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そしてそれから、四人はベトナムのホーチミン市内から離れた郊外のとあるボロ屋に住んでいた。

一見すればそれはリゾート地の雰囲気を生かしたペンションに見えなくもない。だがそれは皆で必死に改装した故の結果であり、客商売をするにあたっての最低限の配慮であり、住み心地としてはさほどの向上はみられなかった。

まず騒音。
閑静な住宅地などこの国にあるのか知らないが、とにかくうるさい。防音設備など無に等しく、隙間など無い壁を探す方が難しく、ならせめて窓を閉めようと思ったら窓ガラスが無かった。
何がうるさいのかと言えばカブである。もちろん昆虫の類ではなく、バイクの類のカブである。
カブ社会、とはよく言ったもので、日本が車ならばこの国の足はカブだ。そもそも日本と比べる事が間違っている気もするが、例えて言うなら新宿の人ごみが全てカブになったと想像すればいい。
冗談でもなんでもない。
ノーヘルは当たり前。信号など無意味に等しく、果ては二人乗りのカブに四五人乗っているなどざらで、そんな暴走族のような集団が大して広くもない道を我先にと爆走するのである。
爆走である。追い抜き、逆走、交差点での真っ向勝負。そう言う意味では、新宿の人ごみの方がまだ均整がとれていた。
日本の交通ルールと言うものがいかに尊きものであったのか。笹塚はひしと感じるのであった。

次に気候。
暑い。かと思ったら急に寒くなったということもなくひたすら暑い。
雨が降る。午前中に晴れていたからと出かけたら川が氾濫しかけ田んぼと道の区別がつかなくなり溺れかけた。あれでよく車やカブが事故らないなと思っていたら路肩にバスがひっくり返ったままほっとかれていた。乗客の無事を祈らざるを得ない。
当然ボロ屋に雨宿りの仕事は荷が重く、当たり前のように雨漏りしたので屋根を補強しなければならなかった。
屋根に登り適当に板をくっつけ、これでよし、と戻ろうとして踏み出した屋根が抜けて落っこちた。幸い下に誰もおらず、手作りのベッドで横になっていためぐが不思議そうな目でこちらと天井を見ていただけだった。笹塚は日本の建築技術を誇りに思った。

しかしそんな家でも住めば都、とまでいかずとも仮宿としての機能は果たすようにはなってくれた。言い方を変えると、住人が妥協するようになった。
由奈も初めはあれがないこれがないと慌てふためいたものだが、一度腹をくくってしまうと驚くほど早く順応してしまった。こういう時女は強い。水の流れないトイレットペーパーもない便所から澄まし顔で出てきた彼女を見て、笹塚は一つ大人になった気がした。

だが、そんな笹塚でも疑問が沸く。沸いて嬉しいのはお湯くらいなので、何度目か知れないが言葉にしてみた。
「何でなんでしょうね?」
それに答えたのは、世話しなく笹塚の周りを動き回る由奈ではなく、少し離れた場所から面白そうにこちらを眺めるベジータだった。
「それがベストだからだ」
なる程、実に簡潔である。前にもそう言われた。
だが笹塚は知っている。世の中、ベストが望めず妥協するしかないこともあると。
ちらりと横目で見ればほら、ヤマモトが以前の純白のマントから、ネズミ色のささくれた布で我慢しているではないか。あの上質なマントをめぐの寝具の材料として提供したヤマモトに笹塚は男を見た。彼は本当のヒーローなのだ。
ならば自分とて、手間とお金のかかるこの行動を良しとせず、妥協案を提示する義務がある。何でも屋、『n-Field』の財布係として。
「ですが、変装するならばもっと簡単な…」
そうベジータの方を向いて進言しようとした笹塚の顔に由奈の手が迫まる。がっちりと掴まれ、由奈の正面にくるようにぐきりと首を回された。痛い。
「次はマスカラ付けますから、動かないでくださいね?」
「ハイ」
ベジータのでっかい笑い声が聞こえた。
兄貴を殴りたいと思ったのは、これが初めてかもしれない。



怪盗乙女、ローゼンメイデン番外編

【けっぱれ!nのフィ~ルド】

エピソード00『そしてそれから』



ひと月ほどさかのぼって、場所は択捉。
ローゼンメイデンとの対決に敗れた後に結成したnのフィールド。生まれも育ちも職種も思想も違う五人がなんの因果か。ともすれ、悪い気はしないなと考えいた笹塚だったが、
「…あれ?えと、どうするんですか?これから」
その日三度目のそのセリフは一番切羽詰まった声に乗って吐き出された。
「どうって、何が」
腫れた頬をさすりながらベジータが返す。
「いや、だって、五人で仕事するのは良いんですが、どうやってこの島から出るんですか?」
今すぐ、では無いだろうがいずれは報告の無いことを訝しんだマフィアが乗り込んでくるはずである。ベジータの言った通りの大失態に組逃亡のオマケが付けば、幹部であろうが文字通りに首が飛ぶ。
しかしベジータは『そんなことか』と溜め息をつく始末。確かにこの事態を想定していたらしいベジータであるから何かしら手は打っているのかもしれないが、今現在まともに戦えるのが自分とヤマモトだけというのが不安を煽る。
「心配しなくとも連絡は行ってる。もうすぐ迎えがくるさ」
「迎えって…いつの間にそんな連絡を?」
「いや、正確には『連絡が無い』という連絡なんだが…そら、噂をすればだ」
ベジータが示すその先を他の四人も追う。するとまだ遠くではあるが、確かにこちらに舵を向けてやってくる小型快速船が見えた。
「どうしてもって聞かなくてな…」
なにやら恥ずかしい事を釈明するかのようなベジータにしては珍しい口調に驚きながらも、とりあえず笹塚は荷物を片付けて出発出来る準備を整えた。
入江が無いためビニールボートを使い、それなりに時間をかけてめぐをヤマモトが、由奈を笹塚が担ぎながら乗船する。すると一人の女性がやってきて、暖かい飲み物とタオルを渡してくれた。
緑がかった髪をアフロヘアーにするという奇抜なヘアスタイルに一瞬気圧されそうになるも、はいと優しい声で渡されれば受け取らねばなるまい。
そして、船の備品で由奈に手当てし直し、暖かい飲み物にほっとしていた笹塚と由奈は凄いモノを見た。
ベジータとあの女性が抱き合っていた。
しかも、キスまでしていた。
渡されたコップを落とさなかったのはその時運良く膝の上に置いていたからでしかない。時が止まったかのように長々と続けられたそれが終わり、女性が操舵室に、ベジータがこちらに戻ってからも笹塚と由奈は思考と体を仲良く停止させていた。
その様子に気付いたベジータは、決まりが悪そうに二人に向かい、
「…妻だ」
船が走り出す。今度はコップが倒れた。


そしてそれから、一向はまず日本の本土へ向かった。
出来れば直ぐにでも高飛びをしたかったが、怪我人だらけではそうも言ってられない。ベジータも由奈も簡単な傷ではないが、特にめぐが問題だった。
もはや、治すとかの問題ですらなく、非合法に弄りまわされた上無茶がたたっての現状は投薬治療だけではいかんともしがたい。
でもまさか入院させるわけにもいかないし…と頭を悩ませていた笹塚だったが、何故か一時待機の安ホテルにイタリア人医師がおり、何故かベジータとめぐがその医者と車でどこかへ行き、何故か3日ほどして随分と顔色の良くなっためぐが帰ってきた。
「…お帰りなさい」
「んー。ただいま」
意識もはっきりしている。うん、元気な事は良いことだ。実に良いことだ。誠に良いことだ―
「いやいやいや。説明を希望します」
「面倒だから断る。それより、準備は済ませたろうな?」
もちろん終わっている。着替えから日用品から食料をカバンに詰め、いつでも出立は出来る、が。
「おおそうだ。コイツも荷物に加えてくれ」
おもむろに渡されたのは普通のアタッシュケース。モノによっては整理し直すかと開けてみた。
札束の山だった。
「…は?お金?」
「うむ、金だ」
しかもただの金ではなかった。円はもちろん、ドル、マルク、フランに始まり、見たこともない紙幣がぎっちり詰まっている。由奈やヤマモトもやってきて感想を述べている内に、笹塚は黙ってゆっくりケースを閉めた。
「何事も、先立つモノは必要だろう?はっはっは」
言いたい事は非常に多く、思うところもありすぎるくらいではあったが、
「かなわないなぁ…」
そう、呟くだけにしておいた。 

高飛びの日、偽造パスポートを渡され怪しまれない程度の身なりに着替えてから向かった空港に出迎えが来ていた。
快速船に乗っていた女性と、傍らで佇む利発そうな青年。
ベジータは妻と抱擁を交わし、青年の頭をグシャグシャと撫でてから、
「じゃ、いってくる」
「ええ、あなた」
笹塚にはまるで、それが単身赴任する夫の出迎えのように映った。そうであればいいのにとも思った。その二人の目が滲んでいたのが、どうしようもなく辛かった。
アナウンスが刻限を告げる。それぞれが荷物を抱えて搭乗口に向かおとした時、
「ササヅカサン!」
「え?」
驚いて振り返った。あの青年だ。だが笹塚が本当に驚いたのは、それがカタコトでも日本語だったこと。
予想外の出来事に反応できない笹塚に、青年は再び日本語で言った。

「トウサンヲ、タノミマス」

青年は素早くその場から離れ、女性と共にその場を去った。
笹塚は動けずにその場に立ち尽くす。視線は青年を追いかけたままで固まり、何か言おうと開けた口が、何時までも閉じることができない。
用心の為にと、日本滞在中はベジータからあの二人との接触を禁じられていた。それは当然だと思うし、仕方ないと考えいたけれど…
「頑張らないと、ですね」
その声にようやく体を動かすと、隣に由奈が居た。きっとベジータが呼びに寄越したのだろう。
頑張る。いつ、何を、どうやって。あの兄貴相手に、一体自分如きが何をすると言うのか。何が出来ると言うのか。
でも、それでも―
「そう…ですね」
「はい」
二人でゲートへ向かう。横目で由奈の笑っている顔を覗きながら笹塚は考える。この笑顔があれば、自分達が兄貴のそばにいる価値も、あるいは有るのかもしれない。


そしてそれから、ベトナムに付いた一向は悪戦苦闘の日々を送る事になる。
そもそも何故ベトナムなのかと言えば、ベジータいわく『色々と都合がいい』とのことだっだのに、さんざんに都合が悪かった。
いや、確かに都合が良い事もある。人口が多く、情報統制が取れておらず、社会主義共和国という体勢は隠れ蓑にはなるほど適切かもしれない。
が、生活面では酷いものだ。第一、あれだけ金があるのだから物価の安いこの国ならば一等地にだって住めたろうに。なんだってこんなボロ屋なのか。
「安全が最優先だ」
そうベジータは言った。なるべく目立たず、かつ痕跡を残さないのは逃げる者としては大前提。その点、書類も手続きも一切ナシで金だけで手には入るようなこのボロ屋は笹塚にしたってもってこいに見えはする。

ここで白状してしまうと、実はベジータはマフィアに追われる可能性は低いと確信している節があった。
基本的に逃亡者に対してマフィアが追う理由は、機密保持か報復だ。
確かに一幹部であるとはいえ、叩き上げで前線をひた走る自分など所詮雇われ幹部に過ぎない。バラして金になる情報も無くはないが、そのリスクを計算出来ぬはずもない。
顔に泥を塗ったと言ったって、そもそも自分は他の幹部連中とそりが合わなかったし、奴らにしたって部下にしたって、ポストが決まればすぐにでも立ち去っていただきたかったハズだ。
そこに、東ティモールの一件である。突然上からローゼンメイデンとの敵対指令。ベジータが上から期待されていた事など、彼女達との関係維持くらいしかなかったというのに。
それでも東ティモールではしっかり仕事をした。だからあの結末に嘘はない。それで義理を返すつもりだった。
だがそこから先は、ある意味、筋書き通りと言えなくもなかった。悪くない話だと思う。これでも、大頭には感謝している。
だからマフィアが血相変えて追ってくるとは思ってないが、仮にばったり出くわした時に不満や鬱憤のはけ口にされないとも限らない。
また、これまで生きてきて怨み妬みも商売が出来るくらいに買ってきた。そんな奴らが噂を聞きつけてそこらをうろちょろしているかもしれない。
逃亡資金を持っている事も知れているだろうし、しかも今の自分はコブ付きだ。それも四つ。一つとして、失う訳にはいかない。
ならば…とベジータは頭をひねって考た。今回の徹底した安全策の裏にはこういった事情があったのだ。

しかし、親の心子知らずとはよく言ったもので。
(待てよ)と笹塚は考える。
ベジータの兄貴は一流のガンマンで、一流の戦士だ。間違いない。だが、果たして付き人になったその日から掃除洗濯から食事家事の一切を任されたのは一体誰であったか。
気になったので意を決して聞いてみた。
――兄貴、この家、電気もガスも水道も通って無いんですが、どうしますか?
ベジータは『そんなことか』と溜め息を付いた。その仕草に笹塚は安堵した。やはり、兄貴は凄い。どんな事も視野に入れて、その解決策をひねり出す。自分が心配する事などなにもないのだ。
ベジータが少し笑う。笹塚も笑った。
――何とかしろ。お前の仕事だ。


その夜、笹塚を中心に由奈、ヤマモト、めぐの四人で旅行用ランプの灯りを囲んでの緊急会議が開かれた。ベジータには野犬その他の危険がないか調べてくださいと言って家からひねり出した。
まず、早急な危険は無い。幸い金はあるし、外貨は財政の貧しい国では有り難がられるから両替も上手くいく。
だが逆に言えばあの金しか無い。もし万一紛失するような事になればまともに言葉の通じない国で一文無し。経歴からして、大使館に飛び込んだところでそのままお縄をくくられてしまう。
まためぐの事もある。今はそれなりの体調であるが、根本的に爆弾持ちだ。体調が急変する可能性がある、というより、間違いなく悪化する。その程度によっては、金で医者を買う必要も出てくる。その時の費用は、法外の一言に尽きるだろう。
――別に恨まないわよ。
その話題の際にめぐがそんな事を言った。三人はそれを意識的に無視した。
「やっぱり、節約するしかないですね…」
由奈が言う。笹塚も頷く。
「電気は諦めるとしても、ガスは買うしかありません。ただ…」
笹塚が一番気にしているのは、頼るものが兄貴の金しかないこの状況だった。何しろ現在の収入は0。万一の事ばかり考えても仕方ないが、これではただの穀潰しではないか。
自分達はベジータに保護されるだけの身ではならない。仲間として、そしてひいては家族として、nのフィールドのメンバーでなくてはならないのだ。
ただ、仕事とると言っても簡単ではない。この面子ならば荒っぽい事はお手の物だろうし、それならば需要もあればリターンもでかい。
(でも兄貴は、きっとそれをよしとしない)
そういった仕事は横に広い。ひょんな事から足がついては元も子もない。
ならば何でもしますと言って店を出したところで、果たして依頼は来るのだろうか。まさかサイトを立ち上げるわけにもいかず、大々的な宣伝も避けたいのに。
「こちらから出向くしかあるまい」
皆が黙考する沈黙を破ったのはヤマモトだった。
皆の視線を受けながら、厳かに言った。
「それが、正義の道理というものだ」


いかなる神の加護か悪魔の計らいか、なんとこれが見事に当たった。
作戦は単純である。まず、手当たり次第に声をかけ、格安でいいから手伝いをしたいと書いてある紙を見せる。辞書片手の筆談は苦労すると予想されたが、大抵はボディランゲッジのニュアンスで通ってしまった。
そして仕事を終えた後、何かあったらn-Fieldをお尋ね下さいとの紙を見せれば終了だ。
この作戦のコツとして、初めにnのフィールドの名前を出さない事である。小銭稼ぎを装い、仕事が取れて上手くいった時に初めて名前を出すのだ。
初めはベジータと笹塚とヤマモトの三人で回った。前の二人はなかなか苦戦しているようだったが、何故かヤマモトが現地の人(特に女性)にウケ、二人の合計の何倍もの稼ぎを持って帰った時は流石のベジータも苦笑いしていた。
一度回れば後は勢いだ。低所得者に溢れてるとは言え、仕事は体を使うものが殆どであり、格安の手伝いは一部の地域で好評を博した。

例えば、ミリタリーマニア時代に培った技術を生かした笹塚の機械修理。
例えば、その投球技術と強腕を生かしためぐの野菜収穫や障害物撤去。
例えば、現地の人から畜生の導き手かと噂される程の、正確無比、効果覿面、手段不明の由奈の害獣駆除。

ヤマモトはその外見と性根からベビーシッターまでやったようだが、時たま夜になっても帰らない事があった。そして翌朝一晩の報酬としては多分な金を笹塚に渡し、いそいそと床につくのである。
その奇行に笹塚と由奈は首を傾げていたが、ベジータは笑いながら二人の背中をひっぱたくのだった。
案外、稼ぎとしてはベジータが一番少なかったのかもしれない。たが別に本人は気にしている様子は無かったし、その真実を知る笹塚は帳簿を付けながら微笑むだけだった。


そんなある日、ベジータと笹塚が二人で話す機会があった。ボロ屋のベランダに二人で腰掛け、笹塚はふと思った事、即ち、択捉ではあれだけの猛威をふるった皆の能力がこうして人の役に立つのは良い事だと思うといった内容の話しをした。
――救われる話だな。
ベジータはそう前置きしてから、
「笹塚。俺は、武器と呼ばれるモノはすべて使いようによっては“そうなる”と思ってる。刃物しかり、爆弾しかり、銃しかりだ」
笹塚は迷った。だが、やはり、聞いてみる事にした。
「兄貴の言う事はもっともだと思います。ただ、その…例えば核や、対人地雷。あとはサリンやVXガスなどの国の所持すら禁止している武器などでも…そうでしょうか」
言ってから後悔した。なんという屁理屈だ。まるで中坊のヤジじゃないか。
けれど、屁だろうが糞だろうが理屈は理屈。ある人はこれを程度の問題となじるかもしれない。それは極端な例でしかないと。
しかし、笹塚が今置かれている現状や隣人こそが、その“極端な例”なのではないのか。だとしたら、だとしたら…
「…笹塚」
笹塚は伏せていた顔を上げた。ベジータにはその目がまるで救いを求めるように映っただろう。
「笹塚、俺はな、そういった代物は武器だとは思わん」
「え?」
では何ですかと聞く前にベジータが言う。
「あれは――悪意だ」
そして、続ける。
「武器に限らん。なんだってそうだ。上手く使えば役に立つし、社会や生活の歯車として機能できるポテンシャルがある。だがもし、あえて例外を示すとすれば…」
ベジータが腰からリボルバーを抜いた。その黒光りする体に、太陽の日差しが照りつける。
「悪意だけだ」
撃った。最近耳にしていなかっただけにとんでもない爆音に思えた。
そしてその日から、由奈が洗濯物を干す時に藪に蛇のような影が見えて怖いと話す事はなくなった。


こうして侵入が安定し精神的にも余裕が生まれてくると、身の回りの事に意識が行くようになる。
それらは大体が由奈の提案から始まり、ベジータの承諾を得た後、笹塚やめぐを巻き込みながら事をなし、着々と生活水準を上げることに成功していくのだった。
一例として食事を挙げてみる。
皆始めの頃は笹塚が念の為にと買い込んだ保存食や外食で適当に済ませていたが、保存食は保存してこそなんぼであるし、外食は値段もあるが不慣れな味に苦しむ事が良くある。また夕飯を外で取るのはかなり面倒であった。
「あの!わたし!頑張ります!」
そこで立候補したのが由奈。本人曰わく、腕にはそこそこ自信があるし、手伝いに行った先で見かけた市にも興味があるし、何より自分も役に立ちたいと強く懇願した。
その時ベジータはリーダーで、ヤマモトは稼ぎ頭、笹塚は財布を受け持つという役割が出来ていた。めぐは体の事を考えれば、由奈自身どこか焦りのようなものがあったのかもしれない。
「良いじゃないですか!任せましょうよ!ね!?」
もちろん、こう言ったのは笹塚である。そんな彼女の余りの必死さに胸を打たれたのか、あるいはそれ以外の理由でか。それはそれは由奈に負けないくらいの大声だった。
別に、そこまで言わずとも良かっただろうに。
何しろ他に代役が居ないのだから、消去法でも料理番は由奈に回ったはずだ。当事者の由奈は良しとしても、笹塚は見事に墓穴を掘った。
その穴がいかに深いか。それはその時に見せたベジータのほくそ笑む顔が物語る。

とある日の夕食に、肉料理が出た。
もちろんこれは由奈の手料理であるが、普段の材料は市で買ったものかもらったもので作るが保存が出来ないために肉はそうそうテーブルに並ぶ事はない。あるとすれば調理済みを買うか、鳥を生きたまま買ってさばいて調理するぐらいか。
「ではいただきましょう」
と由奈が号令をかけて食事が始まる。
「いただきます!」と笹塚。
「いただきまーす」とめぐ。
「うむ」とヤマモト。
「おう」とベジータ。
そこで一同は発見するのである。普段夕食には殆ど出る事のない肉。しかも鳥ではない。いや、むしろ、これは…肉、なのか?
由奈が夕食を作り出してからは食生活はかなり良くなったと言える。慣れない材料と調味料に戸惑う事はあれど、慣れてしまえば後はいくらでも応用が効く。覚えたレシピを皆の口に合うよう手を加えるのは由奈の楽しみの一つになっていた。
が、
「………」
とりあえず、由奈以外の四人は別の料理に手を付けた。愚かなことを。そんな安いあがきなど大した意味を持つわけもないのに。時が過ぎれば由奈はきっと気付く。その料理に自分以外誰も手を付けていない事に。
何がそこまで警戒心を抱かせるかと言えば、その肉料理が原型を留めていないことが挙げられる。もう少し詳しく言えば、ペースト状になっているのだ。
――ユッケ?
まさかである。そんな新鮮で安全な生肉や卵黄が手には入るものか。それによくみれば火が通っているじゃないか。なんだつくねか。心配をして損をした。早く食べてしまおう。
ぬちょ。
笹塚の時が、箸をそれに突き立てたまま止まった。

ここで一つ補足しておく。
実は由奈が料理を初めてから出来た習慣というものがある。そう大袈裟なものではないが、食べ始めから数分後、由奈が笹塚に向けて『どうですか?』と尋ねるのだ。
最初は皆の好む味を知る為に逐一全員にアンケートをとっていた由奈であるが、今は笹塚に聞くだけである。
何故か。
まず候補から真っ先にめぐが消える。理由は明確で、体の負荷の影響なのだろう、めぐは味覚が殆ど感じられなくなっていたのだ。めぐ自身は食に対して栄養補給以上の価値を求めていないために問題ないが、味を尋ねる相手としては最も向かない。
次にヤマモトだが、彼の場合その寡黙さが仇になる。寡黙と言っても聞かれれば答えるが、彼としても疎い料理の事を聞かれても『うむ』くらいしか答えれない。やはり向いていない。
では年長者のベジータはどうか。一番の年長者であるし、礼儀としては真っ先に聞くべき相手である。もちろん由奈もそうした。そこでベジータが言ったのだ。
――そういうことは、笹塚に聞け。

だからベジータ、ヤマモト、めぐの三人は気楽なものだ。ただ待てばいい。その時が来るまで。めぐの場合味がわからないなら食えよと言いたいが、何か感じるところがあるらしい。
笹塚はと言えば、その止まった時の中でよせばいいのにこの肉について結論を出してしまっていた。
簡単だった。由奈が料理を初めてからはそれに専念させたので仕事はあまりさせなかった。ただし、由奈にしか出来ない仕事がある。そして、笹塚がつけた帳簿に、今日、それが刻まれていたのだ。自分が書いたのだ。
由奈にしか出来ない仕事。
それは、害獣駆除。
「あの…」
「!」
そこでようやく笹塚の時が動き出す。箸を突き立てた状態のまま、ゆっくりと声のする方へ視線を向けた。
その時の由奈の表情を笹塚は一生忘れない。
それは、今にも泣き出しそうな雨雲であり、悲しみに暮れる聖母であり、翼の折れた天使であった。
笹塚は自分を呪った。彼女にあんな顔をさせたのは他でもない、この自分だ。何のことはない、食べればそれで終わるのに。食べて一言言えば、空には太陽が、聖母には愛が、天使には羽が与えられるというのに。
男には、避けれない戦いというものがある。
男になれ。誰かにそう言われた気がした。
「ッ…!」
逝った。がっつり食った。目一杯ほうばった。
「…わ!これ美味しいですね!」
後にベジータは語る。あれが、あれこそが愛だと。
笹塚は笑った。それは引きつった笑みだったかもしれない。でもそれを見た由奈も笑顔が咲いた。笹塚にはもう、思い残す事は何もなかった。
味については、ちょっと不思議な感じはあれどうまかった。もっとも由奈が食卓に上げた以上、マズくないのはわかっていたが。
笹塚は食った。どうして由奈と談笑するたびに自分の皿のあの肉料理が増えているのか、どうして箸を付けていないはずの三人の皿からあの肉料理が減っていくのかなど、今の笹塚には大した問題ではなかった。
笹塚は幸せだった。まるで憑き物が落ちたかのような晴れ晴れしささえ感じさせる。きっと今の自分ならば空も飛べるに違いない。だから、気になった事を素直に聞いてみた。
「そういえばこの料理、どうやって作るんですか?」
由奈は答えた。それは前に『お塩を入れすぎちゃって…』と笑いながらも申し訳なさそうな、あんな顔をされたら全て許せてしまうような顔で、たった一言。

――ごめんなさい。

後にめぐは語る。あの時に笹塚の頭から抜け出たモノが魂と言うんじゃないかと。私も死んだらあれになるのかしらね?だったら飛べるわ。やったー。
墓穴で昇天。まったくもって、手間要らずである。


そしてそれから。
問題や障害は多々あれど、そのたびに五人は知恵を出し合い体を使い、この異国の地でしっかりと生きて抜いていた。
別に大した娯楽があるわけでもない。
けれど、楽しかった。生きていることが楽しかった。
大変な毎日ではあるけれど、みんな笑っている。ベジータも、マフィアに居た頃に比べて良く笑うようになった。
笹塚にはそれが嬉しくてたまらなかった。無理だとわかっていても、兄貴の家族に伝えてあげたかった。
また、そうやって思いを巡らせていると、思い出されるのは自分の家族の顔。そう言えばジュンは姉と連絡を取ったような事を言っていた。でも自分はあれから肉親への連絡など一切していない。

ジュンのクラスメートの笹塚はあの船の中で死んだんだよ―

カッコつけてそんな事も言った記憶がある。今にして思えばバカバカしい。だって、笹塚は今こうしてここで生きているのに。
今は無理だし、当分は無理だろうが…そう、例えば、自分で偽造国籍を作れるまでになり、偽りの名前で日本に帰れる時があったら。
その時は、父さんと母さんに会おう。
そんな密やか決意を胸に抱いて、笹塚は貰った果物を抱え、ボロ屋の看板を見上げてから、ただいまの声と共にドアを開けた。

n-Field
nのフィールド

そのフィールドは広く、されど一つ一つは強い絆で結ばれて。
そんなボロ屋に、今日もまた、頼み事を抱えた人がやって来る。

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