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【薔薇水晶とジュン】しあわせのはなし。中編2

 ジュンは、一人で居た。雨の中に居る。その世界は、動かない世界だった。物語の始まっていない世界。
「…………」
 ジュンも、動かない。それは、待っているから。ジュンが恋をした少女を、待っているから、動かない。
 たとえ、どれだけ雨に濡れて身体が重くなろうと。たとえ、どれだけ時間が経とうとも。ジュンは、そこに居るだろう。それが、誓いだから。
 運命という言葉は、偶然だし、必然だった。そこにあるだけで、世界すら凌駕する。神様だって、きっと逆らうことなんて出来ない。

 だから――

「ジュンっ」

 だから、そうやって笑う彼女が、ジュンのもとに駆けてくるのは、運命だったのかもしれない。
 終わることのない世界。どこまでも無為に続く世界。……それが、ジュンの世界ならば。そう、彼女が出会うのは、ジュンしか居ないのだ。

「やあ、久しぶり」
「うんっ、初めまして!」

 そして、ジュンと彼女は出逢った。

「あはは、やっと逢えた。ずっと逢いたかったよ、ジュン。薔薇水晶(わたし)の大好きな人。愛しいなぁ、愛しくてどうにかなっちゃいそうなほどに愛しい。殺したいほど愛してる、なんて言ってみたりして。あは、ホントだよ? そのくらい、貴方を愛しているよ、ジュン」
「ああ、えっと、何から話せばいいのかな」
 ジュンは、とてもはしゃいでいる彼女に対し、苦笑で返す。
「えー? どうしたの? 私に、何か話すことでもあるの?」
「まずは、そうだな――僕が、こんなにも落ち込んでいた理由から、かな」
「……何、それ」
 そのジュンの言葉に対し、彼女は、笑顔を消した。
「だって、さ。薔薇水晶から、言われたんだ。……君のことを、よろしく頼むって」
「薔薇水晶は、私」
「違う」
「……違わないもん! 何でジュンまで、そんなことを言うの!」
「僕が、君のことを知っているから」
「――え?」
 彼女は、停まった。今、ジュンは何と言ったのだろう。
「知っているよ、君のこと。やっと思い出した。君は、どこまでも白くて、純粋で――決して穢れのない、」
「やめて……っ!」
「…………」
「違う! 私は、綺麗な白じゃないもの! 違う! そんなの嘘だ! 私は、ジュンなんか知らない……っ!」
 拒否。まるで言うことが矛盾し、ただ拒否することのみが、自分を守る術。そうしなければ、彼女は、壊れてしまいそうだった。
「……ねえ、君の名前を呼んでもいい?」
「だめ、やめて、お願い。私は、私の名前は――」

「――雪華綺晶」

 彼女の声をさえぎる、そのジュンの言葉だけが、何故か鮮明にあたりに響き渡った。

「いやあああああああああ!」
 そして、彼女は叫ぶ。拒否だ。……嘘だ! 世界を信じられない。違う。自分は、薔薇水晶。それは、幸せな少女。ジュンが居て、信頼できる、姉妹のような少女たちに囲まれた、幸せな少女。
 決して、決して、誰にも知られていない、孤独な少女では、ない。
「あれは、いつのことだっけ。随分前のことだよね。雪華綺晶に逢ったのは」
「逢ってなんか、ない!」
「しかも、出逢ったのはここだよ? 覚えてる。あの時も、そう、君は泣きながら笑ってた。――今みたいにね」
 ジュンは想う。遠い昔。ジュンが、初めて、純粋に傍に居たい、と想った時のことを。

 その日だって、雨だった。彼女の大嫌いな雨。彼女は、雨が嫌いだった。だって、窓の外が見えなくなるから。
 窓から見える世界が、彼女の世界の全てだった。後は、白くて、まるで水晶のように煌く世界。そして、無機質な瞳を向ける大人たち。
 それでも、彼女は幸せだったはずなのだ。それしか知らなかったから。窓の外の世界は、綺麗だったから、それだけで満足することが出来た。それ以上を知らなかったから。
 だから、雨の日は嫌い。雨は、世界を隠してしまう。いろんな表情を見せる世界を、部屋と同じような、何の色もない、透明な世界で覆ってしまうから。

 ――そして、運命の日が来る。彼女にとって、初めての幸せを知る日。同時に、……絶望を知った日。

 何故かなんて知らなかった。いつもは、硬く閉ざされていたはずのドアが、開いていた。おかしいな、と思った彼女が近づき、そして――彼女は、外に出た。
 何も知らない彼女は、外に出るということが何か知らなかった。そもそも、自分の世界が、あの部屋と、あの景色だけだと思っていたのに。それなのに、外に世界が広がっているなんて、思いもしなかったのだ。
 それは、恐怖だ。外に出るということは、何も知らない世界に放り出されるということ。まして、彼女の嫌いな雨が、彼女の身体を絶え間なく濡らせば。
 ……そして、彼女は外が嫌いになるはずだった。少なくとも、この瞬間、彼女は、たとえどれだけ狭くても、自分の居た世界に戻りたいと思ったのに。

 なのに――

「あれ……?」

 なのに、出逢ってしまった。白馬の、王子様に。

「ねえ、真紅。ラプンツェルって知っている?」
「ええ、グリム童話でしょう」
「そう。あの子は、ラプンツェルよ。魔女じゃなくて、わるーい大人たちに、高い塔に幽閉され、誰にも会う事を許されなかった美しい少女」
「確か、ラプンツェルは、王子様が助けにきてくれたわね」
「ええ、王子様が現れるの。王子様のおかげで、生まれて初めて、希望を知るのよ」
「それは――」
 真紅は目を伏せる。それが、どんなに残酷なことかを悟って。
「なんて、悲劇なのかしら。思い出したわ。希望を知らなかったラプンツェルは、王子様という希望を知り、そして、決して抜け出すことの出来ない、高い塔という絶望を知るのね」
「そう、王子様は、魔女に殺されてしまうからね。絶望しか、ない」
「……ひどい話だわ」
「ねえ、一体、あの子にとって、どっちが幸せだったのかしらね。絶望を知らないで、幸せだと思って生きているのと、幸せを知って、絶望に塗れて生きるのと」
「……そんなの、」
 真紅は、言葉を紡げなかった。水銀燈も同じだった。二人とも、同じ事を考えていた。

 もしも、もしも――自分たちが、同じ状況に、なったら。

「そうね。きっと、私なら、」
「ええ、私なら――」

 ――王子様を、望む。たとえ、永遠に来てくれなくても。だって、それしかすがる希望がないのだから。

「どうして泣いているの?」
「なく……?」
 彼女は、泣くということを知らなかった。だから、自分が泣いている事だって気付いてなかったのだ。
「なくって、なぁに?」
「うーん……涙を流すこと、かな」
「なみだを、ながす……」
 それだって、知らない言葉だった。だけど、何故だろうか。それが、いけないことだと思ったのだ。
 悲しい、という感情を知らない彼女は、そんな言葉でしか表せない。伝える言葉を、見つけることが出来ない。
「あなた、だぁれ?」
 彼女は、知りたかった。自分の知らない言葉を知っている目の前の誰かを。
「僕は、桜田ジュン」
「……あなた、どうしてそんなに、へんなかおをしているの?」
 そう、ジュンは、彼女から見れば、とても変な顔をしていた。それは、彼女が知らなかったからで、誰かが見たなら、泣き出しそうなのを我慢している顔。
 ジュンもまた、泣きそうだったのだ。世界を、信じることが出来なくなって。
「はは、変かぁ……」
「あ、また、へんなかお」
「え? ……もしかして、笑った顔のこと?」
「わらった、かお?」
 彼女は、それも知らなかった。いや、正確には、感情を知らなかった。喜怒哀楽を、知らない。周りに居た大人たちは、毎日毎日、同じことしかしない。
 だから、何も変化がない。変化があるのは、窓の外の景色だけ。自分の中ですら、変化はない。
「わたし、しらない」
 そして、彼女はジュンを見た。何よりも透き通った、本当の意味で穢れを知らない瞳で。

「知らないって、何を?」
「わらったかお」
「笑顔を? 笑ったことが、ないの?」
 ジュンにとって、それは意外だった。こんなにもかわいい女の子なのに、笑ったことがないなんて。
 ……ジュンは気付いていなかったけど、それは恋だった。名前も知らない女の子に、恋をしていた。真っ白で、何故か眼帯をしていて。そんな女の子に、惹かれていた。
「わかった、じゃあ、一緒に遊ぼう」
 ジュンはどうしても少女の笑顔が見たくなった。ジュンは、世界を信じられなくなっていたけど。だけど、そんな世界でも、目の前の少女が笑わないのは、おかしいと思ったから。
「そうだ、名前を教えて」
「なまえ?」
「うん、名前」
「わたし、わたしは――」
 気付いただろうか。いや、きっと気付いてないだろう。彼女は、その時、確かに、

「わたしのなまえは、雪華綺晶」

 確かに、笑顔を見せていた。

 それからの時間は、彼女にとって初めて経験するものばかりだった。世界は広い。そして、楽しい。それを感じ取っていた。
 ついさっきまで、恐怖の対象でしかなかったものが、どれも宝物のように見えて仕方がなかった。
 どれもこれも、ジュンが居るから。そうだと、彼女は信じていた。どうしようもなく、それが真実だった。
 運命。彼女はそんな単語を思い出す。たった一回のこと。彼女は、絵本というものを一冊だけ読んだことがある。それを、思い出していた。
 昔の彼女からすればそんなものはどうでもいいものでしかなかったから、忘れていたけど、でも、その絵本の物語が、どれだけ素晴らしいものなのか、今理解した。
 お姫様を助けに来る、白馬の王子様。それは、きっとジュンのことなのだ。きっと、ジュンは私を助けに来てくれたに違いない。ええっと……、お姫様は、王子様にお礼に何をしたんだっけ?
「あ」
「? どうした?」
「ジュン――」
 ちゅ。
「あいしてます」
「え、え、ええええええええ!?」
 彼女からすれば、絵本にあったことをそのままやっただけで、何の意味があるかも知らない。だけど、ジュンからすれば、女の子にキスされるなんて体験しているはずがないのだ。いや、正確に言えば、水銀燈からとかあったりするわけだが、それはあまり意識していなかった。
「き、雪華綺晶?」
「うん」
「……えっとさ、」
「うん」
 彼女は、ただ言葉を待っていた。それだけの、何と楽しいことか。この短時間に、彼女は学んだ。楽しいということ。嬉しいということ。
 言葉には出来ない。でも変化を感じた。世界が変わり続けるものだということを、知ったのだ。
「あー、そんなに幸せそうな顔、しないでくれ……」
「しあわせ?」
「僕が言うのもなんだけど、すごく幸せそうだよ」

「これが、しあわせ……」
 彼女は、噛み締める。しあわせを知ったことを、幸せに思って。
「わたしね、ジュン、あのね――」
 とても、しあわせだよ、と言おうと、彼女はしたのだ。

「居たぞ!」

 ……それは、結論から言えば、言うことは出来なかったのだけど。





 それからのことを、彼女は覚えていない。ただ、泣くということを覚えた。悲しみというのを感じた。そして、せめてジュンだけは、幸せであればいいのに、と願った。

 それだけの、話。幸せを知った少女が、ずっと、ずっと、その思い出だけを頼りに、生きていた、というだけの話。

「その、雪華綺晶が、薔薇水晶とどういう関係があるの?」
「ヒント、薔薇水晶は、ジュンと会うまでの記憶がない。……それは、嫌な記憶を封じ込めたからよ」
「まさ、か」
「そう、覚えてる? ジュンが小さい頃、行方不明になって、それで道端に倒れていたことを」
「確か、あの時――!」
 真紅は、思い出す。ジュンが、行方不明になった日。それは、てっきり、ジュンが世界を拒絶したからだと思っていたけど。
「ジュンは、まっさきに呟いた名前。……あは、それを覚えてる私もちょっとアレだけど、その様子だと、真紅も覚えているみたいね?」
「雪華綺晶。記憶のない、薔薇水晶。ジュンが、薔薇水晶を初めて見たとき、貴方のことがあってさえ、そばに居たいと思ったのは――」

「そうよ。薔薇水晶とは、雪華綺晶の、第二の人格。雪華綺晶が、世界から逃げた証よ」

 ――それは、なんて残酷で、幸せな、二人。

続く

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