いつの話かは良く分かっていないが、恐らくそう昔の事でもないだろう。かつて、アリス紛争という名の戦があった。
これは、そのアリス紛争が終わり、戦地から引き揚げてきた女兵士たちの話・・・

 

・・・・・・・・プロローグ・・・・・・・・・・
アシが生い茂る、ぬかるんだ戦場。曇り空の下、アシの香りと硝煙のそれとが混ざり合う。つい数十分前まで、近接戦闘があったらしき場所。消息を絶った味方を探す“好戦派”の一小隊が、息を殺して前進する。小隊は全員、ライフル銃に着剣。こんなアシ原ではまともに照準など出来ない。硝煙の匂いが濃くなってきた・・・不意に、水鳥が一斉に飛び立つ音がする。こんな事でも、つい発砲してしまいそうに気が張る。いつまでも足を止めてはいられない。・・・と、前方を警戒していた兵がふと歩みを止める。アシ原があちこち踏み荒らされ、折れ曲がり、血が付いており、“好戦派”と“非戦派”の軍服を着た二人の兵士が、折り重なって死んでいる。間違いなく、わずか前にここで命のやり取りがあったのだ。さらに進むと、額を撃ち抜かれた死体や頚動脈を切られた血まみれの死体、手榴弾による黒焦げの死体、極めつけは顔をナイフで刻まれた死体が散らばっている。その中の何体かは、もはや敵か味方かも分からない。小隊に与えられた消息不明の味方小隊の捜索・救出任務は完遂不可能となった。とりあえず小隊長が死体から認識票を回収するよう下命する。しかし、味方の認識票はあっても、敵のそれはない。“非戦派”も認識票は携帯しているはず。小隊長がそれを疑問に感じたその時、周囲を警戒していた兵の一人が彼を呼んだ。呼ばれた先にいたのは、どす黒い赤に染まった敵兵の認識票を離さないようにしっかりと着剣されたライフルに巻きつけ、泥の上にへたり込んでいる味方の兵だった。わずかに返り血に染まっていないその兵士の顔は蒼白であったが、その両手は銃を握り締めたままだった。視線は、とっくに空であろう弾倉と銃を握る手を交互に彷徨っている。肩を貸した兵は、血まみれの兵士が女である事に気づいた。よくも女兵士が生き残れたものだ、とその顔に目をやると、意思を喪失したような表情と、かさかさの唇が目に入る。唇はわずかに動いていた。
「・・・・・・・」
「おい、彼女は何と言っているんだ」
「『嫌ぁ・・・こんな私・・・』と繰り返しているようであります」
その女兵士は、その後も転戦を強いられる事となる。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 
~そして紛争終結、引揚げ~
辺鄙な海沿いの街。それでも教会も市場も酒場も、一通りのものは揃っている。
非戦派として戦った、元軍人の真紅は、この街で生まれ育ち、戦場に見送られ、そして還って来た。なんて、時間の流れ方が前線とは違うのだろう・・・引揚げ船から大発(上陸用舟艇)、そして波止場へと降り立った真紅の、率直な感想だった。港の漁船、漁師の動き回る様、活気ある市場、この街を発つ前と何ら変わっていない。否変わったのは自分達だけか・・・急にこの街で自分達引揚げ軍人が異質なもの、ここに存在してはならぬものであるかのように思えてきた。よれよれの軍服。疲れきった顔。士官学校出身の、指揮官だった自分はまだいい。普通の兵卒はもっと疲れきっているだろう・・・。
ふと見ると、波止場の付け根の辺りに人垣とのぼりが立っている。「お帰りなさい」と書いてあるのぼりや家族の名を書いたのぼり、「戦争反対」と書かれたものも混じっているが、概ね帰ってきた家族を歓迎する集団のようである。
家に帰った真紅を、妹達も、近所の人達も、嬉しそうに迎えてくれた。「お帰りなの~」「無事でよかったかしら~」歳の離れた妹達、雛苺と金糸雀は弾けんばかりの喜びをぶつけるように、真紅の胸に飛び込んだ。「留守を本当にありがとう。私も元気な貴方達に会えて安心したのだわ」その夜、真紅の家からは明かりと笑い声が絶える事はなかった。

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帰還して数日、真紅は元の暮らしに慣れつつあった。軍服を脱ぎ、紅いドレスに着替えた真紅を見て、周囲は平和を再認識した程であった。ある晴れた昼下がり、真紅は市場への買い物がてら近くの花園に足を向けた。「やはりここも何も変わっていないのだわ」様々な色彩が真紅に降り注ぐ。少し歩いたところで、真紅は、こちらに背を向けて花壇のそばに座り込んでいる非戦派の軍服姿の女兵士を見つけた。軍服だが、彼女を見落とすわけはない。
真「・・・あなたも無事に帰還したのね」
真紅は彼女を驚かさないよう、静かに後ろにまわって声をかけた。
?「誰かがこちらを見ていると思っていたら、真紅だったのですね」
真紅の旧友、翠星石が弱弱しく真紅に振り返った。他人からの視線と気配を背中で感じる事が出来るのはさすがは元兵士と言ったところか。
翠「真紅も無事で良かったですぅ・・・」
目が赤かった。翠星石のこんな顔は真紅も見たことがなかった。彼女は、真紅の中では、おてんばなところがあるが実は内気なところもある、花の好きな友達である筈だった。
真「・・・この花は?」
翠星石は、座り込んだ目の前に咲く花に視線をもどして答えた。
翠「キンセンカ・・・花言葉は・・・」
そこまで言って、翠星石は涙をこぼした。真紅は、自分も翠星石の側に座り、翠星石の栗色の髪をなでた。
翠「蒼星石が・・・死んじまったですぅ・・・」
真紅は、予想していた事を告げられて、予想以上に衝撃を受けた。いつも翠星石と一緒だった双子の妹。
翠「私達は被服
廠の警備任務に就いていたですが・・・私の班は食事中で、蒼星石の班は重機関銃座で警備に当たっていました・・・そんな運の悪いときに、私の見ている前で銃座に好戦派の砲弾が・・・」
それ以上は言葉にならなかった。真紅は、ただ翠星石の背中をなでてやることしかできなかった。そして、子供の頃翠星石が教えてくれた事を思い出していた。
キンセンカ。その花言葉は、『永遠の別れ』。


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真紅が故郷に引き揚げてきて一か月。しばらく雨が続いている。しかし同じ雨でも、戦場で体温を奪っていく雨と、この町に降る雨は違う。翠星石も、少し元気を取り戻してきた気がする。家に彼女を呼んで、自慢のクッキーを焼こうと真紅が小麦粉を買いに市場へ出た帰り、とある酒場から「金がねぇんならとっとと出て行け」という罵声と共に、誰かが放り出される音がした。真紅がそこに駆け寄ると、雨が染み込んでいく好戦派のボロボロな軍服を着た、これまた女兵士が雨振る道に呆然と座り込んでいた。真紅が傘を出すと、その銀髪と紅い瞳を持つ女兵士は意思があるのかないのか分からない目で真紅を見上げ、また顔を下ろした。「そのままでは病気になってしまうのだわ」傘を女兵士に立てかけてやり、真紅は雛苺と金糸雀の手を借りに家に走り、足をくじいた女兵士を連れて帰った。

取り敢えず彼女の軍服を脱がせ、体を拭き、寝巻きを着せる。女兵士は、その間、うつろな表情でされるがままになっていた。
真「・・・あなたの認識票、見せてもらったわ。あなた、水銀燈っていうのね。ここは私の家。気兼ねは要らないのだわ」
名を呼ばれ、水銀燈は少し顔を上げた。
銀「・・・だったら何なのよぉ・・・」
真「もう平和になったのだから、とりあえずこれからは・・・」  
銀「うるさいわねぇ!どいつもこいつも!軍人を、私をあからさまに軽蔑する奴も、うわべだけの慰めをかける奴も!私は私の意思で、望みで、この何年かを戦ってきたわよぉ!私のために!私を手に入れるために!!本当の私を・・・」
真「・・・それで、あなたはあなたを見つけられたのかしら?」
銀「だったらどうなのよ!あなたに関係あるもんですか・・・」

水銀燈が怒声を上げるのをドアの隙間から眺めていた雛苺と金糸雀は心臓がひっくり返りそうになるほど驚いた。まさか自分達が親切で家に運び込んだ女兵士が姉に対し声を荒げるとは思わなかったのだろう。
雛「・・・こ、恐いのぉ・・・」
金「何が気に入らないのかしら・・・」
雛「これから不安なの・・・」
真紅が戻ってきても、彼女達は落ち着かない様子だった。
おびえる妹達をなだめ、真紅は眠りにつく。水銀燈は、もともと少し酒が入っていたせいもあるのか、あれからすぐに眠り込んだ。
真「・・・翠星石が訪ねて来たら、水銀燈が好戦派だったという事は、伏せておかなければならないのだわ。」

翌朝、真紅が水銀燈を寝かせている部屋に朝食をもっていくと、水銀燈はベッドから体を起こし、先日までの雨に濡れた町並みを見ていた。
真「おはよう。今日はいい天気なのだわ」
銀「・・・あなた、真紅でしょう・・・湖水地方に進出した好戦派に辛酸を舐めさせた・・・非戦派の指揮官の・・・」
自分が好戦派にそこまで名が知れているとは思ってもおらず、真紅は少し面食らった。
銀「・・・昔の事は忘れたのだわ。冷めないうちにお食べなさい」
真「・・・何よぉ。敵に情けを与えてるつもり?ふざけないで」
真「もう紛争は終わったのだわ・・・だから」
銀「笑わせないで!!私の戦いは終わってはいないわ!どうしたの・・・早く私を殺しなさいよぉ・・・何?善人ぶって行き倒れを世話して、それで自己満足を得て、楽しいわけぇ?それが私を馬鹿にしてるって言ってんのよぉ!内戦に勝ったからって、偉そうにして・・・こんな所で、ママゴトでもしろって言うのぉ?くっだらなぁい・・・」
真「・・・やはりあなたは、探していたあなた自身を戦いの中に見つけることは出来なかったのね。その代わり、見たくなかった別のあなたを戦場で見つけてしまった・・・そうでしょう」
銀「!?・・・・・・・・・・・・・・・・」
真「私もそうだもの・・・冷めるから早く食べて体力をつけるのだわ」
部屋から出て行く真紅を、水銀燈は複雑な眼差しで見ていた。


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真紅は近くの衣服屋を訪れた。
真「JUM、久しぶりなのだわ。顔を出すのが遅れて申し訳ないのだわ。繁盛しているみたいね」
JUM「よう真紅。無事で嬉しいよ。まあ、僕は内戦には参加しなかったしね」
真「それにしてもあなたの腕が良いから繁盛しているのだわ」
JUM「おだてても何も出ないぞ。ところで、行き倒れを世話してるそうだな」
真「そうなのだわ。それで、あなたに寝巻きをいくつか作って欲しいのだわ」
JUM「お安い御用だよ。そうそう、薔薇水晶と雪華綺晶にここで働いてもらうようになったんだよ。今ちょっと出てるけどな」
真「良いことだわ。あの娘達は器用だものね。」
JUM「ああ。それじゃ、来週にでも取りに来てくれ。」
真「よろしく頼むのだわ」
 

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あてがわれた部屋のベッドに横になり天井を見上げ、水銀燈は今までのことを思い返していた。
・・・人と交わる事が苦手だった幼少時代。14の時に両親を亡くし、孤児院にも居場所を得られず、16になって陸軍に入隊した。彼女の運動神経は人並み以上で、水銀燈は、射撃・銃剣術・体術・マーシャルアーツを水を染み込ませるように自分のものにし、申し分の無い女兵士となった。陸軍が、水銀燈の唯一の居場所、自分の存在を認識できる場となった。だが、それでも何かが足りない。満たされない。足りないものはなんだろう。戦いだ。殺し合いの中で生き残ってこそ、私は私を得られる、そんな気がする。そう思い込んだ、非日常を渇望する彼女は、ただただ戦いを求めた。本当の自分を追い求めるために。
もうすぐ20になろうかという時に、陸軍が二つに割れた。元々陸軍内部では外交政策等に対する認識を異とする二派 ~好戦派と非戦派~ があり、将校など上層部は憲法解釈などで激論を交わすなどしたり、兵卒らもそれに同調したり、もしくは振り回されたりするなど不協和音が存在した。そんな中、好戦派の一部隊が独断で行動する事件が起こった。この国には、近隣国に不法占拠されている島、作島があり、国際司法裁判所に所有権帰属確認の訴えをしていたのだが、国際司法裁判所には強制管轄権が無く、したがって相手国が裁判の場に出なければ審判そのものが始まらないため、相手国は何らリアクションを起こさず、島に兵力を配置して実効支配をしていた。好戦派の将校が指揮する一部隊は、この作島に対し奇襲上陸を決行、作島を奪還した。国際世論は概ねこの軍事行動に同情的であったが、参謀本部で何ら話し合いもせずに独断で行動した好戦派に対し、非戦派の将校は、統帥権侵犯と国際法に基づいたものとは言い難い軍事行動を非難、非戦派であった当時の有栖陸相は好戦派の将校を処罰、更迭した。これを不服とした好戦派将校は指揮下にあった3個師団をもって工業地帯を占拠した。おまけに自分なりの政治思想を持った学生らが、学生運動の延長のような感覚でそれぞれの思想の組する派に参加してその数を増やし、ここに3年にわたるアリス内戦が勃発したのである。
水銀燈のいた部隊は好戦派の将校の指揮下にあった。求めていた戦いが始まり、彼女の血は騒いだ。しかし、初めての戦闘を経験し、3人の敵兵を殺したが、水銀燈は自分に対する嫌悪感しか得られなかった。嫌悪感は戦闘を経、斃した敵兵を増やすたびに彼女の中で大きくなっていく。大小数え切れない戦闘を経験し、アリス紛争が終わる頃には、水銀燈は自分自身にほとんど押し潰されていた・・・
自分のような理由で戦った兵士は他には居ないだろうと思っていた。しかし、アリス内戦を終結させるきっかけとなった湖水地方での非戦派の勝利に大きく貢献したという大隊司令官の真紅・・・内戦が終結して、水銀燈が行くあても無く流れ着いたこの街で出会った彼女に、自分の心を見透かされた。何故だろう・・・
・・・真紅は、もしかしたら私の求める答えに辿り着いているのかもしれない・・・
真紅の存在が、水銀燈の中で急に大きくなっていった。


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JUMの衣服店から戻った真紅は、キッチンに向かい、ケトルに火をかけた。彼女が大事にしているティータイム。戦場ではこんな時間は取れよう筈もない。真紅は、紅茶の味をちゃんと覚えている自分が嬉しかった。あれから少しづつ元気を取り戻しつつある翠星石が焼いて持ってきてくれたスコーンをもって、水銀燈の部屋へ行く。
真「水銀燈、私の友達がスコーンを焼いてくれたのだわ。食べましょう」
銀「・・あなた、・・・戦場で自分を見つけられなかったって言ったわねぇ・・・」
真「あら、水銀燈、あなたから話しかけてくれるなんて。でも昔のことなのだわ」
銀「・・・どうして昔の事なんて言えるの・・・私はまだ・・・」
真「では水銀燈、あなたはどうして戦場で自分を見つけようとしたの?」
銀「私は・・・自分が嫌いだった・・・それで・・」
真「どうして、嫌いなの?」
銀「・・・お父様に、・・お母様に、他の人に・・愛されていないような気がしたから・・・愛されていたとしてもそれを素直に感じられなくて・・。人の心を知るのが恐くて・・・素直になれなくて・・・」
真「・・・でもそれは、生きている以上誰でも感じる事なのだわ」
銀「・・だったら何・・・他人もそうだから我慢しなさいとでも言いたいのぉ!?そんなことで自己嫌悪に陥ってしまう私は駄目な娘なのぉ!!?やめて・・・やめてよぉ!」
真「そうじゃないのだわ。誰でも、結局は一人。孤独なのだわ。あなたは、私よりも、もしかしたらその事を理解しているのかも知れない。あなたは、今まで良く頑張って生きてきたと思うのだわ」
水銀燈は不覚にも目を潤ませた。
真「それでも、自分だけは、自分だけでも自分を愛したい。他の人が自分を見てくれないのならば・・・だけどそれはとても難しい事なのだわ。自分を愛そうと思うほど、好きになろうと思うほど、愛すべき、好きになるべき自分が一人歩きして、その自分と、現実の自分とのギャップに苦しんで、結局自分を卑下してしまう、嫌いになってしまう。・・・そもそも、理想とする自分、本当の自分というのが一体どんな自分かちゃんと描け出せるのかどうかも分からないにね・・・。辛いものだわ・・・。」
水銀燈も、真紅も涙を浮かべていた。水銀燈は改めて思った。・・・そうだ、結局私は求める自分に何を望んでいたのだろうか。分からない・・・。それでも、ただただ現実の自分は嫌いだった。今も・・・
銀「・・・私は、私を好きになれなかったわぁ、・・だから自分を極限まで追い込める、自分が否応なしに自分の存在を認識せざるを得ない環境に身を投じたのよぉ・・・真紅・・・そうしたら本当の自分を見つけることが出来るんじゃないかって・・」
真「水銀燈・・・」
銀「でも見つけたのは、・・・もっと好きになれない自分だったわぁ・・・残酷で、非情で・・・どうしたらいいのか分からなかった・・・だってそうでしょぉ?求めていた自分がそこに居なかったんだからぁ・・・どうあっても、私は私を好きになれないって認めざるを得なかったから・・・そして戦闘が終わって還ってきても私、どうしたら・・・ねぇ真紅・・・私ずっと自分を好きになれないまま死んでいくなんて・・・助けて・・真紅ぅ・・・」
真「・・・私も、戦場で見つけた自分が好きにはなれなかったわ。でも・・・こう考えて楽になったの。本当の自分は、存在するし、存在しない。時に、環境に応じて、色々な自分が自分の中で入れ替わるのではないかって。・・・戦場では、私を守るために、私の中の自分は、非情で残酷になった・・・ならざるを得なかった・・・そんな自分が、私の存在を守るために、私の中に出てきたんだって・・・そう思うと、私、どんな自分でも自分を受け入れられるようになったのだわ、ありのままの自分をね・・・。どんなに残酷で非情な自分でも、それが私という存在を守るために出てきてくれたのなら、私はそんなな自分すら愛おしく感じられた・・・戦場に限らず、その自分を好きになれるか否かに関わらず、様々な時に応じて現れる自分を、全部どれも本当の自分として、残らず受け入れて愛する、そうすることで・・・」
銀「ぁあ・・・真紅・・・」
真「だから水銀燈・・・どんなにあなたが戦場で見つけたあなた自身を好きになれなくても、私はそんな残酷なあなたを受け入れられる・・・感謝してるわ・・・」
銀「・・・えっ?」
真「どんなに残酷で非常でも、そんなあなたのお陰で、あなたは戦闘を生き残り、私は水銀燈というお友達と出会えて、今こうして話が出来るんですもの・・・。」
水銀燈は、自身の頬を大粒の涙が零れ落ちたのに気付かなかった。
真「水銀燈、確かにあなたの言うとおり、・・・自分の主観を他人に押し付けるなんておかしいわね。自分の苦しみは背負えても、他人の苦しみなんて分かりようがない・・・分かるなんて簡単に答えようものならそれは偽善だわ・・・でも・・・水銀燈、あなたの苦しみは・・・私には・・・・ううっ」
「真紅・・・」
真紅と水銀燈。かつて敵同士だった二人は、今、うららかな午後の太陽の光に包まれて、お互いを愛おしむ様に抱き合い、涙を流している。雛苺と金糸雀は、この様子をまたまたドアの隙間から覗いていた。
金「なんだかいい雰囲気かしら・・・」
雛「今日の水銀燈は恐くないの~」
家から、重苦しさが消えたような気がした二人であった。

・・・・・・・・

その夜。
水銀燈は昼間の真紅との話を思い返してみた。理想などに縛られず、ありのままの自分を受け入れる事。それが、真紅が教えてくれた事。
銀「なんだか心が軽くなったわぁ・・・」
現実の自分は今ここにしかいない。それだけでいい。余計な事は考えない。それさえ忘れなければ、もしかしたら私は自然に変わっていけるかも知れない・・・。もしそうだとしたら、私はどんな風に変わっていくのだろうか?・・・私は、この家で、この街で生きていけるのだろうか?もしそれが許されるのならば・・・
ドアをノックする音がした。
雛苺と金糸雀が水銀燈の部屋を訪れたのである。
水銀燈は真紅の小さな妹達が自分のことを恐がっているのをうすうす知っていたため、内心では彼女達の来訪にかなり戸惑った。
銀「・・・何?」
しまった、ちょっと冷たい言い方だったかも知れない。今の自分の表情もそうだったかも。水銀燈は言ってから少し後悔した。
雛「水銀燈にあげたいものがあるの~」
大きなリボンをつけた子が、先程の水銀燈の内心での後悔など全く気づかない様子で、後ろ手にしていたものを水銀燈に差し出した。戦場でよく飲んでいたヤクルト。小さい頃、お母様がたまに飲ませてくれたヤクルト・・・。
金「ヤクルトには、乳酸菌っていうお腹に良い菌が入ってるかしら。学校で習ったかしら。これ飲んだら水銀燈元気になるかしら~」
おでこの広い子が得意げに話す。知っている。私も軍でそう習った・・・。健康にいいのよねぇ・・・。
雛「・・・水銀燈どうしたの?」
金「・・・気に入らなかったかしら・・・?」
しばらく表情も変えずにいたからか、二人は不安そうな顔で水銀燈の顔を覗き込んだ。
銀「・・・ごめんなさい。こんな時、どんな顔したらいいのか分からないのぉ・・・」
嘘。私は素直になるのが恐いだけ。それだけなのに・・・。
雛「じゃあじゃあ!!笑えば良いと思うの~」
金「さすが我が妹、いいこと言うかしら~」
途端に雛苺と金糸雀の顔が明るくなる。そんな彼女たちを見て、水銀燈は、自分も何となくほっとした。素直な自分ってのも良いかも知れない。ちょっと恥ずかしいかもだけど・・・
銀「ふふっ・・・そぉ?」
あれ・・・私知らないうちに笑ってる・・・なんだか体がむず痒いかも・・・
雛「ああっ!!水銀燈が笑ったの~!」
金「水銀燈笑うと美人かしら~!この笑顔は100万ドン(※ベトナムの貨幣単位。ちなみに100万ドンは約7000円)かしら~!」
雛「それを言うなら100万ドルなの~。」
銀「ありがとぉ・・・」
金「今度は水銀燈泣いてるかしら~」
雛「うゅ~」
水銀燈は、自分にも人にも少し素直になれたことの心地良さと、この家に来れたことに対する感謝を感じていた。
真紅は、部屋の外で、笑みをたたえながらこの様子を聞いていた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


それから一週間。水銀燈の心と体は、真紅の家で少しづつ回復していった。
同じように回復しつつあった翠星石も、たまに真紅の家に水銀燈を見舞いに来るようになった。
銀「あらぁ翠星石、今日はヤクルトないのぉ?」
翠「何言ってるですか水銀燈、一昨日5ガロン(約18リットル)も持ってきたじゃねーですか」
銀「あれは全部飲んじゃったわよぉ」
翠「え゛・・・ マジですか!あんたどんだけ腹丈夫なんですか!」
銀「あらぁ、乙女に対して失礼ねぇ・・・これで私は生き残ってこれたのよぉ」
翠「まったく呆れて物も言えねぇですぅ」
雛「あ、翠星石なの~」
金「翠星石かしら~」
雛「今日もうにゅ~欲しいの~」
金「卵焼きが食べたいかしら~」
翠「あ゛~ もううるさいですね~こやつら三人は」
銀「へぇ、あたしたち賑やかなのねぇ」
雛「水銀燈が元気になってくれたからなの~」
金「最初はどうなる事かと思ったかしら~」
銀「ふふっ、ありがとねぇ」
雛「翠星石、うにゅ~はヤクルト入りがいいの~」
金「卵焼きは乳酸菌入りでお願いするかしら~」
翠「・・・どうなる事かと思うですぅ・・・」
銀「教育の成果よぉ」
翠「・・・洗脳の間違いじゃねぇですか・・・?」
銀「それじゃ私少し寝るわぁ」
一同「お休み(ですぅ、なの~、かしら~)」
何だかんだ言って、翠星石は家から苺大福と卵焼きを用意してきており、雛苺と金糸雀が嬉しそうに好物をがっついていた。
そんな二人のちびっ子を、薔薇が咲き誇る庭に置いたベンチから振り返り微笑ましく眺める真紅と翠星石。
翠「真紅、水銀燈元気になって良かったですね」
真「そうなのだわ。そして私も彼女に救われた感もあるのだわ」
翠「・・・真紅、水銀燈は軍籍だったのですか」
真「・・・知っていたの?」
翠「・・・さっき、『生き残ってこれた』と水銀燈が口にしたです」
真「・・・そう。彼女は好戦派の軍人だったのよ」
翠「・・・」
翠星石は夕暮れの肌寒さを感じていた。

部屋に戻った水銀燈がベッドに入ってまどろんでいると、雛苺と金糸雀がやって来た。
銀「あらぁおチビさんたち、どうしたのぉ?」
「湯たんぽ持ってきた(の~、かしら~)」
銀「ありがとねぇ、何から何まで」
雛「ノットアットオールなの~。翠星石が用意してくれて、持っていくようにと渡してくれたの~」
銀「翠星石はぁ?」
金「お庭で真紅と話してるかしら~」
水銀燈は、まだ翠星石のことをよく知らなかった。
銀「ねぇ、翠星石って真紅のお友達なのよねぇ?」
金「そうかしら。二人ともこの街で生まれ育ったかしら~」
雛「翠星石、元気になってよかったの~」
銀「なにかあったのぉ?翠星石・・・」
金「翠星石は内戦で蒼星石という双子の妹を亡くしたかしら・・・」
銀「・・・」
雛「でもあの元気と真紅のおかげで乗り越えようとしてるの・・・」
銀「・・・翠星石も真紅と一緒に戦ったのぉ?」
金「一緒ではないけど、同じ非戦派だったかしら・・・」
銀「そんな・・・・・・」
・・・雛苺と金糸雀が出て行った部屋で一人。
水銀燈は、ただただいたたまれなかった。気が付いたら、彼女の手は、背嚢に身の回りのものを詰め込んでいた。
 
夜の気配が迫る。
翠「じゃあ真紅、そろそろ帰るです。水銀燈にもよろしくですぅ」
真「そうね、もうこんな時間。今度は私が遊びに行くのだわ」
そこへ、屋内から雛苺と金糸雀が走り出て来た。
翠「・・・?どうしたですか?二人とも」
雛「水銀燈がいないの・・・・」
金「『お世話になりました』って書置きがあったかしら・・・」
雛苺も金糸雀も目に涙を浮かべていた。
真「落ち着いて・・・あなたたち、水銀燈と何かあったの?」
雛「何もないの、湯たんぽ持っていったときにお話しただけなの・・・」
真「何を話したの?」
雛「・・・蒼星石が戦いで亡くなった事なの・・・」
金「・・・勝手にしゃべってごめんなさいかしら・・・」
翠「そんなことはいいですぅ、いずれ・・・」
真「水銀燈は・・・まだ体力的にもそう遠くへは行っていないはずなのだわ。」
翠「もし、この街から出るとしたら・・・港に向かっているはずです!」
元兵士の二人は素早く身を翻した。
 
その頃。
くじいた足を少し引きずりながら、水銀燈は背嚢を背負い、港への暗い坂道を降りていく。
銀「・・・本当に、私ってどこにいても・・・居場所を与えてもらったと思ったけど・・・流石に知ってしまった以上、あそこには居られないわねぇ・・・」
真「待つのだわ、水銀燈!」
銀「!真紅・・・!!翠星石!?」
私を追ってきたの・・・?まさか・・・
翠「・・・もしかして、私に遠慮して真紅の家を出たですか?」
銀「・・・」
翠「・・・私は、蒼星石の事で好戦派の人を責めたいとは思ってはいないです・・・」
銀「・・・翠星石・・」
翠「・・蒼星石は自分の意思で陸軍の非戦派に志願し、戦いにのぞんだです・・・恐らく・・・気弱でない自分を追い求める、自分探しのために。私は、妹を止めることができなかったです・・だから一緒に内戦に参加しました・・・ず~と一緒だよって約束しても、私は、妹の心に気づく事も、守ってやる事も出来なかったです・・・戦いだけが、自分を追い求める事が出来る手段ではないのではないのか、自分を探すのは戦場でなくても良いのではないか、と蒼星石とちゃんと話をする事すら出来ませんでした・・・他ならぬ私がすべきことだったのに・・・」
銀「・・翠星石ぃ・・」
真「翠星石、あなた・・・」
翠「・・・もう、あの戦いの事で、終わったことで、誰も不幸せになってほしくないんですぅ、『自分探し』という名のゲームなんて知ったこっちゃねぇんですぅ!・・水銀燈とは、もっともっと一緒に過ごして、楽しい事を話したりしていたいんですぅ・・・戦場ではなく、この街で、私達と過ごす水銀燈とお友達になりたいんですぅ・・」
真「・・水銀燈、私からもお願いするわ。私もあなたと一緒に同じ時を過ごしていたいの。あなたはかつて戦場に自分を求めた。これからは、この街であなたを見つけて欲しいの・・・その選択をするのが、生きるということでもあるのだから・・・あなたが来てくれて、私も本当に救われたし、嬉しかった、楽しかったのだわ・・・」
両親以外に誰もかまってくれない孤独な幼少時代を送った水銀燈は、こんな言葉をかけてもらった事はなかった。
銀「・・・もう、そんなこと言って、私はぁ、、、私はぁ・・・・」
涙が溢れてくる。
雛苺と金糸雀が水銀燈に駆け寄る。
雛「水銀燈、行っちゃだめなの~」
金「寂しくなるかしら~」
銀「・・・もう、、あなたたちってみんな、、おばかさぁん・・・うぅっ」
「「「「水銀燈!」」」」
夜に、灯りが燈る。

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最終更新:2009年03月06日 23:57