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翌日、約束どおりジュンは巴に連れられ学校への道を歩くことになった。
「有璃珠学園ってどんな学校?」
沈黙を避けようと、早々にジュンがそんな疑問を話題にする。
「中高一貫の共学で…あの、普通は進学のときにしか編入はないところなんだけど…」
後半を言い辛そうにする巴に、ジュンが笑いながら気にしないよう言った。
「ん…そう…話を戻すね。
……そうだなぁ、学園の真ん中に、"nのフィールド"って湖があるのが、やっぱり一番特徴かなぁ」
「"nのフィールド"?変な名前の湖…」
「うん、わたしもそう思う」
ジュンが洩らした感想に、巴が笑いながら相づちを打つ。
「でね、その湖にはいろんな言い伝えがあるんだけど…
…まぁそれに準えた学園行事が多いし、追々知ることになると思うよ」
他にも巴はいくつか学園の話をしたが、「敷地がやたらと広い」「学食は豪華だけど高い」といったことを除けば普通の印象をジュンは持った。

家を出発して20分。
「ここが有璃珠学園よ」
「はー…すご……」
道中話は聞いていたが、校門前なのに校舎が見えないほどの広さとはジュンは想像もしていなかった。

「桜田くん、せっかくだし"nのフィールド"まで行ってみる?」
「…うん、見てみたいかな」
「決まりだね。こっち」
ジュンの答えに、巴は笑顔を見せた。
学園までの道中で、二人の間にあった溝はだいぶ埋まったようだった。

巴に連れられて到着した湖は、ジュンが思っていたより遥かに大きく、そして美しかった。
「……はああ…」
思わず、感嘆の声が洩れた。
「…喉、渇いたね」
「……うん」
「ジュース買ってくるけど、桜田くん、何がいい?」
「……うん」
湖を見つめたまま上の空な返事をするジュンを見て、巴は少しいたずらしたくなった。
「そうだ、桜田くん。食虫植物って知ってる?虫をおびき寄せて食べちゃう植物のことらしいんだけど」
「……うん」
「昔むかし。学園ができるずーっと昔。この湖はその頃からここにあったの。
あるとき、ひとりの旅人がここの森で迷ってしまった。その旅人は森を彷徨って、そしてこの湖に辿り着きました。
その旅人は喉がひどく渇いていたのも忘れ、湖を見た途端その美しさに心奪われてしまいました」
「………」
いつの間にかジュンは巴の語りに意識を移していた。
「ところで、この湖にはある小さな妖精が棲んでいたの。
彼らはいつも湖を綺麗にしていたんだけど、なぜだかわかる?」
ジュンの興味が湖から自分に移ったことに気付いた巴は、ジュンに問い掛けた。
「…綺麗好きだったから?」
「…間違いではない、かな?
妖精たちはね。この湖に魅了された生き物を捕食して生きていたのよ。
……さて、その旅人はどうなってしまったのでしょう?」
再び巴はジュンに問い掛けた。
「よし、柏葉さん。帰ろう、今すぐに」
「……ふふふ、冗談よ」
青い顔で動揺するジュンを見て、巴は耐え切れなくなって笑いだした。
「全部、作り話。そんな怖い妖精はいないから、安心してここで待ってて」
そう言って、巴はジュンを残してジュースを買いに行ってしまった。
「う、嘘だと…?」

巴が姿を消して数分。先ほどの話が影響し、純粋な気持ちで湖を見れなくなったジュンが適当な木の根元に座って待っていた。
「柏葉さんは全部作り話って言ってたけど、これだけの湖だもんな。妖精くらいいてもなんら……」
―――パキッ
背後で小枝が折れる音がして、ジュンは身を硬くした。
「(待て待て待て、何今の音!?妖精さん来ちゃった!?)」
そんな怖い想像がジュンの頭をよぎり、ごくりと唾を飲み込んだ。
「(…どうしよう……)」
しばらく悩んだジュンであったが、意を決して立ち上がり、背後を振り返った。
そこにいたのは、左右で異なる光を放つ瞳と長い栗色の髪が印象的な妖精。
ジュンは一瞬本気でそう思った。
「(…これなら、湖に頼らないでも相手を魅了できるんじゃないかな……)」

しかし、彼を夢の世界に飛ばしたのが妖精なら、現実に引き戻したのもまた妖精の悲鳴であった。
「いやぁぁぁぁぁあっ!!変質者ですぅぅぅぅっ!!」
「うなっ!!?」
その妖精…もとい、少女はいきなりジュンを『変質者』呼ばわりしたのだ。
その悲鳴の内容と音量にパニックになったジュンだったが、とりあえずこのままでは良いことは何もないと判断し、慌ててその少女を黙らせようとした。
しかし、それがさらなる状況の悪化を招いてしまうこととなる。
「待って、落ち着いて!」
そういって少女の肩に触れようとした。それを見た少女は、悲鳴の音量を引き上げ、さらにとんでもない内容を口走った。
「コイツ翠星石の可愛さに欲情しやがったですぅぅぅぅっ!!」
「うわあああああああっ!!?」
もう訳が分からなくなったジュンは、そのパニックに任せて少女の口を手で塞ごうと身を乗り出した。
しかしパニックのあまり足がもつれた。
「きゃあああああっ!?」
なんという悲劇の連鎖。少女をジュンが押し倒す形になってしまった。
「(何この大惨事…夢に違いない、うん)」
「………ぅ…」
ジュンが現実逃避に走りかけたとき、少女が先ほどまでとは打って変わって小さな声で何か言った。
「え?」
「…痛いのは、勘弁ですぅ…」
観念したらしいその少女が涙目で発した言葉はジュンの脳天を直撃し、
あぁもうなんかどうせ夢だし流されていいかなぁ、と思ったそんなとき、
「…桜田くん」
恐怖の存在を背後に感じ取り、ジュンはこの大惨事が現実だと言うことを思い知った。
「巴!?いいとこに来たですぅ!この野郎を叩き斬って欲しいですよ!」
「ち、違うんだこれは!!どう違うのか、もう僕にもさっぱりわからないんだけど!」
「…そっか、桜田くん、翠星石みたいな娘がタイプなんだ、そっか、そっか……」
三者が三者とも互いの発言を全く聞かずに喚き散らし、もはやカオス以外の何物でもない惨状がそこにあった。
「あらあら、騒がしいですわね」
そのカオスを打ち払ったのは、騒ぎを聞き付けてやってきたひとりの教師だった。

「事情はわかりましたわ」
現れた女性教師・雪華綺晶は、喚き散らす三人を落ち着かせつつ、
その間に三人の喚く支離滅裂な主張を整理して完全にその場の状況を理解したようだ。
「なんにしても、何事もなかったならそれで宜しいですわね」
そう治めようとする雪華綺晶に少女――翠星石は噛み付いた。
「よくないですよ!危うく翠星石はこの肉欲獣に乙女の花を散らされるところだったですよ!?」
「だ、だから僕は…」
「ひぃぃっ!」
「桜田くんはロング派…」
せっかく宥めた三人が再び騒ぎだすのを見て、雪華綺晶は溜息をついた。
「はぁ…いい加減にしないと、さすがのきらきー先生も怒りますわよ?」
ふわふわとした外見の雪華綺晶だが、その言葉に得体の知れない威圧感を感じた三人は本能的に言い合いを止めた。
「…そろそろお昼の時間ですわ。仲直りするには一緒にお食事するのが一番だと思いますの」
三人が黙ったのを確認した雪華綺晶は微笑みながらそう言って、回れ右をして歩きだした。
「さぁ、学食へ参りますわよ。
奢れる程たくさんお給料を貰っているわけではありませんので、期待はしないでくださいまし」
そんな後ろ姿を、三人は慌てて追い掛けた。
先ほどのプレッシャーを浴びながら彼女に逆らえるものが果たしてこの世にいるのだろうか。

「ふーん…そうですか、この肉欲獣は巴のところで飼われてるですか」
「…肉欲獣言うな」
「肉欲獣に肉欲獣って言って何が悪いですかチビ人間」
「お、おまえより僕のほうが大きいだろ!?」
「細かいことを気にするその器が小さいと言ってるのです」
「肉欲獣呼ばわりが細かいことだぁ!?」
「コホン」
徐々に言い合いに熱が帯びてきた二人を、雪華綺晶が咳払いで一喝した。
「ごはんは楽しく食べるものですわ」
そう言う雪華綺晶の前には信じられない量の食事が並んでいた。全て彼女の昼食である。
最も安い商品がかけうどん300円である学食でこの量の支払いは一体いくらになるのかジュンにはとても想像がつかない。
そしてそれを支払えてしまうほどの給料を薄給と言い切る彼女の金銭感覚にジュンは目眩を覚えた。
「で、君が噂のジュンくん?」
この質問の間に、雪華綺晶はかけうどん(大盛)400円・きつねうどん(大盛)490円・肉うどん(大盛)590円を一瞬で平らげた。
「…どんな噂かは知らないですが、そうです」
その様子に、ドン引きの見本と言えるほどにドン引きしながらジュンは答えた。
その間にも各種そば(大盛)、各種ラーメン(大盛)が彼女の胃袋に消えていった。
その信じられない光景を唖然と見つめるジュンの脇腹を巴が不意に突ついた。
「気持ちは分かるけど、女の人が食べてる姿をじろじろ見るのはあまりよくないと思うよ」
「う…すいません、雪華綺晶先生」
「気にすることはありませんわ。でも、わたくしのことはきらきーとお呼びになって?」
有璃珠学園名物・三色麺(大盛・全部乗せ)という、うどん・そば・ラーメンが一堂に会した、どう見ても誰か一人を対象に開発されたと思われるメニューをやはり一瞬で片付けた雪華綺晶は、そう微笑んだ。
「きらきーはいつもこれ以上軽く平らげるですぅ。もう驚き疲れちまいましたよ」
雪華綺晶の隣で、持参していた小さな弁当を食べ終えた翠星石がそう呟く。
「チビ人間が肉欲獣なら、きらきーは食欲獣ってところですねぇ!」
うまいこと言ってやったと言いたげに笑顔を浮かべた翠星石に、雪華綺晶は歯を剥き出しにする独特な笑顔を向けた。
「翠星石ちゃん?その話を再び蒸し返すようなら、きらきーは肉食獣になってしまうかもしれませんわ」
翠星石の得意げな表情はあっという間に消え去り、
「な、なんのことかわからんですぅ~」
と青い顔をしながら誤魔化した。

それからいくらかの話をし、翠星石がジュンを肉欲獣と呼ばなくなった頃。
「あらあら、もうこんな時間ですわ」
ふと時計に目をやった雪華綺晶が空になった食器を器用に重ね、立ち上がった。
「あ、翠星石もそろそろ…」
釣られて時計を見た翠星石も忙しなく席を立つ。
「ではお二人とも、ごきげんよう」
「また今度ですぅ」

「わたしたちもそろそろ帰ろうか」
二人の姿が見えなくなると、巴が立ち上がってそう言った。


「…なんか、面白そうな学校なんだな」
帰り道、独り言のようにジュンが呟いた。
「うん」
律儀に相づちを返す巴に、ジュンがふとした疑問を投げ掛けた。
「そういえばあの…きらきー先生は何の担当なんだ?」
「きらきー先生は日本史の先生。兄さんの大学の後輩なんだって」
「白兎兄さんの?」
「うん。たぶん今日も一緒に取材じゃないかな」
「…取材?」
聞き慣れない単語にジュンが首をかしげる。
「そっか、桜田くんは知らなかったっけ。兄さんはこの町の伝承とか調べてる学者なんだよ」
「へぇ…」
「…まぁどんなこと調べてるのか、わたしもよく分からないんだけどね。
兄さんにそういうの聞いたら話が脱線して長くなっちゃうから」
桜田くんも聞くときは覚悟したほうがいいよ、と巴は笑った。

玄関を開けると、ちょうど出かけようとするところだったらしい白崎がいた。
「お、二人ともお帰り。デートは楽しかったかい?」
ただいま、と声を掛けようとした二人に白崎が先制攻撃でからかいの言葉を投げ掛けた。
「で、デート…」
「兄さん!!」
一瞬で顔を真っ赤にした巴が、白崎をポカポカ打ちながら非難を浴びせる。
「ごめんごめん…じゃあ今から僕はでかけてくるけど、留守番は頼んだよ」
「…ぷぃ」
笑いながら謝る白崎だったが、巴は膨れっ面で居間に姿を消した。
「あはは、怒らせちゃったよ。ジュンくん、悪いけど機嫌取りと留守番は頼んだよ」
「が、がんばります」
白崎は玄関の扉を閉じた。


ジュンが居間に入ると、巴はクッションを抱っこしてソファに横たわっていた。
「(まだむくれてる…)」
やけに子どもっぽい巴の態度に、ジュンの頬も思わず緩む。
「…今日はありがとう、柏葉さん」
「……」
応答はないが、ジュンは構わず続けた。
「なんていうか、楽しかった」
「……」
「でさ、昨日白兎兄さんが言ったこと覚えてる?」
「…呼び名のこと?」
「そう、それ。きらきー先生や翠星石と話してたら、それしきのことで身構えてたことがアホらしく思えてきてさ」
「…うん」
「やっぱ、『柏葉さん』はよそよそしいよな」
そこで一度話が途切れた。
ジュンは深呼吸をし、巴は起き上がり、ジュンのほうを振り返る。
ジュンの目には決意の光が灯り、巴の目には期待の光が灯る。

「これから、よろしく。











柏葉。」

「………ごめん、聞こえなかった」
長い沈黙のあと、巴が再び聞き返した。
「…え…と……これからよろしく、柏葉」
「………」
巴の目の光が冷たい色に変わる。
「…柏葉?」
「桜田くんのバカ」
冷たい声でそう言い放ち、巴は居間を飛び出した。


数分後、居間。
うなだれる男一人。言わずもがな、ジュンである。
「…なんで…なんで……」
さすがのジュンも、あの状況で『柏葉』と呼ぶのが正解だとは思っていない。
『巴』と呼ぶつもりだった、巴の目を見るまでは。
巴の目を見た瞬間、どういうわけかジュンの決意は濡れた綿菓子の如く溶けて消え去ってしまったのだ。
このときのジュンの心境が果たして他人に分かるだろうか。
固めた決意が一瞬後に跡形もなく消え去っているときの心境を。
なんのことはない。ヘタレとはこういうものなのだ。


夕方帰宅した白崎は、昼間にいたはずの仲睦まじい二人の面影が消え去っていることにひどく戸惑ったという。
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