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  江戸時代っぽいけれど、どこか違う。
  そんな世界で……












正面に大きな門を構えた奉行所……今で言う裁判所のようなものを中心に広がる大通り。

最初はちゃんとした名称で呼ばれていた通りも、いつしか通称でしか人の記憶には残っていなかった。

『牢の前に行く奉行所』を中心とした、この場所。
通称・牢前(ろうぜん)通り。



その牢前通りの中ほど。
人々で賑わう茶屋の店先にまで広げられた座敷で。

「いやー、ここのお団子はいつ食べても最高ですぅ!」
緑色の着物姿の女性が、団子を片手に幸せそうな表情を浮べていた。

串に残った最後の一個を、何とも嬉しそうな表情でほおばり……
「!?……けほっ……お……お茶……」
団子を喉に詰まらせ、目を白黒させてむせながら、湯飲みへと手を伸ばす。
ところが、それは如何なる運命の悪戯か。
湯飲みの中はすでに空っぽで……彼女は手をジタバタさせながら、茶屋の看板娘へと助けを求めた。

「の…のり……お茶を……お茶をくれですぅ……!」
「はーい。ちょっと待っててねー」
健気に働く看板娘・のりは笑顔で答えながら、のんびりと奥の厨房へと向かう。


いきなり絶体絶命の危機。


そんな時、彼女に救いの手を差し伸べたのは……のりの弟、無愛想な表情のジュンだった。

ジュンの差し出したお盆の上に置かれた湯飲みをさっと引っ掴むと、緑の着物の女性はお茶を一気に飲み干す。
そして……
やっとこさ人心地ついてから、ジュンの持つお盆の上に一枚の紙切れが置いてあった事に気が付いた。

「ツケを払う前に死んだりなんかされたら、こっちは大損なんだ。
 勝手に死なれても僕は構わないけど、その前に今月の飲食代は払えよな、翠星石」
ジュンは茶屋の店員とは思えぬふてぶてしさで、緑の着物の女性 ――― 翠星石にツケの請求書を突き付ける。

「はて?何の事ですかねぇ?サッパリ意味が分からんですぅ」
翠星石は冷や汗をダラダラ流しながら、請求書から視線を逸らし、すっとぼけてみせるも……
「だったら、意味が分かるように僕が読み上げてやるよ。えっとな……」
ジュンの非情な言葉で、目の前の現実に向き合わざるを得なくなってしまった。

「う…うるさいですぅ!しっかりキッチリ払ってやるですから、こっちに寄越しやがれです!」
ジュンの手から請求書を奪い取ると、翠星石は頬を膨らませながらツケの金額を確認する。
そして……書かれていた額面の予想以上の多さに、再び顔を引き攣らせた。

「……な…なんでお団子とお茶でこんな金額になるんですか……」
「そりゃあ毎日毎日食ってたんだし、当然だな」
「これは不当請求に違いないですぅ!可愛い翠星石がそんなに沢山のお団子を食べられるわけが無いですぅ!」

食べた、食べてない。払え、だが断る。
ツケの金額を巡って不毛な言い争いが翠星石とジュンの間で引き起こされ……
それを止めるのは、やはりいつものように看板娘ののりだった。

「ジュンく~ん。そんなに厳しく請求しなくっても、翠星石ちゃんならちゃんと払ってくれるわよぅ。
 先月だって、しっかりお金持って来てくれたでしょ?」
今更ながら温かいお茶を持ってきたのりは、翠星石にお茶を渡すとジュンにそう言い聞かせる。
 
「でも、コイツは働きもせずに一日中遊びまわってるんだぞ?
 いつツケが払えなくなるか分かったもんじゃ無いだろ」

そう言い、ジュンは翠星石を指差すが……
その頃すでに、そこには誰の人影もなく……翠星石への請求書だけが、ヒラリと風に揺れていた。



「いやぁ、危ない所でした……」
いつの間にか店先から路地裏に逃げ込んでいた翠星石は、ひょっこり首だけを出して茶屋の様子を観察してみる。

のりは相変わらず、何も心配する事は無いといった表情で店の奥に入って行き……
ジュンは苛立たしげな表情で、通りをキョロキョロ見渡している。

「……今日はこのまま、とんずらした方が賢そうですね」
小さくそう呟くと、緑の着物の袖の手をひょっこりと入れ、そのまま路地裏へと進んでいった。


「あのチビは……この翠星石がツケを踏み倒すなんて事する訳無いと、いつになったら覚えるんですかね。
 全く、救いようの無い位に脳みそまでチビチビですぅ」
ぶつくさとジュンの悪口を言いながら、狭い路地裏をひょいひょいと歩く。


拾った木切れでチャンバラごっこをしている子供達。井戸の周りで一休みしている大工。
ボロボロに破れた障子戸から聞こえてくる夫婦喧嘩に痴話喧嘩。
裏路地の光景はいつもと同じように、華は無くとも賑やかなものだった。


と、そんな風景を楽しそうに目を細めながら眺めて歩いていた翠星石だったが……
長屋の一画に、異様な人だかりが出来ているのを発見した。

「……喧嘩か何かですかね?でも、それにしては……」
怪訝に思いながらも、人だかりに近づいたのだが、
「ぅぅ……人がいっぱいで、何も見えんですぅ……」
背の低い彼女では先に集まっていた人達の背中以外には何も見えない。

そうこうしている内に、くだんの長屋から女性の声が聞こえてきた。

「誰か!こっちに来て手伝って頂戴!」

「よし!お前が行け!」「お…俺は嫌だよ!お前が行け!」「いやいや無理だ!」
まるでその声が合図だったかのように、人ごみはざわめき出す。
押し付け合い、譲り合い。
次第にそれは、小突き合いにまで発展した。

小柄な翠星石はというと……
「ひゃ!?やめ!?誰ですか!翠星石の足を踏んだのは!?きゃ!?お…押すなですぅ!」
押し合い圧し合いに巻き込まれ……気が付けば、人ごみの最後尾から最前列まで来てしまった。

つんのめり、倒れかけた翠星石が視線を上げると、長屋の中は間仕切りのフスマで仕切られていて何も見えない。
と、そのフスマの横から、異国のそれと思われる金色の髪をした女性の顔がこっちを見ていた。 


「貴方でいいわ!早くお湯を持って来て頂戴!」
「へ?いや、翠星石は……」
「いいから早く!」
「は…はいですぅ!」
  

金髪の女性に言われるまま、翠星石は台所へ駆け込むと慌ててお湯を沸かしだす。
お湯が沸くまでの隙に横目で窺ってみると、なるほど。
金髪の異人は医者か何かで……間仕切りで隠していたのは、長屋の住人の出産の場面であった。 


「持ってきてやったですよ!」
「それじゃあ足りないのだわ!もっと、桶にいっぱいくらいの量よ!」
「り…了解ですぅ!」
「お湯の次は、何か拭く物をありったけ持って来て頂戴!」
「は……はいですぅ……」 


気が付けば、翠星石はまるで助手か何かのように走り回り……
元気な産声が聞こえてきた頃には、へなへなと地面に倒れこんだままぐったりしてしまっていた。


―※―※―※―※―


喧騒から一転。まるで祭りでも始まりそうな長屋の光景を、井戸端にもたれ掛かりながら眺めていた翠星石。
そんな疲れきった彼女に、先ほどの金髪の医師が声をかけてきた。

「さっきはありがとう。お陰で、元気な赤ちゃんが生まれたわ」

「……いや、初めて赤ん坊なんて見たですよ……。あんまりにもしわくちゃで、猿かと思ったですぅ……」
翠星石は首だけを動かして、元気な泣き声と楽しそうな笑い声が聞こえてくる長屋へと視線を向ける。

「貴方も、生まれてきた時はあんな感じだったのよ?」
「翠星石は生まれてきた時から可愛いに決まってるですぅ!」
咄嗟にそう叫ぶ翠星石と、思わず笑みを浮べてしまう金髪の女医。 

それから女医は、小さく咳払いをしてから……今更ながらも、礼儀正しく自己紹介をしてきた。 

「私はReiner Rubin ……この国では真紅と名乗っているわ。察しはつくでしょうけど、蘭学医よ。 手伝ってくれた御礼に、お茶でも一杯どうかしら?」

翠星石も立ち上がり、真紅へと今更ながらも自己紹介を始める。 

「翠星石ですぅ。仕事は、雪月花を愛し風と共に生きる自由人をしてるですぅ。
 どうしてもと言うなら、お茶くらいなら一緒してやるですよ!」

胸を張りながら、無職である事を告げる翠星石は、むしろどこか清々していた。


―※―※―※―※―


蘭学医・真紅の家は、裏路地を通った先にある小さな一軒家だった。

「蘭学医といえば、数も少ないですし引く手あまたの大先生ですが……ここは随分と普通な所ですぅ」
決して豪華とはいえない、その造り。
翠星石は思わず、浮かんだ疑問をそのまま真紅にぶつけてしまった。

だが、真紅は大して気にも留めず、翠星石に暖かなお茶を出しながら答えた。 


「はっきり言ってしまうと、私ほどの腕が有れば純金の湯飲みでお茶を飲む事も容易いでしょうね。
 でもね。私がそんな生活をしてしまったら……
 お金の無い人。さっきのように、長屋で暮らしている人は、医者も呼べずに苦しまなくてはならないのだわ。
 命の価値に貴賎は無いわ。
 その為に私は、こうしてここで医師として生きているの」
  

「おお!随分と立派な心意気ですぅ!素敵ですぅ!」
翠星石は、丸い目をさらに丸くしながら感心したように声を上げる。

真紅は自分のしてきた事が認められ、少し嬉しいのか……その照れを隠しながら、少し微笑んだ。

「あら?これでも、お茶だけは贅沢をしているのよ?もう一杯どうかしら?」
そう言い、真紅がお茶のおかわりをと立ち上がろうとした瞬間。

「クックック……命に貴賎は無い。実に感動的な言葉です」
押し殺した笑い声を上げる一人の男が、勝手に二人が居る居間まで上がりこんできた。

「他人の家に勝手に入るのは、無礼が過ぎるわよ。白崎……」
真紅は今にも飛び掛りそうな程に鋭い眼差しで、男を睨みつける。

だが、白崎と呼ばれた男はおどけたように頭を下げるだけ。
そして……下げた頭をゆっくりと上げながら、再び笑みを浮べながら口を開いた。

「時に、以前話していた件ですが……考え直して頂けたのでしょうか?」
「しつこいわね。断ると伝えた筈よ」

真紅と白崎の間に、剣呑な空気が流れ始める。
間に座る翠星石は、キョロキョロと二人を交互に見つめるだけ。

「ほぉ……後悔しても遅い、などと陳腐な台詞は言いたくないのですが……
 ああ!そうそう。最近は空気が乾燥しております故、くれぐれもお気をつけ下さい……」
「……それはどういう脅しかしら」
「私はただ、友人と天気の話をしようとしただけですが?」
「貴方と友人になった記憶は無いわね」
 
「これは手厳しい。
 それでは嫌われ者は退散するとしましょう」
白崎は最期にそう言うと、入ってきた時と同じように、気配も無く真紅の家の外へと向かっていった。


未だに棘を持つ視線を玄関へと向ける真紅。
何が何だか分からない翠星石。

やがて……真紅は新しいお茶を淹れなおしながら、翠星石の正面に座り、説明を始めた。



例えば、誰かが無償で医術を人々に提供する。
例えば、その医師が提供する薬が、町で売られている物より質も良く値段も安いとする。

その事が人々に知れ渡れば、粗悪な薬で暴利を貪っていた薬売りは破滅しかねない。
だが、そうなる前に……その医師を仲間に引き込んでしまえば……



真紅は「例えば、の話よ」と念を押していたが……翠星石には、これが事実であるという事が十分に理解できた。

「くぅ~!真紅はお医者さんの鏡ですぅ!あの白崎とかいう奴に爪の垢煎じて飲ませてやったらいいですぅ!」

翠星石は感涙を流しながら(最も、嘘泣きだが)真紅の肩をポンポンと叩く。
真紅は「わ…私の爪に垢なんて無いわよ!?」と言いながら、横目でチラチラ自分の指先を確認していた。


―※―※―※―※―
 

「随分と話し込んでしまったわね。
 夜道は危ないでしょうし……送っていきましょうか?」
すっかり日も沈んだ頃、帰ろうと玄関先まで来た翠星石の背中に、真紅がそう声をかけてきた。

「心配ゴム用ですぅ!こう見えても、翠星石はとっても強いんですよ!?」
元気にそう言うと、翠星石は大きく手を振りながら真紅の家を後にした。

すっかり夜の闇が広がった狭い通りを、翠星石はひょいひょいっと歩く。
と……随分前の事のようにも思えたが……今日の昼に出産の手伝いをした長屋の前まで辿り着いた。

「いやはや、新たな生命の誕生にも手を貸すとは、我ながら何でも出来る自分が怖いですぅ!」
昼の事を多大に脚色した思い出を瞼の裏に描きながら、感慨深げにうんうん頷く。

「まあ、翠星石ほどじゃあ無いにしても、赤ん坊というやつは、まあ、中々に可愛いもんでしたねぇ……。
 こう……柔らかくって……温かくって………そう、こんな感じの温かさでしたねぇ……」
目を閉じたまま、目の前にある温かさに手をかざしながら、一人で思い出に浸る。

「……はて?この温かいのは何ですかね?」
翠星石はふと気が付いて、目を開けて自分の正面にある温かさの正体を探してみた。

いや、探す必要など無かった。

目の前では……そんな思い出深い長屋の壁が、パチパチと燃えているではないか。

「かかか火事ですぅ!急いで火消しを!?……いや、その前に水を!?……ヒシャクは何処ですか!?」
一人で大慌てしながら、ドタバタと近くの井戸まで行き、急いで水を汲んで引き返す。

「火事ですぅ!誰か、さっさと手伝いやがれですぅ!」
翠星石の叫びを聞いて、夜の長屋に人の声が戻り始める。
 

やがて……その場に居た全員が一丸となった消火活動により……火事は大した被害も無く、辛うじて収まった。


「ふぅ~……何とか収まったですぅ……」
灰や泥や水やらですっかりボロボロになってしまった長屋を見ながら、翠星石は鼻の頭に付いたススを拭い去る。

本当に色々な出来事が起こった一日だったけど……もう、これで終いだろう。
そう考え、深いため息と共に再び帰路に付こうとした翠星石の脳裏に……不意に、あの言葉が甦った。


――― 最近は空気が乾燥しております故、くれぐれもお気をつけ下さい……


「まさか……!」
胸中に過ぎる嫌な予感に、翠星石は一日の疲労も忘れて立ち上がる。
「真紅……!」
出合ったばかりの友の名を叫ぶと、先ほどまでとは逆の方向……真紅の家へと駆け出した。

「くっ……!」
どんなに気力が充実していても、馴れぬ事ばかりが起こった一日。
体の疲労は思った以上に大きく、思うように足が進まない。
まるで他人の物のように重く感じる全身に鞭打つように翠星石は走る。

そして彼女が見たのは……無残に焼け落ちた、心優しき蘭学医の住んでいた筈の家だった。


「そんな……真紅!どこですか!?」
翠星石は胸が張り裂けそうな程の声で叫びながら、焼け跡を掘り返す。
だが……そこには真紅の遺体は無く……火事で割れたのではなく『割れてから焼かれた』薬の瓶が転がっていた。
 
「………あの白崎とかいう奴……やってはいけない事をやりやがったですね……!」
小さな声で呟いた翠星石の目には、彼女が自由人を気取っている時には無い力強い輝きが灯り始めていた。


―※―※―※―※―


数刻後。

牢前通りに店を構える薬問屋『兎屋』
翠星石はその大きな正面の門の前に立ち……二度、扉を叩いた。

「もう店じまいだ。とっとと失せな」
と、薬を扱っているとは思えぬ風貌の……どう見てもゴロツキにしか見えない店員が、顔だけを出して答えてくる。
だが、翠星石は慌てた素振りも無く、落ち着き払った声で答えた。

「はて?今日は目出度い事があったからと呼ばれて来たのですが……何かの間違いでしたかね?」

男は翠星石の言葉に、彼女の姿を足元から頭の先までじっくりと見渡す。
やがて……白崎の旦那が芸者でも呼んだんだろう。そう判断すると、ゆっくりと扉を開いた。

門番は下卑た視線を無遠慮に翠星石に向ける。
「へへ……姉ちゃん、旦那との用事が終わったら、俺と酒でも飲みに行かねえか?」

翠星石は作戦の為にと貼り付けた笑顔のまま、門番の男に近づき……その耳元に口を近づけ、そっと囁く。

「イ イ コ ト 教えてやるですぅ……悪は栄えないと相場が決まってるですよ!」
言い切ると同時に、抉るような肘打ちを男のミゾオチへと叩き込んだ。
 

―※―※―※―※―


「何者だ!テメェ!」「ぶっ殺せ!」
『兎屋』に雇われている用心棒が、異変に気づき押し寄せてくる。

だが……

「邪魔ですぅ!!」
翠星石は用心棒が振り下ろしてくる真剣を紙一重で避けながら、すれ違いに首筋に、腹に、頭に、一撃を見舞う。
それはまるで、舞踊でも舞っているかのような動き。誰一人として彼女の足を止める事は出来ない。

やがて、店の奥にまで騒ぎが伝わったのだろう。

白崎は後ろ手に縛り上げた真紅を連れ逃げようとした所で……
逆に翠星石の目の前に登場する結果となってしまった。

「翠星石、貴方……!!
 私の事はいいから、逃げ……!!」
真紅は翠星石の姿に叫ぶも、白崎に頬を打たれ、最期まで言い切ることは出来ない。

そして翠星石は……地面に放り出された真紅と……それから、悪事の元凶・白崎へと視線を巡らせた。

「……人の命に貴賎は無い。そうあるべき医術に携わる人間が弱者を虐げる。許せん事ですよ……。
 闇夜に紛れ、赤ん坊の居る家に火をつけたようですが……
 例えお天道様が見逃したって、この緑薔薇は……しかと見ているですよ!!」

翠星石は緑色の着物の肩をはだけさせ、背中に彫られた緑の薔薇の刺青を悪党どもに見せ付ける! 

勿論、胸元はサラシで隠してある。 


「咲き誇るこの薔薇……散らせるものなら、散らせてみやがれですぅ!!」 


そう言い、翠星石が背中の刺青を叩くと同時に、白崎はあらん限りの声で叫ぶ。
「ええい!忌々しい賊め!でやえー!でやえー!」

白崎の呼びかけに応じ、『兎屋』の奥からさらに大勢の用心棒が駆けつけ、翠星石へと斬りかかる!

だが、翠星石は最初の一撃を難なくかわすと、斬り付けてきた用心棒の顎に掌底を喰らわせる。
その一撃で意識を手放した用心棒の手から刀を取り上げると……峰打ちの構えに持ち直した。

背後から袈裟切りに振り下ろされた一撃を、刀の腹で滑らせていなす。
体重を乗せた突きは、振り払い、返り討ちにする。
前後から、左右から同時に襲ってきた相手は、一歩下がって同士討ちをしてもらう。
こちらの攻撃を受け止めて油断した相手には、すかさず蹴りで現実を思い知らせる。

やがて……今更になって敵う相手ではなかった事に気が付いた白崎は逃げ出そうとするが……
背中に一撃を喰らうと言う不名誉な結果だけが残った。


最後に、翠星石は刀でヒュンと空を切り……そして、動くものは彼女と真紅だけになった。


「す…翠星石……貴方は……」
鬼神が如きの翠星石の強さ。
まだあまり事態を飲み込めていない真紅は震える声で、やっとそれだけ聞くのが精一杯。

だが、翠星石はいそいそと着物を着なおし、出ていた肩と刺青をしまうと……
「…はっ!?マズイですぅ!」
と叫びながら、一人で勝手に逃げ出してしまった。
程なくして町の同心……今で言う警官が駆けつけるまで、真紅はただ一人、呆然としているしかなかった。 



―※―※―※―※―※―※―※―※―



一大乱闘騒ぎから数日が経ち……
真紅と白崎及びその用心棒は、事件の全貌を明らかにする為、奉行所に呼び出されていた。

「……貴方の悪事も、これで全て明らかになるのだわ」
「……クックック……さぁ?どうですかな」

白砂の上にゴザを引いただけの場所に、この事件に関わった全ての人間が……
いや、翠星石を除く全ての人間が、判決を言い渡される為に座っていた。

やがて……

「牢前奉行、柴崎之守翠(しばざきのかみ みどり)様の、お成ぁりぃー」

その声と共に、奉行所の奥から、目も覚めるような美しい緑の裃を身に付けた妙齢の女性が現れた。

奉行・柴崎乃守はゆっくりと白砂全体を見渡し……やがて、白崎に目を留める。
「そち、『兎屋』よ。お前は真紅の家に火を放ち拉致した上、長屋に火をかけたと聞いたです」

「ククク……何を言い出すかと思えば……それは、この真紅とか言う女のでまかせです。
 お奉行様ともあろう者が、そのような言葉に惑わされるなど……」
白崎は不敵な笑みを浮べながら、そう弁護する。

「嘘です!私はそんな事してないわ!全て……全て、この人が悪いんです!」
真紅は白崎を指差し、懇願するような眼差しを柴崎乃守に向ける。
  
だが…… 
「嘘つくな!」「自分の家と長屋に火をつけてただろ!」「俺は見てたんだぞ!」
白崎の後ろに並んだ用心棒が、やたらと大きな声で真紅を攻め立てる。

「嘘じゃないわ!
 ……そうよ!翠星石!彼女に証人になってもらえば……!」
真紅はそう言い立ち上がろうとするも……それすら、白崎の言葉に遮られた。

「おや?お奉行様、この女はこの隙に逃げるつもりかもしれませんなあ。
 自分の悪事が知られるのがそんなに恐ろしいのですかね?」
「そんな……!」
最早、完全に気おされた真紅は、口元を押さえながらそう呟く事しか出来ない。

そして、そんな弱気になった真紅を見て好機と察したのだろう。
用心棒達はまたしても、がなり立てるように声を荒げる。

「だったら、なんで翠星石とかいうやつはここに来てないんだ!」
「そうだそうだ!俺たちは翠星石なんて女知らねーぞ!」
「お前の空想の産物なんじゃあないのか!?」
「翠星石を出せ!」 
「だったら、何で翠星石とかいう奴はここに居ないんだ!!」
「翠星石を連れて来い!」 


耳を覆いたくなるような用心棒達の身勝手な発言。
それを止めたのは……他ならぬ奉行・柴崎乃守翠だった。 


「やいやいやい!
 黙って聞いてれば、数に任せて好き勝手言いやがってですぅ!!」

柴崎乃守はその場から立ち上がり、一歩前へと踏み出す。
言葉以上に、彼女から漂う迫力に……奉行所内からは全ての音が消えたような緊張感が広がる。 


「……お前達、そんなに翠星石に会いたいですか?
 だったら……会わせてやろーじゃーねーですか!!」


柴崎乃守は真紅達が座る白砂の広場に下りる階段に足をかけ……自らの裃の襟に手をかける。


「あの日あの晩あの場所で、悪を懲らした緑薔薇。
 ……よもや忘れたとは…言わせねえですよ!!」


そう言い、柴崎乃守が裃から出した肩に彫られているのは、間違いなくあの日見た緑薔薇!
羅刹でさえ斬り伏せる、翠星石のそれに違いない!


「そんな……!」
真紅も、白崎も用心棒達も、誰もが同じ言葉を口にしながら目を見張るばかり。


柴崎乃守……いや、翠星石は、脱力したように地面だけを見つめる白崎に視線を向け、判決を下す。

「自分の罪を他人に押し付けようとするそのチビチビな度量。決して見逃せるものではないですぅ。
 ……沙汰は追って知らせるですよ。引っ立てーい!ですぅ!!」 

奉行所の役人に連行される白崎を見送った後……彼女は、今度は真紅へと視線を向けた。

「真紅は確かに無実ですが……その蘭学の知識を、いつまた狙われるとも分からんです。 よって、暫くの間は奉行所の監視下での生活を送ってもらうです!
 ……これなら大丈夫ですぅ」 
言い終わると、奉行の顔ではなく……町で出合った時と同じ、無職で自由人な翠星石の笑顔を真紅に向けた。 

翠星石のあまりに純真な笑顔に、真実が明らかになった安心感もあり、真紅もつい笑顔を浮べてしまう。


そして……翠星石は真面目な表情を作り、正面を見ながら、最後にこう言った。


「これにて、一件落着!ですぅ!!」


―※―※―※―※ ―※―※―※―※―



「いやー、やっぱりここのお団子は最高ですぅ!」
ちょっと冴えない緑色の着物を着た翠星石はいつもの茶屋の店先で団子を幸せそうにほおばっていた。


と、またしても喉に詰まらせて……またしてもジュンがお茶を持って来て……


「そういえば、薬屋の『兎屋』が、何か悪どい事やって潰れたらしいな。
 お前もしっかりツケは払わないと……いつか『兎屋』みたいに、とんでもない目に会うぞ?」
そう言いながら、ジュンは翠星石の目の前で請求書をヒラヒラ。


「う゛……ま…また今度払うですぅ!」
「あ!おい待て!」
脱兎の如く逃げ出す翠星石と、請求書片手に追いかけるジュン。



これから先、どんな事件が起こっても……
こんな光景が見られる限り、この町はいつまでも安泰だろう。 




 
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