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まず始めに、そこに世界樹がありました。
たくさんの生命を育み奪い、たくさんの人に好かれ恨まれ、たくさんの夢をその体に抱いて存在してきた巨木です。
時に大自然の中核として。
時に生活の場として。
また時には、とあるスポーツの会場として。

次に、ここに二人の姉妹がいます。
遠方の田舎から世界樹の町へやってきた二人は、不思議な巡り合わせの繰り返しからこの世界樹を跳ぶことになりました。
片や、自己の挑戦として。そして、愛する者の成長の為に。
片や、愛する者の枷として。そして、通じた者達を調停する為に。

次に、ここに二人の姉妹がいます。
錬金術師の家系に生まれ、あらゆる事象に恵まれたはずの姉妹は、不幸なすれ違いから何もかも失ってしまいました。
全てを持っていた者は、その中のたった一つを取り戻す為に世界樹を跳びます。
たった一つを欲していた者は、今や世界の全てとなったそれを壊す為に世界樹を跳びます。

次に、ここに二人の男女がいます。
あらゆる意味で普通であり幸福だった男性と、あらゆる意味で異端であり不幸だった女性。
愛される事で愛を知った少年は、花束を抱えて家で待ち、皆の無事を願うでしょう。
愛されない事で愛を知った少女は、剣を持って戦場に立ち、知らない世界に願うでしょう。

そして、そこに二人の姉妹が住んでいました。
その二人は、血さえ繋がらずとも姉と妹で、原住民と開拓者で、世界樹で生きて世界樹に生きて、今を噛み締め過去と未来を見つめて。
余りに違うのにされど同じ二人はまるで鏡の向こう側。
近付けば近付く程に、互いの世界は断絶している事に気付きます。
けれど、その両側に世界樹はありました。
だから二人は世界樹を跳びます。
だから彼女は世界樹に挑みます。
だから彼女は世界樹を守ります。 

だからこそわたくしは、世界樹を跳ぶのです。



《雪ら薔らと夢の世界樹》

第2階層『雪ら薔らとアイビーリープ』

第8階「W.W.R、開催」



例えば、明日何かの発表会や大会があったりすると眠れないなんて経験は大体の人に在るのではないでしょうか。
原因は興奮だったり、不安や緊張だったり。緊張して眠れないのに明日に備えて眠らないといけない時の辛さったらないですよね。そして寝不足のままバスに揺られてビニール袋のお世話になり実に不名誉なあだ名が付くのはもはや遠足の風物詩。
ところでこの緊張とやらですが、そもそも人はどうして緊張などするのでしょうか?
緊張して失敗した人など冗談抜きに星の数でしょうし、人間の生活においてこれほど不必要な装置は無いように思われます。
ただここで、人間のカラダやココロの全てが『生存本能』の一語に集約されると考えるならば、緊張もまた生きる為に必要な事ではないかと考えることもできるわけで、その視点に立った時…
「…などと考えていたのに気が付いたら朝でしたの。実に爽やかな目覚めでしたわ」
「ふーん」
コツコツと町の大通りの石畳を鳴らしながら饒舌に今朝のビッグニュースを語るわたくしと、それに簡単ながらも相づちを打ってくれるばらしーちゃん。
さてこんな呑気な朝の二人なのですが、驚くなかれ、実は世界樹の大会当日だったりするのです。
昨日念入りに準備した用具機材一式を背負いこみ、まだ早朝だと言うのにまるで夜のみっちゃん亭のごとし喧騒な町を歩いております。
「むしろ緊張して眠れないのではないかと緊張して眠れなかった一昨日が嘘のようです。ばらしーちゃんはどうでした?」
「うん。ドキドキしてたけど、寝た方がいいから寝たよ」
「…相変わらず器用ですこと」
わたくしの場合、他に考える事が大杉て緊張する余裕がなかっただけの気もしますけどね。
周りの非日常性から否応無しにくる緊張を雑談で紛らわしながら、大会当日の朝に何をしているのかと言えばめぐさんの家に向かっているのです。
翠星石さんは昨日から個人的に何か行動しているようで、今日は直接現地集合の予定。よってその前に集まっておこうと先ずはめぐさんを迎えに上がるのですが、
「正直、彼女がまともな状態でない可能性も無きにしも非ずというのが恐ろしいですわ」
何せめぐさん、三日前から完全な引きこもり。加え徹底しての音信不通で、一日置きに行っていたわたくしの生活チェックも出来ず終いなのです。
本人曰わく集中したいからだそうですが、果たして今の彼女の頭に『本末転倒』という教訓が存在しているかどうか…
とりあえず、三日では万が一ということもあるまいと己を鼓舞し、合い鍵を使って家の中へ。
さあてどこから探しましょうか…と考えリビングのドアを開けると、
「…!」
彼女は目の前居ました。本当に目の前でした。リビングの真ん中に位置するテーブルの、その真上に。
胡座のようにその細い足を組み、背筋を伸ばし、手はへそよりやや下の位置で輪を作り、まるで眠っているかのように安らかに瞼を閉じて。
ただ、全然眠ってませんでした。まるで眠っているようでしたが、絶対に眠っていませんでした。
何故、そんなことがわかるかと言いますれば。
「………」
声をかけようにもかけらず、動こうにも動けない程の強烈な空気が、彼女から痛いくらいに伝わってくるからです。
気配などろくに察知出来ないわたくしですら感じるこの研磨された威圧感。これが俗に言う“気”というモノなのでしょうか…。そもそも大会当日の朝だと言うのに彼女は一体何を?
「雪華綺晶」
「…へ?あ、は、はい!」
猛烈に彼女を意識しながらぼーっとするという摩訶不思議な状態にいたわたくしは、その突然の呼びかけに狼狽を露わにしてしまいます。
それにしても、目も開けずに良く入って来たのがわたくしだと解ったものです。
「右脇のリュックの紐が一本ほどけてるわ」
「え?…あ」
言われたままに手で弄ってみると、確かにその通りの場所の紐が一本ほどけていました。
でも…え、あら?…え?ええ?
どうして、わたくしすら見えない位置の紐のほつれを、目を開けてもいないめぐさんが?
「ふー」
激しく混乱するわたくしを余所に、めぐさんはゆっくり目を開けてテーブルから降りると、ボキボキと体をほぐしながら予め用意されていた荷物の下へ。
「…ん?んー、ねえ、何か食べるモノ持ってない?お腹空いたわ。変ね、さっき食べたんだけど」
「…これで、よろしければ」
差し出したのは一応持参していた持ち込みを許可された携帯食料。
「ありがと。じゃあ行きましょう」
「あ、ちょっと…!」
受け取ったそれをモグモグしながら彼女はとっとと出て行ってしまい、残されたわたくしは慌てて戸締まりを確認し、爆発待ちの危険物が無いかを慎重にチェックし、キッチンのガス栓を確認したついでに、ふと思い立ったまま恐る恐る冷蔵庫をオープン。
見事に、三日前のままでした。
「………はあ」
めぐさん、さっきって、今度は何十時間前なんです?

「おーい、こっちですよー」
チームのメディックとしてめぐさんに一応の健康診断(弱っているのに何故か異常なくらい健康でした)と応急処置(露天でロイヤルゼリーをかって流し込みました)を施し、いざ世界樹へ向かうわたくし達。
自然の土地としては呆れるくらいに人でごった返していた世界樹の検問所に到着したところ、すぐに翠星石さんが大きく手を振ってこちらに呼びかけているのを見つけることができました。
その姿はいつもの汎用リッパーの服装ではなく、緑を基調とし民族的な模様をあしらったともすればドレスと表現するようなもの。
まだシューターやバンパーやゴーグルを付けていないために容姿と相俟ってまるでお人形のようでした。
もしこの場にマスターがいたら夢中でシャッターを切るのかしら…と思っていたら向こうで待機している医師団の方々からマシンガンのようなシャッター音とフラッシュが炊かれ聞き覚えのある奇声が響いていましたが、わたくしは何も見ていないし聞いていないのです。
「さあて、いよいよですね」
チーム、ジェイドリッパーズの全員が揃い、リーダーである翠星石さんが口を開きます。
「体調はどうですか?見た感じばらきらは良さげですね。めぐは…あー、失禁スレスレ限界破裂ってトコですか。うん、まあ、問題ないでしょう」
「え」
いやいや、とてもその例えからは問題ないようには聞こえないんですが。
それでも至って予想の範囲内といった面持ちで手早くわたくし達四人のエントリーを済ませてしまいました。
その際に翠星石さんが受付で選手用のワッペンを貰ったので、わたくし達は外れないようそれを互いの腕に取り付けます。
ちなみに、オフィシャルメディックであるわたくしのには大きく『OM』の表記が。
…正直、イケてるとは言い難いです。
けれどまあ、自分の身を守るための印ですから。これくらい分かり易い方がいいかもしれませんね。
「じゃあこっちでスタート15分前まで準備するですよ」
今日は通常の試合場と異なり世界樹が会場となるため、当然控え室などが在るはずもなく、出場待ちのリッパーには各チームに簡易テントで仕切られた準備スペースが与えられています。
なお、手荷物と身体チェックは既に終えているのでこの中では自由に行動することが許され、あちらこちらで機械音やら刺激臭やら悲鳴やら。
要するに、レースは既に始まっているというヤツです。
「それにしても、結構な人数ですわね」
小さなテントに入り、ようやく多少のプライベート空間を手に入れたわたくしは愚痴るように呟きました。
「ですね。小耳に挟んだ話じゃ全部で120チームくらいいるそうですから、人数としちゃ過去最高かもです」
いくら開拓地とは言え、既に世界樹の内部であるこの場所は普段ならばそれなりの神妙さを湛えているものですが…こうも人が溢れてしまうとそこいらのホールと区別がつきません。
「蒼星石のチームも、無事エントリーしてるみたいです」
特に表情を変えず、翠星石さんはそう言いました。
「…そうですか」
これで、今日の舞台は整ってしまいました。
こうなれば最後。後戻りは、もう出来ません。
すると、翠星石さんは居住まいを正し、わたくし達姉妹へと向き直って、
「…きらきら。それにばらばらも。初めに言っときますです。バカな私に付き合ってくれて、どうもありがとうございました」
武装と呼ぶに相応しいシューターとバンバーを装着し、手にドクトルマグスの個別装備である剣先の付いた杖を握り締め、神秘的で力強い衣服を纏いながら、優しく儚げに呟くその姿は、どこまでも、どこまでも不似合いというものでした。
「…翠星石さん。これをどうぞ」
「ん?何ですかコレ」
どう致しましてと言う事は何故かはばかられたので、既にめぐさんと妹に渡してあるものを翠星石さんにも差し出します。
それは、世界樹で採れる小さな鉱石をツルと葉で巻いたモノ。
「御守りだそうですよ。ジュンさんに作っていただきましたの。皆が無事に世界樹を降りられるように、と」
「………」
少し躊躇う素振りを見せる翠星石さん。それは、手が汚れている時に純白のハンカチを渡されたかのような仕草。
「どうぞ」
「…ええ」
けれど、改めて差し出すとゆっくりと手を伸ばして受け取ってくれました。
そして今度は、いつものように皮肉めいた笑みを見せて、
「でも殆ど知らねーヤツの御守りなんて効きますかねぇ?」
「ええ、大丈夫ですわ。そうおっしゃるかと思ってわたくしもしかと念を込めさせて頂きましたから」
「…なんか、すげぇ幸運と一緒にすげぇ苦労も舞い込んで来そうな一品に仕上がってますね」
「良いじゃありませんか。その方が結果に有り難みが出るものでしょう?」
冗談やユーモアは人を柔らかくし、時に最高の治療となりえたりもします。
わたくしはもちろん、苦笑いの翠星石さんもいい感じに体も心もほぐれてきたでしょう。
その甲斐あってか、すっかり普段の調子に戻った翠星石さんが今度は何を思ったか杖をブンブン振り回して勢い良く立ち上がり、
「いよし!んじゃあオメーら!これからこの翠星石がドクトルマグス一子相伝の秘術を授けてやるですぅ!!」
「い、一子相伝の秘術…!」
その魔性の魅力を持つ言葉に、わたくしの心はときめきに溢れました。
立ち上り杖をカツンとつくその姿は、ドクトルマグスの正装と相俟ってまさしく『術士』と呼ぶに相応しい様相を呈しております。
アルケミストに夢見る乙女の期待を裏切れたわたくしですが、まさかここにきてその奇跡の行使に立ち会えようとは…!
「それで、一体何を…」
「ふふん。聞いて驚け見て笑え(?)!このドクトルマグスの巫術にかかればその力は鬼のごとく!その皮膚は甲羅のごとく!その足は馬のごとしですぅ!」
「なんとっ!」
そこに、神がおられました。
「まさか、まさかあの伝説に伝わりし躍るだけで何故か敵の魔法点数が下がったり、杖を光らせて海を割ったりするあの…っ!」
「…きらきらが私に何を求めているのかは計りかねますが…今使う巫術はコイツですぅ!!」
まるで速攻な魔法を発動せんばかりに高々と掲げられたのは、薄い一枚の何か。
「お札ですわね!?」
巫女とお札。それはもはや酒場と町娘並みに縁の深い切っても切り離せないものでしょう。
霊筆により清められた炭を使いしたためられたお札を、祈祷し念じ、遥かなる詠唱と共に振りますれば、あな不思議かな、天地雷鳴空前絶後の青天の霹靂!!
「お札?違いますよ。コ、イ、ツ、は、で、す、ねぇ…」
スタッカートを効かせ芝居がかった仕草で翠星石さんはその神具を両手で持ち…
「湿布です」
ぺりぺりと、保護シールを剥がしました。
「………………しっぷ」
「湿布です。効きますよぉ?さあ、翠星石はもう貼っちまってますから、とっとと上着を脱いで背中をこっちに…ん?どうしましたきらきら?何と言いますか…エラいブルー入ってますよ?」

一体何が悲しくて痛くもない腰に人目をはばかりながら湿布を貼られなければならないのかと本気で悩みつつ(しかも効果覿面なのが涙を誘います)、皆で機材と持ち物の最終チェックを終えた時にはもう時間いっぱいでした。
レースのスタート地点は公平を記すため皆が一斉に第一開拓地の広場で行うので、手に汗握りながら向かったそこは殺気立った戦人で熱気ムンムン、羽虫など近づいただけで回って落ちそうな。
「はー…」
ようやく所定の場所に到着。なんだかこの場にいるだけで疲れてしまいそうです。ていうか疲れました。
「大丈夫?お姉ちゃん」
「ええ…ちょっと熱気に当てられているだけでしょうから、少しすれば慣れると思います」
元々、こういった人ごみはあまり得意ではありませんし。ただある程度はみっちゃん亭で鍛えられているハズですから。
「ばらばら、何度も言うようですが、無理だけはしないでください。私としてはこうして大会に出れた時点で十分に二人に頼んだノルマは達成しているんですから。後は自分の事を第一に考えてくださいよ」
流石と言うべきか、わたくしの今の言葉に目敏く翠星石さんが反応します。
しかし…自分の事、ですか。
その言葉は一体、どこまでの範囲を示す言葉なのでしょうね。
そんな事が頭をよぎりながらも、これ以上翠星石さんに心配をかける訳には参りませんから、にっこりと爽やかに返答しようと翠星石さんの方へ向き直り、
「ハーッハッハッハッハ!!これはこれは、久しぶりだな!翠嬢!!」
とんでもなくけたたましい挨拶に妨害されてしまいました。
くっ…このわたくしの会心の営業スマイルを台無しにするとは…そんな罰当たりな不届き者はどこのどいつですか!
わたくしの敵意に満ちた視線に気付こうともしないその男性は、黒髪を重力に逆らうように立て上げ、おでこに見事なM字をつくり、何ともニヒル漂う笑みでわたくし達の前に仁王立ちをなさっておりました。
で、先のセリフの内容からこのKでYな方と翠星石さんは旧知なようですが、一体どのようなご関係に?
「………どーもですよ」
なんか、急に不機嫌になりましたね、翠星石さん。
「今日は実にフライング日和だな!俺様もまさしく絶好調、超(スーパー)ベジータ様ってヤツだ!前の個人戦では世話になったが今度ばかりはそうはいかん!この大会を制するのは俺達“nのフィールド”だ!!」
いつの間にか、その(暑苦しい)男性の背後には男女三人が控えていました。きっと他のメンバーの皆さんなのでしょう。
「だが翠嬢がチーム戦に出るとは驚きだ。チームメイトは彼女達か?まためんこい娘を集めたじゃないか。しかも四人…くくく、わかっているぞ?油断を誘おうというのだろう?だが、色仕掛けなど今の俺には通用しねえ!!ハーッハッハッハッハ!!」
…あー、暑苦しい。どうしてこう、いちいち大声で…
傍らの翠星石さんも見るからににウザいメーターがぐんぐん溜まっていますし。うーん、人付き合いって大変です。
「…そっちも四人みたいですね」
それでもなお見上げた社交性を見せ応対する翠星石さん。やっぱりこの人は人間が出来てますねー。
「ああ、本当ならば五人編成なんだが、どうにも都合が悪いらしくてな。ハーッハッハッハッハ!なあに、今日の俺様なら一人の穴など十分過ぎる程に埋め尽くしてみせるさ!そうだろ笹塚ぁ!!」
ぐわんぐわんと一番近くにいた男性の頭を撫でまわすミスターM字(わたくし命名)。なんと言いますか、お仲間の日頃の苦労が忍ばれます。
「うん?ヤマモト、由奈、どうかしたか?」
自分の後ろにいたチームメイトにミスターM字が声をかけたのでわたくしもそちらを伺ってみますと、その呼ばれた男女二人はなんだか苦しげにこちらを見ていました。
その視線から読み取るに、男性の方はわたくしを、女性の方は妹を見ているようですが…
「いや…なんだか、そちらのレディを見ていると…まるで胸に防弾ジョッキの上から撃たれたような痛みが…」とフロックコートの男性が。
「私も…その、あの方を見てると…まるで全身を氷漬けにされたかのような寒気が…」とショートヘアーの女性が。
はて、何だかよくわかりませんが…きっと過去のトラウマか何かがフィードバックしてしまったたのでしょう。難儀なものです。
…それにつけてもこちらの男性。しゃしゃり出てきた所をライフルでズドンとして差し上げるとさぞ気持ち良いような気がするのは何ででしょうね?
「んん?何だそれは。だがそう言えば、俺もそこの黒髪を見てるとまるで全身に石でもぶつけられたような痛みが走るんだが…ふん、流石は翠嬢。またとんでもねえ上玉を集めたようだ。今は退かせてもらうが、次会う時は覚悟するんだな!」
ハーッハッハッハッハ。
ミスターM字は、最後まで近所迷惑な高笑いを上げて去っていきました。
「………」
「………」
嵐過ぎ去った後にも沈黙というものはあり。なにか、ジェイドリッパーズの間に微妙な空気が流れてます。
ふむ、ここは空調兼気合いを入れ直す意味でも、わたくしの出番でございましょう。なので先程言いそびれた事を、湿気払いの意も込め最高のスマイルで翠星石さんに伝える事に。
「あの、翠星石さん。わたくしは大丈夫ですから、お気になさらずに」
「そうですか。そりゃ、良かったですね」
わー、凄い投げやり。
わたくしのやり場を失ったスマイルは、哀れを誘う無情さを湛えしぼんでいきました。
ははあ、あの翠星石さんをここまで不機嫌にしてしまうとは…ミスターM字、侮りがたし。
これはいつか、一発ぶん殴って差し上げたいですわ。すわすわ。

謎の一団の襲撃があったために腰を折られた感のあったわたくしですが、全てのチームが配置に揃い、いざシューターのストッパーを外す段になると再び緊張が顔をもたげてきました。
いや、これは緊張と言うより、興奮に近いのでしょうか。
傍らのばらしーちゃんも無表情ではありますが、その内に秘めたる闘志は隠しきれないといった面持ち。周りにはこんな方々ばかりですから、集団心理のようなモノですかね。
ちょっとしたセレモニーが終わり、役員やトレーナーの方々が離れていくとその場の空気が一変。怖いくらいの静寂に包まれます。
ここで一つ皆様にお聞きしますが、レースのスタートとはどんなモノを想像されますか?
例えばマラソンや、競馬や、スケート。エンジンを吹かす車が並ぶこともあるでしょう。
ただそれらに共通しているのは、その視線は前方に向けられているということです。
ところがこのアイビーリープ、そう、このスポーツが目指す先はひたすらに遥か彼方の頭上。よって、どうなるかと言いますと、
「………」
あ、首が痛い。
その通り。みんながみんな、真上を見上げているわけです。120チームが揃ってコレですから、初めて見る方にはさぞ奇異に映るでしょうね。
見上げた先には吸い込まれそうな植物のトンネルと、真っ赤な旗を持ったスタート係り。あれが振り下ろされた瞬間、この場の人間は全て消え失せ、その身を世界樹へと投じるのです。
どくんどくんと聞こえる自分の心臓の音。
レースはスタートが肝心。ここで出遅れることなどあってはならないのです。
そして、その場の緊張が最高点に達した時、笛の音が響き渡ると共に、真紅の旗がひらめきました。
リッパーが、翼を得た瞬間でした。


初恋や初キッスの事を味で例える事がしばしばありますが、恋はともかく、キスの味など結局のところ相手の唇と唾液の味に決まってます。
自分の唾液を味覚として感知できない事については興味をそそられる事ではありますが、味覚による感覚など所詮は感情のようなモノである事を踏まえると、なるほど確かに初キッスの味と言うのは唯一無二の尊きモノとなるのかもしれません。
…えと、わたくしは何故レース開始直後にこんな事を考えいるのでしょう?いやいや、わたくしは本当は何も考えていないのでは?はて、考えるって何でしたっけ?あら?わたくしは、だあれ?
「えーと、大丈夫ですか雪華綺晶」
「………」
…ああ、思い出しました。そう、わたくし、飛び上がる寸前で翠星石さんに足払いを食らい、そのまま顔面から倒れ込んだんでした。
良く映画などで聞く『地面にキスさせてやるぜ』を体現した娘、雪華綺晶でございます。以後よろしく。
「…何をなさいますか」
少々赤くなった鼻の頭をさすりながらじと目(少し涙目)で問い詰めます。痛いんですよこれが。
「あはは、悪かったですよ。ただ、これも作戦のうちです」
「作戦?」
いきなりのタイムロスに、作戦も何もあったものでは?
ところが、実際に周りを見渡してみれば、なんと数チームその場に留まっているではありませんか。今もまた数人が跳び上がりましたが、これは一体?
「前にも話ましたけど、この大会で完走出来るチームはどんなに多くとも二つが限度。要するに、タイムが遅くたってリタイアしなければ問題ないんですよ」
「はあ…」
「もちろんリスクはありますよ?一フロアに留まっていられる時間には制限がありますし、待ち伏せや、トラップを仕掛けられる可能性も増えますし、騒ぎを聞きつけてきた魔物に遭遇するかもしれません。ただ乱雑時のゴタゴタに巻き込まれるよりはマシってもんです」
ふむ、そういう事でしたか。まあ聞けば納得なんですが…事前に教えて欲しかった。
「んじゃ、ジェイドリッパーズもそろそろ行きますかね」
「はい」
改めて気合いを入れ直し、いざ行かんとシューターを蹴り込もうとしたところで妹に右腕を、めぐさんに左腕を抱え込まれました。
映画で有りますよね。こうやって、どこそこに連れて行かれるシーン。
「…コホン、えー、まあ、話せばわかります。ええ、わかり合えますとも。そうでしょう?」
文明人とはそうありたいものです。例え通じ合えずとも、それでもわたくしはやってないのです。
「…説明を願います」
あの、そろそろいい加減、スタートしませんか?
「いきなり跳ぼうとするからですよ」
「だって…」
「だってじゃないです。チームは団体行動が基本なんですから」
「でも…」
「でもじゃないです。さっきも言ったですけど、今から集団の後を追うのも結構危険なんですよ?」
「しかし…」
「しかしじゃないです。そこで、」
もはやわたくし達だけとなってしまったスタート地点で、翠星石さんはとある方角をずびし!と指し示しました。
「翠星石達は、あっちに跳ぶのですよ」
「え?」
翠星石さんの指が向かう先は、かつてジュンさんと初めてこの世界樹に来た時に見た分かれ道の、片方。
それは、ジュンさんと歩いた外層へ続く歩道ではなく、もう一方の。
内層、つまり、世界樹の幹の内部へと続く道へと向いていたのでした。


ここで、世界樹について少しおさらいをしておきましょう。
ジュンさんに案内していただいた時にご教授していただいた事によれば、世界樹は大まかに3つに区分されるのでした。
人の手が入った『開拓地』、太陽光(もしくはそれが経由された光)の届く『外層』、そして、世界樹そのものと言うべき幹の内部であるのがこの場所、『内層』です。
一言で表現すると、そこはまるで鍾乳洞を縦にしたような場所でした。
薄暗い闇に包まれたそこはまず水気に溢れ、その水に含まれた成分により至る所に結晶化したつららが見られます。
また薄暗い、と言ったのは仮にも視界を生んでくれる光源が在るためですが、翠星石さんの話によれば外から発光バクテリアやその他によって運ばれた光は内層の水晶部へと届き、まるで照明のようにこの場を照らしてくれるらしく。
その水晶にはその場の成分比率により薄く着色されたモノが多々あるため、あたかもサーカスの照明のごとく色とりどりに、かつ幻想的に彩っているのでした。
そんな自然の神秘に溢れた場所を無粋にもガンガンと音を立て跳ね回る四人がおりました。
まあ、わたくし達なんですけど。
「しかし…凄い場所ですわね…」
足元が滑り易いために集中しなければならないのですが、それでも周りの光景には魅入られてしまうものがあります。
「まあ、そうですね。ただ内層の全部が全部こんなんじゃねーですよ。クソ重い自重に耐えるために高度が低い場所はこうやって鉱石化させるんです。でも全部をそうするとシャレにならん質量にならますから、こうやって空洞化も進んで、結果こうして跳ぶ事ができるんですよ」
「…あの、こうやって抜け道を通るのには不満は無くて…むしろ大歓迎なんですが…わたくしに一言教えてくれてもいいのでは?」
そうすればスタートでいきなり植物風情にわたくしの純情可憐な唇を奪われる事などなかったですのに。
しかも更に遺憾なのは、ばらしーちゃんとめぐさんにはしっかりと打ち合わせてあった事です。これではまるで除け者のようではありませんか。
「気分を害した事は謝るです。でも翠星石だって悪気があったわけではないんですよ」
「では、どうして?」
「…きらきらには、あんまりこういった…世界樹やレースに関する情報は…教えない方がいいと、思ったんです。もちろん、レースが始まってしまえば当然教えるつもりでした」
翠星石さんは前方を跳んでいるために、その表情をわたくしから伺う事は叶いません。
「…そうですか。それは、気苦労をお掛けしました」
「まったくです。みーんなオメーのその才能のせいですよ」
あ、責められるのはわたくしですか。
「えと、じゃあ他にわたくしに言っておく事があるなら先にお聞きしたいのですが」
「んー、有ることにゃ有るんですが、後はもう細かい戦略云々ですし、そこまできらきらには関係ないと思いますですよ。ばらばらは了解済みですしね」
「そうである事を願いますわ」
かなりギリギリの綱渡りをしている身としては、出来る限り不足の事態は避けたいのです。
「よし、じゃあちょっとスピードアップするですよ。この内層は途中で外層に出れますから、そこまで突っ切ればかなり上位の位置に食い込めるはずです」
わたくし達はそれに頷き、一番先頭にレンジャーである妹が、次に妹に指示する翠星石さんが、そしてその後方右側にわたくし、左側めぐさんが続くというフォーメーションを組み、お喋りを止めて変わりにシューターの衝突音を響かせる事に集中するのでした。

兆候は、右側でした。
だから、最初に気付いたのは、わたくしでした。
「皆さん!」
縦穴や横穴が縦横無尽に張り巡らされたこの内層にあってやや開けた場所に出た時、わたくしはソレを見ました。
わたくしが叫んだその直後、雷と言うよりもはやレーザー状の閃光がわたくし達の上方の岩盤を貫き、大きな鉱石を真下へと落下させます。
(危ない…ッ!)
そうは思うもわたくしを含む大半の方は空中におり、もはや方向転換は叶いません。
「めぐ!!」
ばちんっ!
翠星石さんが叫び、それとほぼ同時にめぐさんが両手のケミカルリアクターを叩き合わせ、
「《貫撃の術式》!」
めぐさんの両手から放たれたのは一本の光の筋でした。
甲高い音と目の眩むような瞬きを振りまき、彗星のごとく突き抜けていったソレは鉱石の中心に命中。見事に四方に霧散させました。
それでも落ちてくる小さいかけらを各自持っている武器で払いながら、わたくし達は翠星石さんの指示で足場が確保できるポイントへと集まります。
「今のは一体…!?」
一瞬でも命の危機を感じた事で上がってしまった息と動悸をなだめつつ誰にともなく尋ねました。
「…こんな場所で見境無くあんなモノぶっ放すバカは翠星石は一人しか知りません」
それに答えたのは、光線の発信源を睨み付けている翠星石さん。
そしてそれと同時に聞こえたのは、未だ記憶に新しい――
「ハーッハッハッハ!やはり術式はパワーだゼ☆」
まさか…と言うか、やはり、見上げた場所にいたのはミスターM字とその仲間達。
どうして翠星石さんの秘策であるこのルートに他のチームがいるのか疑問に思うも、次に見えた人影にわたくしの意識は集約しました。
その理由は、彼等と対峙していたチームと言うのが、
「蒼星石…」
加えて柏葉さんの、ラピスラズリリッパーズのお二方だったのです。
「…どうやら交戦中のようですわね」
ここから向こうまでは距離があるために まだ向こうの人はこちらには気付かれていないようです。さっきのはわたくし達を狙ったものではなく、所謂流れ弾というやつだったのでしょう。
(…あら?水銀燈さんは…?)
その為にじっくり観察することが出来るのですが、どういうわけか、水銀燈さんの姿が確認出来ません。
確かにミスターM字のチームもそれなりの手誰のようですが、あの水銀燈さんです。既にリタイアしたと考えるのは非現実的でしょう。
わたくし達四人が四人それぞれに思う所がありながら眺めている間にも、その2チームの攻防は続きます。
飛び交うのは技と技術と誰かの高笑い。
…こうも距離がありながらあのミスターM字の声だけはしっかりと届くのですから、関心するやら呆れるやら。
ほら、また今も――
「ハーッハッハッハ!そろそろ楽にしてやるぜ!食らえ必殺、《雷撃の術式》もとい…」
と、ミスターM字が大層な前置きをしつつ構え、
「あ」「げ」「ん」「わ」
わたくし達四人が、見事にハモりました。
「ギャリック砲ーッ!!」
ミスターM字が放った光撃は、“わたくし達と彼を結んだ直接上に居た”蒼星石さんと柏葉さんに襲いかかり、ものの見事に避けられておりました。
当然、エネルギーをたっぷり含んだ攻撃は直進するわけで。
「きゃあああああああ!?」
迫り来るは光と音の暴力。
真っ白に塗りつぶされるわたくしの視界と意識の中、なんとか認識できたのは、その雷撃と、自分の悲鳴。
そして、実に楽しそうなミスターM字の高笑いだけでした。

「………」
本日二度目となる目覚めは、それはもう酷いものでした。
全身水滴にまみれ、雷撃の余波なのかジンジンと痺れて痙攣する有り様。
「…生きてますか、ばらばら」
「…恐らくは」
わたくし達四人は揃って仲良く吹き飛ばされたようで、壁際に缶詰めよろしくぎゅうぎゅうに折り重なって倒れていました。
人間知恵の輪と化した手足をほどきつつ全身の具合をチェックしてみると、意外にもさほどのダメージは無いようです。
きっと直撃の寸前に放っためぐさんの対抗術式と翠星石さんの事前の巫術のおかげでしょうね。けれどもしどちらか一方でも欠けていたらと思うと…
いえ、それよりも、
「あ、あの、翠星石さん!質問して宜しいでしゅか!」
あんまりにもテンパって口が回わらないわたくし。
「何ですか?」
「わたくし、その、攻撃を受けたんですが!」
わたくしは自分の右腕に付けられているOMと書かれたワッペンを何度も示しながら必死に訴えます。
そう、オフィシャル・メディックは攻撃してはならない。それはリッパーに課せられた掟のはず!
「…まあ、言いたい事はわかりますが。今のは流れ弾ですしねぇ」
「へ?だって…」
そんなの、屁理屈なのでは?だってわたくし、モロに直撃しましたよ?
「確かにOMには攻撃してはならないってルールはあります。でも、“攻撃してはならない”ってのは、“攻撃出来ない”とはちょいと違うんですよ」
「…えーと?」
上手く、頭が追い付かないんですが。
「要するに法律みたいなもんですよ。OMに攻撃したら失格っていう。たださっきみたいな流れ弾や岩盤の落下みたいな“故意ではない”攻撃ならスルーですし、失格を覚悟の上なら、まあ。そんなもんですよ」
それでも他より安全な事には変わりないんですが、と一応の養護はしてくれました。
もとよりOMだろうが世界樹の危険が減る訳ではないのは理解していましたが…これはなにか、詐欺にでもあったような気分が…
「…それと、もう一つ宜しいでしょうか」
「何ですか?」
「前に翠星石さん、この大会はレースなので周りに構っている暇はないとかなんとかおっしゃっていませんでした?」
すぐ目の前でガチンコの白兵戦が行われているんですけど。現在進行形で。
「あー…それはですね…」ここで視線をわたくしから外し、「その、まあ、これはちょっとした例外ですよ」
「…タイムが関係ないのなら、構う暇もあるのでは」
「ぐ」
実にあからさまな反応。これは、もしかすると…
「うぬぬ…まあ、ぶっちゃけるとですね…あれは嘘です!!」
ずどーん。
わお、なんて潔い。
「そのぉ…あの時は翠星石達も結構切羽詰まってて…で、ようやくチーム入りの候補に上がったきらきらが臆病そうに見えたので…だから、翠星石はやむなく嘘を付くしかなかったんですぅ!」
ウルウルと、祈るように目の前で手を合わせ上目使いに媚びの大規模即売会を開く我らがリーダー。
ああ…この、胸の奥底からぐつぐつと湧き上がる感情はなんでしょう?
これは、恋ですか?
いいえ、それは憎悪です。
「ま、今はその辺の事は置いといて」
ありきたりなジェスチャーと共に置いとかれました。
いえ、確かにここで翠星石さんを攻めるのはお門違いでしょう。危険が迫るようならリタイアすべしと何度となく助言を頂いているわけですしね。
ただ少し、わたくしの目標の達成が、難しくなっただけ。
「確かにこの大会には単に世界樹で暴れたいだけの輩やチーム戦に重きを置く連中も中にはいるんです。ただ…」翠星石さんは未だ続く闘いを眺め、「これは…どうにも気に入りませんね」
その顔は既に、真剣なものへと変わっていました。
「…気に入らない、とは?」
「ベジータはいいんです。アイツは“そういう輩”ですから。でも蒼星石は違います。アイツは完走を第一目標とするはずですし、その為にベジータ達を早めに叩いておこうってのもわからないじゃねーですが…それなら水銀燈も合わせて三人でやるでしょうし、そうすべきです」
確かに、これだけ闘いが長引いているにも関わらず、一向に水銀燈さんは姿を見せません。
「仮に水銀燈が居ない理由があるとしても、あの二人の戦いぶりを見てると、えらい消極的なんですよね。いくら数で劣っているからって蒼星石と巴の二人ならいくらでもやりようはあるでしょうに。これじゃまるで…」
まるで、と翠星石さんがその後を言おうとした時、ついにその闘いに変化が訪れました。
ミスターM字が所構わず放った術式がわたくし達の時と同じように岩盤を砕き、運悪く柏葉さんと蒼星石さんの着地点を襲ったのです。
それまで二人は剣だけで相手の攻撃を凌いできましたが、落ちてくる物体は斬ったところで問題解決になりません。
かといってめぐさんのような遠距離攻撃型のジョブが居ないのでは――と二人の安否を危惧した時、動いたのは柏葉さんでした。
「…《鬼炎斬》」
それは前に妹がラフレシアを葬った時と同じ技。狩猟刀に起爆剤を打ち込み、上段の構えから振り抜かれる刀身に沿って吹き出る圧縮された高密度の炎の刃は、強い衝撃波を伴い見事岩石を砕く事に成功しました。
しかし、相手はそれを読んでいました。
「あっ…!」
岩石の後ろには、ミスターM字の仲間が三人揃って隠れ、次の攻撃へ備えていたのです。
柏葉さんの炎撃は岩石を砕きましたが、それは二人の周りに散らばり、奇しくも退路を断つ結果となっていました。
そこに、三人がかりで技を出し切った直後の柏葉さんと蒼星石さんへの同時攻撃。
柏葉さんの放った炎はまだ完全に消えてはいませんでしたが、岩石を砕くことで大半のエネルギーを失っています。その三人はかるく祓えると判断したのか、気後れすることなく飛び込んでいきました。
わたくしは、たまらず目を伏せてしまいました。
その、直後。
「避けろ笹塚ぁーーー!!」
驚いて目を覆い隠していた手を退けたわたくしの視界に入ったのは、叫ぶミスターM字と、薄く炎を纏った剣をひらめかす蒼星石さんと、シューターを的確に破壊され宙を舞う三人の姿でした。

「な…え…!?」
目を伏せていたのはほんの刹那的時間だったのにもかかわらず、疑いようもなく起きたその激変。
一体、あの一瞬で何が起きたのか想像も出来ず動揺を押さえ切れません。
「…《チェイスファイア》」
「え?」
ボソッとその言葉を口にしたのは翠星石さんでした。
「ばらきらも、覚えとくといいですよ。あれが蒼星石、ソードマンの奥の手にして最大威力を誇る、属性波状連鎖攻撃《チェイス》です」
属性…連鎖?
「仲間の誰かの属性攻撃を隠れ蓑や追い風、威力向上などなどにフル活用して放つ追撃技です。まあ普通追撃対象は一人が精々なんですが…ふふ、三人まとめて刻みましたねぇ」
流石は蒼星石、と語る翠星石さんは、とても誇らしげに微笑んでいました。
向こうの現場では一人取り残されたミスターM字が「クソったれー!!」と捨て台詞を吐きながら去っていくところでした。
ラピスラズリの二人は彼を追う事はせず、軽く自分達の装備を確認した後、軽快にシューターを跳ばして内層のより上部へと消えていきました。
「…とりあえず、危機は去りましたでしょうか」
辺りは穴だらけで所々崩れ、シューターを壊された三人はそんな場所で落石に注意しながら救助を待つしかないわけではありますが。
「ですかね。やれやれ、あのM字ハゲのお陰でエラい目に会いました」
アルケミストの特大術式の直撃でしたからね。いやはや、改めて良く無事でいられました。
「それでこの後は?」
「蒼星石達との距離だけが心配でしたけどばっちり出会えましたし、予定変更無しでこのまま行きます。この内層の洞窟は大体下位層の終わり位で外にでれますから、そっからがリープの本番ですよ」
中位層と言えば、他のチームだけでなく本格的に世界樹そのものが脅威になってくるエリア。下位層で脱落しなかったチームと合わせ、それは確かに、本番と呼ぶに相応しいものでしょう。
それからは特に記事すべきアクシデントに見舞われることなく、わたくし達は順調に木登りを続ける事が出来ました。
上がるにつれて強くなっていく照明や時折ひび割れから射す太陽光を見るにかなり外層に近い、つまり樹皮付近を跳んでいるのでしょう。
程なく、それはまるで口をあけるように樹皮が開かれた部分があり、青い空と鬱蒼と茂る植物を一枚の絵のごとく覗かせていました。
「ここですね。さあジメった穴は終わりです。お天道様の下へ繰り出すとしましょう」

「わっ…」
久々に外に一歩出て、その太陽の光の実に眩しいこと。
長らく薄暗がりにいた事もありますが、澄んだ晴天でこの標高ですから、日差しそのものもかなり強く降り注いでいるのでしょう。
風に乗って鼻をつくのは青臭い植物の匂い。けれど、どこかそれは体を真の意味で癒やしてくれるような、様々なしがらみ解放してくれるような魅力を孕んでいたす。
「これがどっかの森林公園なら、ランチバスケットを持って来るんですけどねぇ」
ずっと世界樹に住んでいると人に優しい森が恋しくなって来ます。
「あの、恐縮なんですが少しお時間宜しいですか?どうにも目がまだ…」
「もとよりそのつもりですよ。五分もすれば慣れますからそれまでの辛抱です」
それなりの間跳び続けた事もあり、わたくし達はここで少し休憩をとることになりました。
幸いにもそこは魔物の気配も無く、風通しも日当たりも良好で、さらには小川に木陰に丸太にと一休みするにはまさにうってつけな…
「………あら?」
んん…ん?なんでしょう、この感覚。
「どうしましたか?」
「いえ、その…」
えと、この感覚…確か、どこかで…
考えても思い出せないのでもう一度良く周りを観察しますが、特に異常は見られません。至って極普通の、まさに“一休みするのにはうってつけ”な場所で…
………あ。
「ねえ、めぐさん。ちょっと、お願いがあるんだけど」
そう言ったのはわたくしではなく、わたくしとめぐさんを挟んだ位置にいるばらしーちゃんでした。
「あの…あそこ」妹は芝生のとある一角を指して「あそこに何か、術式を撃って欲しいの」
妹の示した場所は、特に変哲もない至って極普通の場所で。
あえて言えば、もし休むとしたら“きっとそこに腰を下ろすであろう”場所でした。
めぐさんは妹には答えず、わたくしの方を伺うように見ます。
わたくしが「お願いします」と言うと、早速術式発動の準備に取りかかっていただけました。
「何を撃てばいいの?」
「何を撃てば宜しいんですか?」
「んと、」
ばらしーちゃんはむーっと目を瞑って考えて、
「こう…ズシンって感じのヤツ」
「ズシンってヤツだそうです」
「ズシンね」
めぐさんはカチャカチャと術弾を入れ替え、その中の一つを手のひらのリアクターに挿入しました。
「じゃあ、《圧殺の術式》」
両手を叩き合わせ、軽く放り投げるようにチップを指示された場所へ撃つと、ちょうど地面にぶつかるか位の位置で術式が発動。急激な体積と温度変化による空気圧の波が指向性をもって一カ所へと流れ、まさしくズシンといった感じでその場の地面を打ち鳴らしました。
ボシュ、ズバババババババババババ。
「きゃっ…!?」
それは、わたくし達の視線の先。今まさに術式が発動した場所での出来事でした。
その発動地点を囲うように、周りから一斉に地面から茨が吹き出し、その場所を襲ったのです。
鋭い棘をもった強靭なツル。もしあの場所に居たらただでは済まなかったでしょう。
そしてそれは、明らかに、世界樹がもつ機能ではなく――
「これは…《トラッピング》…!」
ああ、やっぱり。
わたくしのもった感覚。それは以前、わたくしがラフレシアの餌場に誘われた時と同じものでした。
こと世界樹において、無条件に都合が良い場所など、そうそうあってはならないのです。
「…翠星石さん。一応お聞きしますが、それって、もしかして…」
「ええ、そうです。そうですよ。《トラッピング》は…“ダークハンターの十八番”です!」

「あらぁ?何でこんなことになっちゃってるのかしらぁ?」

「「!!」」
びくりと、その声にわたくし達全員が反応しました。
声の主は、いつの間にか自前の罠から少し離れた場所に姿を表していました。腕を組み、面倒くさそうにその役目を果たせなかった残骸を見つめ、
「まったく…お馬鹿さん」
じろりと、こちらにその鋭い目つきを差し向けました。
「水銀燈、さん…」
黒を貴重としたカラダにぴったり張り付く艶のある皮の服に、マント。そしてそこに覗くのは数本の短剣と、誰が見ても武器であると判断せざるを得ない真っ赤な鞭。
…似合いすぎです。雰囲気と相俟って、その姿はある種の作品にさえ思えました。
そんな水銀燈さが、氷のように冷たくも、歌うような声で言いました。
「そう、水銀燈さんよ。その水銀燈さんがひと手間を掛けた罠を台無しにしてくれたイケナイ子達には…」
鞭を引き抜いてひと振り。叫び声にも似た甲高い音が辺りに鋭く響き渡ります。
その姿は、ぞっとする程恐ろしく、ぞっとする程残酷で、ぞっとする程冷たくも、ぞっとする程激しくて。
「お仕置きが、必要ね」
そしてまた、ぞっとする程、美しかったのでした。

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