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朝焼けに染まるのと夕日に照らされるのとでは同じ色のハズなのに印象は全く異なるのは何故なのでしょう。
1日の疲れ。暗くなっていくという感覚。時間経過。
またこうして夕日を眺めていると、どうにもアンニュイな気分に浸ってしまいます。その日に気分が下がる出来事があればなおのこと。世界樹での訓練を終えたわたくしたちは、刻一刻と闇がその存在を誇示する中、口数少なく世界樹の玄関の開拓地を歩いていました。
「………(ハアハアハア)」
「………(ニコニコニコ)」
…ただし約二名、こちらが当てられそうな程エネルギッシュな方々がおるわけですが。

「やあ、またチームメイトがお世話になっちゃったね。今度ぜひ何か奢らせて欲しいな。それくらいはさせてくれるよね?」
と、ニコニコニコと微笑む柏葉さんの横でこれまた爽やかな笑みを向けわたくしに向けるのは、
「いえいえ、お気になさらず。こちらもついででしたので。…蒼星石さん」
「ついでだって構わないさ。ちゃんと気にはしてたんだけどね。少し別行動を取ったらすぐに見失ってしまって。大会も近いし、柏葉さんに何かあったら大事だったよ」
確かに、少数精鋭…と言うより規定人数ギリギリのチームですから、大会前のアクシデントは是が非でも避けねばならない事でしょう。
そんな緊急事態寸前だったにもかかわらず、練習中にはぐれ一人世界樹をさまよっていた当事者の柏葉さんには緊迫感のカケラもありません。
ちなみに、わたくしの右後方でハアハアハアと息を怪しげに荒げているのはめぐさんです。その熱視線の先は向こうの受付で今日の練習の報告を行っているらしき水銀燈さん。翠星石さんも今はそちらに。
遠目から何か一言二言交わしている風ですが、一体何を話しているのか…
「でも、雪華綺晶さん達も練習はいいけど気を付けないとね。急いで練習する必要があるのもわかるけど、怪我したら元も子もないよ」
と言って顔を向けたのはわたくしの左後方。
全身にガーゼやらバンテージやらを貼り付けられた、我が妹、ばらしーちゃんへ。

『ばらしーちゃん!?』
『………』
柏葉さんから事情を聞き、では一緒に帰りましょうと遠くでボール遊びをしているハズの二人を呼んだ時、しばらくして現れたのは無傷で涼しい顔のめぐさんと、全身傷だらけ泥だらけで息を荒げる妹でした。
練習の様子などそれを見れば一目瞭然。妹は始終めぐさんに翻弄されていたのでしょう。
あの妹が、手も足も出ないなんて。
『お疲れ様です二人とも。どうですか、めぐ。体のなまりはとれましたか?』
『うん』
ケミカルリアクターのベルトを緩めながらめぐさんは簡単に答えます。
『そりゃ良かったです。それと薔薇水晶。気に病む必要なんか全く無いですよ。めぐ相手にこれだけの時間やり合った事は翠星石の予想以上です。今二人には経験の差がありますからね。それは時間が埋めてくれますです』
『………』
妹は、答えることが出来ませんでした。
わたくしは急いで用意していた治療薬を妹に処置していきます。翠星石さんから教わった技術は確かに役に立ってくれたのですが、まさかこんな…
『…た』
『え?何ですか?』
『…全然、かなわなかった』
涙目の妹は、わたくし以外には聞こえない大きさで、そう言葉を絞り出しました。
『私より強くて、速くて、上手くて。何も出来なかった。全然…かなわなかった』
『ばらしーちゃん…』
わたくしは、誤解していたのでしょう。
天才水銀燈さんの妹、柿崎めぐさん。あの水銀燈さんが努力の天才と呼んだ、彼女の実力を。
そして、いつもいつもわたくしの目の前で危険を乗り越えてきた、妹の実力を。
確かに妹は大変強いのでしょう。わたくしを含めた一般人の中で、彼女は一流の人材なのでしょう。
ですが、それは素人の中での話。生まれながら、あるいは幼少の頃から実戦の中に置かれその過酷な状況下で生き抜いてきた彼女達、言わばプロの人間にとって、アマの一流など軽くあしらえてしまう。
わたくしは、妹を大切に思いながらもどこかで『妹は強いから大丈夫』と思っていなかったでしょうか?…きっと、思っていたのでしょう。ですからこんなにも…
『…ばらしーちゃん。翠星石さんも言っていたじゃないですか。まだ始めたばかりなんですから、きっとどんどん上手くなります。だから次は…』
『次も、絶対勝てない』
…こんなにも、動揺してしまう。
『…大会、出るの止めますか?』
翠星石さんから言われた話では大会当日に三人いればいいわけで、わたくしだけエントリーして始まった直後にリタイアするというのも一つの手段ではあります。
が、
『どうして?』
『…え?だって…』
『次は勝てない。その次もきっと勝てない。それぐらいの差が私とあの人にはある。だけど、』
妹は、目元をこすりながら言いました。
『次は、絶対に…絶対に一発はいれてみせるよ。だからお姉ちゃん』
『…はい』
『この怪我、出来るだけ早く治るようにして』
…まったく、今日は反省してばかりですわ。
わたくしは、どれだけ妹を過信していたのでしょう。
わたくしは、どれだけ妹を信じていなかったのでしょう。
こんな事では、姉失格と言われてしまいそうですけれど、
『…もちろんですわ。だって、わたくしはそのためにアナタの傍にいるのですから』

「ご忠告、感謝致します。けれど、多少実践しておかないとわたくしのメディックとしての技量も上がりませんから」
「…、…へえ。うん、そっか。そうだね、僕が言うまでも…いや、言うことじゃなかったね」
「いえいえ。先輩として、是非とも手心と御指導の程よろしくお願い致しますわ」
「あはは、参ったなぁ」
その後はお互い手続きに向かったチームメイトを待ちつつ、とりとめのない談笑に花を咲かせていました。ただ柏葉さんは蒼星石さんの傍らで待機状態でしたし、わたくしの後ろからは悶々とした熱気が漂っていたので常に二人だけの会話だったのですが。
しばらくして、そろそろ終わった頃かと受付のある場所へと目を向けると、
「………」
「………」
一体いつからそうしていたのかは定かではないのですが…目が合いました。翠星石さんと水銀燈さんに。バッチリと。
それで、二人は睨むわけです。ええ、ガン見でした。わたくしをこう、じ~っと。じじ~っと。それはもう、とにかく凄まじい程モノを言う眼差しで。
で、一体何を言うかと思えば、
(…あー、なる程。それは…)
確かに。これは、わたくしの仕事でしょう。
「そうそう、それでね…」
「あ、あの、実はわたくし達これから夕飯の支度をしないといけないので…」
「おっと、長く喋り過ぎたかな?雪華綺晶さん相手だとどうも口が緩くなっちゃって。気を付けないとなぁ」
「あはは…」
もう、笑うしかありません。
で、またちらりと二人の方を見てみれば、二人揃ってやれやれと溜め息付いてました。
…もしかすると、あの二人も意外と気が合うのでしょうか?この際一段落したら三人で姉の親睦会でも開いてみましょうか。うーん、ちょっと怖い気もしますが。でも、楽しそうですね。

こうして妹とめぐさんを連れて翠星石さんと合流(もちろんその場に水銀燈さんは居ませんでしたが)し、何故か久方振りと思える町の地面に降り立つ事ができたのです。
「あ~…なんか無駄に疲れた気がするですぅ」
すっかりお月様が登って、その光と街灯とに照らされた街路樹を歩きながら本当に疲れた声で唸る翠星石さん。
「そうですわね…あの、ところで…」
「何ですか?」
気持ち声を小さめにして、
「さっき…何分くらい待ってました?」
「さあ。大体、10分そこらじゃねーですか?」
10分も睨んでいれば酷く疲れもするでしょう。きっと水銀燈さんも今ごろ愚痴ってるかも…
「それは…スミマセン」
「いーえ。翠星石達の眼力もまだまだですねー。どこぞには美術館の裸婦画のケツを睨み続けて凹ませた野郎も居るっていうのに」
「…羨ましいですか?それ」
「うんにゃ。全然」
こんな疲れた日くらい外食で済ませたいという気もするのですが、実は今夜はめぐさんも含めチーム全員で夕飯をとる予定なのです。
程なく翠星石さんの自宅に到着し、さあみんなでもう一仕事するかと気合いを入れたところ、
「うん?」
玄関で翠星石さんが郵便箱の前で首を傾げていました。
「どうかしましたか?」
「手紙…なんでしょうけど、切手も何も貼って無いですし、宛名も住所もないんですよこれ」
見せてもらったソレは確かに手紙のようでした。恐らくは書いて封筒に入れたものを郵便箱に入れたのでしょう。
玄関のライトに透かして危険は無いと判断した翠星石さんが封を開け、中の手紙を開きます。
「ん、巴からですね」
「柏葉さんから?」
「えーと…ああ、今日のお礼がしたいって話ですよ。明日の午前中に時間があるから、時間があれば今住んでる所まで来てほしいってんです」
「なる程。…あら?でも、その手紙っていつ入れたんですか?」
「私達が検問所からここに来る間でしょうね」
その間に手紙を書いて、先回りして投函したと?
「…時間的な事は置いても、直接言えばよろしいですのに」
「ん、まー仮にもこの時期に敵チームですからね。あんまり接触しないよう言われてるんじゃねーですか?あるいは、手紙が書きたかっただけとか」
…まあ、色々な人がいるでしょうからね。あまり深く考えても仕方ないかもしれません。
「それで、どうしましょう?」
「明日は翠星石もやることありますし、めぐもそうでしょうから、ばらばらと行ってきたらどうですか?」
「よろしいのですか?」
「今日は結構ハードでしたからね。休憩も必要ですよ。それに午前中ってんなら、終わった後で練習してもいいですし。自由にするといいですよ」
よろしいかと聞いた理由は先程翠星石さんが言った相手チームとの云々だったのですが。やっぱり根がいい人なんでしょうね。
…ちょっと、胸が痛かったり。
「ついでにお得意の才能で情報収集頼みましたよヒッヒッヒ」
「…了解しました」
…ちょっと、頭が痛かったり。
「で、柏葉さんの住所は?」
「えーと、…ん?これ、住んでる住所ですよね…はて」
「何か?」
「いや、コイツ前は安宿に泊まってて、蒼星石のチームに入ってからは蒼星石のとこで寝泊まりしてたんですが…ま、別に他人の事ですからね」
と、渡してくれた手紙を受け取ります。
そして、
「マルタ三番通り12-34。…“SAKURADA”」
SAKURADA?
さくらだ?
…桜田?
ここに、柏葉さんが住んでいる、と。今まで蒼星石さんの部屋に居たハズの未成年の娘を、桜田…ジュンさんが居候させテいルト。
娘っ子ヲ連レ込ンデイルト。
同棲シテイルト。
「何なんでしょうね?ま、巴もまだ町の新入りに近いですから…あ、でもここ確か若い男がいましたよね。はー、さては嫁にでも行く気でしょうか…ん?ど、どうしましたきらきら…?あの…何と言うか…すげぇ顔してますですよ…?」


「お姉ちゃん。準備できたよ」
「はいはい。では、参りましょうか」
「…お姉ちゃん」
「なんですか?」
「お茶会にカッターナイフはいらないと思うけど」
「アクセサリーですので。お気になさらず」
「…お姉ちゃん」
「なんですか?」
「その靴、私が改造した投擲ナイフ仕込みのヤツだけど」
「服の色と上手く合ったので。お気になさらず」
「…お姉ちゃん」
「なんですか?」
「殺気がほとばしってるんだけど」
「これが地ですので。お気になさらず」
「………」

今朝方桜田キャラバンへ電話で連絡を入れたところ、丁度良く柏葉さんが出てくれたので二人で伺う旨を伝え、お茶を用意して待ってますとのことなので久しぶりの実質休暇にくつろぐわたくしとばらしーちゃん。
「お姉ちゃん、カッターが裾から見えてるよ」
「あらいやですわ、はしたないこと」
朝の大通りはこの時期大変な賑わいを見せるのですが、どういうわけかわたくし達の周りには避けるように空間ができ、実に快適に進む事ができています。
考えてみれば久しぶりのみっちゃん亭の横を通り過ぎ、柏葉さんの住処である桜田キャラバンに到着しました。
呼び鈴ひとつ。すこし遅れて足音。そして開錠。
「はーい、どちら、様…」
「おはようございますジュンさん。良い朝です。地球の裏側では、さぞかし月の綺麗な夜でしょう」
「…雪華綺晶さんに、薔薇水晶さん…。え?あ、おはよう。うんと、その、用件は?」
「用件?用件ですって?わたくし達はただ、お茶にお呼ばれしただけですのに」
「お茶…?え、あ!じゃ、じゃあ柏葉を助けたのって…!?」
ふふふふふ。どうしてこう殿方の狼狽する姿というのは滑稽なのでしょう。ああ、加虐心をそそられてしまいますわ。
「何か問題が?」久しぶりの会心の営業スマイルです。
「あ…いや…その…ん?いや、そうか…それなら逆に…」
なにやらぶつくさ言っておりますが、レディ二人を玄関口に立たせておくとは感心しませんね。
「そろそろ覚悟はお決まりになりまして?」
「…ああ。来てくれてありがとう。さあ入ってくれ」
「どうも」
ふうん?先程までとは打って変わって紳士的ではありませんか。例えやけっぱちであろうと、嫌いではありませんよ?
「それと、二人に頼みがある」
「…聞きましょう」
ジュンさんは真剣な、それでいて切羽詰まった緊張感を漂わせて、
「助けてくれ」
そう、真っ正面から言いました。
「………」
SOS。引導の一つも渡してやろうかと意気込んできたわたくしへの、救援要請。
なるほど、確かに現在休業中とはいえ、わたくし達はみっちゃん亭の従業員。依頼を聞くのも仕事のうちではありますが、
「それはまあ…お話を聞いてからに致しましょう。せっかく、お茶も出るそうですし」
その時わたくしがどちら側に居るかは、保証しかねますけれど。

「お待ちしておりました。雪華綺晶さん。そして薔薇水晶さん」
「………」
「………」
リビングへのドアを開けたわたくし達二人が反応に窮しているのは目線の先に何も無いのに挨拶が来たことよりも、声の主を探していたらその本人がよりにもよって足元で膝をつき、頭を下げていたからです。
「この度は手紙にての御催促の無礼をお許しください。そしてどうか、ごゆるりとくつろがれますように」
と、先日の紺の胴着ではなく、艶やかな布地を纏った柏葉さんは、そっと地べたに手を添えて、深く頭を下げました。
その姿はあまりにも、あまりにも…土下座でした。
一体、彼女は何を懇願し、許しを乞い、謝罪しているのか。
それはもはやわたくしの察するところになく、あるいは世の無情に対してのものかもしれず、はたまた己の内面に潜む心の全てに対したものかもしれず。
しかし家という、住居という癒やしの空間の中でその行為はあまりにも痛ましく、わたくしの胸を苛みます。今彼女の心は、何を思い何を抑え隠して何に耐えているというのか。
そしてそれら全ての責任は、責任の所在は、天明に誓い正確無比に間違いなく、
「ジュンさんちょっとお店の裏に顔貸してもらえますかばらしーちゃんも一緒にお願い…」
「だー!違う違う違ーう!柏葉!だからこういう家でそれはするなと言っただろ!!そして雪華綺晶さん!あれはアイツの国の挨拶の礼儀なんだそうだ!断じて僕が強制してるわけじゃないぞ!!」
「などとほざいておりますが、本当ですか?」
野郎の言葉など大して信用できませんので哀れな彼女に優しく確認します。
「それは…はい、本当です。でも、せっかくのお茶会ですから…」
「だから!その…タタミ?だかなんだかの座るタイプの床じゃないんだってこの家は。玄関から歩いてきて椅子に座る。それがここの礼儀なんだよ」
「!! で、では私はとんだ無礼をッ!?申し訳ありませんあるじ様!!」
「あるじ様とやらちょっと体育館裏にそのツラ貸して…」
「あーもう!!いい加減にしろーッ!!」

そろそろ胸ポケットに右手が入る頃かなとも思ったのですが、せっかくの柏葉さんからのお誘い、時間もそれ程ありませんし言われた通りいい加減にする事にしました。
お茶会と言われたのでてっきり前の水銀燈さんのようなイメージだったのですが、どうやらこれはとある東の国のお茶会のようで、紅茶の代わりに緑茶を、洋菓子の代わりに和菓子がテーブルに並べられています。
「まあ…実に綺麗ですわ。色も華やかですし、形も実に可愛らしく。これは全て柏葉さんが?」
本来このお茶会には座る位置にも作法があるようでしたが、テーブルしかないので素直にわたくしと妹、ジュンさんと柏葉さんが並んで着席しました。ちなみに、わたくしのトイメンには野郎が座っております。
「ええ…恥ずかしながら。私の国では一般的な菓子でしたので、見よう見まねで嗜んだ次第です」
「そんな謙遜する事ありませんわ。この落ち着いていながらもしっかりとした甘味になめらかな口どけ…ああ美味しい。素晴らしい」
そしてまた緑茶やお抹茶に合うこと。
「なるほど…本で数回拝見した事がありましたが、煌びやかで豪奢なお茶会よりも味があり趣深い。ニッポンとおっしゃりましたか?いやはや、とても良い国のようですわね」
「そうだったみたいですね。でも今の日本は私、大嫌いです」
「そうでしょう、そうでしょう。やはり食文化はその国の美徳の指標として…ん?」
おや?今、こしあんの喉ごしに任せするすると流してしまいましたが…何か、不穏な言葉が…?
ちらりとジュンさんを伺ってみますと、何やら複雑な表情。
…どうやら話題を変えた方が良さそうですね。
「ええと…そう、そう言えば柏葉さんは今こちらに住まわれているそうですが」
「はい。こうしてあるじ様のお側に置いていただいています。ふつつか者ですが」
ぶふっ!とわたくしの前方から水しぶきが。そうでした、この話しをしっかりと聞きませんと。
「失礼ですが、その『あるじ様』と言うのは…」
「あ、いや、だから…」
話しに割り込んでこようとする野郎を視線で一蹴。お黙りなさい。今アナタの発言すべき時ではないのです。
「あるじ様は、あるじ様です。私がそう願ったので、きっと叶ってくれるはずです」
願い。その単語に、ふと頭のシナプスが反応します。
「あの、確かわたくし達と最初に会った時にも願いが叶ったとかおっしゃってましたけど、それは?」
わたくしの問いかけに、柏葉さんは良く聞いてくれましたと言わんばかりに、
「今、私の生涯の中で一番の絶好機にいるんです。願った事がみんな叶ってくれるんです。きっと一番幸せな時期なんです。だから抱えてきた夢をいっぱい願う事にしてるんです」
ジュンさんに視線で問いてみます。その返事は力の抜けた溜め息でした。
「昨日世界樹で迷ってしまった時も誰かに会えればと願ったので叶いました。先日も世界樹で迷った時に願ったのであるじ様が助けに来てくれました」
「いや、あれはだからただ仕事で立ち寄っただけで…」
ふむふむ、それが二人の出会いのきっかけと。
「お腹がすいた時に財布を見つけましたし、旅に出る時雨でしたけど車に乗せてもらえましたし、この町に来てからすぐに働き口も見つかりましたし」
何だか、妙に切実な願いばかりですが…先程の土下座(正確には正座と言うらしいです)の印象と相俟ってどうにもこう…
「戦争も、早く負けて欲しいと願ったので叶いました」
「…え?」
せ、戦争?
「思えば、あればきっかけでした。あの日以来私の生活は良いこと尽くめです。やっぱり私達は負けるべきだったんです。武士はもう、この時代に居るべきではなかったんです」
和やかな空間に、和やかなテーブルに、和やかな柏葉さんの声。たった一つだけ異質なのは、その澄んだ口調が語る内容。
「戦争って…ニッポンの?えと、武士って、柏葉さんのジョブはブシドーで…」
そのギャップに戸惑ったわたくしは混乱した頭の中をそのまま口に出してしまいました。
避けるべき話題そのままの呟きに、柏葉さんはそのままの口調で丁寧に答えてくれてしまいます。
「はい、祖国日本の戦争です。そしてブシドーというジョブは元々日本の武士達の心構えである『武士道』という言葉に由来しています。もっともブシドーが模しているのは武士の姿見だけですが」
「ああ、そうでしたか…」
その相づちを促しととったのか、柏葉さんの説明は続いていきました。
「武士道。それは武士の歩むべき道。誇り高く、慎み深く、立ち止まる事なく。義に仕え、礼を重んじ、己を殺す」
「す、素晴らしい考えですね!」
「“こんなもの”のせいで、多くの仲間が無駄に命を落としました。若い命が造作もなく散っていきました。だから私は武士も武士道も大嫌いです」
「………」
重い!重いです!話が重いです!
しかもそれをまるで昨日の夕飯の献立を語るようにサラサラと口にする柏葉さんに戸惑いばかり募ってしまい、話の収集方法がいっさら思いつきません。
でもなんとか、なんとか話題を変えなくては!このお茶会に相応しい(こんな状況でも妹はまったりと和菓子に舌鼓をうってますが)話題を!
口先八丁はわたくしの得手。今までの会話から先の発展が見込める明るい単語を探します。そのとき、脳裏に一筋の光明が射し込み、わたくしは夢中でそれにしがみつきました。
罠でした。
「な、仲間!なら柏葉さんも武士だったんですね!」
この日初めて、柏葉さんの表情が曇りました。
「………」引きつった笑顔のまま硬直するわたくし
「………」俯く柏葉さん
「………」目頭を押さえ溜め息のジュンさん
「………」和菓子ににんまりのばらしーちゃん
溺れる者は藁をも掴む。
しかし時に藁では済まない場合もございますので、皆様もどうかお気をつけて。

「はい、半年前までは…いえ、今も、私は武士なんでしょう。私には、他の生き方は教わりませんでしたし、選択肢も有りませんでしたから」
果たしてリビングに流れていた沈黙はどれほどの間だったのか。気付いた時には先程までの柏葉さんが、先程までの口調で話し始めていました。
「でも、戦争に負けて、自由の身になって。望む事を、願う事を許された今なら、私も違う生き方を夢見てもいいと思っているんです。今まで自分を殺してきた分、生きてみたくなったんです。私の、初めての人生を」
そう言って柏葉さんはジュンさんの方を向きました。
「だから私の新しい生き方を、願ってみました」
幸せそうな、それはまさに夢見る乙女の眼差しを持って。
そして当の本人はと言えば、わたくしに悲痛な眼差しを向けているわけですが。
…助けてくれ、ですか。
まあ、得心はいきましたけれど。
「しかしジュンさん。いくらなんでもいささか手が早くありませんか?いきなり同棲とは。全く真紅お嬢様という方がありながら…」
「同棲って!違う!これは、ワケがあって…って何でそこで真紅の名前が出てくるんだよ!?」
「あるじ様、既に妻をお持ちだったのですか?大丈夫です、私は構いません。本妻でなくとも、側近、側室としてお側に置いていただければ…」
「あるじ様の命令だ!ちょっとの間黙ってろ!」
「やれやれですわ。どんな甘言でこの純情な乙女をたらし込んだんです?」
「ワザとだな!?雪華綺晶さんワザと僕をからかってるだろ!?」
その通り。あのフリはわたくしがあえて使ったものです。
でもねジュンさん。この冗談には、わたくしなりの希望が込めてあるのですよ。身勝手ですけど、わたくしに出来る事はこの位しかありませんから。
わたくしにはアナタを縛る権利なんてありません。だからせめて、願うだけでも。

そんな中、ジュンさんが半泣きになりながら『頼む!わかってくれ!もう雪華綺晶さんしかいないんだ!!』と叫ぶ姿があんまりにも哀れを誘ったので少々真剣に話しを聞くと、柏葉さんは今回と同じようにジュンさんにお礼がしたいとここを尋ねたそうで。
で、その時応対したのがのりさんだったのが運の尽き。のりさんはしばらく仕事で家を留守にするらしくならば住み込みで家事をしてくれないか、と。どうやらのりさんは柏葉さんを気に入ったようで、ここが気に入ったらずっと居ていいからね~と言ったとかなんとか。
それを聞いた柏葉さんは初対面よりジュンさんに抱いていた好意が乙女の桃色サイクルにより恋心へと急上昇。これぞ天明とばかりにジュンさんの生涯の伴侶となることを“願った”そうな。
「おおよその事は把握しましたけれど…まるでドラマや漫画のような場面ですわね」
あるいは小説のような。さしずめガール・ミーツ・ボーイといったところでしょうか。
シンデレラガールと呼ぶにはいささか地味かもしれませんが、まあ惚れた相手は誰にとっても白馬の王子様になるでしょうから。
…白馬の王子様、ねぇ。
「しかし柏葉さん。詳しい事情は置いておくにしても、また随分と急に相手を決められましたね」
「そうでしょうか?」
「だって、一目惚れに近いのでしょう?それ以前に、殿方とお付き合いした経験はあるのですか?」
「いえ…それは…」
わたくしの言葉のどちらに反応したのか、柏葉さんは真っ赤に染まって指など絡めております。それはマスターがいたら涎垂らして抱きつきそうなくらいの愛らしさではありましたが、
「つまり柏葉さんはジュンさんの事をほとんど知らないわけです。もしかしたら、この男は酷い鬼畜かもしれませんよ?」
「おい」
今わたくしは斜め前の女性と話しているので、視界の端からのツッコミはスルーです。
すると柏葉さんははっとした表情を浮かべ、
「その可能性は…考慮していませんでした」
「こら」
「そうでしょう。あるいは、手当たり次第に手をつけるとんでもない女ったらしかもしれません」
「まてまて」
「でもそれ位なら…」
「いえいえ、女にだらしないというのは熱しやすく冷めやすいということ。いくら柏葉さんが愛しても、ゴミのように捨てられてしまうかもしれません」
「あの、君たち」
「さっきからうるさいですわジュンさん。何か言いたい事があるならとっととおっしゃったらいかがです?」
「…いえ、結構です」
それは重畳。わたくしは改めて、柏葉さんへと向き直りました。
「………」
柏葉さんが何を考えているかはわかりませんが、何か必死に頭を使っているのはわかります。
「…なら、」
「はい」
柏葉さんが顔をあげ、ちょっと照れくさそうに言いました。
「桜田さんが良い旦那様になるように、願っておきます」
………ん。
「それで、いいと思いますわ」
「おい、雪華綺晶さん…!」
「ジュンさん。彼女は何も私の旦那になれと強制しているわけではありませんよ。ただそう、願っているだけです」
「それだって似たようなもんだろ…」
「いいえ、違いますわ。全然違います。だってジュンさんが嫌だと断れば、それで終わるのですから。そうでしょう?」
そうでしょうと聞かれた二人は、各々が黙ってしまいました。
「でも、その決断をするのはもう少し先でもいいではありませんか。ジュンさんに家事の手伝いが必要なのは事実ですし、柏葉さんだってしっかりした住まいがあるのは損ではないでしょう。その生活の中で時間をかけて観察すれば良い事ですわ」
わたくしはお茶で少し喉を湿らし、
「それと柏葉さん。一つ言わせていただくと、ジュンさんを主とするのは同じ理由で軽率です。今の貴女を縛るものは何も無いのですから、自分の鞘は、慎重に見定めるべきです。幸いにも、時間はあるのですから」
柏葉さんが押し黙っていたのは、そんなに長く時間ではありませんでした。
「…そうかもしれませんね。私には…時間があります。仲間達には無かった…仲間達の分の時間。だったら、桜田さんが良いあるじ様になってくれる事も、願う余裕はあるのかもしれません」
「そうですよ。焦って掴んだ選択肢など、ロクなモンじゃありません」
「随分と説得力がある言い分だな」
「経験者は語る、ですわ」
ジュンさんとわたくしが笑って、柏葉さんもつられて笑って、妹はお茶をすすって。
この二人はこれでいいのだと思います。運良く目の前に幸せが待っているのなら、どうかそれを取り逃がしませんように。


それから、お昼頃に柏葉さんが蒼星石さんに呼ばれているからと和菓子の詰め合わせを置いて改めてお礼をしてから出掛け、妹も体を動かしたいからと訓練所へと向かって行きました。
わたくしは時間も時間でしたので、ジュンさんにお昼をご馳走していただきました。依頼なんですから、対価を要求するのは当然でしょう。
食後のコーヒーを飲みながら、町の世間話を伺ったり、仕事の話を聞いたりもしました。なにせ最近のわたくしはリープ漬けですからね。酒場の娘として最低限の情報は持っておかなければ。
「にしても助かったよ雪華綺晶さん。本気で参ってたんだ」
「柏葉さんの事ですか?気立ても器量も良い娘さんではないですか」
「だからだよ。わかるだろ?」
適当にあしらって蔑ろには出来ない、と。わたくしもわたくしですが、この方も大概ですね。
「まあ、真紅お嬢様も長期不在ですから、今回は多目に見ましょう」
「…雪華綺晶さん真紅真紅って言うけど、アイツと何かあったのか?」
「さあ?それは乙女の秘密ですわ」
わたくしも妹を追って練習に向かおうかとも思ったのですが、自分の体を考え、文字通り身の程をわきまえて自重しておきました。
「しっかし人生の絶頂期ね…何だか知らんけどあれも参るよなぁ」
「あら、別に大した事ではないでしょう」
「そうなのか?」
わたくしは渡された新聞に目を通しつつ、
「彼女のアレはただ新鮮な世界にはしゃいでるだけです。その位、彼女は辛い生活を強いられてきたのでしょう。当たり前の幸運や善意に、酷く感動する程に」
「ふうん?例えば?」
「お腹がすいて財布を拾ったでしたっけ?もし彼女が願ったことが全て叶うなら、そこは食べ物を拾わないとおかしいでしょう。財布を拾ったのはたまたまで、ただその時にお腹が好いていただけの話です。
旅に出る時の事もそれ程の幸運なら雨など降るはずはないし、若い娘が傘もささずに立ち往生していれば声もかかりますわ」
「世界樹で俺達に助けられたのは?」
「助けられたから彼女は今ここで喜んでますけれど、助けられなければそれまでです。たった一回でも運が悪ければ、それを嘆く隙もなく世界樹の肥やしですよ」
「…なーる」
食器を洗い終えたジュンさんは紅茶を二つトレーに乗せて、わたくしの正面の席へと座りました。
「なあ…話は変わるんだけど」
「はい」
「雪華綺晶さんは…いや、雪華綺晶も、薔薇水晶さんも、んで柏葉もさ…出るんだろ?さ来週の世界樹の大会に」
「はい。それが?」
「ん、その、こんな事言うのもあれなんだけど…雪華綺晶さん、恐くないのか?」
反応するタイミングを逸したのは、どうしてなのでしょう。
わたくしの周りには世界樹の魔物などモノともしない強者ばかりの中に居て、果たしてそれに染まっていたからなのか。
あるいは、余りにも普通で、甘く、単純で、優しい一般論に、心を揺さぶられたからなのか。
「そんなの…」
そんなの、決まっているじゃないですか。
「そんなの、わたくし以外の方に聞いてみてくださいな」
「そっか…まあ雪華綺晶さんは分かるんだ。OMの資格取ったんだろ?それって妹さんの為だろ?だから出るんだろ?」
ジュンさんは自分の紅茶の水面を覗き込みながら、
「だけどさ…他の奴らはさ、なんでわざわざそんな危険な大会に出るんだ?大怪我だってする。下手すりゃ死ぬかもしれない。リープしたきゃすればいい。だけど、世界樹跳ぶ必要がどこにあるってんだ?」
リッパーが、世界樹を跳ぶ理由。世界樹に挑む理由。
誰かは自己満、誰かはお金、誰かは名誉。
そして誰かは、それぞれの…
「きっと、事情があるのですよ」
「ふん、事情ね。あーあーやだやだ。僕はそーゆーのは嫌いだ」
「あはは、同感ですわ」
そう、他人の事情などに関わらず生きていければ、それはどれだけ平和で幸せな人生なのでしょうか。
自分の為に生きて、自分の為に働いて、自分の為に楽しんで。
けれど、ジュンさん。そんな事を言ったところで、貴方も結局は捨て切れてなどいないのです。でなければ、今貴方がそんな顔をする事などないのですから。
貴方は、そういう人なんですから。
「…結局、人間ってそんなに上等な生き物ではないのかもしれませんね」
「なんだそれ。持論か?」
「個人個人でも集団でも、同じ失敗を何度となく繰り返しながら生きていく。学んで考えもしますけれど、やっぱりそれは同じ事なんだと思います」
「…よく、わかんないんだけど」
「ですね」
わたくしは笑ってティーカップを傾け、ジュンさんは呆れ顔で溜め息。
こんな時間だって、充分に、幸せですのに。
「んじゃま、僕は無事を祈って御守りでも作るかね」
「それは素晴らしい考えですわ」
「またいきなりだけどさ、雪華綺晶さん、此処に来た時より随分強くなったよな」
「それが最近わたくし失敗やら後悔やらの連続でして。生憎、成長する機会には事欠きませんの」
「ははっ、失敗は成長のもとってか。そりゃいいな。わかりやすいのは嫌いじゃない」
「ではわたくしからも。ジュンさん、貴方はいい旦那様になりますよ」
「…それ、何かのイヤミ?」
わたくしはにっこり笑って答えました。
「誠に心外ですわ。わたくしが殿方に向ける、最大級の賛辞ですのに」


その後もしばらく話し込んでしまい、結局家を出たのは夕方になってしまいました。
ですがまだこれ位でしたらちょっと翠星石さんが夕飯の準備を始めたくらいでしょうから、急いで帰れば手伝うことも出来そうでした。
そこでふと、わたくしがみっちゃん亭の前で立ち止まったのは、あるいは予感めいたものがあったのかもしれません。
翠星石さん、蒼星石さん、水銀燈さん、めぐさん、柏葉さん。
彼女達に巡り会い、言葉を交わして。
そんな、町全体の事情を垣間見てきた時に、
「お日様今日~もご機嫌かしら~♪」
彼女は、みっちゃん亭の脇道から、楽しげに、確かに、わたくしの前に現れたのです。
…なるほど。最後は、貴女というわけですか。
「…こんばんは。お久しぶりですね、“パブリック・エネミー・ナンバーワン”さん」
「パ、パブッ!?」
激しく動揺しました。どうやら彼女はこちらの本は嗜まないようです。
「でも、ナンバーワンってのはいいかしら!有り難く受け取っておくわ!」
「…どう致しまして。それで、今日は元気に脱獄ですか?金糸雀さん」
金糸雀さんは先の事件で金庫刑をしっかり頂戴し、日数的に未だ服役中のハズなのですが。
「ノープロブレムかしら!今は大会が近いから比較的浅い服役囚を駆り出して雑用させてるのよ。真面目にこなせば刑期が短くなる特典付きだからみんな頑張ってるわ!」
「さいですか」
「ちなみに、この時期に何かやらかすとお首が涼しい事になるかしら」
「…さいですか」
そんな綱渡り状態(言いえて妙です)の彼女はそんな事など露知らずと言った風にピョンピョン跳ねてシャバの空気を堪能していたのですが、
「んー、でもちょっと意外かしら。てっきり私が出てきたら雪華綺晶、『あっちょんぶりけぇー!!』って驚くと思ってたのに」
「わたくし、そんな印象で見られてましたか…」
金糸雀さんはぐにぐにとほっぺを両手でこねまわし、
「それに随分と落ち着いてるのね。何かあったかしら?」
「まあ、あれから、色々と。とある方からは強くなったと言われましたけれど」
「あははっ!」それを聞いた金糸雀さんは弾けるように声を上げました。「それはいいわ!最高よ!貴女そうでなくちゃ!でなくてはカナがわざわざやって来た意味がないもの!!」
「…それで、ご用件は」
「一先ずはコレかしら」
腰のポーチから出されたのは一枚の手紙らしきもの。
わたくしが受け取ろうと手を伸ばしたところで、金糸雀さんがひゅいんとかわしました。
「その前に、ちょっとお話なんかいかがかしら?」
「職務怠慢はいただけませんね」
「まさか!せっかくカナは耳寄りな情報を貴女に届けに来たのに」
「興味有りませんし嫌な予感しかしないので結構ですわ」
「予感の方は保証しかねるけど」そこでにやりとシニカルな表情を浮かべ「前者の責任は請け負うわ。だって、」
一歩。可愛らしく首をかしげ、両手を後ろに回す形で近付いて。あるいは、誘うように。
「だって、翠星石のチームに居て、蒼星石とも通じる、貴女なんだから」
…わかっていましたけどね。やはり、それを承知で、ですか。
「では、とっととうたっちゃってくださいませ」
「うーん?やけに気前がいいのね?」
「これもとある方の評価ですが、わたくしには人の事情を集める才能があるそうですから。半ば諦めているんですよ」
「へえ!才能とはまた上手いことを言うものね!感心するかしら!ん~、貴女もその取り巻きも、嬉しいくらいの粒揃いだこと!」
はちきれんばかりに歓喜する彼女。一体、何にそこまでの喜びを表現していると言うのでしょう。

さて、と金糸雀さんは一つ手を叩いて呼吸を取りました。
「ねえ、雪華綺晶。人はどうして山に登るのだと思う?あるいは、砂漠でもいいし、海の縦断でもいいし」
「…知人の言葉を借りれば、『そうしたい人間がいたから』でしょう」
「ピンポンピンポーン!!正解!大正解かしら!そう、人はそういう難しい事にチャレンジする本能を持つのよ!最高にイカれたクレイジーな本能がね!」
「実にはた迷惑ですわ」
「しかりしかり!そういうものよ。常に探求者は少数派で、不利益を被るけれど、だからこそ燃えるかしら!それはカナ達研究者も冒険家も寸分違わず同じ事よ!そこで!」
金糸雀は右手を振り上げ、世界樹の上空を指差します。
「質問二つ目。最初に世界樹に登ったファーストクライマーと、世界樹を“登り終えた”ラストクライマー。偉大なのは、どっち?」
「…それは…」
「言わずもがな、“どちらとも”よ。誰もやらなかった事をやったイカれた奴らも、誰もやれなかった事をやったイカした奴らも!どっちもどちらとも最高な人物なのよ!名誉ある人達なのよ!なのに!それなのに!」
それなのに、どうして。
「貴女も聞いた事あるでしょう。政府が世界樹の最上階にはお宝も何もなかったのが恥ずかしくて非公表を決めたって話」
「…ええ」
「はっ、馬鹿じゃないの!?財宝?お宝?不老長寿の果実?そんなもののためにクライマー達は世界樹を登ったんじゃないわ!政府だってそんなもののために懸賞金をかけたワケじゃないでしょう!?
大体どこの登山家にお宝目当てに山を登るバカがいるかしら!政府の発表は、ラストクライマーへの扱いは全てのクライマー、ひいては全ての探求者達への酷い侮辱だわ!!」
彼女は、怒っていました。ある人には命より重く、またある人にはちり紙ほどの価値すらないモノの為に。
それに誇りをかけた、全ての人達の為に。
「…ふう。で、ラストクライマーのその後については聞いているかしら?」
「…行方不明、と」
「かしら。で、当たり前だけど当時の人達だってさっきみたいな事を言う人は少なからずいたのよ。当然だわ。でも、そんな時に世界樹の町の人達の注目を根こそぎかっさらうモノが現れてしまったのよ。それが、」
考えるより先に、口が動きました。
「アイビーリープ…」
世界樹の探索に賞金がかからなくなる、もしくは減額となれば多くの失業者に溢れるのは自明な事。そこに、腕っ節で稼げる場所が現れたならば、どんな影響をあたえるかは火を見るより明らかと言えるでしょう。
「まったく不思議よね。実に不可解かしら。福祉施設への資金にさえ渋る政府が、こ~んなデッカいスポーツ施設に湯水のように投資して、あっという間に正式なスポーツに認定して、リッパー優遇措置を取って。渡りに船もいいとこね。不満を言う人は皆無だったでしょうよ」
と、金糸雀さんはつまらなそうに吐き捨てました。
「じゃあ最後の質問かしら。世界樹の大会でこの前は完走者がいなかったんだけど、その前は1チームいたかしら。さて、そのチームのメンバーは今どこで何をしているでしょう?」
そんなの、わかるわけがありません。
でも、もし、その問いが問題として成立するのなら、
「加えて、それまでの大会で完走したチームのメンバー達。彼等彼女達は今どこで何をしているでしょう?」
「…わかりません」
金糸雀さんはすぐに返答を寄越しました。もう少しで、額がくっつきそうな距離から、たった一言。
「“正解”」
ああ…翠星石さん。
貴女はわたくしの身を案じてくれていましたけれど…どうやら、とうの昔に一番会ってはいけない方との邂逅を果たしてしまっていたようです。
「私はね、貴女に期待しているかしら」
そこでようやく、金糸雀さんがわたくしに手紙を差し出してきました。
「貴女は、世界樹に好かれる才能もあるみたいだから」
まるで、握手を求めるかのように。契約を結ぶかのように。
「貴女なら、きっとやれるわ」
何も考える事が出来ずに、わたくしはその手紙を受け取りました。そうするしか、なかったのです。
「頑張ってね」
手紙を片手に立ち尽くすわたくしにそう言い残し、彼女は街頭の光でくらんだ世界へと体を向けました。
「あっと、一つ言い忘れていたかしら」
わたくしに背を向けたまま、彼女は続けます。
「この大会の名前って、実は貴女知らないでしょ。みんなただ世界樹の大会って呼ぶものね。でもそれって、つまらないじゃない?」
夜の闇と世界樹が同化して、光だけが頼りの世界の中で、
「私達ってこの大会の資料整理もさせられるの。一応暗号化やら外国語で書いてあったけど…まったく、カナを舐めてるのかしらね」
強い光のせいで、闇の深さも増すばかりの世界の中で、
「その中から頻出するものを引っ張り出して、そこら辺の事務員にカマかけたらあっさり引っかかったかしら」
彼女は何者にも捕らわれず、世界樹すらも、その手に握り、
「イニシャルはW.W.R。あとは、それらしい単語を付けて、また鎌をふるだけで良し」
金糸雀さんは、ゆっくりとこちらを振り返って、
「『ワールド・ウッド・ラビリンス』」
まるで鳥のように、夜の闇に羽を広げて、歌うように、鳴くように、叫ぶように。そして、獲物を狙うように、囀ったのでした。

「“世界樹の迷宮”、よ」

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