでしょうか。
…あら?おばあ様、どちらへ?そちらは川ですわ。船も無いのに…まあ、お供しますけれど。
え?ダメ?どうしてですか?…まだやり残した事があるなら、まだやれる事があるなら、やりなさい…ですか。
あ、あら、すみません、ちょっと頭が…んん、でも、今の、確か、どこかで…
そして、暗転――
「…………おおう」 
目を開けると、世界が逆さまになっていました。
本当です。空が下に在るんです。で、台地が上に在るんです。加えて、蛇の顔が、すぐ隣に在るんです。
「きゃー」
じたばた体を揺らすと、バキバキと小気味よい音がして頭から台地に浮上しました。なんと奇怪な…あれ、もしかしてわたくし、落下してる…?
どしん。
「ぎゃ」
ばたり、と仰向けに大の字になってノびるわたくし。ピヨピヨの小鳥が星形のクッキーに乗って頭の周りでレースしてます。楽しまれてるところ大変申し訳ないのですが、出来れば余所でやっていただければと…その、見てるとクラクラしてしまって…
と、この辺りでようやく意識が正しく覚醒し、記憶の方も現状時間に追い付いてくれました。
「あー、わたくし、また気絶しちゃってましたか…」
ミスターM字の顔面に一撃をお見舞いした事で目標を達成し大金星をあげることまでには成功したわたくしでしたが、あれには続きがありまして。
彼を撃ち抜いてなお有り余る杖の勢いに振られ、わたくしはぐるぐると回転しながら樹木の台を突き破りさらにその向こうにあった木々に激突するという、目も当てられない惨劇に見舞われたのです。
フラフラになりながらそれでもなんとか自分と彼に手当てを済ませ、彼を適当な場所に隠してから(上層には医師団は呼べない為)こうしてまた移動を始めてはいるのですが…
「無茶、しましたからね…」
散々アルケミストの術式を浴びて、新しいトラウマを作り、怪我としてはむしろこちらで負った方が多いのではないかと思える捨て身技の行使…あと、本気(マジ)モードにもなりましたし…すんごく疲れるんですよねアレ…
そんなワケで、意識が朦朧とする中なんとか翠星石さんに追い付こうと跳んでいるのですが、時たまこうして気絶してしまっているのでした。
ただ不思議とミスターM字に会う前よりスムーズに登れている気もしています。危険に対してのセンサーがバカになってる感も有るんですが、何も考えず(考えられず)に無心でフラフラと登っている方が安全というのは、奇妙と言えば奇妙でした。
「では、その奇妙さにあやかって…もうひと踏ん張りしましょう」
ミスターM字が他のリッパーを片付け、その彼も行動不能になった今、正直わたくしができる事はもう殆ど無いと言ってもいいくらいです。
けれど、見届けた方がいいと感じるのも確かなんです。これは私見ですが、あの二人はあまりに同じであまりに違い過ぎる。相手の事が自分の事のように思えるのに理解出来ない。そんな印象。
だからその場に第三者が立ち会う事は無意味ではない…と、思うのですけれど。
「まあ、このままではわたくし、魔物の前でも寝てしまいそうですから…助けてもらいに行くのも悪くないですわ」
利己的な動機はしばしば嫌われますが、時としてとても安全でもあります。
例え何があっても、自分の責任になるのですから。

それから登っては気絶登っては気絶を繰り返し着実に高度を上げていったわたくしですが、とうとう限界が来てしまったようでした。
無理もないでしょう。いくらシューターとバンパーがあるからといって全体的には体力を消耗する移動を繰り返しているのですから。体力的にはミスターM字を乗り越えた辺りでほぼゼロになってしまっているわけですし。
これはしばらく休憩して…果たしてまた動けるようになるかどうか。
これ以上木々を跳び回るのは無理だったので、地面に降り立って徒歩で移動(かかとに力を入れれば跳ねずに済みます)する事に切り替えます。
「イタタ…」
こうして高所にいるという緊張から逃れると、足の痛みがジリジリとぶり返してきました。
しかしそれも当然で、改めて見てみると太ももの止血が緩かったのかそもそもそんなに浅い傷ではなかったのか包帯が滲んでしまってますし、足首もかなり熱を持って腫れてるようです。これは一度止血をやり直し、シューターを外してテーピングした方が懸命でしょう。
ただやるなら出来るだけ安全で、あと小川などの清潔な水があれば良いんですが…
「おや?」
身長より遥かに背の高い樹木が頭上を覆い隠し日光を遮る中で、遠くの木々の隙間から強い光が漏れているのを見つけました。
きっと巴さんが居た場所のように、あそこから向こう側が開けているのでしょう。もしかしたら適した場所も有るかもしれませんし、行ってみる価値は有りそうです。
「うぅ…いくら徒歩とはいえ、かかとだけで森を歩くのは辛いですわ…」
氷の上を歩くようにゆっくり慎重に進み、何とかたどり着いたもののこれ以上動く力が無く、半ば倒れるように膝をついてしまいました。
「わ…」
また、気絶したのかと思いました。
そこは、一面のお花。わたくしが倒れた場所も、その周りも、その向こうも、全てが花。花、花、花。
色とりどりの…そう、まさに色とりどりの花達が咲き乱れていました。文字通りの乱れ咲き。強調性など欠片もなく、節操など微塵もなく、秩序など露程にも感じさせない。
それは美しくも、何か狂ったような…そんな、花の坩堝だったのです。

「…“リリー・ポケット”って、言うんですよ」

わたくしはハッと頭を上げ、辺りを見回しました。そして、この花畑の中央に、まるでこの場所の管理人のように、あるいは、庭師のように立ち横顔を見せる、一人の女性。
「この時期になるととあるスズランが盛大に咲きましてね。その毒がまた特殊で、植物の成長を異常に促進するかわりに寿命を縮めるんです。そしてそれは、同時に魔物にとっては猛毒となるんです」
緑色のドレスのような服。長い栗色の髪。極彩色の絨毯に立って尚、それはわたくしの目を惹きつけました。
「だから、ドクトルマグスはこの場所はこうとも呼ぶんですよ。『魔物達の墓場』って」
そして彼女は、わたくしの方へ優しい眼差しを向けて言ったのでした。
「だから精々、のんびり休むがいいですよ、きらきら。ここは翠星石の、とっておきの場所なんですからね」

「翠星石、さん…」
ぺたり、と膝立ちどころかしっかり女座になってしまいました。翠星石の姿を見て声を聞いたら、すっかり力が抜けてしまったようです。
「あっはっは。またエラい格好になりましたねぇ。まったく、そんな傷だらけになってもう…無茶するなってリーダーからの助言はアウトオブ眼中ですか?」
「あ、いえ…これは別の場所でわたくしがやらかした事なので…お気になさらず…」
あー…なんだか、緊張の糸があっという間に細切れになってしまいました。翠星石さん、口はよろしくなくとも家庭的で癒し系ですからね…うわー、どっと疲れが。
そんなわたくしを見て、またあっはっはと笑う翠星石さん。不思議と、傷の痛みが和らいでいくような気がしました。
「それにしても良く頑張りましたねぇ。この場所は少しコースから外れるんですが安全ですから、他のリッパーが心配だったんですが…。翠星石の預かり知らぬ所で獅子奮迅ですか。いやはや、たまげましたよ」
「いえ、そんな…」
あれ、なんだかミスターM字の功績をちゃっかり頂戴しちゃってます。さすが勝者はオイシイです。
「本来なら大会に出るだけで十分だったのに、お前さん達ときたら…ホント、翠星石はいい仲間に出逢えましたよ。そう思いませんか?ねぇ…蒼星石?」
「っ!」
どうして今まで気付かなかったのか不思議でした。そう、翠星石がわたくしに横顔を見せていたなら、彼女の正面には何があって誰がいるのか。
蒼く見るからにに頑丈そうで、かつ動きやすそうな防具。そして腰に刺している両刃の剣。蒼星石さんは、まるでこの場に対立するかのような雰囲気で、雄々しく立っていたのです。
「きらきら」
「はい」
「此処まで来たついでです。もう一つ、オメーに依頼しますです」
「…何でしょうか」
翠星石はわたくしに少し恥ずかしそうな笑みを見せて、
「そこで、見ていてください」
「…はい。しかと、承りました」
満足そうに頷く翠星石さん。それから瞳を閉じて、深呼吸をして。
次に目を開き相手を捉えた時、彼女の本当の戦いが、始まったのでした。

「…チームメイトってのは本当に良いもんですよね。見ての通り、翠星石はいい仲間に恵まれました。でも、それは蒼星石も同じハズですよ。あの二人、腕は勿論、イイ奴って事はきらきらに聞きました。そうは思いませんでしたか?」
尋ねられた蒼星石さんは答えませんでした。翠星石さんは続けます。
「スポーツだけじゃないです。チームメイトだけじゃないです。生きてるなら、家族や友達は居た方がいいに決まってんですよ。いくら優遇されたって、どんなに讃えられたって、独りは辛くて、」
寂しいです。その言葉は、痛切な響きを持ってわたくしの耳に届きました。
優遇、賞賛…その単語は、わたくしの中である事に結びつきました。世界樹の原住民、その一族の長の末裔である翠星石さん。
世界樹を開拓するに辺り彼等には手厚い優遇がなされ、土地と生活保証がなされたと聞きます。しかしそれは、裏を返せば、開拓に反対する彼等の隔離政策に他なりませんでした。
また、狭い場所に住まわされ、危険の中で生活をしなければならない開拓者、疎開者が彼等に抱く感情は、どんなものだったでしょう。
それは当たり前の区別ではあります。しかし、そこに負の感情が加味されれば、忽ちそれは差別へと変貌します。その二つの違いなど、モラルをもって他に無いのですから。
「だからまだちっこい時、オメーが話かけてきてくれた時…友達になろうって言ってくれた時…本当に嬉しかったんですよ。虐められてた時に助けてくれた事、本当に感謝してるんですよ。あの家の子で良かったって、この町に生まれて良かったって…始めて思えました」
それは、わたくしから想像もつかない、翠星石さんの一つの過去でした。
「それから一緒に遊んで、一緒に勉強して、一緒に笑って一緒に怒って…楽しかったです。凄く楽しかったです。…でも」
だんだんと俯く顔、震える肩。
「翠星石は、不安だったんですよ…本当はオメーは、同情で一緒に居てくれるんじゃないかって。開拓者の子として、責務として私に付き合ってくれるんじゃないかって…!」
蒼星石さんは何も答えません。翠星石と同じく俯いて居るため、表情も伺えません。
「だから、だから私はオメーを連れまわして、ワガママ言ったり、イタズラしたり、したくもない喧嘩したり!怖かったんです!だから嘘なら速く別れたかった!もっと好きになる前に!どうしょうもなく愛しちまう前に!
…でも、オメーはそんな私にいっつも笑ってくれて…慰めてくれて…優しくしてくれて…頭を撫でてくれました。ねぇ、蒼星石?私と一緒に居て楽しいって言ってくれましたよね?あれは嘘じゃないんですよね?信じてもいいんですよね!?」
蒼星石さんは相変わらずの無反応を貫いてはいますが…わたくしは、本当だと思います。
だって、貴女と一緒に居て楽しくないわけないじゃないですか。それは、わたくしが保証します。貴女の過去は、虚偽などではないと。
しかし、危惧していた事が見当外れかと言えば、恐らくそうではないでしょう。でもそれは、きっと蒼星石さんの強い正義心が故。責められるべき事ではありません。けれど、その強い正義心があるからこそ…
「だから私、オメーが世界樹の大会に出るって言った時あんなに怒ったんですよ。…いいえ、違いますよね。怒ったんじゃなくて、八つ当たりですね。だって、死にそうなくらい…胸がくるしくて、怖かったから」
でも…それは。
「ええ…わかってましたよ。わかっては、いたんですよ。オメーが、お爺さんの事をずっと思い続けていたのは。それで女に生まれた事にコンプレックス持ってるのは。親父さんから女の子なんだからって何度も言われてたですしね。
だから、親父さんが怪我してこの町から去った時…もう、いずれそう言われる事は、わかってました」
父が果たせなかった、祖父の名誉の提唱。そして、何があったのかの解明。その後を、自分が継ぐと。
「でもいざそう言われてしまったら、翠星石にはどうしょうもありませんでした…ただガキみたいに喚いて、家から追い出したり、酷くスネでいる振りをするくらいしか出来ませんでした。
だけど、だけどやっぱりオメーをこの大会で完走させる訳にはいきません!今までの完走者のように、オメーのお爺さんの二の舞にさせる訳にはいきません!」
(…ッ!)
翠星石さん、貴女やっぱり…
今までの完走者のことも、蒼星石さんのお爺様のことも。
「大体、オメーにだって当たりは付いてるハズですよ!?だからわざわざ何年も待って水銀燈と巴っていう、外から来た仲間を集めたんじゃないんですか!?何かあった時に迷惑がかからないように!国外に逃がせるように!!でも、だからって…!」
何も言わず、何もしない蒼星石さんに、翠星石さんは自分の全てをぶつけていきます。もうこれしかないと言うように。これが最後の手段だと言うように。
「オメーのお爺さんと私のおじじが居たキャラバン隊で出来なかった事を、蒼星石たった独りで出来るつもりですかっ!!」
翠星石のさんお爺様が、蒼星石さんのお爺様のキャラバンに居た…?
恐らくは蒼星石さんも初めて知ったであろうその事実は、彼女にどういった印象をもたらしたのでしょうか。
「蒼星石の夢は立派ですよ!お前らしいとも思います!私だって出来ることなら応援したい!でも、死んだら何にもならないじゃないですか!!もう逢えなくなるじゃないですか!!
お願いです!やめてください!私と居てください!あの家は…翠星石一人じゃ広すぎるんですよ!もしこの町にいると夢を継ぎたくなるなら別の場所に行きましょう!そこで二人で暮らしましょう!それじゃ嫌ですか!?それじゃ駄目なんですか!?蒼星石は、蒼星石は…!」
そして翠星石さんは、最後に、一番大きな声で叫びました。
涙を溢れさせながら、震えながら、触れないできた、考えないできた事をぶつける、その覚悟を持って。

「蒼星石は自分の夢と翠星石、どっちが大事なんですかぁ!!」

息を荒げ、肩をいきらせ、それでも脅えた小鹿のように立っている翠星石さん。自分が持てる全てを出したと、もう賭けるチップもカードも何一つ残ってないと、その食い入るような、すがるような眼差しは物語っておりました。
ああ、でも翠星石さん。その質問は、とても辛いモノ。わたくしが利用したその苦しみ。まして今回は二人共に当事者なのです。一番辛いのは、尋ねた貴女自身でしょうに。
時間はそんなに経たなかったと思われます。
蒼星石さんの返答は、簡潔なものでした。
「…ごめん」
ヒッ、と聞こえた誰かの悲鳴。それは余りに儚く、世界樹の風に流れてゆきます。
「僕は、戻る気はない」
腰から剣を抜き、真っ直ぐ相手へと構える蒼星石さん。その剣の意味は、全てへの決別。
「…はっ、あはは、あは」
翠星石さんも剣先の付いた杖を構えました。ただ、本当に構えただけ。その矛先には、何もありませんでした。
そして…また、この笑顔なんですか。またこの笑顔なんですか!もうたくさんだと、もうこりごりだと言ったのに!また、また…!
「こんな事なら…オメーにはもっと、優しくしてやれば良かったですよ…」
そう口にし終えた後、二人は駆け出しました。でももうそれは、ただの形骸と化した儀式でした。だってもう、既に勝負はつきました。
交錯する瞬間は、まるで一枚の絵のようにわたくしの脳裏に焼き付きました。
涙を流す翠星石さんは、最後まで、目を開ける事も、杖を振る事も、ありませんでした。


W.W.R本部事務録
T-1522
優勝:蒼星石
ラピスラズリリッパーズ所属
※完走達成

W.W.R本部事務録
T-1700
三層、0206-K-8815p-4にて脱落者二名
・翠星石
ジェイドリッパーズ所属
大会終了時刻によりリタイア(準優勝)
・雪華綺晶
ジェイドリッパーズ所属
大会終了時刻によりリタイア(準優勝)


世界樹の大会が『世界樹の迷宮』って呼ばれてるのは知ってますか?え、知ってるんですか?はー、流石ですね。どんなルートで聞き及んだのか想像も出来ませんが…ま、今は置いときましょう。
まだ世界樹に武装キャラバンが命を懸けて挑んでいた時代…その歴代最強と言われたのが、蒼星石のお爺さんが居たキャラバンでした。ええ、私のおじじもですね。ただこっちは秘匿になってて今じゃほとんど知られてませんが。
それで、その最強のキャラバンが下層、中層、上層と制覇していって、ついに世界樹を走破した…これが、この町の常識ですよね。
はい、これは、真っ赤な嘘なんです。
観測を続けて計算した結果の上層の最高地点とおぼしき場所に着いた一向は、大変なものを見つけてしまったんですよ。
それは、そこからさらに続く、“人の手が入った迷宮”だったんです。
世界樹のその場所に始めて到達したのは彼等のはず。その迷宮の発見は世界樹の歴史そのものを覆しかねないと政府は考えたんでしょう。混乱を避ける意味でもその公表を禁じました。これに翠星石だって同意するところです。
ただ、無視するには余りなモノですから、政府は彼等に引き続きその迷宮に進んでもらったんです。この時から既に、政府は何かあった時の為にアイビーリープの構想を立てていたようですね。そこら辺の手際は、見上げたもんですが。
そして、その『何か』が起きてしまったんですよ。
迷宮に入った五人の内の四人が帰らなかった、これはまだ想定内だった筈ですが、帰ってきた一人が政府官僚に乗り込んで何やらひと騒動あったようで。こちらも二度と町には帰ってきませんでした。
焦らす意味も無いですけどね、この一人が私のおじじなんです。
実のところ…ん…これ、マジで他言厳禁なんですが…私達には…つまり原住民の長の家には、その迷宮に関する文献があるにはあったんですよ。ただ私達にしても半信半疑の伝説みたいなものでしたけど…え?その文献?おじじが帰ってきてすぐに燃やしちまいましたよ。
えーと、まあそんなこんなで、政府は暫定的に迷宮前までの場所を最高地点として、走破を公表する事にしたんです。おじじが政府と何をやりあったかは、全くの不明なんですが。
で、このアイビーリープですが、このスポーツの発足には二つの意味が込められていました。
一つ目は、無闇に世界樹に登る輩をこのスポーツに釘付けにする事。要するに登る場所を制限したって事なんですけど。これには生活費とかの問題もあってすんなりと定着しました。走破したキャラバンの行方知れずも上手くうやむやにできたようです。
そしてこっちが本命の二つ目。ええ、蒼星石は感づいていたようですが…簡単に言ってしまえば、“迷宮に挑む事ができる人材の選抜試験”。
迷宮の入り口であり、迷宮に挑む為の登竜門。それが本当の、この大会の意味なんですよ…

世界樹の大会が終わって、その翌日。
わたくしとばらしーちゃんは怪我の治療と簡単な検索の為に入院中。酒場の娘が初出場で準優勝なんて事になってしまって、お祝いやらお見舞いやらで大変な事になっちゃいました。皆さん、怪我人はいたわりましょう。
無論マスターもその例には漏れないのですが、残念ながら(幸いにも)彼女には仕事が山のように残っており、電話ごしに誉められたり泣かれたりしました。久しぶりのマスターの声もまた、落ち着くものでした。
そうそう、お見舞いと言えばジュンさんがやって来たんですよ。巴さんと一緒に。
“無事に”世界樹を降りられる御守りを作ったハズの彼にとっては姉妹揃ってミイラ女になっているわたくし達はなかなか対応が難しいらしく、喜んでいるような怒っているような顔でしばらくぐずぐずしていたのですが、
『ん、まあ…帰ってきてくれて良かったよ』
と、言っていただきましたよ。
巴さんも妹と何か話していたようですが、特に険悪なムードにもならず、むしろ互いを褒め称えているようでもありました。良きライバルの誕生…と言ったところでしょうか。うーん、何か悩みの種にもなりそうですが。
あと、入院ということなら水銀燈さんとめぐさん。この二人ははわたくし達よりずっと重傷ということで、一番近くにある(といっても結構な距離なんですけど)大きな街の病院で入院しているそうです。
まだ意識は戻ってないものの幸いにも命に別状は無いしく、わたくしもホッと胸をなで下ろしました。あとは、祈るとしましょう。

そして数日後。
包帯だらけではあるものの、退院を許されたわたくしはその足で翠星石さんの家に向かいました。翠星石さんと会うのは大会の日以来となります。
翠星石さんに特に変化は有りませんでした。本当にそのままお代わりなく。蒼星石さんと別れ、わたくし達と出会うまでの生活のまま。広い家に、独りきりで。
社交辞令的にわたくしへの気遣いや非礼についての言葉を聞いた後、あの時に翠星石さんの依頼を受けた対価として彼女に情報提供を要求しました。多少の躊躇いは見せたものの、さわりを既に聞いていたこともあり、承諾となった次第です。
「…こんなところで、いいですか?」
「はい、ありがとうございます」
一通り聞き終え、いくつか雑談を交わした後にわたくしはその家を後にしました。
目元の腫れを隠しきれていない顔で、『なあに、蒼星石が居なくたって翠星石にはオメーらが居るじゃねーですか』と、わたくしの神経を逆撫でする笑みに見送られて。
「お待たせしました、ばらしーちゃん」
「大丈夫だよ。そんなに待ってないから」
玄関先で待っていただいていたばらしーちゃんと合流し、わたくし達は並んで大会の名残をちらほらと感じさせる町を歩いてゆきます。
「…お姉ちゃん」
「はい?何ですか?」
「怒ってる?」
わたくしは足を止めて、妹の顔をじっと覗きました。
「そう、見えますか?」
「うん」
言い切られてしまいました。はてさて、近くの鏡ガラスに写った自分を見ても特に変わりは無いと思うんですけれどねぇ。そこは、流石はわたくしの妹とでもしておきますか。
「…そうですね。ええ、怒ってます。結構な怒髪天です。ただ何に対して怒っているのかは、イマイチ微妙だったりするんですけれど」
それは本当に怒るべきモノなのかも。怒っていいモノなのかも。
ただこういう感情って、理屈だけで片付けられるものじゃないですか。
「だから、今から討ち入りに行くんですの。雪の晩でないのがいささか物足りない感じではありますが」
「…ちゅーしんぐら?」
「あら、博識ですわね」実際雪は降って無かったらしいですけどね。
「でもお姉ちゃんだと、むしろ討たれる側じゃない?」
「ほほほ、そこはご愛嬌です」
それに、あながち見当違いってわけでもないですし。相手が相手ですからね。皮肉混じりに、お互いお似合いでしょう。
そうしてわたくしは少し頬の引きつった妹を引き連れ、翠星石さんから聞いたとある方の下宿へと乗り込んでいったのでした。


外部秘
W.W.R本部事務録
最終報告資料-00367
【第八期迷宮探索調査任務人員リスト】
・蒼星石
・雪華綺晶
・薔薇水晶
・柏葉巴
・柿崎めぐ
以上、計五名。

[SS機密指定]原紙の所在を確認後、焼却すること

 

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