※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。


蛇に睨まれたカエルが硬直するのはヒエラルキーのお約束。
そして、今現在わたくしが硬直しているという現状も、自然の摂理を如実に表現していると称して過言ではありません。
何故ならばそれは至極順当な成り行きと言えるからです。水銀燈さんは食べる側。わたくしは食べられる側。弱肉強食で焼肉定食。とても単純。
まあ、腐れ学者の自然論はともかくとしても。
彼女に睨まれた事ならば前にもありましたが、まさか敵意や殺意有る無しでこうも違うものとは。わたくしの体が全身で当て所のないSOSを繰り返しております。鳥肌どころか羽まで生えそうでした。
この場合、わたくしに出来る事はとにかく目立たない事。そう、それはさながら学び屋の数学教師に当てられない為に学生が自然と身に着ける迷彩能力のようなヤツです。
「…ぷは」
しかしどうやらわたくしはこれでも一端の哺乳類ではあったようで、周りの状況を理解出来ない体が生意気にも酸素を要求したため出来るだけ小さく呼吸をしました。大丈夫、状況に変化なし。ああ良かった。
(いえ…これは、良くない…とても良くない…)
マスクもしないで毒の蔓延る沼地を歩く勇者一向のように、わたくしの寿命はガリガリと音を立てて削れていきます。ナイーヴなわたくしには早急に打開策が必要でした。
この、水銀燈さん一人から立ち上る威圧感を回避する打開策が。
本来ダークハンターは敵を無力化する技に長けると聞いていますが、わたくしと水銀燈さんくらいのレベル差があれば睨むだけで事は足りるようです。
ですが、わたくしには頼れる仲間がいることを忘れてはいません。彼女達ならきっとわたくしにフレシキブル(?)な助言をしてくれることでしょう。
まずは右側を見ました。
そちら側にはめぐさんとばらしーちゃんがいます。彼女達は一体どうやってこの現状を乗り越えているのか。それを観察することで結果としてわたくしに生き延びるヒントを得られれば…
「はぁ…はぁ…はぁ…!」
「………」
メルトダウン寸前の原発がそこにありました。
見てはいけないものを見た気がしました。
わたくしは再び前を向きます。めぐさんはとてもアレな感じで、恐らく妹もアレな感じでしょう。威圧感なんて関係無いですかそうですか。
なので左側を見ました。
初めからこちらを見るべきでした。そもそもわたくしがバトルタイプの二人を参考に出来るはずもないじゃないですか。ですが翠星石さんならば、少なくともわたくしの常識の範囲内の人物。
「…え?」
だからこそ、わたくしには理解が及ばな
かったのです。
一瞬、水銀燈さんのことも頭から抜け落ち、わたくしは茫然とただ立ち尽くす存在となりました。
それ位、翠星石さんの姿、表情が、わたくしの常識から逸脱するものであり、この状況に対して余りにも異質なものだったのです。
その表情はまさに…例えば…ああもう!だからわたくしの常識では表現できないから混乱してるんですってば!
それでもなお、無理やりにでも描写するならば…その姿はかつておばあ様が天気の良い日に洗濯モノをベランダに吊し終え、ふうと一息付いた――そんな、清々しくも満ち足りた表情だったのです。


「それにしても、随分と時間がかかったわねぇ」
その膠着状態を祓ったのは水銀燈さん自身でした。頃合い良しと言わんばかりに威圧感も消し、離れたわたくし達に声をやや大きくして語りかけてきます。
「んー、それともワザと、なのかしら?だとしたら大したタマだけど…ふふふ。まあ、蒼星石が一目置いたチームだものね。それ位はないと張り合いも無いわぁ」
くすくすと、上品の中に相手への侮蔑や嘲笑を含めての笑い声でした。
「蒼星石から私が指示されたのはこんな抜け道を使ってしまう手癖の悪い子達を躾てあげること。だけど数が多くてねぇ…何人か逃げられちゃったわ。もう、授業の後はお昼寝の時間なのに」
水銀燈さんがチラリと視線を移した先には草木で上手く隠された深そうな窪地があり、ある程度の確信をもって目を凝らせば…あー、たくさん居ます。まあ寝てるというならばわたくしが出向く必要もありませんかね。
「それは」ここで口を開いたのは翠星石さん。「注目度ナンバーワンのオメーらがスタートしていきなり内層へ飛び込んだからじゃないんですか?」
「あら、よく見てるじゃない。まあそうねぇ。でもそれならそれで、抜け目のない悪い子達を躾の場へ誘導してあげられるもの」
「危険因子は早々に排除するってことですか。じゃあ蒼星石と巴はオメーがトラッピングを仕掛け終わるまで時間を稼ぐ誘導係だったんですね」
「そ。正確」
淀みなく翠星石さんと水銀燈さんの会話が行われます。その時の翠星石さんは、前までの真剣な無表情に戻っていました。
「でも私の授業もこれで最後。だからアナタ達にはとびっきりの特別指導をしてあげるわぁ。歩いて世界樹を降りられるとは…思わないことね」
ここで再び、水銀燈さんがわたくし達にプレッシャーをかけてきました。当然わたくしもまたピンチに舞い戻るのですが…この時、わたくしはむしろ頭の中に湧き出た疑問の方に意識をとられていました。
「はあ…これだから翠星石はセンコーが嫌いなんですよ。で、水銀燈。オメーが今までどんなヤツらを相手にしてきたか知りませんが、こっちは体調万全の四人ですよ?素直に通した方が賢いんじゃねーですか?」
「魅力的な申し出だけどお断りよ。問題児は早めに折檻するに限るの。ほっておくとロクな事にならないから」
「ですか。んじゃ、仕方ねーですね…」
この辺りで、わたくしの疑問はほぼ確信の域にまで達しました。
別に、おかしいところは何もありません。わたくし達は挑戦者として、水銀燈さんがそれを阻むヒール役としてこの場に存在していることは、とても自然な成り行きと言えます。
それは言うなれば、物語として相応しい事でした。わたくしが読み手であれば何の躊躇いも無く次のページを捲ることでしょう。
あの日、水銀燈さんとの二人きりでの語らいが、無かったならば。

「めぐ」
翠星石さんが杖を握り直し、交戦体勢をとりながらめぐさんに呼びかけます。
「ここで契約成立といきましょう。翠星石は蒼星石を追わにゃなりませんからアイツなんか相手にしてられません。だから道を作ってください。その後は構いませんから」
その言葉は、大会に出るためだけにジェイドリッパーズの一人となっためぐさんのくびきを解き放つものでした。
チーム入りに当たり、翠星石さんとめぐさんの間では幾つかの確約が成されたと聞いております。それは恐らくチームとして機能するための最低限だったのでしょうが。
その代わりに、交換条件として翠星石さんがめぐさんに与えるはずだったもの。
それは考えるまでもなく、この機会。水銀燈さんと対峙できる、この場面。
「きらきら」
「はい」
わたくしは翠星石さんに返事を返します。その後に続くであろう言葉の予想を持って。
「あの二人がガチでやり合えば双方無事じゃ済まないでしょう。めぐはチームメイトですし、オフィシャルメディックとしてこの場に残ってください。無理に水銀燈のガードを抜けるのも危険ですしね。ばらばらは、きらきらの護衛を頼みましたよ」
「…はい」
「わかった」
翠星石さん。わたくし、貴女の事は本当に素晴らしい方であると思っています。性格もそう、気配りもそう、世渡りに関しても、そう。
ただ一つだけ、わたくしが貴女の欠点を述べるとするならば。
貴女は、演技が下手ですわ。
酒場のみならず普段の生活の中でそれを行うわたくしからすれば、二、三流と言わざるを得ません。
けれど…演技や嘘は、それを使う相手さえ騙せればそれでいい。ならばこの場合はどんな三文芝居だって構わないんでしょうね。
何せその相手は、他人の話など大して聞いていないでしょうから。名分さえ、整えられればいいのですから。
ばちんっ!
めぐさんが両手を合わせる音が響きました。ここで水銀燈さんの囲いから翠星石さんを抜けさせるための術式ともなれば、それは恐らくかなりの高威力に…
(…でも、それにしたって…!)
長い、長いです。
アルケミストの使う術式は、威力を上げれば上げる程行使までの時間が長くなってしまう欠点がありますが、このタメの長さは、あまりにも――
そんな冷や汗を流した時、閉じられていためぐさんの目がカッと開き、閉じられた両手から重なった術弾が弾かれました。
「…《大氷嵐の術式》」
思わず聞きそびれてしまいそうな声。しかし生まれたのはその声とはかけ離れた術でした。
「きゃあ…!」
術弾から吹き荒れる猛烈な冷気。それを感じる事が出来たのは最初のうちで、術式が進めば進むほどに、目の前の景色は常軌を逸した変化を見せたのです。
植物は凍って砕け、小川は動きを失い、大地には厚い氷で固められ。
休憩に適したハズの場所は、一瞬にして生き物を拒絶した静と冷の支配する領域となりました。
そんな中を、まるで滑るように走る翠星石さん。術が迫った水銀燈さんはシューターを使い横に飛び退きます。そこに出来た道を、翠星石さんは当たり前のように抜けてゆきました。
水銀燈さんと翠星石さんは、お互いを見ることも、声をかけることもありませんでした。
そして術式が終わり、尚も照りつける太陽が透明な氷を煌めかせるその場所で。
水銀燈さんとめぐさんが、静かに対峙したのです。

「ふん、一人逃げちゃったわね。まあいいわ。後の三人をしっかり始末すれば、蒼星石も文句は言わないでしょ」
追い掛けて捕まえてもいいしね、と薄く唇に笑みを作る水銀燈さん。
さっきまでの明るい雰囲気の場所から凍り付くような(と言うか凍ってますが)ステージへと変わったために、その姿、悪役ここに極まれりです。
「雪華綺晶」
「は、はい」
私と妹の前に立っているめぐさんが背中を向けたまま言いました。
「さがって」
「…!」
わたくし、びっくりするくらい驚きました。きっと顔にだって『驚き』と書かれていたに違いありません。
だって、今のめぐさんが、わたくしの身を心配してくれるなんて。
「…ええ、わかりましたわ」
なんとなく前に立つその細い背中がわたくし達を守ってくれているようにすら思えてきます。それはちょっと、考え過ぎかもしれませんけれど。
でも、盲目的に自分の姉に挑み続ける彼女の生活の中に、ほんの少しだけでもわたくしが色を添えてあげられたならば…それほど嬉しい事はありません。
二人への気遣いと、実際問題として自分の身が危ないので妹の手を引いて例の窪地へ。
その際ちらりと水銀燈さんを伺ったところ、ばっちりと目が合いました。
言葉も無く表情も変えず、ただそっと目をつむった水銀燈さん。
――ありがとう
そう、言われた気がしました。

「違和感はあったんですよね」
「? 何が?」
妹と二人で窪地に入り、わたくしはそこに居た人達の手当てを開始しました。やはりあの時のめぐさんに彼等を気遣う事は望めず、穴の出口に近い人達は所々凍ってしまっています。
その氷をナイフでペキペキとはがしながら、
「この場所に出た時、ばらしーちゃんはともかく、わたくしでさえ違和感を感じたのに翠星石さんは何も言わなかったでしょう?それはやっぱりおかしいと思ったんです」
ましてこの場所で休憩を決定したのが翠星石さんでしたし。もしわたくし達が気付かなければその導きの下で見事にトラッピングにかかっていたでしょう。
「それと」わたくしは横たわる彼等を見つめ、「ばらしーちゃん、トラッピングについて知識はありますか?」
「うん。トラッピングにはいくつか種類があって、相手の攻撃に対してカウンターをするトップクラスの威力の技だって」
「なる程。やっぱり攻撃技なんですね。きっとここの方達も大半はそれでやられてしまったのでしょう。でも…」
あの時のトラッピングは、確かに強靭な茨でしたから怪我はするでしょうが、確実に捕獲を目的としたものでした。
「これは推測ですけど、予定ではアレにはわたくしがかかる筈だったのだと思います。そして動けないわたくしに襲いかかる水銀燈さんに、めぐさんが迎撃すると」
でも実際はトラッピングは見破られて、素の状態のわたくし達と水銀燈さんが対峙してしまった。
「そこで水銀燈さんの威圧からのあの三文芝居です。あーだこーだと理由を付けてわたくしを狙ってるように見せたんでしょう。水銀燈さんの即興の演技力は見上げたものですが」
そうして思い返せば、蒼星石さんの完走を防ぐ、つまりは蒼星石さんと同等もしくはそれ以上のペースで世界樹を登らねばならない翠星石さんがスタート地点であれだけのロスタイムを許容したのも頷けます。
あの二人に邪魔が入ってはならない。ならば必然的に最後尾を跳ばねばならず、人気も避けねばなりません。
「となると…以前開拓地であの二人が話していたのはこの打ち合わせだったのかもしれませんね…」
水銀燈さんがラピスラズリリッパーズに入った理由がめぐさんと同様ならば、同じように蒼星石さんとの間で取り決めがあって然るべきですし。
「でも、どうしてそんな事までしたの?別に戦うだけならただ襲えばいいのに」
「…水銀燈さんが“成り行きで”めぐさんと戦うことになる場面を作るため、ですわ」
あの二人が心おきなく戦う為には、それが絶対に必要な条件だったのです。
だからその為にジェイドリッパーズとラピスラズリリッパーズが総力を上げて作ったこの場面。わたくしもめぐさんが守る対象として認識してくれる事で、一役買ったということになりますか。
「でも、そうまでして、ここまでして…」
わたくしは穴の出口から外を覗きます。直ぐに、あの二人が戦っている姿を捕らえることができました。
めぐさんはいい。彼女はただ、自分の姉を超えるために戦えばいい。それが自分の世界の足下と同義とも知らずに、偏に目の前の相手を壊せばいい。
でも水銀燈さんは…貴女の目的の為には、負ける事は許されず、ただ勝つだけでは意味が無い。
しかし、それならば…
「水銀燈さん…貴女は一体どうしようと言うのです…?」

その二人の戦いを素人であるわたくしが評するのを許されるのであれば、まさしく美しいの一言でした。
それは単に綺麗というだけではなく、躍動感にも溢れた人間の動作としての美しさ。二人のしなやかな肢体が踊り、舞い、時にぶつかり合い。体とはこうして使うのだと見せ付けるような。
「…凄い」
「ええ…」
その中でも特に目を引いたのはめぐさんのフットワークでした。
水銀燈さんのジョブ、ダークハンターは鞭や剣を操り敵を縛り付け的確に致命傷を負わせる前衛ジョブ。
対してめぐさんのアルケミストは相手との距離を置き時間をかけ術式を紡ぐ後衛ジョブ。
1対1の戦いにおいて、その違いは決定的な差を産むはずでした。しかし、
「あの人の体術は…前衛ジョブ並みのレベルだった」
前にばらしーちゃんと行った練習で、玉遊びとは言え妹に完封勝ちを収めた実力に嘘は有りませんでした。
「あの二人は元々リッパーを目指していたワケじゃありませんし、アルケミストにしたって偶々お家柄ってだけですしね」
無論その錬金術も感心してしまう程に上手く使われているのですが。時間のかかる大規模な術式は避け、基本となる術式を隙あらば即座に使っています。
これほどの技術と技量を持つめぐさんでありながら、わたくしがそれを観測する時間的余裕があるのはやはり相手が水銀燈さんだからでしょう。
端から見ていて技のレベルの高さ以上に気迫と執念に溢れためぐさんの猛攻を表情一つ変えずに完璧に受けきっていく姿はまさに脱帽もの。
そしてその表情と言うのが『アナタなんか本気を出すにも値しない』といった感のモノですから、めぐさんからすればさぞ戦闘意欲をそそられる事でしょう。
そんな、わたくしなど集中していても見失ってしまう事が間々ある一級品の戦闘は、強い日差しと凍った大地の中でくるくると流れていくのでした。

その永遠に続くかに思われた姉妹が織り成す戦闘のワルツですが、永遠など存在しないのは不動の真理。窪地の人達の治療を済ませた頃には明らかな終焉の影を覗かせていました。
「げほっ…げほっ…!」
考えてみれば当たり前のこと。それはわたくしが一番良く知っていたことだったのに。
今朝の時点で余りにも明白でした。めぐさんに、長時間の激しい戦闘行動など不可能であるということは。
「げはっ!?」
「めぐさん…っ!」
兆しが見えてからはあっという間でした。無理に限界を伸ばしに伸ばし、しかしとうとう追いつかれてしまった故の悪化の速さ。
水銀燈さんの話からも察するべきでした。二人の暮らしを壊したあの日、めぐさんは誉められたものではない方法で自分の術力を上げたと言います。ならば、その再現である今日この日も、同じ事でした。
めぐさんはもう動きを止めていました。真っ赤に染まった口元をぬぐい、震える体を、なんとか気丈に立たせているだけ。
「……ッ!」
ああ…わたくしのメディックの知識が、まさかわたくしを苦しめる時が来るなんて。
わたくしだから分かるのです。勉強したから分かるのです。今の彼女が、果たしてどれだけの状態なのかが。
再び訪れた二人の対峙で先手を打ったのは、今度も水銀燈さんでした。
「ふん…弱いわねぇ」
「!」
めぐさんの表情がぐっと固まります。
「弱い。そして脆いわ。そろそろ飽きてきたから、おしまいにしましょうか?」
冷たい声で、冷たい言葉。どれだけの意志の強さがあれば、そう口にすることが出来るのでしょう。
水銀燈さんは黙って俯くめぐさんに向かって続けます。
「だけどもし…まだやれる事があるなら、まだやり残した事があるなら、やりなさい」
めぐさんと同じように伏せられていたわたくしの視線が、ゆっくり水銀燈さんに向かいました。
やれる事?
この期に及んで、めぐさんがやり残した事?
水銀燈さんの戦い方は、明らかに決着の遅延を意図していました。なら、この状況こそが水銀燈さんが狙ったものだと言うのならば。
その時、めぐさんがゆっくり、動き出したのです。
丈夫に作られたポケットから取り出されたのは、二枚のアルケミーディスク。黒く、厚く、複雑に加工され、他の術弾に比べ異彩を放つその二枚。
この状況で、限界ギリギリの土壇場で、めぐさんが最後に放つ術式とは、何か。
(―――ッ!!)
わたくしは自分の思考に背筋を凍らせました。
さっき、わたくしは、何と言いました?
この、めぐさんが水銀燈さんに挑むこの状況が、あの日の、“その再現である”と言うのなら、
ばちんっ!
そのもはや聞き慣れた音にはっと意識を戻し見上げたその先に――わたくしはとんでもないものを見ることになったのです。
「水銀燈さん!?」
それはなんと、めぐさんの前で、めぐさんと同じように両手のケミカルリアクターを叩き合わせている彼女の姿でした。
「そんな、だって!」
術弾はともかく、ケミカルリアクターはアルケミストの個別装備。ダークハンターである水銀燈さんが持ち込めるものではありません。
「お姉ちゃん」
いつの間にか隣居た妹がいませんでした。代わりに妹は穴の奥で寝かせていた人達の所に居て、一人の男性を示します。
「あ…」
合点が、いきました。彼は、ケミカルリアクターを装備していないアルケミストだったのです。
妹がわたくしの横に戻って来ても、あの二人は未だに手を合わせたまま。その時間は、めぐさんがこの場所を凍らせた時より遥かに長いものでした。
あの日も二人揃って、二人並んで、そうしていことでしょう。
違うのは、その相手が、傍らに居るのか、それとも…
その時は真理に基づきやってきました。二人が目を見開いて、互いに腕を振り、けれど祈る両手は離さずに、高らかに叫んだのです。
かつて、父親が自分達の為だけに作り上げた術式の名を。
あの日、自分達の暮らしを破壊してしまった術式の名を。
そして、史上最大威力と唄われることとなる術式の名を。
連弾双呪錬成――
「《超核熱の術式》!!」
「《超核熱の術式》!!」

………んん、
(う~ん…いい匂い…この匂いは…ええと…)
まあ…味を見ればわかるでしょう…と、思った所で。
「ハッ!ばらしーちゃん!」
意識覚醒。どうやら嗅覚は正しかったようで、わたくしに覆い被さるように妹が。危ない危ない。後少しで味見を始めるところでした。カニバリズム良くない。
「ばらしーちゃん、ばらしーちゃん」
「ううん…おばーちゃんが見えた…」
どうやら無事のようです。一応、送り返していただいたおばあ様に感謝。
状況からして爆発の衝撃からわたくしをかばってくれたらしき妹を丁重にどかし、ふらふらする頭を抑えながら窪地の外へ。
「うわ…」
そこは、まさしくクレーターでした。
草も木も、氷さえ見あたらず、プスプスと煙を上げる黒く焦げた擂り鉢状の世界樹の幹。
「あ…!」
その擂り鉢の中心、言うなれば爆心地にあの二人が居ました。
めぐさんはへたり込み、しかしどうやら意識はあるよで、焦点の定まらない瞳を前方へ向けています。
そして、そのめぐさんの、腕の中。寄りかかるように、抱き付くように、そしてすがるようにして、全身から血を滴らせた水銀燈さんが倒れていました。
「ぐ…げほっ、げほっ…あ、あはは…」
その濁った笑い声は、水銀燈さんのものでした。
「ははっ…もう、コレは…一人で使ってはダメと…書いてあったでしょう…げほっ…ホントに…忘れっぽいんだから…くっ…」
めぐさんは水銀燈さんを抱えながら、ずっと前を見ています。
「長かった…わね。でも…やっと…成功したじゃない…がはっ、かっ…ま、他人のリアクター使って…この反動なら、上出、来…げほっ、げほっ、げほっ!」
腕の中でむせて喘ぐ水銀燈さん。めぐさんは、ただ、何もない前を向いて。
「あは…流石に…ブランクがあると…疲れる、わね…はあっ、はあっ…いいこと、めぐ…こんなんで、私に…追いついたなんて…思わないこと、ね…くっ…アナタの姉は、凄い、ん、だから…」
水銀燈さんは、必死に、伝えます。めぐさんは、じっと、そのままで。
「げほっ…うぐ…だから…だから、だから…!」
水銀燈さんの腕が、引きずるようにしてめぐさんの後ろへ回されました。その傷だらけの手で、ぎゅっと、大切な人を抱きしめて。

「置いてか、ないで…」

それだけを言い切ると、水銀燈さんは力尽き、意識を失いました。
置いてかないで。
それは、昔はずっと、ずっとずっと、めぐさんのセリフだったはずでした。
何をするにも完璧で、何を期待されてもそれ以上に答え、この世界を自由に羽ばたく姉。
そんな姉に、めぐさんは何度叫んだ事でしょう。付いて来るのが当たり前と、横に居るのが当たり前と信頼してくれる姉に向かい、素足で走りながら、何度も何度も。
しかし、実際に置いてかれたのは、姉の方でした。
妹がある方向にしか、進まなくなったのです。
だから姉は、その方向に、かつ妹より前で飛ぶしかありませんでした。そうしなければ、置いていかれてしまうから。自分を姉だとも、思ってくれないから。
だから、だから――
湯気の立つ地表を滑り、わたくしは二人へと近づいて行きました。
そして、わたくしは聞いたのです。
傷だらけの姉をその腕で抱き、その胸で受け止めた妹が、瞳を開き、前を向きながら、そっと…こう呟くのを。
「姉…さま…?」


W.W.R本部事務録
T-1021
二層、0034-B-2067r-2にて脱落者二名
・水銀燈
ラピスラズリリッパーズ所属
医師団の判断によりリタイア
・柿崎めぐ
ジェイドリッパーズ所属
医師団の判断によりリタイア


「ばらしーちゃん、体の方は大丈夫ですか?」
「うん、問題ないみたい。お姉ちゃんも大丈夫?」
「ええ、どうやらそのようで」
妹を盾にしたようであまり気分の良いものではありませんが、両者とも無事ならば文句を言うべきではありませんよね。
「でも…良かったの?」
「………」
わたくし達は今、鬱蒼と茂る樹海の中を跳んでいました。
それはつまり、あの二人を放置した事に他なりません。
あの後、わたくしはばらしーちゃんに手を貸していただき、二人を窪地に運んで応急処置を施しました。
しかしめぐさんはともかく水銀燈さんは意識不明の重体。いえ、めぐさんだって相変わらず虚ろな瞳を開けたまま微動だにしないのですから、重体と言えばこちらも同じでした。
止血や各種の投薬を行っても精密検査はどうしても必要でした。なのでわたくしオフィシャルメディックに与えられている権限を行使。各OMには発信機が与えられており、それを使う事で待機している医師団に最優先の緊急救援信号を送る事が出来るのです。
そして医師団の方からの確認信号を受け取った後、こうしてまたわたくし達は競技に戻ったのですが…
「それは…心配です。でも…」
あの場であれ以上わたくしが出来る事は皆無でした。それでも重体人を世界樹の中層に放置して何も感じない程わたくしは人でなしではありません。
けれど、もし水銀燈さんの意識があったのなら、きっとこうおっしゃったことでしょう。
まだやれる事があるなら、まだやり残した事があるなら、やりなさい――と。
「まあ、どんなに言い繕ったところで…ケガ人を放置した事に変わりはないのですけれど、ね」
それは、オフィシャルメディックとしては失格と言える行為でした。
「そんな医療の風上にも置けないわたくしですけど…付いて来てくれますか?ばらしーちゃん」
「そんなの」妹は少し、笑ったように見えました。「お姉ちゃんが行くなら付いて来るなって言われたって付いてくよ」
わたくしは頷き、再び世界樹を跳び回る事に集中しました。
そして、考えていました。枷とは、相手の行動を阻害すると同時に、無理やり動かす道具でもあるという事を。

中層、と言うとわたくしは以前金糸雀さんに連れ回された挙げ句道に迷い気絶のオマケまで付くというビターな経験のある場所です。
やはり下層と違い魔物の強さもさることながら、世界樹が持つ罠が露骨に数と凶悪さを増しているように感じられました。
そうした中妹の誘導に従い恐る恐る進むわたくしですが、これがなかなかに順調でした。きっと妹がレンジャーとしての性能を上乗せして高い危機回避能力を発揮してくれているのでしょう。
またこういった二人での散策は初めてではない…というより、慣れっこであるのも理由の一つでしょうか。昔は近場の森に良く連れていかれたものでしたし、夜二人で布団にくるまりながらハンドシグナルを覚え合ったのもいい思い出です。
しかしそんな幼少の妹の姿を思い出してにまにましていたわたくしに緊張が走りました。妹がそのハンドシグナルで警戒を訴えてきたのです。
《前から》《何か来る》
わたくしは慌てて妹にならい茂みへと身を隠します。後でも横でもなく前からくるという事実は、それが危険であると言っているようなもの。
気配を消すという芸等に通じていないわたくしは、対象の確認を妹に任せ頭を抱えて丸くなりました。後は兎に角、時間が過ぎるのを待つばかり。
「あれ?」
と、緊迫成分シリアスニウムの抜けた声を上げた妹。正体不明の敵が接近しているのに何をやらかしていますかとわたくしも顔を上げ、
「おや?」と、見事な姉妹の連帯性を見せました。「翠星石、さん?」
「んお?」
わたくしの声を聞きつけたのか、チームワーク抜群な声で翠星石さんは制止しました。そして視線をさまよわせながら、
「今の…きらきらですか?」
「あ、こっちです」
茂みから顔だけ出して呼んでみました。
「おお、やっぱりきらきらでしたか…でもオメー、こんな所で何やってるんですか?」
「えっと…」
それは、こっちのセリフなんですけどね…

「…なるほど。じゃあ、水銀燈とめぐはとりあえずの区切りは付けた、って事ですか…」
せっかく三人揃ったところでたべっている余裕も無いので、今度は翠星石さんに案内を頼み進んでいくわたくし達。
流石に一度通った道ですから案内も実に正確で殆ど危険という危険がありません。素晴らしい。やはりか弱きわたくしにはこういったチートが必要なのです。
「ええ…これからどうなるかは、ちょっとまだ解らないんですが…」
先程の出来事をかいつまんで話します。やはり、翠星石さんも相当に気にしているようでした。
「まあ、水銀燈にしてみりゃ十二分、って感じですかね…ん、あ、えと…その、きらきら、あのですね…」
声のトーンと一緒に頭も下がる翠星石さん。何を言わんとしているかは明白ですけど、何を今更って感じです。むしろそれを望んでわたくしはここに居るのですから。
ですので、話題変更。
「ところで翠星石さんはどうして逆走などを?」
「…ん?あー、そうなんですよね…ちょいと問題が発生しまして」
翠星石さんは適当な場所に着地したので、わたくし達もそれに習いました。
「この先に上層に繋がる道があるんですが…そこで、巴のヤツが通せんぼしてやがるんですよ」
通せんぼ。先程の水銀燈さんのように。
水銀燈さんが抜けた今、ラピスラズリリッパーズは蒼星石さんと巴さんのたった二人ですから…順当と言えば順当なのですけれど。
「こっから先は通さないって感じで突っ立ってんです。翠星石としても、巴とサシでやり合うのはちょっと厳しいものがありますし…」
「他に道はないんですか?」
「あるっちゃーあるんですが、それはキャラバンが使う探索用のルートなんです。流石に徒歩で追いかけてたんじゃ間に合いません」
上手い事やるもんです、と首を振る翠星石さん。その姿からは余り余裕が見えませんでした。それもそう、今こうしている間にも蒼星石さんはどんどんゴールへと近づいているのでしょうから。
「ただ、かなり近い場所に翠星石が知ってる抜け道があるんです。最初それを使うつもりだったんですが、あんまりにも近すぎて巴に気付かれそうなんですよね…」
「なるほど…では、どうするおつもりだったんです?」
無意味に逆走する人ではないのは、はっきり確信を持って断言できました。
「…もし巴が戦闘中なら、なんとかなりそうだと思ったんです。だから隠れて誰か来るのを待ってたんですが…」
一向に現れないのに業を煮やし、誰か伸びてる人でも居れば叩き起こしてやろうと降りてきた所にわたくし達が居たと。
「なら、万事解決ですわね」
「え?」
「その役を、わたくし達が務めれば良いだけの話しですわ」
そう言った瞬間、翠星石さんは苦虫を煎じて一気飲みしたような表情になりました。
まあ、気持ちは分かりますけどね。形的にはわたくし達を騙して罠にかけようとし、更には囮役までさせようと言うなら、翠星石さんのボーダーラインのK点越えは確実でしょうし。
でも、しかし。
「なりふり構っている場合でもないのでしょう?」
なんせ、貴女の目的はまだひとかけらだって達成していないんですもの。
「ならば、どうぞわたくし達を使ってくださいな。助け合ってのチームメイト。それにみっちゃん亭は、いつだって町人の味方ですわ」
にっこりします。営業スマイリー。
「………無茶は、」
「無しで。では行きましょう。時間もありませんし。報酬は…そうですね、美味しいお夕飯にしましょうか。もちろん、お代わり制限無しでお願いします」
わかりました、と苦笑する翠星石さん。
移動を再開する三人。
そして前を行く翠星石さんに向かって、わたくしは俯き、沈んだ心の中で呟きました。
――ご覧になりましたか?これが、演技の仕方ですよ。
何故かぴったりと真横に付ける妹からの、恐らくは…いえ、確実に全てを見抜いているであろう妹からの、その上でわたくしを心配するその眼差しは、こんなわたくしには丁度いい罰になりました。

「この向こうです」
しばらくして、先頭を跳ぶ翠星石さんがわたくし達を手招きしてとある木の枝に止まらせ、その葉の隙間から覗く景色を指差しました。
わたくしは妹から小型の双眼鏡を借り、目を凝らして覗いてみます。
「あ、確かに居ますね。巴さん」
距離にしておよそ百メートル。しかしその半分くらいで樹木の数が激減し、開けた丘のようになっていました。これでは翠星石さんが渋るのも頷けます。
「あ、そうでした。翠星石さん、ちょっと聞きたい事があるんですが」
「何ですか?」
「えっと…そもそも巴さんって、どうしてラピスラズリリッパーズに入ったんです?」
今でこそ優勝候補と呼ばれてますが、三人のうち二人が外様といった具合ですから元々は蒼星石さん一人、チームとしての体裁すら整っていなかった筈。
「ああ、そのことですか。えーと、巴からアイツがこの町に来た時の話しとか聞きました?」
「それが、あまり…」
「じゃあ簡単に説明しますが、アイツがふらっと町に来て、何を思ったかいきなりリープの練習試合に出たんですよ。これがまた凄い噂になりまして」
「はあ」
巴さんからすれば仕事探しの一つだったんでしょうが…それがどうして凄い噂になるんでしょう?
「なんとそん時、アイツはシューターバンパー無しで出やがったんです」
「はあ…は、え?」
シューターとバンパー無し?
「それって、生身で試合に出たって事ですよね?」
「です」
「出来るんですか?そんな状態で」
「あっはっは、無理に決まってんじゃねーですか」
そりゃ、そうでしょうが…
「でも、アイツの凄い所はその練習試合に勝っちまったってトコですよ」
「ぶっ」
思わず吹いてしまった…はしたない。
「で、まあそんなこんなで名が知れたんですが…そん時に我先にと町の新人の巴に色々と世話したのが蒼星石だったんです」
「…お世話、ですか」
わたくしで言う、桜田キャラバンのお二人とマスターのような。
いえ…きっと、それは…
「ツバ付けといた、って事でしょうね」
翠星石さんは、事も無げに呟きました。
言葉は悪くも、確かにそれはそう見られて然るべき行為ではあるのでしょう。
ただ、それだったら、何も…
「他に聞きたい事はありますか?」
「ん…いえ、大丈夫です。ありがとうございました」
「はいです。じゃあ今度は今からの説明しますから良く聞いててくださいね」
翠星石さんは巴さんのいる方へ向き、
「まずばらきらの二人が巴の前に立って、念の為それから三十秒翠星石はここで待機します。そして三十秒たったら移動して、抜け道を過ぎるまで…そうですね、二分半くらいでしょうか」
ふむ…三十秒と、二分半。
「だから三分、出来ればそれ以上巴の気を引きつけてください。やり方は任せますが、知った顔の二人ですから色々出来るでしょう」
「三分以上ですね。了解しました」
それからいくつかの確認を済ませ、わたくしは妹を連れて移動を開始します。
「…どうするの?」
樹木が続く丘の縁、恐らく巴さんが気配を察する範囲のギリギリで妹が聞いてきました。
「んー、とりあえずはわたくしにお任せください。個人的にも話しておきたい事もあったので。それで恐らく三分は十分に稼げると思いますよ。…だから…」
だから、その後は。
「行こう、お姉ちゃん」
そう言った妹の声には、強い力が込められていました。
「…はい、ばらしーちゃん」
その力を自分の意志に変えて。わたくしは茂みの外へと歩き始めました。

丘のように見えたそこは、どうやら昔木々が崖崩れのような事を起こした後しっとりとコケや雑草を被せたらしき場所でした。ただ足元には生き生きとした根やツルが絡み合っている為、かなりしっかりとした足場となっています。
そしてその坂の上方に、彼女は立っていました。
遠くから見た時には閉じられていた瞼も今は開かれ、その静かな瞳を此方へ向けていました。
「まあ、巴さんではないですか。お久しぶりです」
「…雪華綺晶さん」
カウント始め。
「お一人ですか?確かにここは綺麗な場所ですけれど、それでは少々寂しくありません?」
「…雪華綺晶さん、こんな高い場所まで来てしまったんですね…予想外に意外でした」
わたくしの軽口には付き合わず、自分の思った事を素直に話す巴さん。でも、それならそれで重畳というもの。
「ふふふ、そうでしたか?それは少し心外ですわね。わたくしには頼れる妹が居るというのに」
「…そのようですね。申し訳ありません」
「そんな妹を連れて何とかここまでやって来たのですが…見たところ巴さんは通せんぼをなさっている?」
「はい。残念ながら、あなた方も通すワケには参りません」
「あらまあ…ではそれは蒼星石さんの指示なのですか」
「はい」
ふむ、どうやら予想通りのようですね。
このままの流れで行けば戦闘開始なのですが、まだ三分経ってませんし、何よりわたくしの用件も済んでません。
(…では)
それでは一つ、始めるとしましょうか。
「ああそうでした。丁度いい機会なのでお尋ねしますが、ジュンさんとはどうですか?」
「え…?ど、どう…とは?」
「ですから、ジュンさんとの蜜月の具合は如何ですかと」
「み、み、蜜月…」
あらあらうふふ、真っ赤になっちゃいましたね。なんて可愛いのでしょう。
「まあそれは冗談としても、わたくしが口出ししていまいましたから。お二人の事が気になってたんですの」
「あ、冗談、ですか…ああいえ、なる程、理解できました。つまり、男女の営みの話しですね?」
「………巴さん。今からでも遅くはないのであの野郎から逃げる事をお勧めします」
「そういう事実はありませんでした。残念ながら」
「…ですか」
あー、そうでした。この方、だいぶ天然でいらしてたんでしたっけ…
「それ以外は…はい、とても良くしていただいております。特に、雪華綺晶さんがいらしてからあの方が自然な笑みを向けてくださるのが、」
嬉しくて仕方ありません。そう、巴さんは素敵な笑顔で言いました。
「あと、喧嘩も少々。あれほど心地の良い戦いは初めてでした」
「ふうん?それは、どのような?」
「鯛焼きです」
「………」
ジュンさーん。
「前に作って差し上げたのですけど、あの方、あろうことかお腹から口を付けたのです。
どこから食べようが自由であると言うのがあの方の論でしたが、それは頭から食べる派と尻尾から食べる派の誇り高い戦いの歴史を蔑ろにする発言でしたので、一晩かけしっかりと諫めさせていただきました」
「…して、理解は得られたのですか?」
「はい。ただ…鯛焼きを見ると痙攣を起こすようになってしまったのが、誤算と言えば誤算です」
ダメダメじゃないですか。
「はあ…しかしまあ、」
鯛焼きですか。あのリビングにお茶を片手に頬張る二人がまるで目に浮かぶようではありませんか。
どうやらわたくしの助言は予想以上の成果を見いだしたようですね。いえいえ、それはこの二人のたゆまぬ努力の結晶と言うべきでしょう。
そう、だからこそ。
「…巴さん。一つ、きちんと聞きたいことがあるのです」
「はい、何でしょうか」
もう、十分に時間は経ちました。だからここからは、わたくし個人の問い掛けとして。
「巴さん。それだけジュンさんと心を通わせた貴女です。どんな励ましの言葉を貰ったか知りませんが、本当はジュンさんは貴女がこの大会に出場する事を望まれていなかった事、理解していますね?」
「………ッ」
一瞬発言を後悔してしまう程に、彼女の表情は変わってしまいました。返事はなくとも雄弁すぎました。
「わたくしがあの日貴女のお茶会に招いていただいた後ジュンさんと話す機会があったのですが、彼はわたくしにこう聞いたんです。どうして、わざわざ危険な大会に出るのか、と」
「………それは」
「ええええ、わかります。事情があるのでしょう?蒼星石さんにこうして仕える理由は、この町に来たばかりで右も左もわからない貴女に親切にし、その後部屋まで同居させて貰った事への恩返し、ですか?」
特に反応がなかったのでわたくしは続けます。
「それも結構。素晴らしい事ですわ。大体、わたくしだって心配されながらここに居る身ですしね。しかし、しかしです」
わたくしは一度唾を飲み込み、全身に力を込め、萎えそうになる意志を奮い立たせます。胸の苦しみなどこの際無視。痛むのならいくらでも痛むがいいのです。
次にわたくしが吐く言葉が、彼女にどんな思いをさせるのか。わたくしは、彼女が自然に手を伸ばしている袴の裏地に何が付けてあるのかを知った上で。
「一つお聞きします巴さん。蒼星石さんへの恩とジュンさんの願い。量りにかけて前者を選んだのは何故ですか?」
彼女は電気のように反応しました。
大きく叫ぶように、らしくもなく感情を露わにして口をあけ、
「…、……、…、」
しかし、パクパクと、喉まで出かかっている言葉を詰まらせ苦しむだけでした。
それからも、考えては口を開けるのですが、声になってわたくしに届くまでには至らず、繰り返し体を震わせるだけ。
…ごめんなさいと、謝る資格など、その首を締めている張本人であるわたくしに有るはずもないのでしょうが。
けれど、本当に…ごめんなさい。
でも、これだけは、貴女に聞いておきたかった。
そして、これだけは、貴女に答えてもらいたかったんです。
貴女に、突破して欲しいのです。

「…その考え方は、考慮してませんでした」
それからどの位の時間が過ぎたのか。巴さんは落ち着いた表情で、そっと口を開きました。
「そうですね…考えてみれば、そうなりますね。気付かなかったのは、私はこれ位なら平気と確信してたからでしょうけど…あの方にとってみればそれは意の無き事。そう捉えられても致し方ない」
そう語る巴さんは確かに苦しそうではありましたが、どうして弱々しい印象はまるでありません。
「でも、それでも…例えそれに気付いていても、私が蒼星石さんの頼みを無碍にする事はなかったでしょう」
「それは、どうしてですか?」
「確かに私は武士を、自分の剣を捨てた者。ですがそれは武士道に背を向けたのではなく、成りたい自分に成りたいと願ったからです。儀に尽くすのは…もちろん仲間達のように盲目的に駒になるのは御免ですが…それは私にとって、良いと思える事でした」
彼女はゆっくりと、確かめるように言葉を紡いでいきます。
「もし仮に蒼星石さんに助けて頂いた恩を無碍に、儀に背くことがあれば…それはアナタやあの方にも同じ事をしかねない。すると思われかねない。そんな事は断じて…」
と、ここでハッとした顔を見せ、ふるふると首を振り、
「いえ…そんな事は些細な事。そうではなくて、私が受けた恩を返そうと思った理由は…たった一つです」
巴さんは言いました。今日一番の、最高の笑顔と共に。
「私、あの方の…あの人に相応しいお嫁さんになりたいんです」
その瞬間、暖かい風が、私達を撫でました。
「あの人があんなに素敵なんです。私もあの人の素敵に頼るだけじゃなく、あの人みたいに素敵になりたいです。それが、良い伴侶だと思いますから」
風に紅い袴と黒髪をなびかせ、誰かを抱き止めるように剣を抱え笑う巴さん。その姿は、本当に…
「…そうですか。はい…ありがとうございました」
「こちらこそ。お聞き苦しくてすみません。あまり話すの、得意ではなくて」
ああ…巴さん。貴女はという人はもう…
「巴さん。親しい知人として…最後に一言だけ、貴女に贈ります」
「はい」
例え昔に、武士としてどれだけの罪にまみれ業を背負ったのだとしても。
それだけ…それだけ輝いているのですから。
「貴女はきっと、素敵なお嫁さんになりますよ」
「…ありがとうございます」
そう微笑む彼女を、周りの花々が讃えるように、暖かい風に乗って踊っていたのでした。

「…はぁぁ…」
一方こちらはわたくし、雪華綺晶サイド。
顔こそ釣られてにこやかですが、その心は鬱雲積乱雲でぎっしり。
まったく…あんな試すような事を聞いて、何様のつもりでしょうねわたくしは。その上返された光にあてられたのでは処置なしでしょうに。
「聞かなければ…良かったですかね…」
ぼっそり、そんな弱音まで出ました。
でも…自分の狡さを照らされて、こんなに惨めな思いになるくらいなら…
「お姉ちゃん!」
「あうわ」
バン、とわたくしの背中(ほぼお尻)を叩いたのはもちろんばらしーちゃん。
振り向けば、むっすりした表情でこちらを睨んでいます。あ、溜め息までつかれました。
「……ええ、ですよね」
みんな、頑張りましたもんね。めぐさんも水銀燈さんも巴さんも、やりきりましたもんね。
例えそのせいで傷をおっても、自分の内面がさらけ出されたとしても。
全力を尽くし、望むことをやり尽くす。その覚悟で、皆は今日この場に立ったはず。それは、わたくしも同じはずなんですから。
「…毎度毎度、お世話になりますねばらしーちゃん」
「今更、でしょ」
その通りですね。ええ、その通りですとも。此処まで来て、今更後に引いてどうしますか。
どんなに罪悪感が胸の痛みに変わっても、それは自業自得の戦利品。
わたくしだって、やり抜いて見せましょう。
「ばらしーちゃん。今から貴女に酷いことを頼みます」
「うん」
だから声は大きく。巴さんにも聞こえるように。
「もし嫌でしたら遠慮なくそう言ってください。わたくしは喜んでリタイアしますから」
「わかった」
「…コホン。では、ばらしーちゃん」
あと一つ。わたくしがまだ見終わっていない、見届けていないことがあるのです。
しかしそれには、目の前の強く美しい天空の花嫁を地に落とすしかない。
だから、わたくしに。
「道をください」
めぐさんが作った翠星石さんの道のように。わたくしが、進む為の。目的を、果たす為の。
「んー…んんん、んー」
ところが、妹はわたくしには応えずてけてけと数歩進み、振り返りざまに彼女にしては珍しいいたずらっぽいキラキラした笑みを浮かべこう言うのです。
「もっとわかりやすく言って欲しいなお姉ちゃん。その方が、やる気も出るし」
「……あはは」
もう…アナタって子は、本当に…
思えば、いつもそうでしたよね。アナタは常にわたくしを写す鏡。自分がどんな事をしているのかを、例え図らずともわたくしに教えてくれるのです。
時に態度で、時に言葉で、そして何より、その無垢な眼差しで。
…ええ、いいでしょう。偽善は終わりです。オブラートなラッピングは剥ぎ取って、わたくしが今から二人に何をさせるのかを、全てわたくしが責任を持って宣言致しましょう。
「ばらしーちゃん…」
今度はしっかり、巴さんを指差しました。その際に交錯する視線に、巴さんはきちんと応えてくれました。ならば、わたくしだって。
そして二人に、何より自分自身に聞こえるように大きな声で。
ああ…ばらしーちゃん。
アナタが、妹で良かった。
「やってしまいなさい!!」


W.W.R本部事務録
T-1317
二層、0088-A-1722s-1にて脱落者二名
・薔薇水晶
ジェイドリッパーズ所属
医師団の判断によりリタイア
・柏葉 巴
ラピスラズリリッパーズ所属
シューター破損によりリタイア

 

|