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『人様の事情に首を突っ込むな』とは人間が他人との生活の中の摩擦を経て得た尊い教訓の一つでしょう。触らぬ神に祟りはなく、親切心を働かせたところで自分が対応仕切れない問題事を背負いこむなど具の彫刻と言えるからです。

他者との距離に重きを置き、日頃より人付き合いの間合いを慎重に定め、心を鬼にして妹にも自立と成長を促すために距離を置く稀代の殊勝で努力家で正直者の教育者兼酒場の看板娘、つまりこのわたくしは、現在、世界樹で行われるアイビーリープの大会の練習真っ盛りです。

当然他人を気遣うどころか自分の事で精一杯なわたくしは、上記の精神にしだかい清く正しく美しく日々生活をしていました。

だから、わたくしの過失ではないのです。

例え手に余る事態を抱え込もうと、例えろくでもない事に巻き込まれようと。

何故ってだって、事情の方から足をはやしてわたくしを追いかけてきたのでは…



《雪ら薔らと夢の世界樹》

第2階層『雪ら薔らとアイビーリープ』

第7階「彼氏彼女達の事情」



「うーし、んじゃあ早速始めるですよ~。キリキリ気張りやがれです~」
「ええ」「うん」「はーい」
朝露の湿度とひんやりした冷気にシャキッと寝起きの意識を覚醒させ、その言葉とは裏腹にリラックス全開の翠星石さんの言葉にみんなで答えます。
柔軟体操をしながら見上げれば、目の前には天まで届くかのごとく聳える偉大な大樹。
朝焼けに、そして朝霧に彩られたその巨木は様々な彩りを発し、しかしそのどれもが生き生きと力強い存在感を醸し出しております。
大自然の前に人間は余りにちっぽけで、強く自我を意識していないと自分が霧散してしまいそうな錯覚さえ覚えてしまうというもの。
パンパンとほっぺを叩き、ぐっと気合いを入れてやりました。
そんなわたくしを楽しそうに見ながら、翠星石さんは先程より随分としっかりした声で、世界樹に響くように高らかに宣言したのでした。
「では、第一回ジェイドリッパーズの合同練習、スタートです!」


「え?合同練習ですか?」
その話を聞いたのはつい先日、わたくしがリープの練習を始めて二週間ほどした時の事。
「です。きらきらの跳び姿も様になってきましたし、ここらで世界樹で実践的な練習をしようかってわけです」
「ああ、なるほど」
これまでも翠星石さんや妹と合わせての練習は何回かありましたが、実際に世界樹を跳ぶ機会はまだなかったのです。
「別にそんな難しい話じゃなく、本番の模擬練習と世界樹での注意事項を二人に教えるってことなんですけどね。後はチームの友好度でも上げておこうかとリーダーなりに愚考したですよ」
「大変結構だと思いますわ。では、めぐさんも一緒に?」
「ですね。んじゃあそういう旨をきらきらがめぐに言ってくれますか?」
「はい、心得ました」
「水銀燈との約束ついででいいですからね。ひっひっひ」
「…お気遣い感謝致します」
「何言ってるですか、チームメイトじゃねーですか。ねー、ばらばら?」
「ねー。あはははは」
「…では、行って参ります」
水銀燈さんとの約束。それは彼女がわたくしに辛い過去を打ち明け頭を下げる事で得られた二人だけのとても尊く大切なモノ。だったのですが。
…我ながら、良く耐えたとは思うのです。
あの日、水銀燈さんとの出逢いの後にわたくしを待っていたものは、まさしく“拷問”の二文字が相応しいものでした。

翠星石さんがわたくしが洗ったばかりの純白のシーツに醤油を垂らしました。
妹がわたくしが楽しみにしていた木イチゴのタルトを一人で平らげました。
翠星石さんが町で拾ったらしき『生娘』の号外をBGM付きで朗読し始めました。
妹がわたくしの恥ずかしい過去を録音機に向かって暴露大会を始めました。
翠星石さんがめぐさんの実験用と言って取り出してきたインセクトをミーのレッグにオンしやがりました。
そして同時に妹がわたくしの弱点を的確にくすぐり始め…

良く、頑張ったとは思うのです。
ただわたくしがあの場でゲロしたのはあくまでも概要で、細かいプライベートな事は流石に言えないと懇願したところ、二人はあっさり引いてしまいました。どうやらただイタズラがしたかっただけのようです。とてもふぁ●くですわ。
さてその水銀燈さんとの約束、つまり水銀燈さんのお願い事なのですが、その大半はめぐさんを気づかってあげて欲しいという、翠星石さんの言いぐさではないですがチームメイトとして当たり前の事でした。
それだけに、そんな当たり前の事が出来ない水銀燈さんの想いが良く伝わってくるというもの。
わたくしも出来る限りの事はしてあげたい。当たり前の事なのですが、モチベーションは上がりますよね、やっぱり。
「失礼致します」
翠星石さんの家から徒歩数分、合い鍵を使って入った現在めぐさんが借りているマンションは水銀燈さんの部屋に遅れはとるものの、この町ではかなり上等な部類のものでした。
実はこのマンション、水銀燈名義で借りているそうで。
なんでもめぐさんはこの町に来た当初は狭い安宿にいたそうですが、水銀燈さんが色々と手を回し、そこの大家に『部屋を改装するから悪いがこっちのマンションに移って欲しい』と一芝居打ってもらったとか。
えらくランクアップした住まいにも、一向に家賃の請求が来ないのにも自分の姉にしか興味の無い彼女にとってはとるに足らない事のようです。
ところで、どうしてわたくしが勝手にめぐさんの家に上がり込み、こうして部屋を勝手に歩き回っているかと言えばめぐさんとの間にそういう確約が結ばれているからです。合い鍵だって頂いていちゃってるのです。
水銀燈さん以外に全く興味がなく、他人と殆ど関わりを持たない彼女とどうやってここまでの関係を作り上げることが出来たのか。
それでは、わたくしの闘いの栄光の歴史をご覧ください。

~一回目~
「どうもこんばんは。雪華綺晶でございます。昨日のサンドイッチのバスケットを受け取りに参りました」
「………はい」
「どうも。あ、そうそう、もしよろしかったらこのレモンパイを召し上がりませんか?昼間作った余りモノで申し訳ないのですけれど」
「………うん」
「それは良かったですわ。それではまた」

~二回目~
「おはようございます。雪華綺晶です」
「…おはよう」
「この前のパイが好評だったようなので、今度はスイートポテトなどを焼いてきたのですが…余計でしたでしょうか?」
「…ううん、そんな事ないわ」
「ではどうぞ。良かったらまた感想など聞かせてくださいませ」

~三回目~
「世界樹の町のベーカリー、雪華綺晶が参りました」
「ああ、アナタね」
「ご覧くださいめぐさん。近所の方からクルミをいただいたので出来たてパンのお裾分けです。あと、香り高いコーヒー豆をお持ちしたのですが、御自分で沸れられます?」
「…部屋、あがってく?」
「それでは、失礼致しますわ」

~四回目~
「スイーツこそ人生の潤い。あなたの心のパティシエール、雪華綺晶が乙女の宝石箱をお届けに参上致しました」
「いらっしゃい雪華綺晶。さ、あがって?」
「はい♪」

ふっ、我ながら自分の手際の良さが恐ろい…。これこそまさに、古来より伝わりし『お嬢ちゃん、おじさんについて来たらアメあげるよ』戦法!!
いささかどうかとも思わないでもありませんが、結果良ければ全てよろし!!
…今度、水銀燈さんにも教えてあげましょうかね。
ただわたくしが合い鍵を持っているのには他にも事情があります。こうして部屋をチェックして回っているのに当の本人に会えない理由がそれ。
「根を詰めるような事も言ってましたから…研究室に籠もってるんでしょうか」
もちろん研究室なんて大それた部屋が一介のマンションにありはしないのですが、何度かお邪魔したそこは確かに研究室と名乗るに相応しいほどの雰囲気を醸し出しているのです。
神に仇なす錬金術師――アルケミスト。
それが彼女、柿崎めぐのジョブでした。
錬金術に対しトラウマを持つ水銀燈さんならいざしらず、その水銀燈さんを目指しリッパーになった彼女ですから、この選択はある意味当然なのかもしれません。かつての術式失敗のあの日から、彼女は変わって…いえ、“変われずに”いるのですから。
あまりゆっくりしているのも時間が惜しいので、少々覚悟を決めてその厚いドアに手をかけます。
覚悟する理由?それはつまドドドドガガガガガガギュィイイイインババババババチュインチュインギーーーガーーーゴーーーシュゴォオオオオオ!!
研究室。確かに研究室でしょうこれは。ただ少なくとも、一般的にアルケミストに似合う実験室ではありませんが。
ともかく、耳を塞ぎながら目の前の背を向けながら手元で火花を散らすめぐさんに声をかけなければ。
「ぁ……ぉ…!…!ぁの……!」
自分ですら聞こえないんですから、めぐさんに聞こえるわけがありません。致し方ないので足元に転がっているバールのようなものを握り、機材を交換するために作業を中断した隙をねらって、
「えいやっ」
ごちん。
防御ゴーグルと耐熱マスクに覆われた頭ががっくんと下がりました。
「めぐさーん!雪華綺晶でございまーす!」
「…ん、あ、なんだ雪華綺晶か。いらっしゃい」
「はいどうも。勝手に上がらせてもらってますわ」
「うん」
簡単な挨拶を交わすと彼女はゴーグルやマスクをとり、後ろで縛った髪を振りほどいて汗で張り付いた前髪をかきあげました。
「ふー、暑いわ。何これ。異常気象?」
こんな機密の高い部屋でそんな厚い作業服を着て火花散らしてバーナー使えば当たり前です。
「とりあえず、これを飲んでくださいな」
「ありがと。…あれ、雪華綺晶が三人いる…?」
「飲んで!いいから早く飲んでください!」
ごぶごぶ。そのスポーツドリンクを半強制的に彼女の口に注ぎ込んで飲ませていきます。
「やっぱり不眠不休で飲まず食わずでしたか。アルケミストの研究ならば目をつむる面もありますが、お願いですから水分だけは取ってくださいませ」
「んぐ…あふー。そっか、脱水症状だったんだ。なんか目が霞むし手が震えるしでどうしようかと思ってたのよ」
「はぁ…後これ、冷蔵庫に入ってたお惣菜です。お腹空いたでしょう?」
「ん、別に…あれ、い、痛い!お腹空いてる!お腹空いてお腹痛い!何で!?さっき食べたばっかりなのに!」
「…その“さっき”、多分48時間くらい前ですよ」
わたくしに言葉を返す間もなく、差し出したタッパーの食料を勢い良くかきこみ始めためぐさん。お茶を手渡してあげるとそれもグビグビと飲み干しまた惣菜へ…
わたくしが来なければ一体何時までここに籠もっていたのやら。イディオ・サヴァンじゃないんですから…と思うも、その例えはある意味的をえているのかもしれません。
「ほへ?はにひにひはの?」
「急ぎではないので、食べ終わってからで結構ですわ」
「ほ」
彼女は再びカロリー摂取に没頭し出したので、その間にわたくしは部屋を換気し、未だ熱を持つ機械の電源を落としていきます。
「あ、まだ途中なのに」
「めぐさんはしばらく休憩しなければなりません。チームのメディックからのドクターストップですわ」
その言葉に諦めたのか、はたまた食欲が先行したのか。後はひたすら二人前はあったハズの食料の最後まで綺麗さっぱり平らげてしまいました。
「ごちそうさま。味は覚えてないわ」
そうでしょうね。
「お粗末様でした。他に体の具合で気になる所はありますか?」一応脈を取りつつ質問。こういう時にオフィシャルメディックの研修成果が出てきます。
「んー、得になし。それで?私に何か用?」
「さっきの食料供給だけで重要な用事な気もしますが…そうですわね、とりあえずシャワーを浴びて着替えてきてくださいませ。そんな汗だくでは風邪をひいてしまいますから。そのインナーシャツもいい加減洗濯しませんと」
別にいいのにと愚痴るめぐさんの背中を押し、メンバーの不衛生はわたくしの責任ですからと着替えとタオルを持たせてお風呂場へ。
そしてわたくしはめぐさんがお風呂場に入った事を確認した後、小走りで研究室に向かいました。
「さて」
水銀燈さんとの約束。お願い事を果たしてしまいましょう。
彼女と交わしたその内容の殆どがめぐさんの健康管理であるのに対し、それから漏れるのがこの行為。すなわち、めぐさんの研究状況の定期報告でした。
とは言ってもわたくしに錬金術の知識など無いので、事前に持たされたチェックリストにマークするだけ。それを後で水銀燈さんに送る。そういうお仕事。もちろん二人にはゲロしておりません。
まあ、ちょっとスパイチックな感じも致しますが、結局のところはめぐさんの身を案じての事なんでしょう。過去に経験がある以上、神経質になるのもわかりますし。
「それにしても…アルケミストは科学者だと言いましたけど…もう少し、なんと言いますか…」
MPとか使ってくれないでしょうか…とわたくしのようなバーチャル世代(?)は夢想するのですけれど。
「科学者どころか、これでは技術者に近いですわ」
確かにフラスコやビーカーなんかもありますし、薬品その他もあるにはあるんですが、やはり目を引くのは目の前の工作機です。ゴツいです。アイアンです。
ああ…わたくしの理想のアルケミストからぐんぐん離れて…。そういうのが見たかったらファンタジックな本でも読むのねぇ、と心の中の水銀燈さんにも諭されてしました。
そんなこんなでチェックリストをすべて埋め、ため息をつきつつ部屋を出て紅茶でも沸れようかとしたところでめぐさんがお風呂場から出てきました。
「はふ、サッパリした」
その姿はまさに、水の滴るいい女。
言い換えると、びちょぬれでした。
「タオル…渡しましたよね?」
「うん。ちゃんとふいたわよ」
どのくらい雑にふけばそんな塗れネズミのような…いや、それより…
「そのシャツ…裏表が逆の上に、前後も逆なんですけど…」
「え、嘘。あ、だから背中にボタンがあるのね。しかも内側に。どうしようかと思ってたのよ」
「………」
我ながら、ため息が様になってます。
水銀燈さん…日頃の気苦労、お察し致します。今度また、お茶会に誘ってくださいましね。


そしてその翌日、つまり合同練習当日の今日。
「翠星石達に割り当てられたエリアは125-B2-3の500メートル四方です。まずはそこまで行くですよ」
検問をくぐり、世界樹の玄関口とも言える第一開拓地でリッパーの装備を付けながら今日の予定を確認します。
この用具はリッパーの命綱でもありますからね。しっかり整備しなければ。シューターよし、バンパーよし、ジャケットよし、保護ゴーグルよし…
「あら?めぐさん、その装備は一体…?」
わたくし達は皆それぞれジョブが違うので固有装備というものがあるのですが、めぐさんのソレはその中でも一際目を引くものでした。
めぐさんの両手に付けられたそれは手袋と言うよりもはや籠手と呼ぶに相応しく、二の腕から手首の辺りまではリング状に空いたカードリッジが連なり、その終着点の手のひらには怪しげな光を放つ円形の装置。そしてそこから指に繋がれたカタパルトレーン。
…兵器?
「ケミカルリアクターよ」
リアクター(反応炉)?
「ああ、ばらばらは見るの初めてですか。あれが世界樹のアルケミストの基本スタイルですよ。袖のアルケミーディスク(術弾とも言いますが)を手のひらのリアクターにぶち込んで活性化させて、両手を叩き合わせて無理やり反応させた後に指のカタパルトで打ち出すんです」
翠星石さんの解説を聞きながら、わたくしはその大層なシロモノをまじまじと観察していました。そのギミックは前に妹がラフレシア相手に使った『起動札』を連想させます。魔法っぽくはないですけれど、これはなかなか…
「フラスコで実験する訳にはいきませんからね。魔物を倒す為の威力と速度を求めた結果です。戦士で言えば剣みたいなもので、アルケミストの魂ですから一流のアルケミストはみんなアレを自作するんですよ。だからリアクターを見ればアルケミストの格が知れると言われてます」
なるほど、めぐさんがあれだけの機材で作っていたのはコレだったんですか。見れば見るほど複雑かつ精密で、これを自前で作ったなどと言われては素直に感心する他ありません。
「ま、翠星石から見たらとんだキチガイの代物なんですが…ところでめぐ、術弾は何持ってきたですか?」
「六色の各単小」
めぐさんは特に目線も動かさずに答えました。
「問題ないですね。ばらきらにも一回くらい目の前で見せた方がいいですし。そいじゃとっとと向かいますか。いい加減、時間も押してきてますしね」
確実の準備が整ったところで翠星石さんが合図を出し、わたくし達はシューターを蹴って世界樹の中へと跳んでいきました。

「翠星石」
妹が急に速度を落としてハンドシグナルを飛ばしたのは、目的地まであと少しといった所でした。
全員が制止して物陰に隠れ、妹が指差す方角を凝視します。
「…ほー、これだけの距離でよく見つけましたね。流石はレンジャーですぅ」
わたくしにはさっぱりなのですが、どうやら進行方向に魔物がいるようです。随分と人の手が入った第一層ですが、やはりまだちらほらと魔物は現れるのです。
「大丈夫ですよ。大したヤツじゃないですし、それにきらきらは非戦闘員じゃないですか」
「…はい」
否応無しに強張ったわたくしに翠星石さんが気を使ってくれました。
オフィシャル・メディックは攻撃してはならない。確かにそれはリッパーに定められたルールではありますが、当然の事ながら世界樹はそんな事を聞いてくれる相手ではありません。
「そうですね…良い機会ですから、ここは一つめぐに任せますか」
翠星石さんはブルっているわたくしから少し離れ、めぐさんに簡単な指示を出しました。それを受けためぐさんは黙って軽く頷き、
ガシャン!
両手のケミカルリアクターに術弾が装填されます。淡い緑色の光を放っていたリアクターは、一瞬で真っ赤に染まりました。
「念の為、めぐが跳んだら後に続きますよ。術式はスキが出来てしまいますから三人で防御支援をします」
ゴクリ。わたくしの喉が鳴りました。
そんな難しい事でも危険な事でもないのはわかっています。しかしわたくしにとって初めてに近い実戦の緊張感は、それは大きなものでした。
バッ!と木の葉が舞い、その中からめぐさんが高速で突き抜けます。少し遅れてばらしーちゃんと翠星石さんが両脇に。わたくしはその後方…の予定でしたが跳び出す反応が遅れ距離がつき過ぎてました。自分の小心さが口惜しい。
ばちんっ!
めぐさんが両手を、まるで祈るように叩き合わせます。そして即、左右で合わさったディスクが魔物が居るとおぼしき場所へ打ち出されました。
その直後、そこは一瞬、ほんの一瞬ですが、まるで爆発したかのような火の手が吹き荒れました。
あまりに一瞬。ですがそれはわたくしの目と心に、とても強烈に焼き付いていて。
「…あんなもんじゃないですよ」
その光景に半ば茫然としていたわたくしの横に、いつの間にか翠星石さんが立っていました。
「あれは《火の術式》。アルケミストの基本中の基本です。あれの上位の全体術式や、単発の特大火力なんかアホですよ。見たら三日は笑えます」
そう言った翠星石さんは、全く一ミリたりとも笑っていませんでした。
「人が魔物に勝とうなんて考えた結果があれですよ。アルケミストの瞬間的な破壊力は他のジョブとは桁違いなんです。そのせいで犠牲にしてる部分も多いですが、撃つ場所さえ間違えなきゃ木造の家くらい軽く吹き飛ばしますからね。まったく…狂気の沙汰です」
ドクトルマグス。世界樹の巫女。そんな、大昔から世界樹と共に生きてきたであろう一族の末裔は、焼け跡と魔物の亡骸を見つめながら、そう、小さく呟いたのでした。

それから予定地に着いたわたくし達一行は、翠星石さんの指示の下でぐるぐると跳び回ったり複数人で行うリッパーの移動コンビネーションなんかを試したりしました。
整備されたリープの練習場とは違い、生きた自然の森の中を跳ぶのは始めはかなり違和感と戸惑いがあったのですが、慣れ初めてくると寧ろこちらの方がやりやすいと感じれるまでに。
「へぇ、やるじゃねーですかきらきら。正直驚きましたよ。どうやら運動センスが無いって訳じゃなさそうですね。運動不足が祟ってたんじゃねーですか?」
と、誉められているのか貶されているのかはたまたどこかで聞いたような御言葉まで頂戴致しました。
まあ元々が田舎の森生まれというのもありますし、妹と一瞬に(勝手に遊びに行く妹を追いかけて)森を探検したのも一度や二度じゃないですからね。それもあるんだと思います。
時間も頃合いだったのでお昼休憩を挟み、持ってきた紅茶を飲んで一息ついてさあ午後の練習を――といったところで翠星石さんが、
「午後は少し趣を変えましょうか。そうですね…二チームに分けましょう。一つはめぐとばらばら、一つは私ときらきら」
「了解しました。それで、それぞれ何を?」
「めぐとばらばらはドッチボールで、私ときらきらは机並べてお勉強です」
「…は?」
これが、本当にドッチボールだから驚きますよね。
ただ世界樹使用のドッチボールであり、ソフトボール大のゴムボールに腕から伸びる紐がくくりつけられたボールを互いにぶつけ合うというもの。これを障害物だらけの森の中で跳び回りながらするというのですからある種の芸等です。
今もわたくしと翠星石さんから離れた場所で飛び跳ねる音が騒がしく聞こえてきますし。たまに悲鳴のような声が上がるのは、果たしてどちらなのでしょう。
「ほらほら、余所見してねーで次やるですよ次」
「あ、すみません」
そしてわたくし達は言われた通りのお勉強。
「基本的な処置は研修で教わるとは思うんです。ただ、その処置をするのは綺麗なシーツのベッドの上でもなければ、包帯や消毒されたガーゼがたんまりある治療室でもありません。手持ちの医療器具が無くなることも壊れることもあるでしょう」
少し開けた場所に横たわっていた丸太に並んで座り、持ってきたノートとわたくしメディックの個別装備である医療器具を取り出して翠星石さんの話を懸命に聞き取ります。
「そこで私が教えるのは世界樹ならではの医療行為、翠星石のご先祖から伝わったドクトルマグスの医術です。こういう選択肢は多い方がいいですからね」
わたくしがこの大会に出る本来の目的である妹への治療行為。しかしいくらOMの研修を終えたところで、技術的には素人に毛が生えた程度でしょう。
それでも、少しでも役に立てる可能性を上げる為に翠星石さんは恐らくは秘匿であろう伝統技術を教えてくださっているのです。
リッパーとして成長させてくれた水銀燈さん。
医療役としての責務を果たさせようとしてくれる翠星石さん。
わたくしは本当に恵まれています。ならば、この幸運を絶対に無駄にしないようにしなければなりません。
そんなわたくしの覚悟を見て取ったのか、翠星石さんが笑顔を見せてくれました。この人は本当に人の機敏を察するのが上手です。
「ただ…まあ、教える前からこんな事言うのもなんですが、やっぱり、限界はありますよ」
「…そうでしょうね」
「麓の設備でどうにもならないものが、上でどうにか出来る訳もないんです。それに…こういう技術は、使わないに越したこたーねーんです。出来ることなら、それが一番ですよ」
前にわたくしが思い返した詐欺の手口ではありませんが、医療とは傷付く事が前提での打開策。とんちのようですが、“何もしないこと”に勝る医療はありはしないのです。
そして――ならば、怪我をさせる元を断てばいい。その精神の最たるものと言える武装キャラバンの攻撃特化ジョブ、アルケミスト。
魔物を殺す武器の数々だって、錬金術だって、使わないに越したことは、ないはずですのに。
「…どうして、人間は世界樹に踏み込んでしまったんでしょうね」
そんな事を考えていたせいか、こんな事を口にしてしまいました。
余りに不毛で、拙く、無責任で、無意味な問い。
「“そうしたい人間がいたから”」
しかし翠星石さんは、そんな問いに正直に答えてくれました。
「そうとしか、言えません」
そしてそれは、非情なまでに正確な答えでした。


それから数時間、わたくしは翠星石さんの指導の下様々な知識と技術を学び取っていきました。
例を見せてもらい、実践し、ノートに写し。全ては、いざという時の為に。
途中、視界の端で矢が飛んで行ったり火の粉が舞ったり雷鳴が轟いたり雹が落ちたりしたような気がしましたが、きっと見間違いでしょう。レンジャーとアルケミストの二人は安全なドッチボールに汗を流しているはずで、だからそれは世界樹が見せる幻覚に違いないのです。
「ま、ついでですから傷薬も多めに作っておきましょう」
「………」
いざって時は稀にあるから“いざ”なので、常習してたら日常ですよね。それはそれは技術も受け継がれ発達するでしょう。まったく、これだから人間は。
「そうそうきらきら」
「はい?」
現場での講習も大体が完了し、わたくしがノート整理に励んでいた時、翠星石さんが唐突に切り出してきました。
「めぐは…どうですか?」
医療関連の話題を予想していたので一瞬ぽかんとしてしまいました。いえ、例えそうでなくとも質問として余りに抽象的だとは思いますが。
多少混乱していたのですが、とにかく聞かれたのですから答えねばと思い、
「ええと…そうですわね、最初は水銀燈さんの話ぶりから付き合っていくのに色々と苦労するのではと危惧して…いや、実際苦労しているんですが…思っていたような事は無かったので安心しました」
例えば完全無視とか、邪険に扱われるだとか。
でも相手の事情に通じ、かつコミュニケーションの手段があるとなれば、それなりの関係は築けるものですけどね。人間しかり、動物しかり、あるいは…魔物しかり。
「それはきっと…きらきらだからですよ」
そこでわたくしはノートに落としていた視線を隣の翠星石さんに向けました。翠星石さんは、どこを見るでもなく前を向いて続けます。
「翠星石もアイツに会ってそれなりの時間は過ごしましたが、未だに事務的な事しか話せませんし。部屋にだって、ほんの数回、書類とかの用事でしか入った事しかないですから」
だってそれは、わたくしがお菓子で釣ったから――
「あはは、そんなの理由になりませんよ。大体、そんなベタな事は翠星石だってやりましたし、水銀燈だってやったでしょうよ。一応受け取ってはくれるんですけどね。それ以上は…なかなか」
翠星石さんは軽く溜め息をつくと、うっすら赤みがかってきた空を見上げました。
「きっと、きらきらにはそういう、人に好かれる…と言いますか、側に居てもいいと思わせる才能が有るんだと思います。気持ちいいんでしょうね、一緒に居ると。
気も回って面倒見もいいとくれば酒場の評判も当然でしょう。水銀燈もそれをアテにしたんだと思いますけど。ま、その慧眼は流石ってとこですかね」
だから…、と翠星石さんはこちらを見て、
「そんなきらきらが…その、リッパーとかチームメイトとかではなく、一人の人として、姉として…羨ましいです」
そう、微笑みながら言いました。
勝手な言い分ですけどね、と笑って誤魔化すのも忘れていませんでした。
「………」
普段ならば、ここで終わりでした。そろそろ日が暮れるからと言って立ち上がり二人を連れて帰る。そうなる筈でしたし、翠星石さんもそうしたかったのでしょう。
しかし。
「………」
この時のわたくしは…なんと言うか、普通ではなかったような気がします。それが世界樹にいるせいなのか、あるいは…
…いえ、もう、素直に白状してしまいましょう。
わたくし、頭にきていたのです。
当然ですが、その対象は翠星石さんではありません。水銀燈さんでもありません。
それは、その矛先は、この二人にそんな事を言わせる、何かに。
「どうしてですか」
「え?」
だから、この時のわたくしは普通では無かったのでしょう。後はもう、勢いでした。
「翠星石さんの大会での目的は蒼星石さんの夢を止める為と聞きました。大会に出場する蒼星石さんの夢とは、優勝する事なんですよね?」
「…そうですね」
「そしてそれを止めるとは、蒼星石さんが大会で優勝するのを阻止するという事ですわよね?」
「…そうですね」
「何故なんですか。どうしてリープの大会で優勝する事がバカな夢なのですか?それは翠星石さんがこうもしてまで止めなくてはいけない事なんですか?」
きっと、水銀燈さんとめぐさんの事で我慢の限界だったんだと思います。穏便に生きる為には、聞いてはいけない話だったのでしょう。
翠星石さんはじっと前を向いていました。そして考えていました。無視されているのではない事が容易に伺えるほどに考えていました。
そして、しばらくして。
「…きらきら」
「はい」
「すみません。言うことは出来ません」
キッパリと。力強い否定でした。
「勘違いしないで下さい。これは、嫌がらせでも出し惜しみでもないんです。言えばきっと、お前さんは危険な目に合うでしょう。そして…オメーに降りかかる火の粉を払って火傷するのは、ばらばらですよ」
グサリと、胸に何かを突き立てられた気がしました。
その痛みに喘ぐ自分と、翠星石さんの瞳から『卑怯な事を言ってごめんなさい』という意志を汲み取った自分とを、はっきりと胸の中に感じます。
「………」
「………」
それきり、翠星石さんは口を閉ざしました。わたくしも、何か言える状態ではありませんでした。
謝ることも、胸の痛みを無視する事も出来ずに俯いて膝の上の拳をきつく握るしか出来ないわたくし。後悔が頭を染めます。小心者ならそれらしくしていれば良かったのに。わたくしは…これだから。
はーあ、と重い空気を吹っ切るかのように翠星石さんが伸びをして、
「ま、何が言いたいかと言いますと、お前さんはもう少しいい意味でも悪い意味でも身の程を知るべきだと思うんですよ」
「それは…どういう?」
上目使いに翠星石さんに問いかけます。
「きらきらは余所からこの町に来て酒場で働く一人の田舎娘。面倒を背負い込む義務も責任も無いんですから、余計な事には首を突っ込まないのが吉です」
それは確かにそうなのでしょう。自分の世界の平和を保つ為には、それが一番なのでしょう。
「それとコレはさっき言った才能と通じるものがあるんですが、きらきらは…周りの事情を集める才能もありそうですよね」
「事情を…集める?」
「だってそうじゃねーですか。つい前までリープのリの字も知らなかったオメーが、蒼星石に会って、こうして翠星石のチームに入って、水銀燈とめぐの過去に触れて。
この調子でいくと大会が始まる頃にはどうなることかわかったモンじゃねーですよ。昔から似たような事あったんじゃねーですか?」
「あー…ええ、まぁ…」
村に居た頃も色々と巻き込まれた記憶がありますし、この町に来てからは言わずもがなでしょうか。わたくしとしては妹の破天荒の煽りを受けたと認識していたのですが…
「ただ偉そうな事言っても二人をリープに誘ったのが翠星石ですからね。そこは責任を感じてるんです。だからこれ以上…と思いつつ話してもいいかなって思ってる自分が居ますからねー。オメーの才能は侮れないですぅ」
「あはは…」
また迷惑な才能もあったものですね…
「でもまあ、聞かれて答えないのもアレですから、答えられる範囲、簡単に調べがつくことの範囲でなら話しましょう。精々それが原因できらきらに厄災が訪れないよう翠星石は祈っていますよ」
「…それは、ご親切に」
…やっぱりいいです、とは言えませんかね。

「まずいきなり質問しますけど、今まで何回もこの大会はあったわけですが、前回、だから二年前の大会で完走したチームはどれくらいいると思いますか?ちなみに総数は100くらいいました」
完走、つまり大会のゴールまで跳びきったチームの数という事。たしかチームの中の一人でもゴールできれば良かったはずですから、幾ら舞台が世界樹といえ…
「40…いえ、30チームくらいですか?」
「“0”です」
「…はい?」
「だから、0チームです。前回の大会で完走したチームはいませんでした」
二の次が継げないわたくしに翠星石さんは淡々と説明します。
「それでも順位は付くんですけどね。失格者を除いて最終標高の高い順に決まりますから。別に前回が特別だったわけじゃなく、他も似たようなモンですよ。良くて1、2チームくらいです」
「そ、そんなに厳しいのですか…?」
あの、わたくし、今度、それに出なくてはいけないんですが…
「厳しいというか、失格とリタイア要素が多いんですよ。シューターかバンパーが壊れたらそれまでですし。でもそれにしたって…きらきら、前にオメーが大会の概要を見て『異質』って言ったの覚えてますか?」
「え、えーと…」
そんな事も言ったような…?
「あん時は間違ってもないなんて濁しましたけど、今は流石はきらきらと言う事が出来ます。考えてもみてください。いくらリープがキャラバンの名残だからって、未だに魔物がうろつく世界樹をろくに整備出来ない高層まで跳び回るんですよ?
しかも練習試合まで制限のつくスポーツなのに、こんなイカれた大会の参加資格は問わずときてます。むしろ異常と思わない方がおかしいですよ。どうして町のリッパーがすんなり受け入れたのか不思議なくらいです」
あの、わたくし、今度、それに出なくてはいけないんですが…
「さっき翠星石の目的が蒼星石の優勝阻止って言われてそうだって答えましたけど、もっと正確に言えば完走を阻止したいんです。完走さえさせなきゃ、優勝しようが一向に構わないんですよ」
「…はあ」
ここは、詳しく聞く事は全力で自重した方が良さそうです。
「ああそれと、25年くらい前に世界樹の最上階に到達したって話しはもう聞きましたね?」
「あ、はい」
「その時のキャラバンのメンバーの一人が蒼星石の祖父なんです」
「え!?」
「そして到達したと政府から町に伝えられたっきり、今でも消息不明なんです」
「…!!」
二の次どころか、呼吸さえ怪しくなってしまいました。
アイビーリープ。世界樹の最上階。蒼星石のお祖父様。消息不明。
そんな単語の応酬が、薄ら寒い気配を漂わせてわたくしの頭を駆け巡ります。
「さて、これ位にしときましょう。どうですか?もっと聞きだいですか?」
「…いいえ」
それが賢明ですね、と翠星石さんはこの会話を打ち切り、ポットに残った紅茶を2つのカップに注ぐのでした。


渡された紅茶を飲み終わった頃には辺りもすっかりと夕焼けに染まり、そのオレンジの光は紅葉さながらに世界樹を染め上げていました。
闇夜は世界樹の危険に拍車をかけます。暗くなる前に二人を呼んで降りようと丸太から腰を上げ時、
「…ん?」
翠星石さんの視線が今いる広場から伸びる一本の脇道へと向けられました。わたくしも遅れてそれを追うと、何かがこちらへやってくるようです。
初めは魔物かと危惧したのですが、どうやらその影は人間のようでした。
「あれは…」
「お知り合いですか?」
「ん、知り合いと言いますか…ほら、きらきらも知っているはずですよ」
「え?」
わたくしが知っている?わたくしの知人でこんな場所まで来れる方となると…
「あ」
その方が広場へ足を踏み入れ、逆光から逃れた姿をはっきりと見るとわたくしにも得心がいきました。以前、翠星石さんから教えていただいた方の特徴そのままだったのです。
艶のあるショートの黒髪。装備は常に軽装。胴着と袴を纏い、腰に大きな狩猟刀。
「…わ」
彼女は開けた視界に視線を漂わせた後、わたくし達と視線が合うと今気付いたような表情と声を上げました。
そして、
「ああやっぱり。また、願いが叶いました」
…と、微笑んで言うのです。
どうやら翠星石の祈りは通じませんでしたかねぇ?と横での呟きを聞きつつ、才能豊らしきわたくしは嫌な予感ばかりを募らせるでした。

そんな彼女は、蒼星石さん率いるラピスラズリリッパーズ最後の一人。
“ブシドー”、柏葉巴。
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