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第九話 「渇いたモノと愛」


僕には過去がない。
意味を成すもの、人に誇るもの、自分というもののルーツ、以上の普通ならば過去に在るはずのものがない。
無色の過去とは“無い”と同義語なのだ。しかしながら、たった一つ覚えている過去がある。
僕は高校時代に巴先生と一緒に居たという事実である。

「いやはや、久々ですね」
「そうね、暫くぶりね」

細かい事は覚えちゃあいない。
感傷だとか、心残りだとか、価値だとか、そんな風に考えた事は無い。
何か得られたとか、何か失っただとか、幸せだとか、そんな風に感じた事もない。
高校時代の事を大半覚えてはいないが、高校時代があった事を忘れては居ない。
柏葉巴先生、彼女はそういうモノだ。

「てっきり私は忘れられたのかなと思ったけどね」
「長く一緒に居たせいですかね、担任の顔は忘れてもあなたは覚えている」

休憩時間は保健室で過ごす高校時代であった。そこで寝て、授業になると起きて出席し、また寝て。
保健室の巴先生と皮肉と挨拶を交わす。結果的に、高校時代で一番接触した人物なのだ。
生活に組み込まれたパターンであり、深く考えた事はなかった。

「私はどういう人物だった? 」
「保健室の主」
「そういう回答だと思った、あなたは具体的にしか言えない」

印象、感想、それらは原点に返ると曖昧なものになる。
曖昧さを感じず、具体的にしか感じない。それが僕であり、無骨という言葉でもある。

「あなたは人形みたい」
「そんな可愛いもんじゃないですよ」

カップを差し出す、アールグレイである。

「全くね、それにあなたは少し変わった」

巴先生はカップに口をつける。

「私はどういう人物かな? 」

さっきと同じ質問が突きつけられる。
いや、確実な違いがある。
先ほどの質問は、過去の僕の気持ちを問われた。
今問われているのは、巴先生が変わったと感じる今の僕の気持ちだ。
ああ、僕は。
僕はこの人に何を感じたのか、感じられたのか。
それは。

「乾いた人です」
「恐らく正しい印象ね、物事からなにも感じない昔の桜田君とは違う。
 そうね、頭が柔らかくなったのね」

この人は僕の事を把握できている。
僕はどういうものなのか。

「私はね、乾いた性格なのよ。けれども、芯には確実な潤いがあるわ。
 私が私であるという確固たるものが、そして“幸せ”が」

一息おいてカップに口を付け、もう一度口を開く。

「私が君に持った印象は“芯まで乾いた子”」

的確すぎる指摘を受けた。この人は人の心を知る術を知っている。

「はぁ、流石です」
「流石だなんて言って、私の事をろくに知らないでしょう」
「全くでございます」
「乾いた性格だからね、人から私の潤った部分は知りにくいわ。自分の話はしないしね」

自己分析もしっかりと出来るようである。
心が潤った者は自分を語ることが出来る。
全くの正反対が僕である。
僕は自分を語れず、巴先生は自分を語らないだけ。

「私の潤った部分を少しだけ教えてあげる」

この人の深い部分にある潤った部分。
非常に気になるものだ。

「あなたから三つの印象が感じられたの。
 芯まで乾いた人だと思いつつも、あなたは昔の私と全く同じだと思った」

ふむ、僕と全く同じだと。昔のとは言っているが潤った部分が無かったという事か。
これで僕に抱いた印象は二つ、もう一つは?
空になったカップをカウンターに置き、紅茶の代金をちょうど出して立ち上がる。
店の入り口のドアへと向かい、僕の方へ振り向く。

「桜田君ね、初恋の人に似ているのよ」

巴先生は確かに、自分を語り、潤った部分を見せた。
ああ、乾いた人というのは間違いだ。
確かに性格は乾いている人なのだが、表現に違和感を感じる。
クールな人、この人はそういうものなのか。
「また会いましょう」、巴先生が店から姿を消す間際に言った。
また会いましょう、巴先生が店から姿を消してから僕は思った。
僅かな時間の邂逅であったが、記憶に残った。
巴先生は昔は僕と全く同じだと言った。
僕が幸せを知って心が潤うと、この人のようになるのだろうか。
ひょっとすると、誰かを好きになる事が幸せなのだろうか。
そんな事を考えた。


「欠陥品ではないのですか、それは」
「いや、元来そういうものなのさ」

バイトが終わり、金糸雀と水銀燈と一緒に帰っていた時である。
居酒屋からふらっと出てくる人影が見えた。
よく見てみると真紅さんであったのだ。
すぐさま僕達は近づくと、「とにかく中に入ってきて欲しいのだわ」との事。
このまま帰っても何もない、横に居る姉妹の方を見ると頷いている。
そして居酒屋に入ると、奥の座敷に見慣れた人がいる。
真紅さんについていき、座敷の前に立つ。
見ると、白崎さんに抱きつく翠星石さんが居た。
一目で状況はわかる、この人酔ってる。
横を見ると、金糸雀ははしたない翠星石を見て憤怒し
水銀燈は呆れ返ったような表情で見つめてる。

「君らバイトが終わったのか、どうだい一緒に? 」

そういう訳でこの座敷に僕は座っているのだ。
真紅さんは先程までは自分が翠星石さんに抱きつかれて困っていたらしい。
今は対象を変えた翠星石さんを金糸雀が引き離し、端っこに寝かせた。
水銀燈は水と間違えて焼酎を飲み、酔ったあげく僕に抱きついてきた。
自分が情けないと思っていた大人と同じ状況に陥るのはいかがなものか。
水銀燈は金糸雀に引き剥がされ、翠星石さんと並べて放置されている。
そして、僕と金糸雀と真紅さんと白崎さんで話をしていたのだ。

「過去に行くには、それだけの覚悟が必要なのさ」
「厳しいものね、気軽に行けるようなものと思っていたわ。ひどいわね」
「子供の頃想像していたものとは大違いかしら」

非難ごうごうの白崎さん。
これだけ言われても仕方が無い。
彼曰く、時間は一瞬で移動できないらしい。
例えば一年前へと行きたい場合、“一年前へ行くのに一年間かかる”との事。
人間は未来へ未来へと成長をし続け、時を経ていく。
そのベクトルを変え、過去へと時間を進ませるのが件のタイムマシンらしい。
一倍速の巻き戻し、白崎さんはそう例えた。

「過去への片道切符という訳ですか」
「ご名答」

数倍速の巻き戻しや早送りは出来ない。
一倍速の巻き戻しをしたら、一倍速で時が進むだけ。
過去へ戻ったらそこからまた普通に時を歩む。

「悲しいものね、過去の出来事を少し変えたいなんて事は出来ないのね」
「残念ながら。過去を変えたいというよりも過去に行きたいという人の為のものなのさ」

溜息をつく真紅さん、彼女に何か切実な願いがあったのか。
残念な知らせに落ち込んでいたのだった。

「過去に移動する間はずっと睡眠し続ける事が出来る。
 起きたら数年後の世界、数年分成長した自分とご対面という訳さ」

人間は老いる。
その事象に例外は許されないのか。
過去への片道切符、どのような願いを持つとそれを欲するのか。
タイムマシンの説明はここで終わり、あとは雑談をするだけであった。
日も変わるかという所でお開きになった。
僕は水銀燈を背負い、皆と店を出た。
食事代は白崎さんの奢りであった。
財布には優しい飲み会であったが、タイムマシンの事が心に引っ掛かり続けた。


「現実は甘くないのね」

ニット帽の形を整えながら真紅さんが呟く。
真紅さんはいつもニット帽を被っているので、髪を見た事が無い。

「真紅は何か変えたい過去があったのかしら? 」
「ええ、些細といえば些細。弱かった自分に渇を入れたかったのよ」

普段から気高く振舞う彼女から想像も出来ない。
彼女が弱かった、案外内面が弱いからそういう性格になったのかもしれない。

「他人と馴染めず孤独だったわ、日々が不幸に思えた。
 今は楽しいのだわ、あなた達とこうやって話すのも楽しい」

そういって僕らに微笑むので、僕と金糸雀は笑みをうかべる。
しかし、幸福の反対は不幸。僕は不幸を感じた事がない、ただただ今まで空白だったのだ。
何故僕はこんなに乾いたのだろう。それを真紅さんに話すとこう返ってきた。

「あなたは幸せというもの心酔しているのね。目先の事も目に入らなくなるぐらいに。
 それほどの幸せを空白期間以前に知っていたのじゃないかしら? 」

大きな幸せ、なんだろう?

「“幸せになってください”、そういうメッセージが小学校時代のタイムカプセルにあったっていったわね。
 卒業時に何か大きな幸せを失ったせいであなたは乾いたと思うのだわ」

成る程、真紅さんは聡明だと感じた。
そうすると辻褄はあう、ロス症候群のようなものだと僕は言える訳だ。
しかし、それほど大きな幸せとは何なのであろう。
そればかりは聞いてもわからないだろう、そう思った。
その後、水銀燈を金糸雀の家へと送り届けて二人と別れた。
ついでなので近所の真紅さんも送り届けた。別れ間際に真紅さんが言った。

「さんじゃなくていいのだわ、真紅と呼んで」

「わかった、真紅」と、言うと自宅の扉を開けて中に入っていった。
心なしか、真紅と呼んだ時嬉しそうに見えた。


真紅に言われた後から過去にあったという幸せについて考えた。
アルバムなどを見ても、毎度のように金糸雀が写ってるだけで何もわからなかった。
最早慣れつつある生活サイクルだが、特に何も思いはしなかった。
稼いだお金を使う事もしないし、真面目に講義を受けているわけでもない。
ただ、空白期間とは違う感じがする。笑うようになった。
作り笑いとかじゃなく、自然に笑みを浮かべるようになった。
何も思わず、ただ笑ってしまう事があった。
これが幸せなのだろうか。
不幸ではない事は確かであるし、嫌とも思わない。
だけども、どこかぽっかりとしたような感覚が取れない。
恐らく、昔は自覚していた幸せに浸ったのだろうけど今はそうじゃない。
よくわからないのだ。

「そんな事どうだっていいじゃなぁい」

テーブルを拭き回っている水銀燈が言う。

「小賢しいわぁ、笑ってりゃあいいものよぉ」
「貴方は聡明でないのに小難しく思考する。故に迷う。はてはて自覚してなかったのでしょうか」

水銀燈と共に珍しく居る白兎にも馬鹿にされる。
自分が馬鹿だとはわかっちゃあいる。何年も考え続けて答えが見つからないのだ。
今の状況は悪くない、それでいいじゃないかと納得すればいい。
だけど出来ない。
「ジュンは馬鹿なのかしらー」と、金糸雀が横で言ってくるので、でこピンしてやるとおとなしくなった。
最近この喫茶店には二人の常連が来る。巴先生と真紅である。
真紅は飲み会の翌日から通うようになったのだ。
横で水銀燈が女たらしだとか言ってからかってくるのも慣れた。
どうもこいつは人をおちょくるのが好きらしい。
金糸雀はそんな水銀燈を見てキーキーうなる。
姉妹で微笑ましいが、時折「やらしいかしら」と僕に呟いてくる。
別に何も思っちゃあいないけどな。ある時、巴先生に幸せについて聞いてみたことがある。

「生きてる、それだけで幸せよ」

あっけからんに返された。そんな風に思えればいいのだけどな。
変な事を願うが、もっと馬鹿に生まれたかったと考える。

「幸せなんて、若い内はそれ自体に溺れて、年老いて思い返すものよ。桜田君、老人みたいね」

笑いながら言ってくるのだから困る。
中々きつい人だとも思うようになった。
真紅にも聞いてみたがわからないと返された。ただ、呟いた一言が凄く印象に残った。

「恋でもしていたら、私はもっと楽しかったのかしら」

ただ、切実に聞こえた。それから真紅はただ紅茶を静かに飲み続けた。
恋、か。考えた事もなかった。誰かを愛するというのも思ったことがない。
ちょっと他の人に聞くのは恥ずかしかったので、白兎とたまたま会った時に意見を伺った。

「兎は寂しがりやなのです、ただ愛を欲します」

それ以後何も喋らず、兎らしくなかった。
愛についても、考え込むようになってしまった。
誰かを好きになるってどんな気持ちなんだろう?
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